ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

HMAS「アルンタ」オーストラリア海軍の「アンザック」級フリゲート〜国際観艦式

2022-11-29 | 軍艦

今回の国際観艦式では、全く公開されなかった外国軍艦もあります。
ご存じ韓国海軍の「ソヤン」もそうですし、
この不思議なシェイプのオーストラリア海軍のフリゲート艦、

HMAS「アルンタArunta」FFH 151

もその一つです。

Kさんの下さった「アルンタ」観音崎沖を通過している写真を見て、
この独特の上部構造物と、向こうの観音像との組み合わせが絶妙だったせいか、
わたしなどてっきりこれをタイ海軍(仏教系の国)の艦だと思い込んでいて、
後からオーストラリア艦だと知りびっくりしたのはここだけの話。

今回、この「アルンタ」が佐世保港に入港する様子を
動画に挙げている方がおられました。

超高画質で独特の構造物もアップで見ることができます。
お馴染みの赤いカンガルーもバッチリ映っておりますが、
この動画を見て、

「カンガルーは船の進行方向に向けて飾る」

らしいことが判明しました。
右左どちらに向いていてもOKとされていたのはこのためだったのか。

オーストラリア海軍フリゲート艦アランタ」(Ⅱ)入港 


おっと、右舷になんか怪しげな傷が・・。
これは何かにこすったかな?( ̄▽ ̄)



「アランタ」の艦バッジに描かれた謎の原住民。
実は、艦名の「アランタ」の名前の由来は、

アランテ人(Arrente、Aranda、Arrantaどれでも可)

というオーストラリアのアボリジニの一民族なのです。

この艦章にはそのアランタ?アルンタ?人そのものと、
彼らの日常の狩猟道具であるブーメランなどがあしらわれています。

アルンタの民の「歓迎の踊り」1901

そしてインシグニアのアレンテ?人の下にあるのが艦のモットーで、

"Conquer or Die" (征服か死か)

うーん選択肢極端すぎ。

ところで、「Arunta」という艦名の綴りは、
たくさんあるアレンテ族を表す単語の綴りと一つも一致していません。
このことは当事者も十分理解の上で、修正も検討されましたが、
RANは前艦と同じ綴りを使うことにしたということです。


■ アンザック級フリゲート

HMAS「アレンテ」は、「アンザック」級フリゲートの2番艦です。



「アンザック」級(ANZAC級、MEKO 200 ANZ型とも)

は、

オーストラリア海軍(RAN)
ニュージーランド海軍(RNZN)


二カ国によって運用されているフリゲート艦です。


今回の横須賀での一般公開で、オーストラリアとニュージーランド海軍艦艇が
仲良く同じ岸壁に係留していたのを見て、
隣同士の国なのに珍しく仲がいいのね、と思ったのですが、
実は1980年代頃まで関係は悪くはないが別に良くもなかったようです。

なのにそんな両国が共同で同じ軍艦を持つに至った経緯、というか、
現在に至る「仲良し」のきっかけは、1980年代、
RANがイギリス製の護衛艦「リバー」級の後継艦を検討していた同じ頃、
RNZNも「リアンダー」級の代替を模索していたことでした。

その頃ニュージーランドは、安全保障と非核をめぐって(多分核実験の件で)
アメリカとの関係が悪くなっていたのをきっかけに、
隣国と関係を改善することにし、オーストラリアもこれを了承しました。

そこで、両国は軍艦取得計画をすり合わせて、その結果、
同じ軍艦を共同で取得することを決めたのでした。

というわけで、艦級名の「アンザック」という名前は、第一次世界大戦中、
共同で戦ったオーストラリア・ニュージーランド陸軍部隊を意味する

Australia and New Zealand Army Corps
→ANZAC

となりました。
仲良きことは美しき哉。

入札の結果、ドイツのブローム・アンド・フォス社案が選ばれ、
モジュラー設計されて6つの部分に分けられ、
別々のところで完成したものを最終的に統合しました。

RASの「アンザック」級フリゲートは全部で8隻、
それぞれの名前の由来も書いておきます。

「アンザック」Anzac 150 =Australia and New Zealand Army Corps

2「アルンタ」Arunta 151 =Arrente族

3「ワラムンガ」Warramunga 152 =Warumungu族

4「スチュアート」Stuart 153=スコットランド・スチュアート朝

5「パーラマッタ」Parramatta 154=Parramatta河

6「バララット」Ballarat 155=Victoria州の都市

7「トゥーンバ」Toowoomba 156=Qeensland州の都市

8「パース」Perth 157=パース(都市)


命名に基準というものはないんか、と思うのはわたしだけでしょうか。
ついでに、ニュージーランド海軍に行った2隻はというと、

1「テ・カハ」Te Kaha 110=マオリ族の言葉『戦闘力』『強さ』

2「テ・マナ」Te Mana 111 =マオリの概念『地位と権威を持つ高潔な人物』


となっています。


ただし、全く同じスペックの艦体と言いつつ、搭載する武装については
RAN と RNZN は、個別に追加や能力向上を試みています。

■ 改造と改良

二カ国から発注を受けたという特殊な事情のせいだと思うのですが、
「アンザック」級は最低基準の攻撃・防御兵器を搭載し、
その他の装備は「あってもなくてもいい」?ように設計されていました。

RANとRNZNは、すべての艦が就役する前にアップグレード計画を始め、
これらのアップグレードは国家単位で計画・実行されました。

【オーストラリアの改修】



バックの巨大観音像とあまりに違和感なくマッチしていたため、
よもやオーストラリアの艦だと思わなかった独特の上部構造物。

これは案の定、アップグレードの為せるもので、HMASパースに装備された

CEAFAR能動電子走査型アレイレーダー

でございます。

RANは、フリゲート艦の戦闘能力を向上させるアップグレードを
1996年から計画し始め、研究と試験を経て2012年には
6億5千万豪ドルの改装作業が開始し、 2017年に全8隻が完成しました。

この計画完成以降、同級は、シースパローミサイルの代替として
RIM-162(ESSM)を搭載・発射できるようになりました。

「アンザック」級3番艦の「ワラムンガ」Warramun FFH152
ESSMを搭載した世界初の艦船となりました。

また、オーストラリアのフリゲート艦の魚雷発射管には
フランス・イタリアのMU90インパクト魚雷を搭載することに変えられました。

「アンザック」級7番艦「トゥーンバToowomba」
2008年、試験発射でオーストラリア艦として初めてMU90魚雷を発射、
4番艦「スチュアートStuart」は武装MU90の
「warshot」発射を初めて実施しています。

