先日「不許可写真史」という写真集について記事を書きました
この本は毎日新聞から1977年に発行されています。
この頃、新聞言論には「従軍慰安婦」という言葉がありました。
現在、特に朝鮮半島出身者が軍の命令で強制的に慰安婦にさせられたという証拠はどこにもなく、
むしろ業者が売春婦を「好待遇で募集」しており、貧しさゆえに親が娘を売るような構図を「軍の強制」
と広義に当てはめてしまっていた構図が関係各位の調査とインターネット普及によって
ようやく明らかになってきたのですが、このころはまだ世論全般、ことに朝日毎日は
「日本軍絶対悪玉論」の下に言論を展開していた頃です(今もか)。
この本の不許可写真、「慰安婦」の項の始まりはこんなものです。
近代国家の軍隊で戦場まで慰安婦を連れていったのは日本軍だけだった。
軍部もさすがに恥ずかしかったのだろう。
慰安所の写真、慰安婦の写真はすべて禁止としていた。
何というか、読んでいるこちらの方が恥ずかしくなってしまうくらい鼻の穴をふくらませてます。
一体てめーは何様のつもりでこういう審判の高みに立ってものが言えるのか、と聞いてみたいくらいです。
恥ずかしかったからも何も、国内に奥さんや恋人がいる人もお世話になるかもしれないんだから、
慰安婦やそんな場所や、ましてやそこにいる兵隊の写真がOKなはずないだろうが。
内地の奥さんや恋人がそんな写真を目にするには忍びないからだろうが。
「連れていった」のは「現地調達」がまずいからだろうが。
しかし、その当時、本田勝一の「南京への道」に描かれていた全ての「共産党お提灯記事」を
盲目的に信じさせられていた当時の日本人には何の不思議もない記述です。
もうここからは目を覆うような断罪っぷりで、なぜ慰安所を設けたかについては
(日本軍は)強姦略奪し放題に南京に進撃していったからだ。
杭州湾上陸の第十軍のごときは毎日戦闘を繰り返しつつ、
一か月そこそこで300キロを走り南京に達したが、
その秘密はそれであったという人もいるくらいだ。
すごい。日本軍最強伝説。どんだけ凶暴なんですか日本軍。
一日12~3キロの行軍しながら毎日略奪強姦し放題。スーパーサイヤ人軍団か?
だいたい、
「その秘密」ってなあに?
「それ」ってなんですか?
「それを言った人」ってどなたです?
頭痛くなっちゃいますね。もしかして適当に想像で書いてます?
この記者は、もう最初から
「凶暴な兵の強姦に手を焼いたので恥ずかしいことに慰安所なんてものをつくった悪鬼のような日本軍」
という結論ありきで記事を書いてしまっているのです。
「従軍慰安婦が初めて生まれたのは昭和13年1月13日か14日とされているが、
はっきりした日時は不明である」
って、はっきりしてるのかしてないのかどっちやねん!
「連れていった」と書きながらその直後に「強姦しつつ南京への進み現地で慰安所を作った」
どっちやねん!
辻褄も何もあったもんじゃありません。もう処置なしです。
「男の性」をいかに処理するか。
それが日本軍に限らず古今東西、軍隊にとっていかに重大にしてかつ最終の問題だったかについて、
この記者は自分が男でありながら、全く想像することもできないのでしょうか。
「慰安所が無かったら強姦などということが起こり軍紀が乱れるから、
日本軍は、その対策上軍の仕事としてそういう場所を真っ先に設けた」
つまりこういうことではないんでしょうか。
「日本兵の去った後にはフンダララ」とか
「一人の女性を三十人の日本兵がホンダワラ」とか、
まるで見てきたようにえげつないことを書かなくては、この話題に繋げられないんでしょうか。
次も凄いですよ。
「そうやって日本軍は、たけり狂う将兵に従軍慰安婦を与えた」
たけり狂う将兵って、あなた・・。
日本軍の将兵は、あなたのお父さんたちは、何か?
理性も何もない、まるで野獣のようなバイオレンス集団だったと、
そういうことなんですか?そう言っているんですか?
