ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「八月壱拾五日のラストダンス」

2012-11-30 | 映画

gooブログでは、「1年前の記事」を教えてくれるシステムがあります。
これがその一年前の記事。
記事自体は映画の寸評ですが、この全く無名の、しかも○○な映画の、
絵だけは結構力を入れて(というか楽しんで)描きました。

最近、観艦式や航空祭の記事で写真中心だったので、ただこの手間暇掛かった絵を
見てもらうためだけにこれを再掲します。
つまり最近は絵に時間を割くことが出来ない「一日一ログ生活」を送っているのですが、
ログのアップが間に合わなかったための窮余の一策でもあります。

それでは、どうぞ。





なんと申しましょうか。

久しぶりに○○な映画を観たという気がいたします。

このブログ、特定の人や物(政治家除く)の悪口雑言は言わない、
というポリシーのもとに運営しておりますので、何事につけ一言で切り捨てることを極力控えております。
ですので、この○○の中には、皆さまの思いつく、適当な二字を入れておいてください。

そう、観終わったとき、

自分の腹が刺されて血に染まっているのを知った松田優作が叫んだのと
同じ言葉がつい口をついて出てしまった


そんな映画に対して思いつく言葉で結構です。

戦争映画にも色々あります。
これだけ名作駄作取り混ぜて色々観ていると、明らかにカテゴリーが分かれていることに気付きます。

1、作戦遂行もの・・・・・史実の作戦を淡々と記録するもの。作戦失敗もあり。
バルジ大作戦、史上最大の作戦、遠すぎた橋、トラ!トラ!トラ!

2、ヒーローもの・・・・・・・実際の作戦、実際の部隊などに属する特定の人物に焦点を当て、その活躍や人間的な葛藤、愛を描く。
鷲は舞い降りた、レッド・バロン、ワルキューレ、加藤隼戦闘機隊、ブレイブ・ウォー

3、反乱、事故もの・・・・・戦艦ポチョムキン、ワルキューレ、ザ・ロック、K-19

4、青春戦争もの・・・・・・・メンフィス・ベル、フライボーイズ

5、ホロコーストもの・・・・カティンの森、ライフ・イズ・ビューティフル、キリング・フィールド、シンドラーのリスト

6、ちゃっかり戦争ネタ拝借もの・・・・戦場のメリークリスマス、イングロリアス・バスターズ

7、被害者トラウマもの・・・・・・・・ジョニーは戦場へ行った、追想、火垂るの墓

決して戦争映画を観てワクワクしたいわけではないのですが、重たくて観ていて辛いなあ、というのが5と7でしょうか。

先日、アンジェイ・ワイダ「カティンの森」を観てしまい、しばらく落ち込みました。
カティンの森のなんたるかを知っていたにもかかわらず、
そしてそれがワイダ監督ならだいたいどうなろうかくらい、うすうす分かっているにもかかわらず・・。

特に衝撃のラスト。
民族が違うとこれほど人は残酷になれるのかと思うと同時に、
日本人はこういう修羅場を知らなすぎる!平和ボケすぎる!
外国人参政権、移民政策絶対反対!とあらためて思ってしまいました。
最後飛躍しすぎ、と思われる方、ぜひこの映画観てみてください。
危機感を感じること請け合いです。


さて、このようにざっと分けてみましたが、このうちどこにカテゴライズされようと、
「戦争によって皆このように死んでいった、戦争は悲惨だ、戦争は悪だ、
だから戦争反対、ごめんなさいもうしません」

という大命題が常にまつわってくるのが戦後日本の戦争映画の傾向かと思われます。

いつもいつもそれが前面に出過ぎて映画をつまらなくしている、と何度もこのブログで言ってきたのですが、
それを踏まえたうえでまあ許せる映画もあるわけで、最近公開された
「真夏のオリオン」
は、潜水艦同士の対決を戦闘シーンの核にしており、
「顔のある敵」同士のスポーツのような戦いがなかなか面白い映画だったと思います。
まあ、言いたいことはこの映画にも山ほどありますが今はさておき。

そしてこの映画です。
上記の「大命題」だけをテーマに、ひねりも仕掛けもなく作ってしまいました。

おそらくこのブログを読んでいる方でこれを観た方はあまりいないのではないかと思われます。
そして、冒頭にも書いたとおり、ほとんどの映画サイトの評価が星二つしかないのか、
どうして全く話題にもならなかったのかが、もし観ればよくわかると思います。


まず、評価を少し覗いてみると圧倒的に多かったのが
「何が言いたいのかわからん」
「考証がいい加減過ぎてリアリティなさすぎ」
というものでした。

まず、ここはどこの戦場でしょうか。
東南アジア?グアム?ニューギニア?
アメリカ兵が火炎放射器持参で、従軍看護婦がいるから沖縄?
そうでもないみたいなんですね。
そして、連合軍の飛行機の翼に何故か欧州戦線識別のためのラインが。

一言でストーリーを説明すると、
「ジャングルで敗走する日本兵と看護婦の恋」

何故こんな最前線に看護婦がいるんだとか、
敵地に食料調達に行かせるのになんで男女ペアを組ませるんだとか、
もう突っ込みだしたらきりがありません。

きりがないのですが、おそらくこの映画をあえて観ようという人もいないと思われるので、
とりあえずもう少し突っ込みます。
ご辛抱下さい。

まず、兵隊は脚本家志望です。
何故か「ダンス」の出てくる脚本を書きたいと思っています。
志望と言いながら、どうやらこの青年はまだ脚本を書いたことがないようです。
なぜ「ダンス」にこだわるのかというと、それがこの映画のタイトルで、終戦を知らずに
洞窟の中で最後に「テネシーワルツ」を踊る二人、というのがこの映画の唯一の「見せ場」だからです。
映画製作者は今日画像のシーンを思いついたので、このためだけに映画を作ったと見えます。

「その製作者」が誰かは後に回すとして、確かにこのシーン、美しいですね。切ないですね。
中世の宗教画のような光の色の画像で、描くのは実に楽しかったです。
楽しかったですが、画像を見れば見るほど
「新品のような二人の軍服」
「何故か茶髪をお洒落に三つ編み留めに結いあげた最前線の女性」
が気になって・・・。


この青年、食糧を探しに行った先で遭遇した米兵といきなり流暢な英語でしゃべりだします。
看護婦は驚き、
「なぜあんなに英語が上手なんですか?」
「脚本家になりたいので勉強を・・・」







何故脚本を書くのに英会話の勉強?
どうしてもダンスさせたいのならば、ダンス教師志望ってことにした方がよかったんでは?
でまた、このときに流れるテネシーワルツのアレンジが



なんです。
なんか、それコード進行おかしくないですか?って感じ。
ていうか完璧におかしい。

そして出てくる俳優出てくる俳優、高校の演劇部と比べるのも(高校生に)失礼なレベルの演技力。
主人公の兵隊が「母に宛てた手紙を朗読する」
という、稚拙な演技力をできるだけ糊塗できる手法を使ってはいるのですが、
まったく糊塗できていません
そしてこの俳優、しおらしい声を出しているのに画面を観ると(もう最後の方は用事をしながら斜め観)
全くそこにはしおらしくない、いかにも渋谷で今日にもナンパしてそうな顔が。
こいつ絶対猫かぶってるだろ!看護婦さん騙されんなよ、と思わずつぶやいてしまう人相です。
(まさか俳優さんこれ見てないよね?)


そして最もわたしが○○だと思ったのが、この手紙や兵隊のセリフに二言目には出てくる

「皇国の勝利を信じて」
「靖国、九段」
「天皇陛下」


そう、近頃の戦争映画に不自然ななほどさっぱり出て来ないこれらの言葉が、
映画初頭から大安売りされます。

何の反撃をすることもなく、みじめに敗走しながらバタバタ死んでいく兵。
麻酔なしで脚を切るシーンや、身体が吹っ飛ぶシーンはやたらリアルで、
この戦争に巻き込まれたみじめな兵隊たちをそこへ連れて行ったのがこれらの言葉である、
と強調するだけのために、これらの言葉は残酷なシーンと共にしつこいくらい繰り返されます。


それだけでは飽き足らず最後に
「何が天皇だ、何が靖国だ、俺は騙された」
みたいなことを駄目押しとして絶叫する兵。
主人公は母への手紙で「九段はいったいどこにあるんですか」
みたいな(忘れちゃった、てへっ)ことをこちらも最後に駄目押し。

くどいっ。



最後のダンスの後、兵隊は死ぬ気で敵前に飛び出し、終戦を知らされます。
「しまったー!自決用の手榴弾、彼女に渡して置いてきてしまった!」
終戦を教えるためにほら穴に走る兵隊。

洞穴に帰った彼を待っていたものは・・・。


・・・・・まあ、もしかしたらもしかして、冒頭の絵を見て、わたしの意図とはうらはらに、
「なんだか良さそうな映画じゃない?」と思う人もいて
暇だからこれから観ようかって人もいないとも限りませんので、結末がどうなるかは割愛。
このシーンだけは「絵になってる」でしょう?
そうでしょうとも、この瞬間だけの映画なんですもの。


そして、この瞬間を映画にしたかったのが誰かと言うと、
堀江貴文(もちろん逮捕前の)。製作メンバーはライブドアの面々です。

タイトルロールでこの名前を見たときついこの言葉が・・・・

「なんじゃあこらあ!」










入間航空祭~「私は市民です」

2012-11-29 | 自衛隊

 

航空祭の風景です。

それにしても、基地の周りにほとんど隣接している住居のなんと多いこと。
これがすべて自衛官家族の住居というわけではないでしょう。
特に右写真のいかにも分譲のようなマンション、
最初から滑走路を眺めながら暮らしたい、というその筋の方向けに作られ、
そういう人たちのために販売されたとしか思えません。
おそらく、このマンションのパンフレットには、

「航空自衛隊基地滑走路の眺望を独り占め!
朝にはU-125のランアップ、そして次々と滑走路を飛び立つYS-11。
風を切って爆音を響かせるT-4の編隊、そして夜間訓練に瞬くC-47Jのライト。

遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、
はるか雲海の上を音もなく流れる気流は弛みない宇宙の営みを告げています。
満天の星を戴く果てしない光の海を(中略)何と饒舌なことでしょうか。

そんなあなたにお送りする、至福の暮らし。
航空自衛隊の飛行機とともに始まり、そして終わる一日。
このプレステッジとラグジュアリーな『ファーストシート』を今あなたに。
只今全戸好評分譲中」


などと書かれてあったに違いありません。

たとえそうでなくても、よそに住む選択肢がいくらでもあるのに
こんなところに住んでおいて「自衛隊の飛行機の騒音がうるさい」
などとはどの口が言うのか、と普通の人間なら思うものです。

ところが。

何日か前に「航空消音機」のことを調べたときにも少し書きましたが、
基地の周りに居住する人々というのはガンガンクレームを出すんですね。
騒音に対して。
ですからこそ自衛隊は、川崎製の航空消音装置などを設置し、
狭山市のホームページに飛行時間と夜間飛行の実地予定を明記し、
住民の理解を仰いでいるわけです。

このとき一連の「住民クレーム」(入間基地に限りませんが)について検索していたところ、
ヤフ知恵におけるこのような質問が引っかかってきました。
突っ込みどころ満載なので、そのままご紹介します。

タイトル
「入間基地の夜間訓練ですが私は狭山市民です」

私は狭山市民です子供が病で夕方涼しくなったので窓を網戸にしていたら、いきなりジェット機の爆音です夜間訓練は国の非常事態時のための訓練だそうですがその前に近隣市民への、配慮が全く感じられません。夜間飛行一回でどのくらいの費用がかかるのか知りたいのですが。

公正さを記すため、句読点も改行もないこの文章を忠実にタイプしました。
しかし、日本語の句読点の付け方というのは難しいものですね。
つけ方次第では、書き手の文章能力は勿論、学力、知的レベルまで
疑われてもしかたがないほどの壊滅的な打撃になってしまいます。
いや、この文章の書き手がどうというわけではなく・・・・自戒の意味も込めて。

そこで、文章の批判は差し置いてこの方のこの投稿を虚心坦懐に眺めると、
不思議なことがいくつかあるのに気づきます。

まず、この人は、いつからここに住んでいるのでしょうか。
「狭山市民です」とタイトルと冒頭で二回も繰り返しているところを見ると、
昨日今日引っ越してきたわけでもなさそうです。

夕方、窓を開けて網戸にしたらいきなりジェット機の爆音。
いかにも驚かされたかのように書いておられますが、
ジェット機のスピードを考えると、爆音というのはそういうものではないでしょうか。
そして、この方がここに引っ越してきて少なくとも一週間以上経つのであれば、
入間基地の夜間訓練は週三回行われているわけですから(狭山市HPによる)
初めて気づいたというのはあまりにも不思議な認識です。

前にも一度書いたことがありますが、わたしは息子を出産してほぼ一か月、
ほとんど赤子の顔しか見ない、赤子のことしか考えない生活を送っておりました。
今にして思えばつまらない過ごし方をしたなあと思わないでもないのですが、
それは、そのとき社会で何が起こっているのか、全く見えず聞こえず知りもせず、
世界から閉ざされた無重力のカプセルの中にいるような一か月でした。

この投稿者は、お子さんが病気であると最初に書いています。
つまり引っ越してきて以来、あのころのエリス中尉のように、病気の子供以外眼中になく、
基地の夜間訓練のことはこの日窓を開けて初めて知ったのでしょうか。

それならば言っている意味はよくわかります。

つまり、
「私は病気の子供がいる市民だが、基地の爆音がうるさい。
住民への配慮が感じられない。
こんな訓練に、税金を使うな」

この文章を三行でまとめるとこういうことになろうかと思います。

しかし質問の文中にあるように「国の非常事態のための訓練だそうだが」とあり、
「だから人殺しの軍隊である自衛隊は即刻解散せよ」
という結論に持っていかないあたりは、この投稿者はプロ市民ではなく、
単なる「善良な一エゴ市民」ではないかと想像されます。

狭山市の基地騒音課や航空自衛隊入間基地にクレームを入れるでもなく、
なぜこの人がヤフー知恵袋にこの質問を立てたのかはわかりませんが、
おそらく、自分の境遇に同情する人々が返答をしてくれると思ったのでしょう。

はたして、この質問に対して三つの回答が寄せられました。
意訳したうえ、簡潔にまとめてみます。

「子供の病気と騒音と何の関係があるの?
それに、夕方の離発着は夜間訓練じゃないし。
狭山市のHP見てから文句言え」

「近隣への配慮があるからHPに予定を記して回数制限もしてんだろ。
夜間訓練しなきゃ昼しか戦えない軍隊になっちまうんだよ!
ちなみに金額は一回何百万以上ですがそれが何か?」

