ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「リザルタント・フューリー」演習〜戦車揚陸艦「スケネクタディ」の最後

2024-11-19 | 軍艦

バッファローネイバルパークに展示されている「リトルロック」、
前回、CPOとメスデッキをご紹介しました。



前回このメスデッキの端にあるプラークを一つ紹介しましたが、
紙幅の関係で取り上げなかったのがあります。



プラークそのものがひび割れて真っ二つになっています。
まるでこの艦の運命を示唆するように・・・・。

昔、自衛艦のこの盾を鋳造している北陸の工房を見学したことがありますが、
そこの社長(現在会長)が、

「海自の方々は大変縁起を担ぐので、
台が『欠ける』『落ちる』『沈む』は御法度です。
そんなことがあれば(血相変えて)作り直しを言ってこられます」


とその『難しさ』を語っておられたのを思い出しました。
それでいうならこれはもう完全に不吉ですが、
この艦が実際にこうなる形で廃棄されたことを知ると、

あながち無意味な迷信でもないのかなと思ったり・・。

■ USS「スケネクタディ」



USS「スケネクタディ」
USS Schenectady (LST-1185) 


は、「ニューポート」級戦車揚陸艦の5番艦です。
この英語からすぐに「スケネクタディ」という読み方が出てきたのも、
わたしがかつてニューヨーク州北部をうろうろした時に、

フリーウェイなどでよくこの郡名を見ていたからです。

妙な発音ですが、予想通りオリジナルはネイティブアメリカン、
モホーク族の「松の木々の向こう側」の意味なんだとか。

エリー湖沿いのバッファローもまた同じニューヨーク州なので、
同じ州のよしみでプラーク交換をしたことがあったのかもしれません。

この等級の大きな特徴は、

戦車揚陸艦でありながら艦首にドアがない

ということ、そしてその代わりに


艦首にアルミニウム製のタラップを持つ

ことに尽きるかと思います。
(ただし従来通り艦尾には大きなドアがあります)

まず前者は、20ノット(時速37km)以上の船速を確保するため、
そしてタラップは艦体のドアの代わりに戦車を積み込むためです。



それをお見せしよう。
これ、すごくない?ちょっとワクワクしてしまいますよね。

そしてこの道板はアルミでできており、長さ34メートル、
普段は上甲板上に格納されていて、岸壁に到着すると、

艦首突端の扉が左右に開かれる

艦首前端のピボットが道板を浮き上がらせる

グリースによって板を滑らせながら甲板下のウィンチで繰り出す

デリックアームによって保持しながら岸壁に道板を設置する



おそらく艦橋から見たところ。(写真はUSS「サギノー」)

車両甲板前端には上甲板と連絡するランプが設けられており、
車両甲板に搭載された車両はここを通じていったん上甲板に上がったのち、
道板を通じて岸に降りていくというわけです。

トラック?の荷台には海兵隊らしいのが乗っていますが、

これなら全く危険はなさそうです。

2本のデリックアームの上にも人がいるのに注意。

なお、道板だけでは長さが不足する場合も多いので、この場合には
後部舷側に搭載した4基の浮橋を道板の先に接続して延長します。

この「ニューポート」級揚陸艦は20隻建造されており、

そのうち「マニトワク」LST-1180「サムター」LST-1181
中華民国海軍に再就役して今も現役のようです。

台湾の方がこのどちらかの入港をアップしています。
道板の展開が見られるかと思ったけど、それはありませんでした。

【海軍艦艇】舷號LST 232 中和級戰車登陸艦-1 (Newport-Class Tank Landing Ship)

【海軍艦艇】舷號LST 232 中和級戰車登陸艦-2 (Newport-Class Tank Landing Ship)

2015.10.24 民國104年國防知性之旅 海軍左營基地營區開放
 LST-233 新港級戰車登陸艦 中平號 Newport class tank landing ship

さて、この「スケネクタディ」ですが、1990年、
同級でたった一隻、湾岸戦争で中東に派遣された揚陸艦です。

1993年には退役し、予備艦として保管されていましたが、
2001年には海軍艦艇登録から抹消され、
最後は標的艦となってお国に身を捧げることになりました。

■リザルタント・フューリー対水上戦演習0501



珍しく、その最後の瞬間が写真に遺されています。
この演習は、何にでも名前をつけたがるアメリカ海軍らしく、

リザルタント・フューリー(Resultant Fury)
”怒りの結果”または”結果としての怒り”

と名付けられました。
2004年、フロリダ州のエグリン空軍基地を拠点に行われたこの訓練では、
空軍と海軍の航空機が海上を移動する目標を攻撃するという内容でした。

ここで皆さんにも思い出していただきたいのが、1921年、
ビリー・ミッチェル少将がドイツの戦艦「オストフリースラント」
航空機で撃沈できることを証明したあの実験「プロジェクトB」です。


このとき、ミッチェルは海軍に「戦艦不要論」を突きつけ、
航空戦力の重要さを証明するために実験を行いましたが、
83年後に行われたこのデモは、方法論の証明などではなく、
まだ実戦配備されていない先進的な兵器システムの実験を兼ねていました。

この訓練に先立ち、元USS「スケネクタディ」は
装備品や資材を撤去し、危険物を取り除くために洗浄されています。

アメリカ海軍は環境破壊に対しても最新の注意を払い、
環境汚染物質を除去し、EPAのガイドラインに従って、
岸から50海里以上、水深6,000フィート以上で作戦を実施しました。

米海軍には「艦隊環境」の専門家(中佐)もいて、演習によって
生態系に影響を与えることがないよう、こちらも配慮します。

事実この演習のとき、クジラの群れが接近したという情報を受け、
発動時間を40分遅らせたという報告がなされているように、海軍は
海洋哺乳類が船舶の近くにいる場合に演習を禁止する範囲手順を定めており、
環境保護と試験と訓練の達成を両立させることを旨としています。



ミッチェルは「オストフリースラント」撃沈に63発爆弾を要しましたが、
このときはB-52から投下されたたった9発のレーザー誘導弾JDAMが
全て意図した目標に命中し、艦艇を速やかに沈没せしめました。

そして2004年11月23日、このリザルタント・フューリーによって、
揚陸艦「スケネクタディ」は標的として撃沈され、
同時に彼女は、ボーイングB-52ストラトフォートレスが
誘導兵器を単独で投下した史上初めての艦となりました。

かつては航空機不要論で反目していた空軍(当時陸軍)と海軍が、
協力しあって海上標的を破壊する訓練風景を、きっとミッチェルは
草葉の陰から見て、涙を流すか、そら見たことかと言っていることでしょう。
(-人-)

■ 「スケネクタディ」艦歴

ところで、なぜ「スケネクタディ」がこのとき標的となったかですが、
簡単に彼女の艦歴についてお話ししておきましょう。

LST「スケネクタディ」は1966年7月15日、

1966会計年度の8隻のグループの一部として発注され、1968年、
サンディエゴのナショナル・スチール・アンド・造船会社によって起工、
1969年5月24日に進水、1970年6月13日に就役しました。

就役後は水陸両用戦隊(フィブロン)9に配属され、
サンディエゴに母港を構えることになります。

訓練と習熟期間の後、1971年にベトナムへ向かい、
海兵隊を撤退させる「キーストーン・オリオール」作戦に参加。

ダナンで荷物を積んだ後は真珠湾に戻りました。

1971年10月18日、LSTは第7艦隊に合流するため
日本の横須賀に到着します。

第7艦隊での活動中、南ベトナム軍によるクアンチ省奪還作戦に参加、
1972年6月29日、攻勢中に敵の陸上砲台の砲火を受け、
実戦で応戦した同クラス初の艦となりました。

その後は西海岸から演習に参加、
日本、台湾、沖縄、フィリピンの港湾間での輸送任務を行います。


1990年、湾岸戦争が起こると中東に派遣され、これによって

「スケネクタディ」は「ニューポート」級10隻の中で、
同戦争で派遣された唯一の艦となりました。

その後1993年12月15日に退役し、海軍不活動艦艇整備施設に
予備艦として保管されました。

1994年ごろ、スケネクタディ市は彼女を展示艦として獲得し、
移送しようと試みたことがあったようですが、どういう理由かこれは失敗し、
「スケネクタディ」の標的艦の運命はこのときに決まりました。

同艦は2001年7月13日に海軍艦艇登録から抹消され、
2004年11月23日、リザルタント・フューリー作戦で標的として撃沈され、
艦船航行中、ボーイングB-52ストラトフォートレスが
誘導兵器を単独で投下した初の事例として歴史に名を残しました。



「スケネクタディ」の内部のものは丁寧に取り除かれ、
歴史資料として保存されることになったそうですが、
もしかしたらこの星条旗もその一つなんでしょうか。


続く。




メスデッキ(兵員用食堂)〜ミサイル巡洋艦「リトルロック」

2024-11-16 | 軍艦

エリー湖沿いに位置するバッファロー・ネイバルパークの展示、
タロスミサイル巡洋艦「リトルロック」内部を見学しています。



やはり巡洋艦なのでメスデッキは大変広いです。

一日3回、このスペースでは1,200人の下士官兵が食事をとりました。
時差を持たせても、同時に700〜900人がテーブルに着けたそうです。

乗組員に与えられた食事時間は30分。
食事が済んだらすぐさま職務に戻ることが決まっていました。

アメリカ海軍も、他の軍隊に比べれば食事が美味しいのが相場だそうですが、
だからといって食後ゆっくりコーヒーを、なんてのはナシです。

ただ、ここに来ればコーヒーもスナックもいつでも潤沢に用意されており、
好きな時にさっと取って楽しむことができました。

ここは映画館も兼ねており、毎晩のようにエンターテイメントがあり、
乗組員は自分の時間に応じてそれらに参加しました。



ちなみに1972年ごろの同じメスデッキの様子。
左奥に見えるかべが、上の写真の左壁だそうです。
内装は随分変わっていますが、柱は全く変わっていません。

チェック柄のテーブルクロスが可愛いですね。


1974年のメスデッキ。

テーブルクロスは白に変わったようです。
この写真の真ん中に低い仕切りがありますが、1972年のにはありません。
この間の改装によって設置たもので、それは現在もそのままです。

ほとんど上の写真と同じ位置から撮られているように思います。

ここで食事をするのはエンリステッド(徴募・徴兵)
を意味するE1からE5まで、つまり、

E1「シーマン リクルート」水兵
E2「シーマン アプレンティス」一等水兵
E3「シーマン」上等水兵
E4「ペティオフィサー サードクラス」三等軍曹
E5「ペティオフィサー セカンドクラス」二等軍曹

のみなさんです。



紙ナプキンのケースがちゃんと中身付きで置いてありますが、これは
現在でもこの場所がキャンプなどで食事に使われているからです。


メスデッキの隣には、ペティ・オフィサー・ファーストクラス
(上級下士官)
専用のメスがあります。

クルー用と違うのは、椅子の材質と、テーブルにボードゲームがあること、
それからちょっとスペースに余裕があることかな。

ここに入ることができるのは、E6の

E6 ペティオフィサー ファーストクラス

これは「シェブロンが赤い階級」の中の最先任です。


で、ここから上の人(黄色いシェブロン)たちは奥に各々の部屋があります。
海軍の階級差は厳密です。



この艦内図でいうとV1のところです。
クルーズメスは10と記された場所です。


残されていたクルー用のトレイ。
この窓から見える向こうは下士官厨房です。


入ろうと思ったら、立ち入り禁止になっていました。


というわけで、これは博物館公式のビデオからキャプチャした内部の写真です。

E-6以下の下士官兵の調理を行うのは、当時は

メス・マネージメントスペシャリスト、
食堂管理スペシャリスト

と呼ばれる乗組員でした。
この名称は現在では

キュリナリー(調理)スペシャリスト

となっています。

食事は全てこの場所で調理され、すぐさま提供され、
また、パンやペストリーも定期的にここで一から作っていました。

「調理スペシャリスト」という名前になってからはどうか知りませんが、
当時、調理は専門の乗組員が行うのではなく、
ほとんどの下級下士官乗組員(E-1からE-3)が、少なくとも90日間の
 "TAD"(Temporary Assignment of Duty)期間、"Mess Cooks "として
ギャレー/スカラリーに勤務することが義務付けられていました。

つまり皆が順番に請け負っていたのです。

調理場勤務の乗員は、次の食事の計画や準備、後片付け、皿洗いはもちろん、
掃除など雑務の大半をこなすことが求められていました。

これもまた艦隊生活への教化の一環という位置付けです。

ギャレーでの任務は地味で目立つ仕事ではありませんが、
軍隊で最も重要な仕事の一つであることも確かです。

艦艇の乗組員が清潔な食器を使い、十分な食事を取れるようにすること。
さらにその食事がおいしいことは士気を高めるためにも必須ですからね。

その仕事の重要性は強調してもしすぎることはありません。



下士官兵はトレイを手前のラックに乗せて左から右に滑らせていき、
食べたいものをトレイに掬って乗せてもらいます。
自分ですると時間がかかるし、取りすぎたりこぼす人がいるので。