なお、オーストラリアは、2024年までにハープーン対艦ミサイルを
コングスベルグ海軍打撃ミサイル(NSM)に置き換えることを計画しています。

この海軍打撃ミサイルは、陸と海の両方の標的に対して使用することができ、
射程を大幅に増加させることができるとされます。

RANは2024年までは「アンザック」級を運用しますが、
それ以降は代替艦として「ハンター」級新型フリゲートを建造する予定です。

新型艦は最大7,000トンの排水量を持ち、対潜戦を指向しつつ、
航空・水上・陸上目標に対しても有効なものとされています。
(これは世界的な海軍の傾向みたいですね)


■ HMAS「アルンタ」

オーストラリア海軍からは、潜水艦「ファーンコム」も入れると
総勢4隻で来日してくれていたわけですが、
「アルンタ」は観艦式の日、Kさんが撮った写真によると
こうやってちゃんと観艦式会場に向かっています。

一体いつ来てどこに係留していたんでしょうか。


船級・艦種 
「アンザック」級フリゲート

容積 3,810トン
全長 118m(387フィート)
ビーム 15 m (49 ft)
喫水 4m(13フィート)

推進力
General Electric LM 2500 ガスタービン
MTU 12v 1163 TB83ディーゼルエンジン
速度 27ノット(50km/h、31mph)
航続距離 11,000km、18ノット(33km/h、21mph)時

乗員数 約170名
士官22名下士官兵141名

兵装

砲とミサイル
 1 5 in/54 (127 mm) Mk 45 Mod 2 砲
Rafael Mini Typhoon 12.7mm (.50 cal) CIWS、

小型武器
4 Harpoon Block II 対艦ミサイル
Mk 41 Mod 5 VLS for Sea SparrowおよびEvolved Sea Sparrow

魚雷
2基の324mm Mk 32 Mod 5発射管とMU 90魚雷

搭載機 
Sikorsky MH-60R Seahawk

■ HMAS「アルンタ」運用の歴史

【タンパ号事件】

2001年8月、オーストラリア政府が、438名のアフガニスタン難民を載せた
ノルウェー船「タンパ」号(MV Tampa)の海域への立ち入りを拒否した、
「タンパ号事件」が発生。

この時、「タンパ」の難民要請をオーストラリア政府は拒否。
「タンパ」船籍のあるノルウェー政府はこれに反発しますが、
難民に食料を与えた上ですかさず国境保護法を提出し、
海軍を出動させて船ごとナウル共和国に送ってしまいました。

この事件後、「アルンタ」はオーストラリア北部海域に展開し、
やはりアフガン難民を乗せた不法侵入船の侵入阻止と返還に関与しています。

【テロ対策作戦】

2002年、「アルンタ」はイラクに対する国連の制裁の実施に関与し、
国際テロ対策連合軍の一員としてイラク沿岸に近いところで活動しました。

【ペルシャ湾派遣】

2007年、「アルンタ」はペルシャ湾で2回目の現役任務に就き、
イラクの石油プラットフォームの保護、船舶のプラットホームへの乗船を保護、
イラク海軍の訓練に貢献などを行いました。

【人命救助】

2008年12月19日、「アルンタ」は、単独世界一周ヨットレースに参加し
負傷したヨットマン、ヤン・エリーズを救助しました。

エリーズはパースの南西1480キロメートル で、
大波に足を折られて座礁していたということです。

Rescue of Yann Elies, Generali by HMAS Arunta.

救助した乗員のスマホか何かで撮ったらしく、何が何だかわかりませんが、
とにかく大変だったらしいことだけはわかります。

【アップグレード完了】

2014年6月、対艦ミサイル防衛プロジェクトのアップグレード完了。
「アルンタ」はアップグレードされた同級の2番艦であり、
18ヶ月の改装中にCEAFARフェーズドアレイレーダーと
アップグレードされたSAAB戦闘管理システムなどの改造が行われ、
6月末に改装後の海上試運転が開始されました。

【哨戒警備作戦】

2017年7月、「マニトゥ作戦」の一部として中東に配備され、
この地域で長期パトロールを行うRANの最初の艦船になりました。

 2020年11月、「オペレーション・アルゴス」
北朝鮮に対する制裁を強化するための作戦に参加しました。

この作戦で、RANは哨戒機「ポセイドン」を嘉手納基地に配備、
「アルンタ」以外にも「ワラムンガ」「バララット」など、
同級のフリゲートが参加しています。


続く。




インドネシア海軍 KRI「ディポヌゴロ」〜国際観艦式に伴う外国艦公開

2022-11-27 | 軍艦

国際観艦式参加外国海軍シリーズ、
前回はブルネイ海軍について取り上げてみましたが、
今日はブルネイ海軍のKDB「ダルレハン」の隣に
仲良く係留していたインドネシア海軍の軍艦についてです。

前回、BAEにフリゲートを注文し、進水させ、完成してから
仕様が要求基準を満たしていないと豪語して受け取り拒否したという
なかなか強気なブルネイ・ダルサラーム王国ですが、
こういう態度に出られるのも、金持ちだからだと軽く予想してみたところ、
それがあながち間違っていないらしい数字を目にしました。

なんとブルネイ、国民一人当たりのGDPは世界5位だったこともあります。
昨年度は32位となり、日本の27位より下位ですが、
この事件の時にはまだ産油国としてブイブイだった時なので、
えらく強気だったんだろうなあと思います。

今ではどうか知りませんが、教育・医療は無料、税金なし。
ほとんどのブルネイ人はアメリカ並みの大きな家に住んで
車を2〜3台所有するのがスタンダードらしいです。

ちなみに戦時占領国と被占領国という関係でありながら、
日本とブルネイの関係は大変良好です。

その理由は、前回も少しご紹介した、ブルネイ県の知事となった
木村強という日本人が、たった一年の任期の間に、相手を尊重する統治で
ブルネイの人々の心をがっちり掴んだからという話があります。

統治下で行ったインフラ整備も、どこかの旧統治国と違い、
ブルネイの人々はその後も感謝をしてくれているようですね。


国際観艦式インドネシア・ブルネイ 2隻 船越に入港 2022年11月1日


さて、どうやらそのブルネイ海軍の「ダルレーハン」
(動画ではダルエーサンとなっていますが)とインドネシア海軍の
「ディポヌゴロ」は、一緒にやってきたようですね。

そして同じところに並んで係留していると・・・。

おそらくインドネシアとブルネイは、同じ島にある国同士、
友好な関係を保っているのだろうとこのことから確信できました。


念のためもう一度

■ インドネシア海軍

【終戦後〜独立まで】

インドネシア海軍の歴史が始まったのは、1945年、
インドネシア国民革命が勃発してからです。

1945年8月22日に近代インドネシア海軍の前身である

人民海上保安局(Badan Keamanan Rakyat Laut/ BKR Laut)