しかしこの団塊左巻き記者の捏造記事に34年経ってから怒ってみても仕方がないので先に進みます。
ラバウルにも慰安所がありました。
士官用、下士官用と分かれていたそうです。
報道記者の吉田一氏は、そこで見たことを日本に帰ってから書いています。
報道班員の待遇は基本的に士官に準じたらしく、そこで見たことは、下士官、兵たちの
ついぞ知らないことだったのですが、
「大空のサムライ」って、このへんのことがまったくオミットされていますね。
同じラバウルなんですが、坂井三郎氏の記述、全くそういう話は語られません。
読者対象が広く少年も読む、ということで書かれたものなら当然のことです。
というわけで坂井氏は書きませんでしたが、吉田氏はやたらくわしく慰安所での出来事を書いています。
その著書に戦死した士官の写真に線香をあげて冥福を祈る慰安婦の記述があります。
軍が慰安所や慰安婦の写真を不許可としたのと同じ理由で、それについて誰も書きませんし、
書くようなことでもないのですが、きっとそこにはそれなりに、戦場に生きる人間同士の機微が
通い合うこともあったのかもしれない、いや、そうあって欲しい、と思わずにはいられません。
今まで読んだ自伝を含む戦記の中で自分とこういった女性とのかかわりについて自ら書いた本は、
(よもやま話の類をのぞいては)角田和男氏の「修羅の翼」それから主計士官の守屋清氏の
「回想のラバウル航空隊 」くらいだったように思います。
なかでも角田氏の著書でのエピソードで
「兵隊さんの奥さんになって戦地で死んだら靖国神社に祀ってもらえる」
と信じていたらしい朝鮮半島出身の慰安婦の話は特に胸が痛みます。
さて、不許可写真集に話を戻して。
「悪辣な日本軍の作った恥ずかしい慰安所」について、前述のようにおどろおどろしい説明がつけられた
「不許可写真」の数々。
ところがそれは、そんな説明とはうらはらな明るさに満ちているのです。
「身も心も捧ぐ大和撫子のサーヴィス」「聖戦大勝の勇士大歓迎」
という幟を掲げた慰安所の写真。
にこにこ笑っている慰安婦たち。
清潔な診察室に、壁にぎっしりと張られた「慰安所の規則」。いわく
「室内においては飲酒を禁ず」
「いったん酌婦に入場券を渡したものは払い戻しせず」
「用済みの上は直ちに退室すること」
「軍紀風紀を乱すものは退場」
そして、本日画像の慰安所の女性。
海軍士官の客の軍帽と、何と軍服までを着こんで、にっこり笑っています。
「残虐な日本軍が強姦に手を焼いて作った南京の慰安所の写真」
などとしたり顔に書きながら、この写真がどう考えても南京でのものではないことを、
この左巻き毎日記者は検証することもしなかったようです。
因みにわたしがそれをなぜ断言するかというと、彼女の部屋に飾られた鉢植え。
この変わった植物は「クルクマ」と言い、今でこそ日本で栽培することができますが、
元々は東南アジア、それもタイ、カンボジアに当時は生息していた植物。
30℃で発芽し、1月の冬の南京には存在する可能性すらないものです。
「これが南京虐殺の証拠!」
という写真がどう見ても夏の日盛りに撮られている、という話を思い出しますね。
この一見幼い感じのする慰安婦は、南国特有の植物の鉢が飾られているテーブルで煙草を持って、
カメラを向けた客である海軍士官にポーズを取ったのでしょう。
写真につけられたキャプションです。
軍帽をかぶった慰安婦 戦場経験者の大半は今もこの種の写真を一枚は秘蔵している?
「大半は」「この種の写真」「秘蔵している?」
この短い一文に筆者の心根の下品さ、卑しさがいかんなく現れています。
しかしながらこの写真には、毎日記者が口をきわめて
「残虐非道な日本軍の性欲処理の犠牲になった可哀そうな慰安婦」
というような陰惨さはどこにも見られません。
それどころか「この種の写真」などという、その下種っぽいからかいが薄汚く思えるくらい、
彼女は実にいい顔で微笑んでいます。
決して美人ではありませんが、彼女はこの士官の親しい誰かに似ていたのでしょうか。
カメラの主は、もしかしたら彼女がとても好きだったのでしょうか。
記者のいうように、そのかかわりが殺伐とした非人間的なものでしかなかったら、
人はおそらくこんな風には笑わないでしょう。
今、このときだけ「軍人さんの奥さん」でいることを受け入れ、
男に一時の安らぎを与える若い慰安婦。
彼女は確かに戦争と貧困の犠牲者には違いありません。
しかし、自らの父祖を悪辣な暴虐の集団と断罪し、その犠牲になった慰安婦を気の毒としながら、
実は彼女らを蔑んでいることをその文章の端々から隠せないこの毎日記者などより、
この女性の方が、そしてこの女性の微笑みにシャッターを切った士官の方が、
遥かに人間としては健全な精神を持っているように思えてならないのです。