「狭山市には先祖代々から住んでいるのですか?
後から引っ越してきてどの口が言うかこのモンスター住民が」

とまあ、若干(かなり?)乱暴な意訳ですが、ともかくこんな感じです。
つまり、三人ともこの投稿者に怒っています。
投稿者はこの誠意溢れる回答に満足したのか、三人で答えを締め切ってしまいました。



さて、まじめな話、基地は昭和13年からここにあるのですから、
昭和13年以前からここに住んでいて、かつどうしても騒音に耐えられなかった人は、
おそらく移転をしてしまっていると思われます。
転勤などで新たに移住してくる人もいるわけですが、
狭山市はこの基地騒音への対策、たとえば防音装置の取り付け(二重ガラスなど)には
補助金を出す、公共の建物などには最初から防音設備をつける、
そしてHPにおいて基地の所有機などを明示し、あるいは夜間訓練日を告知する、
と、入間基地と協力して取り組んでいます。
基地に設置された消音機もその対策の一環ですね。

沖縄の基地問題では、住民対基地ではなく、なぜか
「市民対基地」の様相を呈しており、市民は市民でも沖縄市民ではない、
なぜか東京や大阪から駆け付けた「市民」が、
オスプレイ反対を叫んで凧を揚げたりしている不思議な構図になっているようです。

この投稿者は「狭山市民です」と強調していますが、「市民」というのは「住民」というより
観念的な物言いをするときに、個人(そこに住んでいるかどうかを含めて)を観念の後ろに隠し、
理論武装するという意味で、より便利な自称なのかもしれないとつい思ってしまいました。
「市民運動家」から「プロ市民」という言葉が生まれたように。

つまり「病気の子供」と同じく「権利の主張」に基づく利益を得ようとするときに自分を守ってくれる
「パワードスーツ」みたいなもの、というのは言いすぎでしょうか。(←反語)


 

 


入間航空祭~「航空神社とアメリカ軍」

2012-11-28 | 自衛隊

入間航空祭の話を細部にこだわって書いてきました。

航空祭の行われた入間基地は、当初所沢飛行場に併設されていた
陸軍士官学校が1938年(昭和13年)、移転してきたときに作られました。
1941年には天皇陛下によって「修武台飛行場」と命名され、
終戦と同時にアメリカ軍に接収され、「ジョンソン飛行場」と名を変えました。

天皇陛下の命名であった飛行場の名前を勝手に変えるな。
と日本人は思ったでしょうが、負けたからには仕方ありません。

その名は、米陸軍のエース、ジェラルド・ジョンソンから取られたものです。
ジョンソン大佐は、旭日旗の撃墜マークを付けた愛機の前に立つ写真を残しており、
わたくしなどは、これを観た瞬間「やっぱり、アメリカ人って(以下略)」
とこの日本人を少なくとも23人以上確実に殺した人間の名を接収した空港に付ける
アメリカ人の傲慢さに最初は憮然としたものですが、
どうももう少し調べると、このジョンソン大佐が英雄として称えられたのは、
「エースだったから」というわけではないようなのです。

1945年10月。

占領軍の一員として日本に赴任するため、飛行機でフィリピンを出発した大佐の搭乗機は、
何と日本近海で台風に巻き込まれます。(台風シーズンですね)
ところが、こんな時に限って飛行機の通信機は故障。
完全に機は方位を失って立ち往生してしまいます。
さらに運の悪いことに、この日たまたま途中で立ち寄った沖縄で二人を乗せたため、
乗員6人に対し、定員4人分しかパラシュートが積まれていませんでした。
ジョンソン大佐は4人にパラシュートで脱出することを命じ、
もう一人の若い搭乗員とともに機と運命を共にしたというのです。

ジョンソン大佐はまあ仕方ないとしても、この25歳のテキサス出身の搭乗員の立場は?
そして、沖縄で「急に」乗り込んできた二人っていうのは何者?
本来、この人らが残るべきなのに、パラシュート使ってしれっと生還してるんじゃねー!
と誰も思わなかったのでしょうか。
特にテキサス出身の若い搭乗員の家族は。

まあとにかく、そういったわけで、終戦後の占領軍で自己犠牲の英雄とたたえられたのが、
このジョンソン大佐。
しかし、いくら調べてもテキサス出身の搭乗員は名前すら出てきません。
ジョンソン・テキサス(仮名)空港と命名し、この人の名も残してあげるべきだったのでは・・。


ところで、占領後米軍によって使用されていたこのジョンソン飛行場、
年表によると、どう見ても不思議なくらい事故が起こっているのです。


昭和29年 墜落事故 乗員2名死亡
昭和30年 墜落事故 滑走路わきの畑に墜落 乗員2名死亡
昭和31年 墜落事故 入間郡坂戸の民家に墜落 4歳の幼児死亡
昭和32年 墜落事故 離陸してすぐ墜落 乗員はパラシュートで脱出
昭和32年 墜落事故 横浜市戸塚区に墜落 乗員1名死亡
昭和32年 墜落事故 入間川河原に墜落 乗員2名死亡

昭和33年には入間基地が開設の運びとなりますが、まるで駄目押しのように

昭和33年 墜落事故 爆撃機B57が入間川に墜落 乗員15名全員死亡

この当時米軍は、どこでもこんなに毎年のように墜落死亡事故を起こしていたのでしょうか?
たった今数えたら、パラシュートで降りた一人を抜いて死亡した犠牲者は23名。
ジョンソン大佐の公認撃墜数と同じですねー(棒)



ここで、ふとわたしが気になってしまったことがあります。
この地は陸士の航空学校があり、同時にその殉職者の魂を慰める
「航空神社」というものがあったはず。

陸軍航空の最初の殉職者となったのは1913年に亡くなった、「木村・徳田両中尉」でした。
それからこの地に陸士が移転してくる1937年までの間に殉職した者の慰霊のために、
この「航空神社」は作られたのです。
しかし、それは1945年、敗戦を受けて早々に所沢市の北野天神社内に移されました。
これは、進駐軍の破壊を恐れての避難だったということのようです。
本神社は1965年に廃社となり、4千9百余柱の零名簿と零名碑はその後奈良県の
幹部候補生学校に一時保管されていました。

もともと、航空黎明期から満州事変までの航空殉職者は「戦死」と扱われなかったので、
靖国神社の合祀対象とはされていませんでした。
つまりこの航空神社は「靖国に入れない殉職者の魂を祀る場所」として作られたのです。

そして、昭和20年の敗戦の際、徹底抗戦を訴えクーデターを計画した軍人の一人、
陸軍士官学校、生徒隊の区隊長であった上原重太郎大尉は、
蹶起の要請を拒んだ陸軍師団長を斬り、その後、
この航空神社の玉砂利の上で割腹自殺を遂げています。


お地蔵様や鳥居、死者への祈りの集まる場所や碑を無神経に移したり壊したりすると、
しばしば「祟り」のような科学では証明できないことが起こります。
それを恐れて、日本人はそのようなことを避けるか、やむを得ない場合も鎮魂の儀式を行い、
「怒りを鎮める」ことに努めるという文化を継承してきました。

いくら避難のためとはいえ、敗戦に際して別の神社に動かし、
さらにその跡地のある飛行場を敵国の英雄の名に変える。
これは、何か起こっても当然、と普通の日本人なら考えるのではないでしょうか。

敗戦後、占領軍がしたのかどうかはわかりませんが、「修武台」と書かれた碑は字を消され、
飛行場の隅にずっと倒されたまま放置されていたそうです。
その後日本が独立国となって4年後の昭和30年、とりあえず碑は浄財を募って再建されました。

そして、実に30年後の昭和61年には、昔「空の神兵」と呼ばれ、
ここに学ぶ若者たちが毎日仰ぎ見た「航空兵の銅像」が復元されました。

最終的に航空神社の霊名簿が、入間基地に戻ってきたのは、昭和63年のこと。
修武台記念館が設立されたのと同時に、航空神社資料室の奉安庫に眠ることになったのです。

ところで個人的な要望ですが、この航空神社の霊名簿と、戦後自衛隊で航空殉職した自衛官たち
―もちろん、あのT-33事故の二人も含めて―を、ともに顕彰するような場を、
一般の人々が立ち入れるような場所に作るわけにはいかないのでしょうか。


突然ですが、エリス中尉、一度サイパンに行ったことがあります。
フィリピン人のガイドに連れて行ってもらい、島の北端、
日本軍や日本人が米軍に追いつめられて自殺していった場所を見ました。
ところが、車を山道に入っていったとたん、なぜか激しい頭痛に襲われ、
日本から遺骨収集に行った人々の建てた慰霊碑や数多くの卒塔婆、
仏像などが立ち並ぶ慰霊地でも、崖に立つ時も、ずっとその痛みに耐えていました。

戦時のサイパンを映したフィルムに、追いつめられて逃げる一人の日本女性が、
ひょい、という感じで崖から身を投げる瞬間が残されています。
彼女が飛び降りた崖は、戦後バンザイ・クリフと名付けられました。
もう一つの悲劇の地「スーサイド・クリフ」は、崖の下には平地が広がっています。
この崖の下からは、いまだに遺骨が出るのだと、彼は言っていました。

わたしはその崖から平地を眺めていて、不思議な建物があるのに気づきました。
なにもないその場所にぽつんと一軒、大型の保養所のような建物があります。
建物はずいぶん前から誰にも使用されなくなっているらしく、
遠目にもそこが廃墟となっているのがよくわかりました。

「あの建物はなんなのですか?」という質問に、日航ホテルの従業員でもある彼は
「アメリカ軍が持っていた施設なんだそうです」
「アメリカ軍が・・こんなところに?」
「理由はわかりませんが、しばらくしたら彼らはいなくなった。
建物だけがああやって残っています」
「ここで何があったのか、彼らアメリカ人が知らないはずはないでしょうに」
「わたしもそう思いますが・・・・・・まあ、アメリカ人ですから」
「ああ、アメリカ人ですものね」

アメリカ軍に追いつめられ、死んでいった民間日本人の遺骨が多く眠る崖。
その崖を見上げるところに建てられたアメリカ軍の施設。

そこでなにがあったのかはわかりませんが、
彼らのこうした信じられないまでの無邪気さというか、おめでたさというか、
多民族国家であるのにもかかわらず異質の文化に畏れを持たない傲慢さというか、

そういったもの全てに対して、そこにいた日本人とフィリピン人たちは、
なんとも言えない表情を見合わせて苦笑いしました。



昭和33年、入間ではロングプリー事件といって、
「基地から西武電車に向かって米軍の三等兵が銃を撃ち、
その弾に当たって武蔵野音大の男子学生が亡くなったという事件」
が起こっています。
その前年には米軍兵士が若い主婦を射殺する事件(ジェラート事件)も起こっています。
いずれもせいぜい10か月の収監で釈放という軽い判決が出されました。

最近起こったの沖縄米兵の女性暴行事件は、なにやら調べてみたら被害者が実は
「そういう商売」で、さらに「日本人ではなかった」などという複雑怪奇なものとなっていて、
昔の駐留兵による犯罪とおなじような構図と言えなくなっているようにも思われますが、
当時の米軍兵のそれは、ベースにかなり露骨な人種侮蔑があったのは確かでしょう。


入間の相次ぐ米軍機の墜落と、神社の移設に因果関係がある、などということは、
やはり断言するべきではないし、そもそもそんな非科学的なことなど起こるわけがない、
ということにしておいた方が社会通念上好ましいことなので、推論もここでは差し置きます。

しかし、イラクの件などを見ていても、アメリカ人はもう少しなんというか、
異文化を尊重する敬虔さというものを国民レベルで持つべきではないか?
とは思ってしまいますね。どうしても。


島の北端にいる間中襲われていた激しい頭痛は、
帰りの車に乗り、平地に差し掛かったとたんにぴたりと治まりました。
「たまたまだよね」と知人に言うと
「たまたまじゃないと思う」と真面目な顔で言われました。
皆さまもそう思われますか。


追記:

アップしてからジョンソン大佐の件を英語サイトで改めて検索したのですが、
英語のウィキによると、

「搭乗員の一人がパラシュートをつけていなかったので大佐が自分のを与え、
コーパイが『自分も残って大佐を助ける』と申し出た」
その結果、この二名が殉職したということです。

どちらにしてもこのコーパイの名前は書かれていません。
この話が本当だとすると、ますますこの隊員は顕彰されるべきなのでは・・?

そして、墜落したのは太平洋でなく入間川だと書かれています。
すぐ近くまで到達していたということですね。
お二人と、入間で殉職したアメリカ人パイロットたちのご冥福をお祈りします。




入間航空祭~「Flight Checkers」

2012-11-27 | 自衛隊

C-1,T-4,U-4,U-125,YS-11,そしてCH‐47J
こんなところが入間基地保有の航空機群です。
入間基地はこのUH-60Jは保有していません。

というわけで、これは外来機。
離陸せずに飛行展示だけで行ってしまいました。



昨日、厚木のP-3Cクルーがファンサービスをしていたという話をしましたが、
この二人もそうです。
彼らが全員このシーイーグル(海鷲・・・・海自らしい)に乗ってここに来たのなら、
定員11名のクルーのうち半数がこうやってお仕事していたということになります。

この写真、まずどうでもいいところから注目していくと、



液化炭素ガスボンベ。
消火用と思われます。
日本の保安法で、液化炭酸ガスは緑の容器に入れることが決まっています。
で、半分は緑、半分は消火用ということで赤なのでしょう。
海自の所有であるというマークがついています。
 
ところで皆さん、コーヒーのディカフ(カフェイン抜き)って、
二酸化炭素でカフェインを抽出して作るんだって知ってました?
今回この容器の色のことを調べていて知った驚愕の事実です。



ズボンの右に携帯電話入れのようなものがあって、
よく見ると全員がここに徽章付きの何かを入れています。
携帯にしてはポケットが深くて細長いんですよね。
トランシーバーかな?


