ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成30年度 遠洋航海練習艦隊 帰国行事

2018-10-31 | 自衛隊

平成30年度練習艦隊の帰国を横須賀にお迎えに行ってきましたので
その様子をご報告します。

約半年の遠洋航海を終えて、何事もなかったかのように
同じ岸壁に半年前と変わらぬその姿を見せる練習艦「かしま」。

いつものように横須賀港には昨日のうちに到着した模様です。

今まで何度か練習艦隊の帰国行事に参加しましたが、天候はいつも
快晴というべき好天に恵まれていたと記憶します。

やはりこの季節は晴れ日が多いということなのでしょうが、
5月の出航もわたしの知る限り激しく雨が降ったことがありません。
新任幹部たちの乗る練習艦隊の出入国に当たっては、まるで
天も祝福してくれているかのようです。

会場の配置は「かしま」に正対する形で来賓、向こう側に家族など。
来賓席の後ろ側には家族や水交会などの参加者が立ちます。

出航の時と同じく、テントはありません。
あまりの強風でテントが飛ばないように自衛官総出で柱を抑えた時以来、
横須賀地方隊ではこの手の行事にテントを使うことをすっぱりやめたようです。

わたしは前回の経験に照らし、今回も式典の間かぶるために
日よけの帽子を
折りたたんで持参していき、ずいぶん助かりました。
自衛官は帽子着用なのであまり感じないかもしれませんが、
晴天下でただ座っているとこれは結構辛いものなのです。

前にも書きましたが、今後横須賀での出入港行事に参加される方、
特に女性はつばのある帽子の着用を推奨します。

新任幹部たちはもうすでに艦内で待機しています。
岸壁にいた「かしま」「まきなみ」各艦長が乗艦を行いました。

そして練習艦隊司令官も。後ろを歩くのは練習艦隊副官です。

岸壁に配置された横須賀音楽隊のドラム奏者が刻むスネアドラムに乗って、
遠洋航海を終えた幹部たちが「かしま」から下艦してきました。

先頭の一佐は練習艦隊幕僚でしょうか。

半年前、ここで見送った時よりも皆明らかに日焼けした顔をしています。

特に今回の練習艦隊はインドネシアやアラブ首長国連邦、
バーレーンやサウジアラビアなど日差しの強そうな国に寄港し、航海中も
訓練や実習が繰り返されたわけですから、それも当然というものでしょう。

昨日、半年ぶりに帰国し、横須賀の岸壁に降り立った時
彼らはどのような感慨を持ったことでしょうか。

女性の幹部は見たところいつもと同じような割合のようでした。
つまりあまり多くない、ということです。

今年も練習艦隊にはタイ王国からの留学生が一人参加しています。
右から二人目の女性二尉は、全体に『頭中』『休め』などの号令をかける係。
お腹の底から響くような、それはそれは迫力のある号令でした。

実習幹部の右側の一団は「かしま」の海曹・海士です。

全員が岸壁に整列を終え、「かしま」からサイドパイプの音とともに
「まきなみ」艦長、大日方二佐がまず下艦してきました。

続いて「かしま」艦長、金子一佐。

最後に練習艦隊司令官泉海将補がラッタルを降りてきます。

来賓席に向かって軽く挨拶をするように通り過ぎました。

整列が終わった後、実は結構長い時間我々は待たされました。
防衛政務官の到着がもしかしたら国会開催中の関係で遅れたのかもしれません。
待つことしばし、SH-60Kが「かしま」の向こうから姿を表しました。

隣に座っていた方(海保観閲式のチケットを下さった人)によると、
この地域のヘリは全て館山基地所属なんだそうです。

現在、到着した防衛政務官が巡閲を行なっています。
整列した儀仗隊の間を、「閲兵」する自衛隊の大事な儀式です。

「巡閲の譜」が演奏されている間、敬礼を続けます。

みんな見事に「海自式敬礼」になっています。
特に一般大学を出て幹部になった人にとっては、この半年で
この海自式敬礼がすっかり板についたことと思われます。

まあよく見ると微妙に敬礼の角度とかに個人差があるようですが・・。

やはり指揮官の敬礼には年季が入っています。
角度に迷いがないというかピタリとキマってます。

巡閲を終えて防衛大臣政務官がご来臨。
観閲式の時も式台にそのお姿を見せていた、鈴木宗男氏の娘、
鈴木貴子議員。

32歳の若さで防衛大臣政務官というのは一体どういう抜擢か、
この姿を見るとつい考えてしまいますよね。

しかもこの人、2014年には民主党から立候補していて、
その後除名されたという経歴だそうじゃないですか。

その後の挨拶ではキビキビとしたハリのある声で、

「いつも同じではない航海は諸官に時には試練を与えたでしょう。

そんな時諸官を支えたのは傑出した技術であることはもとより、
支え合い、切磋琢磨してきた仲間の存在だったのではないでしょうか」

「我が国の防衛という崇高な任務に全身全霊で挑んで頂きたい」

「かしま、まきなみの乗員の諸官、諸官らの卓越した能力と高い技術を
発揮したからこそ、実習幹部は今回の航海において
数多くの困難を乗り越え、幹部自衛官として必要な資質を身につけ無事に
帰国することができたのだと思います」

「乗員諸官により、海上自衛隊の文化、伝統、誇りたるシーマンシップが
継承されていると改めて感じるものです」

「ご家族の皆様の安心のため、幹部たちが任務を安全に遂行できるよう
体制を整えてまいりますので、何卒ご理解ご協力を賜りたいと存じます」

といった真っ当な内容の文章を読み上げ、わたしの中の好感度が
少し上がりました。(誰かが書いた内容だとはいえ)

鈴木防衛大臣政務官に対し敬礼。

佐藤正久外務副大臣もその後挨拶を行いました。
最初に

「自衛官出身の佐藤正久です」

と改めて自己紹介し、海外派遣などについての実情を述べた後、最後に

「休みの時にはしっかりと休養を取って家族と過ごしてください」

と声をかけました。
判断を過たないためにも、自衛官はしっかり休養してほしい、ということです。

水交会や横須賀市の偉い人たちから花束贈呈。
右から二人目は元海幕長です。

花束を贈る人が四人いたので、四人が受け取りましたが、
はて、一番右側の幹部が受け取っているのはなぜだっけ?

一番最後に来て一番最初に現場を去る、防衛大臣政務官。
ヘリが去るまで現場は一時フリーズです。

続いて国会議員の退出が行われました。

この日一番その出席に驚いた阿部知子議員。
社民党を最初に、それこそコウモリのように党を変えてきて、
現在のところ立憲民主党の議員ですよね?

先般JGBTへの非生産発言に揚げ足を取られ
一時渦中の人となった杉田水脈議員。

佐藤議員は来賓席に挨拶をしながらの退場です。

ここで帰国行事は終了し、解散のアナウンスが流れました。

花束を持ったまま、在日米軍のフェントン少将と
挨拶を交わす泉海将補。

ちょっと調べてみたところ、フェントン少将は

グレゴリー・J・”フェンス”・フェントン

がフルネームで(フェンスというのはAKAというか通称ね)
アナポリスでは航空宇宙工学の理学士、

米国海軍大学院の航空宇宙科学修士号を取得しています。

テストパイロットの学校にも学び、海軍で原子力についても
技術を学んだフェントン少将は、かつてテストパイロットとして
X-35に乗ったことがあるとか・・。
って、海軍軍人なのになぜテストパイロット?

わたしは自席から少将の名前を確認して、もしかしたら
「君が代」のフェントンの子孫か?と考えたのですがどうでしょう。

ちなみにフェントン少将の後ろの女性は通訳で、
挨拶などの内容を全て同時通訳して少将に伝えていました。

こんな真面目で熱心な米軍人は初めて見ます。


式典が終了したあと、来賓席は全てガラガラに。
来賓席の後ろに立っていた幹部家族たちが空いた席に移動して座り始めます。

練習艦隊司令官と艦長はまた「かしま」に戻りました。

そして実習幹部たちが「本当のかしま下艦」を行います。
横須賀音楽隊は帰ってしまったので、「軍艦」は放送で流されました。

幹部たちが「かしま」乗員に『お世話になりました』
と挨拶しながら舷側を歩き、
ラッタルを降りていくのです。

自衛艦旗が見えるところでこうやって敬礼を行うのですが、
やっぱりまだ新任なので自衛艦旗への敬礼が身に染み込んでいないのか、
前の人を見ていないと敬礼せずに降りてしまう人もいて、
一人がたまたま敬礼しないとしばらく皆敬礼しない(つまり前の人に倣う)
という一瞬も見られました。

最後に女性幹部たちが降りてきます。

タイ王国の唯一の留学生も下艦を行いました。

彼が本国でいつの日か海軍将官になり、軍事交流を日本国自衛隊と行う時、
遠洋航海で同じ釜の飯を食った仲間がカウンターである可能性は
大変高いものと思われます。

そして「かしま」を降りた幹部たちと乗員の間で帽振れが行われました。

舷門には練習艦隊司令らが立って帽振れしています。

下艦していく幹部たちを見送る泉海将補と艦長たち。
その微笑みと眼差しには、半年彼らを見守り続けた指揮官ならではの
父親のような慈愛の色が見て取れます。

新任幹部たちを半年指導してきた「かしま」乗員たちも帽振れ。

そのとき、艦橋のデッキで大きな旭日旗が翻りました。

帽振れを終えた実習幹部は、今度は「まきなみ」に挨拶に向かいます。

「まきなみ」飛行甲板では幹部が二人手を叩いているぞ。

「まきなみ」の乗員に帽振れ。
艦橋デッキには「ご安航を祈る」旗を手に持っている人が見えます。

また「かしま」から乗員が降りてきました。
ここで「かしま」の任務を終了して艦を降りる乗員たちだと思われます。

見送る「かしま」乗員たちの様子もリラックスした感じ。

もう一度艦上と岸壁で帽振れが交わされます。
海軍伝統の美しい慣習、何回見てもいいものです。

デッキの旭日旗も一層大きく翻って。

その後、わたしが車を停めた場所まで歩いていると、
「まきなみ」から戻ってきた幹部たちがこちらに向かって行進して来ました。

掛け声も音楽もありませんが、歩いていると自然に足並みが揃ってしまう。
もうすっかり彼らも一人前の自衛官ですね。

先頭が止まったので列が止まると、家族が駆け寄って来て
声をかけたり写真を撮ったり。

彼らはこれから新しい配置で自衛官としての新しい一歩を踏み出します。
帰国直前発表された自分の配置が、志望通りだった人も、そうでなかった人も。

「まきなみ」の艦上の乗員たち。
彼らはこれから大湊まで帰還するという任務が待っています。
新任幹部たちを降ろした「かしま」も呉に向かうでしょう。

練習艦隊司令官はまた報告会を行う予定ですので、
ぜひお話を伺ってまたここでお話できればと思っております。

練習艦隊の皆さん、お帰りなさい。


終わり。

 


愚直タレ-がんすバーガー爆誕!〜呉地方隊 自衛隊記念日行事

2018-10-30 | 軍艦

追悼式の後わたしがどこに行ったかのご報告はまたの機会にして、
今日はその次の日に行われた自衛隊記念日式典の様子をご報告します。

呉地方総監部の自衛隊記念日に伴う表彰式とそれに続く懇親会は、
呉教育隊内の施設で行われます。

最初にここに来たのは、遠い知り合いに紹介してもらった
元自衛官(掃海艇の艇長で退官した方)のご案内でしたが、
あの時、まさか自分が何年か後に自衛隊記念日のために
ここにくることになろうとは夢にも思っていませんでした。

今調べてみるとそれは2012年、NHKの大河ドラマが
「平清盛」だった頃のことです。(その人のお宅で再放送を観た)

その時に感動したこの芸予地震で倒壊した建物の一部を見ながら、
なんだかんだでこんな長い間?自衛隊にまつわることをブログで
発信し続けているんだなあとあらためて考えました。

まず自衛隊記念日に行われる恒例の感謝状表彰式が体育館で行われました。
今年の感謝状は、高松の掃海隊追悼式や自衛隊艦艇の寄港などに
協力した高松市などの防衛団体代表や、クレイトンベイホテル、
呉阪急ホテルなどの協力ホテルなどに対して授与されました。

そしてこの配列をご覧いただきたいのですが、われわれの座っている
来賓席より前に、自衛官(事務官含め)席が設えてあります。

去年は事情があって来賓席に座っていなかったのですが、
今年来てみたらいつの間にか来賓と自衛官の席が前後逆になっていました。

前の集団は何かというと全員がザッと立って敬礼するので、
(後ろにいる事務官たちは30度のお辞儀)
前の様子が全く見えないまま終わってしまったわけですが、
この配置も自衛隊記念日が自衛官のためにあるということを
非常にわかりやすく表明していると思われました。

感謝状授与式の間、ヘンデルの「勝利を讃える歌」を演奏していた
呉音楽隊は、最後に二曲、「海を行く」と、呉音楽隊がこの春にリリースした
CDにも収録されている

八木沢教司氏の作品を演奏しました。

懇親会は隣の体育館に移動して行われます。
会場に入ってすぐ、自衛官の帽子置き場が設置してあったのですが、
上にまだ置くスペースがあるのにも関わらず、床に置いている人たちが・・・。
海曹だけでなく尉官の帽子もありますね。

呉地方総監池太郎海将がご挨拶。
先ほどの着帽してのセレモニーでいつもの指導方針「愚直たれ」を折り込み
「真面目な」訓示を行ったので、ここではぐっと砕けて、
今日はタレの方の「愚直タレ」を使ったバーガー、「愚直がんすバーガー」の紹介です。

この「がんすバーガー」についてはわたしは前もって予告をいただいていましたが、
「がんす」というのは何なのかが全く知りませんでした。
呉の名産だというので、前日の追悼式が終わってから
呉出身の自衛官に

「そもそもがんすって何でがんすか」

と聞いてみたところ、

「わしは呉出身じゃがそんな名前は聞いたことないけえ」(脚色してます)

という返事でした。
そこで調べてみたところ、ちゃんとwikiに記述がありました。

「がんす」とは広島県で生産されている魚肉練り製品。

かまぼこ原料のすり身に野菜や一味唐辛子などを混ぜ、
長方形に成形し、パン粉を付けて揚げたものだそうです。
パン粉をつけて揚げているため、きつね色に揚がったパン粉の香ばしさと
サクサクとした食感、野菜の甘味などが合わさって後を引く味とか。

名前の由来は、予想通り広島弁の「〜でがんす」。

広島市西区や呉市などではメジャーな食べ物だということですが、
呉出身自衛官が知らなかったということはメジャーでもないのかな。

がんすはそのまま食べるのが一般的ですが、がんすを使ったドーナツ、
(えええ〜?)がんすサンドなどがすでに存在してます。

ここに今回、呉地方隊が満を持して世に送り出したのがこの
「愚直たれがんすバーガー」というわけです。

確かこの方がその「愚直がんすバーガー」の発案者。

「バーガーを食べたら『愚直でがんす!』と言ってください!」

あれ?この人、池総監が出演した「ディアボス」で、
総監官舎で池総監自らが揚げた天ぷらを食べるメンバーにいなかった?