フードサーバーに氷が溜まっていますが、おそらくこの日、
すでにここで食事が行われたのだと思われます。

おそらく大人数のキャンプがここで朝ごはんを取り、その際、
サラダ、果物、ヨーグルト、ジュースなどがセットされていたのでしょう。

飲み物はコークよりペプシ派らしく、ペプシと書かれたラックが見えます。


この鍋つかみ、対象になるものがないのでわかりにくいんですが、
子どもの頭ならすっぽり入りそうなくらい巨大です。
親指のところに小さな手なら全部収まってしまいそう。
こんなものをどうやって使っていたのか・・・・。


ギャレーの隅には年季の入っていそうな星条旗が立ってしました。
絶対これは何か歴史的に意味のある旗に違いない。


その横のプラークですが、直接は「リトルロック」とは関係ありません。

The U. S. Navy Space Surveillance System
アメリカ海軍宇宙監視システム 

を意味するものです。

文字通り宇宙を監視するシステムで、そのステーションは
米国南部を横断する大圏経路上に7つ存在します。

決して最近できたものではなく、1961年中央の560kw送信機が稼動し、
4つの受信サイトすべてにナローバンド受信装置が設置されました。

システムは1日に約700回の観測を行い、
100個以上の軌道天体の軌道要素を作成しています。

2つの連続したパス、軌道の2つの側からのパス、そして最後に
数日間の観測を使った差分補正コンピュータプログラムによって精緻化され、
世界中のどの場所でも使用可能な軌道要素というシステム出力が得られ、
その精度は、現在、
安定した衛星の通過を1週間先まで1秒以内に予測できる
ほどにまで高められているということです。

こういうのを海軍がやってしまうあたりがアメリカですね。

ちなみに、つい最近聞いた話ですが、アメリカ全軍は、
今戦闘部門の規模がどんどん縮小されていく傾向にあり、
拡大しているのは宇宙軍だけだということです。



続く。




チーフズ・メス〜ミサイル巡洋艦「リトルロック」

2024-11-13 | 軍艦

バッファロー軍事海事公園に展示されている、
ミサイル巡洋艦「リトルロック」内部を見学しています。


この区域には、もう一つ特筆すべき施設があります。

それが冒頭写真のミサイルウォーヘッドハンドリングルーム、
弾頭取扱室です。

ミサイルルームを探訪した時にも紹介しましたが、タロスミサイルは、
用途に応じて通常弾頭と核弾頭を使い分けていました。

この区画では、そのどちらもが準備されていました。

画面の床に見える大きな穴は、弾頭の移動路であり、
弾頭はここを通ってこの下のマガジンに収納され、
また、そこから取り出してくることになります。


左側にはロッカーや棚が並んでいますが、
今となっては何があったのかわかりません。


「コミニュケーション・プラン」を記すCPO専用ボード。

CIC「使用中」「常時」「ラインメンバー」「AMPS」とありますが、
ちゃんと書かれているのはこれだけです。

一番左のRHSやCHなどの略語ですが、CHはおそらくチーフ、
つまり自分たちの持ち場を書き入れていたのかもしれません。

あと、SPAはおそらくスペシャリストの略で、
SPSは同じスペシャリストの中のスーパーバイザー(監督)です。



それより、ボードには後からここを訪れて、落書きを許された?
元乗組員のサインが目につきます。

B・キャメロン RDSN 1959−1962

J・ティラ 1959-1963 RDSN

RDSNとはRADAMAN SEAMAN、つまりレーダー通信兵です。

ヘイズ OSS 66-69

OSSはオペレーションズスペシャリスト シーマン

いずれにしても、展示艦になってからヴェテランが書いたものでしょう。


24時間時計と照準器が壁に備え付けられています。
これ見てあー今フネ傾いてるなー、って理解しろってか。
そんなこと体感でわかるような気がするんだけど。


赤い色・・ということはきっと消火設備。


Aqueous Film Forming Foam 水性発泡体
(AFFF)


AFFFは「AトリプルF」と発音します。
水と混合して可燃性液体火災に散布される消火剤であり、
油やガソリンに浮く泡の能力からライトウォーターとも呼ばれています。

写真左側の棚のブルーのボトルには「ライトウォーター」の文字が見えます。

同じ消火剤として、プロテインフォームというのもがあります。
材料は天然タンパク質・・・実は動物の血液がベースです。
こちらは合成フォームと違い、生分解性という性質を持ちます。

環境にやさしい・・・?

AFFFは、このプロテインフォームに取って代わるもので、
血液をベースとしたプロテインフォームとは異なり、
泡に空いた穴がひとりでに塞がり、再燃焼を防ぐ自己修復作用があります。

基本的に水ベースであり、アルキル硫酸ナトリウムなど、
炭化水素ベースの界面活性剤や、フッ素系界面活性剤が含まれていて、
残念ながら火を消した後は有毒な地下水汚染物質となります。

しかし不発弾やその他の物質を冷却し、爆発や燃焼を防ぐのにも効果的で、
軍艦内の戦略的な場所に数多く設置されています。


AFFF周辺の畳まれたホース。


エリア08というこの区域にCPOのギャレー(キッチン)があります。
下士官つまりE-7からE-9ランクのための調理室です。



繰り返しになりますが、このレートは

E-7 1等軍曹
E-8 曹長
E-9 上級曹長
E-9 最上級曹長


を意味します。
ちなみに彼らのお給料ですが、2024年現在のE-7ランクで、

$43,498.80 〜$78,188.40 (勤続26年)
=6.776.460.56円〜12.180.579.89円

これは基本給で、これに訓練手当て(ドリルペイ)、
危険手当て(ハザードペイ)、住宅手当などがつきます。

今は円安なので、ものすごい高給に見えますね。
危険手当ては月240ドル、訓練手当ては120ドル〜217ドルです。



ところでCPO専用のギャレーについて言及すると、国の彼我を問わず、
海軍というところは食事が美味しいと相場が決まっているので、
当然ここでもアメリカ規格でたいへん美味しいものが提供されてたはずです。

そして、曹長専用食堂のことをチーフズ・メスといい、そこで働いているか、
特別な許可がない限り、チーフ以外の立ち入りは禁止されていました。


クルーズ・メス(兵員用食堂)の手前には、
「リトルロック」の姉妹艦コーナーがあります。



ここにある説明ですが以下の通り。

1950年代、「ガルベストン」級と「プロビデンス」級は、
「クリーブランド」級の改造を低コストで行うことを目的としていた。

これらの艦は、構造的には互いに似ており、
唯一の
違いは搭載する誘導ミサイルの種類であった。

「リトルロック」は世界で最後の「クリーブランド」級巡洋艦であるため、
この区画は、他の改造「クリーブランド」級巡洋艦に捧げられている。


「ガルベストン」級巡洋艦
タロスミサイルシステム搭載

USS「ガルベストン」
CL-93、1946年/CLG-3、1958-1973年

USS「リトルロック」
CL-92、1945~1949年/CLG-4、1960~1976年

USS「オクラホマシティ」
CL-91、1944~1947年/CLG-5、1960~1979年


「オクラホマシティ」の時鐘、写真、盾など。

「プロヴィデンス」級巡洋艦
テリア ミサイルシステム搭載


USS「プロビデンス」
CL-82、1945年-1949年 / CLG-6、1959年-1975年

USS「スプリングフィールド」
CL-66、1944~1950年/CLG-7、1960~1975年

USS「トピカ」
CL-67、1944~1949年/CLG-8、1960~1973年


ここにはいわゆる「改造クリーブランド級」グッズがあるそうですが、
見たところほとんどが「オクラホマシティ」のもののようです。

野球のユニフォームですが、どこの艦でしょうね?



右下の「ライフ」表紙は、艦砲射撃を行っている「オクラホマシティ」です。

「オクラホマシティ」は、太平洋艦隊において、
初めてタロスミサイルの実戦発射に成功した艦となり、
横須賀を母港とする第7艦隊旗艦としてベトナム戦争に参加

この写真は、1965年6月、ベトナム戦争における南シナ海で、
艦砲射撃真っ最中の「オクラホマシティ」の勇姿を捉えたものです。


続く。





「下士官の誓い」と「リトルロック」最後の日〜ミサイル巡洋艦「リトルロック」

2024-11-10 | 軍艦

ミサイル巡洋艦「リトルロック」艦内に入り、
セカンドデッキ(メインデッキの一階下)を艦尾から見学しています。



今日はチーフ・ペティ・オフィサーズ・クォーターズです。

Chief Petty Officerとは日本語だと上等兵曹でしょうか。
米海軍では、この階級の略称はCOとなります。
チーフ・ペティ・オフィサーについては、

「時間と訓練を経てE-7以上の階級になった下士官」

とこのコーナーには書かれています。

Eというのは下士官の階級のことですが、英語では「レート」と言います。

「レート」とは、入隊した水兵が指揮系統のどの位置にあるか、
どれくらい給料をもらっているか一目で指し示す指標となります。

アメリカ海軍の階級は「ランク」と「レート」で表されます。

日本語ではこれが一律「階級」で括られますが、アメリカ海軍では
基本的に「ランク」という言葉が使われるのは士官だけで、
下士官兵には「レート」が適用されることになっています。

ご注意いただきたのは、アメリカ軍についてご存知の方なら
一度は耳にする言葉、「レイティング」との違いです。

「レート」”rate" は、海軍の下士官の職業専門分野を指す
「レイティング」”rating"とは全く別の意味を持ちます。

「レイティング」とは、整備士とか管制官とか、写真家とか料理とか、
暗号とか爆発物処理とか音楽とか、ともかく専門の技術のことをいいます。

↑バッジの意匠を見ているだけで楽しめます

話を元に戻して、Eランクは1から9まであり、
大きく3つに分けることができます。

E-1からE-3 兵卒・一等兵・上等兵
Seaman

E-4からE-6 伍長・三等軍曹・二等軍曹
Petty Officer

そしてこのクォーター(コーナー)には、Eクラスの最上級である

E-7からE-9 一等軍曹・曹長・上級曹長
CPO/ SCPO/ MCPO/CMCPO

がいたというわけです。

ちなみに、士官と下士官兵の間には、准尉、
ウォラント・オフィサー
がいます。

よく艦を一つの会社に喩えるなら、チーフというのは部長に当たる、
と言われますが、以前「曹長に聞け」という項で紹介した、
いわゆるCPOジョークを見る限り、この人たちの存在感はすごい。

自らを海軍のスーパーマン、神、と称しており、その自己肯定感、
万能感においても凄まじいものがあるということもわかります。

彼らは士官と下士官兵の間に立つ「仲介役」であり、
その階級における技術専門家であるので、文字通り「要」の立場です。


ここはCPOの寝台設備があるところで、これまで当ブログでも
「バーシング」Berthingとして説明してきましたが、
元々「BERTHING」バーシングという言葉は、
ラテン語で「運ぶ」という意味を持っており、それから派生して、
船や列車の2台、または港、港湾設備にある、
船舶を係留するために特別に使用される停泊所を指す言葉です。

つまり下士官の「停泊所」ということですが、
この用語が海軍だけで使われているのは当然のことです。

この周囲が「CPOの停泊所」であるわけですが、
グレーの扉の向こうには何があるのか「開かずの扉」となっています。

で、その「立ち入り禁止」の手書きの紙の下に見えているのが、
有名な「CPOの誓い」The Chief Petty Officer's Pledgeです。

ここではその半分しか見ることができませんが、
有名なものなので検索すれば全文が出てきます。

下士官の誓い

私は米国海軍の下士官です

私は、誇りと名誉をもって、祖国とその国民に奉仕します

私は特別な便宜を図りません

私は物事を成し遂げ、自分にできる最善を尽くします

私は、世界でも類を見ないリーダーシップを任されています

私は下士官を育て、水兵を育てます

私は全ての水兵の行動に全責任を負います
なぜなら、これら水兵は将来の下士官の”種”だからです

私は、名誉、勇気、献身という海軍の基本的価値観に従います

私が模範を示します

私が行動基準を定めるのです

水兵は生徒であり、私はその教師です

私は、若い男女の人生を導き、影響を与えます

最終的には、私が船員たちの資質を決めるのです

彼らが私を尊敬するのは私が彼らに威厳と敬意をもって接するからです

彼らがリーダーを必要としているからこそ私は彼らのために存在するのです

なぜなら、
After all...

私はアメリカ合衆国のチーフ・ペティ・オフィサーなのですから
I am a Chief Petty Officer in the United States Navy.