さて、いよいよ本題です。
彼らの後ろに見えているのは、入間基地保有の飛行点検機、YS-11FC
入間は全国で唯一「飛行点検隊」という特殊部隊をを持つ基地です。
この部隊のミッションは「航空保安施設の点検」。そのまんまですが。

任務内容ですが、点検隊所属のYS-11FCやU-125が点検機として
全国の各基地に赴き、無線航法装置や計器着陸装置などの動作確認を実地します。
たとえばこのYS-11FC。
本来は輸送機ですが、中はばっちり点検機仕様にアレンジされているのです。

機内には、測定に必要なモニター、メーター、オシロスコープ。
点検に必要な機器が、ところせましと搭載されているのだそうです。

たとえばレーダーの発する電波を点検機を実際に飛行させて受信し、
それが誤差を解析したり、あるいは滑走路で点検機の降下角度を測り、
航空保安施設(電波や灯光で航行をサポートする施設)を点検したり。
この大変な精密さが要求される任務にあたる隊員をパネルオペレーターと言います。

パネルオペレーターは解析した結果を点検操縦士に渡します。
点検機のパイロットであり、また結果にも責任を持つ立場で、結果を施設に通達し、
場合によっては使用停止させる権限を持つのがこの点検操縦士。

点検隊の点検対象施設は日本の津々浦々におよび(沖縄除く)
その数160を超え、隊員は常に全国を飛び回っているのだとか。

ところで。

 

少し話が変わりますが、これらをご覧ください。
いずれも地上に展示されていたC1とC-130Hの尾翼につけられた部隊章。
いずれも航空支援集団に属する部隊です。

左は小牧基地の第1輸送航空隊、第401飛行隊のマーク。
航空自衛隊で唯一このC-130H輸送機を装備する部隊です。
PKO活動や人道復興支援において近年目覚ましい活動をしています。
空中給油機を運用する第404飛行隊とともに飛行群を形成するにあたって、
今までの「シャチホコ」マークから、この「ペガサス」にマークが変更になりました。

右側は入間基地所属、第二輸送航空隊、第402航空隊のもの。
C-1輸送機、YS-11、U-4を所有し、全国航空自衛隊基地への定期空輸を行う部隊。
マークの2nd TAGとは、Second Tactical Airlift Groupの意です。





ところで、入間基地のエプロンに立つといやでも目に付くこのマーク。
これこそが、全国唯一の飛行点検隊、Flight Checkの部隊章なのです。

写真を撮ったときは全くどこのマークだかわからず撮っていたわけですが、
今回、飛行点検隊のことを調べていて、これがそうだったと知ったときにはつい
膝を叩かんばかりに「うまい!」と思ってしまいました。

FLIGHT CHECK。飛行点検。
そしてチェスの「チェック」と「チェッカーフラッグ」。
チェッカーフラッグはFIAの決めた自動車競技用の旗ですが、
checker=チェックする人
と掛けているんですね。

誰が考えたか知りませんが、ハマり過ぎてこれは神レベル。
部隊章の意匠は、キングとポーンの駒の前に、ナイト。
いかにも飛行隊のイメージの稲妻。

いいなあ。

そして、もう一度冒頭の点検機を見てください、
このcheckerと同じ赤と白でペイントされているでしょ?
本当のチェッカーフラッグは黒と白であるのは皆様ご存知の通り。

ところで、この点検隊。
地味な仕事のようでどうしてどうして。
緻密な作業にコンマの正確さを求めて、たゆまぬ精進の毎日。
F2のパイロットもいいですが、こういう任務にあたる隊員もかなりかっこいいと思うの。
ちなみに、入間基地のHPでインタビューに答えている
パネルオペレーターの馬場二等空曹は独身だそうです。
ご参考までに。

http://www.mod.go.jp/asdf/iruma/special/006/p1.html


飛行点検隊について、かなり詳しく語っていますので、
興味のある方は是非読んでみてください。




入間航空祭~「ジェット燃料の匂い」

2012-11-26 | 自衛隊

                  




この日のF-2(#501)二態。

機体の番号♯501で気が付いたのですが、これは



前出のこの写真で小見さんが(←)チェックしていたものだったのでした。


しかし、戦闘機というのはどうしてこうぞくぞくするほど美しいのでしょう。
飛行機に乗りたくて自衛隊に入ったのなら、誰もが乗ってみたいと思うのではないか。
それゆえそれはものすごい競争率で、その狭き門を突破して選ばれる
戦闘機パイロットというのは、とんでもない頭脳と身体能力に恵まれているのではないか・・・。

かつて「戦闘機パイロットの運動神経」という稿で
「それはどうやら違います」といろいろ例を挙げて説明したことがある当人にもかかわらず、
縦横無尽に空を駆け風を切る戦闘機の飛翔を目の当たりにすると、
やはり「普通の人間じゃないよなあ」と思えてしまいます。

そして・・・そんな特殊な技能を持つパイロットって、超モテるんだろうなあ、とも。
だって旧軍時代から戦闘機搭乗員はMMK、というのが定説ではないですか。

リチャードギアの「愛と青春の旅立ち」という○○映画がありましたね。
(○のなかにはお好きな言葉を)
原題は「An officer and a gentleman」(士官と紳士)
なんでこんな変なタイトルなのかは全くわかりませんが、結局つまりこれ、
軍服を着た飛行士官に惚れない女はいないぜ!ということが言いたいだけの映画。
(飛行士官じゃなくなったら女が離れていった、というエピソードもあったような覚えが。
つまり女って俺が飛行士官じゃなきゃ相手にしないのかorzという結論であったともいえる)

このように、パイロット、ことに士官パイロットがモテるのはワールドスタンダード。

このあたりのことは実際にそうであるかどうか、
ご自身がかつて飛行士官で、おまけにご子息がF-2パイロットである方でもおられましたら、
無理にとは申しませんがぜひ伺ってみたいところです。




ところで先日、(その)鷲さんとのコメントやりとり中、計器飛行についての話が出ました。
飛行灯台の点灯によって計器飛行に切り替える、という話題をきっかけに教えていただいたのですが、


>飛行訓練における「計器飛行課程」においては、
基本的な「Pertial Panel」と呼ばれる訓練を行います。

この「Pertial Panel」というのは、
>旋回計、昇降度計及び磁気コンパス等、
本当に基本的な計器のみで針路をコントロールする訓練

だということですが、飛行訓練について調べたところ、
このような過程を踏むことがわかりました。
最初の段階は、

地上で目隠しをして操縦席に座らされ、教官に
「高度計」
と言われればぱっと手を伸ばして高度計に触れ、
「速度計」
と言われればそれに触れる練習をさせられる。

これは、操縦席の外を見ながら飛行するときに、視線は外にあっても、
一瞬で高度計を見て、変化していれば修正のかじを素早く使うための訓練です。

たとえば楽器でも、初心者は鍵盤や指板から目が離せないものですが、
そのうち楽譜を見ながら手元を見ないで演奏するようになります。
パソコンのキーボードのブラインドタッチも同様。

目をつぶっていてもどこに何があるかわかるようにする訓練ですね。
この訓練は、かなり昔の話のようですが、今もこのようにするのでしょうか。

この後、
水平垂直飛行
旋回
上昇降下
離着陸
アクロバット
と訓練が進んで、そこで初めて計器飛行訓練です。

計器飛行は、鷲さんのコメントの通り、外を全く見ずに計器盤だけをにらみながら
飛べばいいのですが、これもまたコメントによると
「そんな操作にもセンスが出る」とのことでした。

訓練では
「姿勢指示器を見て飛び、高度計を見て高度を瞬時に確認したら、
視線をまた姿勢指示器にもどす。
速度、進路、旋回率、上昇降下率も同様に確認せよ」
という風に言われるそうですが、これも最初は、

気流に揺られて傾いた翼を水平に戻していると高度が落ち、
これを直そうとしていると速度が変わり、これを修正しようとする間に
いつの間にか進路が変わってしまっている。
ひどいときには墜落しそうになる者もある。

というものだそうです。
訓練を積むうち、こんな訓練生も、計器だけでたとえば戦闘機なら
アクロバットもできるようになるのだそうですが、そのころには
計器を全てまんべんなく視界にとらえ、たとえ外を見ていても、
目の端で少しの針の揺れも認識できるようになるのだとか。

そして、鷲さんのおっしゃるように各自の「センス」というものも
如実にこういった操作に影響を及ぼすのでしょう。
どんなに飛行機の性能が進歩しても、それを繰る人間の技量で
それはフルに発揮されたりされなかったり、ということのようです。





ところで、飛行機展示の前には、このような柵があり、
柵越しにP-3Cのクルーがファンサービスをしていました。
パイロット用ヘルメットを被らせてくれるのです。
10分の一秒くらいの間、ヘルメットを被った写真をここにアップすることも
考えないではありませんでしたが、この光景、見てくださいよ。
実際被ってるのもこれから被りたそうにしているのも、子供ばっかりじゃないですか。
そればかりが理由ではありませんが、いくらなんでも恥ずかしいのでやめました。



後ろのP-3Cは、厚木基地所属の「シーイーグル」だったようです。
キャップの3はもちろん機種名からでしょう。
手に持っているジャケットも頼めば着せてくれそうですね。


     

モニターによっては縦に並んでしまったかもしれませんが、この写真、
ファンサービスのためにそこにいた海自クルーが一斉に注目している先には、一人の男性が。
なんと自衛隊OB出現です。

引退した元パイロット、しかもこのP-3Cに乗っていたというこの方の発言に、
一同「お~~~~!」(みたいな感じ?)
まわりの人たちも一斉に耳をダンボにして注目。
現役自衛官がOBに見せる表情をご覧ください。


ところで、わたしは今回このように上空を多くの航空機が飛び交い、
あるいは滑走路をタキシングする現場を初めて見ました。
そして、ネットの写真やyoutubeの画像では決して伝えられないことがあるのを知りました。
たとえば、画面越しには理解はできても実際にその場にいないと実感できないのが、
航空機のジェット音、プロペラ音ですが、それ以上に印象深かったのが、匂いです。

ジェット燃料の、おそらく空港や航空基地でしかかぐことのない独特の匂い。

この日午前中から夕刻までずっとここにいたわけですが、
これに気付いた、というかずっと匂っていたこの燃料の匂いをあらためて認識したのは、
外来機の帰投が始まっているエプロンの前列付近に立った時です。
パイロットが手を振り、巨大な機が翼をバンクして、一機また一機と入間を去っていくとき、
なぜだかわからないけどむやみに感動的なそのシーンに、これまたなぜかわからないけど、
その匂いはぴったりと合い、一種センチメンタルな気持ちにさせられるのでした。

たとえば写真の元自衛官の方のような、かつてのパイロットや、エンジニアなど、
空港基地に勤務された方々は、航空祭に来て、現役の時にはさほど意識していなかった
この匂いを嗅ぐとき、あらためて、さまざまな思いを去来させるのかもしれません。
あるいは、このジェット燃料の匂いに包まれた、乾いたこの空気に包まれるために、
かれらは引退後もこうやって基地に度々足を向けるのかもしれない、とふと思いました。








入間航空祭~「クルーとパイロット」

2012-11-25 | 自衛隊

続いてふたたび入間航空祭です。
写真は、帰投のため滑走路を移動しているT-400のノーズ部分だけ。
この機体番号から、どうやら

美保基地の第3輸送航空隊、第41教育隊のT-400

ではないかと検討を付けました。
教育隊所属なのは、これが初等練習機だからでしょう。
この時間から美保、つまり鳥取まで帰るのか?と一瞬思ったのですが、
調べてみればこのT-400、東京大阪間を35分で行ってしまうそうで・・・。
小一時間後には美保基地に到着しているというわけですね。



C/C K.KAWANABE。
気が付けばどの機にもこのようなネームが。
今まで気づきもしなかったこういうところに目が行くようになったというのも、
航空祭での大きな収穫の一つです。
これというのもズーム力に優れたカメラで撮った画像のおかげ。
そしてなによりご指導くださった皆さまのおかげでございます。

冒頭写真のコクピットの人影、パイロットかエンジニアかはわかりませんが、
白い手袋をつけた手を振っています。
この航空祭のような場合でなくても、帰投の時、搭乗員はこのように手を振るのかしら。
地上は帽触れで送るわけだから、きっとするんだろうなあ。

この日、初めて航空基地で軍用機を大量にこの目で見たのですが、
実際に見て本当によかった、と思えたのがこういう風景なんですよ。
航空機を駆っているのが間違いなく人であると感じる瞬間です。




OH-1の帰投寸前まで、こうやって横に立っていた陸自の隊員。
わかりませんが、点検作業の一環でしょうか。
そして、機体の向こう側にも同じ位置にもう一人立っているのが足だけ見えています。



こちらはフライング・エッグがいよいよタキシング・・・・と言っても
このヘリはいきなりこの位置からふわっと飛び上がって去って行ったわけですが、
そのとき、隊員の膝には、なぜかこのようなものが目撃されました。

どうみても・・・これは・・・・・・ビニール袋にはいったお菓子?

この機がこれから三重まで帰るとして(明野のヘリかどうかは確認してませんが)、
こういうとき機内でお菓子を食べるのは、アリ?
「基地につくまでが航空祭」ということなら飲食不可だと思いますが・・・。
それとも、単なるお土産?

それ、お菓子ちゃう、飛行マニュアルや!というような確信に満ちた情報をお持ちの方、
おられましたらコメントお待ちしております。



これも帰投直前の陸自ヘリのコクピット。
コードのようなものになぜ洗濯バサミが挟んであるのか、気になる・・・・。
メモ挟みかな。




バードストライクで演技中止になったブルーインパルスですが、地上でずっとクルーが周りを囲み、
なかなか興味深い光景が展開しており、ある意貴重なものが見られたと思います。
その、問題の二番機アップ。
なぜか機体に2とか3とか書いてありますね。
車のボンネットに相当するのがここかな。

機体の下にはかがみこんで下から機体を点検するクルー。
花束を持っている人は、ラストフライトのパイロットのためにこれを持ってきた人のようです。
そしてほかの機を降りて、事故機を見に来たパイロットの姿もありますね。
ちなみに二番機の里見三佐(らしき人物)は、この画像より右側におられます。




こんなところも開くのね・・・。
時間が長引けば整備する人も大変辛そうな箇所ではあります。
おそらくシスティナ礼拝堂の天井画を描いたミケランジェロ並みの苦労でしょう。

先ほど開いていたハッチがこの写真では閉まっていますが、
閉めてしまえば遠目ではどこにあるのかもわかりません。
こういうハッチは絶対に手では開けられないんでしょうね。
飛行中に何かのはずみで開いてしまわないように。






おおお、日の丸の下にもハッチがある!
さすがに極限までアップにしても、ここに何があるのかまではわかりません。

ところで、わたしの写真の撮っていたのと反対側にバードがストライクしたわけですが、
いろいろこの日の事故について画像検索していると、
鳥はエアインテークに吸い込まれたのではなく、ノーズの左側20センチのところに激突したらしい、
ということがわかりました。
駐機している二番機の左側から撮られた画像がいくつか見つかりましたが、
なんと継ぎ目がはがれ、少しではありますが凹みがあり、さらに血と思しき赤い汚れが見られました。

ということはバードを跳ね飛ばしてしまった、という事故だったわけですね。
はねたそのご遺体はいったいどこへ・・・・・・・。

気の毒なこの鳥さんは、スズメとかではなく、結構大型だったのでしょうか。
鳥が当たったくらいで機体があんなに傷つくというのも驚きですが、
それによって、電気系統に少しとはいえ異常があったというのは・・・・・。
知れば知るほど不思議な事故ではあります。

わたしの隣にいた方が二番機の遅れを指摘していた、ということを書きましたが、
もしかしたら、ぶつかったのはそのときだったのでしょうか?