が設立されました。

当時保持していたのは木造船とわずかな上陸用舟艇、
日本軍が残していった(譲渡した)武器のみ。

構成人員というのがまた複雑で、

オランダ植民地時代にオランダ海軍に所属し、
軍事占領時代に
日本と戦ったインドネシア人水兵

日本軍に協力した現役民兵

日本海軍の元インドネシア将校・大佐


が入り混じるという、それ一緒にして大丈夫か?な陣容でした。
しかし、その後組織は

インドネシア共和国海軍
(ANGKATAN Laut Republik Indonesia /
 ALRI) 


という名前で、無事に海軍としてスタートします。
1970年にこの名称は、

Tentara Nasional Indonesia Angkatan Laut (TNI-AL)

に変更され、現在もインドネシア海軍は

TNI-AL

(TNIだけのこと多し)と表記されます。

海軍が活動を開始すると、海軍基地が列島各地に設置され、
同時に、新共和国に残っていた旧日本海軍の艦船が取得されました。

ちなみにこの時、日本に駆逐されたオランダが日本の敗戦で帰ってきて、
再びインドネシアはオランダ領となっていました。

(映画『ムルデカ17805』で描かれたように、インドネシア独立には
日本の残留兵が多く参加していたことが有名ですが、
旧海軍軍人の革命への関与についてはわかりませんでした)

この時インドネシアの海軍は、オランダの海上封鎖を突破するため、
バリ、シボルガ、チレボンで、オランダ海軍と対峙し交戦を行いました。

しかしながら、新生海軍力の限界は如何ともし難く、ほとんどの船が沈没し、
ほぼすべての基地がオランダ軍と連合軍によって壊滅しています。


インドネシア海軍の士気はそれでも決して衰えることはなく、
国民革命期の苦しい時期にも、海軍は艦隊(CA)、
海兵隊(Corp Mariniers/CM)教育機関
などを結成し将来に備えました。


【東南アジア最強の海軍になったわけ】

独立戦争が終わると、ARLIは近代海軍を目指し、軍艦などの各種戦備と、
それを支える海軍基地などの施設を手に入れ、
戦力と能力の増強させ成長をしていきます。

国が崩壊の危機から立ち直り始めた1959年、海軍は

「Menuju Angkatan Laut yang Jaya」(優秀な海軍を目指して)

というプログラムを立ち上げました。

その後インドネシアは、ワルシャワ条約機構(NATOへの対抗で生まれた)
に賛同することで、東欧諸国からの様々な 海軍戦闘装備を手に入れました。

お好きな?方のために書いておくと、それらは以下のようなものです。

「スベルドロフ」級巡洋艦
「スコリイ」級駆逐艦
「リガ級」フリゲート
「ウィスキー」級潜水艦
(東南アジアでは初)
「コマール」級ミサイル艇

全てソ連製の軍備で、海軍航空隊は、

イリューシンIL-28長距離爆撃機

また陸軍も、

PT-76水陸両用軽戦車
BTR-50 APC
BM-14 MRL

(東南アジア初のMRLシステム運用)

をガッツリと手に入れることになりました。

このおかげで、当時のインドネシア海軍は「東南アジア最大の海軍」、
アジア太平洋で最強の海軍と呼ばれ、
軍備と名声において近隣諸国を凌駕するまでになりました。


つはものどもが夢の跡「ウィスキー」級潜水艦KRI「パソパティ」


【西イリアン領土紛争と国民的英雄】

この時代海軍を発展させたのは、旧宗主国との領土争いでした。

独立後も、植民地としてインドネシアを占有し続けようとした
オランダとの間に引き起こされた西イリアン紛争のことです。

インドネシア海軍は、高速魚雷艦を前線に配置して、
オランダ海軍の兵力と交戦を行いました。

「Vlakke Hoek事件」
と呼ばれるアラフラ海の海戦ではついに戦死者を出しています。

ヨス・スダルソYosaphat "Yos" Sudarso 中将(享年36)

当時若い副参謀長スダルソ代将が指揮を執っていた
KRI「ハリマウ」(ハリマオ?)は、オランダ軍の駆逐艇に攻撃を受け、
スダルソ代将は3名の乗員と共に戦死をしました。

この写真は亡くなる2年前のものですが、まだできたばかりの若い海軍で
36歳にして既に代将であったスダルソは、死後特進して提督となりました。

この海戦では犠牲を出し、作戦そのものは失敗だったものの、
海軍はその後もオランダに交渉への復帰を迫り、最終的に
西イリアンのインドネシアへの返還を合意させることに成功しています。

スダルソ提督は現在でも国民的英雄としてその名を讃えられており、
戦死した日(11月24日)は「海の犠牲の日」となっています。

また、その名前はいくつもの地名や軍艦に遺されました。


ヨス・スダルソ提督戦死の瞬間を描いた記念切手

【マレーシアとの紛争】



横須賀第二区でのこのグループの係留岸壁をご覧ください。

ブルネイとシンガポールの間には歴史的問題はなく、
今回の来日も仲良く一緒に来て、同じところに係留してありますが、
微妙にマレーシア海軍だけが、隣に1隻はぶんちょされております。

3隻纏める必要は全くないとはいえ、この組み合わせは、
微妙にこの三国間の関係を反映していると思われました。

というのは、ブルネイとマレーシア、ブルネイとインドネシアの関係は
問題がないのですが、マレーシアとインドネシアは
やっぱり歴史的に揉め事、案の定領土問題が過去あったのです。

オランダとの紛争が終わってから、インドネシアとマレーシアは
岩礁のような小さな島の主権を争って揉め始めました。
オランダに返してもらった時にどちらも領有を主張したということですが、
どこかの日本海の島にも似たような話がありますよね。

この場合は、国際司法裁判所案件となってマレーシアが島を獲得しました。
あちらの件も、日本は国際司法裁判所への提訴を呼びかけていますが、
法的に負けが明らかなあちらは全く応じるつもりはないようです。