懇親会は色々な配慮から「乾杯」の発声なしで始まりました。
開始と同時に「がんすバーガー」の前には人が並び始めたので、
とりあえず一つゲットして食してみることに。

バンズには下から野菜、がんす、チェダーチーズ、ベーコンが
挟まれて、全体に愚直たれがケチャップがわりに塗り込まれています。

これなかなか美味しかったですよ。
ただ、アメリカーンなバーガーに慣れている(というほど食べませんが)
わたしとしては、バンズ(パン)をもっとふわふわの、
柔らかい素地のものにすればもっとよかったと意見具申するものです。

それにしても愚直タレ、まじで何にでも合うんだこれが。

BSの「ディア・ボス」で自宅に招かれていたメンバーには
この一番左の女性海曹長もいたりしたわけですが・・・・。

今回の観閲式でも「女性自衛官の登用」がアピールされていた
日本国自衛隊ですが、今回ここ呉地方隊でも
活躍する女性自衛官たちの紹介が行われました。

部隊名だけで各自が具体的にどんなことをやっているのか
詳しい説明がなかったのは少し残念でしたが、中には
医療関係(医師やナース)の女性自衛官もいたようです。

会場には「くれっ子災害応援団」と書かれたありがとうのバナーが飾ってありました。
夏、呉地方を襲った水害に災害支援を行なった自衛隊に対する感謝の印です。

お辞儀している人はきっと感謝の意を表しているんだな(笑)

呉の子供達がボランティアで活動を行なったようですね。
自衛隊に対する感謝の手紙が添えられていました。

くれっ子応援団は地方総監部官舎で表彰されたようです。

さて、こちらは。
池総監がご挨拶の中で少し紹介していた「救助犬についての紹介」です。
観閲式会場で空自の歩哨犬を見つけて写真を撮った後なので、
この偶然にはちょっと感激しました。

海自の警備犬(呼び方が違うらしい)訓練施設は呉造修補給処貯油所にあります。

警備犬たちは今年の水害で行方不明者の捜索を行い、
防衛大臣から表彰されていました。

左端はなんと防衛大臣直々にいただいた「ご褒美」。

ってなんで今ここにあるの?
ご褒美なんだから犬にあげましょうよ。

地元新聞で連載形式で詳しく紹介された記事も閲覧できました。
これによると現在警備犬は16頭おり、災害に派遣された
「トド丸」「さくら」「那智」が表彰されたようです。

「妙見丸」「金剛丸」の二匹は東日本大震災への出動の功績により表彰されました。

金剛丸の褒症状。(表彰状ではないのですね)

ところがこんな本が横にあるではないですか。
え、金剛丸に一体何があったんだろう・・・。

早速amazonでこの本を取り寄せ中です。

表彰された那智号がいます。

警備犬の名前は実に適当、じゃなくてライトな感じです。
警備犬に「トド丸」はどうよ、って気もするんですけど。

トド丸生まれたて。弟はゴン丸です。
ジャーマンシェパードが赤ちゃんの時って耳が寝てるんですね。

熊本地震災害で捜索活動中の救助犬。

同じく捜索活動中。
警備犬についてもっと色々知りたいと思いました。

呉地方隊の災害派遣任務の一つに演奏支援があります。
音楽隊のメンバーが、被災者の避難所で演奏を行い、
慰安を行うというのも大事な任務の一つです。

列を作って何かを待つ人たちに聴かせるための演奏。

楽器が珍しい小さな子供には触らせてあげるなどのサービスも。
あ、このトロンボーン奏者は、不肖宮嶋茂樹カメラマンの名作写真集、
「国防男子」で紹介されていた方ですよ。

今回懇親会会場で行われていた音楽演奏にも参加しておられました。

そして呉音楽隊の歌姫の歌も披露されました。
周りのおじさまたちは手拍子を打って聴き入っています。

ちょうどわたしの知らないアイドルっぽい歌を歌っていた時、
夏に地元アイドルをパネルディスカッションに招聘した
基地隊司令がわたしの横でノリノリ手拍子を打っておられたので、

「司令、こういうのお好きでしょう」

と聞くと

「好きですね〜!」

最後に呉地方総監が本日の料理を手がけた給養のみなさんを紹介しました。

帰り際にお会いした広報係長の名札の上にはなんと、
愚直タレがんすバーガーのオリジナルシールが
名前を隠してまで貼ってあるではないですか。

さすが広報係長、宣伝する気満々だ。

 

というわけで、この日の活動紹介によって、呉地方隊が地元災害に果たした
大きな役割と、自衛隊が地元に溶け込み市民と一緒に呉の街を盛り上げていこうという

前向きでかつ直向きな姿勢をまた新たに知ることとなりました。

さらに、池総監という「ディア・ボス」を取り上げたテレビ番組も
呉地方隊を知る一助となったのですが、それはわたしだけではなかったはずです。

 

なんとなく続く。

 


平成30年 自衛隊記念日〜殉職自衛官追悼式

2018-10-28 | 自衛隊

自衛隊記念日は正式には11月1日となっています。

1954(昭和27)年7月1日、その法的根拠に基づいて自衛隊が発足したとされる、

「自衛隊法」ならびに「防衛庁実施法」

の制定を記念する行事なのですが、なぜ7月ではなく11月1日なのかというと、
7月のその季節には台風などの自然災害が多く、自衛隊の派出と重なるため、
わざわざ天候の安定した季節に行事を行うことにしているのです。

しかも、行事は11月1日当日でなく、今回のようにその前後の、
仕事を休まずとも参加できる週末に大抵行われます。

行事としては陸自は中央観閲式、海自は観艦式、空自は航空観閲式と
三自衛隊が持ち回りでそれぞれ観閲式を主催するほか、各基地駐屯地で
その前後に自衛隊記念日行事が持たれるのです。

おそらく先週末は全国の基地駐屯地で、様々な催しが行われたのでしょう。

呉地方総監部では、毎年自衛隊記念日に、その前年自衛隊に貢献する
何らかの働きをした個人や団体に対し、感謝状が送られ、関係者と
自衛官の懇親の場にもなる懇親会が行われるのが恒例となっていますが、
その前日には、呉警備地区での殉職自衛官に対し追悼式が行われます。

今年もそれらの行事に参加してまいりましたのでご報告します。

この写真は呉とは全く関係ありません。
昨日お話し終わったばかりの芦屋基地航空祭の次の日、
福岡で一泊して羽田に帰る飛行機が離陸したところを撮ったものです。

いろんな地方で飛行機に乗りますが、福岡空港ほど都心部に近く、
交通が便利(電車で行ける)な空港はないかもしれません。

芦屋基地航空祭のログに写真を載せ忘れたのでアップしてみました。

呉入りしたのは殉職隊員追悼式当日です。
追悼式は呉地方総監部の赤煉瓦庁舎からまっすぐ
「正門」(つまり海に向かう港)に向かって降りていく
大階段の脇に設えられた慰霊碑前の広場で行われます。

慰霊碑の周りは菊の花で飾られ、指揮官名などが花立てに記されて、
来賓が入場する前から銃を携えた衛兵によって守られているのです。

開式前、待機する儀仗隊。

かつてこの広場にある地下作戦壕が現・呉地方総監である
池太郎海将によって整備・公開されるまでは、儀仗隊は
そこから入場し、そこに退場していたものです。

そのころはそれを見て、

「さすが呉鎮守府、あの扉から通路がどこかにつながっているのかも!」

と想像をたくましくしていたものですが、今にして思えば
儀仗隊はずっとそこで待機して出番を待ち、終わったら再びそこで
皆がいなくなるまで待っていたのです。

今はそこが地下壕であることは公開によって周知のこととなったので、
こうしてアコーディオンカーテンの「儀仗隊入り口」を設けているのです。

しかし、どうあっても儀仗隊は「ちゃんとした入り口」から入場すること、
と何かで決まってでもいるんでしょうか。

さて、国旗掲揚後、地方総監の手で霊名簿が慰霊碑前に奉安され、
追悼の儀式が執り行われました。

黙祷に続く地方総監の追悼の辞に続いては弔銃発射が行われますが、
これは海軍時代から伝わる儀礼歌「命ヲ捨テテ」の演奏に続き
同じ「命ヲ・・」の最初の2小節を超速テンポで演奏し、その後
銃発射、演奏、発射、演奏、発射と三回繰り返す慣例に従います。

 

前回、これをスマホで撮影してリアルタイムで投稿している
不謹慎者がいて、この場で苦言を呈したものですが、今年も
一人だったとはいえ、スマホを向けている人を目撃しました。

呉地方総監部の防衛モニターという人たち、いくら珍しいからって
弔銃発射をインスタに(かどうか知りませんが)上げるのはやめましょう。

さて、この後殉職隊員への献花が行われたわけですが、
わたしは前年度との大幅な変更にここで気づくことになります。

献花の順番が、

1、遺族 2、政治家(代理) 3、歴代呉地方総監

ときて、従来の防衛団体関連来賓(つまりわたしたち)ではなく

4、呉地方隊指揮官 5、呉警備地区指揮官 6、呉地方隊海曹

7、事務官 8、幹部・海曹・海士代表(3名)9、地元協力本部

と自衛官が先になったことです。
つまり、殉職者の上司に当たる指揮官、同僚部下に当たる自衛官を
来賓より優先したということになり、わたしは内心いたく感銘を受けました。

自衛隊からすれば防衛団体などの代表者は身内ではなく「客」ですが、
客より殉職者にとって自衛官の方が関係性は深いわけですから当然です。

このような行事は何事も前例主義で去年の通りにやっていれば問題なく、
あえて変更してその結果起こってくる労を、大抵の責任者は
かぶりたがらないものだと思いますが・・・・。

思い起こせば5月に金比羅神宮で行われた掃海殉職者追悼式でも、
掃海隊関係部隊の自衛官を来客より前の席に座らせ、先に献花させていましたし、
今回、この翌日に行われた自衛隊記念日の感謝状贈呈式においても、
政治家などの来賓より自衛官の一団をステージ近くに配する、という
前年度から見て大きな変化があったことをご報告しておきます。

(特に代理ばかりで本人の出席などほとんどない議員の席を
ステージ前にする必要はわたしも全くないと考えます。)

追悼式終了後、手前に座っていた遺族が大階段で
記念写真を撮るのを待っている列席自衛官と呉音楽隊。

この日呉音楽隊が追悼演奏に選んだ曲は、

「海行かば」「行進曲軍艦」

の2曲でした。

最後に遺族代表がご挨拶をされましたが、その中に

「国を守るという崇高な任務のためとはいえ、家族を亡くした私たちにとって
光明を失うごとき悲しみでございました」

という言葉がありました。

今年はこれまでのように乳児や幼児を連れて来られた遺族はいませんでした。
歴代の呉警備区における殉職自衛官は百十数柱と紹介されていたので、
この日出席されたのはそのうちのわずかな遺族だけだったということになります。

列席できる者がいなかった(あるいはいなくなった)ご家族もあるでしょうし、
こういった場に出るのが辛い、という理由で欠席される方もあったかもしれません。

続いて遺族代表の方は、

「悲しみに耐え、今日まで頑張って来れたのも、歴代地方総監を始めとする
呉地方総監部の皆様のご助力とお力添えがあったからです」

というようなことを言われました。
危険任務に携わることも多く、一般の企業より殉職者が多い自衛隊では
専門の部署が殉職隊員の家族に対するケアをあらゆる面から手厚く行なっているそうです。

追悼式終了後、わたしは出口に向かおうとして真っ直ぐ海に向かって歩き出し、

「どこ行くんですか。そっちは海ですよ」

と知り合いに声をかけられました。
いけない、ついつい・・・。

出口で門の写真を撮ったら写り込んでしまった某指揮官(笑)
こんな制服の人が自転車で走り回っている、それが呉の街です。

そして、呉は大変コンパクトな街です。(狭いともいう)

地方総監部を出ててくてくと歩いてくと、すぐに
海自資料館、通称「てつのくじら館」にたどりつきます。

一緒に歩いていた方がどこかでお昼を食べましょうというので、
わたしはここ「てつくじ」のカフェにお誘いしました。

わたしの目的は、これ。

ここ「JMDSF CAFE」(なんて直接的な名前・・)の名物、
池総監の座右の銘であり指導方針でもある「愚直たれ」から生まれた
カレー味の「愚直タレ」使用、

呉総監ドック

を再び味わっておきたかったのです。

ご覧になった方もおられるでしょうか。
なんと「王様のブランチ」で紹介されたんですね。

そして、先週、わたしも予告をいただき、苦労してビデオを手に入れました。
(出張に出ていたTOにホテルのテレビを携帯で撮影してもらった)
「Dearボス」という番組でまたしても池総監が出演し、
インタビュアーの芸人さんが食べる呉総監ドックが取り上げられたのです。

ちなみにこの芸人さんは、ドックにドバーッと「追い愚直タレ」をして、
「全然辛くない」とか言ってましたが、絶対嘘だと思う(笑)

ちなみに28日23時からBSで「ディア・ボス」の後半が放映されるそうです。
このブログをご覧の方、時間が間に合うようならぜひご覧ください。

右上の猫(・・・ですよね?)が言っている

「色々あって」

には本当に色々な意味があるらしいです。
下の感謝状ですが、

「貴店は呉地方総監の指導方針を市民に周知させる
『愚直たれ』の提供という無理難題を快く受け入れていただき
『商売その道によって賢し』の如くまさに水を得た魚のように
愚直に『たれ』を提供され多くの市民に周知していただくことができました

その姿は想像を絶する愚直さであり
呉地方隊員の模範となるものでもありました

その労をねぎらうとともに貴店の今後ますますの飛躍を祈念し
ここに感謝申し上げます」

なんか、色々おかしい。

ちなみに「商売その道によって賢し」とは「餅は餅屋」みたいな意味で、
「こんなのできる?」とダメもとで頼んだら、頼んだ方がびっくりするくらい
ノリノリでここまで完成度の高いものを作り上げてしまった、
という意味ではないかと思います。知らんけど。

提供店認定証は海上自衛隊のマークがピカッと輝き、
さりげなく錨と鎖をあしらった格調高いデザイン。
呉地方総監の押印は、もちろん本物だと思います。

ついでなのでこのカフェの横で買えるグッズもご紹介。
すっかり有名になったらしい「呉氏」のマスコット。
ふわふわした手触りが一度持つともう放せない。

カフェのメニューもご紹介しておきましょう。

これねえ・・・。
乾パンにアイスクリームを挟んだアイスサンドなんですが、
みなさん海上自衛隊の乾パンって食べたことあります?
わたしはさる筋から裏ルートで手に入れた正規品の乾パンを
付属のジャムとともに食べたことがありますが、あれ、まじで堅いですよ?

アイスを挟むのはいい考えだと思うけど、乾パンを重ねて食べるのはどうかしら。
一枚でも難儀するのに二枚重ねて噛み砕くっていうのはかなりの・・・

と思ったら「硬サニ挑戦セヨ」とか書いてあるよ。
なんのためにこんな限界を突破しなければいけないのか。

これはいいですね。

今や呉地方隊のシンボルのようになった護衛艦「かが」のパッケージ。
なぜ中身がフィナンシェなのか、という疑問はさておき、箱だけ欲しい、
という人が結構買うかもしれません。

これは前にも見た。呉氏のアイスフロート。

「なんで色が水色なのにオレンジ味なんだ?」

と前にも同じことを書いたような気が・・。

なんてことはない普通のアイスコーヒーなんですが、あえて写真をあげたのは
こんなものにまで?自衛艦旗をあしらってあるから。

勘違いした何処かの国の人がここで文句をつけて
自衛官につまみ出されるというのをぜひ一度見てみたいものだ(嘘)

「千福」でおなじみ三宅本店の特別コラボパッケージ。
なんと松本零士大先生描くところの毛利元就公であるぞ。

って、かっこいいなあこれ。
本当に毛利元就ってこんなにかっこよかったの。

あー・・・まあ似てるかもー。ヒゲとか。

というわけで待つことしばし。
来ました呉総監ドック。
このドックのわたし的評価ポイントは、ドックの下の野菜に
さりげなく刻んだ胡桃が混入していることです。
この小さな工夫が、歯ごたえをすごく良くしているんだな。

ケチャップよりこの愚直たれドックの方が好き、という人は多いと思います。

呉総監ドックは池総監の任期中しか食べられない、ということですが、
オマージュメニューとしてなんとか今後残してくれないかなあ・・・。

同行した方がなんと「あきしおカレー」を頼んでくれました。
「あきしお」はここで「てつのくじら」と呼ばれている潜水艦です。

ご飯の潜水艦がカレーの海を航行してる!

ドックの写真がなぜ三つあるかというと、

最後まで「諦めない」 人を「欺かない」 物事を「侮らない」

という三つの「あ」になぞらえているんだと思います。多分。

 

さて、わたしはこの次の日、自衛隊記念日の式典に出席するために
愚直たれの聖地である呉に一泊しました。

ということで、この後わたしがどこへ行ったかは次回のお楽しみ。

 

続く。


緊急連絡:ブログ開設しなくても大丈夫だそうです

2018-10-28 | つれづれなるままに

ブログを開設しなくてはコメント投稿できないらしいと聞いて、
前回その旨お知らせしましたが、
つい最近、初めてコメント投稿してくださった方から

GooIDの件ですがブログを運営しなくても登録出来ますとアンノウン様にお伝えください。
新たにID、パスワードの入力を行えば大丈夫ですとお伝えください。
小生もブログは運営しておりません!