ともあれ、この事故がなければ見られなかったこれらの光景ですが、
ブルーインパルスのチームとは、「ドルフィンクルー」と呼ばれる整備員も含めてのことであり、
花形であるパイロットの華麗な演技も、クルーなくしてはあり得ないということを
目の当たりに確認することができ、実は幸運だったともいえます。

自衛隊機に限ったことではありませんが、飛行機というものは生身の人間を乗せて飛び、
ときとしてその調整や整備のミスが命に直結する事故となります。

噂の範疇を出ませんが、自衛隊で起こった過去の墜落死亡事故の中に、

「パイロットが非常に傲慢で、整備員につらく当たるので、
その仕返しに墜落するような細工をされた」

というものがあるのだそうです。
もちろん都市伝説のたぐいで愚にもつかない与太話だと信じたいのですが、
飛行というものがいかに飛ぶ人間と飛ばせる人間の共同作業であるか、
そしてその両者の間にはいかに緊密な信頼関係が構築されているべきかを物語る話です。

旧軍のパイロット、たとえば母艦搭乗員の日高盛康少佐などは、
回顧録でなんども
「わたしがこうして戦後まで生きているのもひとえに整備員のおかげ」
と語っていました。
戦闘や事故などで同僚や部下失われていく中、それでも生き残ったのは
運以外の何物でもないというしかないあの戦争を経てさえ、
感謝すべきは整備員だった、というこの元搭乗員の言葉には重みがあります。

T-33練習機の事故について書いたとき、こんな話を目にしました。

二人のパイロットが、すでに脱出できる最低高度をはるかに下回る事故機から、
それでも射出装置を使って離脱したのはなぜだったのか。

もちろん、そのまま乗っていれば、確実に機とともに地面に激突するのですから、
万に一つでも生存の可能性のあるベイルアウトを選ぶのは人間としての本能でもあったでしょう。
しかし、ある自衛官はこのように言ったそうです。

このような事故が起こったとき、誰よりも自責の念に身を苛まれ、
激しく苦悩するのは、その機を整備した整備員である。
ただでさえ彼らは事故機の点検整備に落ち度があったのかもしれないと後悔し、
原因がわかるまで、懊悩するのである。
もしベイルアウトしないまま地面に激突したとしたら、
射出装置があるいは故障していたのか、とそこに新たな整備員の憂慮を生むであろう。
だからこそ、彼らはためらうことなくベイルアウトしたのだ。

そんな命のぎりぎりの場において、
パイロットがクルーにかける心配まで斟酌するものだろうか?
これはわたしたち一般人の考えです。

しかし、前述の言葉が自衛官の口から語られたことにもう一度思いをやれば、
当事者同士にしかわからない、共振ともいうべき一体感が
どうやらパイロットとクルーの間にはあるのかもしれないという気がしてくるのです。






自衛隊観艦式~「自衛隊スィーツ」

2012-11-24 | 自衛隊

    


いろんなイベントに出向いてそのことを行きつ戻りつ書いているので、
10月に行われた観艦式のことはすっかり過去の思い出になりつつありますが、
今一度、ご報告すべきことがあります。
そう、それは

お    み    や    げ    。


どこにいってもお土産を買うというのが最近の恒例行事になっているわたし。
この観艦式でもお土産を買いまくりました。
「いろいろ買いすぎ!」      
挙句の果てはその包みを家人に持たせて愚痴を言われたというくらいです。

でもねえ。
中身がいつもの「自衛隊ケーキ」「自衛隊パン」「海軍ドロップス」
と全く同じものであるとわかっていても、このようなラベルがついているものなら
ついついほしくなってしまうではありませんか。わたしだけかな。

冒頭画像の一番左は、靖国遊就館の売店でよく買うサイダー味のドロップ。
息子のお気に入りなので、今後のことも考えて三個購入しました。

わたしの乗った「ひゅうが」は何しろ巨大艦ですので、見学者も多数。
その見学者のために、ちゃんとした売店も出店していました。
観艦式には「食べやすいお弁当を持っていくべし」と前もって言われていたので、
我々はおにぎり持参で臨みましたが、実はこの売店では弁当が販売されていました。
手ぶらで行っても「ひゅうが」なら何かしら食べるものはある、ということですね。

今回のお土産はここで買ったものです。



ピンバッジ。いまだに開封していません。
何に使うというあてもなくつい買ってしまいました。
使う、というよりわたしの場合「資料」扱いです。
航空徽章が非常にかっこよくてよろしい。


携帯ストラップとピンバッジ
これは、あることでお世話になった方に差し上げました。

行ったわけでもないのにこんなもんもらってもどうすんの、って感じです。
全く、土産ものを配るというのはある意味テロ行為みたいなものですね。
押し付けちゃった方、すみませんでした。反省してます。



おなじみ海軍カレー
これは息子が買え買えとうるさいので買いました。
しかし、これ、何もここで買わなくても、ガーデンズとかで売ってるんですよね。
その気になれば横須賀の製造元からネットで買えるし。
なんのためにわざわざ「ひゅうが」艦内で買わねばならなかったのか。
家人が「買いすぎ」と文句を言ったのも、今となれば納得できます。

今ならね。



この売店には、あまりにもネタ過ぎて、買う勇気なく写真だけ撮ったお菓子が・・・。

このDead or Alive(生きるか死ぬか)ですが、クリームをサンドしたクッキー。
クッキー地はダックワーズ(アーモンド味のメレンゲを使っている)で、
なかなかおいしそうですが、そこで普通でないのが自衛隊スィーツ。

なんと、6個に1個は激辛の(たぶん)ワサビクリームが挟まれているのです。

箱の上部に書かれているのは、

被弾確率6分の1

12個の美味しいクッキーのうち2個は激辛クッキー。
君はこの恐怖に挑戦できるか?!

JSDF LIMITED RUSSIAN ROULETTE COOKIE

ネタなのはよくわかりましたが、なぜこれがドルフィン運動やら総火練やら
戦闘機のパッケージでなくてはいけないのか、はっきり言って全く理解できません。
パッケージが、陸海空自衛隊のすべてに気を使っていることだけはよくわかりますが。

来客に出すわけにはいかず、ウチワ受けのネタとしてしか使用できないお菓子ですが、
この「激辛」の味に興味があるので、ちょっと買ってみたかったかも。



自衛隊限定茶
ちょっと渋みのある緑茶です。
持ってきたおにぎり弁当と非常によく合いました。
一つ持って帰り、非常用として食品庫に収納してあります。

この艦内売店、「ひゅうが」に乗った人々が詰めかけてなかなかのご盛況。
この巨大艦への出店を勝ち取ったこのお土産屋さん、勝ち組というやつです。
ところが、おばちゃんのお客のさばき方なんかを見ていると、

「日頃このような、我も我も状態の客を相手にするような商売は決してしていない」

ということが痛いほどわかる手際の悪さ。
後ろに客がいっぱい待っているというのに、商品の値段をいちいち確認しながらですから。

食べ物だけでなく、Tシャツやタオル、パーカなどの「自衛隊グッズ」も売っていましたが、
「ひゅうが」の乗組員がかぶっているキャップが記念に欲しくて聞いてみたら、

「(商品はあることはあるのですが)忘れました」

忘れた・・・・って。
商品を持ち込むのを忘れたってことですか?
おばちゃん、いかにも残念そうに言ってましたが、わたしも残念です。
きっと持ち込んでいたら飛ぶように売れていたと思います。

さて。
それではこの辺で、自衛隊スィーツの試食会と参ります。

 

さすがに買ったものを一気に食べることはできず、
全部を食べ終わったのがつい昨日。
最初に開けたのが、このフルーツカップケーキ。

フタを開けると、ケーキがひっくり返った状態で入っています。
このままお皿に伏せて落とすと手を使わなくて済むのです。
頭いい。



いきなり半分に割ってみました。
一般のフルーツケーキより、甘さはかなり控えめです。



こちらはこの「ケーキの缶詰シリーズ」のチョコレートバージョン。
これははっきり言ってかなりウマー!でした。
別に缶に入っていなくても十分スィーツとしてイケていました。

以前靖国の遊就館の「自衛隊ケーキ」を買ったことがあるのですが、
何が変わったのかその時よりしっとり度がかなりアップし、お世辞抜きに美味しかったです。



そしてこれ。
やはり同じように逆立ちして入っている「パンの缶詰」。
今回購入したのがキャラメル味だったのですが、



これをご覧いただいても美味しそうなのがわかっていただけますでしょうか。
パネトーネというイタリアの少し甘いパンがありますが、あんな感じで、
あれよりももう少しもっちりしている、といった食感です。
パンというよりやはりおやつっぽいですが、ケーキというほど甘くなく、
これは冗談抜きに非常食としていくつか保存しておくといいのではないかと思いました。

製造は「岡根屋」という、こういったパンの缶詰を多く扱っているお店ですが、
パンやケーキを缶詰めにしたのではなく、最初から缶の中で作るのだそうです。
この製法とこの商品はこの岡根屋が特許を取っているとのこと。

このメーカーが自衛隊にこのような商品を出すのは、海外派遣などの航海中
「美味しいパンやケーキが食べたい」という自衛官たちの熱い要望に応えたのが始まり。
防衛相共済組合との公式契約商品となっています。
会社ぐるみで防衛政策懇話会などにも積極的に参加し、自衛隊への理解を深めるなど、
決して「御用商店」にとどまらず、協力企業として深くかかわっている様子です。

「自衛隊シリーズ」は各駐屯地やイベント、あるいは遊就館や江田島でしか買えませんが、
HPのオンラインショップでは全く同じ中身のもの(たぶん)が購入できます。

http://www.okaneya.co.jp/opinionleader/

おすすめはパンの缶詰お試しセットかな。
缶が一つ500円、というのは少し高い気もしますが「保存がきく」という特殊性を考えると、
お値打ちなのではないか?とちょっと宣伝してみる。





ちいさなポニーと馬の物語~チッチとサリー

2012-11-23 | つれづれなるままに

彼は馬。
馬としては平均身長だが、成り行き上「のっぽのサリー」から
「サリー」と名付けられた。
小さな彼の恋人は、ポニーのチッチ。

サリーはある日、トレーニングのため、千葉の馬場から
富士山ろくのこの乗馬クラブにやってきた。
厳しいトレーニングを積んで数か月。

ある日この乗馬クラブに彼の千葉での恋人、チッチの姿があった。































註:彼、マックスはこの馬房で唯一のスタリオンである。
牝馬が近くに来ようものならもう大変なのである。

















よくわからない理屈だが、サリーはこの一言で覚悟を決めた。
馬とポニー、しかも去勢された馬とポニーは決して結ばれることはない。
そんな過酷な運命もまた甘んじて受けるのもまた人生。じゃなくて馬生。

馬生というと、読者の中には馬刺しを連想する者もあろう。
この馬刺しというのは文禄、慶長の役当時、
補給線を絶たれ食料が底をついた加藤清正軍がやむを得ず軍馬を食したのが始まりである。

「腹が減っては戦ができぬ・・・・ゆ、許してくれ!」
「馬を食べるなんて外道だがやむを得ん・・もぐもぐ」
「あれ?これ意外とウマくね?」「ウマー・・・・って誰がウマいこと言えと」
「ちょ・・・・・もう一頭追加で」「くーっ、これにしょうゆとワサビがありゃあなあ」
以後、生で馬を食うという馬にとってははななだ迷惑な食文化が日本に根付くことになる。

閑話休題。
とにかく、彼はそんな諦念に至ったのである。









千葉の馬場経営、ケンは日本語がペラペラであるが、
こういうときにはつい英語になってしまうのである。
日本人読者のために説明しておくと、「Holy Cow!」は「聖なる牛」ではない。
「おったまげた!」というときにこの世でアメリカ人だけが使用する言葉で
「聖なる」の後に「神」とか「ジーサス」というのは畏れ多いのでとりあえず「牛」にしているのである。
ちなみに筆者は空港でターンテーブルから出てきた荷物があまり多いので、
「Holy Moly!」
と隣のおばちゃんに驚かれたことがある。









結局彼が車に乗ったのは一時間後のことであった。

現在、サリーは千葉の馬場で立派に仕事をこなしている。
そして馬場の隅には彼の姿を見守るチッチの姿が今日も見られるという・・・・・。




お断り この話は実話をベースにした創作です。



入間航空祭~「スーパーマン募集中」

2012-11-22 | 自衛隊

                

航空祭が終わって駅に向かうとき、別の入り口から基地に入ったので行きは見なかった
この歓迎幕に気が付きました。
幕よりなにより、空中を横切る電線の数がものすごいなあ、と・・・。


今日も、航空祭を少し変わった視点からお送りします。




やはり入間基地の出口(わたしが出口にしただけで本来は入口ですが)に、
このようななんの変哲もないアパートのようなものがありました。
これは宿泊施設で、たとえば航空祭のとき外来機に乗ってくるパイロットが
臨時に宿泊するときにはここを使用するのだそうです。
自衛隊の施設ですからもちろん最低限の設備ですが、「寝るだけなら十分」なのだとか。
さらに、この屋上部分をズームしてみると・・・。



怪しい。
どう見ても普通のアパート屋上には無い装備が・・・。
さすがは空自基地、これも航空レーダーか? 



