ミサイル巡洋艦「リトルロック」館内の展示物をご紹介しています。
ベトナム戦争関連展示が終わると、次のコーナーは潜水関係でした。
水中眼鏡を人類が使用するようになったのは13世紀と言われています。
古代ペルシャ人は水中で真珠を見つけるために
亀の甲羅を薄くスライスしたものをメガネとして開発しました。
亀の甲羅を薄くスライスしたものをメガネとして開発しました。
それから数世紀後、人類が到達したのがここにある潜水スタイル。
この潜水用のスーツのことをcopper hat equipment(銅帽装備)、
あるいはスタンダード・ダイビングドレスといいます。
19世紀ドイツの発明家、アウグスタス・ジーべ(Augusutas siebe)
に依頼してこのようなセットを最初に発明しました。
に依頼してこのようなセットを最初に発明しました。
1873年の新聞より、ジーべデザインの潜水服
ここに展示されているのは1916年に開発されたMark 5ドレス。
初めて海洋の深部で作業することを可能にしたもので、
20世紀初頭の技術の革新の結晶というべき発明品です。
1916年から1984年の長きにわたって米海軍で使用されただけでなく、
現在でも潮流の強い環境では商業・産業シーンで使用されています。
ここに展示されているのは1916年に開発されたMark 5ドレス。
初めて海洋の深部で作業することを可能にしたもので、
20世紀初頭の技術の革新の結晶というべき発明品です。
1916年から1984年の長きにわたって米海軍で使用されただけでなく、
現在でも潮流の強い環境では商業・産業シーンで使用されています。
展示モデルは胸に漏斗状のものを抱えていますが、これは懐中電灯。
ヘルメットのハンドルにテープで貼り付けたもので、
夜間、視界の悪い濁った状態でもダイバーの作業場所を照らします。
そして、胴体に巻かれた浮力制御のためのウェイトベルトは革製。
ダイバーが呼吸して肺が膨らんだりスーツ内部が膨らんでも
浮き上がらないようにするものです。
ベルトには調整つ可能なハーネスと股間ストラップがついており、
鉛のブロックの総重量は84ポンド(38キロ)です。
夜間、視界の悪い濁った状態でもダイバーの作業場所を照らします。
そして、胴体に巻かれた浮力制御のためのウェイトベルトは革製。
ダイバーが呼吸して肺が膨らんだりスーツ内部が膨らんでも
浮き上がらないようにするものです。
ベルトには調整つ可能なハーネスと股間ストラップがついており、
鉛のブロックの総重量は84ポンド(38キロ)です。
着ているスーツはマークVドレスといい、キャンバスとゴムでできていて、
付属品を全て含めると約30ポンドの重さになります。
エアホース、ライフライン、通信ラインなどの臍帯は展示されていません。
付属品を全て含めると約30ポンドの重さになります。
エアホース、ライフライン、通信ラインなどの臍帯は展示されていません。
そしてブーツ。
靴底は鉛、つま先に真鍮があしらわれていますが、
それ以外はなんと普通のキャンバス地でストラップは革紐です。
靴底は鉛、つま先に真鍮があしらわれていますが、
それ以外はなんと普通のキャンバス地でストラップは革紐です。
これって、水中で紐が解けても絶対自分で結べないよね。
マークVヘルメットには、ガラスポートが四つ開けられており、
顔の前面のガラス窓は外から開きます。
ガラスの破損を防ぐために、格子が各ポートごとにあしらわれています。
ガラスの破損を防ぐために、格子が各ポートごとにあしらわれています。
フェースプレートと左側面のポートの間に吐水コックが見えます。
ダイバーはこのコックを通じて口に水を吸い込み、
フェイスプレートの曇りを取るためにガラスに噴きかけます。
ポートを通して通信システムや調整排気バルブが装着されており、
排気バルブではヘルメット内の気圧コントロールすることができます。
ダイバーはこのコックを通じて口に水を吸い込み、
フェイスプレートの曇りを取るためにガラスに噴きかけます。
ポートを通して通信システムや調整排気バルブが装着されており、
排気バルブではヘルメット内の気圧コントロールすることができます。
供給酸素の仕組みはヘリウム/混合ガスになりますが、
このシステムが初めて実際に投入されたのは、1939年、
あの潜水艦USS「スクアーラス」SS192の引き揚げ作業でした。
このシステムが初めて実際に投入されたのは、1939年、
あの潜水艦USS「スクアーラス」SS192の引き揚げ作業でした。
潜水艦「スクアーラス」
USS Squalus (SS-192)
については、以前潜水艦「シルバーサイズ」シリーズで、
第3代艦長ジョン・ニコルス中佐が、少尉時代乗り組んで事故に遭遇し、