また、スカルノ大統領は、マレーシア連邦結成のための
シンガポール、マラヤ、サバ、サラワクの合併に非難を唱え、これを受けて
シンガポールで多数のテロ事件が起きたということもあります。


まあ、そんなことが重なり、両国の関係はあまり良くはありません。
表立っての紛争はないものの、国民感情的にも
お互いを好いていないというところだろうと思います。


それはともかく、わたしが思ったのは、海上自衛隊の皆さんのご苦労ですね。

そういうことまで係留位置に反映させないといけないのですから、
いきおい海上自衛隊のそれを決める担当部署の方々は
歴史的な出来事を含め、国際関係に対する情報について
たいへん気を遣って配慮しておられたに違いありません。



【1980年代以降】

1960 年代から海軍の装備の中核をなしていた東欧製の艦船は、
この頃には海軍のニーズの増大と変化に対応するには適さなくなりました。

スカルノ政権後はインドネシアとソ連の関係が悪化し、
ワルシャワ条約機構との軍事協力が停止されたため、
海軍は戦力の近代化をヨーロッパとオーストラリアに頼ることにします。

🇳🇱オランダ
「ファタヒラ」級コルベット
「アフマド・ヤニ」級フリゲート


🇩🇪西ドイツ
「カクラ」級潜水艦

🇦🇺オーストラリア
GAFノマド哨戒機

また、旧東ドイツ海軍からは、

「パルチム」級コルベット
「フロッシュ」級揚陸艦戦車(LST)
「コンドルII」級掃海艇

を大量に譲り受けて増強を図りました。

また、海軍は海路でしか行けないインドネシアの様々な遠隔地で、
人道的奉仕活動などの非戦闘的軍事作戦を展開しています。

活動の中心は、保健サービス、公共施設の建設とリハビリテーション、
保健・法律・民間防衛の各種カウンセリングなどということです。


「ブン・トモ」級のKRIブン・トモ(357)、KRIウスマン・ハルン(359)

現在のインドネシア海軍の規模について。

 士官・下士官・兵 75,000人
予備役534名

ニックネーム:TNI-AL

モットー Jalesveva Jayamahe
サンスクリット語で「海の上の勝利」

63 航空機
33 ヘリコプター

4 潜水艦
7 フリゲート
10 コルベット
14 ASWコルベット
24 ミサイル艇
159 哨戒機
9 掃海艇
21 戦車揚陸艦
6 水陸両用輸送ドック


フラッグ


海軍旗

■ KRI「ディポヌゴロ」

インドネシア海軍
(Tentara Nasional Indonesia-Angkatan Laut, TNI-AL)

の艦艇はすべて、

KRI(Kapal Perang Republik Indonesia)

が接頭語として付けられます。
ちなみに、
"kapal"は”vessel”=船
”perang"=戦争
のインドネシア語です。
KRIで「艦艇・共和国・インドネシア」の順番ですね。

また、小型で軽武装の艦艇には通常、

海軍 艦艇=Kapel Angkatan Laut

を意味するKALという接頭辞が付きます。


KRI 「ディポヌゴロ」 365

「ディポヌゴロ」級ミサイルコルベットは、1800年代に
オランダからの独立を指導したィポヌゴロ王子にちなんで命名されました。


ディポヌゴロ王子

2005年起工
2006年進水
2007年7就役

排水量 1,692トン
全長 90.71メートル
幅 13.02 m
喫水 3.60メートル

速度
最大 28ノット(52km/h、32mph)
巡航時 18ノット(33km/h、21mph)
エコノミー:14ノット(26km/h、16mph)

航続距離
巡航速度18ノット(時速33キロ、時速21マイル)

20〜80名の乗員を収容


【潜水艦『ナンガラ』沈没】

「ディポヌゴロ」には特に目立った艦歴は記されていませんが、
2021年4月21日、インドネシア海軍の潜水艦KRI「ナンガラ」
訓練のための潜航中消息を断つという最近の大事件で
KRI「ラデン・エディ・マルタディナタ」、
KRI「グスチ・ヌグラ・ライ」
と共に現地に配備され、
潜水艦の捜索を行なっています。

沈没原因は、水圧に耐えられず海中で大破したことと推測され、
乗員53名は全員が死亡し、艦体も深海に沈んだため断念されました。

KRI Nanggala-402: The men on eternal patrol 

乗員の子供が任務に行くのを止めたという話が辛すぎる・・・。

沈没の原因として、海軍内部は2012年に韓国で行われた改装が
適切に行われなかった可能性があるとしています。

改装後の魚雷発射テストに失敗し、3人の死者を出す事故も起こしていたこと、
それからこれは改装とは関係ないのですが、沈没時、
設計上の定員38人を超えて53人が乗っていたことも問題視されています。


なお、2ヶ月後の2021年6月27日、遠洋練習航海中の海上自衛隊練習艦隊の
「かしま」「せとゆき」は、「ナンガラ」の沈没地点で
洋上慰霊祭を実施したということです。


続く。


ブルネイ海軍とKDB「ダルレハン」〜国際観艦式に伴う外国軍艦公開

2022-11-25 | 軍艦

さて、先日の観艦式に伴う一般公開イベントですが、
わたし自身が参戦し見学した部分についてのご紹介は
前回のカナダ海軍をもち終了してしまいましたので、この後は
Kさんからいただいた写真を取り上げたいと思います。

今回は、ヴェルニー公園側の岸壁だけでなく
長浦港側にある横須賀港第二区も、いつの間にか公開されており、
Kさんはここの写真も送ってきてくださっていました。


外国艦艇以外は全部掃海艇という状態です。

この図のF-10バースにいる2隻は、

インドネシア海軍 KRI「ディポネゴロ」Diponegoro

ブルネイ王国 KDB「ダルレハン」Darulehsan

と、どちらも読み方に躊躇する艦名です。
特にブルネイのこれをこう読むのかについては全く自信がありません。
多分こうだろうと思って書いていますので念のため。

しかしそもそもブルネイの言語ってなんなの?