怪しいといえば、この滑走路向こうの物体も。

これは、航空機地上試運転用の消音機なのだそうです。
航空機の安全な飛行のために、整備作業の一環として地上でのエンジン試運転を行います。
この試運転をランナップというのですが、このランナップの時の騒音は非常に大きなもので、
基地周辺の近隣住民の皆様からのクレームが懸念されます。


一般論ですが、基地や飛行場というものは、当初は人気のない平地に作られるものです。
しかし、そのうち周りに人が集まり、町ができて居住区ができ始めます。

そして、後から住み着いた住民はおもに騒音問題で文句を言い出すのです。

文句を言うなら、当初だれも住んでいないから、安いから、とわざわざ基地周辺に土地を買った
親なり祖父なりを恨めばいいのに、と傍から見ていると思えるのですがそれはともかく。

そういう住民エゴをも軽やかにスルーするための、日本国自衛隊ならではのアンタイ・クレーム兵器、
これが、別名クレーマーキラー、CK型航空機消音装置。(本気にしないように)
確かめてはいませんが、おそらく川崎重工の製品でしょう。



大きくアップ。
この穴にT-4なりU-125なりのお尻を突っ込んでエンジン始動。
後ろに行くほど高くなっていますが、この部分は排気ダクト。
ただの筒ではなく、ダクトそのものが消音機能を果たし、
ダクトの上部から排気を逃がす仕組みとなっています。

川崎重工の開発したこの消音装置は基本的に屋内型なのだそうですが、
屋外型も同じ機能であろうと思われます。

それにしても、このことを調べていると、出てくる出てくる
「基地の爆音に対して即刻消音装置をつけろという市民団体の訴訟例」が・・・・・。

この消音機の消音装置新設のための入札についての資料もずいぶん見つかりましたが、
基地に対する訴訟と言い、この「消音ビジネス」といい、
実に、国土の狭い日本と日本社会ならではの航空基地事情、という気がします。



ところで、これ見てください。
我が海上自衛隊のヘリ、SH-60J。
この入間航空祭には陸自、海自からも航空機展示がありました。
メインが空自なのでデモはなく地上展示のみです。

陸自からはAH-1S,OH-1,OH-6D,UH-1。
海自からはP-3CとこのSH-60Jシードラゴンです。

外来機の帰投時間になり、各機が順番に移動していたのですが、
そのときすっかりエプロンの視線を独り占めしていたのがこの光景。

完璧に人力のみで移動させています。

「へええ、人の力で動くんだ~」

周りの人々が口々に言うようにわたしも驚きました。



押しているみなさんをアップ。
この緑の人たちは海自のクルーですよね?



小さい写真では見えませんでしたが、
大きくすると、操縦席にパイロットがいるのがわかります。
そこでふと疑問に思ったのですが、ヘリはタキシングできるのか?

答えは「できる」なんですね。知りませんでした。
見たことがなかったもので。
普通のスキッド(ソリのようなヘリの降着装置)だけのヘリはどう考えてもタキシングは無理です。
こういうヘリのタキシングは「ホバー・タキシング」「エアー・タキシング」と言って、
「エアギター」のように「タキシングしているふりして実は浮いている」ことを言うのですが、
このSH-60のように車輪を持つヘリは、ローターの推進力でタキシングが可能なのです。

ただーし。

ローターを回しながらタキシングすると、何しろローターというのが、
その回転でこの鉄の塊を空に飛ばしてしまうというくらいのものですから、
ダウンウォッシュと呼ばれる下向きの気流が生じ、その影響で
周りに駐機している軽量の飛行機などが浮き上がり、最悪の場合には車輪止めを越えて
転がってしまうおそれがあるのだそうです。

ヘリコプター基地のデモンストレーションなどで、
このSH-60が一斉にタキシングしている写真を見たことがありますが、
このようなデモ以外では、あまりヘリはタキシングさせないのではないか、と、
みなさんがこうやってみんなで一生懸命へりを押しているのを見て思いました。



走ってます。
皆で押すと結構速いスピードで移動するということですね。
黄色いバーを車輪にかけて進行方向に引っ張っていますね。
もしかしたら、ヘリって、こういう時操舵できない仕組み?

それから、赤と黄のミサイルみたいなものですが、これは
AN/ASQ-81 磁気探知装置(MAD)。
MADmagnetic anomaly detectorつまり「磁気の異常を探知する装置」です。

潜水艦とは強磁性の材料のカタマリなので、そこに潜水艦がいれば磁気の異常を生みます。
つまり、潜水艦探知装置なのです。

ちなみに、オライオンP-3Cのしっぽ、


棒状のものが突出していますがこれも磁気探知のためのMADブームです。
単なる飾りではありません。
「親の言葉となすびの花と軍用機の装置には万に一つの無駄もない」
ということわざもありますね。



このブルーの制服の整備隊員は、最初からこのSH-60の近くに立っていました。
かれらは入間基地のクルーでしょうか。
この写真に写っている全員がヘッドフォンをかけていますが、
通信用兼ノイズキャンセリング機能付きであると思われます。

消音機の存在にうかがえるように、飛行機の轟音をいかに消すかが基地の抱える大きな問題ですが、
この轟音の間近で日々職務に当たる人々もいるわけです。
昔は整備員などでも職業病で難聴になる人もけっこういたのではないか、とふと思いました。

 

ところで、このSH-60にはパイロットとともに「センサーマン」が搭乗します。
「SO」(センサーオペレータ)とも言われるこのセンサーマンの任務は、
搭載電子機器(レーダー、ソナー、ソノブイ受信、赤外線探知など)の操作が主任務で、
その他通信員も兼ねます。
航空学生出身のパイロットとは違う選抜をされた電子整備員がこの任務にあたるのですが、
それだけではなく、

航空写真の撮影(画像転送含む)、
救助用ホイストの操作、
有事には機関銃の射撃、
着艦拘束装置の操作、
空中消火に当たるときは消火装置の操作。

そもそも、海自の厳しい心理適性検査合格者の中から体力、聴力、水泳能力、
すべてに合格していなくてはなりません。
何しろこのセンサーマン、別名「スーパーマン」。
なにしろ、「海上自衛隊一多様な任務にあたる男」
それがセンサーマンなのです。

ウィキペディアによると、任務があまりに多様すぎて、「要員養成は困難である」・・・・・・・。

困難である、じゃないでしょー?
なんのためにこんなトライアスロンみたいな役職を作るかな海自も。
もしかしたら陸自の「空挺レンジャー」とかに対抗してる?
一人に何でもかんでもやらせずに、
あと二人乗員を増やして仕事を専門化させればいいんでない?

しかし・・・・・・・・・・

この任務に現役で当たっている隊員が現実にいるのなら、
どんな人か、ぜひ一目見てみたい!!!!

そう思っていろいろと画像検索したところ、ある航空隊の隊員紹介が出てきました。
海自のスーパーマン、意外と写真で覗う限りは普通の青年です。
いずれも大空を自由に駈けるヘリコプターに憧れ、この道に進んだことや、
仕事は大変だけど大変やりがいがある、などと熱く語っています。

なお、この航空隊に飛行士は二人配属されていますが、その二人が二人、
一番最後に、やはり熱く、このようなメッセージを残しています。

WANTED!!

自衛官はもちろんですが、入隊後に航空士になりたい人を募集しています。
航空士になるための教育、なってからの勤務は決して楽なものではありませんが、
非常にやりがいがあります。
特に、多種多様な任務により、刺激的で新鮮な毎日が過ごせます!!

海上自衛隊の航空士に、少しでも興味をもたれた方は是非、お問い合わせ下さい。

海上自衛隊の航空士に、少しでも興味をもたれた方は是非、お問い合わせ下さい。

海上自衛隊の航空士に、少しでも興味をもたれた方は是非、お問い合わせ下さい。

 (大事なことのようなので三回書いておきました)

 




 


入間航空祭~「オライオンの裏」の恐怖

2012-11-21 | 自衛隊

防大の開校記念祭についてしばらくご報告してきたのですが、
入間の航空祭についてまだご報告が残っています。
観艦式についてもあと一回だけ書きたいことがあるのですがこちらもまた近日中に。


何の因果か、この世界に足を踏み込んでしまったエリス中尉、
今年になって、いきなり大量の自衛艦自衛隊機を、しかも生まれて初めて目の当たりにし、
あれ見たこれ見たと子供のようにはしゃいでしまっているわけですが、
短期間とはいえこうやって間違いながらも毎日のように機種を識別していると、
いままで全く同じに見えてきた飛行機やフネの形状についても少しはわかってきたりするものです。

先日から始めた乗馬ですが、馬場のあるのは御殿場の富士裾野、
ここはまさに陸上自衛隊の富士学校がお隣さんです。
ぱかぱかやっていると、どぅおおおおおん、ごおおおん、といった感じの地鳴りのような、
おそらくは富士教導隊付属の90式戦車が咆哮したのであろう轟音が響いてきます。
今日もやっとるな我が軍は、と満足してふと空に目を向けると、そこには陸自ヘリの影。

「CH-47J、チヌークか・・・・・」

エルメスの新作ラインはもう名前すらフォローしていないというのに、
いったいどうしてこんなことを知っている、わたし?

ただ見るだけではなく、こうやって写真とともにああだこうだと語り、
またコメントや訂正をいただくうちに、バレンシャガのバッグの本物と偽物の違いより、
SH-60JとKの違いを見分ける方が大事なことに思えてくるのですから、
人生というのはまことに一寸先もわからないものでございます。

それはともかく、今日は航空祭で見た細部ならびに気づいたことなど挙げていきます。

冒頭はもう(わたし的には)すでにおなじみ。
おなじみすぎて、あたかも自分がかつて乗っていたような錯覚をしてしまうほど
親近感を持っているP-3Cですが、この地上展示にはおまけがありまして。



画面の右隅に置いてあるのは・・・・。



うむ・・・・これは・・・・・・これは・・・・

これなんでしたっけ?(ちゅど~~~ん)

防寒スーツ?耐水スーツ?それとも兼用?
真ん中の斜めになったところから足を入れて手を入れて着るもの。
それは見ればわかる。
おそらく前身くまなく包まれるので海に落ちても大丈夫、ってやつですね。
P-3Cのパイロット用なのは展示状況からよくわかるのですが、
いったいどういう状況になったとき身に着けるものなのでしょう。

「あー、今機の調子が悪くて、海上にちょっと不時着しそうだから着ておくように」

ってことで乗員11名みんなが身に着けるのでしょうか。
そして、かれの左にある枕みたいなリュックみたいなのは、何?
海に落ちた時に背負うもの?
中に非常食とか信号弾とか入っているのかしら。

 

翼の下のパイロン。
パイロンとは重量物を吊り下げるための重力強化ポイントを言いますが、
これは対戦爆弾を搭載します。
ハの字状のピンは、爆弾を吊っているときは上向きなのかな?
投下の時がっちゃんと全部下を向くのではないかと予想してみました。





遠くから見るとごっつんされてコブを作ったみたいでかわいいですが、
この丸いのはアンテナフェアリングといいます。
P-3Cは衛星通信装置を搭載していますが、頭に乗っけていると空気抵抗が悪いので、
このような丸いドームをかぶせているのです。
ちなみにフェアリングとは「fairing」で意味は英語でそのまま「流線型構造の覆い」です。

救出口と書かれた矢印の先をアップしてみると、



EXITの下が光ってどうしても読めないのですが、RELEASE(解除)かな?
日本語は「強くたたいてあ」(ける、でしょうね)とあります。
外から救出するときに漢字の読めない人にもわかるように、ひらがな使用(たぶん)。
どうやらこのベージュの四角いのがロック解除ボタンのようですが、
光の加減でこのボタンが実際にも「強くたたいてしょっちゅう開けられた」形跡が見えます。
点検の時には必ず作動するか毎回チェックしているようですね。

ところで。
今日タイトルの「オライオンの裏側」についてですが、
この日の展示では機体の周りに柵があって、オライオン、
つまりP-3Cの裏が見られませんでした。
見られなかったのに、何が恐怖なのかって?

実は、このオライオンくんの裏側には、「ソノブイ(SONO-Buoy)ランチャー」という、
見るからに気持ちの悪い穴がいっぱい開いた部分があります。
ソノブイというのはつまり対潜水艦用の音響捜索機器、一言で言うとマイクなのですが、
その使い捨てのマイクがここから落ちてくるんですね。
そのたくさんの穴から。

ハスの実を想像させるような丸いものの集合体に非常に弱く、
背中がぞわぞわしてしまう恐怖症を
「トライポフォビア(Trypophobia)」というんですが(英語での画像検索厳禁)、
実はこのトライポフォビアのエリス中尉には非常にこういうものが怖い。

しかし、なぜか怖いもの見たさで見てみたい。
ぜひその部分をいつか実際に確かめてみたいものだと思ってしまったのです。

調べたところ、このソノブイ・ランチャー、P-3Cに搭載されているものに限らず、
だいたい同じような形状をしているらしいことがわかりました。




青い空にブルーの機体、U-125A
救援捜索機として運用されています。
今は引っ込んでいますが、この機体は左降着装置の収納庫内に、
救援の保命用援助物資投下装置をも収納しているので、
物資投下の際は降着装置も出すことになっています。
省スペースのやり方が日本仕様らしいですね。

ファイル:U-125A Dropping Pict.jpg

ウィキからお借りしてきたU‐125A物資投下中の勇姿。
前輪後輪ともに出ているのにご注目ください。

ところで、かつてコメントで鷲さんが
「自分の引っ越し荷物を自衛隊機で運ばせた馬鹿がいた」
と書いておられましたが、その機はU-125Aだそうです。

この話を聞いたとき、転居先の空き地にごーっと降りる日の丸機、
中からテレビやタンスちゃぶ台が運び出され・・・・
という光景が脳裏をよぎってしまったのですが、さすがにそれはなくて、
「元基地から転属先の基地に私物を運ばせた」というものだった模様。

ところで、この自衛官は、これで懲戒免職になったのでしょうか・・・?




この日は整備隊も脚光を浴びます。
地上展示してあったF2戦闘機のコクピットで、
注目を浴びまくりながら整備をする小見士長の(たぶん)姿。
しかし、戦闘機というのはどうして隅から隅までこんなにかっこいいのか。
跳ね上げられたキャノピーがまた何とも・・。
ところで、写真に撮ってみて初めて気づいたことですが、
キャノピーにどう見てもバックミラーにしか見えないものが・・・。

これ、本当にバックミラーですか?