という情報をコメント欄にいただきました。
これまでのやり取りでメール交換をしていた方からは、
各々お別れの挨拶などいただいていたのですが、

そういうことですので、ぜひお試しいただきたいと存じます。

お騒がせいたしました。

あー、よかったー!


ブルー・インパルス演技〜平成30年度 芦屋基地航空祭

2018-10-27 | 自衛隊

芦屋基地航空祭参戦記、最終回の前におことわりです。

いつもコメントをくださるunknownさんから、コメント欄に
投稿できなくなったとメールでお知らせいただきました。

なんでもgooブログのコメント投稿規定が変わっていまい、

「gooIDを持っていること」から「gooブログID」を持っていること

つまり、gooでブログをしていないとコメントできなくなってしまったのです。

未承認でコメントを受け入れることも考えたのですが、昔、
今ほど閲覧者数がいないときですら悪戯投稿がありましたし、
ある事件で悪意をもって自演の書き込みをしてきた人物がいたのをきっかけに
承認制にしたことを考えると、当方の精神衛生上、そこのところは
ディフェンシブにならざるを得ず、承認制の変更はできそうにありません。

unknownさんには毎日のようにコメントをいただき、それが当ブログの
一部を果たしていたとわたしは思っておりますし、実際に
別の読者からコメントを楽しみに読んでいる、と伺ったこともあり
残念で仕方ないのですが・・・。

この件に関して何かいい方法はないかなあと鋭意考え中です。
もし何かいい方法がありましたらコメント欄でぜひご教示・・・
はできないのか。うーむなんてこった。

以上業務連絡でした。

航空祭の花形、ブルーインパルスの演技がいよいよ始まります。

オリジナルのテーマソングの流れる中、パイロットが
名前をコールされながら自分の乗機まで行進していく
「ウォークダウン」ののち、入念な最終チェックを経て、
いよいよタキシングが始まりました。

6機のブルーが1番機を先頭に、駐機していたエプロンの右端から、
テイクオフをする滑走路の一番奥までの距離を移動します。

これもいわゆるひとつの「演出」として、わざわざ端から端まで
皆に見てもらうために移動をして見せるのだろうなと思います。

そういえば相撲の「立会い」も、本来は両者の「気が合う」瞬間まで
何度でも繰り返すうちに、一瞬で終わる勝負そのものを盛り上げていく、
というものだったようですが、ちょっとそれに似ていますか。

演技の前後の乗り込みやタキシングまで、全てを儀式化して
本番までの気分(この場合は見ている人たちの)を盛り上げていくのです。

機体が出す排気による陽炎が作る映像の歪みも、またいとをかし。

離陸を行う場所に整列すると、順番に機体から白い煙を排出しました。
スモークの点検です。

現在のブルーインパルスは白い煙だけなのでこうなりますが、昔、
カラフルなスモークだった頃には、この光景はレインボーカラーだったはず。

まず1番機から4番機までが順番に離陸。

空中で集合してダイヤモンド隊形を組み、会場に「ご挨拶」。

まだ離陸したばかりで脚を収納していない状態なので、
左右の着陸灯もまだ点いたまま。

続いて地上に残っていた5番機と6番機が並んでテイクオフ。
手前の6番機だけがスモークを出すという効果です。

ところで6番機の機体番号は666なんですね。
キリスト教圏では不吉とされ、特に命を預ける乗り物には避ける番号です。

アメリカで買い物の合計が666ドルになったとき、お店の人が
「縁起が悪いわね」といって1ドル負けてくれたことがあって、
そこまで気にするのかと驚いたことがありますが、
ここは日本だから無問題。

スモークを出しながら離陸した2機のうち1機は空中で縦に旋回し、
今度は皆の前を逆さまで通過。

この逆さ飛行は、計器が全て反対になるのが難しいところだとか。
この間パイロットはもちろんベルトで中空に吊られている状態です。

この後で行われる「スローロール」という演技は特に
優れた平衡感覚を必要とする難しい技だそうです。

5機のトレイル隊形でやってきてブレイク。
この後上空で旋回を描きながらだんだん機体の間隔を詰めていきます。

「チェンジ・オーバーターン」という演目です。

旋回を行いながら間隔が縮まっていくのがとにかく神業。

5番機が1機でくるりと180度機体を裏返して飛行を行い、空中を駆け上がって
今度は連続3回、右回転を行います。
よく目が回ってコントロールを失わないものです。

ものすごい三半規管が鍛えられてるんだろうな。

続いて行われたのがこの「サンライズ」だったのですが、この演技の前、
他の航空機がパイロットから確認されたということで、
5機はそのまま演技をせず通り過ぎてしまいました。

おそらく管制塔からの指示だと思うのですが、それを受けて
リーダーが「ストップ・ミッション」の一声を直前にかけたようです。

そしてその航空機が完全に他の場所に離れるまでの間待機となりました。
少しの異変もインシデントを避けるために見逃しません。

続いて「チェンジ・オーバーループ」。
後方からトレイル隊形でやってきて、この後ダイヤモンドになり、
空中でバック転?するのですが、トレイル隊形に注目してみました。

ほらこんな。
前から2番目の機の翼だけが一瞬傾いている決定的な写真。

続いてカメラマン泣かせの「オポジット・コンティニュアス・ロール」。
左右からやってきた2機が真ん中ですれ違うんですが、とにかく撮影が激ムズ。

わたしのいる場所からはクロスしているように見えない角度でしか撮れませんでした。
ギリギリをすれ違っているようで、実は2機は奥行きを持たせて飛行しているので
頑張ってもこんな瞬間しか撮れなかったりするわけです。

まあこれを上手く撮るには腕以前にかなり運も必要かと。

もう一つの「すれ違い系」演目の撮影には完全に失敗(笑)

「4シップ・インバート」。

くるりくるりと2機ずつ背面飛行になり、4機がこの状態に。

いよいよ「キューピッド」。
2機が空にハートを描き始める瞬間です。

ハートの形は完璧で、風もなかったのですが、いかんせん雲が多すぎました。

ソロを行う5番機。

5番機と6番機は基本ソロ演技専門機なんだそうです。

「ワイド・トゥ・デルタ・ループ」。

後方から現れて、5機が上昇しながら間隔をどんどん狭めていきます。
最初200mあったデルタの大きさが最終的には40mまで小さくなるとか。

受信されたコクピットの音声を聴いていても、こういう演技の時には
ブレイクやスモークの時のような掛け声をかけていません。

無音で飛びながらにだんだん小さくなるということは、
全員が自分の感覚で操作してこのような形を作っていくのですね。

最後に6機全部でスモークを出しつつ旋回する「デルタ・ロール」。
ちなみにスモークを出すときの合図は当たり前のようですが「スモーク!」です。

公開されているコクピットの音声を聴くと「スモック」と聞こえますが。

6機全部でロールを行うのはほぼ終盤になってからです。
「デルタ・ループ」に続いて「フェニックス・ロール」が行われました。

6機でフェニックスの頭と翼と尻尾を表しているというのですが・・・。

「ボントンロール」。
なんかスィーツみたいな名前ですが、難度はかなり高いそうです。

全機がスモークを出しながら侵入してきて、合図で同時に360度ロール。
これが決まった瞬間、会場が大きくどよめきました。

5機に戻り「上むき空中開花」。

散会した全機が今度はスモークで星を描きます。

「スタークロス」。

5番機、6番機による「タック・クロス」。
2機は正面から進入してきて背面飛行に。

同時に機体をひねって。

クロスします。

そしてラストの演目、「コークスクリュー」。
まっすぐ背面飛行する1機の周りをもう1機が追いかけながらバレルロール。

ぐるぐる回っているようですが、写真を撮ったことがある方は
あっという間に終わってしまうのでご存知でしょう。
実は3回転しかしていないのだそうです。

この日はたまたま真正面から見ていたので、今までで一番上手く写真が撮れました。

3周して終わり!

今までコークスクリューの写真を失敗してきたのは、機体を大きく撮ろうとして
どちらにも焦点が合わなかったからなのですが、今年は場所が良かったのと、
最初から全体を撮るつもりでズームをしなかったのが勝因でした。(当社比)

というわけで、最初の4機が着陸してきました。
時間があれば全機着陸するところを見たかったのですが、防衛協会の
バスの出発時間があるので、わたしはこれを最後に会場を後にしました。

帰りのバスからまたもや目撃した装備体験コーナー。
お父さんと子供が二人乗ってます。

飛行機のコクピットに乗るよりもしかしたらこちらの方が子供には楽しいかも。
芦屋基地施設科、考えましたね!

これ、スターファイターですよね?
確かこれ、ソリッドモデルの模型展で見たぞ。
パンダの部隊マークに覚えがある・・・。

と思って改めて調べたら、これパンダじゃないんですって。

稲妻状のラインと熊をあわせたシルエットで「二〇三」を表すよう
デザインされている。
なお熊の配色が白黒を基調にしているためパンダと認識されがちだが間違いである。

そういえば目の周りが黒くないですね。失礼しました。
だいたい日本国自衛隊がパンダ・ハガー(笑)なわけがないですよね。

なんかこれと同じようなものを最近アメリカで見たような気が・・・。

シューティングスターにテキサン、向こうは救難ヘリのH-19Cのようです。

F-106の向こうはあのセイバーですね。

そうそう、そういえば!

先日、かつてセイバーに乗っていた元パイロットという方と、ある方を通して
お目にかかることができるかもしれないという話が飛び込んできました。

文字通り「雲の上の」方なので、まだどうなるかわかりませんが、
こんなお話が舞い込んできたのも、今回空自のイベントに参加したから
それがご縁を引き寄せたのではないかという気がしています。

何しろ機体音痴なため、航空機の形をよく誤認して怒られているわたしですが、
もしそれが実現したら、せめてその方の乗っておられた空自の装備、そして
そして旧軍機について叩き込んでからその場に臨もうと思ってます(笑)

さてどうなることやら。

 

 

芦屋航空祭シリーズ 終わり

 

 

 


ポイント・ボニータのメンデル砲台〜サンフランシスコ・ゴールデンゲートパーク

2018-10-26 | アメリカ

ナイキミサイル・サイトを出発し、わたしはとにかく
ゴールデンゲートパークの一つのポイントにもなっている
崖沿いのドライブウェイを走っていくことにしました。

昔、そこから一本道の一方通行になる手前で引き返してしまい、
ちょっと後悔していたこともあり、一人で行ってみることにしたのです。

よく人に「よくどこにでも車で出かけられるね」と、
特に女性からいわれるわたしですが、進んで止まる機能が付いているなら
ニューヨークのど真ん中だろうがアラスカだろうが、道のあるところは
どこだって車があれば出かけていきます。

崖沿いの一本道だって、観光地ならなんてことはありません。

今回もロス在住の女性から、サンフランシスコの中心街とか、
東京で運転するなんてすごい、と感心されてしまったのですが、
わたしにいわせれば、ニューヨークに乗り入れる時の高速車線移動や
霧の八甲田山中と比べれば、
大抵の都心なんて全く恐るに足らずです。

ちなみにそんなわたしが唯一運転しながら死ぬほど怖かったのが、
モントリオールからの帰り、スノータイヤも履いていないのに
雪の高速を延々と走らねばならず、大型車が通り過ぎるたびに
フロントガラスに大量の雪氷をぶつけられたときでした。

さて、それでは崖沿いに走るシーニックドライブウェイに突入します。

道は狭いですが、中国のみたいに舗装していない崖道というわけではなく、
アメリカには珍しく、低いとはいえガードレールもついています。

後ろから車が来ないので、停止して写真を撮ることもできました。

霧が濃いと、流石の観光客もこちらではなく、
左側のブリッジに戻る道を選んでしまうようです。

海沿いの道からいきなり左側にバッテリー、砲台跡が現れました。
砲台には手前にまるでパーキングのようなスペースがあるので、
ここに車を停めてみることにしました。

階段を上がってみる。

ここは「バッテリー・ラスボーン(Rathbone)」といい、
1905年に建造され、1948年に廃止されました。

グーグルマップによる上空から見たラスボーン砲台。
左から#1から#4まで番号が打たれており、
わたしが車を停めたのは#2砲台だったと思います。

M1900という高速砲がマウントされており、
山の斜面に乗せるのではなく、くり抜く形で設置したのは
反撃を受けた時の防御のためです。

その名前は1812年にカナダで亡くなった米陸軍砲兵隊の
サミュエル・ラスボーンから取られました。

砲台の上からは崖の斜面まで行くことができます。
日本なら崖沿いに柵を作ってしまうところですが、
ここではもし落ちたとしても「自分が悪い」で終わってしまいます。

ベンチから3mも行くと、そこは崖です。

時間があればこんなベンチに座って海を見るのもいいかもしれません。
ただし大抵ここは猛烈に風が強くて寒いです。

わたしが近寄れるのはせいぜいここまで。



砲座と砲座の間は繋がっているところもあります。
ここは通路だったと思いますが、向こう側には
パウダールーム(火薬室)や貯蔵室などに使用されていました。

ちゃんと独立した建物のトイレも設置されていたそうです。

バッテリーの名前は「ラスボーン・マッキンドー」になっています。

ラスボーン命名から100年経って第一次世界大戦の時、フランスで戦死した
兵士、マッキンドーの名前を砲台に残そうということになったものの、
いくら100年前の人とはいえラスボーンの名前を消してしまうのも如何なものか、
ということで#1 と2をラスボーン、残りをマッキンドーということにしました。

第二次世界大戦中は、

「砲台はゴールデンゲートの外側に設置された地雷によって守られていた」

と書かれています。
ここから最終的に砲が撤去されたのは1948年になってからでした。

さて、さらにそこからコンツェルマンロードという一本道を
どんどん岬に向かって走って行くと、車で行ける一番端っこに、
面妖な構造物がありました。

なんの説明もないので何に使われたのかさっぱりわかりません。
全集周りを回って見ましたが、どこからも出入りしたり
何かを出し入れするような場所が見つからないのです。

ちなみにこれがグーグルマップの画像。
世界共通で同じような字を書く落書き隊の餌食になっております。

さて、そこからは車で進めないので、適当に周りを歩いてみることにしました。

赤土の道を歩いていくと、立派な?砲台跡が現れました。
これは

 Battery Mendel

といい、サンフランシスコ、ソーサリートの西端を守る位置にあり、
これまで見たどのバッテリーよりも建物の点で大掛かりです。

今までのバッテリーの名前が基本戦死した兵士だったのに、

 George H Mendel ジョージ・H・メンデル大佐

という比較的高位の技術将校の名前が附されています。

メンデル砲台の前に立つと見える景色がこれ。
向かいにもバッテリーが一つ見えますね。

これはバッテリー・ウォラース(Wallace)といい、同じ大きさの
砲台がもう少し右に設置してあるそうです。

手前の山のせいでここからは一つしか見えませんでした。

ここも自由に立ち入りできる模様。
「off-limits」と書かれた印の下の鉄の扉は錆びて
もういたるところに穴が開いています。

リンク先を見ていただければわかりますが、これが作られたのは
1905年、つまり100年経つと金属はこうなるのです。

ここはおそらく弾薬庫かあるいは火薬庫だったのでしょう。

階段を上がってみると、砲台跡が現れました。

はて、ここにどんな砲がどうやって設置されていたんだろう。

答えはリンク先にもあった、これ。
砲撃するときだけ砲がスィング式で持ち上がる仕組みです。
しかしここに設置するくらいだから大きかったんだろうな。

と思ったら写真発見。

おそらくわたしの写真と全く同じところで撮られたものです。
ベツレヘム・スチール・カンパニー製のM1895A4、
12インチ・ブリーチ・ローディング・ライフルである、
と説明には書いてありました。

構造物の見張り所だったらしい部分に上がって行くことにしました。

横長の見張り窓にはガラスなどが嵌っていた形跡はありません。
もっとも100年経っているので元がどうだったかは想像するしかありませんが。

ところで・・・・あれ?