After all は「結局」と訳すより、こちらの方が適切かと思いました。



大きなパネルに展示された舫結びの数々。
寄贈したのは写真の元CWO(チーフ・ウォーラントオフィサー)、
マーヴィン・カレー元准尉です。

バッファロー・ネイバルパークの公式が、
この人の記念碑をインスタに挙げていました。

Marvin ”Joe"Curry、CWO

マーヴィン・"ジョー"・カリーは退役軍曹(CW2)であった。
海軍のハードハット(サルベージ)・ダイバーで、
朝鮮戦争とベトナム戦争に従軍し、兄のウィルバーは戦死した。
ジョーは1969年から1972年までUSS「リトルロック」の乗組員だった。

海軍を退役後、1977年から1995年まで、
ここバッファロー海軍軍事公園の初代監督官を務めた。

ジョーは
セネカ族のスナイプ・クランの一員で、
カッタラウガス準州で生まれた。
彼はイロコイポスト#1587のメンバーで、いくつかの役職を歴任した。

セネカ・ネーションは、ジョーと他の先住民の退役軍人を称えるために、
毎年ニューヨーク州サラマンカで
マーヴィン"ジョー"カリー・ヴェテランズ・パウワウ大会を開催している。

後半はいかにもアメリカですね。
カリー准尉は、イロコイの一族であるセネカの出身だったようです。

後半に出てくる「パウワウ大会」は何かというと、
ネイティブインディアンの踊りによる集会、祭りを指します。

パウワウ

コミュニティでカリー准尉の名がよく知られているわけは、
ネイティブアメリカン出身の海軍軍人として、
インディアン出身の退役軍人にカウンセリングを行ったり、
セネカ族の伝統、習慣、文化を伝える役割を果たしたからでした。



「リトルロック」クラスの艦内には5〜60人のペティ・オフィサーがいて、
ここは彼らの生活空間でした。

このテーブルで彼らは食事をし、コーヒーを飲んだり、
時にはボードゲームに興じたりしたのでしょう。



テーブルの上方に立てかけてあるこの部分は、テーブルと同じ素材で、
なんか無理やりマークを彫ったのでえらいことになっています。

このマーク、最初はわからなかったのですが、たまたまこの項前半で
「レイティング」のページを見ていて見つけました。


オペレーション(作戦)スペシャリスト(OS)のマークです。

米海軍の戦闘艦に所属する作オペレーション・スペシャリストは、
戦闘情報センター(CIC)や戦闘指揮センター(CDC)、
別名「コンバット」と呼ばれる艦の戦術中枢にいる人です。

OSは、多種多様な装置や装備を駆使し、戦術的戦闘情報を組織的に収集、
処理、表示、評価し、指揮管制ステーションに迅速に伝達します。

CICの物理的空間を維持し、操作する機器の保守管理を行うため、
この等級には、身元調査を経た上でアクセスするステータスが付与されます。



ヘルメットは本物ではなく、おそらく幼児用?のレプリカ。


テーブルには落書きが残されています。


下はちょっと読めませんが、上には、

「AIDは無くなった 1976年11月22日」

と書いてあります。

AIDかどうかは、ピントがボケていて正直よくわからないのですが、
Sも付いていないので後天性免疫不全症候群のことではなく、
(そりゃそうだ)普通に「援助」の意味だと思います。

1976年11月22日。
この日、「リトルロック」は海軍を退役して除籍処分となりました。

うーん・・・もしかしたらAIDって、何か海軍の専門用語?
もしお分かりの方がおられたら教えてください。

にしても、最後の日、艦内に落書きをしたくなる気持ちはよくわかります。


続く。



ローン・セイラー(孤独な水兵)の像〜ミサイル巡洋艦「リトルロック」

2024-11-07 | 軍艦

バッファロー海事軍事公園展示の巡洋艦「リトルロック」。
上甲板のファンテイル部分から階段を一階降りて、艦内郵便局を見ました。

見学路をそのまま艦首側に向かって進んでいきます。


第二次世界大戦時の道具を展示しているという説明がありました。
展示のオープン時間を書く欄がありますが、使われた形跡はありません。


「ディスプレー」というのは、これらのことだと思われます。

水兵の制服、真鍮のランプ、そして軽巡時代、
ミサイル巡洋艦になってからの「リトルロック」の様々な写真。



右は、「リトルロック」が就役した時のパンフレットです。

第二次世界大戦終了直前に最初の就役をした「リトルロック」は、1957年、
ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船公社のヤードに到着し、
1957年1月30日に誘導ミサイル軽巡洋艦への改装を開始しています。

CL-92からCLG-4への分類と船体番号の変更は1957年5月23日に発効されました。

ニューヨークシップビルディング公社における改装中の「リトルロック」
1959年12月10日撮影

改造後のUSS「リトルロック」(CLG-4)の全備重量は15,142トン、
艦隊旗艦として構成されました。

艦砲は従前通りオリジナルのディレクタ・システムによって制御されましたが
ミサイルシステムには新しい武器制御装置とレーダーが組み込まれました。

こうしてタロスミサイル巡洋艦となったUSS「リトルロック」(CLG-4)は、
1960年5月6日にフィラデルフィア海軍造船所に引き渡され、
1960年6月3日に就役したのです。


左側のパンフレットは海軍艦船に乗るともらえる記念でしょう。

上の写真はマッチケースのカバーにプリントされたエンブレムですが、
「リトルロック」のインシニア、文字通りの「タロス」
(ギリシア神話に出てくる意思を持たない青銅の巨人)が、
タロスミサイルを投擲しようと構える瞬間を捉えたデザインは秀逸です。


こちらは「リトルロック」が1972年ごろ使っていたパッチです。
なぜこの時期だけこれが使われたのかは不明です。

このエンブレムに書かれたロゴは、

 PRIDE IN ACHIEVEMENT
(達成する誇り)


この文言も簡潔かつ明確で大変よろしいですね。


古い入隊募集ポスターですが、タロスミサイルがあしらわれているので
おそらくミサイル搭載艦がデビューした頃のものだと思われます。


就役中、「リトルロック」が採用していたプラークは三つありました。

左から、初代の改装前軽巡時代のもの、
タロスの描かれた1965年までのもの、
そしてワシのデザインの1965-1976までのものです。

なぜ1965年にマークが変わったかは謎、と先ほど書きましたが、
あえて想像してみると、この時期、「リトルロック」が
NATO軍部隊に参加することになったことと何か関係あるかもしれません。

これも想像ですが、タロスミサイルの搭載を強調するマークより、
アメリカ海軍の一員であることを強調するデザインの方が
国際部隊の中では受け入れられやすかったからと考えられます。


三つのプラークと共に展示されている水兵の像ですが、
アメリカで軍事博物館を回ると、もうお馴染みというくらいよく見ます。

これは有名な、

「孤独な水兵」LOAN SAILOR

というブロンズ像のレプリカです。

ローン・セイラー


アメリカでは「孤独な水兵」というと、有名なこの像を指します。

彫刻家スタンリー・ブライフェルド作のこの水兵像は、
ワシントンD.C.の海軍記念碑として建造されたものなのですが、
この水兵像がもう今は現役でない海軍艦を使って作られていると聞くと、
なかなか感慨深いものがあります。

そして、その海軍艦は一つではなく、

USS「コンスティテューション」CONSTITUTION
USS「 コンステレーション」Constellation CV-64/CVA-64
USS「メイン」Maine ACR-1
USS「 ビロクシ」Biloxi CL-80
USS「ハンコック」Hancock CV/CVA-19
USS「シーウルフ」Seawolf SSN-21
USS 「レンジャー」Ranger CV-4
「ハートフォード」Hartford steamer

帆船、航空母艦、巡洋艦、潜水艦、そして蒸気船などの艦船、
つまり海軍艦船の歴史を網羅しているということです。

そして、この「孤独な水兵」とは。

大体25歳くらい、早くもベテランになりつつある二等兵曹、
ほぼ等身大の「孤独な水兵」は、誰か特定のモデルがいるのではなく、
できるだけ「どこにもいそうな」人物の再現を目指しています。

全くプライベートな、軍の規律から解き放たれた一人の時間、
かたわらに水兵用のダッフルサックをおいて、
ピーコートの前をはだけ、ポケットに手を入れて立つ姿。

そこには、気負いも衒いもない、素のままの一人の平凡な男がいます。
まさにアメリカ海軍水兵の等身大の図と言ってもいいでしょう。

彼は英雄のように描かれているわけでもなく、かといって、
無論、人生を堕するような失意にあるわけでもなく、
これから故郷に帰るのか、それとも単なる休暇中なのか、
期間が明けて名誉除隊をしたのか、何も読み取ることはできませんが、
この像の前に立つアメリカ人は、おそらくそれぞれが、
この水兵のストーリーを、それこそ人の数だけのバリエーションで
さまざまに思い描くに違いありません。

あるものは父や叔父、親戚を、あるものは息子を、
そしてあるものは自分自身を重ね合わせて。


孤独な水兵像はアメリカ国内だけでなく、上陸作戦のあったノルマンディー、
そして当然のようにハワイのパールハーバーにも置かれています。

各地に立つ孤独な水兵像

孤独な水兵像を就役したばかりの新造艦に寄贈する活動は、
ネイビー・メモリアルがスポンサーを募って行われています。
(寄付金は17,750ドルより)
艦船据付用は高さ30センチほどの小型のものとなります。

現在この像が設置されている海軍艦船は、
ミサイル駆逐艦「トーマス・ハドナー」「ズムウォルト」、
空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」などの現役艦のみならず、
この海事公園に展示されている「ザ・サリバンズ」など記念艦もあります。

■ 🇺🇸49星条旗


孤独な水兵像の後ろに掛かっているのは、U.S.S.「リトルロック」が
1960年6月3日に誘導ミサイル軽巡洋艦CLG-4として再就役する前、
1959〜1960年に航行中に掲揚されていた49スター・エンサインです。

国旗の星の数はアメリカの情勢により変わってきましたが、
この49星条旗にはこんな話があります。

1912年からしばらく星条旗は48個の星でした。
そして、1959年1月にアラスカ州が増えたときに49星となりました。
しかし、同じ年の8月にハワイ州が加わったため50州となりました。

これはどういうことかというと、49スター星条旗は、
アメリカ史上たった7ヶ月だけのアメリカ合衆国国旗だったのです。


隙間に取り留めもなく展示品が並んでいるコーナー。



左右に「ケルビンのボール」を持った形のビナクル
日本語だと磁気コンパス、アメリカではナビゲーターズボールがありました。

ところで、以前調べた時には存在していなかった
「ビナクル」のウィキがいつのまにかできていたことがわかりました。

ビナクル

ありがてえありがてえ。

先日ジミー・ウェールズさんからまたしてもメールが来てたけど、
今度はビナクルに免じてちょっとだけ寄付しておこうかな。(独り言です)

ピナクルにはテプラのようなシールに、

DO NOT CHIP OR SCRAP
↑テプラを再現

と注意書きが書かれています。
削ったり欠けさせたりしないでくださいという意味だと思いますが、
これが現役時代からあったのかどうかはわかりません。


タロスミサイルを模ったものですが、
品質から見て誰かが艦内のワークショップで作ったのではないでしょうか。

おそらくこれから見学コースで見ることになると思いますが、
ご存知のように、大きな軍艦には、艦のために必要なものならなんでも、
大きかろうが小さかろうがその場で作ってしまう工場があります。

■タロスミサイル艦はなぜ巡洋艦だったのか

ところで、いまさらなのですが、どうして「リトルロック」など、
巡洋艦にタロスミサイルが搭載されたのだと思います?