それから、これ。



なんと、乗り機には自分の名前がペイントされるのです。
かっこいいなあ。こういうのもまた。
これはクリサキ・タカシ(仮名)二等空曹の機だということらしいです。

先日、米軍の階級章は陸海空で違う、という話になりましたが、
我が自衛隊も、英語ではアメリカ式階級呼称を採用しているようです。

ここにペイントされた「T/Sgt」は「Technical Sergent」で、二等空曹。
海上自衛隊の二等海曹は英語では「Petty officer 2nd class」。
海自が曹クラスを「士官の小型」呼ばわり?しているのに対し、空自は
「サージャント」の上に「マスター」「テクニカル」「スタッフ」をつけて階級分けしています。
ですから、

「♯わたしは海軍のキャプテンですが????♯」

の米海軍と同じく、海自の一佐は英語ではやはり「キャプテン」、
空自の一尉も英語では「キャプテン」と紹介するようです。



飛んでる飛行機ならともかく、地面に静止している飛行機を撮るのに、
どうして尾翼が切れているんだ、って気もしますがそれはさておき。

練習機T-7です。

初等練習機というのは、生まれて初めて飛行機に乗る練習生ががいきなり

 こんな飛行機や

こんな飛行機に乗っては、テンパって飛行機をつぶしてしまうかもしれないので、
初心者はもっとお手軽な操作でさくさくと飛んでくれるような、
つまり反応が素直で性能もいい飛行機で練習するのです。

また、練習機は、基地間の連絡や訓練支援(曳航、標的になるなど)以外にも、
佐官級の上級部隊指揮官が技量維持のため「年間飛行」と呼ばれる訓練に使います。

「流星になった男たち」という稿で、練習機T-33Aシューティングスターの事故を扱いましたが、
この事故で無くなった二人の佐官も、この「年間飛行」を行っていました。
ちなみに、この型は、2002年の除籍予定でしたが、事故を受けてこの後すぐ飛行停止、
翌年(2000年)には残っていた八機すべてが除籍処分になっています。



さすが練習機、いちいち指示が丁寧です。

「バッテリは左側前方の防火壁後方にある」

「中に消火器あり」

あいまいな単語をスタイリッシュに書くなど、兵器にはあってはなりません。
何かあったとき、マニュアルを出して読んでいる間に取り返しのつかないことになるので、
危急につながることは、多少格好悪くても機体にちゃんと書いておくのです。

ところで、この機にも名前がペイントされていますね。

「三等空曹 片岡慎也」

練習機だとこれもなぜか日本語表記ですが、よくわからないのがその上。
この三文字、なんて書いてあるんでしょうか?
飛行長?
あと、練習機だから練習生がかわるがわる乗るはずなのに、
どうして機体に所有者名が書かれるのかも謎です。
管理責任を負う操縦士ってことでしょうか。


後からこんな風に疑問が噴出してきて、それが解決するたびにまた知識が増える。
ゲームみたいで、ワクワクします。


入間空自祭の「重箱の隅シリーズ」、もう少し続きます。












眠気覚ましの歌

2012-11-20 | お出かけ

           

週末、丸ノ内ホテルの「ポム・ダダン」(アダムの林檎)で食事をしました。
ちょっと久しぶりに、ただあったことだけを淡々とご報告。
最近ちょっと調べたりする記事が続いたので(当人の)息抜きです。



TOが誕生日のプレゼントにお食事券をいただいていたのです。
コースがひとり分全くの無料。
「でも、このチケット持って一人で食べに来る人っているの」
「たった一人でフルコースをもくもくと完食・・・それはもはや罰ゲーム」
「やっぱり最低でも二人で来るよね。こういうレストランには」




えーと、これは・・・・・・なんだっけ?
餃子じゃないと思うけど・・・ラビオリ?
そうそう、思い出した。
「ラビオリはべりいまそかり」ってしょーもないこと言いながら食べたんだった。
なんの味だったかは忘れました。

 

前菜が何皿も続きます。
全部で9皿くらいあったかな。
我々は三人でこのひとり分のコースをシェアしました。
そういうことができるのも、なじみのホテルだから?

右のスモークサーモンの横は白子の天ぷら。
この日の料理にはあちこちに白子が使われていました。



三人でコースひとり分を分けるのはさすがには足りないかもしれない、と、
サラダとこのオニオングラタンスープを追加で注文したのですが、
ご覧のようにスープが主か、チーズトーストが主かわかりません・・。
これだけで(実はパンは三個あった)いつもならおなか一杯かも。

 

コースの鴨と、息子が頼んだ鴨のコンフィ。
息子は肉、特に脂身が大嫌いで、鶏肉もささみと胸肉以外お断り、
という嗜好の子供ですが、だからなのか鴨は大好物です。
アメリカに行った時も、肉は鴨、ハムは必ずターキーをリクエストされます。
日本ではあまりお目にかからないターキーですが、これ、脂肪が少なくておいしいんですよ。
ローストターキーとクランベリーのバケットサンドウィッチはわたしの大好物です。



メインのステーキ。
皿数が多いので、みんなほんの少しずつです。
しかし、この辺になるとわたしも息子も戦線離脱して、TOが孤軍奮闘していました。



デザートになると急に後方に離脱していた戦力が別腹部隊として復帰し、
この一皿はわたしと息子とで半分ずつ攻略しました。

この日、ドームホテルでエイミーちゃんが出ているというメールをいただいていたので、
終わってから少しだけステージを聴きに行くことにしました。
昔文京区に住んでいた時、ここには温水プールがあって、
生まれたてのあかちゃんだった息子をベビー・スイミングに連れてきたものです。

わたし「なんかねー、ここにくると、あのときのやーな気分がよみがえってくるんだ。
だって最後にあかちゃんを123~でプールに沈めるんだよ?ドボンって。
あかちゃんは水が好きなんだから絶対に泣かない、なんて言われて。
でも、泣くよね?息子、必ず大泣きするからわたしも憂鬱になっちゃって」
TO「まあ、なんの予告もなしにいきなり水に沈められたら誰でも怒るわな」
息子「俺の断りもなしになぜそんな教室に」
わたし「赤ちゃんにいろんなことをしてやらねば!みたいな焦りっていうのかな。
良かれと思っていろいろ試しちゃうのよ。初めて親なんてものになると」
息子「それははっきり言って有難迷惑だな」

当の本人にきっぱり言われてしまったわけですが、
その「通るたびにいやな感じ」となっていたプールはもう無くなっていました。
ドーム周辺そのものが、いろいろとしばらく来ない間に変わったようです。



この日のライブは、ギターとのデュオでした。
ステージが終わってから息子を見て、歌手のエイミーちゃん、
「うちの息子、三歳なんですよ」
三歳児を育てながら仕事を続けるとはえらいなあ。
ちゃんとバックアップしてくれる人がいないと、なかなかできることではないと思います。

しかし、彼女のようにこういう仕事をしながら子育てをしている人は、
なまじ時間がないだけに、子育てに不安を持つ親をまんまとその気にさせる、
業者主催の習い事のたぐいに子供を入れねば!などとは決して思わないのでしょうね。

今にしてつくづく思うのですが、赤ん坊にそんな「お教室」は必要ないんですよ。
と、思わぬところで自分のかつての親ばかを反省したエリス中尉です。


ところで、わたしが車で都心に出るとき、行きはともかく、帰り道、
高速で『ここに来るとなぜか必ず眠くなるポイント』があります。
前日寝不足だったりするとてきめんなのですが、なぜかそれまで平気なのに、
その地点を通過するとまるで条件反射のように睡魔に襲われるのです。
「眠くなる、ここに来ると必ず眠くなる」
と自分で暗示をかけてしまうくらい、それはほぼ確実に訪れるのです。

この前日、ほかならぬこのブログの制作に手間取って、この日わたしは完璧に寝不足でした。
もう、高速に乗る前から「今日はあの地点に到達するより前に確実に眠くなる」
と自分で力強く断言できるほどの寝不足です。
しかし、今日はわたし一人ではなく、所帯主と跡継ぎ息子を乗せており、
・・・まあもちろん一人でもだめですが、それ以上に事故を起こしてはならない状況。

「あの、みなさん、わたしこのままだと運転しながら寝そうなんですけど」
「それはいかん!息子、目が覚めるような音楽かけて!」

息子が黙って選んだのは・・・。

ザギャラクシーエクスプレススリーナインナインナインナインナインナインナインナインナイナインナインナインナイ♪
ザギャラクシーエクスプレススリーナインナインナインナインナインナインナインナインナイナインナインナインナイ♪
(銀河鉄道スリーナイン イグザイルバージョン)


でかした息子。これなら大声で歌えるぞ。

「さあゆくんだ~そのかおをあーげて~」
「いつしか~まぶしい~おとこのーひかり~」
「ザギャラクシーエクスプレススリーナインウィルテイキューオナジャーニアネバエンディンジャーニー」


「ねえ、いつも思うんだけどさ、この男の光、ってなんなの」
「いいから黙って歌え!ママが寝ないように!ジャニーーーー、ットゥザスター

「終わったよ!次」

ツータタツータツータッタツタタツータタツタタツー(ちゃーんちゃーーん)
せかいのはじまーりのーひー♪
(創世のアクエリオン)

「出会わなければさつり~くのてんしでいられたあっ
すーきなるまたたきもうるわしい~
ここなんて言ってるのかわかんない」
「サビですよ!みなさんご一緒に!はいっ」
(三人で)
「一万年と二千年前からあ・い・し・て・るゥ~
はっせんねんすぎたーころかーらもおとこいしくなあーたー」

「次っ!」

(息子)「エリオット・ヤミンのウェイト・フォー・ユーとボンジョビどっちがいい?」
(わたし)「エリオット・ヤミンかな」
TO「眠たくなるからボンジョビにして」

「イッツマイラーイフ、アンイッツナウオアネーバー エインゴナリフトフォーエーバー」♪
(ボンジョビ イッツマイライフ)

「さび以外全然歌えないし・・さすがにきみはそれらしく歌ってるね」
「え、オレも全然意味わかってない」

息子とわたし、エンディングに声をそろえて

「いっつ、まい、らいふ!」
「あー、大声で歌ったから無事に着いた。でも喉が痛いよ~」

そしてふと後部座席を振り返ると、そこには安らかに眠っているTOの姿が・・・・・。









ドラマ「白洲次郎」

2012-11-19 | 映画


やっとドラマ「白洲次郎」について書く日がやってきました。
なまじ時間をかけて資料を読みすぎたのが災いして
なかなか取りかかれなかったのですが、リクエストしてくださったしんさんに
あくまでも「ドラマ」についてでいい、と言っていただき、気楽に始めることにしました。

ところが、観艦式以後、すべて参加イベントの写真を掲載するエントリーが続き、
しばらく絵を描かないうちに、どういうわけか以前のソフトがおかしくなっていました。
しばらくその対策について製造元とメールのやり取りをしていたりしたのですが、
案の定それも面倒になり、アップグレードバージョンを買うことにしました。

というような裏の諸事情を経て、やっとのことで本日載せる絵を急いで描きあげ、
ログ制作に取り掛かっているというわけです。
(わたしはいかなる稿も、先に挿絵ができていないと全く書けないのです)

さて、このドラマそのものに入る前にいつもの愚痴です。
わたしはこの番組をリアルタイムで観ていませんでしたので、ソフトを購入しました。

何が悲しくて国民の皆様から視聴料を集めて作ったドラマをDVD化して販売する
エネーチケーのあくどい販売戦略にまんまとかからなくてはならないのか。
業腹なことに、国民の皆様の視聴料で作ったドラマにもかかわらず
こういうDVDは販売はしてもレンタルには一切出さないときている。

いつまでたってもスクランブル化しないしする気もないこの放送局。
もしスクランブル化で「見たい人だけが見る」ことになれば、たちまち立ちいかなくなる、
つまりは作っているもの、報道することが信用されていないことを自覚しているからでしょうが。

先日訴訟問題について書いた記事が何者かによってずたずたにされて以来、
それがどのような事情でそうなったかは断言できないままに、
はっきりと「エネーチケーは敵」と認識することにしたエリス中尉ですが、
もちろんこの局のすべてを否定しているわけではありません。
(知り合いもいることだし)
このドラマ「白洲次郎」を制作したこと、このドラマそのものは評価できると思っています。

しかし、しつこいようですが、この憂うべき体質の国営放送の販売戦略にかかり、
不本意ながらもこれを購入しなければならなかった悔しさもまた否定できません。
このドラマについて語るという大テーマがなければ、おそらく一生観なかったでしょう。


と、ながながと前口上で愚痴ってしまいましたが、ドラマそのものについてです。
相変わらずにべもない言い方をさせていただければ
「秀逸である。ドラマとしては」ということになろうかと思います。

ドラマは三部に分かれており、

一、白洲次郎の少年時代、ケンブリッジ留学と帰国後の近衛公との出会い、
二、戦中、田舎で農業をし、思想弾圧を受ける吉田と近づいていく次郎
三、吉田の側近として戦後GHQと渡り合い、「ラスプーチン」と呼ばれる次郎

妻である白洲正子との出会い、結婚、そして奇妙ともいえる結婚生活。
ロンドンの親友、ロビン(ストラッドフォード伯爵)との交流。
そんなことを横軸にしながら、話は進められます。

この白洲次郎を演じたのが伊勢谷友介
少年期は高良健吾、老年期は神山繁が演じましたが、
実のところ、この二人のほうが造形的には白洲本人に似ています。
特に神山繁演じる老境の次郎が、機密書類を燃やす最初と最後のシーン、
写真に残る晩年の白洲次郎そのままで感心しました。

高良健吾の演ずる白洲が、「将軍」と言われた大資産家の父親、
奥田瑛二に追放される形でイギリスに留学したとたん、伊勢谷に交代します。

どちらかと言えば丸顔で、白洲に似ている高良から、いきなり細面の伊勢谷。
どうせなら高良くんにケンブリッジのシーンもやらせてあげたほうがよかったんじゃないかしら。

ついでに正子との出会いシーンも、あの有名な、

Masa: You are the fountain of my inspiration
and the climax of my ideals

と書かれたポートレイトの写真も、高良のほうが似ています。
伊勢谷が悪いとは言いません。
いい演技をしていると思いますし、伊勢谷でないといけない理由も、
おそらくドラマ制作内部的にはあったのだと思いますが、
ここのところ、白洲次郎について書かれたものや写真を見てきたわたしに言わせると、
伊勢谷友介という特別にシャープで鋭利な雰囲気をもつこの俳優を起用したことで、

「白洲次郎という個人の、特別にかっこいいところだけを抽出した」

という、悪く言えば「作り物」感が満載のドラマとなってしまっている気がします。

もちろん、白洲次郎が外見風貌、そのダンディなスタイルから英国仕込みの立居ふるまい、
そしてなにより自らの「プリンシプル」に忠実な流儀を押し通した、
筋金入りの「かっこいい男」であったことは疑いようもない事実です。

それを百も承知の上で、このドラマは「白洲を特別なヒーローとして世に知らしめる」
という制作の意図が透けて見え、また、見ていて恥ずかしいような
「flushy」な白洲次郎が作り上げられているように思えてなりません。

しかも、まだ若い白洲を演じているうちは「flushy」で済むのですが、
中年以降は(個人的意見ですが)伊勢谷・白洲は全くイケていない。

白洲次郎について読めば読むほど、知れば知るほど、
彼の魅力というのは人生の後半ほど際立って光ってきていることがわかります。
確かに若いころの写真を見ると、生まれ持っての優れた容姿に、
知性と自信、意思の表れたその力強いまなざしは十分に人を惹きつけます。