奇跡的に生還したというネタで取り上げたことがあります。
USS Squalus (SS-192)
については、以前潜水艦「シルバーサイズ」シリーズで、
第3代艦長ジョン・ニコルス中佐が、少尉時代乗り組んで事故に遭遇し、
奇跡的に生還したというネタで取り上げたことがあります。
新艦長ジョン・ニコルス中佐の謎
1939年、「スクアーラス」は、試験潜航中、
致命的なバルブ不良に見舞われ、水深240フィートで静止し、
翌日行われた救出作戦で、33名が生還するということになりました。
このときは、最先端のレスキューチャンバー、
マッカン・レスキューチャンバーが投入されたとされますが、
ダイバーもまた最新鋭のダイビングスーツを着用しており、
それがこのタイプでした。
1939年、「スクアーラス」は、試験潜航中、
致命的なバルブ不良に見舞われ、水深240フィートで静止し、
翌日行われた救出作戦で、33名が生還するということになりました。
このときは、最先端のレスキューチャンバー、
マッカン・レスキューチャンバーが投入されたとされますが、
ダイバーもまた最新鋭のダイビングスーツを着用しており、
それがこのタイプでした。
1837年創立で、第一次世界大戦中はMk.5を製造していた
ボストンの真鍮会社モース&サンMorse & Son Co.の銘が入った道具。
レバーとホースを出す穴があることから、
ダイビングスーツにホースを通じて空気か何かを送る機械だと思いますが、
現地に説明がなかったので正解はわかりません。
ボストンの真鍮会社モース&サンMorse & Son Co.の銘が入った道具。
レバーとホースを出す穴があることから、
ダイビングスーツにホースを通じて空気か何かを送る機械だと思いますが、
現地に説明がなかったので正解はわかりません。
ガラスケースに納められた潜水グッズ。
かなり近代的なシェイプをしているのがわかりますが、
かなり近代的なシェイプをしているのがわかりますが、
1970年のマイク・カーソン・マーク3・エアハット
(Mike Carson Mark 3 Air Hat)によく似たこのヘルメットは、
水深250フィートまでの商業ダイビングや、
サルベージダイビング用にデザインされた。
グラスファイバー製で、より快適なヘッドライナーと、
より信頼性の高い双方向通信システムが装備されている。
水深250フィートまでの商業ダイビングや、
サルベージダイビング用にデザインされた。
グラスファイバー製で、より快適なヘッドライナーと、
より信頼性の高い双方向通信システムが装備されている。
と説明がありました。
写真を見る限り、そのマイク・カーソンそっくりですが、
ノズルに入れられたメーカー名?はWhitbyとなっています。
そういう会社があるのかどうかはわかりませんが、カナダとイングランドに
ウィットビーという海(湖)沿いの街があることはわかりました。
ノズルに入れられたメーカー名?はWhitbyとなっています。
そういう会社があるのかどうかはわかりませんが、カナダとイングランドに
ウィットビーという海(湖)沿いの街があることはわかりました。
おそらく博物館関係者も出どころがわからなかったのでしょう。
Diver Down Flag
1956年に海軍退役軍人のデンゼル・ドッカリーが考案し、
USダイバーズのテッド・ニクソンが普及させたこの旗は、
アメリカの多くの州、カナダ、その他のいくつかの国で、
ダイバーが潜水中に掲げて船舶に接近しないように警告するものです。
ダイバーが入水中にこの旗から一定の距離を保つことは
法律や規則で義務付けられています。
アメリカ海軍上級曹長、
カール・ブラッシャー(Carl Brashear)
は、アメリカ海軍のマスターダイバーという、
最高にして最難関の資格を保有した伝説のダイバーです。
最高にして最難関の資格を保有した伝説のダイバーです。
ブラッシャーは1948年、ハリー・S・トルーマン大統領によって
軍隊の人種差別が廃止される4か月前にアメリカ海軍に入隊し、
海軍潜水・救助学校を卒業した最初のアフリカ系アメリカ人、
アメリカ海軍の最初のアフリカ系ダイバーの一人となりました。
軍隊の人種差別が廃止される4か月前にアメリカ海軍に入隊し、
海軍潜水・救助学校を卒業した最初のアフリカ系アメリカ人、
アメリカ海軍の最初のアフリカ系ダイバーの一人となりました。
潜水学校では寝台に
「今日はお前を溺れさせてやるぞ、ニガー!」
「ニガーのダイバーなんかいらない」
「ニガーのダイバーなんかいらない」
とメモを置かれるような差別を受けましたが、
心ある同僚に励まされ、17名の学年中16位で卒業します。
最初の任務は、損壊したはしけから、海中に落下した