左側にこのブログでもお話ししたことのある「あれ」が。

キルロイがここにいた!(笑)

「キルロイ・ワズ・ヒア」のミームと落書きについては
もしご興味がありましたらこの過去ログ後半部分をお読みください。

「キルロイはここにいた」〜重巡洋艦「セーラム」

一番高いところにも上がってみました。

この木の階段はあとで観光客用に付けられたのだと思います。

砲台の最上階に上がると、そこは地面と繋がっています。
フラフラ歩いて行く人が結構いたのか、アメリカには珍しく
これ以上は崖に近づけないように柵が設置してありました。

もう一つの見張り台にはロナルドさんの名前の落書き入り。

歴史の遺跡に落書きをするなよなー。

ここがソーサリート側の最西端となります。
海の向こうは日本。

サンフランシスコの高地でよくみる鮮やかな色の草が崖を覆っています。

ゴールデンゲートブリッジの方向を振り向いたところ。

砲台をら元来た道を戻るところにあった空気抜きの土管付きの小山。

グーグルアースで確認すると、見えないところに建物跡がありました。
おそらく、この建物から入って行く土中は火薬庫になっていたのでしょう。

先ほどの二つの土まんじゅうから先端に行くとそこに灯台があります。
灯台はゴールデンゲート海峡を通る船の航行の安全のために
1855年に作られてそれ以来ずっと稼働しています。

「カリフォルニアにゴールドラッシュでやって来た人たち、
太平洋やフィリピンに戦いに向かう海軍の艦隊、
そしてアメリカにやってくる何万人もの移民たち・・・。
灯台はずっとここにあってサンフランシスコの歴史を見てきました」

かつて、この岬からは海難救助隊の船が漕ぎ出していました。

そういえば、もう少し灯台側に歩いて行った道から見えた桟橋の遺跡。
これはかつて海難救助船のステーションだったのではないでしょうか。

今ではこの場所には人が陸から立ち寄るすべもありません。

ちなみに紫の丸が、この看板の設置してあった場所です。
先日お話したナイキミサイルサイトも実はこのすぐ近くになります。

さすがアメリカ、こんなところでも携帯が使えるスポットが
ちゃんと用意されていました。

ここから先には歩いて行くことしかできません。

道も舗装されていませんが、なぜかこんなところにもベンチがあります。
灯台のための電気を送るための電柱があります。

灯台のあるところに行くにはこの橋を渡ります。
岩をくりぬいたトンネルにはなぜか扉があって、
灯台に行くにはそこをくぐり抜けねばなりませんが、
トンネルがオープンしているのは日曜の12時半から3時半までのみ。

この日も扉が閉まっていて、灯台にいる人のであろう車が
扉の前に停まっていました。

この写真に写っているゲイカップルは扉の前まで行ってみたようです。

トンネルをくぐって行く人に対して、

「我々の遺産と自然環境を守るため、
とるのは写真だけ、残すのは足跡だけにしてください。
全ての自然の、そして文化遺産を未来に残しましょう」

と注意書きがありました。

ふと崖の上の方を見ると、一部真っ赤な部分が。
先ほどの植物がここにだけ生えているのでしょうか。
それとも・・?

改めて最西端からブリッジを眺める。

ところであんなところに家と庭がありますね。

ズームして見てびっくり。
建物の柵の中に鹿がいっぱいいるではないですか。
別の日にここに来た時、ジャッカルも見たので、もしかして
これは鹿を保護するセンターか何かかな。

解像度すげー!
改めて28−300mmのレンズの優秀さを知りました。


一方通行なので、サンフランシスコ方面に帰ろうとすると道は一つしかありません。
さっき通ったナイキサイトの崖の上の陸軍砲兵部隊の隊舎跡を見ながら、
ゴールデンゲートのポイント・ボニータを後にしました。

 

続く。

 

 


救難訓練展示とブルー・ウォークダウン〜平成30年 芦屋航空祭

2018-10-24 | 自衛隊

前回、芦屋基地航空祭のご報告で、構成上の都合、戦闘機の展示の後
一気にお昼ご飯を食べたところに行ってしまいましたが、
実は午前中の最後に行われた救難展示についてまだお話ししていません。

救難展示を行うのは救難ヘリUH-60です。

「ブラックホーク・ダウン」で有名になったように、アメリカ軍では
ブラックホークと呼ばれており、自衛隊では救難専用に独自改良した
UH-60Jの公式愛称を同じく「ブラックホーク」としたそうですが、
上の決めた公式愛称は絶対に現場に採用されない、という鉄則の通り、
隊員たちはこれを簡便に「ロクマル」と呼んでいるそうです。

この救難ヘリを運用しているのは芦屋基地所属の芦屋救難隊。

わたしの到着前に終わってしまった救難展示に登場したという
U-125Aを遭難捜索機、UH-60を救難ヘリとして運用しています。

これから飛行展示を行うUH-60が離陸しました。
ダウンウォッシュが作り出した白い線の模様が写っています。

ちなみにダウンウォッシュはウォッシュといっても「水」とは関係なく、
ヘリコプターが揚力を生成する時、ローターブレードの運動によって
起こる、空気力学的作用による空気流の方向の変化そのものをいいます。

上空のヘリからは救難員が落下傘降下。
2名が救助のために地上に降りるという設定です。

赤い煙は「ここに要救助者がいます」という目印。
降下が目的ではなく、救助のために行うパラシュート降下ですが、
普通に難しく要資格という自由降下のためのMC-4を使っています。

もっとも救助に向かうのに、要救助者のところにピンポイントで
降りられなければ何のための救助隊だということになりますね。

着地するなり地上員が駆け寄ってきて傘を外し、畳む手伝いをしますが、
これは展示だからこその演出で、実際は全て自分で行うはず。

ヘリからは要救助者をのせるストレッチャーを引き上げるための
ワイヤーがホイストから降ろされました。
落下傘降下をした隊員がそれを受け取り、手早く用意を行います。

ニコ1の望遠ならではの超拡大写真が撮れました。

ストレッチャーには怪我人(人形)が乗っていて、
救助隊員の一人がストレッチャーを牽引しているリングに
自分のハーネスを接続して一緒に引き揚げられていきます。

身動きできない(もしかしたら意識もない)要救助者の担架が
何らかのアクシデントで傾いたりすることのないように、
ということで同行するのだと思いますが、担架で引き揚げられる時、
自分に声をかけてくれる位置に隊員がいたら、
担架に乗せられている傷病者はどんなにか心強いでしょうか。

もう一人の隊員は、担架を安定させるために、結んだロープを抑えています。

意外なくらいの速さで担架は引き揚げられました。
担架から伸びているロープの端は地上の隊員が持っています。

おそらくですが、これは最後の隊員を引き揚げるための
牽引ロープにもなるのではないでしょうか。

担架を引き上げた後、新たにロープを投下せずとも
このロープに自分を結びつけておけばあとは引っ張り上げるだけです。

ヘリの上には二人の隊員が担架の揚収のために
ヘリの床に寝転んでいるように見えます。

そしてわたしの予想通り、担架のロープをホイストに繋ぎ直し、
すでに地上で自分のハーネスをロープと結びつけていた
最後の救助員(降下した残りの一人)を引き揚げはじめました。

本当に見ていると一連の動作があっという間に行われます。

一刻を争う事態のために何度も訓練を行うことで
これだけのスムーズな行動が可能になるのでしょう。

そして隊員がヘリに収容されました。
すぐさまヘリはホバリングの状態から移動を始めます。

20分に渡って行われた救難訓練飛行は終わりました。

お昼を食べ終わって帰ってきました。
さて、どこからブルーインパルスを観ようかな?

ウォークダウンを撮るために朝一番に並んでいた人たちが
ブルー駐機場所の前をぎっしりと埋め尽くしていますが、
さすがは航空自衛隊、人垣のさらに前にロープを張って

「ブルーインパルス見学通路」

としているのに近くに行ってみて気がつきました。

なるほど、最前列は熱心なファンやカメラマンががっつり固めていますが、
後から来た人や特に子供連れなどでも、ウォークダウンまでの間、
駐機しているブルーインパルスの機体を近くで見ることができます。

早速通路を歩きながら写真を撮りました。
もちろん立ちどまっても構いませんし、もし何なら、ずっとそこで
立ったまま飛行機を眺めていても後ろから怒鳴られることもありません。

コクピット周辺のブルーの下ラインが、まっすぐ垂直尾翼と繋がっていることを
この写真を見ていて初めて気がつきました。

駐機場には左から番号順に機体が並んでいます。
コクピットに乗り込むための梯子も、機体に合わせて
ちゃんと白と青に塗り分けられているという芸の細かさ。

梯子はもちろんパイロットが搭乗したら外しますよね?

何年か前、安倍首相がコクピットに乗り込んだ731番の機体。
写真がメディアにアップされた途端、どこかの変な国が

「安倍首相は731部隊を礼賛している!」

と騒いで、航空自衛隊当惑、という事件がありましたが覚えてます?
しかもその騒いだ国って、731部隊と関係があるならまだしも、
その時日本の一部地方であったと言われている・・・。

旭日旗の件といい、国が全く未成熟というか何というか。

てなことを思い出してしまった4番機の関係者の皆さんすみません。

真正面から撮ってみました。
何年か前入間でバードストライクのため演技中止になったことがありましたが、
このインテイクは確かに運が悪い鳥が飛び込みがちな形をしているかもしれません。

ところでバードストライクの実験って、どうやって行うか知ってます?

精肉工場から直送の鶏肉を放り込むのです。
どんな会社もこの実験を行い、バードストライクくらいでは墜落しないように
機器を開発してきました。

もっとも最近は鮮度を管理するのが大変なので、本物ではなく
それ用に開発されたダミーの鳥模型を使うという例もありますし、
最新実験では、あらゆる鳥の重さを想定できるゼラチンのブロックを
専用の銃で発射して衝撃を計測する方法も取られているそうです。

ここまでがブルーインパルス見学通路。
そのさらに前方に、報道関係者の撮影場所が設けてありました。

早くも機材を一番近い前方角に置いて場所取りしている
熱心な報道関係者がいるようです。

わたしはブルーのウォークダウンを見ることは最初から諦めて、
駐機場よりワンブロック中央寄りの場所から見ることにしました。

前から3〜4列目くらいのところに携帯椅子を置いて座っていると、
ウォークダウンの始まる20分くらい前に、エプロン後方から
ブルーインパルスのパイロットが歩いていくのを発見。

案外みんな気づいていないというか・・・。

ブルーのヘルメットを持つその腕には・・やっぱり耐圧の時計?

気が付いた観客が手を振ると手を振って応えるパイロットたち。

わたしのところからは後ろ姿しか見えなかったのですが、
唯一このパイロットだけが振り向いて顔を見ることができました。

キャップの後頭部には自分の乗る機体の番号と、
名前が(タックネームではない)書かれています。
ブルーを引退してもこの帽子だけは記念に貰えるのだと見た。

肩に担いでいるのは耐圧スーツでしょうか。

そしてウォークダウン。

「芦屋ブルー・ウォークダウン」

パイロットは全員で8名。
6機のうち2機の後席にも隊員が乗り込みます。

1:56からはわたしがカケラも見ることができなかった
ウォークダウン、機体に乗り込んだ様子、最終点検、そして
タキシングの開始までを見ることができますのでぜひどうぞ。

これは最終点検が行われている時。

タキシングが始まったとき。
おそらくお父さんに肩車してもらっている男の子は、
全身完璧にブルーインパルスグッズで固めています。

 

これから6機はタキシングして滑走路の反対側まで向かい、
芦屋の空に彼らの「ブルー」で絵を描くために翔けていくのです。

 

 


戦闘機機動展示〜平成30年度芦屋基地航空祭

2018-10-23 | 自衛隊

T-4がイルミネーションフライトというオリジナル演目を済ませ、
芦屋基地航空祭のプログラムは次のF-15に移りました。

展示飛行を行うF-15は2機。
時速750キロで会場に飛来します。

演技時間は15分。

ダイジェストでもお話ししたように、この日はヴェイパーが綺麗に出ましたが、
いつも見えているわけではなく、現れた次の瞬間には
消えてしまうのがヴェイパーです。

T-4にはほとんど見られないことからもわかるように、
高速で飛行する戦闘機に見られる現象で、これは飛行機が運動するときに、
機体の一部(主翼の付け根、翼端等)からこぼれた空気が急減圧され、
空気中に含まれる水分が凝結することによって目に見えるものです。

 湿度が高い時はより低速でも発生しやすいそうですが、この日の芦屋は
確かに10月にしては蒸し暑いと感じられる気候でした。

戦闘機なので、アクロバティックな動きは行いませんが、
9g(グラビティを表す時には基本小文字)に耐えながら
弧を描いたり、翼を滑らせたりといった駆動を見せます。

岩国基地の海兵隊パイロットに基地を案内してもらった時、
レガシーホーネット・ドライバーである彼が、控え室で
息子に耐G(なぜかこれは大文字)スーツを着せてくれたものです。

戦闘機パイロットはこれを身につけて下半身を締め付けることで、
脳の虚血状態を軽減し、ブラックアウトを防ぎます。

ただ、会場でも言っていたように、誰でも耐圧スーツを着れば
ブラックアウトしないかといえば決してそんなことはありません。

戦闘機パイロットは普通の人なら6gで気を失うところを、
上半身の筋肉を鍛え、心肺機能を引き上げることによって
スーツなしでも8gまで生身で耐えることができるようになるのです。

身体適正だけでも狭き門なのに、なってからもさらに
自分を鍛えあげないと任務をこなしていくことができないんですね。

アクロバティック、といえば、アフターバーナーを利用しながら8の字を描く、
という展示もありました(冒頭写真)。

アフターバーナーというのは、ジェットエンジンの排気に対して
もう一度燃料を吹きつけて燃焼させ、高推力を得る装置のことですが、
たとえばF-15がアフターバーナーを使用すると、15分から20分で
タンクを使い切ってしまうくらい燃料を喰います。

つまり大変装置として「非効率的」というものなのですが、それでは
なんのために付いているかというと、「いざという時」。

これを使うときは戦闘機が空中戦を行う時に限られるのです。

ちなみに「アフターバーナー」は実はGEの商品名で、一般名称は

オーグメンター(augmentor 推力増強装置)

というそうですが、こんなの誰も知らないよね。

15分というあっという間の飛行展示を終わって帰る時、

「F-15二機は、これから帰還し15分で基地のある宮崎に到着します」

とアナウンスされると、会場はどよめきました。


近くにいた2歳くらいの男児は、親に連れて来られたものの、
この暑さが気に入らないらしく、泣きながら「お家に帰りたい」を
繰り返していましたが、なぜかここで買ってもらったらしい
F-15のおもちゃだけは握りしめたままでした。

「絶対にこれ手放さないんだよなあ」

親が呆れたように呟いていました。

こちらのお子さん(別の家族)もF-15握りしめ派。
勿論男の子です。
こんな小さい時から女の子と男の子は依存するものが違う・・。
当たり前のことのようですが、よく考えると不思議です。

FLW-ME・・・詳細はわからないまでも、空自らしい?