しかしながら、後年の白洲次郎の持つ、凄味のあるかっこよさというのは、
この若いときの「普通の美貌の青年」(とはいえ世間的にはまったく普通ではありませんが)
などは「まだまだ及ばない」別次元に到達しています。
若いころの白洲は、つまりは高良であろうが伊勢谷であろうが、
演技がうまい美男俳優なら演じることのできる存在です。

翻って、占領政府と渡り合うころからそれ以降の白洲を演じる伊勢谷は、
本物の白洲の持つ「本来人間は老いれば老いるほど美しくなるはず」と
随筆家の妻白洲正子が書いたような「積年の美」を体現しているようには見えません。

天皇陛下からのクリスマスプレゼントを「その辺に置いてくれ」
とぞんざいに言い放ったマッカーサーに対して

「日本は戦争に負けたが我々は奴隷になったわけではない」

とドラマでの白洲は決め台詞を投げつける。
このドラマのもっとも有名なシーンであり、白洲次郎らしさを表すこのシーン。
痺れるほどかっこいいのですが、実はこのとき白洲は本当にこういったわけではありません。

そして、良くも悪くも伊勢谷的白洲はこのイメージに終始します。

あまたの白洲次郎の写真の中で最もかれが光り輝くようにかっこいいのは、
わたしに言わせれば、東北電力の社長時代。
国を背負って占領政府とやりあい、しかしそれが済めばあっさりと田舎に引っこみ、
百姓仕事をしながら趣味の家具つくりに精を出す、
そんな生活を経てまたもや社会の第一線にでてきたころ、
顔のしわや、白髪と少し後退した生え際すらそのかっこよさに何らの影も与えず、
むしろそれが勲章のような男の装飾となってかれを引き立てている。

このときの白洲が体現する、これも正子の言葉を借りれば
「いずれが上というわけではないが、
全く無知な者のそれとは違う、知恵に溢れた者の美しさ」は、
失礼ながら一俳優である若い伊勢谷が、白髪にし皺を増やしたところで
全く表現でき得るものではない、と思わざるをえません。

このドラマによって、今までどちらかというと
「随筆家白洲正子の夫として認識されていた白洲次郎」が脚光を浴び、
白洲を知る人々もブームの渦中に巻き込まれるという現象が起こり、
あらたに日本人は白洲を知ろうとするようになりました。

しかし、知れば知るほど、このドラマにおける白洲は
「芯の通ったかっこいい日本人」という、皆に受けそうな
白洲次郎だけをドラマ仕立てにしたに過ぎない、という気がしてくるのです。

白洲が果たした占領下の日本での本当の仕事。
ひいては吉田茂の果たしたことと、占領下の日本で新憲法を作るとき、
そこになにがあったのか、そして新憲法への一連の改正作業の間、
缶詰め状態であった白洲が、すべてが終わり帰宅するなり

「監禁して強姦されたらアイノコが生まれたイ!」

と吐き捨てるようにいったこと。
そしてできた憲法をあくまで独立国になるための「暫定的なもの」としていたこと。
そういった「微妙な」、しかし重要な事実については、
案の定、この国営放送局は全く触れることをしません。

そしてまた、苦々しく見たのが、中年期に入った正子と次郎の間に、
誰の回想にも随筆にもない「夫婦の言い争い」が創作されたことです。
青山次郎に『テリア』と呼ばれた正子が、何者でもない自分を自虐し、

「こんな女と結婚して後悔してるんでしょう?家事も何にもできないわたしと」

などというのを、次郎が抱きしめ、

「おれにはきみが必要だ。マサは素敵なライバルなんだ」

などと、なぜか英語の会話で行う、という(文字通り)臭い芝居。

正子本人のどの随筆を読んでも、娘の桂子の本を読んでも、
正子が自分の妻としての在り方にこのようなコンプレックスを感じていたことなど
全く書かれていないどころか、北康則の「占領を背負った男」によれば
この夫婦は次のようであったといいます。

文芸評論家河上徹太郎が目撃したところによると、
朝帰りの正子を早朝から農作業をしていた次郎は
「あら、おはよう」と飛び切りの笑顔で明るく迎え、
そのまま何事もなかったように野良仕事に戻っていった。

温厚そのもの。めったに怒鳴ったりはせず、夫婦仲はすこぶる良かった。
正子の活動にも全く干渉せず、相手の人格を尊重し、
そこは自己責任だと割り切っていた。


「自分探しのために随筆や骨董の世界にのめりこんだ妻とそれを理解する夫」
というストーリーは、なんのために加味されたのでしょうか。
そしてそれはいったいどのような意図で?

そして、いまひとつ、不思議な部分がクローズアップされています。
白洲次郎が徴兵を回避するために、辰巳栄一(吉田内閣の軍事顧問)に
口利きを頼んだことです。
わざわざ、「自分はこの戦争に自分の一片たりとも差し出す気はない」
というために、農業を教えてくれた青年が出征し戦死する、という創作を加えています。


実在の人物をドラマにするのは、いずれにしても難しいものです。
この夫婦喧嘩以外の個々のエピソードは、ディテールはともかく、
白洲本人がどこかで書いていたり、周りのものが語ったりしたことから取られ、
決して「真珠湾からの帰還」のように、ねつ造創作はされていませんが(笑)
それでもやはり家族から見ると「これ、誰のこと?」状態であったようで、
生身の人間を描くのに実相からある程度乖離することは避けがたく、
もし白洲本人が生きてこれを見たら
「いったい誰の話だよ」
と苦笑いして言うに違いない、とわたしは思うのですがいかがなもんでしょう。

このドラマに精彩を与えているのは、なんといってもベテラン俳優たちです。
吉田茂の原田芳雄。次郎の父白洲文平の奥田瑛二
そして近衛文麿を演じた岸部一徳

今年の夏、2012年7月にがんで亡くなった原田ですが、
このドラマの撮影が行われた2009年には、すでに本人に余命告知はされていて、
それを知って観ると、この大宰相を演じるに十分の気迫、声音や笑い方まで
研究し自分のものにしたらしいその渾身の演技には感じ入ります。

そして、原田と同じく、実物にしか見えなかった岸部の近衛公。

「戦前は弱腰だといわれ、戦後は戦争犯罪人だと罵られ・・」
と詠嘆する、この悲劇の貴公子の、その弱さ、脆さ、繊細さを、
岸部にしか演じられないような迫真の近衛像をもって演じています。

憲法を改正するにあたり、一度は近衛を重用したマッカーサーは
「少年院の規則を決める人間にガンマンを選んだようなものだ」
と、戦犯扱いするアメリカの新聞記者たちの批判をうけて、
なんとその憲法調査会を解散させてしまいます。

かつて一国の首相を務めた人間を、風向きによってあっさりと切り捨てる。
こんなマッカーサーの独断に振り回される形で近衛公は戦犯指名され、自殺します。

白洲次郎と近衛公のことについてはまた別に書きたいと思っているのですが、
白洲がマッカーサーをこの件だけでも憎悪していたことは想像に難くなく、
戦後も何かの用事でGHQが接収していた第一生命ビルの前を通るとき、
決してそちらを見なかったということです。

ドラマで採用された「我々は戦争には負けたが奴隷になったのではない」
というのは、白洲の口癖だったようです。

天皇陛下からのクリスマスプレゼントをぞんざいにあしらったマッカーサーを、
白洲が血相を変えて叱り飛ばし、マッカーサーも慌てて謝った、という事件は、
もちろん、占領下の気骨ある日本人たる白洲の真骨頂であり、その気概の表れでした。

しかしながら、このとき白洲は、

近衛を振り回した挙句死に追いやったマッカーサーの横暴に対する
抑えようのない義憤があったからこそ、次郎はこの絶対権力者に対して
大胆にも声を荒げて怒ったのだ。
(北康則)

と解釈するのが、より妥当だと思われます。

このドラマの占領時代における白洲は、この例のように、
どこか大上段に立った理想主義者のような面が強調されすぎている、
と考えるのはわたしだけでしょうか。
それもこれもすべて、ドラマという表現媒体の持つ「対象の純化、英雄化ありき」
を斟酌すればいたしかたないことなのかもしれませんが。


それはそうと、この「白洲次郎」、第三回「ラスプーチンの涙」では、
戦争中思想犯として投獄され、その後敗戦国が独立した時の首相として、
サンフランシスコ講和条約で演説をした吉田茂が語られます。

この放送が、当初あの悪夢の政権交代の前日に予定されていたのですが、
「どうしたことか」選挙日が公示されたとたん、放送予定が変更になった、
ということをご存知でしょうか。

ようやくのことで解散になった衆院ですが、任期中日本のためになることは
何一つしなかったといっても過言ではない民主党に政権を取らせるため、
マスコミが当時、総出で応援していたのは記憶にあたらしいところです。
(個人的ソースは毎日新聞社員の『俺たちの手で政権交代してみせる』という言葉)

解散した自民党の総裁がこの吉田茂の孫であることと、この放送日変更には、
なんの関係があってどんな配慮が働いているのだろう、
とわたしは意地悪くこのニュースを見ていました。


これは、ドラマです。

観る者に共感を与え、感動させることが第一義のドラマで、
感情に訴えるセンチメンタリズムを加味することはドラマツルギーの基本です。

このドラマは、文字文献から白洲次郎を多く知ろうとした人間が見ると、
このセンチメンタリズム以上に、製作者および製作元の思想、
なかでも政治的イデオロギーがいやでも目に付いてしまうのです。

「徴兵を回避するため口利きを頼んだ白洲にアリバイ的言い訳をさせる」
「近衛公に『我々は軍人の手から政治を取り戻すために頑張っている』と言わせる」
「リベラリストとしての吉田をあくまでも善、とのみ描く」
(この描き方がアダとなって、選挙前日に放映できなかったのなら笑いますが)

このようなメッセージを、実に感動的なシーンとセリフによってドラマにしてしまう、
このあたりは「やっぱりいつものエネーチケーだわ」と感じて、うっすらと鼻白んでしまいました。

あ、それから、私の好きな奥田瑛二が演じている次郎の父親、文平ですが、
当時にしてハーヴァード大学を卒業し、ドイツに留学した人間。
綿花で儲けて大金持ちで、しょっちゅうよそに子供を作るほど女癖が悪く、
ステーキをくちゃくちゃ音をさせて食うような野蛮で下品な男であったなどという話は
今回読んだどの本にも出てきませんでした。
まるでその下品な傲慢さに反発したからこそ海外に留学したような創作は、
白洲次郎に対しても非常に失礼ではないかと苦言を呈させていただきます。


というわけで結論ですが、このドラマ「白洲次郎」を見て感じたことは、

ドラマは真実を語るにはあまりに真実がなさすぎる。
真実はドラマにするにはあまりにドラマがなさすぎる。

ってことで。
もちろんドラマとしては非常に面白かったです。(爆)






防大開校記念祭~「風林火山な野郎ども」

2012-11-18 | 自衛隊

     あ ん の う ん な ヤ ツ

防大開校記念祭において降下展示を行うわが精鋭たち!!だったのだが・・・

 

パイロット
「今日は休日だし、早く帰りたいからチャッチャとな。
終わったらケータイに電話して!
すぐ迎えに行くから!
それまでそこらで時間つぶしてるわ」




着地成功!
狭い目標地点でも、彼らの技量は確かである。

が?!






 



           


陸自空挺団の皆さんが降下を終え、
三人で考えても自分たちの乗っていた機が判明せず
「三人寄っても文殊モンキーの知恵」状態に陥っていたそのとき、
防大パラシュート部の降下が始まるというアナウンスがあった。



 

 



                         




制作*前半まで 影の大番長
    「ところが」からの言い訳部分 エリス中尉

特別出演*海軍リス戦隊の皆さん



  


防大開校記念祭~「雨の中の棒倒し」

2012-11-17 | 自衛隊

防大というところはなにかと海軍兵学校の伝統を受け継いでいるようで、
あたりまえのようにこの記念祭で棒倒し競技が行われます。

戦前は陸軍士官学校、陸士も海兵と並んで優秀な青年たちがこぞって受験した難関。
戦後わが国の士官教育をする学校を作るにあたって、
各校のいい部分はそれぞれ採用されたと思うのですが、防大に受け継がれた陸士の教育、
陸士の伝統というものはどのような形で残っているのでしょうか。

防大教育と旧士官学校とのかかわりに焦点を当てて書かれたものを読んでみたいですね。


さて、その兵学校の伝統、棒倒し。
これは旧軍時代から「名物」と言われ、学生もこの行事を心から楽しんだようです。
以前、体育の日スペシャルとして、兵学校に在籍し教鞭をとったイギリス人教師、
セシル・ブロック先生の観たこの棒倒しの情景を紹介したことがあります。
そのときにブロック先生は競技のやり方もまた詳しく述べているのですが、
今回、防大で行われている棒倒し競技はそのころとほとんど変わりないことがわかりました。



グラウンドの定位置に棒が置かれます。



昔の「棒の上に旗を立ててそれを取る」というのとは違い、
棒の上に細い棒が指してあるような感じです。
この位置からは小さく見えますが、ここには「上のり」という役目の、
おそらく体の小さい学生がしがみつきます。

 こんな風に。

ちょこんと留まっている感じでかわいいですね。
上のりは下のスクラムを駆け上ってくる敵(突攻)を、
足で蹴落として棒を守る最終兵器です。



いま、フォーメーションを組んでいる最中。
下にいっぱいいるのがサークルといい、棒を囲んで守る陣。
彼らの肩の上に立って、棒を上部で支える者たちが、今上に登ろうとしています、。



エリス中尉はこんな位置から見ていました。
まだこのときは曇っていたとはいえ雨は降っていなかったのですが・・・。



そこでまたもや防衛大臣旗とともに森本大臣登場。
前日、五百籏頭(いおきべ)氏は、講演の中で「あすはどこの大隊が勝つでしょうね」
などといっていましたが、当然ご本人も鑑賞です。
この後雨になったのですが、そのとき来賓がどうしていたのか見るのを忘れました。

競技は1から4大隊の4つの大隊の間で争われます。



選手入場。
チームごとに違う掛け声をかけながら走ってきます。

お父さんお母さんが「うちのたかしはいったいどこにいるの?」と探しても、
これじゃ誰が誰だかわかりませんですね。
このヘッドギアをご覧ください。
棒ももちろん特注ですが、防大、恐るべし。
参加学生の数だけ、このどうやらウレタンフォームでできているらしい
防護ギアを作ってしまったものと見えます。
これなら多少むちゃくちゃやりあっても、頭部と顔面だけは守れますね!