ミサイルを搭載する艦船の条件は非常に限られていました。
とにかく、艦体が大きくなくてはいけなかったのです。

その理由は、タロスミサイルそのものが小型飛行機くらいの大きさであり、
これまでミサイルハウスを見てきた我々にはもう明らかなように、
ランチャーや46発の弾倉等、システムに膨大なスペースが必要となります。

したがって巡洋艦クラスがこれに最適とされたというわけです。


続く。

エリー湖の戦いとペリー代将〜USS「リトルロック」艦内展示

2024-10-13 | 軍艦

USS「リトルロック」の上甲板階に位置するタロスミサイルハウスに
右舷側から入り、左舷側に出てきて、ファンテイルといわれる後甲板で
少年海軍候補生団、NLCCの訓練光景を目撃し、
海軍公式に組織された青少年教育グループについて調べてみました。

今までこんな本格的な教育組織があるとは知らなかったので、
この日彼らを目撃したことは大変ラッキーだったと思っています。

おかげでまた一つ海軍の知識が増えました。

さて、これからいよいよ見学ツァー順路に沿って、
甲板から艦内に入っていくわけですが、


見学エリア#3と称されたところに入っていくには、
ファンテイルのミサイル外側に二つ設置された階段を降りていきます。


その階段というのはおそらく昔はハッチだったところに、
展示艦となってから上部構造を取り付けた状態であります。

床の黄色い線は見学順路。

右側に黒のゴミ袋が見えていますが、これを持っているのは
さっきまでファンテイルで話を聞いていたヤング候補生の一人。
おそらく今日のスケジュールが終わって片付けに入っているのでしょう。

ところで、この階段小屋?の壁に説明があるので見てみますと、
ここがかつてヘリコプターのランディングエリアだった旨説明があります。

「写真が示すとおり、このエリアは「リトルロック」艦載機の
SH-2シースプライトの着艦ポイント並びに倉庫がありました。

ヘリを後甲板に載せた「リトルロック」

この部隊は、

ヘリコプター戦闘支援飛行隊4
Helicopter Combat Support Squadron FOUR


通称「ブラックスタリオン」です。

スマイリングスタリオン


同部隊の駐屯地はイタリアのシチリア島にありました。

また「リトルロック」がオリジナルの軽巡洋艦だった頃、
二つのカタパルトが後方の両舷にあり、これは
SC-1シーホーク(水上艇)のためのものでした。

シーホークは1944年に太平洋戦線のために投入されたので、
1949年にはヘリコプターの登場と入れ替わりに姿を消します。

■ 艦内郵便局


それではいよいよ参る。ワッチユアステップ!


階段を降りたらそこは艦内郵便局でした。
甲板から郵便物を受け取流のには便利な場所かもしれませんが、
今まで見た軍艦でこんなところに郵便局があったのは初めてです。

矢印の方向に「映画鑑賞室」と「メールヘッド」があると書かれていますが、
Male headは「男性の頭」ではありません。男性用トイレのことです。

軍艦の中なので、一般人に対しても海軍隠語で通すつもりのようです。


左の棚の中に見えるカートンボックスには、
「USNSCC」と書かれています。
この意味、前回ログを読まれた方にはもうお分かりですね。

The United States Naval Sea Cadet Corps
アメリカ合衆国海軍候補生隊


であり、甲板で訓練をしていた少年たちのグループです。
NSCCが艦上で訓練するために必要なものが収納されているのでしょう。

棚の上の郵便物は、「リトルロック」現役時代のものです。

郵便物、手紙などは仕分けして右側の仕切られた棚に入れていき、
後でセクション別に配達がされるはずです。


タイプライター、書類収納用のスチールケース、重さを測る秤。
説明がなくとも郵便局であることがわかるコーナーですが、
棚の上の記念切手の拡大をご覧ください。

■ エリー湖の戦い

バッファローネイバル&ミリタリーパークは、
他でもないエリー湖沿いに位置するわけですが、その関係で?
ここに「エリー湖の戦い」記念切手が飾ってあります。



我々日本人には、アメリカとその同盟が、
イギリスおよびその同盟と戦った1812年戦争についてあまり知りません。
(知りませんよね)

北米で領土を広げるイギリスにアメリカが不満を持っていたところ、
イギリスがアメリカの会場貿易を封鎖し、実力行使したことから起こった紛争
といわれていますが、開戦の理由についてはいまだに議論されています。
(現在、英の拡張政策と双方がカナダ併合を狙っていた説が有力らしい)

一部の歴史家は、これを「第二次独立戦争」と呼んでいます。

わたしが今回知ってちょっと驚いたのは、双方に、
テカムセ連合(英)
イロコイ、チョクトー(米)

などの先住民が同盟「国」として戦ったこと、
そして五大湖がこの戦争の大きな舞台となったことでした。

そして、このエリー湖の戦いがなぜ切手になっているかというと、
この戦いで、アメリカ海軍がイギリス海軍を破って湖を制圧し、
イギリス軍からデトロイトを奪回した大きなターニングポイントであり、
アメリカ-イギリス戦争最大の海戦となったからです。

そして、我々日本人がぜひ注目したい人物がここにいます。

切手にあしらわれた絵で、ボートの上からどこかを指さしているのは、


オリバー・ハザード・ペリー代将
Comodore Oliver Hazard Perry(1785-1819)

名前からお分かりのように、日本に黒船でやってきた「蒸気船海軍の父」

マシュー・カルブレイス・ペリー
Matthew Calbraith Perry(1794-1858)


は、オリバーの9歳年下のであり、一緒に米英戦争に参加しました。

ペリー家はロードアイランドに移民した英国移民の家系で、
彼ら兄弟アメリカ海軍司令官を筆頭に、海軍飛行士、政治家、芸術家、
聖職者、弁護士、医師、社交界の著名人を排出しています。

変わったところではポロ選手、ニューヨーク地下鉄を作った人、
高位聖職者、小説家、フォークシンガー、画家などがいます。

そして、真珠湾攻撃が起こったときの駐日大使、
日本に理解があり戦争を避けるための努力を行なったとされる外交官、
ジョセフ・クラーク・クルーの妻アリスはオリバーの孫であり、
オリバーの息子つまりアリスの父トーマスはハーバード大学出身で、
慶應義塾大学で英文学を教えていたという因縁があります。

日本滞在中和室で演奏するオリバーの孫アリスと姉たち
画家だった彼女らの母リラ・ペリーによる作品

ジョセフ・グルー

寄り道を元に戻して。

切手の絵に描かれたシーンですが、
1813年、エリー湖上戦で司令官に指名されたペリー大佐が、
制水権を得ていたイギリス軍に初戦で旗艦「ローレンス」を破壊され、
砲火の下、ボートで1キロ先のUSS「ナイアガラ」を旗艦にするため
乗り移ろうとして「あれな」とさし示している瞬間です。

旗艦となった「ナイアガラ」は大砲で敵船隊を撃破し、戦いに勝利しました。


エリー湖上戦の様子

このときの勝利の大きな要因の一つは、チェサピーク湾、
そしてピッツバーグで鋳造された優秀な武器だったとする説があります。

戦闘に参加した艦船はアメリカ側9隻、イギリス側6隻で、
イギリス海軍はこの全てをアメリカ海軍に捕獲されました。

■米国市民権移民サービス



下の張り紙は、見学者への注意書きです。

安全のため、以下のスイッチに手を加えないでください。
スイッチ、回転バルブ、プルハンドルをいじらないでください!
バッファロー・ナーバル・パークは、安全上問題があると判断した場合、

入場を取り消す権利を有します。

そして上に書かれているのが、以下の説明。

米国市民権移民サービス

バッファロー海軍軍事公園とUSS「リトルロック」(CILG-4)は
20年以上もの間、

米国市民権移民局(USCIS)

米国市民権授与式を誇りを持って主催してきました。
USCISは米国への合法的な移民を監督する政府機関であり、

例年7月の第1週に開催されます。

USS「リトルロック」の後部メインデッキで行われる「宣誓式」には
毎年平均200人以上の帰化市民とその家族が参加しています。


移民局は就労ビザ、亡命、市民権の申請等、

さまざまな移民問題の処理と裁定を行う期間です。

地域の該当者を対象に授与式が行われるわけですが、
横須賀海軍基地でもこのような式が催されていることを知りました。

ズムワルト公使公式ブログ:横須賀での市民権授与式

ズムワルト公使ご自身がスイスからの移民で、
幼少期この授与式を経験していたことも書かれています。

続く。



海軍リーグ士官候補生隊〜USS「リトルロック」

2024-10-04 | 軍艦

バッファローのエリー湖沿いに建つ海事軍事公園。
この展示から「リトルロック」をご紹介しています。

前回までで、「リトルロック」が改装されて搭載した、
タロスミサイルのミサイルハウスやその機構などを見てきました。

ミサイルハウスを出ると、もう一度ファンテールに出るので、
そこであらためてタロスミサイルをうち仰いでみる。(冒頭画像)

ミサイルハウスの説明でも触れたように、このウィングとフィン、
なんと最後の行程で手作業によって設置されるんですねー。

そんなんでいいのか。(素朴な疑問)

というかそれだけ合理的に設計されていたってことなんだろうな。


ちなみにこれはミサイルハウスを出る直前、左側に見える装備。
これは(なかなか資料が見つからず断定はできませんが)、

弾頭トロリー(Warhead Trolley)

と呼ばれるもののようです。

甲板から弾頭が両舷のストライクダウンエレベーターで降りてくると、
空気圧で動く台車に乗せられ、その後弾頭はトロリーで
セカンドデッキ(メインデッキの一階下)でマガジンまで移動させます。

弾頭マガジンは艦の最も最下階に位置します。

必要な時には赤い部分にタロスの弾頭を挟むようにして持ち上げ、
エレベーターのように運んできます。


で、この床の部分がどうなっているかというと・・・。
なんかよくわからないカバーみたいなのが無造作に放置されていますが、
この辺りはアメリカ海軍のデフォなのでお気になさらず。

床全体がハッチとして開閉できることがわかりますね。

このハッチ部分は艦体のちょうど中央部分にあり、
この三階下(セカンドプラットフォーム)が弾頭マガジンとなっています。


マガジンハウスを出ると、そこは上甲板。
エリー湖に流れるバッファロー川の河口です。

向こう岸はエリー湖に流れるバッファロー川の右岸であり、
タイムズビーチ自然保護区として自然公園ありーの、キャンプ場ありーの、
ヨットハーバーもカヤックのランチもと盛り沢山なレジャー地です。



この日は週末でたくさんの人々がクルーズを楽しんでいました。
奥に見える河口を出ると、エリー湖で、半分から向こうはカナダです。

帆を張らずにセイリングしているカタマランは「ムーンダンスキャット」号。
キャビンにはバーがあって貸切すればケイタリングもできる模様。

MoondaceCat

■ミサイル巡洋艦「1」から「73」まで


左舷側のタロスミサイルです。

フィンに書かれた「4」は「リトルロック」の艦番号。
前回は「4」という数字そのものに驚いたものですが、
当艦がタロス巡洋艦に転換してから割り振られたと知って納得しました。

「バンブルビー計画」によって米海軍はミサイル巡洋艦の開発を進め、
その第一陣として「ボルチモア」級中巡洋艦、

CAG-1 USS「ボストン」

CAG-2 USS「キャンベラ」

が1955年に再就役しました。
CAGは重巡洋艦のCAにGuided missileのGを付け足したものです。
これが最初のミサイル巡洋艦として「1」「2」の類別番号を振られました。

ついでに重巡の類別「CA」のCはクルーザー、Aはロンドン軍縮条約で、

6.1インチを超え8インチ以下の艦砲を搭載する
10,000トン以下のの巡洋艦をカテゴリーAとする

とされて以来の類別番号です。
そして、それに続くミサイル巡洋艦が、「ガルベストン」級の軽巡、

CLG-3 USS「ガルベストン」

CLG(のちにCG)-4 USS「リトルロック」

CLG(のちにCG)-5「オクラホマシティ」

の3隻で、CLGは軽巡を表す「Light Armoured Cruiser」に、
ミサイル搭載を表すGを加えたものです。

ついでに6番以降は、テリアミサイル搭載の「プロビデンス」級で、

CLG-6 USS「プロビデンス」
CLG-7 USS「スプリングフィールド」
CLG-8「トピカ」


そして唯一原子力ミサイル巡洋艦でタロス&テリアダブル搭載の

CGN−9 USS「ロングビーチ」

タロスにターター艦対空ミサイル、アスロックと

武器よくばりセット搭載の「オルバニー」級、

CG-10 USS「オルバニー」
CG-11 USS「シカゴ」
CG-12USS「コロンバス」


あとはきりがないのでやめますが「タイコンデロガ」級の末っ子は

CG-73 USS「ポートロイヤル」

つまり、ミサイル巡洋艦は合計73隻存在したことがわかります。


■ファンテイルにて

ところで、ミサイルの下にはラック入りのパイプ椅子が見えますね。


「リトルロック」では、これまで紹介してきた軍艦と同じく、

お泊まりキャンプや結婚披露パーティが行われるのです。

企画ものも多く、例えば「スターウォーズデー」では、昼12時から夕方まで
スター・ウォーズ・キャラクターとのグリーティング、
体験型アクティビティ、工作教室、教育プログラム、
『ローグ・ワン』の上映などで一日楽しめたり、あるいは海軍主催の
リクルートイベント(青少年向け)が行われたりします。



イベントのために、ファンテイルにテントが常設され、
この日はこのあと何か行われるのかテーブルも出ていました。

ところでテントの下に、海軍迷彩の集団がいるぞ?



少年たちをリタイアした下士官らしいおじさんが指導中。
一体この少年たちの正体は?