続いて第6飛行隊、F-2の飛行展示です。

会場では、F-2がアメリカのF-16を原型として日米の技術を
集結させた戦闘機であることが紹介されていました。

速度約800キロで会場に侵入してくると、皆はその速さに沸き立ちました。
戦闘機の速さというのは本当に見た人にしかわかりません。

この後、F-2の速度は900キロまで上がりました。
一体中の人にはどんな重力がかかっているのか・・・。

イメージ的にF-2はF-15より小型という気がするのですが、実は
翼の大きさを比べると25%も大きいのだそうです。

これは、低速でも大きな揚力が得られるということであり、
しかもコンピュータ制御によるフライトコントロールシステムによって、
低速での飛行も安定して行うことができるということでもあります。

この日展示を行ったF-2は築城基地からやってきたこの一機だけです。
操縦しているパイロットは3佐だと紹介されていました。

 

F-15と違い、ヴェイパーは翼の付け根からも発生しています。

F-2の海洋迷彩は、具体的には島嶼部の偵察などを行う際、
上空からの敵からの発見が困難になるようにデザインされています。

本当に目立たなくするつもりなら、F-35のように日の丸も青く、
迷彩にしてしまいそうなものですが、流石にそれは行いません。

もしかしたら「いざという時」には日の丸を塗って出撃するのでしょうか。

展示飛行では200キロという超低速(新幹線より遅い)で
会場を横切った後、アフターバーナーを使って
急激に上昇するという動きも披露されました。

アフターバーナー使用中なう。

得意技は急上昇。
着陸したと思ったらそのまま一気に空を馳け上がります。

演技最後に空中で大きな旋回を描くF-2。
アナウンスで、

「馬力にすると鉄腕アトム0.8人分です」

(つまり8万馬力)と紹介したとき、会場から笑いが起きました。
手塚治虫先生がアトムを創造したとき、こんな小さな機体が
8万馬力のパワーをもつ未来の実現をどこまで予測しておられたでしょうか。

最後に、バンクというにはあまりに大きく翼を振って、
さようならの挨拶をしながら会場を去るF-2でした。

さて、午前中のプログラムはこれで終わりです。
午後のブルーインパルスまでの間に、何か食べておかなくては。

ツァーのみなさんのところに戻ったら食べるものがありそうでしたが、
せっかくなので何か屋台のものを食べてみることに。

芦屋基地名物(なのかどうかは未確認)シーフードカレー。

いやまあ、入間で散々、空自の食べ物についてはそのレベルについて
悟ってきたので今更何も申し上げるつもりはありませんが、特にカレー。
何しろ海自カレーに慣れるとそれなりに口が肥えてしまいましてね・・、

多くは言いませんが、具のシーフードは全てゴム状の歯ごたえで、
ご飯はパッサパサ、なんといっても量が試食用くらいしかなく、
なのに値段が700円、と、あまりに悲しいカレーでした。

え?十分言い過ぎだって?

座るところもないので立ったまま食べ終え(量もなかったけど)
午後の見学場所を探すため会場に向かうと・・。

朝管制塔と見間違えた芦屋ボートレースの宣伝スペース。
駐車場を貸す代わりに宣伝ブースを出すバーターをしたんだなきっと。

地本コーナーには空自に海上自衛隊が装備体験コーナー?を出していました。
どうよこの身体を張った宣伝活動。

このSH-60帽子はなかなか好評で(多分)、お兄さんは今から
子供にこれを被らせてあげようとしています。

なぜヘリを帽子にしたか、その経緯をぜひ聞いてみたいものです。
なぜヘリなのにプロペラを付けなかったのかも。

会場の装備展示も見て歩きました。

サンフランシスコでナイキミサイルサイトを観たとき、
日本のミサイル導入について調べて知ったばかりの

MSLホークミサイル

第3高射特科群の装備です。
ミサイルといい部隊の名前といい陸自風ですが、空自の装備です。

(註:コメント欄で教えていただきましたが、
これは芦屋に出張していた陸自の装備の間違いです)

上の写真はアメリカのマクレガー射場における対空実射です。

この辺一帯にある装備1セットでペトリオットシステムだと思います。

空自の軽起動装甲車、LAVは陸自の迷彩に対しOD一色塗りです。

地球防衛協会軍団はこの格納庫下のハンガーステージの近くに
ブルーシートを敷いて休憩していたようです。
一度だけ見に行くと、おやぢどもがシートで横になって爆睡していました。

空自の移動式簡易トイレも陸自のそれと同じく超近代的。
手を洗おうとしたら、タンクが空になったらしく水が出ません。
仕方なく持参していた消毒シートで手を拭いていると、
そこにタンクの水を補充しに隊員が颯爽とやってきました。

水がなくなってすぐさま補充しにきたようです。
作業開始と同時に待ち構えていた皆が並んで手を洗い出しましたが、
その人たちに水がかからないようにと、細心の注意を払って
丁寧に作業をする自衛官たち。

商業施設でもないのにこれだけ行き届いた「サービス」を
きめ細かく行うのは自衛隊ならではです。

このお断り看板を見て初めてわかったこと。

まず、この日はC-130Hのキャビン公開をする予定だったのが、
インドネシアのスラウェシ島に起きた地震災害に伴い
国際緊急救助活動を行うために機体が派出されていて、
それができなくなった、ということです。

他のことならともかく、国際援助に緊急出動という緊急事態なのに、
もしかしたら楽しみにしていた人がいるかもしれないということで
わざわざこうやってお断りしているわけです。


基地公開に訪れると、ほんの小さなことからこういう気配りまで、
その全てから、自衛隊が誠実さをもって国民とともにある姿を
何かにつけて目の当たりにすることになり、わたしはその度に
この組織が真に「国民の宝」であることを再確認するのです。

戦闘機やブルーインパルスのパイロットは勿論素晴らしいですが、
にこやかにコクピット試乗体験の写真を撮る自衛官や、皆が待ちかねている
手洗いの水を
迅速に補充する自衛官に対しても、わたしは同じように
いつもありがとうございます、と心の中で頭を下げずにいられません。


続く。

 

 


T-4「アシヤン・イルミネーション・フライト」〜芦屋基地航空祭

2018-10-22 | 自衛隊

 

陸上自衛隊の観閲式ご報告も無事終わりましたので、
14日に行われた芦屋基地航空祭に戻ります。

思えば何年か前、音楽まつりのご報告で、自衛太皷の中の
芦屋基地を根拠とする芦屋太皷について、

「芦屋というと関西の人間には兵庫県芦屋しか思い浮かばない」

などと書いたものですが、その芦屋に今回訪れたことで、
九州の福岡にも芦屋があることをいやっというほど知りました。

なぜかというと、今回の航空祭、わたしが所属する防衛団体、
地球防衛協会日本支部(仮名)の研修旅行、という名目で、
住んでもいないその土地から九州までバスで行くことになったからです。

前日から現地に乗り込んで地元ホテルに宿泊し、翌日は
バスが出発するという市の合同庁舎で集合です。

ちょうどこの日、自衛隊の一般曹候補生採用試験が行われる予定でした。

自衛隊曹候補生の募集は年二回行われ、陸自は3,000名、
海自1,300名、空自750名が定員とされます。

この日は第一次合格者を対象とした第二次試験だったはずで、
口述試験と身体検査が行われる予定だったようです。

ちなみにわたしも知らなかったので調べてみたところ、
第一次の筆記試験は700字の作文以外は国語、数I、英語の択一で、
高校卒業程度の難度だということでした。
英語は「コミニュケーション英語」とあるのですが、もしかしたら

「ハロー」「ハワユー」「グッド。ハワユー?」

という英語のことかしら。知らんけど。
受験資格は18から27歳までということなので、社会人で
転職を考える人も受けることができるというわけですね。

防衛団体の研修会ということなので、バスの中でもカラオケではなく
自衛隊紹介ビデオを観たり憲法改正について書かれたものを、
コーディネイターが朗読したり、という感じです。

ただ、今回の研修旅行、地球防衛協会だけでは人数が集まらず、
仕方なく、地元の自衛隊協力会に声をかけたのですが、
申し訳ないけどそのメンバー(娘息子が自衛官、という人が多数)
はあまり憲法改正などに興味はないらしく、バスの後方のラウンジで
お酒を飲んでいる人たちも・・・。まあいいんですけどね。

そして関門橋の手前のパーキングで休憩をしました。
ここはもう門司。

近くには日本で初めて海底ケーブルが敷設されたという記念碑があります。
この時に敷設船として身体を張った?沖縄丸は、日露戦争の勝利の
立役者として、戦勝パレードに菊の御門を付けて参加した、という話を
ここで一度したことがあります。

関門橋を見るのは実は初めてなのですが、関門海峡が
こんなに狭いものとは知りませんでした。

最初に関門鉄道トンネルが開通したのは昭和17年。
大東亜戦争末期にはB-29によって集中的に機雷敷設が行われ、
その数は日近海に投下された機雷のおよそ半数ともいえる
5,000個、いまだに1,700余の未処理機雷があると言われています。

目的地までの途上、企画者のイチオシということで、
有名な宗像大社に立ち寄りました。

天照大神の三柱の御子神を祀っている神社だそうで、
日本書紀にもその名前がみられる由緒ある神社です。

境内には神宝館があり、わたしは見学しましたが、
あとで聞いてみるとどうも入館したのはわたし一人だったようです。

三女神の一柱である田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られているのは
沖津宮といって、知る人ぞ知る女人禁制の島、沖ノ島です。

神宝館にはその「神の島」の写真、祭祀についてのビデオ、
そしてそこに伝えられた神宝が展示されているのです。

神宝館を入ると最初のガラスケースに収められている小さな指輪。
そのものの写真を撮ることは禁じられていますが、
その写真を撮影することは許されていました。

沖ノ島から出土した5世紀頃の純金製指輪。
製作されてから1600年経っているというのに、
まるで最近まで誰かの指を飾っていたような輝きです。

この指輪は国宝に指定されています。

いずれも沖ノ島で出土した土器や船形、香炉、装飾品など。
これも現物が飾られていて実際に観ることが出来ます。

右下は7センチくらいの大きさのミニチュア機織り機です。
8世紀ごろのもので、本当に布を織ることができるものですが、
江戸時代、福岡の藩主が手に入れたところ、いきなり音を立て、
動き出して光を発したため、恐れおののいた藩主は
また沖ノ島に返還したという曰く付きの品なのだとか・・・。

その後バスは福岡に到着しました。
ホテルから歩いて25分くらいのところでその晩懇親会が行われ、
わたしは運動方々防衛協会会長と歩いていったのですが、
到着が少し遅れてしまい、顔なじみの地球防衛協会会員の島でなく、
地方協力会のおじさんたちの真ん中、しかも皆が避けたらしい
協力会会長の隣の席に座らざるを得ませんでした。

この会長というのが、バスの中でクイズと称して下ネタを
女性に言わせるというセクハラをするわ、このわたしに向かって
地球防衛協会会長様ににお酌をしろといい放つわ、
なんの断りもなく食事も始まらない頃からタバコを吸いまくるわ、
わたしの紹介者である銀行頭取の話をした途端、金融業は落ち目で、
とか言い出すわ、見かけも中身もサイテーのおやぢで、
わたしは早々にその席を逃げ出し、防衛協会の皆さんと
親交を温めていたのでございます。

会社組織で働いた経験があれば、こんな人はもしかしたら珍しくもなく、
いなす方法もスキルも身につけているのかもしれませんが、
残念ながらわたしには、全くその機会ももちろん技術もありません。
かといってうまく取り繕ってやり過ごすほどの度量も持ち合わせていないので、
多少の不興を買っても、あなたたちとは関わらない、と意思を表明したわけです。

互いになんの利害関係もなく、ましてや上下関係もない。
たまたま自衛隊イベントに行くのに一緒の交通機関を使うだけの関係。
そんな相手にどう思われたってハッキリ言って知ったこっちゃありません。

きっぱり。

次の日、7時半にロビーに集合し、バスで基地に向かいます。
博多駅前のホテルからはたくさん航空祭行きのバスが出ていました。
旅行会社のツァーで参加する人もたくさんいるのでしょう。

博多駅前から基地までは小一時間くらいだったでしょうか。
こんな建物が見えてきたのでてっきり基地の管制塔だと思ったら、
芦屋にあるボートレース場でした(笑)

車がすでに駐車場にたくさん停まっていますが、これは
今日レースが行われないため、芦屋競艇がおそらく善意で
航空祭観客用に駐車場を提供したのだと思われます。

ツァーのものらしいバスもたくさん停まっていますが、
ここから基地までは歩くと結構な距離があります。

我々は芦屋基地の好意でバスで基地内まで乗り入れることが出来ました。

基地のゲートを入るときに、一般客は手荷物検査をしますが、
私たちはバスごと入ってしまえるのでフリーパスです。
バスを停めるや否や、わたしは単独行動を決め込み、
会場に向かって一人で歩き出しました。

折りたたみの椅子に背もたれ付きのチェア、
日よけの帽子にタオルなど、いつもの「観戦セット」があれば、
どこでも不自由なく観覧が出来ます。

バスを停めて広い敷地の横を歩いていると、ホイールローダー?が
自衛官と一緒に子供を乗せて走り回っているのに気がつきました。

なんと芦屋基地、施設科部隊の装備に体験搭乗というサービス実地中。

戦車や武器装備に一般人を乗せたり触らせたりしたら大騒ぎ必至の
基地の外の人対策で、コマツなら文句あるまい!となったのだと思われます。

映画「激闘の地平線」の主人公のように、もしかしたらこの体験で

自衛隊に入ってドーザの鬼と呼ばれたい!」

とか思う将来の自衛官候補だっているかもしれませんし。

敷地内にバスを停めても、滑走路とエプロンまでは結構歩きます。
入間と違い、観覧する人たちがのんびりと会場に向かう様子を見て、
あの入間の修羅場ともいえる場所奪還の有様を思い出し、
やっぱりあそこは特殊なのだと改めて思うわたしでした。

その時頭上を飛行機の爆音が横切ったので、
肩にかけていた一眼レフをなんの調整もせずに空に向けました。

この時時間は0930。

朝8時ちょうどの開場前後から、T-4はリハーサルを兼ねた
オープニングフライトを行なっていたそうですが、
この時刻には全て終了し、その次のU-125Aの救難訓練展示も終わり、
プログラム最初のT-4訓練飛行真っ最中だったのです。

これは二機でこれから着陸するにあたり、前方の機が
フラップを下げる形で、後方が下げずに行うという演目だと思われます。

 

立ち入り禁止のロープが貼られた、その2列くらい後ろの席も、
ここ芦屋基地なら開場一時間半後に行っても確保できます。

適当に座る場所をだいたい中央あたりに定め、椅子を出して
そこからT-4の訓練飛行を見ることにしました。

訓練飛行は二機ずつ、トレイル隊形やクロスアンダーなどを行います。


4機揃って着陸態勢に入ります。
密集隊形の先頭からブレイクした瞬間。

右手から進入して4機が次々に着陸した後、左でUターンして
滑走路を右手にもう一度帰っていきます。

この写真でもお分かりのように、芦屋基地では入間のように
脚立など全く禁止されておりません。

脚立に乗ってパイロットに手を振ることもできてしまうというわけ。

 

後から着陸した機とはこうやってすれ違う形になります。

訓練飛行というのはこの飛行機で訓練をする学生パイロットが
日頃行なっている訓練をそのまま見せるというものですが、
本日は全機を教官が操縦しています。

4機が等間隔でしずしずと進んでいきます。

拡大してみると、演技を終えたパイロットたちは
観客に向かって盛大に手を振ってご挨拶をしてくれます。

ところでわたしはここまでなんの調整もせず撮りまくっていて、
特に望遠レンズがどれくらい写るのか全く確かめていなかったので、
ものすごーく遠くにいる人の耳を試し撮りしてみました。

するとこんな写真が撮れ、さすが800ミリ換算の望遠レンズは凄い、
と感動した次第です。

ただしNikon1ユーザーならご存知だと思いますが、いくら望遠レンズが良くても、
ニコ1独特の立ち上がりの悪さははっきり言って航空機撮影には
全くと言っていいほど向いておりません。

じっとしている人の耳は良く撮れても、飛んでいる飛行機には
苦労させられ、フラストレーションが溜まりました。

エプロンではT-4のコクピットに座って写真を撮ることができる
体験コーナーが2機並んでおり、これが朝から最後まで大盛況。

シミュレーターでも退役機でもなく、現役の練習機、
しかもブルーインパルスと同じ機体とあっては、
一度乗ってみたいと誰しも思うでしょう。

子供などをコクピットに座らせ、スマホやカメラで
写真を撮ってあげる係の自衛官、笑顔が素敵です。

コクピット後席にはフル装備のパイロットがいるんですが・・・。
ダミーかな?それともまさか本物・・・・?