というわけで、今日はこの2隻について深掘りしていきます。

■ ブルネイ王立海軍

ブルネイ、という国について我々はあまり知りません。

わたしのごときは、日本に王族が来たとき、一夫多妻の国であるので
ホテルには第1〜第n→∞夫人がお供を引き連れてお泊まりになり、
ホテルの中のブランドショップで買い物をする際も、
全員の奥に公平に買い与えないといけないので、誰かが買うと
連鎖的に全員の奥がその店で買い物をすることになり、
おかげでお店は濡れ手に粟状態、という話を聞いたことがあるくらいです。


(少なくともわたしは)その国が海軍を持っているかどうかについては
さらに考えたこともないというのが大方のところではないでしょうか。

まず、ブルネイで使用されている言語はマレー語です。

王立ブルネイ海軍The Royal Brunei Navy

はマレー語で、

Tentera Laut Diraja Brunei

であるので、略称はRBNではなくTLDBとなります。
そして、もし知っている方がいたらすげー!と思うのですが、
ブルネイの正式な国名は、

Burnei Darussalam
(ブルネイ・ダルサラーム国)


というのだそうです。


ブルネイがどこにあるかも一応押さえておきましょう。
今回、横須賀第二管区に係留した海軍の艦艇は、

「ブルネイ」「マレーシア」「インドネシア」

だったわけですが、つまりこういうことなんです。
このボルネオ島の三つの国はオランダに支配された後、
イギリスに支配され、第二次世界大戦で日本に戦時統治されました。

ブルネイはこの期間「ブルネイ県」として日本人の知事が置かれ、
港は軍港として聯合艦隊を停泊させていました。

例えばレイテ海戦の際、栗田艦隊はブルネイから出港しています。

ブルネイ海軍の規模ですが、総人口46万人の国にしては
なかなかのもので、さすがは資源金持ち国です。
因みにこの人口は石川県金沢市と兵庫県尼崎市の間くらいです。


海軍のホワイトエンサイン。
旗の端っこが消えてしまい少しわかりにくいですが、
黄色いブルネイの旗が左上に配置されていると思ってください。


さて、そんなブルネイ海軍は1965年設立されました。

創立当初は将校一人を含む18人の軍人からなる部隊で、
当初は名前も海軍ではなく「ボートセクション」で、
その後「ボート中隊」となりました。
(ボート部とかでなくてよかった)
現在もですが、海軍軍人のほとんどはマレー人で構成されていました。

ブルネイ王国のボート中隊は3隻の河川パトロール艇取得、
その後、ホバークラフト2隻を導入しました。

最初に「旗艦」と呼べる艦船を取得したのは1968年。


高速巡視船KDB 「パラワン」Pahlawan

でした。

その後ボート中隊は

王立ブルネイ・マレー連隊、第1海兵大隊
Angkatan Laut Pertama, Askar Melayu DiRaja Brunei 
(ALP AMDB )
Royal Brunei Malay Regiment, First Sea Battalion) 


と改称、改組されました。

兵力は将校含む総員42名。
装備は高速巡視船1隻、川巡視船3隻、ホバークラフト2隻、
高速襲撃艇、ロングボートとTemuai(アルミニウム船)少々が全て。

第二次世界大戦後、日本の占領下から解放されたブルネイは、
戦前同様イギリス軍事政権下に置かれ、1984年に独立するまで続きます。

イギリス占領時代は海軍力もイギリス海軍に頼っていましたが、
独立後、ブルネイは軍事力をめきめき拡大し、1991年10月1日に
第1海兵大隊はロイヤル・ブルネイ・ネイビーとして再び再編されました。

現在のブルネイ王立海軍の役割は、以下の通り。

海上からの攻撃に対する抑止力
海洋資源の保護
シーレーン=海上通信線(SLOC
Sea lines of communication)の維持
200海里のEEZの監視
海上での捜索・救助活動
RBAF(ブルネイ陸空軍)
部隊の作戦活動の支援
ブルネイ国防省の命令下、安全保障機関や省庁の保護


なお、ブルネイ海軍の保持する艦艇は以下の通りです。

三重県と同じくらいの国土面積で尼崎市くらいの人口なのに、
これだけの武装を持っているとは驚きます。

【海洋哨戒艦】

洋上巡視艦
「ダルサラーム」級4隻(ドイツ製)

【沿岸パトロール船】

陸上巡視船
「イジュティハド」級 4隻(ドイツ製)

「14.5m」級 7隻(シンガポール製)

「PDB 0-1」11隻(シンガポール製)

【高速攻撃艇】

「ムステッド」級「21ムステッド」(シンガポール製)

「ワスパダ」級 「P02ワスパダ」

【揚陸艇】

水陸両用「セラサ」級 2隻(オーストラリア製)

「ダムアン」級(イングランド製)「L32プニ」

【支援船】

YFL「ブロングヌリ」 




今回日本に来日したKDB「ダルレハン」(07)は、
主力海洋哨戒艦「ダルサラーム」級の2番艦となります。


KDB「ダルレハン」

「ダルサラーム」級海洋哨戒艦は、ブルネイ海軍の艦艇の中で
最大かつ最も高性能な艦艇であり、
今回のように、国際的な海軍演習にしばしば参加しています。

■ 「ダルサラーム」級取得のトラブル

造船業界ではおそらく有名な話なのですが、ブルネイ海軍は
この「ダルサラーム」級」を取得する前、

「ナホダ・ラガム」(Nakhoda Ragam)級コルベット

3隻をグラスゴーのBAEシステムマリーンに受注していました。
ところが、ブルネイ海軍、何が気に入らなかったのか、
この3隻の受け取りを拒否したのです。

なぜブルネイ海軍がそこまでこのコルベットに拒否を示したのか、
どこにも理由が書かれていなかった(というか探してない)のですが、
この拒否は業界でもやはり異常な事態だったらしく、仲裁対象となり、
結局ブルネイ海軍勝手すぎね?お前責任持って買い取れや、
とBAEに有利な判決が出されて解決しました。

これってお金持ちのワガママってやつだったんでしょうか。
ブルネイ海軍は「要求仕様を満たしていないせい」と言い放ったそうですが。

その後、ブルネイ王立技術サービスはコルベットを買い取らされ、
ドイツの造船所に仲介させて、なんとかインドネシアに売却しました。

だから、結局ブルネイ海軍は最終的にあまり損しなかったと思われます。



インドネシア海軍に売られたくだんの3隻は、

「ブン・トモ」Bung Tomo級フリゲート

として、2014年から元気に就役しています。
(今回インドネシアから来たのがそれでなかったのは忖度?)