彼らのいでたちは頭のてっぺんから靴の先まで全くの海軍軍人。
ナンチャッテなどではない、本物です。

よそ見をしているのは誰かのお父さんで、ここにいるだけだと思いますが。



驚いたことに彼らの迷彩にはネームも入っているんですよ。
ちなみに一番左がジャクソンくんであるのは読み取れました。

そして、何人かは「リクルート」と書いたキャップを被っています。

なんとか読み解こうと写真を具に見ていたところ、
一番大きなブルー迷彩の子の右ポケットに、

USNLCC

ジャクソンくんの右側の子のポケットには

USNSCC

と書いてあります。
これでわかりました。

ブルー迷彩の少年たちは、

米国海軍リーグ士官候補生団
United States Naval League Cadet Corps
USNLCC

であり、カーキ迷彩の二人は

米国海軍士官候補生隊
United States Naval Sea Cadet Corps
USNSCC

の、いずれも少年候補生だったのです。
ちなみにブルー迷彩の NLCCはカーキのNSCCのジュニア版で、
前者は11歳から13歳まで、後者には13歳から入団できる決まりです。

上部組織の海軍士官候補生隊から説明します。

■ 
NSCC(海軍士官候補生隊)


米国海軍士官候補生隊(USNSCCまたはNSCC)は、
米国海軍が後援する議会公認の組織です。

海上軍務、米海軍の作戦と訓練、社会奉仕、市民活動に参加し、
規律とチームワークへの理解を目的としています。

NSCCの年齢資格は13~18歳。
1958年、海軍省の要請を受けた米国海軍連盟によって設立されました。

参加者は本物の海軍軍人によるレクチャーや訓練、試験を受け、
一定の条件をクリアすれば、司令官の認証を受けて階級を授けられます。

階級は新兵候補生(写真の『リクルート』の帽子を被った二人)、
Sリクルートから始まり、

【13歳から】

シーマンリクルート(SR) SC-1
シーマン見習い アプレンティス(SA)SC-2
シーマン(SN)SC-3

【14歳から】

3等兵曹(PO3)SC-4
2等兵曹(PO2)SC-5

【15歳から

1等兵曹(PO1) SC-6
曹長(SPO)SC-7

まで昇進することができます。

それでは、SCCCで行われる専門的な訓練をご紹介します。
こんな訓練を少年にさせるとは、さすがはアメリカです。

水陸両用作戦訓練
船舶訓練
沿岸警備隊
FAA地上学校
JAG法務訓練
MAA(海軍憲兵隊に相当)法執行学校
POLA(下士官幹部学校)
シービー(海軍建設大隊)
潜水艦セミナー(基礎および上級)
米海軍シーマンシップ・アカデミー
消火およびダメージコントロール学校
港湾業務
儀仗兵学校
野外医療学校(衛生兵)
サイバーセキュリティ訓練
統合特殊作戦司令部訓練
シールズ訓練
SWCC(特殊戦戦闘乗組員)または "特殊ボート"

EOD(爆発物処理)訓練
AIRR(海軍ヘリ捜索救助スイマー)訓練
高度音楽訓練
陸上ナビゲーション訓練
野外活動訓練
国土安全保障訓練
捜索救助訓練
射撃訓練
遠征戦訓練
海上阻止訓練
国際交流プログラム
フォトジャーナリズム
スキューバ
海軍犯罪捜査局訓練
沿岸河川訓練
現地手配研修
ライフガード
米海軍兵学校夏季セミナー


特殊戦闘とかEODとか、これ本当に10代にやらせるの?

という項目もありますが、そこはそれ、
限りなく本物に近い基礎を学び、雰囲気を知る程度の訓練でしょう。


COVID-19以降は、バーチャル訓練も行われるようになりました。
また、訓練メニューに音楽があるのに気がついた人もいるでしょうか。

USNSCCは三十人編成のマーチングバンドを所有しており、
このバンドは、アメリカ海軍バンド、サンディエゴ海兵隊バンド
第101陸軍予備軍バンド等、全米トップクラスの軍楽隊から訓練を受けます。

自分が海軍に向いているのかを早いうちから知ることもできますね。

また、USNSCCは世界中の他のシー・カデット・プログラムと
国際交流プログラムを実施していて、交流国には、
イギリス、カナダ、オーストラリア、ベルギー、ドイツ、オランダ、
ニュージーランド、韓国、インド、日本、シンガポール、南アフリカ、
スウェーデン、香港、ロシア、バミューダなどがあります。

日本にそんなもんあるのか、と思われます?
多分これのことだと思われます。

公益社団法人日本海洋少年団連盟


■ 海軍リーグ士官候補生隊  NLCC


さて、ジュニア版の士官候補生隊、
このとき「リトルロック」でレクチャーを受けていたグループですが、
11歳から13歳までが参加可能年齢です。

14歳になったとき、NSCCに入隊するわけですが、
もしこの「おためし期間」で俺(私)海軍向いてないわー、
と思ったら、退団すればいいのですから、話が早い。

アメリカという国の軍隊組織を形成するための努力は、
こんなふうに裾野を広く、若い人材を呼び込むことに注がれています。

少年たちが自分は海軍に向いていると思えば、あとは簡単。
そのまま下士官の道へ進むもよし、士官学校入学を狙うもよし。

若いうちからその現場の空気を知ることは組織への理解を深め、
そこで見た専門分野(潜水艦とか航空とか)に憧れを持てば
そのままレールは目標まで比較的わかりやすく連れて行ってくれます。

そして、この組織の上手い?ところは、少年用プログラムと言いながら、
本物と全く同じ制服を着て、階級が与えられ(頑張れば昇進もでき)、
本物の海軍軍人から本物と同じ訓練を受けるという満足度の高さ。

少佐(多分隊司令)から威儀点検中
 むっちゃ怯えてる><

 NLCCの階級は

新兵(LC-1)
見習士官候補生(LC-2)
幹部候補生(LC-3)
3等兵曹(LC-4)
2等兵曹(LC-5)
1等兵曹(LC-6)
上等兵曹(LC-7)


とこれも同じ。

3年間でCPOになれる子は超逸材だ。

さて最後に、 NLCCで体力テストに合格するための指標を書いておきます。

一番軽いと思われる、10歳女子のマトリックスは、

ボード
(うつ伏せに寝て肘を立てて体で三角を作り何秒耐えられるか)

優秀:2分10秒
良好:1分40秒
普通:1分00秒
可:0分45秒

腕立て伏せ

優秀:20
良好:13
普通:9
可:7

1マイル(1600m)走

優秀:9分19秒
良好:11分22秒
普通:13分00秒
可:14分00秒

ちなみに男子候補生の17歳、18歳の部では、
腕立て伏せは優秀53回、最低ライン28回となり、
1マイル走足切りタイムは9分45秒となります。

さて、あなたは今の体力でこの記録をクリアできますか?


続く。





チェックアウトまで@ミサイルルーム〜タロス巡洋艦「リトルロック」

2024-09-21 | 軍艦

タロス巡洋艦「リトルロック」のミサイルルームシリーズ最終回です。

このシリーズでご紹介しているビデオは「オクラホマシティ」の映像です。
それではビデオの続きを見ていきましょう。

前回、ミサイルは弾倉からクレーンとクレードルで移動し、
レディ・ミサイルルームでブースターと嵌合させられ、天井のレールで
最終エリアまで移動すると言うところまでお話ししました。



そこは「ウィング&フィンルーム」「チェックアウトエリア」とも呼ばれ、
ミサイルをランチャーに送り出す最後の工程が行われます。

Talos Missile Handling • Cruiser Installation

ビデオは10:10〜からご覧ください。



(ドアが開き)
ミサイルは秒速12フィートでウィング&フィンエリアに移動すると、

クルーは迅速にウィングとフィンをミサイルとブースターに取り付け、



ウィングとフィンが手動で取り付けられた状態



アーミングプラグが取り付けられると、ミサイルは準備完了だ。

アーミングプラグとは、安全上機能が停止されているハードウェア
(飛行するもの)を有効にするため取り付けるプラグのことで、
ミサイルや爆弾の場合、プラグを取り付けることで初めて爆発可となります。

航空機でカバーや安全装置の「はずし忘れ」を防ぐための
「Remove before Flight」タグとは反対の発想です。


ウィング&フィンエリアは、右舷側の通路を歩いていると、
目の高さに床があって、ガラスで覆われた窓を通して見えます。

ウィングとフィンが取り付けられると、クルーは安全のため、
金属スクリーンの後ろに回り、フットスイッチを押します。
(ミサイルの移動経路に人がいるとウィングやフィンに当たるため大変危険)


ブラストドアが開くと、ローダーレールがランチャーアームまで伸びていく。


ちなみに写真は「リトルロック」現役時代のブラストドアです。

アメリカ海軍が何につけても装備をラフに運用するのは周知の事実ですが、
それにしてもこの汚さはいかがなものか。

一回運用するだけでミサイルの排気?をまともに受けるので、
いちいち綺麗になんかしてられっか、みたいな意思を感じますね。



今は嘘のように綺麗な状態に塗装されています。
ブラストドアは下のドアが先に下向きに、
後から上のドアが上向きにスウィングして開きます。

ブラストドアは油圧式で、その動きは非常に早く、
ミサイル・ハウスの外のドアの前に万が一人がいようものなら
巨大な下側のドアが開くと同時に圧縮されてしまうでしょう。

そのため、非発射試験中はミサイル・ハウスの外に監視員が配置され、
ドアが開く前に周囲が安全であるという確認がされました。

外といっても甲板の上に立っているのではなく、
発射訓練中は、メインデッキから1フィートほど上に伸びた
ファンテール上の小さな装甲「ハウス」にある窓から監視が行われました。

また、ミサイルハウスの表面には狭い回転窓があり、
そこにも監視員がいて、ファンテイルの監視員には見えない部分、
発射装置とハウスの間の領域を見ることができた。

この窓は、ミサイルが発射される前に装甲カバーの後ろで回転して閉じます。

そして、ミサイルはランチャーまで運ばれる。


両側のミサイルがランチャーに向かってブラストドアから出てきました。

ランチャーのレールとエリア1のレールの間には、
発射レールが延長してミサイルを前に送ります。

ミサイルがランチャーに移動し、ブラストドアが閉じると、
兵器管制と誘導コンピュータがランチャーとミサイルの制御を引き継ぎます。



ブラストドアが閉まると、ランチャーは旋回を始め、上昇する。

ターゲットに向かって「撃(て)ー!」

タロス、核弾頭を持つ装備は空に向かって放たれた。
我が艦隊を、そして我が祖国を守るために、
タロスはいつでも準備されている。

(終)

とかっこよく終わったわけですが、残りの写真を見ていきます。


ブロウアウトパッチ。(表示通り)


「マニホールド」とは、シリンダー機関の吸気管や、
油圧、空気圧回路の配管をひとまとめにしたものです。

ミサイルを動かすためのリボルバー式回転機の圧縮窒素の配管図のようです。
出口近く(左舷側)にありました。


貼り紙にはミサイルルームの各エリアの基本的任務が書かれています。



ミサイルルームの指令はこの電話を通じて受けていたようです。
このコーナーはミサイルルーム出口近くにありました。



試射における各ミサイルのデータ一覧表。

ミサイルのタイプ、弾頭の種類、バッテリー、TOD、最終チェック日、
次回チェック予定、GO/N0-GO、などなどがメモされています。

最後の任務日から消されずに残されていたものかもしれません。


これでミサイルルームの中を見終わりました。
中を一周して、入ってきたところと反対にあるドアから出ていきます。



通路にはちゃんとアンカーのマークが記されていました。
ここを出ると、ミサイルの発射孔があるファンテイル部分になります。


続く。


レディサービスエリア出発 ミサイルルーム〜タロス巡洋艦「リトルロック」

2024-09-15 | 軍艦

エリー郡バッファローにある海事軍事公園の展示から、
タロスミサイル巡洋艦「リトルロック」のミサイルルームを紹介しています。

ここでタロスについて”ちょっと深掘り”(つまり浅堀り)しましょう。

タロスミサイルは正式にはRIM-8 TALOS といい、
世界で唯一アメリカ海軍で1958年から79年までの間運用されました。
ほぼ20年間だったわけで、その存在は、

バンブルビー作戦

という対空防衛を目標とした地対空ミサイル(SAMs)開発の、
ある意味最終成果物と言うべきものです。

前にも説明していますが、「タロス」(英語発音はテイロス)は、

「クレタ島を毎日三回走り回って警邏し、船が近づくと石を投げつけて破壊
不審者を見ると身体から高熱を発し、赤く熱した体で抱きついて焼く」

と言うギリシャ神話の意思を持たない(これが怖い)青銅の人形のことです。

他にも米海軍は「ターター」(タルタロス、奈落の神)
「タイフォン」(テューポン、ギリシャ神話のラスボスでゼウスに勝った)
と、やばい奴の名前ばかりを、好んでミサイルにつけております。


バンブルビー作戦は、ドイツ軍のHs 293(ヘンシェル)ミサイル
ルールシュタール/クラマーX-1、そしてなんといっても、
沖縄戦で米海軍を恐怖に陥れた神風特攻への対策として生まれ、
対空武器の開発にアメリカ海軍は16年を費やしました。