芦屋基地上空には本当に鳥が多いです。
なぜか我が物顔で飛び回っているのですが、バードストライクなど
基地側は対策を取っているのでしょうか。

さて、続いてのプログラムは「イルミネーションフライト」です。
芦屋航空祭ではT-4の定番飛行らしく、検索すると動画が出てきます。

全部で7機のT-4が離陸のために滑走路の左エンドに向かっていきます。

7機の「レッドドルフィン」は2機・1機・3機のグループに分かれて離陸します。

1機で離陸した3番機。

最後に残りの3機が編隊のまま離陸を行います。

最初に飛び立った4機は、空中で集合し、エシュロン隊形で戻ってきます。
一矢乱れぬ、とアナウンスされていましたが、これをみると一瞬ズレがあるかな。

パイロットは全員戦闘機の操縦をしていた経験を持ち、
教官となった今、階級でいうと1尉から1佐です。

全員が出身地と出身学校、タックネームも紹介され、この辺が入間との違いです。


4機と3機に分かれて編隊飛行をしたのち、7機が揃って
傘型隊形で会場の正面から進入してきます。

 

これが噂の芦屋基地名物、「イルミネーションフライト」。

航空機は最終着陸形態を取った状態で編隊飛行を行うのですが、
着陸形態とは、車輪を降ろし、高揚力装置フラップを下げた状態です。

車輪を降ろすと、T-4は着陸灯が点灯しますが、この着陸灯は
パイロットがスイッチ操作することで消灯点灯が可能です。

そこで、傘型で向かいながらライトをつけたり消したり。
全機点灯、全機消灯、一機置きに点灯、半分点灯・・・。
まるでクリスマスツリーのイルミネーションのように。

アナウンスではこれを

「アシヤン・イルミネーション」

と称していました。

最後に全機点灯した瞬間。

基地上空を過ぎれば、あとは7機の編隊は4機、3機に分かれて着陸を行います。

入間でもT-4部隊は「ロートル航空隊」と言われているように、
芦屋基地でも教官である彼らパイロットは「おじさま」と呼ばれていました。

最高齢は1佐なので、もう50歳に手が届こうかというご高齢です。

着陸後、後席で旗をふるパイロットあり。

両手バイバイで完璧な演技を締めくくる、可愛いおじ・・・いや、
レッドドルフィンたちでした。

 

続く。

 

 

 


日米海兵隊 AAV7 合同祝賀行進〜平成30年度 自衛隊記念日 陸自観閲式

2018-10-20 | 自衛隊

前回Kさんにお借りした本番の写真をご紹介させていただいたところ、
ご自身から

「予行編に割り込んだみたいで恐縮しています」

とコメントが送られてきました。
が、だてや思いつきで本番の写真を挿入したわけではありません。

この冒頭写真を最後に掲載したかったからです。

統合機動防衛力というのは「いざ!」という時のためのみならず、
平素地域における配備を確かなものにすることによって、
それ自体を抑止と成し、また緊急時対処の態勢を強固にすることで
より実効的な防衛態勢を確立するのがその最終目標です。

 

今回の展示はその展開の段階順に行われてきたわけですが、
第二次展開の衛生科部隊が行進を行ったところまで説明しました。

 

茶色いスカーフと隊旗は需品科部隊です。
需品科、つまり後方支援、かっこよくいうとロジスティックですが、
つまり糧食、燃料の補給、給水、入浴などの支援を行うところです。

かつて旧軍が兵站を軽視して南方で酷い目にあった経験から、
自衛隊はとにかくそれを他山の石とせず(あ、他山じゃないか)

「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」

をモットーとして(多分ね)きたと思うんですけど、
特に災害の多い我が国における自衛隊の活動の「最前線」が
災害派遣である現状を鑑みると、実は需品科はどこよりも、
ある意味最前線に立ってきた部隊ということもできます。

この写真の車両が牽引しているのはあの入浴セットだと思われます。

需品科部隊のトラックには歩兵ほど人員満載ではありません。
広げた脚の間に何か立てているようにも見えますが、
まさか軍刀じゃないし・・・。

野戦特科部隊の役割は、火力戦闘部隊として大量の火力を随時随所に集中し、
広域な地域を制圧することにあります。

155ミリ榴弾砲FH70中隊

FH70は陸自の師団・旅団に装備されています。
第二次展開するのがこの師団・旅団であると説明されていました。

野戦特科部隊のマフラーの色は濃黄色。
FH70に必要な砲員数は8名ですので、運転席に2名、
車両後部に6名乗ればOKです。

155ミリ自走榴弾砲中隊

99式155ミリ自走榴弾砲は会場の説明にもあったように国産です。
車体は三菱重工、主塔と砲塔は日本製鋼所が製作しました。

平成11年度から調達が始まり、年ごとに6〜8両増えて、
現在の部隊配備数は136両だそうです。

そういえばこれ、「シン・ゴジラ」にも出てましたよね!

最近プライムビデオで観られるようになったので、映画館以来
これを書くためにもう一度確認しましたよ。

まず「タバ作戦」のフェーズ1で、陸自は対戦車ヘリの機関砲、
アパッチの30ミリ砲を放ちますが、ゴジラには
まるで豆鉄砲を撃ったような感じで全く効果がありません。

そこで総理の許可を得てから(笑)誘導弾(ミサイル)に切り替え、
それも全く効果なしだったので今度はフェーズ2へと移行。
ここで10式戦車がゴジラの脚を狙い、続いてこの155ミリ榴弾砲が
ずらっと
河原に並んで目標に斉射するわけです。

そうそう、そのとき指揮官が

「8、7、6、5、4、3、弾着、いまっ!」

というわけ。
総火演で空中に富士山を描く時と一緒だ(笑)
というかあれが正しい高射特科部隊の攻撃のやり方なのね。

ちなみにその後続くのが、96式多目的誘導弾システム
河原をバックしながらの10式戦車の砲撃。
それもダメなので連絡を取って御殿場の富士駐屯地から
多連装ロケットシステム自走発射機M270MLRS。

さすがの自衛隊、どれもこれも全弾ゴジラに命中なんだけど、
ゴジラにはなーにもダメージが与えられないのです。

で、(まだシンゴジラの話が続いてます)続いてタバ作戦は
フェーズ3に移行し、F-2の空爆、アメリカから直輸入の
JDAM(全天候型精密攻撃できる爆弾)で今度こそトドメだ!
と皆は盛り上がるのですが、撃破したのはゴジラが歩いていた多摩川の鉄橋のみ。

いかんことに爆破で跳ね飛ばされた多摩川の鉄橋は空中を飛来して、
なんと10式戦車を押しつぶしてしまうんですねー(-人-)ナムー

陸自がこうやってとりあえず装備紹介を終了した時には、10式戦車が
多摩川河原で団子状態になっていて、全機全火器残弾ナシ状態。

自衛隊の前方指揮所も壊滅し、

「多摩(タバ?)戦闘団、指揮の喪失」

となってしまったのでした。

このシーンの鉄橋が跳ね飛ばされてくるとき、ものすごいスピードでの
バック走行による避退を見せてくれるのが10式戦車です。


そして例年、観閲行進で車両部隊の最後にやってくるのが、
「陸上部隊の
最後の要」となる戦車部隊です。

「シンゴジラ」で強調されていたように、10式戦車の特徴は
その軽快な駆動性にあります。
映画では不幸にして落っこちてくる橋脚から逃げられませんでしたが、
それでも自衛隊に気を遣ってか、大破ではなく中破、とされていました。

自衛隊の総力戦がことごとく効果を得られなかったことについても、
自衛隊はやるだけやった(全装備全火器命中)けれど、ゴジラが

「人智を超えた完全生物」

なんだからこれはもう仕方ない、とちゃんと?フォローしていましたし。

機甲科である戦車隊のマフラーはオレンジ色です。

ところで皆さん、オレンジのマフラーをつけた部隊は
もうすでにいくつか行進を終わっていますよね。

一番最初に行進したクロスドメイン作戦の先遣隊として偵察を行う
偵察バイクのオート隊、89式警戒車、水陸両用車の AAV7も、
隊員は皆オレンジのマフラーだったのを覚えておられますか。

 

機甲科、というと戦車!というイメージが我々にはありますが、
これら偵察部隊と戦車部隊との両輪で成り立っているのが
機甲科という職種なのです。

主に北海道に配備されている90式戦車

74式戦車が今回行進を行わなかったことからもわかるように、
現状戦車隊そのものがどんどん縮小していっています。

北海道と九州以外の戦車部隊を順次廃止していく動きだそうですし、
その九州の配備も西部方面戦車隊に集約されていくということです。
(理由は・・・・わかるね?)

その代わり、偵察部隊を増強し、戦車といっても新型の装輪式、
16式機動戦車(MCV)を中心に据えた偵察戦闘部隊なるものが
本年度末には編成されることになっています。

確かに、全国津々浦々に戦車を配置していても、その出番が現実になる可能性は
限りなく低いわけですし、その点まだしも仮想敵のやってきそうな
北海道と特に九州にだけ置いておく、という考えは理にかなっています。

その際、機甲科の偵察戦闘部隊の一環として

「戦闘上陸大隊」

がこの水陸両用車AAV7を配備して創設されました。
長崎県と大分県に所属する水陸機動団大隊です。

今年の3月25日、74式戦車と10式戦車のほか、
最後に一瞬水陸機動車を有していた
第4戦車大隊が廃止されました。

その廃止とともに生まれたのが戦闘上陸大隊です。

水陸機動団の人員を養成する機関は

陸上自衛隊水陸機動教育隊

といい、佐世保の相浦駐屯地に所属します。
レンジャー資格を持った隊員も多く集まるということですが、
何しろ「日本版海兵隊」というくらいなので、とにかくここでは
精強な隊員を要請するために超のつく過酷な訓練が行われる・・はず。

90式戦車の行進をもって観閲行進は終わりました。


なのになぜかここで行進を始める水陸両用車。 

予行の時にはちゃんと説明がなかったので、
なぜ一度行進を行なった水陸機動隊がもう一度最後に出てくるのか、
そしてなぜトラックと並んで行進しているのかがわかりませんでした。

周りには誰もその理由を知っている人はおらず、
不思議に思ったのですが、これは本番の映像で謎が解けました。


まず本番ではこの後、

「アメリカ海兵隊による祝賀飛行」

として、オスプレイ二機が会場上空を通過したのです。

MV-22オスプレイの所属は、

第265海兵隊中型ティルトローター飛行隊「ドラゴン」

編隊長は少佐。反対派が石を投げても当たらないように(笑)
ヘリにしてはずいぶん高所を飛んでいるように見えました。

このドラゴンたちは普天間基地から来ています。
反対派も普天間から来たのかな?(嫌味)

ところで一度挙げたこの写真、ちょっと思い出していただけますか。

予行の日にスタンドの後ろを通り過ぎた米軍の皆さん。
何のために?と思ったら、海兵隊、
今回観閲式に参加することが決まっていたのでした。

おお、名前が「ダイハード」な人がいる(笑)
イギリス海軍は肘から先に刺青を入れるのが流行のようですが、
アメリカ人には滅多に見ません。(他のところに入れているのはあり)

もしそんなところに刺青が入っていたら、観閲式会場をうろうろする前に
絶対に自衛隊から

「それ、ちょっと日本ではまずいから隠してくれる?」

と言われると思います。

予行で走っていたトラックの位置に、本番は海兵隊の水陸両用車がいました。
なんと、

日米合同祝賀車両行進

として、同じ形の水陸両用車が仲良く並んで行進です。

 

ちなみにこれもKさんに頂いた写真です。
これを見て初めて?本番に行きたかった、と心から思いました。

この日米5両ずつの同形車が並んで行進することを考えた
今回の観閲式の企画、ありがとうございます、って感じです。

行進部隊指揮官は米軍側が、

第3強襲水陸機動大隊第3小隊長プライス・スミス中尉

日本側が

第2戦闘上陸中隊長マツバ・セイジ一等陸佐

階級は自衛隊側の指揮官が高いですが、ゲストなので
先に米軍指揮官が紹介されていました。

ちなみに、この二人の指揮官名が紹介された時、
車両行進の音楽に挿入されている「君が代」のメロディが流れ、
これがなかなか感動的だったことも付け加えておきます。

 

本番ではこの後総理の前で「終了報告」が行われ、国旗降下。

特別儀仗隊は本番では帽子とズボンは白に変わっていました。
どういう意向で予行と本番を変えたのはかは不明ですが、
白とブルーの特別儀仗隊の一団は華やかで観閲式に相応しかったと思います。

写真は総理に対し栄誉礼のラッパを吹鳴しているところ。
音楽の栄誉礼と少し似ていますが違うフレーズです。
その間儀仗隊は捧げ銃。

その後観閲官である総理が観客に手を振りながら車に乗り退場。

車列を見送った後特別儀仗隊は退場です。

音楽まつりで彼ら第302保安警務中隊が
どのような組み合わせの制服で登場するのか楽しみです(ハート)

終わってからはどこに移動してもいいので、真ん中に移動して
少しの間だけ催し物を見ました。

まず、工科学校生徒たちのファンシードリル。
(この演技中電話がかかって来て写真はこれしか撮ってません)

陸自太鼓。
自衛太鼓も、一番いいのは武道館で聴くことなんですよね。

自衛太鼓をはえ〜という感じで眺める出待ちの陸軍音楽隊。

ここで雨が降ってきてしまったので、先を急ぐわたしは
残りのメンバーに挨拶をして朝霞を後にしました。


その構成と見せ方に、今年3月に新編されたばかりの
「これからの陸自」たる陸上総隊による一体的運用、特に
統幕、自衛艦隊司令部、航空総隊司令部、在日米軍などと
調整を一本化することによってより一層統合運用の実効性を
向上させようという試みが実に明確に表れている観閲式でした。

 

とにかく、最後の米軍との共演は頼もしかったなあ。
実際見てないことだけが唯一残念でしたが。

 

 

終わり。

 


平成30年 自衛隊記念日陸自観閲式 「本番」

2018-10-19 | 自衛隊

ちょっと待て、本番の日は芦屋基地にいて参加してないんじゃなかったのか、
とおっしゃるあなた、あなたは正しい。

平成30年度観閲式の予行に参加してその写真を元にお話ししてきたわけですが、
本番のチケットを(使えませんでしたが)くださったKさんが、
14日当日に参加して撮ってこられた写真を

「お好きなようにお使いください」

と送ってくださったのです。
Kさんは本番をわたしも当ブログで推薦した観閲台の
正面から観覧されたらしく、安倍総理の写真多数。

というわけで今日はKさん写真特集で観閲式本番を振り返りましょう。

総理臨場。
こうしてみると安倍総理って脚長いですよねー。
各国首脳と並んでも決して見劣りしない久しぶりの国家元首です。

ほらね?観閲台正面からというのも本番ならいいものでしょ?
となぜか得意げになってしまうわけですが(笑)

安倍総理の右側が就任したばかりの岩屋防衛大臣。
前回の観閲式には、そこに白のスーツのウェストに
なぜかブルーのサテンのリボンを結び、ピンヒールを履いた
当時の防衛大臣の姿があったものですよ(遠い目)

この中でわたしが後わかるのは海幕長と防大校長くらいですか。

車上観閲も首相のこちら向きが見られるというわけです。

行進を観閲する総理大臣。
防衛大学校学生隊の第四大隊が行進をしています。

第一空挺団の行進。

女性部隊の指揮官が車上で敬礼し観閲を受けます。

 

Kさんがわざわざ◯をつけてくれたのは誰でしょう?
鈴木宗男の長女、鈴木貴子衆議院議員です。
父宗男さんが落選した選挙に出て当選したんですね。

新内閣で防衛政務官に指名されたので臨席したようです。

 

「何しに来たので賞」(大賞)とKさんの解説入り(笑)

出たよ。ここにも来ていた、HSK先生。本当にこの人自衛隊好きだよね。
どんなイベントにも、どんな白眼視されても必ずしゃしゃり出てくる
この人の心臓にはきっと針金のような剛毛が生えているに違いない。

なんなら先日の旭日旗問題で自衛隊が観艦式出場辞退したことについて、
ぜひこの帰化議員さんの個人的なご意見を伺ってみたいものです。

観閲官退場。

周囲の駐在武官たちは流石に制服を着ているので見てるだけですが、
私服の人たちがみんな携帯で総理の写真を撮りまくっている様子。

航空観閲もわたしの写真よりはるかに鮮明に撮れているのでお借りしました。
F-35、こうしてみると胴が太いですね。
車輪が出ているのもなかなか見もの。

こちらはわたしが望遠レンズで撮った写真。
探してみたらステルス日の丸と脚が鮮明に写ったのがありました。

これも同じくKさん情報によると。

F-35の観閲飛行について、

実は9月、国交省の航空路誌に記載があり、
仲間内では、来るぞ❢来るぞ❢❢と語られていました。
予行も本番も曇天につき飛行中止になるのでは?と危惧されていましたが、
其処は見せ場を外さなかった空自に敬意・感謝です。

両日とも私達みたいなのは極僅かで、殆どの人は
配布された式次第すら見ておらず飛んで来てから驚いていました。

事前にいろいろな団体に空路確保の協力依頼がされています。
此れをいち早くアップするのが共産党地方議員なのが、お笑いニッポンの現状です。

ということです。

予行と本番の大きな違いの一つがこれ。
オスプレイの観閲飛行参加です。

この日本番参加していた知り合いが、現場の様子を教えてくれていたのですが、

「反対派の声がうるさい。暇人どもめ」

とコメントして来ていました。
オスプレイが来るというので脊髄反射で押しかけてきたんですね。
全くどこで嗅ぎつけてくるんだろう。

続いてKさん写真より。
開始前の装備が待機している様子はなかなか風情があります。

10式戦車の後ろ姿。

施設課の装備や自走榴弾砲も後ろから見ると新鮮です。

なんと自衛隊ではバイクを停めるのすらこんな風にまっすぐなのか!