そしてブルネイ海軍は、インドネシアに売却を取り持ったリュセルン社に
代わりとなるフリゲートを建造させました。

おそらく同社は、引き取らされたBAEのフリゲートをどこかに売っ払えば
建造させてやると言われたのだと思われます。

そうやってできたのが、この「ダルサラーム」級4隻でした。

■ KDB「ダルレハン」

同級の4隻の名前は次のとおり。

KDB ダルサラーム(Darussalam=平和)06
KDB ダルレハン(Darulehsan=誠意)  07
KDB ダルラマン(Darulaman=平和) 08
KDB ダルタックァ(Daruttaqwa=寛容) 09


排水量 1,625トン
全長 80メートル
幅13m
推進力 2 x MTU 12V ディーゼルエンジン、11,400 hp (8,500 kW)
最大速度22ノット(時速41キロ)
航続距離 7,500海里(13,900km)
耐久日数 21日

乗員 55人以上


【センサーおよびシステム】

サーチレーダー ターマ・スキャンター4100
火器管制レーダー タレス スティング EO MK2
航法レーダー:2×フルノ製航法レーダー

【電子戦 デコイ】

エスエム:EDO ITT 3601
デコイ Terma DL-6T デコイ発射装置


【兵装】

砲:
1×ボフォース57mmMk3
2×エリコン20mm/85KAA

ミサイル:
4 × エクゾセMM40ブロック3

搭載機 :
ヘリコプター

■ 軍事演習参加

ペリカン演習2011  w.シンガポール共和国海軍

WPNS 2014 w.中国人民海軍

2014 ベトナムへの親善訪問

2014 ホーンビル24号演習 w.マレーシア王国海軍

20015 LIMA'15 w.マレーシア王立海軍

2015 ペリカン演習 w.シンガポール共和国海軍

2019 ペリカン演習 w.シンガポール共和国海軍

2020 リムパック



ブルネイ海軍は今でも第一海兵大隊が本隊です。
ブルネイ王立海軍の司令部はムアラ海軍基地に置かれ、ここには外国の軍艦、
特にイギリス海軍の艦船が頻繁に訪れています。

また、ブルネイ海軍の将校や兵士は、オーストラリア、ブラジル、
マレーシア、ニュージーランド、シンガポール、イギリス、
アメリカ合衆国などの海外に派遣され、高度な訓練を受けています。



ここで素敵な写真を見つけました。

2021年6月8日、我が海上自衛隊の練習艦「かしま」が、遠洋航海で
ブルネイ海軍の本拠地ムアラ港に寄港したときだと思われます。

「かしま」の登舷礼を受けるブルネイ海軍の
KDB「ダルッタクァ Daruttaqwa」。

「ダルッタクァ」のマストに海上自衛隊旗が翻っています。


続く。



HMCS「バンクーバー」と「ウィニペグ」〜国際観艦式に伴う外国艦艇一般公開

2022-11-23 | 軍艦

今日は先日の国際観艦式に参加した外国海軍艦シリーズから
カナダ海軍の二隻について調べてみようと思います。



カナダ海軍からは二隻のフリゲートが来日し、
最も目立つと思われるタイ海軍の「プミポン・アドゥンヤデート」の後ろ、
いつもなら「いずも」が係留してある岸壁に位置を占めました。



■ カナダ海軍(ロイヤル・カナディアン・ネイビー)の歴史

カナダ海軍は今までお話ししてきた国海軍より、複雑で長い歴史を持つため、
正式に海軍が創立された1910年前後のことを取り上げます。

大前提として、1763年以来、カナダはイギリス征服下の植民地でした。

20世紀に入ってカイザー・ヴィルヘルム2世の下で帝国ドイツ海軍が台頭し、
イギリスが海上貿易路の覇権を脅かされるようになると、
イギリス海軍はカナダからの派兵を条件に
カナダの海岸の防衛を本格的に行うようになります。

しかし、カナダ国民の感情としては、当然のことですが、
何の発言権も持たない帝国のために派兵するくらいなら、
自国の防衛は自分たちの手で行うべきというのが本音でした。

イギリス政府がハリファックス造船所などを放棄する意向を表明すると、
カナダ政府はこれを自国艦隊維持のチャンスと捉えました。

ちょうどその頃(1906年)、オーストラリア海軍もまた
イギリスからの独立を試みましたが、植民地の海軍を
イギリス海軍分隊と位置付けるイギリスには承認されず終わっています。

この頃、イギリスはドイツとの海軍力軍拡競争においては敗れつつあり、
植民地に対しドレッドノート建造のため資金提供をするよう圧力をかけます。

カナダもその例外ではなく、国内の帝国主義者は
これに追随することをよしとしましたが、議会はそれに反対。

つまり、カナダにとっての選択肢は、カナダ海軍の設立か、
あるいはイギリス海軍への財政支援継続か
のどちらかとなったのです。

設立派はこの時、カナダ海軍がホワイトエンサイン(イギリス海軍旗)
の下に活動する結果として、紛争に巻き込まれるという危険性を訴え、
対するイギリス財政支援派は、帝国への忠誠心が不十分であると非難し、
カナダの沿岸の安全や、現在のドイツとの軍拡競争の危機において
もっとイギリスの戦艦建造に資金を投じるべきであることを主張しました。

この時の議会は一致した結論が出ず、これに対し
帝国会議でイギリス海軍提督は、カナダ海軍の戦力を

「ボアディケア」級重巡洋艦 1 隻、「ブリストル」級 4 隻、
魚雷艇搭載駆逐艦 5 隻の計 11 隻駆逐艦 6 隻

と定義し、カナダ国内で建造されることが決まりました。

■ カナダ海軍始動

1909年。
カナダ海軍を設立する海軍法(Naval Service Act)が法制化されます。

この法律には正規軍に加え、予備軍と海軍志願軍、
ハリファックスにある海軍大学校が含まれました。

訓練はイギリスのものと一致した基準で行われ、給与、昇進、
にんむ経験は移行可能であり、共通の昇進体系が採用されました。

また、カナダとオーストラリアの新しい植民地海軍は、
それぞれの政府によって管理されていましたが、外国の基地にいるときは、
イギリス政府に代わって行動することが認可されていました。

戦時下ではイギリス提督の管理下に置かれますが、
どのような海軍資産をイギリスの自由にさせるかは、
カナダ海軍(オーストラリア海軍も)の判断に委ねられていました。

イギリスがヨーロッパ戦線に艦隊を戻すと、この瞬間からカナダ海軍は
世界で最も長い海岸線を防衛する責任を負うことになったのです。

■ 第一次・第二次世界大戦

第一次世界大戦の最初の数年間、RCNの6隻の海軍部隊は
ドイツ海軍の脅威を抑止するために、北米の東西海岸哨戒を行いました。
一応イギリス陣営だったので警戒していたわけです。


HMCS「ケベック」(英海軍ではHMS『ウガンダ』)