全長9.9メートル、3.5トンのミサイルは小型戦闘機の大きさに匹敵し、
「ガルベストン」「リトルロック」「オクラホマシティ」の
3隻からなる「ガルベストン級」に最初に搭載されました。

■ タロスミサイルと実戦

タロスミサイルの地対空バージョンはベトナム戦争で使われ、
USS「シカゴ」と「ロングビーチ」が計4機のMiGを撃墜しています。

1968年5月23日、「ロングビーチ」から発射されたタロスによって
約65マイルの距離からMiGを撃墜したとき、これは、
史上初の艦船から発射されたミサイルによる敵機撃墜となります。

この時の命中弾は、破片の中を飛んでいた別のミグも破壊しています。

1968年9月「ロングビーチ」は61マイル先のミグを撃墜。

1972年5月9日、「シカゴ」の前方タロスがMiGの長距離キルを達成。

ベトナムでの「シカゴ」「オクラホマシティ」「ロングビーチ」は、
北ベトナムのSAMレーダーを攻撃し、
「オクラホマ・シティ」は1972年、RIM-8Hの戦闘射撃を成功させて、
米海軍史上初の戦闘用地対地ミサイルの発射を記録しています。


さて、見学者は左下から入って反時計回りに内部を歩くのですが、
入室してすぐのところに名メイティング(嵌合)エリアがあります。

写真による弾頭組み立てエリアの説明

タロスミサイルは核弾頭と通常弾頭が使い分けられられますが、
その換装が行われるのも、ここ弾頭組み立てエリアです。


核弾頭から通常弾頭へ、またその逆に換装する場合、
使用するミサイル弾頭は天井クレーン(D)により、
下の弾頭取扱室からデッキハッチを通って吊り上げられます。

クレーンは頭上のトラック(E)に沿って弾頭を
ミサイル・アセンブリおよびブースターと結合させます。

その後、ストライクダウンカートがミサイルをレディエリアに戻します。

その後ミサイルは頭上のレールに乗って発射アームに移動します。
ここでは最終工程としてミサイルにフィンが取り付けられるので、
「フィン・ルーム」と呼ばれています。

今日はラックがレールに取り付けられて移動し、
フィンルームに行くという部分についてです。





レディサービスエリアに運ばれたブースターは、嵌合スタンドに位置され、
ミサイルと組み合わされてクレーンで持ち上げられ、
上のレディサービストレイに収納されます。


赤い目盛りのついた計器には、

NAVY CALIBRATION PROGRAM(海軍点検プログラム)
CALIBRATED(計器の点検済み)

と書かれたシールが貼ってあり、左の機器には

⇩DOWN

右には

NEUTRAL
BRAKE OFF

とあるので、おそらくミサイルを持ち上げるクレーンの操縦器でしょう。


クレーンの操縦レバーそのものはその下方赤丸で囲んだ部分にあります。

Talos Missile Handling • Cruiser Installation

ビデオは7:49からとなります。
前回同様、ビデオの説明を翻訳した文は青色で示します。

レディサービスエリアのミサイルがテストで必要となった時には、
レディサービスクレーンによって収納トレイから取り出され、
嵌合ステーションに配置される。


ここでブースターは切り離され、そしてレディサービストレイに戻される。



パワーカートでミサイルをチェックアウトエリアに移動させるが
そこでは
「TATI」テスターのケーブルが接続される。

途中で見つけたパワーカートそのもののテスト指標

「TATI」とは
TALOS Tactical Tester Equipmentを意味する。

テスターは各テストセットが自動的に実行され、
テストが正しく迅速に終了すると、
障害分離パネルの50個の赤いライトが消える。

全てのテストが完了したとき、緑のメインゴールライトが点灯する。



この時ミサイルが準備OKとなるのである。

その後、ミサイルはもう一度レディサービスエリアに戻され、

そこでブースターと嵌合されてそしてもう一度トレイに収納される。

この状態

いつでも発射可能なミサイルが装填された準備サービストレイは、
リボルバーのシリンダーとほぼ同じ仕組みでローテーションされ、
銃のチェンバー(薬室)と同じような状態になる。

つまり、このラック群が前回も説明したように全体で回転し、
必要なミサイルのラックを上のレールの真下に来るよう持ち上げるのです。



トレイはリモートコントロールパネルで任意に選択することができ、
その時特別なオーダーは必要なく、任意のミサイルをランダムに選択できる。

ミサイルの発射を選択すると、トレイは位置を定め、
ローダーレールが準備される。

するとセンタートレイホイストがミサイルをローダーレールまで持ち上げ、
レイルはミサイルのブースターシューズ(フック鉤)に取り付けられる。



奥にある黒いドアは「ファイアドア」といいます。



ファイア(発射)ドアが開くとセンタートレイが下に落ち、
ミサイルは秒速12フィートで
(結構速い)移動を始め、
ウィング&シン(Thin)エリアまで運ばれていく。



この図ではエリア1になります。




続く。




各国海軍はなぜ日本に集結したのか〜K氏提供写真その2

2024-09-01 | 軍艦

Kさん提供による各国海軍軍艦写真、続きです。



ドイチュ・マリーネの「バーデン・ビュルテンベルグ」と同じ岸壁には

🇯🇵「むらさめ」JS Murasame DD-101
🇯🇵「おおなみ」JS Oonami DD-111
🇯🇵「ゆうぎり」JS Yugiri DD-153

が肩寄せあうように並んでいます。
「ゆうぎり」は給油中。


横須賀のいつもの顔、
🇺🇸「チャンセラーズビル」USS Chancellorsville CG-62

・・・ではありませんでした。


わたし同様ご存知なかった方もおられると思いますが、この艦は

🇺🇸 ロバート・スモールズ (USS Robert Smalls, CG-62)


にいつのまにか名前を変えていたのです。

2023年2月)

元の艦名は、南北戦争中のチャンセラーズヴィルの戦いに由来しており、
南軍が勝利を収めた戦いに因んで命名された数少ない艦だったのですが、
ロバート・スモールズ下院議員に因んだ名前に改名することになりました。

スモールズは、サウスカロライナ州で生まれた元奴隷の下院議員です。


南北戦争中の1862年に南軍に徴兵された後、
南軍の蒸気船「プランター」を家族や乗組員と共に鹵獲して脱出し、
「プランター」とその搭載物資を米海軍に引き渡したことで知られ、

その後北部の英雄となったことから政治家まで上り詰めました。

「ヘイト南軍が勝利した戦いの名前など軍艦に残す必要なし!」
「何なら南軍を裏切って北軍に協力した黒人議員の名前に変えろ!」


とポリコレ界隈がゴリ押しした結果に違いありません。
しかし、みなさん、そういうポリコレ的斟酌なしで公平に見たとき、

「チャンセラーズビル」
「ロバート・スモールズ」


どちらが軍艦として「らしい」名前だと思います?


以前もほぼ同じ岩壁に係留されていた記憶があるカナダ海軍の

🇨🇦「バンクーバー」HMCS Vancouver, FFH 331

「ハリファックス」級フリゲートの2番艦です。
前も思いましたが、カナダ海軍の艦体のグレーはかなり青みがかっています。


同じくカナダ海軍の「ハリファックス」級12番艦

🇨🇦「オタワ」HMCS Otawa FFH-341

前回は同級の「ウィニペグ」「モントリオール」が来ていた記憶。
同級はカナダの都市名を艦名にしています。



シンガポール海軍は比較的よく来日している印象があります。
「フォーミダブル」級(『トライデント』級とも)フリゲートの5番艦、

🇸🇬「ストルワート」RSS Stalwart72




ちな「ストルワート」の義兄弟(Kさん談)

🇯🇵「くまの」JS Kumano, FFM-2


この、どこを見ても新しい?形の給油艦は、ニュージーランド海軍の

🇳🇿HMNZS「アオテアロア」Aotearoa (A11)

HMNZSは、His Majesty's New Zealand Shipの略です。
前回来日してわたしも見学しましたが、その時は「Her Majesty」でした。



ニュージーランド海軍の正式名はRoyal New Zealand Navyです。
こうしてみると、RNZNの艦も青みがかっていますね。
もしかしたらイギリス系の艦の傾向なのかな。

■ 8月25日の横須賀


いつもは我が自衛隊の空母(じゃないけど)が係留されている岩壁に
なんとイタリア海軍の空母と駆逐艦が!



向こう側は空母「カブール」と一緒に来航したイタリア海軍のフリゲート、

🇮🇹「アルピーノ」Alpino F581



🇮🇹空母「カブール」Cavour C550

この大きさで軽空母です。
でも、「いずも」と比べて3000トンしか違わないらしいです。
(『しか違わない』じゃなくて『も違う』という説も)

「ジュゼッペ・ガリバルディ」に続くイタリア海軍2隻目で、
現在唯一所有する軽空母となります。



上から見るとこんな。
固定翼機はスキージャンプ勾配から発艦する仕組みだそうです。


勾配の上部から甲板を見たところ(wiki)
傾斜角は15度です。


甲板に居並ぶハリアーIIとヘリ。
ヘリの機体に、中心が緑の赤いラウンデル(国籍マーク)が見えています。


「カブール」はオーストラリアやグアムに寄港しながら共同訓練を行い、
8月22日から27日まで横須賀に寄港していたそうです。



おお、旭日旗とイタリア海軍旗がこの横須賀で並んだのは、
少なくとも初めてではなかったはず。
(井上成美大将の話にもありましたね・・伊軍への評価は辛辣でしたが)
イタリア空母打撃群の来日は史上初ということでした。

このときは、日独伊で共同訓練も行われたということで胸熱です。

こちらに並んでいるのはもしかしたら「ライトニングII」?
消去法で言っていますので例によって間違えていたらすみません。


下から艦首を眺めたところ。



ここ、いつもは「いずも」(韻を踏んでる)の定位置だったはず。
それでは「いずも」はいずこ?(韻を略)


「いずも」はここでした。
「カブール」に定位置を開け渡してその間沖に停泊していたそうです。


何とフランス海軍までがアンシャンテ。
「アキテーヌ」Aquitaine級フリゲート艦の5番艦、

🇫🇷「ブルターニュ」Bretagne D655




「ブルターニュ」艦尾部分に翻るトリコロールが美しいですね。

艦尾に「NO TUG」と読めます。
母国語を愛することにかけては世界一を自任するフランス人なのに、
軍艦では流石に「公用語」として英語を用いると知った一枚です。

ところで、どうしてこの夏、こんな賑々しい国際観艦式状態になったか、
理由がわからずKさんにお尋ねしたところ、近隣での訓練(リムパック)、
友好行事等で来日していた(墨・土海軍)、そして台風、
いろいろな理由が重なり「たまたま」そういうことになったそうです。

海自広報も「補給と休養のため」と説明しましたが、だが待ってほしい。
それは表向きで、パンダ(プーかも)と黒電話への示威を兼ねていたのでは?

まあ、それが計画だったか、単なる偶然だったかはともかく、
これがこちらチームの結束を見せつける結果になったのは間違いありません。


我々日本人にとってはこの集結が心強く感じられるものでしたし、
各国ネイビーたちも一堂に集結して、海軍同士の絆を一層深めたことでしょう。

■ 「アメリゴ・ヴェスプッチ」



最後に、息を呑むように美しいイタリア海軍の練習帆船、

🇮🇹「アメリゴ・ヴェスプッチ」Amerigo Vespicci

をご紹介します。
ご存知のようにアメリカ大陸を発見したとされる人の名前を持つこの帆船は、
2023年7月から31カ国に寄港するワールドツァーを行なっています。

1931年に進水(90歳)、全長101メートル。



船首部分。
さすが帆船、装備品入れも木製なんですね。



マストに上るのは練習生の最初の難関に違いありません。
メキシコ海軍、イタリア海軍ではなぜ帆船を士官候補生教育に用いるのか。

 1931年以来行われている古代の公開術では、
六分儀で太陽と星を観察したり、海岸の地点の光学測量で現在船位を知ります。
このようにして、伝統と革新を継続的に比較応用することで、
将来の士官たちは海の上での確かな認識と自信を得ることができるのです。


気が遠くなりそうな数の舫が檣に。
一本一本が船の動力である風を帆が受けるための大事な部分です。

帆は24 枚、そして舫の全長は34 km以上に上ります。



きりりとした表情の警衛。

さすがはファッション王国の軍服、デザインが美しい。



一般公開の日は上陸が許されていた模様。
「銀座にでも行くのかな」とKさんは書いておられましたが、
この格好で街中を歩くのはさぞ暑かっただろうと同情します。



寄港地の翻訳とともに紹介される「アメリゴ・ヴェスプッチ」のモットーは、

Non chi comincia, ma quel che persevera
「始める者が誰かではなく、誰が続けることができるかだ」

これはレオナルド・ダ・ビンチの言葉です。
ある人が彼に向かって

「始めが良ければもう途中まで終わったのと同じ」

と言ったことに対する返答であると言われています。

経験を始めることはもちろんであるが、目標を達成するために
一貫性と粘り強さを持って耐えることが基本的に重要である。


これがイタリア海軍の士官候補生に与えられる最初のメッセージなのです。


最後になりましたが、史上稀に見る過酷な暑さの中、
これだけの船を追いかけて写真を撮ってくださったKさんの熱意に敬礼!