こんなところまで観客は近づけなかったと思いますが、望遠でしょうか。

これは予行では見ることのできなかった、アメリカ軍の水陸両用車です。
ランダムな塗装のようですが、並べて見ると全て規格通りの模様であることがわかります。

これも米軍の装備ですよね?
予行にはなかったかと思われます。
本番はこんなに雨が降っていたんですね。

行進の様子も、反対側からの角度で撮ったものをいただきました。
陸海空合同音楽隊。

予行では白だった海上自衛隊東京音楽隊が黒の制服に変わっています。
本番での「格式」を重視したのでしょうか。

防衛大学校学生隊。

陸上自衛隊普通科連隊。

例の第32普通科連隊。

ニーパッドとエルボーパッドもつけていたことが分かりました。
もちろん防弾ベストも着ているので装備だけで結構な重さになりそうです。

第一空挺団。

海上自衛隊部隊。

航空自衛隊。

女性部隊。

見学している人の多くがレインコートを着ています。

陸自女性部隊。

海自女性部隊。

空自女性部隊。
三自衛隊の靴とバッグは全部同じものを使用しています。

ちなみに女性の制服でどれを着たいか?と聞かれると、
やっぱりわたしはもっとも軍服らしい気がする海上自衛隊でしょうか。

高等工科学校の最後尾集団ですね。

先日参加した芦屋基地航空祭の同行メンバーのおぢさん、
息子さんが高等工科学校を出て、今ミサイル関係部隊勤務だということで、

「あれは少年工科学校を出て・・・」

と13回は聞かされました。
昔は少年工科学校と言ったので、お父さんはいまだにこういうのです。
ちなみにその息子さんについて、

「帰ってこないし、たまに帰ってきても仕事のことを何も教えてくれない」

そりゃその配置なら守秘義務もあるでしょうよ。お父さん。

 

ところで!冒頭写真に目が釘付けになった皆さん。
今回Kさんが送ってくださった中の個人的に選んだ「超特ダネ」です。

音楽隊のなかになぜかピッコロを持って参加する海自の歌手、
三宅由佳莉三等海曹。
三宅さんと隣の隊員の笑顔もいいし、これお宝写真ですよね。

わたしは予行の時、彼女がいないかと探したのですが、
前回の時のように参加するとしたらスーザホンだと思っていたので、
当然見つけることができませんでした。

ところが驚くことに、この写真によると、彼女は
予行にピッコロで参加していたようです。
しかし器用な人だなあ・・・。
吹奏楽の中で一番大きな楽器の次は、一番小さなピッコロを演奏とは・・。

(本当にちゃんと吹いていたのか?という疑問がふと脳裏をよぎった、
そんなわたしは心が汚れているでしょうか)

Kさん、本番でもちゃんと三宅三曹の姿を見つけ出して
写真を撮っておいてくれました。

この日現地にいたどれくらいの人が気が付いたかな?

 

続く。


クロス・ドメイン(領域横断作戦)〜平成30年度 自衛隊記念日 陸自観閲式

2018-10-18 | 自衛隊

14日に行われた観閲式で、安倍首相はその訓示において

「宇宙・サイバー・電磁波の分野で構想優位を
確立できなければ国を守り抜くことはできない」

とスピーチしました。
この日の車両行進は、そのための戦略に呼応する部隊が
どのように編成されているかが明確にわかる構成となっていました。

宇宙、サイバー、電磁波といった新たな領域を
防衛という軸中心に横断して実現する体制の構築。

クロス・ドメインな防衛力の強化

とこれを称して、これから行進するいくつかの部隊がその
領域横断作戦に関わることを強調していたのです。

まず「情報化部隊」。
指揮官は東部方面情報処理隊長の2佐が務めます。

クロスドメイン作戦の基幹、つまり頭脳となる部隊です。

無人偵察機システムなど、情報関係機器の装備が6両で行進です。

無人偵察機、ドローンも、いつからか観閲式行進の常連となりました。

そして空自ペトリオット部隊

ペトリの指揮官は第一高射群、第3高射隊長である2等空佐、
車の運転手は女性自衛官ですね。

弾道ミサイルを撃墜する防衛システムの一角を担います。

パック3、射撃管制装置、発射装置などのシステム5両です。

高射特科部隊

今回芦屋基地にご一緒した方で、高射特科部隊だった元自衛官の娘さんが、
やはり高射特科部隊所属であることを伺いました。
驚いて、

「女性でも高射特科部隊入れるんですか!」

と聞くと、

「いやー、あれは立ってるだけで別に何もしなくていいから」

という返事でしたが・・・そんなことないよね?

ミサイルによる敵航空機射撃、これはやっぱりこれからの
防空の形となっていくわけです。

93式近距離、11(ヒトヒト)式短距離、地対空誘導弾中隊が続きます。

87式自走高射砲中隊も領域横断作戦に資する装備です。
ちなみにガンタンク、予行ではアンテナはじっとしていましたが、
本番ではくるくると派手目に回っていました。

地対艦ミサイル部隊の指揮官はミサイル部隊中隊長。
1等陸尉です。

多連装ロケット中隊の上部に注目してみました。

地対艦ミサイル中隊

地上展示で対艦ミサイルを強調していたのは、
この領域横断作戦があってのことだったのかと納得。

そして電子戦部隊
これからの戦闘は、電子戦が実は大変重要となってくるはず、つまり
自衛隊の頭脳判断力の優秀な人材はここに投入されているはずです。

いかにも頭良さそうな人たち、♪───O(≧∇≦)O────♪キター

隊長の肩書きもなんかすごいですよ?
第304中枢交換通信中隊長、三等陸佐。

何と言っても電磁波領域における作戦を行う部隊ですから。

この装備、何にするかはさっぱり見当がつきませんが、とにかく防衛省は
敵のレーダーや通信を妨害する電子戦を強化すべく、
平成4年から新しい電子戦評価システムの運用を開始します。

「電子戦が全ての勝敗を決する」

という言葉は決して大げさなものではありません。
しかし、実際のところ、同盟国のアメリカは、自国の最重要技術を
外部に出したがらないので、協力はまず望めません。(当たり前)

それで、日本独自のシステムを開発することにしたということです。

 総火演でも、目に見えない電子戦が一部披露されていましたが、
これからの戦闘は戦車で撃ちあったり、ましてや歩兵が突撃することはなく、
いつの間にか始まって、次の瞬間勝敗が決まることもあるってことですね。

陸海空で情報を共有し、共同で作戦に当たる作戦はこんな時代の流れから
自然発生してきたといえるでしょう。

 

 

さて、ここからは起動防衛力の展開の段階順に展示が進みます。
まずは即応展開として、先遣部隊が登場しました。

ところで余談ですが、今回、従来の車両行進のまるで運動会のような
「祝典ギャロップ」という、わたしが全く評価していない曲の代わりに
新しく作曲されたかっちょいい曲が演奏されていたことを書いておきます。

あの「祝典ギャロップ」、「越天楽」のメロディになるまで
いつもイラっとしていたので非常に助かりました。

先遣部隊といえば偵察部隊、といえばオート隊ですね。
オートバイで敵地に潜入し、情報を収集します。

87式偵察警戒車ももちろんこの先遣部隊に含まれます。

敬礼を行うのは車長のみ。

続く水陸機動団も先遣部隊、つまり情報収集を任務としているようです。

水陸両用車AAV7を使って、島嶼部への攻撃に対応する
我が国初めての本格的な水陸機動団です。

観閲式の待ち時間には、部隊結成に伴って作曲された
「水陸機動団歌」も披露されていました。

最後の

「♪すーいりーくきーどうーだんー」

という部分しか覚えていませんが、思ったより軍歌っぽくもなく、
歌うことで士気高揚に繋がりそうなかっこいい曲でした。

まさか水陸機動団に女性隊員は・・・流石にいませんよね?

AAV7を降りてゴムボートに乗り換える・・・のかな。
総火演では皆でこれをえっちらおっちら運んでいたのが印象的でした。

続いて1次展開部隊、即応起動連隊が続きます。
先遣部隊の情報を共有しつつすぐさま展開する、ということで
装輪車がまず現地に飛んでいくわけですね。

というわけで16式機動戦闘車。

足回りが軽く現場に急行できることに加え、
実は火力も結構とんでもない能力を擁すのが16式です。

イタリアなどでは「戦車が来るまでの場つなぎ」という位置付けだそうです。
日本でも「各種事態に即応」を期待されているのがこの装備です。

機動戦闘車は全部で15両投入されました。

普通科車輌部隊

続いて事態の推移に呼応して2次展開する部隊です。
ここからは履帯装着した車輌の登場となります。

先頭は89式装甲戦闘車。

続く人員輸送用車輌には歩兵を8名ずつ搭載しています。

120ミリ迫撃砲。

96式多目的誘導弾、中距離多目的誘導弾もここに続きます。



施設科部隊は陣地の構築を行うわけですから、
2次展開部隊の一つと考えるようです。

まずブルドーザーを乗せた車。

なんか掘削機みたいなのきたー。

地球の裏まで掘り進めそうな機械です。
正確には坑道掘削装置といい、トンネルを掘るためのものです。

機械の後ろについているベルトコンベアで掘削した土を運びます。

まるでタンクのようですが、これはあの92浮橋。
1セットで最大104m、通過可能重量50tの浮橋を架設できます。

この他にも07式機動支援橋も行進を行いました。

部隊間の通信連絡など、第二次展開に不可欠な通信科部隊

野外通信システムなどの車輌で構成された部隊です。

化学科部隊

放射線などで汚染されている地域でもこれで偵察を行います。
装備品を除染するシステムもここが担当。

NBC偵察車が先頭です。

こちらは化学防護車。
装備展示でもお目にかかりました。
内部は高い機密性があり、空気浄化装置を装備しています。

NBCとは違い、生物兵器の検知は行いません。

ここまで展開したらそろそろけが人も出るでしょう。

ってことで第二次展開部隊には衛生科部隊も含まれます。
現地での治療はもちろん、医療施設への後送を行います。

大きなトラックは野外手術システムだと思われます。

さて、ここまでの展開において、まだ出てきていないものといえば・・・?

そう、戦車ですね。
自衛隊の展開構想においても、戦車はラスボス、
最後の最後で出て来るものという位置付けのようです。

そういえば聞いたことがあるなあ。

「戦車を出さなければならなくなったらそれはもう日本の終わりの時」

「シン・ゴジラ」ではいきなり10式投入してたけど、
あれはそういう意味でもあったのか・・・・。

 

続く。


F-35戦闘機登場〜平成30年 自衛隊記念日 陸自観閲式

2018-10-17 | 自衛隊

芦屋基地の航空祭ダイジェストを挟みましたが、陸自観閲式予行の様子を
行きがかり上?最後までお話ししていきたいと思います。 

セーラー服に白いチャップスの一団が旭日旗を立てて行進する様子。
おそらく三自衛隊の中で、戦前の海軍のスタイルを最も残すのが、
海上自衛隊です。

この写真の、海曹の胸元と足元の白をゲートルに変えれば、
そのまま旧海軍の行進となんら変わることはありません。

神宮で行われた陸海軍の行進(おそらく閲兵式だと思われる)では
観覧席の女学生たちが海軍行進部隊に黄色い声援をあげ、
無視されていた陸軍が気の毒だった、という目撃証言がありますが、
この写真などゲートルと銃以外は全く同じ光景だったはず。

ゲートルがなくなっても行進と儀仗の時にこのテイストを残す
白いチャップスを着用するということを決めた
海上自衛隊の当時の人、ありがとうございます。(個人の意見です)

続いて航空自衛隊
旗の色はスカイブルー、音楽は「軍艦」から「空の精鋭」に変わりました。

この「空の精鋭」には毎度冷淡なわたし、創設60周年に作曲された
行進曲「蒼空」を聴いて、どうせなら(何がどうせかわかりませんが)
行進はこちらに変えてみたら、と思ったことを告白します。

観閲式のために結成され、観閲式が終了すると解散する女性部隊
今年の女性部隊指揮官は、思わず、何か命を下されたら、

「イエス、マム!」

と返事をしてしまいそうな凛とした雰囲気の女性自衛官でした。
後ろの車に乗っているのも一佐です。

後続の車両にはとてもお綺麗な尉官たちが。

新制服で初めての観閲行進を行う陸上自衛隊女性部隊
帽子の形は陸海と違い、全体的に丸みを帯びたデザインとなっています。

なおネクタイは廃止し、空自と同じリボン型になりました。

三自衛隊の中で唯一ダブルテーラードを採用しているのが海自。
この写真で初めて、曹士の袖にボタンがあることを知りました。

士官は階級章があるのでボタンはもちろんありません。

空自は元からネクタイではなくリボン採用です。
士官のみ階級章は陸自と同じく肩に付いています。

この観閲式では説明でも自衛隊の女性活用が大いに強調されていました。
ついに最後の砦?だった戦闘機と潜水艦にも女性が乗れるようになり、
女性に選択できない職種が絶滅しつつあります。

それを強調するかのように、車両部隊の運転手や、あるいは航空観閲の
パイロットに女性自衛官が採用されているのが目立ちました。

 

ここからは航空観閲となります。
雨の降りそうな分厚い雲の曇天で、まるでシルエットクイズみたいですが、
一応記録としてあげておきます。

AH-1 対戦車ヘリコプター、コブラは5機編隊で。

UH-60Jの救難ヘリ訓練を芦屋基地で見た話をしましたが、
陸自のはUH-60JAでこちらは多用途ヘリコプターとして使われています。

近くで見れば大きいけど、編隊飛行しているとなんだか可愛らしい、
輸送機、チヌークCH-47

先ほど姿を見せた海上自衛隊の救難ヘリUS-2が堂々の飛行です。
着水する胴体の下部分が飛んでいるとよく見えます。

海自の対戦哨戒ヘリ、P3-Cオライオンは第二航空隊、八戸からやって来ました。

海自の新型対潜哨戒機P-1は厚木所属です。

安定の空自輸送機、C-2はC-1と置き換えられていく予定。
来年の降下初めにはそろそろC-2で空挺降下をしてくれないかなあ。

戦闘機などは全部が完璧にシルエットクイズになってしまいました。
F-2は3機による編隊飛行。

灰色の機体(かどうか見えませんが)F-15も3機。

次の飛行で会場がどよめきました。
昨年の航空観閲式でお披露目をするはずだったF-35ですが、
悪天候が重なってついに予行本番共に行われず、
デビューからだいぶ間が立って観閲式での飛行です。

一旦フライバイしていったF-35ですが、もう一度会場に戻って来ました。
そして並んで飛んでいたかと思ったら、いきなり一機が機体を翻し、
さらに会場は大きくどよめきました。

戦車もですが、戦闘機というのも無条件で人の心を掴む強い魅力があります。

この日F-35が観閲飛行を行うことはプログラムにも書かれていて、
おそらく楽しみにしていた人も多かったのではないでしょうか。

翼端からヴェイパーを引きながら急降下していく1番機。
そこに・・・3番機が・・・・・!(笑)