兵学校時代は「悪くて脳震盪、ときどき鼻血を出す生徒がいる」のが当たり前だったのですが、
おそらくこれならどちらの心配もなさそうです。



しかし。
グラウンド脇にさりげなく待機したのはどう見ても医療関係者。
この女性は防衛医大卒の外科医かナースでしょうか。
そして、担架。ものものしい・・・。



そして、雨の中帽子もかぶらずに立って待機している防大生。
その横には、救急車が。
何が起こっても即対応。っていうかどれだけ万全の態勢なのよ。



第4大隊の攻撃チーム入場。



各大隊、巨大な隊旗を持っています。
このころにはもう雨がかなり降ってきて、みな傘をさしての観戦。
しかし、当然ながら防大生は傘など一切差しません。



調査したところによると、右から二番目のギアなしのコワモテは、
4大隊の棒倒し責任者である大澤嘉人学生(たぶん)。
体格もすごいし、かっこいいですね。
なぜギアを付けていないかはすぐにわかります。



みんなが持っている紐はなんだろう。
絡まったりして危険じゃないのかしら。
どうやらカーキ色はどのチームでも防御隊が身に着けるものなので、
ここにチームカラーをコーディネートしてみたってところでしょうか。



こういう風に待機しているのは、「スクラム」というパートです。
スクラムを組んだまま棒の周りを固めているサークルに突入し、
攻撃する「突攻」の踏み台になるのです。
それにしてもこの「突攻」ですが・・・・「とっこう」・・って読むんですよね。



対戦前の安全確認。
足や指、手首足首に貼られたバンデージはけが防止?
なぜかみんなで足元の点検。
「はい、みなさん、足の爪は伸びてませんか~?」「はーい」



奥に立っているのは審判です。




審判は、どうも凶器をもっていないかとか(!)
やっぱり爪が伸びていないかなどを一人一人チェックしているようです。
兵学校時代と違い、実に慎重に危険防止に努めています。
何かあったら大変ですものね。



そして、メンチ・タ~イム!

主将同士進み出てにらみ合います。
赤のシャツは第一大隊主将の安平浩義学生。(たぶん)
相撲なら立ち合い、プロレスならゴングまでのにらみ合いといったところ。
こうやって気合を入れ闘志を燃やします。

相撲の立ち合い、というのはああやって次第に気合を入れていき、
暗黙の了解で両者がぶつかり合う、つまり「審判が試合開始を決めない」のですが。
このようなスポーツは世界広しといえども相撲だけらしいですね。



手前の学生がかごに入れて持っているのは・・・・?



にらみ合いの間、雨がひどくなってきたので棒にかけていたカバーを外します。
かごの中のタオルは、棒を拭くためのものだったようですね。



先ほどの陣形も、こうして整いました。



スクラムの上に立つ四人にはパート名がありませんが、
せっかくだからエリス中尉が名前を付けてあげよう。
「四天王」と。
たぶん、四天王はチームの中でも武道をやっているような強者なのではないでしょうか。



今一度気合を入れるために、皆で決めてあった掛け声をかけます。
このチームは
「いたーだきーます!」というものでした。(観客、笑)



競技そのものはそれこそ相撲のように一瞬で終わってしまうので、
いろいろと持って回ったセレモニーがあります。
やはり闘志を高めていくための演出でしょう。

出陣を待つ瞬間。







ホイッスルが鳴りました。
突撃~~~!



スクラムの上を渡ってやってくる突攻がもうすでに四天王と戦っています。
棒を守るパートは、どの隊であってもカーキ色を着用するようですね。
たとえば「赤対オレンジ」だと、視認しにくいからでしょう。



ああ、もう棒が倒れ掛かっている・・・。
上のりの学生、怖くないのでしょうか。
場外で乱闘している学生がいますが、このグリーンの学生を
「キラー」といい、攻めてくる敵をこうやって妨害する役目です。


下のほうではもうこんなことに。
右側でも場外乱闘が・・・。
実際見ているとここまでは目に入らないのですが、
こうして遠距離からとはいえ写真を撮ってみると、
実にいろんなことが起こっていますね。



バランスの点からいうと、上に人がいない方が
倒されにくい気もしないでもないのですが・・・。
それを言っちゃおしまい?



かたやこちらでは。
左のほうで数人が団子状態になっていると思えば、
スクラムの外側では戦闘放棄して見物する者もあり。



ちょっとそこだけアップしてみました。



服は脱げたのか破かれたのか。



あと一息で倒れそう。



こちらも上のりはすでに落とされてしまっています。



と思ったら、「大丈夫か?」と敵をいたわる者も。
美しい。。。(T_T)



ここでも脱がされた人発見。
それにしても、このシャツの素材は非常に伸縮性があるらしいことがわかりました。
しかし、上着は脱げ易くてもいいけど、ズボンがジャージ状ではないのは、
そして各自ベルトをしているのは、こちらが脱げると何かと困るからだと思います。



というわけで、赤組の勝ちー!

いやっほ~う!・・・・・って、ちょっと待って。
負けた緑チームも万歳しているぞ。
これは、両者健闘を称えあう、ってことでしょうか。

さて、ここまで地べたに座って見届けたエリス中尉ですが、
無印良品で購入したポケッタブルダウンシートを敷いているとはいえ、
周りの人の傘からしずくが滴ってきてつま先が濡れて仕方ないので、
ここで立ち上がって場所移動することにしました。



青の第2大隊が入場してきています。
雨がつらくてへたれてしまったエリス中尉でしたが、
じっと座ったまま、全競技終了までその場にとどまる人もたくさんいました。
根性なしですみません。

 

そんな雨の中、傘なんてものがこの世にないかのような様子でさわやかに佇む防大生。
姿勢も訓練されているらしく、しゃんとしています。

ところで、防大には眼鏡の学生が結構多いと思いました。
海軍と海軍機関学校が共存している、って感じですね。



これももちろん兵学校にはなかった光景。

女子学生の入学が始まったのはなんと1992年、平成4年のことです。
それまで「男の園」であった防大に女子が入ってきたとき、
男子生徒はどのように感じたのでしょうか。

この二人の学生、かわいらしいですね。
何度も言いますが、男子と全く同じ制服、というのが素晴らしい。
今防大の女子学生は男子学生の一割の人数だそうで、
だからこそ特別にデザインしたりしなかったのでしょうが、
女子の入学数が今後増えたとき、いらないことを言い出す人がいて
「女子にも女子らしい制服を作りましょう」と、またバスガイドみたいな
センスの悪い制服に変えてしまわないことを切に願います。

グラウンドを引き上げるとき、これから試合に臨む大隊の皆さんが走ってきました。
緑のベルトをしているので第3大隊でしょうか。

勝敗を見届けなかったので、結局どこが優勝したかわかりませんでした。



走っている学生の中に、へんなギアのかぶり方をしている奴がいるなあ、と思ったのですが、

これをアップで見て、ギアは非常に伸縮性があって、
目だし帽のようにすっぽり被ってはめるのだと分かりました。
もしかしたら特注じゃなくて、ボクシングのスパーリング用ギアかな?

それにしても、こんなハードな乱闘をするのに白のズボン。
海軍兵学校と同じだとすれば、彼らは自分のものは自分で洗濯するんですよね?
白はシミが落ちなくて大変じゃないかしら、などと主婦としては心配してしまいますが、
それはともかく。

防大で学ぶと、男性でも自分の身の回りのことくらいは自分でするようになるわけだ。

文武両道が基本、心身ともに鍛えられ、おまけに規律正しい共同生活経験者。
なんといっても自分の身の回りの最低限度のことはある程度できる。
というか、それがあたりまえの環境で4年間も過ごすのですから、
防大卒男性は、もしかしたらお婿さんとしても大変な優良株だってことではないですか?


それにしても、雨の日の棒倒し、すごい迫力でした。
大隊対抗でこの棒倒し競技は年4回行われるそうです。





防大開校記念祭~「見よ落下傘空を往く」(学生編)

2012-11-16 | 自衛隊

曇り空に鮮やかなパラシュート、鮮やかなスーツ、
おまけに腰からなびくひらひらした飾り。

防大記念祭における陸自空挺団の落下傘降下をお伝えしたページが
カラー写真にもかかわらず全体的にモノクロームっぽかったのは、
彼らの装備がグレイのパラシュートに迷彩装備という、
思いっきり実務的な配色であったせいなのですが、今日は違います。

陸自空挺団の降下は観閲官の観閲のもとに行われる祝賀行事ですが、
この防大パラシュート部の降下は、いわば
「クラブ活動発表」。

観閲式が終わり、昼過ぎて、グラウンドに棒倒しの見物に
再び集まった観客の前で降下が始まりました。



飛行機から鮮やかな色のパラシュートが三つイグジット(飛び出すこと)
されました。
第一降下者は部員ではなくOBの指導者(だったかな)、
続く二人が防大パラシュート部の代表です。



部の旗が開きました。
全国でパラシュート部を持つ大学は防大だけ。
この日の観客は、一般大の大学祭では決して観られない、
「防大ならではのイベント」を見るために多数訪れたわけですが、
パラシュート部に入る学生も、
「せっかく防大に入ったのだから、防大でしかできないことをしたい」
という動機でこの部を選んだりするようです。

体育館で展示されていた部の説明コーナーを見て思ったのですが、
最初から「空挺レンジャーの指揮官になりたい」
などと思ってこのクラブを選ぶ学生って、あまりいないのではないかしら。
むしろ、やっているうちに一生懸命になり、進路決定の時に
空挺団に進んだOBからスカウトされて、というパターンなのではないかしら。

防パラ(という略称だそうで)のHPでは、隊員が
「母親にやめてくれと頼まれた」
などと書いていて、やはりと思わされますが、実際のところ、
パラシュートは開かないということはなく、万が一そうなっても予備の傘が開くし、
さらにはフリーフォール中に意識がなくなるようなことがあっても、
AAD(オートマチック・アクティブ・ディバイス、決められた高度で自動的に傘が開く)
という装置が作動し、リザーブ(予備)の傘が開くのだそうです。

そのために日々の訓練を行い、安全点検もきっちりするのですから、
車道を自転車で走ったりするより事故の確率は少ないようにも思います。



グラウンドの真ん中では部員が吹き流しを持って立っています。
この吹き流しはウィンドソックと言い、降下する隊員は、これを目標に降りてくるのですが、
ただの目標ではなく、吹き流しで風向きを確認し、風上を向いて着地します。

防パラのやっているのはスポーツとしてのパラシュートですから、
競技を目標に練習を積みます。
ところが、先日ご紹介した空挺団の降下は、そんなものではありません。
戦場に降り立って戦闘活動、あるいはゲリラ活動を行うのですから、
吹き流しで風向きを悠長に確認している場合ではないのです。



降下中の第一降下者。
両足は空挺団と違ってしっかりとクロスさせています。



地上にジャンプした途端、地上員が駆け寄ってきました。



至れり尽くせりです。
というか、こちらが普通なのでしょう。

降下は防大グラウンドのはるか斜め上から行われました。
風向きを考慮したうえでのことでしょう。
ここで、前々回掲載したこの写真を見てください。



なんのためにこの日の丸のような風船を上げていたのか。
風船を持っている学生と、右側から二番目の学生の服装に注意。



パラシュート部のユニフォームではありませんか?
つまり、この赤い風船は、パラシュート降下の前に風向きをチェックするためのものだったのでは。
そして、この風船が画面の左に飛んで行ったので、
降下の位置はわたしのほうから見てグラウンドの右上だったのでしょう。


この三色リボンも、飾りというより地上からの風向き確認のため?





第三降下者も無事に着地成功。

・・・・あれ?

第二降下者はどこに?



グラウンド右上方から同じように降下してきた第二降下者ですが、
なぜか、どんどんと流されグラウンドから離れていきました。

「ああああ~~」
「だめだあ~」

いよいよグラウンド脇の校舎の間にその影が吸い込まれていったとき、
周囲の人々からは口々にこんな声が聞かれました。
それはわたしの周りだけではなく、グラウンドの観衆全体のため息が醸成する
何とも言えないどよめきは、おそらく上空の降下者に聞こえていたに違いありません。



第二降下者はこのパラボラアンテナとその向こうの白い屋根の間に落ちていきました。
大丈夫だったのだろうか、と皆が気をもんでいると、
「降下した隊員にはまったくけがはありませんでしたのでご安心ください」
というアナウンスが流れました。

よかったよかった。



降下したとたん、他の部員が全力でそこに駆けつけ、
無事を確認し、かれを誘導して走ってきました。
このほほえましい情景をごらんください(笑)。
見ている客はみなニコニコ、拍手で迎えています。
なぜか隊員も嬉しそうです。

パラシュート競技の形というのはいろいろありますが、
もっともこの防パラが力を入れているのが
「アキュレシー・ランディング」という競技。

これは、地上に置いたターゲットにどれだけ正確に着地するかを競うもので、
そのターゲットとは、わずか3センチの小さな円なのだそうです。
もちろんそこには最初は目印を立てるのでしょうが、
3センチですよ?3センチ。
その丸に、体のどこでもいいから最初に着地した点が最も近い競技者が勝ち。

わかりやすいですが、こんなセンチ単位を競う微妙な競技に勝利するために
厳しい訓練を日々やっているというのに、グラウンドにすら降りられなかった
第二降下者には、いったい何が起こったのでしょうか・・・・・・?

どういう事情でこのようなことになるのか、ぜひこの当時の状況を
本人の口から聞いてみたいので、もう少ししたら防パラHPをチェックしてみようっと。



降下が終わったら、三人とも正面観覧席に向かってご挨拶。



一番人気の第二降下者。
本人もご心配おかけしぁしたあー!とばかりに、
一人だけ手を上げてご挨拶。

ところで、グラウンド脇に空挺団のトラックを見つけました。





なぜトラックの写真を撮る?
と(おそらく)不審がっている運転席の隊員たち。



只者ではなさそうな精悍な雰囲気の隊員たち、
もしかしたら空挺団の降下メンバー?
学生クラブのスポーツ的降下を地上で見ながら

「しょせんは学生のスポーツ降下だな・・・・」
「ふっ・・・、俺たちとは気構えからしてが違うんだよ」
「衆人環視の降下であんなことになったら、俺ら罰直だな」

などと言っていたり・・・・・しなかったかな?
いちいち演出すんな、って?



空挺団の荷物置き場。
各自に認識ナンバーがあって、靴のつま先には必ず名前とともに書かされるようです。
ちなみにこの迷彩柄のバッグ風のウェストポーチはお土産に買って帰りました。