バッファローネイバルパークの「リトルロック」内部に設けられた
海軍関連展示を順にご紹介しています。
一目で従軍牧師の部屋だとわかるこのドア。
Knock and it shall be opened unto you
という既視感のある言葉が十字架と共に書かれています。
これはマタイ福音書の第7章にある
Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find;
求めよ、さらば見いだし、叩け、さらば開かれん:
捜せ、そうすれば見出すであろう。
そして叩けば門は開くであろう」
という有名な文言です。
贈られた、カソリック・チャリティーズ コミュニティ・サービス賞の盾。
カソリック教会の団体が、海軍従軍牧師隊の活動を知らしめる
この展示に感謝をしたという印だと思われます。
同時に基本コミッションド・オフィサー(士官)の階級を持ちます。
聖職者が士官でなければならない理由についてですが、
立場上、軍隊の階級が下の者から説教(宗教の方の)を受けたり、
告解を受けたりというのは、少々都合が悪いからだと思われます。
わたしはどこかの駆逐艦見学で牧師の執務室を見たことがあります。
チャプレンが士官でなければならない理由はここにもあります。
アメリカ海軍の士官帽子も見えます。
タイプライターがありますね。
チャプレンも日々の日報を上げることが必須だったのかもしれません。
右と左に一本ずつある薬のボトルのようなものは、
聖餐葡萄酒注入器
といい、聖餐式に使用します。
イエス・キリストが最後の晩餐で行ったように、教会の皆で
パン(イエスの身体)と葡萄酒(イエスの血)を分け合い、
人類の罪を負って十字架にかけられたイエスに感謝を捧げるのが聖餐式。
注入器は、小さなコップに少しずつ葡萄酒を注ぐためのものです。
そして、キリストの肉たるパンですが、平たいピタみたいなのとか、
ロザリオの前にある高杯(小さな優勝カップ?)状のものは、
洗礼器
キリスト教に帰依する印として行われる洗礼ですが、
いずれも水を体につけるのが基本で、やり方は宗派により様々、
頭に水滴を落とす「滴礼」手や容器を用いて頭に水を注ぐ「灌水礼」、
全身を水に浸す「浸礼」などがあります。
ここにある洗礼器は、頭に水滴を落とすための道具です。
軍艦に乗ってから、艦上で洗礼を受ける人がいるのかという気もしますが、
やはり牧師としてはちゃんと道具を揃えておくものなのかもしれません。
右奥は香炉で、カトリック教では使用されることもあります。
教会で使用されるのは振り香炉であることが多いですが、
軍艦のスペースの関係から置き香炉が用いられていたのかもしれません。
香炉を使用する際、同時に鳴らす?鈴が手前に見えます。
礼拝に香(乳香)を使うことを「炉儀」(ろぎ)といい、
香炉から立ち昇る煙を祈りが天に届くことに掛けた儀式です。
■ アメリカ海軍の牧師隊組織
写真は2024年現在海軍牧師長(Navy Chief of Chaplains)である、
グレゴリー・トッド少将で、海兵隊、予備士官の牧師長は、
そして海上で洗礼などを通じて彼らを支援することです。
空母の甲板から礼拝を行うということももちろんあります。
「リトルロック」で紹介されているのはカトリック教ですが、
実際は、アメリカ海軍牧師団に所属する牧師はキリスト教のみならず、
ユダヤ教、イスラム教、仏教と100を超える宗教の信者に対応しています。
それでは、海軍で牧師職を目指すにはどうしたらいいでしょうか。
それは、まずロードアイランド州ニューポートにある士官養成学校に通って、
任官してから改めて牧師学校で7週間のコースを受けることです。
このコースに参加しようという人に全くの「素人」はいないでしょう。
そのため海軍牧師の資格を得ること自体はそう難しくなさそうですが、
アメリカの教育機関の常として、入るのは簡単でも出るのは難しく、
適当にやっていれば卒業できるということはまずありません。
競争が激しいので、よほど優秀でないと昇進も難しいとのこと。
認定された4年制大学等教育機関から学士号を持っていることが条件です。
予備隊に登録するためには、やはり士官であることが条件となります。
その後、勤務年数と同期からの選抜によって、士官の階級が付与されます。
【宗教の自由と軍での運用】
そして福音派キリスト教の推進に政府の資金を使用していることなどです。
また、軍隊にはキリスト教徒だけがいるわけではないのはもちろんですが、
なんなら無神論者だって一定数いるわけで、
かと思えば、軍事協会の中のある無神論者と自由思想家たちは、
牧師のサービス対象を自分たちにも拡大することを求めているそうです。
自分たちが受けられないのは不公平だ、とでも言いたいんでしょうか。
従軍牧師にそのような義務があるかについては議論の余地がありますね。
牧師本人も正直無神論者などにまで責任を負えないと考えるでしょう。
「非信者を牧師に任命せよ」
これも、DEI(多様性、公平性、包括性:diversity, equity, and inclusion)
アメリカにおいてもしばしば議論の対象となっています。
1974年、ハーバード大学の法学部生2人が、
軍の牧師を非戦闘員のボランティアまたは請負業者に置き換えるべき
と主張して訴訟を起こしたことがありました。
彼らの主張は、
「軍の牧師制度は、エキュメニズム(キリスト教統一運動)を推進し、
国教条項の2つの要件である中立性と非干渉性に違反している」
つまり、簡単にいうと
という主張でしたが、このとき裁判所は訴えを退け、その理由として、
憲法修正第1条の宗教の自由と政教分離条項は別の問題
と説明しています。
「軍人個々の権利と信念に配慮すること」
「布教活動や宗教行事への強制的な参加を避けること」
を申し渡したという一面もあります。
あとは、ある従軍牧師中尉が、ホワイトハウス前の抗議活動に、
軍隊の制服を着て参加したことで軍を戒告・罰金処分に課された件、
海軍の昇進方式が典礼派協会牧師に平等なポスト割り当てをした結果、
「非典礼派」プロテスタント牧師の代表性が低くなっているとして
訴訟となった(判決は敗訴)例があります。
同性愛を罪と考える教義の宗教との齟齬というのもあります。
最後に、第一次世界大戦以降、任務中に死亡(戦闘中および非戦闘中)
した従軍牧師の数を上げてみましょう。
その中には、Uボートに撃沈された油槽船「ドーチェスター」に乗っており、
自らの救命胴衣を兵たちに分け与えて船に残り亡くなった、
フォー・チャプレン(四人の聖職者)
が含まれます。
また、彼らのうちのアレクサンダー・グード牧師は、
ジョンズ・ホプキンス大学で博士号まで取得した人物ですが、
彼の宗教はカトリックではなく、ユダヤ教だったそうです。
沈没の際、4人のチャプレンは、他の兵士が救命ボートに乗るのを支援し、
皆を落ち着かせ、救命胴衣が尽きると自分たちの分を渡しました。
魚雷攻撃を受けたのはニューファウンドランド島海域で、
水温2度の海中では救命胴衣を着ていても低体温症で生き残れませんでした。
生存者の証言によると、沈没の最後の瞬間、4人は腕を組んで賛美歌を歌い、
皆の無事のための祈りを捧げていたということです。
敵との戦闘に参加していなかったため、不適格とされました。
その代わりに、名誉勲章と同等の勲章である
「Four Chaplains' Medal」が新設され、
四人はその最初の、そして最後の叙勲者となりました。