「ケベック」は第二次世界大戦でRCNが就役させた軽巡洋艦です。

第二次世界大戦勃発時、カナダ海軍は11隻の軍艦、
145人の将校と1674人の兵士を有していましたが、
大戦中規模は大幅に拡張され、最終的には
北西大西洋全域を戦域とする責任を獲得するまでになり、
1945年までに世界第5位の海軍となりました。

大西洋における戦いの間、RCNは31隻のUボートを沈め、
42隻の敵の水上艦艇を撃沈または拿捕し、
25,343回の商船横断を成功させるという戦績を挙げています。

■ カナダ海軍と空母

カナダ海軍はイギリス海軍から譲渡された
航空母艦を戦後から運用することになりました。

1944年5月、ヨーロッパ戦線で勝利を治めたのち、
カナダ海軍は太平洋戦争に注力するための海軍力の必要を認識し始め、
空母の取得をイギリスに交渉し始めますが、終戦に間に合わず、
1946年からHMCS「ウォリアー」に続いてイギリス海軍から
少しだけ大きいHMCS「マニフィセント」を貸与することになります。


朝鮮戦争が始まると、カナダ海軍は駆逐艦を朝鮮半島に送り、
沿岸攻撃と海洋防衛に従事しました。

冷戦期には、ソ連海軍の脅威に対抗するため対潜能力を充実させます。

1956年11月、スエズ危機が起こると、カナダ政府は、


空母HMCS 「マグニフィセント」

をエジプトへの人員・物資輸送のために送りました。
この際、輸送に備えて全ての武器は外され、乗員は600人に減らされています。

ちなみにこれが「マグニフィセント」の最後の任務になりました。



HMCS「ボナベンチャー」上空を飛行する4機のF2H-3バンシー

1957年後半、RCNは「マグニフィセント」の代わりに
よりジェット機に適した

HMCS「ボナヴェンチャー」 Bonaventure

を就役させ、 1962年までマクドネルF2Hバンシー戦闘機、
および退役まで他の様々な対潜水艦航空機を搭載しました。

1960年代、対対潜能力の向上のため、RCNは小型水上艦に
大型海上ヘリシコルスキーCH-124シーキングを搭載。
この分野では先駆的な成功を収めることになりました。

その後、ユーゴスラビア紛争とコソボ紛争では、
アドリア海の哨戒にRCNの艦船が派遣され、
ソマリア海の海賊対策については、艦船の提供も行っています。

■ カナダの公用語法制定

カナダはバイリンガル国家です。

モントリオールを旅行した時、ホテルの人などが完璧なバイリンガルで、
英語とフランス語をなんのストレスもなく行き来しているのを見て、
彼らの言語脳は一体どうなっているんだろうとかなり衝撃を受けました。
(今ならバイリンガルが身内にいるんでそう驚かないですが)

・・というのは蛇足ですが、1968年、

王室カナダ海軍
(Royal Canadian Navy & Marine royale du Canada)

だったカナダ海軍は

カナダ統合軍海上部隊
(Canadian Forces Maritime Command, MARCOM)

となり、MARCOMは翌年の公用語法制定を受けて、
フランス語ユニット(フランス語ネイティブの部隊)を立ち上げました。

第一号はフリゲート艦HMCS「オタワ」 Ottawa FFH-331でした。
「オタワ」\(^o^)/のインシグニア

ビ・・・ビーバー?

1980年代と1990年代には、カナダ海軍では女性隊員の艦隊勤務が可能となり、
女性の潜水艦乗員は2001年に誕生しています。



一度MARCOMとなっていたカナダ統合軍ですが、

海上司令部は"Royal Canadian Navy"、
航空司令部は "Royal Canadian Air Force"
陸軍司令部は"Canadian Army”


と2011年に完全に元に戻されました。
どうやら、歴史的名称を元に戻しましょう、という回帰主義のなせること?
だったみたいです。

っていうか、それまでのは一体なんだったんだ・・・。

■HMCS 「バンクーバー」


1970年代半ば、カナダ海軍はこれまでの対潜能力と
水上および航空の脅威に対するシステムを備えたフリゲート艦取得のため

カナダ・パトロール・フリゲート・プロジェクト

として、「ハリファックス」級フリゲートを12隻国内建造しました。
艦名はオタワとモントリオールの主要都市から取られており、

ハリファックス  FFH 330
バンクーバー  FFH 331
ヴィル・ド・ケベック  FFH 332
トロント  FFH333
レジーナ  FFH334
 カルガリー FFH335
モントリオール  FFH336
フレデリクトン FFH337
ウィニペグ  FFH338
シャーロットタウン  FFH339
セントジョンズ  FFH340
オタワ  FFH341

今回来日したのはこの2番艦と9番艦「バンクーバー」「ウィニペグ」です。
ちなみに「ヴィル・ド・ケベック」はフランス語でケベック市を意味します。

2007年には「ハリファックス」級の改修計画が発表され、
各フリゲート装備の寿命延長が2018年には全艦完了しています。

現在のところ「ハリファックス」級はアップグレードを重ね、
2040年代まで就役を続ける予定とされています。

HMCS「バンクーバー」 FFH331

はその名前を持つ3番目のカナダ海軍の軍艦です。

最初のHMCS「バンクーバー」は駆逐艦で、イギリス海軍からの払い下げ。
2隻目のHMCS「バンクーバー」は第二次世界大戦のために就役した
「フラワー」級コルベットで、終戦まで活躍しました。

40年後、「ハリファックス」級「バンクーバー」が3番目に登場。
バンクーバーはカナダ海軍の歴史の中で最も頻繁に使われた艦名の一つであり、
これより頻繁に使われたのはHMCS「オタワ」だけです。


全長134.65m
全幅16.36m
喫水4.98m

[ディーゼルエンジン使用時]
最高速度29ノット(時速54km)
航続距離15ノット(時速28km)で7000海里(13000km)

[ガスタービン使用時]
最高速度18ノット(時速33km)で7930海里(4520mi)

乗員198名(将校17名)
航空要員17名(将校8名)

