当初この1000日記念シリーズは、去年の年末の企画で「年忘れシリーズ」の
一環のつもりだったのですが、なんやかんやで後回しになってしまい、
きりのいい日にちの時に小出しにすることにした結果、
1000日記念と言いながらもう1260日になろうというところです。
そこまでして出してくるのは、せっかく一生懸命描いた絵を再利用しようという
浅ましい思いがこめられているのです。
心して見よ。じゃなくて見てください。お願いします。
「点の記」
エリート登山家、小島鳥雨を演じた中村トオル。
かれの登山スタイルがなんとも素晴らしいコーディネートです。
この映画の衣装担当に敬意を表して。
ひたすら映像を楽しむ「山岳映画」。
音楽もビバルディの「四季」はじめクラシックを使って良し。
フジテレビ的「んなあほな」というような詰めの甘さは残りましたが、
あわや遭難という過酷な環境の中で映画を撮影したスタッフに敢闘賞の映画。
今年の三月閉館したテアトル銀座で最後に観た映画、
「サラの鍵」。主人公を演じたメリュジューヌ・マヤンス。
超絶美少女でした。
強制収容所という体験を経て成長した彼女の選んだ悲しい道。
そして「何のために知るのか」と真実を追うことの苦しみを
自分に問いかけるジャーナリストの姿を描いた秀作。
衝撃と感動のラストはぜひ観て確かめてください。(宣伝風)
これもどういうわけか毎日のようにヒットする人気ページ。(なんで?)
「クヒオ大佐」における堺雅人。
最近、この堺雅人さんが半沢直樹で大人気だからかしら。
以前、「中年以降の白洲次郎が演じられる俳優」をあれこれコメント欄で想像して
楽しんだことがあり、そのときにちらっと、この人はどうかな・・・・・と思ったのですが、
あの顔で
「日本人は戦争は負けたが奴隷になったわけではない!」
とか言われてもねえ・・・、ってことで推薦取り消し。
「戦火の馬」モブシーン。
この絵を描いていた時のことですが、この画像のほぼ三倍の大きさのものが
ほとんど仕上がっていた段階で無慈悲にもブルースクリーンになり、
数時間の努力が一瞬にして消えたという悲劇がありました。
虫の知らせか、このときかろうじて保存していたこの部分に手を加え仕上げました。
この事件がきっかけになってパソコンを買い替えたという、
エリス中尉にとって記念ともいえる作品。
って、全然映画と関係ないし。
この原作が舞台演劇にもなっていると聞いて、
このようなシーンを想像してしまいました。
実際は「作り物の馬」でやったというのですが・・・。
しかもこの作り物の馬、演技をしたそうなんですよ。
観てみたかったかも。
この記事を書いたときには、自分が数か月後乗馬を始めているとは
夢にも思っていませんでした。
なんとなく流れと勢いで始めてしまい、今日に至ります。
一番大きな原因は、「バロン西」のコメント欄なんですよね。
って、これも映画と関係ないし。
The Iron Lady 「鉄の女の涙」
マーガレット・サッチャーを演じるメリル・ストリープ。
あのサッチャーがボケ老人になってしまっていたのもショックですが、
それよりこの日本タイトルは何とかならんのか、と思いました。
その後サッチャーは亡くなり、例によってその日だけこのエントリに
アクセスが集中して「ああ、亡くなったんだな」と実感することになりました。
イギリスでは何でもサッチャーが亡くなって喜ぶ人たちがデモをしたとか。
日本ではどんな国賊でも「死ねば神様」になってしまうので、
このようなことは起こりません。
絵を作成する過程をアップした、
「ナポラ」。
竹宮恵子やら萩尾望都の世界か?とこれを観て思う向きもありましょうが、
その辺は「話の成り行き上」どうしても絡まってきた、という感あり。
むしろ、時代に蹂躙された青年たちの純粋な魂の蹉跌を描くのに、
彼らの疑似恋愛を語らない方が不自然、と思われました。
個人的には非常に評価したい映画です。
「善き人のためのソナタ」。
ドイツ映画で、原題は「他人の生活」と言います。
こういうのを観ると、「アメリカ人にはこういう映画は作れない」
と思ってしまいますね。
ましてや日本人においておや。
自国の歴史、しかも黒歴史を描きつつそこに起こった限りなく美しい
魂の救済を語るなんて芸当、やはりヨーロッパ人にしかできないのか、
と少し考えさせられてしまいました。
何と言っても「哲学」が精神史を作ってきた場所ですからね。
日本人はねえ・・・。
アメリカ人などにも典型的ですが、「全くの空想世界」の中では
いかようにも精神性を語れるんですが「実の歴史」を突っ放すには、
あまりにもメンタルが全体的にマチュアでないというか、幼い気がするの。
偏見?
本日挙げた映画の中で、エリス中尉が個人的に一番お勧めしたいのが、この映画です。
「9日間」
この映画でも思いましたね。
日本人にはこういう映画は作れない!
若いナチスの少尉(元宗教家志望)のアイデアで、ある大司教が行っている
ナチスへのレジスタンスをやめさせる説得を命令され、
その間収容所から一時自宅に戻ることを許されるユダヤ人司祭。
彼らの間に行われる心理戦ともいうべき宗教論は、その善悪の彼岸や人間の業、
さらには宗教家の心にすら潜む生への欲望とそれに執着する弱さ、
そんなものとともに、実に深い部分を描き出して息詰まるようなスリルを感じました。
しかし、この稿で述べたのはなんのことはない、
「どうして世間はナチスに異常なほどの美を感じるのか」
皆さんの心に潜む「制服フェチ」っぽいものについての考察だったりします(笑)
「レッド・バロン」。
震災でしばらくブログをお休みしていたのですが、再開に当たって
久しぶりに筆を取って描いたのがリヒトホーフェンを演じた
マティアス・シュバイクへーファー。
ドイツ青年らしい硬質の美貌が実にリヒトホーフェンぽくてよかったです。
この映画は一応戦争映画なのですが、一般映画編に入れました。
しかしこうしてみると、一般映画の並びもなんとなく傾向が「戦争」ですね。
「点の記」ですら主人公は陸軍だし、「アイアンレディ」も、
クライマックスはフォークランド島への出兵の決定だったりする。
どんな映画を観るか、というのはその人の嗜好性癖を見事に表すのです。
あ、でも「話題の新作」はとりあえず別ですよ。
「ウルヴァリン・サムライ」(日本編)面白かったです!
芝の増上寺を走り出たらすぐに新宿で、次の瞬間上野にトリップして、
九州に向かう東北新幹線の屋根の上にナイフを立ててしがみつき乱闘、
というようなところがとても楽しめました。
これから観に行く方は、エンドロールの最後まで席を立たないようにね。