先日読者の方から教えていただき、銀座に「レッド・バロン」を観に行きました。
大画面で久しぶりに映画を観てそれが刺激になったのか、無性に絵が描きたくなり、
震災以来封印していたツールを取り冒頭画像を描き上げました。
久しぶりにアップしてみて思うのは、つくづくわたしは「男」を描くのが好きだなあってこと。
特にこのマティアス・シュバイクホーファー君のような「リヒトホーフェン瓜二つの男前」なんて、
これが描かずにいられようか、くらいの熱意と勢いで一気呵成に仕上げてしまいました。
このマティアス君ですが、監督のミューラー・ショーンが彼に初めて会った時、
「彼があの有名なパイロットにあまりに似ていたので、
自分が本物のリヒトホーフェン男爵の向かいに座っているのではないかと一瞬錯覚した」
というくらい、この役が完璧なはまり役です。
さて、去年の夏、ボストン滞在中にホテルの小さなテレビでこの映画を観た、
という記事をアップしました。
わたしに銀座の上映のことを教えてくださった方は、
まさにその記事を読まれたということです。
本当に観てよかった。この場を借りてお礼を申し上げます。
その記事中、
「衣裳だけは良かったという映画評あり」とか、
「リヒトホーフェンがかっこいいので許す」とか、
やたら投げやりな感想に終始してしまったことを、ここに懺悔とともに訂正したいと思います。
すみませんでした。<(_ _)>
映画館で観たら、そして字幕付きで観たら、すごくいい映画でした。
テレビではほとんど聴こえてこなかった音楽も素晴らしくて、感動倍増。
やはり映画は映画館で観るのが一番です。
(関東圏の皆さん、今丸の内ルーブルで上映中です。
わずか10日ほどの貴重な劇場上映。今度の日曜までです。
ぜひ観に行って下さいね)
あらためて、
英語の字幕すらなくしたがって細部もろくに聞きとれないのにテキトーに解釈してんじゃねー。
と、過去の自分を厳しく断罪。
えー、まず、
「やたらぼそぼそした英語で分かりづらかった」
と書いたのですが、ドイツ映画の英語吹き替えだと思っていたこの映画、実は
ドイツ映画であるがもともと英語の映画で、俳優は(ドイツ人も)英語で演技していた
ことが判明。
エンドロールにはやたら東欧系の名前が並んでいましたが、
どうもスタッフがあらゆる国の混合部隊ゆえ、英語に統一されたもののようです。
監督は名前から見てもお分かりのようにドイツ人。
この「ドイツ人がドイツ人らしく英語で演技する」
という映画、我々には一生分からない感覚だと思いますが、俳優は
「ドイツ語でしゃべっているような英語で演技している」らしいのです。
マティアス君も、このあたりに非常に神経を注いでいたとのこと。
どおりで分かりにくかったはずだ・・・・・何ちゃって。
そして、弟ロタールとのトラブルについて
「弟も技術的に優れそれを誇ることから同じ部隊の中でチームワークが乱れた」
みたいな展開だと思い込んでいたのですが、実は
「功に逸るロタールが、撃墜した相手にさらに攻撃を加えたので兄が激怒した」
だったことが判明。
そう、やはり細部が理解できているからこそ感動というものは深くなるのだと思いました。
そしてこれからは、ちゃんと劇場で観ずしてけなしたりするのはやめよう、
と反省いたしました次第でございます。
ところで大画面で観てあらためて思ったのは、
ちゃちな画面で見てさえ迫力満点だった空戦シーンが、
大画面だと、迫力を通り越して「怖い」。
個人的な意見ですが、この、木でできた複葉機の空戦って、
ある意味ステルスやらファルコンやらのそれより怖いです。
昔びわ湖沿いにあった遊園地で乗ったガタガタのジェットコースターを思い出します。
錆びて継ぎ目の隙間の空いた線路が重力でたわみ、枕木がしなっているのを見て、
ある意味どんな絶叫ライドより怖ろしく、
主に「線路がはずれるかも、木が腐っていて折れるかも」
という不安から思わず絶叫してしまいました。
コース自体は短くてしょぼかったんですけどね。
そう、このころ戦闘機はあえて言えば空飛ぶ棺桶みたいなもの。
リヒトホーフェンは80機撃墜し26歳を目前に戦死しましたが、
これがいかに非凡な才能の賜であったかというと、
第一次世界大戦に参加したほとんどの若いパイロットが
初空戦を生き残ることさえできなかったという事実をみてもわかります。
かれの部隊の搭乗員は弟のロタールもそうですが、幾度となく生還し
「フライング・サーカス」と謳われ敵から恐れられたたそうです。
しかし一般的に不安定で天候や気流にいとも簡単に翻弄されてしまう当時の戦闘機は、
たとえ当時最新鋭のアルバトロス、ファルツ、そしてフォッカーといえども、
そもそもそれで宙返りしたり、機銃を撃ち合ったり、
などの過酷なミッションに耐えられるようなものではなかったはず。
ライト兄弟が人類史上初の有人動力飛行に成功したのは1903年。
第一次世界大戦勃発はそのわずか11年後。
できて10年そこそこのマシンで空中戦、つまり「殺し合い」をしていたのです。
はっきりいって無茶もいいところです。
しかし、人類の技術の進歩はまず欲望のあるところにあり。
武器というものならばこそ、
「乗員が死なないように」「そして相手を多く殺傷せしめるように」
という国家最大の欲望たる戦争の最終目的に向けて、
その技術はその後短期間に驚くべき進歩を遂げるのです。
さて、英語で聴いたときは「ふーん」としか思わなかったのに、
映画館の大画面で観たら何と涙ぐんでしまった、というのが何とも情けないのですが、
リヒトホ―フェンが最後の出撃前に看護師のケイトにこのようなことを言います。
「僕は今まで皆の神になり、士気を鼓舞する偶像に祭り上げられていた。
だからこそ、責任がある。僕は最後まで皆と一緒に飛ばなくちゃならない」
出撃ごとに死を覚悟し、戦争という非人道的な目的のために飛ぶのであっても、
「想像してごらん。空を自由に飛ぶこと・・・・そして空戦を」
熱い目で、空を駆け戦う素晴らしさをケイトに説くリヒトホーフェン。
しかし、女であるケイトには決して分からないのです。
何故命と引き換えにしてまで飛ぶのか。
何故愛するものを地上に残しても飛ばなくてはならないのか。
おそらく、一度でも戦闘機に乗ったことのあるパイロットなら、
彼らの裡でのみ、それに対する明確な答えが出せるのかもしれません。
鳥が何故自分が飛ぶかを言葉にできないように、
彼らもまたそれを語るすべを知らないまでも。