シリーズ終わり



各国海軍はなぜ日本に集結したのか〜K氏提供写真その1

2024-08-30 | 軍艦

MKの卒業式が終わってすぐ帰国していましたが、最近アメリカにおります。

こちらにいる間、Kさんが来日した外国艦の写真を送ってくださっていたので、
今日はこれを皆様とシェアさせていただくことにしました。


撮影場所は横須賀、7月4日のアメリカ建国記念日のために満艦飾にしている

🇺🇸USS「ミリアス」Milius DDG-69

「アーレイ・バーク」級ミサイル駆逐艦で、ベトナム戦争で戦死した
ポール・ミリアス大尉の名前を戴いています。
2018年から横須賀をベースにしています。

■ メキシコ海軍の帆船



以前晴海埠頭に来た時に見学したことがあるメキシコ海軍の練習船、
🇲🇽「クアウテモック」号が横須賀入港したそうです。

マストに日本国旗を掲揚してくれていますね。
白い船体に帆、息を呑むような美しさです。



日墨友好415年周年記念の友好行事のための来日だとか。
415年前にすでに友好を結んでいたなんて、と調べてみると、

それはあの徳川家康が実権を握っていた時代に当たることがわかりました。

1609年、フィリピンからメキシコに向かう船が房総半島で座礁し、
付近村民の助力によって乗員の多くが助かるという事件がありましたが、
この出来事が日本とメキシコの友好関係元年とされているそうです。



マストなどに見える黄色いふわふわしたものは飾り?



練習用の帆船で地球の裏側からここまでやってきたんですね。
日墨友好。

■ トルコ海軍



日土外交関係100周年を記念して入港したトルコ海軍のコルベット、

🇹🇷TGC 「クナルアダ」Kinaliada Escapade-514



一般公開も行われたそうです。
メキシコとの友好関係成立きっかけと同じく、トルコは

日本近郊の海であのエルトゥールル号が難破し、それを付近住民が助けた、
というきっかけで日本に親しみを感じてくれている国です。

その「お返し」として、トルコはイラン・イラク戦争の時、
在イランの邦人を脱出させるために飛行機を2機も出してくれました。

■8月19日、横須賀


🇯🇵「まや」後甲板で乗組員総員集合中。


何をしているか分かる方おられますか。


ここにはいつも原子力空母が係留されていたのですが、この日は

🇺🇸強襲揚陸艦「ボクサー」Boxer LHD-4

が、オスプレイを満載して着岸していました。
艦名は米英戦争時に拿捕したイギリス軍艦「ボクサー」に因みます。



パナマ運河を通過できるように建造されたはずが、
いざ通ってみたら、あちこち引っかかったので出っ張りをなくした、
というなかなか愉快なエピソードを持っています。


Kさん、「軍港めぐり」の遊覧船に乗って撮影されたんですね。
この当時、気象庁発表の気温は35℃、しかし外気温は52℃だったとか。
この過酷な時期になんたる行動力。頭が下がります。

ちなみにコロナ以降カメラを一眼レフから
SONY RX100Ⅶに換装?されたということですが、
画質は全くと言っていいほど以前と遜色ないのに驚きました。



上部構造物から上の作りで、第一次世界大戦の時の
ドイツ軍のヘルメットの角を連想したのはわたしだけでしょうか。

ドイツ海軍のフリゲート、

🇩🇪「バーデン=ヴュルテンベルク」
(Baden-Württemberg, F 222)

ネームシップで、同級は州名を艦名にしているのですが、二番艦以降も、

「ノルトライン=ヴァストファーレン」F222
Nordrhein-Westfalen

「ザクセン=アンハルト」F224
Sachsen-Anhalt

「ラインハルト=プファルツ」F225
Rheinland-Pfalz

とやたら長くて、ニックネームでもないとやってられない艦名ばかりです。

さて、この「バーデン」(略)ですが、8月21日、
東京国際クルーズターミナルに来ていたようです。


内部の公開もされたのでしょうか。


ドイツ海軍のヘリコプター、初めて見ました。
アグスタウェストランドのMk.88A「シーリンクス」かな?

うーん・・・なんかやたらかっこいいなあ。鉄十字のせいかしら。

本型では、遠隔地において長期間に渡る任務を
少人数で安定的に遂行できることが設計目的に盛り込まれ、
それは具体的に以下の通りだそうで、驚かされます。

母港を離れての連続展開期間: 2年(24ヶ月)
海上での作戦時間: 5,000時間/年
大規模オーバーホール実施間隔: 約60ヶ月
乗員交代: 4ヶ月ごと(交代は48時間以内に完了)
母港を離れての連続展開期間: 2年(24ヶ月)
海上での作戦時間: 5,000時間/年
大規模オーバーホール実施間隔: 約60ヶ月
乗員交代: 4ヶ月ごと(交代は48時間以内に完了)

例えば原子力潜水艦は永久に潜航活動が可能ですが、
それがなぜできないかというと、「人間が保たない」からに尽きます。
同級は以上の条件で運用されているそうですが、本当にこの通りなら、
乗員に求められるのは何より健全な人格と心身のタフさとなるでしょう。

こういう職場に志願する若い人って、今ドイツにはいるんだろうか。



ちなみに東京国際クルーズターミナルは今こうなっています。
いつの間にかオープンしていたことに驚きました。


こちらは取り壊し中の旧ターミナル?

正面からのシェイプは独特です。

ドイツ海軍は今回自衛隊との共同訓練を行なっていますが、
もう1カ国はどこだと思いますか?

そう、あなたが想像したに違いないあの国です。

続く。



ミサイル レディルーム@ミサイルハウス〜USS「リトルロック」

2024-08-27 | 軍艦

タロスミサイル搭載巡洋艦、「リトルロック」のミサイルハウスに潜入し、
中の様子を発射シークェンスの説明とともにお送りしております。

取り合えず前回は、甲板からミサイル、ブースター、弾頭が積み込まれ、
それがどこに、どのような手順で格納されるかについて説明しました。


今日は、この図の緑部分、レディサービスエリアについて。
レディサービス、つまりミサイル発射準備室です。

ミサイルハウス全体は、大きく二つの独立したコンポーネントにわけられ、
そこでミサイルの保管、移動、準備、装填、発射までが行われます。

今日はストレージから移動して発射準備室に行くところからです。

Talos Missile Handling • Cruiser Installation

海軍作成のタロスミサイル説明ビデオ、今日は6:43〜からご覧ください。

ビデオの文言は青字で示してあります。

さて、マガジン(弾倉)から準備室までどうやってミサイルを動かすか。



まず弾倉からこのレールのカートにミサイルを載せます。



準備ができたミサイルはサービストレイに保管され、装填されるが、
その際ハンドリングバンドは取り除かれる。

そしてミサイルはストライクダウンエレベーターで
動力移動カートによって移動させられる。

パワーカートはブースターを準備サービスエリアまで運び、


それを嵌合スタンドに配置する。
ブースターの「シューズ」を用いて、
準備サービスのクレーンが組み合わされたものを吊り上げる。



右手のパワーカートにマガジンから出されたミサイルが載せられています。
この状態から、ミサイルは左のクレードルに移されるのです。


これは反対側(左舷側)のもう一つのパワーカートのレールです。
持ち上げるためのフックとクレーンは黄色く塗色されています。


ミサイルの乗ったカート部分を反対から見るとこうなります。
(艦内展示の写真)



天井のクレーン(F)は、武装したミサイルを持ち上げて、
(G)のクレードルと呼ばれるラックに移します。

どうやって持ち上げるかというと「C」と書かれたカートが、
ミサイルの「シューズ」を引っ掛けて持ち上げ、それをクレーンが運ぶのです


これがクレードルの端。
電池のマイナス受け部分みたいな丸いストッパーが付いています。

ストッパーは、ミサイルの後端をホールドし、
船が激しく動揺するようなことがあってもクレードルに保持します。

クレードルはここの説明によると「回転する」そうです。
メリーゴーランドのようにミサイルを乗せて回転し、持ち上げるのでしょう。


クレードルにミサイルが載せられた状態です。

ミサイルに93とありますが、これは何を表すのかわかりません。
撮影されているのはUSS「オクラホマシティ」CLG-5のミサイルです。
タロスミサイルの通算番号があったりするのかな。

もう一つついでに、英語ではTALOSを「テイロス」と発音しています。


ミサイルを載せたクレードルは、ミサイルが
トラック(H)の下に来るまで回転します。

トラックの下部は吊り下げ式のモノレールのレール部分のようになっていて、
これでミサイルを発射口方向に運んでいきます。


左舷側のクレードル。
トラックに結合したミサイルは移動していって・・、


写真の黒いドアを通過して前方に運ばれていきます。

この先でミサイルは制御フィンを追加され、

アーミングプライマープラグを取り付けられるための
「ウィング&フィン組み立てエリア」に入っていくのです。

続く。


ストレージエリア@ミサイルハウス〜タロス巡洋艦「リトルロック」

2024-08-23 | 軍艦

タロスミサイル巡洋艦USS「リトルロック」。

乗艦するといきなりタロスのミサイルハウスの中に入っていくという
今までアメリカで遭遇したどの軍艦にもなかった体験です。



前回使った図(キャプチャした映像を元に制作)でいうと、
見学通路はピンクの線となっていました。

つまり見学順で言うと、最初に最終工程を行うエリアを見るわけですが、
それだとわかりにくいので、見学していない皆様のために、
ミサイル発射過程に沿った順で、ストレージ部分から写真を挙げていきます。


その前にまずタロスミサイルの図をご覧ください。
ミサイルは大きく三つのセクションに分けられます。

1)ブースター
2)誘導装置(ミサイルアッセンブリーガイダンス)とエンジン
3)弾頭

ミサイルが飛ぶ仕組みは、先端のインテイクから空気が入り、
それが圧縮され、中央部の燃料で点火されて、
ブースター部分から排気ノズルを熱い排気ガスが噴出するという、
まさに3行で無理やり説明すればそう言うことになるわけです。


そして、艦に搭載されるとき、2)の誘導装置と3)の弾頭は
接続されない状態で別々にストレージのラックに格納されます。

Talos Missile Handling • Cruiser Installation

ビデオの5:17からは、まず梱包された状態のブースターが
デッキからストレージに格納されるまでの様子です。
青字はビデオの解説を翻訳した文章です。

■ ミサイル&ブースターのマガジン収納



ドックからの典型的なローディングシーケンスについて。

まず、このストライクダウンエレベーターに乗っているブースターは
ミサイルハウスのマガジンまでエレベーターで降ろされ、
エレベーターに乗せたまま、ミサイルマガジンに到達させる。



するとこのクレーンがブースターを上から持ち上げる。



黄色いクレーンがブースターを持ち上げ、支柱が外されると、
上の写真のグレーの部分がマガジンを横断し、
黒いラックの収納場所までブースターが運ばれ、設置される。





ストレージのこちら側には操作ボタンのついたバーがありますね。
ここからストレージ内でクレーンを操作しました。

おそらく「クレーンゲーム」はこの操作が基本になっていると思われます。
こちらはターゲットを掴み取るだけではなく収納する動きもするわけですが。



ミサイルも同じくストライクダウンエレベーターで下ろされ、
ブースターと同じ方法で、同じストレージラックに収められます。

なお、取り扱いのために、ミサイルとブースターには
特別なバンド(ハンドリングバンド)が取り付けてあります。



ハンドリングバンドには周囲に「シューズ」と呼ばれるフックがあり、
ユニットをマガジンラックに収納する際上部シューズを使って吊り下げる。

バンド側面のシューズは、ユニットをマガジンの支柱に固定するために使う。

■マガジンからの取り出し方

通常平時作戦中、タロス巡洋艦は30発のミサイルをマガジンに搭載した。

そのうち15発はそれぞれのランチャーアームに7発ずつ、
予備として14発が準備サービスエリアに収納されていた。
(あれ?計算が合わない・・・)