約 16,000 発の弾薬を回収するというものでした。
その後も、ブルーエンジェルス機を含む機体の引き揚げ、
海から犠牲者の遺体を回収するなどの海軍における任務を負いました。
そして、アイゼンハワー大統領時代、ブラッシャーは
大統領のヨットを護衛する任務を与えられ、その際、
大統領直々より記念のナイフを贈呈されています。
上等兵曹に昇進した彼は主に爆破潜水に従事することになりました。
心ある同僚に励まされ、17名の学年中16位で卒業します。
最初の任務は、損壊したはしけから、海中に落下した
約 16,000 発の弾薬を回収するというものでした。
その後も、ブルーエンジェルス機を含む機体の引き揚げ、
海から犠牲者の遺体を回収するなどの海軍における任務を負いました。
そして、アイゼンハワー大統領時代、ブラッシャーは
大統領のヨットを護衛する任務を与えられ、その際、
大統領直々より記念のナイフを贈呈されています。
上等兵曹に昇進した彼は主に爆破潜水に従事することになりました。
彼が真の伝説となったのは実はここからです。
1966年、パロマレス事件として知られる事故で、
B-52Gとストラトタンカー空中給油機が空中給油中衝突し、
核爆弾が海中に失われた際、ブラッシャーは弾頭捜索チームに加わりました。
その爆弾回収作業中、吊り上げケーブルが切れ、
B-52Gとストラトタンカー空中給油機が空中給油中衝突し、
核爆弾が海中に失われた際、ブラッシャーは弾頭捜索チームに加わりました。
その爆弾回収作業中、吊り上げケーブルが切れ、
海上で捜索作業をしていたUSS「ホイスト」の甲板上でパイプが揺れ動き、
咄嗟に仲間の体が当たらないように押し除けたブラッシャーは、
自分自身がケーブルの直撃を左足膝下に受けてしまいます。
すぐに病院に緊急搬送されましたが、
感染症と壊死のため最終的に左下肢を切断することになりました。
しかしながら、彼はその後も海軍に留まり、リハビリを受けて
最終的にアメリカ海軍の潜水士として再認定を受けます。
1970年に、アフリカ系アメリカ人初のマスターダイバーとなり
翌年マスターチーフボースンメイトの等級を獲得。
彼は、
「倒されることは罪ではない。倒れたままでいることが罪である」
「私は誰にも私の夢を奪わせない」
という言葉をモットーにしていました。
Men of Honor - Official® Trailer [HD]
咄嗟に仲間の体が当たらないように押し除けたブラッシャーは、
自分自身がケーブルの直撃を左足膝下に受けてしまいます。
すぐに病院に緊急搬送されましたが、
感染症と壊死のため最終的に左下肢を切断することになりました。
しかしながら、彼はその後も海軍に留まり、リハビリを受けて
最終的にアメリカ海軍の潜水士として再認定を受けます。
1970年に、アフリカ系アメリカ人初のマスターダイバーとなり
翌年マスターチーフボースンメイトの等級を獲得。
彼は、
「倒されることは罪ではない。倒れたままでいることが罪である」
「私は誰にも私の夢を奪わせない」
という言葉をモットーにしていました。
Men of Honor - Official® Trailer [HD]
彼をモデルにした映画、Men of Honor(ザ・ダイバー)では
主役をキューバ・グッディング・ジュニアが演じています。
主役をキューバ・グッディング・ジュニアが演じています。
当ブログ映画部は、次回この作品を取り上げますのでどうぞお楽しみに。
これは、同室に展示された一人の「ハードハット・ダイバー」の写真です。
C・ウォルター・シャロンというこのロチェスター出身のダイバーについて
検索してみましたが全く情報が拾えませんでした。
わかるのは、彼がわずか21歳の生涯を終えたということだけです。
検索してみましたが全く情報が拾えませんでした。
わかるのは、彼がわずか21歳の生涯を終えたということだけです。
ダイバーは橋梁やドックの建設、救助作業、船舶メンテナンス、
水中基礎の構築などの仕事になくてはなりませんが、
少しのミスが命取りになる大変危険な任務です。
近年ダイビングギアの開発は進み、安全性は格段に上がりましたが、
潜水障害が引き起こす関節痛、心臓麻痺などの危険は依然としてあります。
いつも命の危険と隣り合わせであることは昔と全く変わっていません。
続く。
水中基礎の構築などの仕事になくてはなりませんが、
少しのミスが命取りになる大変危険な任務です。
近年ダイビングギアの開発は進み、安全性は格段に上がりましたが、
潜水障害が引き起こす関節痛、心臓麻痺などの危険は依然としてあります。
いつも命の危険と隣り合わせであることは昔と全く変わっていません。
続く。