芦屋航空基地にも鳶などの鳥が結構たくさん飛来していましたが、
今回F-35と共演したのはカラスでした。

せっかくかっこいいシーンがたちまち面白くなってしまった(笑)

一機で旋回していく中、唯一真っ黒にならず写せたのがこれだけ。
本番も曇天だったということで、F-35をお目当てに来ていた人は
残念だったことと思います。

さて、その頃スタンド外では第302保安警務中隊・儀仗隊がリラックスしていました。
彼らの任務はここから先ほぼ最後までありません。

ところで彼らの制服ですが、観閲式本番当日は、
ブルーの上着に白いパンツという組み合わせだったそうです。

そして始まったのが車両行進です。
まず最初に来たのが国際任務部隊

南スーダンの派遣は部隊としては終了しましたが、その他にも

災害派遣 難民救援 在外邦人輸送 海賊対処 遺棄化学兵器処理

そして能力構築支援などをおこなう部隊の総称です。
音楽隊が現地の人々に楽器の演奏を教えているビデオが、
音楽まつり会場で流れたことがありましたが、あれもまた一種の
能力構築支援になるかもしれません。

本日行進を行うのは国際活動で先遣隊となる部隊です。

 

指揮官は中央即応連隊長。
89式装輪装甲車に乗り、後ろは軽機動装甲車が続きます。

そういえば、朝霞で昔日の丸と「JAPAN」という文字、
さらにアラビア語の日本という字が書かれた車両を見たことがあります。

即応予備自衛官部隊

即応予備自衛官部隊は招集によって任務に就きます。

 

大型トラックに満載された即応予備自衛官の皆さん。
日頃は会社員だったり、自営業だったりするのですが、いざという時に
第一線の自衛官となって任務に当たります。

本年9月の北海道地震でも災害派遣部隊として活躍しています。

クレーン車やショベルカー、給水車が続きます。

予備自衛官部隊。
そういう名前の部隊があるとは知らなかったのですが、彼らは

「軽普通科連隊」

という名称であり、例えば本部隊を率いる一佐なら

「予備一等陸佐」

という階級で呼ばれます。
ちなみに予備自衛官の一等陸佐の採用は今年から始まりました。

さらに予備自衛官の精強さを強化するための試みだそうです。


続く。




 


平成30年 芦屋基地航空祭 ダイジェスト

2018-10-16 | 自衛隊

自衛隊記念日に伴う行事は観閲式だけではありません。
この週末には、各地の自衛隊基地駐屯地で様々な催しが行われました。

14日の日曜日、朝霞駐屯地では安倍総理大臣を観閲官に迎え、
観閲式の本番が行われたのですが、その日、わたしは福岡にいました。

そう、芦屋基地航空祭に参加するためです。

わたしが所属している防衛団体の一つが芦屋基地航空祭への研修旅行、
前日その地方からバスで出発して一泊後、バスを基地内に乗り入れるという
コースを企画していたので、早くからそちらに手を挙げていたのでした。

観閲式の本番がその日と重なるということを知った時には時すでにお寿司、
しっかりと

「ドタキャンは絶対に!しないでください!」

と五寸釘を刺されていた後だったのです。
ギリギリにいつものKさんから黄色のチケットもいただいていたので
さりげなく病気になることも考えたりしていたのですが、
天網恢恢疎にして漏らさず、悪事千里を走るという言葉もあることで、
そういうことをしていると必ずいつかバレて気まずいことになるのは必至。

まあ予行をいい席で観られたから良しとしよう、と自分に言い聞かせ、
黄色いチケットは知り合いに貰ってもらうことにしました。

前日地方から福岡入りして、航空祭の後皆はそのままバスで帰りましたが、
わたしは福岡に一泊して福岡空港から帰ってきたので、
今日は「超ダイジェスト版芦屋基地航空祭」です。

 

航空祭には今まで静浜基地、入間しか参加したことがありません。
最近例年参加している入間が凄まじい入場者数であること考えると、
この芦屋基地はずいぶんとのんびりした感じだなと思われました。

もちろん早くから並んで、ブルーインパルスのウォークダウンを撮るため
開場と同時にダッシュするオターなたちも必ず一定数いるのでしょうが。

わたしたちがバスを乗り入れて会場に到着した時には
T-4のオープニング飛行が行われている時でした。

オープニングとしてU-125Aの救難訓練展示も行われたようですが、
いつの間にか終わっていたようです。

ということで、T-4の訓練飛行から見ることになりました。

T-4のデュアル・テイクオフ。

カメラはD810に28−300mmのズームレンズ、
ニコン1にフルサイズ800mm換算の望遠を付けて参加です。

航空機を写すのは基本が500mmという世間の常識がありますが、
諸事情により、どうしてもそこまではできないのでこれが限界です。

70−300mmもあるのですが、旅行ということで
これもどうしても持って行く気になれませんでした。

T-4四機による編隊飛行。

午前中は光の量も十分で、写真を撮るのに絶好の気象条件でした。

訓練飛行の最後に大編隊による飛行を見せてくれました。
皆脚が出ているのは着陸前だからです。

この後、訓練飛行とは別にイルミネーションフライトというのも
行われたのですが、それは後のお楽しみということで。

着陸後タキシングするT-4の機内で両手を降っているパイロット。
操縦桿握ってなくてもいいってことなんですかね?

続いていきなり?F-15が15分の展示飛行を始めました。
入間ではT-4とF-15の間に、連絡機あり輸送機あり、
ヘリがありと盛りだくさんですが、そもそもここには
編隊を組むほどの輸送機はいないってことでOK?

わたしにすればオードブルの後いきなりステーキが出てきた気分です。

この日写真を撮っていて嬉しかったのは、綺麗にヴェイパーが見えたこと。
戦闘機はどちらもヴェイパーまつりでした。

これほど気象条件が良くても300ミリではこれが限界ですが、
とはいえ、当社比としてこれほど鮮明なF-15が撮れたのは
初めてなので、とても嬉しかったです。

これなんかヴェイパーに影がかかって切れて見えます。

この時間は雲も少なかったので、また一層これが綺麗に見えました。

続いてF-2。
わたし的にはF-2も今までで一番いい条件で撮れたと思います。

ただ、現地でモニターを確認しても全然写っているのかどうかわからず、
したがって調整しようにも確認もできないといった具合で、
かなり撮りながらストレスが溜まりました。

F2のヴェイパーが翼端と翼の付け根、どちらからも出ている
決定的な写真が撮れました。

F-2の飛行時間も同じく15分といったところです。
どちらの戦闘機も2機で飛行展示を行いましたが、
一緒に飛んだりといったタイプの飛行は行いませんでした。

午前中の飛行展示の最後にUH-60Jが救難訓練飛行を行いました。
まずその前哨として、ヘリから救難員が落下傘降下します。

降下した救難員が地上の要救助者のところに到着。
ホバリングしたヘリで緊急輸送を行う準備をしています。

その後、ストレッチャーに乗せた要救助者と一緒に
ヘリに揚収されていく救難救助員。

これでブルーインパルスを除く飛行展示は全部終了です。

 

午後に航空祭のハイライトであるブルーインパルス展示が行われるのは
入間航空祭と全く同じ進行です。(飛行展示の演目数は全然違うけど)

離陸の約30分前にウォークダウンが行われ、1355から演技が始まります。

離陸は1番機から4番機までが飛び立った後、
5番と6番が一緒にテイクオフするというのもいつも同じ。

ところで大変残念なことに、画面を見てもお分かりの通り、
午後から芦屋基地上空に雲がかかってきてしまいましてね。

アマチュアカメラマンにとって「条件の全て」といっても過言ではない
撮影のコンディションが、まず
大変厳しいものになってしまったわけです。

慌ててシャッタースピードを上げてみたりしましたが、
全体的にブルーインパルスは残念な写真になってしまいました。

4機が全部背面飛行をするフォーシップインバート。

チェンジ・オーバーターンでブレイクした瞬間。

チェンジ・オーバーターンでデルタ隊形に旋回しているところ(だと思う)

密集隊形で飛ぶ、ファンブレーク。

5番機がソロで行うスローロール。
これなどやっている人は難しいそうですが、撮る方は追いかけやすいはずなのに、
お天気のせいでこの有様ですよ。

ただ、航空機を追いかけてアドレナリンが噴出する感じ、
久しぶり(つまり入間以来1年ぶり)に味わって、なかなか楽しかったです。

 

曇りの日ならではのこんな写真も撮れました。
芦屋基地は初めてだったので何も考えず撮る位置を決めましたが、
たまたまトレイル隊形で進入したり、コークスクリューを行う
真正面にいたみたいで、それだけはとてもラッキーでした。

これも一つの無欲の勝利ってやつかもしれません。

 

航空祭前日のツァーのこともまじえながら、またのんびりと
お話ししていきたいと思いますのでよろしくお付き合いください。

 

 

 


対ゲリラ・特殊部隊登場〜平成30年 陸上自衛隊観閲式

2018-10-14 | 自衛隊

今日は平成30年度観閲式本番が行われた日ですが、
粛々と予行の続きをご報告します。

ゼッケンをつけた防大校長、実施責任者、統幕長、防衛副大臣、事務次官が入場。

 

儀仗隊は銃の台座上部だけを地面につけて角度を保ち静止です。
簡単なようですが、見事なまでに銃の位置と角度が揃っています。
この姿勢を作るのに全員全く動きに乱れがないのは流石訓練の賜物です。

赤いゼッケンは総理大臣役。
どこのどなたかは知りませんが、観閲式の総理大臣役をするなんて、
ご本人にとってもなかなか名誉なことなのではないでしょうか。

訓練とはいえ、全部隊が自分に向かって栄誉礼と敬礼を送ってくれるのです。

各司令官旗が一斉に「旗の敬礼」を行う瞬間。

栄誉礼のラッパはラッパ隊隊長の指揮によって行われます。
その間儀仗隊は「捧げ銃」をしています。

その後第302保安警務隊退場。
先頭の隊長が右脇に立てて持つのは指揮棒です。

ラッパ隊は前方と後方の二分隊に別れ、
メロディを交互に奏でるパターンです。
なるほど、これなら息を休ませながら長時間行進する事も可。

ラッパ隊、儀仗隊の列が退場。

全員スタンドを出終わったところで「演奏止め」の合図。

そこで陸上自衛隊の歌手、鶫真衣三等陸曹により、アカペラで
「君が代」の歌唱が行われました。

最近自衛隊では女性歌手による国歌独唱を推進しているようです。
海自では割と当たり前に行われて来たのですが、陸自の観閲式では
今回が初めてとなりました。

ヴィブラートが少なく、キレのいい「君が代」だったと思います。

国歌独唱の間の少年工科学校生徒隊。

銃を持たない生徒たちは敬礼をしている間も左手を
腰のカバン(工科学校の象徴?)に手を当てています。

これはなかなか長時間取り続けるのが難しい姿勢かも。

とりあえず前半の任務を終了し、リラックスした雰囲気の儀仗隊と喇叭隊。
周りで見ている陸自隊員たちの笑顔の理由が気になります。

会場の向こうでは自衛太皷の演者たちがスタンバイを始めました。

まず全部隊の前を観閲者である内閣総理大臣が車で観閲を行います。
なんども言いますが、この車上の自衛官は安倍首相という設定です。

しかし身分は自衛官なので、安倍首相の行う胸に手を当てるポーズではなく、
自衛官として敬礼を行なっているわけです。

この首相代役に指名された自衛官にとって、この任務は
ある意味もっとも現役時代晴れがましい「役得」かもしれません。

車での部隊視察が終わると、全部隊が観閲行進のため一旦退場します。

最後の女性部隊の後ろでは、移動を始めた車両、特に戦車の黒煙が
もうもうと立ち込めてものすごい迫力です。

退場に先立ち、台上では部隊表彰式が行われ、この時は
海がイージス艦「こんごう」、空がペトリだったのですが、本番では

陸 対馬警備隊、海 貯油部隊 空 偵察部隊

だったそうです。

予行は去年の受賞部隊だった可能性あり。

ところで観閲台上の人々が皆空を見上げていますが、これは・・、

空挺降下展示で、三人の空挺隊員がパラシュート降下して来ているのです。

もちろん資格が必要で難しいフリーフォールという降下です。
自分で落下傘をコントロールし、降りる場所をピンポイントで決めます。

最初の降下者が観閲台の正面に降りることが確実になったこの時、
観客から大きなどよめきが起きました。

フリーフォール降下ではほとんどが二本足で着地をキメます。
まるで空中散歩するような軽やかな足取りで着地。

二人目も観閲台のやや左寄りに見事着地。

三人目は台の右側寄りでした。
これも打ち合わせ通りだったら怖すぎる。

こういう晴れ舞台に降下を行う人を見るといつも同じようなことを
思い、そして口に出してしまいます。

「こんな時に全部隊から選ばれる三人ってどんな凄い人達なんだろう」

降下したら迅速に傘を畳み、降下順に台の前で全員揃うのを待ち、
観閲官に敬礼を行なって退場します。

ベテラン中のベテランかと思ったら若そうな人もいますね。

続いて徒歩行進が始まりました。
観閲部隊指揮官が徒歩部隊を率いて最初に登場します。

観閲台に差し掛かる手前で旗とともに敬礼。

陸自中央音楽隊隊長が指揮しているのはもちろん
「陸軍分列行進曲」です。

旧軍の全てを否定し、旧陸軍とは全く違う組織として発足した
陸上自衛隊ですが、海自と同じく、この八条旭日旗と、この
名曲中の名曲である行進曲だけは受け継ぎ、後世に残すことを選択しました。

防衛大学校学生隊、防衛医科大学学生隊も、陸軍分列行進曲で行進します。

緑の旗は第3大隊、オレンジは第4大隊です。

防大学生隊、第一大隊が観閲官に敬礼。
振り下ろした指揮刀の角度が実に美しい。

続いて防衛医科大学校学生隊。

高等工科学校学生隊。

高等工科学校の学生隊は3個中隊ですが、前2個中隊は銃を担いでの行進。
(最前列の学生たちは背中に背負っている)

最後尾の一個中隊は皆クラッチバッグ?を抱えての行進となります。
一年生はまだ銃を持たせてもらえないのかな、と言い合ったのですが、
本当の理由はわかりませんでした。

普通科部隊指揮官の車を運転しているのは女性自衛官でした。

迷彩服と赤、ある意味もっとも「陸軍らしい」、それが普通科部隊です。

部隊長に当たる人と旗手は右足に銃のホルダーを巻いています。
(これかっこよくないですか?)

銃の角度が全員見事に一致。

流石に普通科連隊の行進には女性隊員はいないようです。

今年初めて登場、普通科の対ゲリラ・特殊部隊指揮官。

発足が検討されていた時には、数百人単位で習志野の第一空挺団内に置かれる、
と言われていたようです。

自衛隊は今対テロ特殊部隊を二個持っています。
海自の特殊部隊が「特別警備隊SBU」、そして陸自がこの

「特殊作戦群」となります。

実際には習志野駐屯地に2004年発足しています。

陸自の中からさらに選抜された彼らは、特に体力、知力に優れているとされ、
アメリカ軍で言うところのグリーンベレー・デルタフォースに相当します。

彼らは空挺資格だけでなくレンジャー資格も取得しており、それだけでなく
何か一つの語学(敵性国とされている国の言葉も)を習得しているのだとか。

そして第一空挺団指揮官。

こう言っては何ですが、例年の第一空挺団指揮官とは
少々雰囲気の異なる自衛官(つまり細身イケメン)ですね。

第一空挺団、というだけで〇〇〇〇集団(お好きな言葉を入れてください)
と自衛隊内でも言われているというのに、さらにその中でも
選び抜かれた〇〇〇〇な(お好きな言葉を以下略)隊員がいたとは・・・。

特殊作戦群の合格率はわずか3パーセントといいますが、普通の人の3パーではなく、
特に人より優れた者のなかから選ばれているわけですからね。

今まで「秘密のベール」に覆われていたかと思われていた対ゲリラ・特殊部隊ですが、
今回観閲式で言うなれば初めてベールを脱いだわけです。

 

続く。