そのラックとは、この写真でいうところの「A」(下の黄色い丸)のこと。

そしてここに水平に格納されている1)と2)は、
写真で黄色い丸Bと記されているクレーンによって持ち上げられ、



その後この「C」のストライクダウンカートに乗せられ、
二つのセクションは嵌合(連結)させられます。

■ 弾頭セクション


それでは弾頭部分はどこにいくかというと・・。

予備の弾頭セクションは巡洋艦の特別なマガジンに保管される。

天井に設置されたバイ(二重)レールホイストを使って、

奥の天井に見えているグレーがレールホイスト片側

弾頭セクションをデッキチョックchock(動き止めの楔のこと)から
マガジンを横切ってエレベーターまで運ぶ。

エレベーターはホイストに取り付けられた弾頭部分を
セカンドデッキまで上昇させて運ぶ。

そこには弾頭セクションが弾頭ポジショナー(位置決め装置)があり、
弾頭部分を垂直に立てるようにに動かされる。


起立した弾頭

弾頭部にはホイストが取り付けられており、

チェックアウトエリアまで釣り上げられ、そこでミサイルに嵌合される。

■ 電気安全上の注意



ここで現役時代からあったらしい安全上の注意掲示板がありました。

一般的注意事項

1、電気機器の修理およびメンテナンスは、
許可された担当者または指定された担当者のみが行うものとする

2. すべての電気リード線は、メーターまたはテストランプでテストされ、
良好な状態であることが確認されるまで、
生きている( ALIVE )とみなされるものとする

3. 活線回路の周囲で作業する者は、特定の使命を達成する場合を除き、
電圧に関係なく、1フィート以内に近づいてはならない

4. 回路が通電しているかどうかを判断するために素手を使用することは、
低電圧であっても致命的となる可能性があり、固く禁じられている

5. ヒューズボックス、ジャンクション・ボックス、レバー式ボックス、
および配線付属品のカバーは、いつも閉じていること

6. 機械的傷害を受けやすいゾーンにあるケーブルはすべて、
金属製のケーシングで保護すること

7. 携帯用ケーブルはすべて、スプライス(継いだ部分)がなく、
適切な長さで、電流要件に十分な断面積を有すること

8. 開いている電気機器の上に、金属製の緩い物品
 を持ち込んではならない (ポケットなどに入れることも不可)

9. 配電盤、制御機器、皿盤、またはその近傍に、
異物を収納したり、挿入したりしてはならない
配電盤、制御機器、パネルなどに異物を収納したり、
その近くに挿入したりすることは、固く禁じられている

10. 電気機械(特に増幅器)を固定したときに帯電する電荷は、
場合によっては激しい感電を引き起こすので、作業前には必ず接地すること
通電していない回路に接続されたコンデンサーや、
完全に切り離されたコンデンサーに触れる前に、端子を短絡させること


電気関係を取り扱う職場では至極当たり前な注意です。
あとは略して、最後の「もし火災が起きた時」の部分だけ翻訳します。

電気火災の場合

(a) 回路の通電を遮断する

(b) OODにメッセンジャーまたは電話で状況を報告する


(c) 周辺の換気を確保する


(d) 炎の根元に向けてCO消火器を使用して消火する


(e) 他の消火剤を使用する前に、場所、空間の広さ、
発生するガスなどを考慮すること


これも軍艦だからという特例はなさそうな一般的な対処ですが、ただ、
(b)の「OOD」とはオフィサーオブザデック甲板士官のことですね。

そして(d)のCO消火器とは、二酸化炭素消火器のことです。
電気絶縁性に優れているため、電気設備関係の火災に使われます。

消火剤として不活性ガスが用いられています。

続く。



ミサイルハウス〜タロス巡洋艦「リトルロック」

2024-08-20 | 軍艦

さて、タロスミサイル搭載巡洋艦として展示されている、
バッファローエリー郡開示軍事公園のUSS「リトルロック」、
ファンテイルから、いきなり核心のミサイルハウスに入っていきます。



ドアから中に入ると最初に見える景色がこれ。
上の階には戦闘ヘルメット着用の乗組員の姿が見え、
その手前のはどう見てもミサイルのクレイドル。

下方の窓には、運用当時からのプレートがあり、それには

I -126-1
MISSILE WINGS-FINS&BSTER STOW
C-108 M

ミサイルウィングとフィンは、ミサイルに取り付ける翼とフィン、
これは知ってびっくりしたのですが手動で取り付けます。

そして後半はブースターストレージ、ブースター倉庫です。

各ウィンドウには公園の所有を示すシール付きのアクリルが貼られています。


せっかくなので上の人をアップにしてみました。
横にあるのは人工呼吸の方法です。
そういう状態がいつ起きても不思議ではない持ち場ってことか?

で、ここはなんなのという話ですが、ここにあった説明は
ディシジョンポイントを意味する赤い看板に書かれています。

ミサイルハウス

艦内で最大の区画であるこの部屋は、
50発のミサイルを格納し、テストし、整備した。

飛距離約65マイルのこれらのミサイルは、

冷戦中に敵のジェット戦闘機の脅威が高まっていたことを受け、
地対空ミサイルとして設計されたものである。

これらのミサイルと格納庫の追加は、

1957年から1960年にかけて行われた改装における
最もダイナミックな変化であった。


入ってすぐのこの一帯を

ファイナル・アッセンブリー・エリア
(最終組み立てエリア)

といい、このビデオの放映されているガラスの向こうは
ミサイルを組み立てるための最終準備が行われた場所です。


ところで、放映されているビデオですが、
現地ではもちろん先を急ぐ身であるため見ておりません。

ループされているのは、タロスミサイルの弾頭、ミサイルブースター、
そして艦内のミサイルハウスの基本的な操作に関するもので、
かつては機密扱いだった13分間の海軍制作による軍事訓練フィルムです。

ちょうど私が通りかかったとき、エンディングで
製作者の氏名がテロップに出ていたため、それを元に検索したら
YouTubeに上がっていたので、上げておきます。

教育ビデオなのでまさに誰にでもわかる内容となっていますが、
自動翻訳機能がなかったので、全編翻訳して青字で記します。

Talos Missile Handling • Cruiser Installation


本映画で概説されている手順は、
あくまでも目安であり、ガイドにすぎない。
具体的な内容については、最新の技術資料をご参照ください。

タロスランチャーを装備したUSSオクラホマシティのような艦は、いずれ、
切れ目ない警戒と準備万端な艦隊の長距離防御として海を席巻するだろう。

タロス、それはビームを搭載したラムジェット推進ミサイルであり、
艦対空、


あるいは艦対艦

のためにデザインされていて、
基地でミサイル搭載のために準備された
通常弾頭または核弾頭のいずれかを装備可能である。

この弾頭はMk.30mod0 の核弾頭で特別にタロスミサイル用に設計された。
備蓄コンテナ内の弾頭は、導通試験機で検査される。


弾頭は、適応キットのコンポーネント組み立てのために
弾頭メンテナンススタンドに設置される。


本体内部セクションは弾頭取り付け部分に固定されており、


内部本体はミサイルのラムジェットエンジンの空気拡散器として機能する。
これから弾頭部分が適切にミサイルと嵌合されているかを試験する。


予備の弾頭セクションはコンテナに梱包され、
緊急予備として巡洋艦に運び込まれたものである。

ミサイルには巡洋艦に輸送する前に燃料が充填されている。


ミサイルはドックからは通常の操作によって積載され、
ミサイル格納庫の
”ストライクダウンエレベーター”に積み込まれる。


巡洋艦のミサイル格納庫には2基のエレベーターが、
両舷に一つずつ装備されている。
エレベーターはミサイル、あるいはブースターを乗せて、
それらをマガジンまで降ろし、そこに収納する。


マガジンからは4本半の移送レールが出ており、
動力カートがミサイルを載せ、
準備サービスエリアを通って
最終的に二つの
チェックアウトエリアまで運ぶのである。




準備サービスエリアに保管されているミサイルは、
まず
メイティング(嵌合)エリアの最初の位置に配置される。

動力カートはブースターをこの嵌合ステーションに運び、
ミサイルとブースターは嵌合され、組み合わさったものは
準備サービストレイに収納される。

続いてセンタートレイホイストがミサイルを
ローダーレールまで持ち上げ、さらにそれは
「ウィング&フィンエリア」まで運ばれ、ここで
ミサイルとブースターは発射されるため
ランチャーアームにセットされる。

見学者は、上の図の左下角の「最終工程」を行うところから入り、
エリア2の準備サービスエリアを抜け、マガジンまでいき、
ミサイルハウスを時計と逆回りに歩いていくことになります。


続く。






USS「リトルロック」ファンテイル〜バッファローエリー郡海事軍事公園

2024-08-11 | 軍艦

バッファロー・エリー郡海事軍事公園に展示されている、
軽巡洋艦あらためミサイル巡洋艦「リトルロック」、
そのラッタルを上り切らないうちに第一回目が終わりました。

「リトルロック」構造物に装備されている、
タロスミサイルのシステム関連装備をご紹介したわけですが、

いよいよ甲板に到達します。



どおおお〜ん。
ラッタルを上がったらそこはトイレの入り口だった。
この木製の構造物は階下のトイレにつながる階段の上にあります。

なんか色々と書いてあるので一応見ておきましょう。

あなたの安全のためにやってはいけません
バリアを超えないこと、スィッチを動かすこと、
バルブを回すこと、ハンドルを引いたり、垂直ラッタルを上らないこと


軍艦見学の基本です。
そして早速この場所についての説明がありました。

ファンテイル(扇状艦尾)


USS「リトルロック」が就役したとき、
第二次世界大戦は終わりに近づいていましたので、
彼女は4年間、南米沿岸、米国東部、地中海を巡航していました。

戦後1949年に退役し、予備役を経て1960年に現在の姿となりました。

かつてファンテイルにはヘリコプターのプラットフォームがあり、
要人訪問の際にはここが集まる場所となっていました。

ヘリコプターというからには再就役後の話だと思うのですが、
このトイレへの入口のところがプラットフォームだったんでしょうか。


で、その下、わたしは全く艦内でこの色分けに気づいておらず、
今になってこんなことをしてくれていたのかと思ったわけですが、
つまり展示パートごとに四つのカテゴリが一目でわかるように

🟦 乗組員スペース
⬜︎士官スペース
🟧 枢要部(Vital Operations)
🟥意思決定機関(Decision Points)


バイタルオペレーションズを枢要部、
ディシジョンポイントを意思決定機関と訳したのは
正式な日本語の軍事用語が思いつかなかったからですが、
何をもってそういうのかは、見学していけばわかるかもしれません。

CICが意思決定機関の一つであることは確かだと思うのですが。


ミサイルの下にタロスミサイルとレーダーシステムの説明あり。




前にも書きましたが「リトルロック」の上部構造はデュアル式です。
その後部がこれで、構造物の右側に繋がっている黄色い線が見学通路。

黄色い線は構造物右手のドアに繋がっています。

TALOS MISSILE
タロスミサイル



RIM-8と名付けられたタロスは、1959年から1979年まで

最も印象的な米艦載ミサイルだった。

USS「リトルロック」には48発のミサイルが搭載されていた。
タロスは空中、地表、陸上の標的に対して使用することができた。

タロスミサイルの後期バージョンは、8万フィートまで飛ばすことができ、
時速1,400マイル以上で100マイルの範囲を持っていた。

タロスミサイルは通常弾頭または核弾頭を搭載する能力を持ち、
地対空バージョンはベトナムでも活躍し、合計3機のミグが
巡洋艦「シカゴ」と「ロングビーチ」によって撃墜されている。

タロスは2段式ミサイルであり、後部は固体ロケットブースターで、

ミサイルを空中に押し上げ、速度まで上昇させる。
この時、十分な空気圧が内部のタービンを回転させ、
ラムジェットエンジン(ミサイルの中央部)に点火する。

SPG-49
TALOS GUIDANCE RADAR SYSTEM
タロス誘導レーダーシステム

「オクラホマシティ」のSPG-49

SPG-49は1947年に設計され、1979年末に
タロスミサイルシステムと共に廃止された。

SPG-49は初期の設計で洗練されていなかったため、
豪雨時の航続距離は29海里に短縮され、
平均故障間隔はわずか30時間だった。
後継機として提案されていた「AN/SPG-51E」のキャンセルにより、
タロスの運用は終了した。

外部システムは2つの大型ドームで構成され、
ドームの上下にある2つの小型レーダー・ディッシュから送信された、
目標から跳ね返ったリターン信号を受信した。


さて、ファンテイルから構造物内、ミサイルハウスに入っていきます。


壁に貼られている赤い目標、それはディシジョンポイントの印。

ミサイルハウスへ

大きな青いタロスミサイルが、
どのようにしてランチャーに搭載されるのか見たい?
右前方に向かい、ハッチを通ってください。
それが最初の目的地だ!

って何気にクェスト風だ!
ミサイルハウスがディシジョンポイント?
ってことは「意思決定」とはちがうような気が・・・。

まあいいや、それは後々解明するでしょう。

中に入っていきます。

続く。