兵装と航空機



搭載機:CH-124シーキング・ヘリコプター
近接対潜兵器:Mark 46魚雷 Mark 32 Mod 9魚雷発射管



対艦防御:シースパロー垂直発射地対空ミサイル
近接武器システム(CIWS):ファランクス Mark 15 Mod 21 

「バンクーバー」はセントジョン造船で敷設されたこのクラスの2番艦で、
1989年7月8日に進水し、1993年同名の都市バンクーバーで就役しました。


対テロ戦争

2001年9月11日の同時多発テロ以降、「バンクーバー」とその姉妹艦は
中東におけるカナダの対テロ海軍部隊の主要な一員となりました。

USS「ジョン・C・ステニス」率いるアメリカ空母戦闘団に加わり、
ペルシャ湾に到着し、湾岸でイラク制裁のための海上阻止活動を行っています。



■ HMCS 「ウィニペグ」



「ウィニペグ」が岸壁のこちら側だったので、来た人全てが
艦のマスコット?に注目していたと思います。


CIWSの下に見えるのは・・・バイソンだったんですね。
艦歴などを見てもなぜバイソンなのかわからなかったのですが、
「バイソン ウィニペグ」で検索したらわかりました。

バイソンって食べられるんですよ。
なんかヘルシーで脂身が少なく美味しい・・らしい。

で、ウィニペグではバイソン肉を特産品として飼育輸出していると。
それで艦のシンボルってどうなのって気がしますが、

ちなみにウィニペグは、クマのプーさんの本名の
「ウイニー・ザ・プー」の由来だったりします。

日本では世田谷区がウィニペグと姉妹都市です。



バイソンをぼーっと見ていたら、ウィングにかっこいい女性士官が出てきて
コーヒーを飲んでおられました。



「バンクーバー」「ウィニペグ」の見学に並ぶ人々の列。

「ハリファックス」級の9番艦であるHMCS「ウィニペグ」 Winnipegは、
太平洋と北極海でカナダの主権を守り、領海と排他的経済水域で
カナダ軍のMARPAC(太平洋海上軍)ミッションに従事しています。

同艦は太平洋全域のほか、ペルシャ湾やアラビア海での対テロ作戦、
ソマリア沖での海賊対処などのインド洋での任務にも従事してきました。

「ウィニペグ」の起工は1993年、就役は1995年でした。

1997年、NATOの大西洋常備軍 (STANAVFORLANT) に参加。
2001年、ペルシャ湾でUSS「コンステレーション」空母戦闘群に編入。
空母戦闘団の一員として、6ヶ月間対イラク制裁を実施しました。

アフガニスタン戦争へのカナダの貢献である「アポロ作戦」で展開し、
2002年〜2003年、艦隊支援任務と海上阻止作戦を遂行。

2009 年海賊対策としてアデン湾に配備され、
救援物資を運ぶ国連船を護衛した「ウィニペグ」は
ノルウェータンカー MV 「フロントアーデンヌ」を襲撃する海賊を捕獲。
しかしカナダの法律により起訴を阻まれ、海賊はのちに釈放されています。

2010年8月12日、スリランカからのタミル人難民を乗せた
タイ船籍のMV Sun Seaをブリティッシュ・コロンビア沖で迎撃。

2012年アップグレードと近代化補修。

2013年4月23日、「ウィニペグ」はCFBエスキマルトに停泊中、
アメリカン・シーフード・カンパニーの
「アメリカン・ダイナスティ」に
突っ込まれて6人が負傷しました。


これはどう見ても漁船が悪い

2020年12月14日、海外活動から帰還中、
カリフォルニア沖で乗組員が海に落ち行方不明になりました。
二日後、船員の捜索は打ち切られています。



今回「バンクーバー」と「ウィニペグ」が来日したわけですが、
彼女らは日本に来る前にハワイ沖のリムパック海軍演習に参加した後、
北朝鮮に対する国連制裁の実施に参加しています。

なお、2022年9月、「バンクーバー」は航行の自由のデモンストレーション
ガイドミサイル駆逐艦USS「ヒギンズ」と一緒に台湾海峡を航行しました。



続く。





タイ海軍とHTMS「プミポン・アドゥンヤデート」〜国際観艦式に参加した外国艦艇

2022-11-21 | 軍艦

今回の自衛隊観艦式に伴う外国海軍艦艇の一般公開で、
最も場所的に得をしたのではないかと思われるのが、
タイ海軍の

HTMS「プーミボン・アドゥンヤーデート」
Bhumibol Adulyadej (FFG 471)

だったかもしれません。


これはヴェルニー公園から帰りに撮った写真です。
奥に左舷を見せて係留しているインド海軍ご自慢のフリゲートもですが、
やはり手前のタイ海軍の「プミポン」が一番目立ちます。




こちらKさん写真。(冒頭のもね)


こちらわたし撮影。

ISO感度設定をちゃんとしないまま最後まで行ってしまったこの日、
ザラザラの画像をソフト処理でなんとか調整し修復したものです。


■ タイ海軍の歴史

さて、今回恒例として、参加海軍の歴史を簡単に紹介しています。

タイ海軍(Royal Thai Navy  RTN)
ทร.; Thai: กองทัพเรือไทย, kong thap ruea thai)

は、1906年に設立されたタイ王国の海軍組織です。

タイの水軍は、クメール帝国からの独立戦争
地域のライバルであるビルマやベトナムとの戦い
植民地時代のイギリスやフランスとの対立など、
1,000年にわたって地域での武力闘争に投入されてきました。

陸軍の海軍部隊は主に河川用の軍艦で構成されていました。
バンコクを流れるチャオプラヤー川を制御し、輸送船を保護するのが使命です。

シャム-ベトナム戦争 (1841-1845)

では、シャム海軍のほとんどはチャム人、マレー人、
中国人などの外国人で占められ、海戦も行われています。

シャム仏戦争(1893)

3隻のフランス船がチャオプラヤ川のシャム領を侵犯したことから、
シャムの要塞と砲艦隊との間に海戦が起こりました。

結果はフランスが勝利し、バンコクを封鎖。
イギリスの仲介でシャムとフランス双方に交渉により和平を行いました。

■第一次世界大戦


パリの凱旋門前を行進するシャム遠征軍、1919年

第一次世界大戦は、戦地から遠く離れていたため、
シャムには全く関係がなかったのですが、当時の国王ラーマ6世にとって、
国際舞台での自国の地位を強化するため、また、
シャム国家の概念を広める手段として戦争に参加しました。

シャム海軍は義勇遠征軍たる選び抜かれた1,284名を派遣し、
医療、自動車輸送、航空分遣隊として参戦を行いました。

第一次世界大戦後のタイ・仏印国境戦争

1941年にもタイとフランス海軍は交戦しています。


Made in Japan

このとき参加したタイ海軍の

海防戦艦 HTMS「トンブリ」Thonburi

は、海岸線の防衛のためにタイ海軍が取得した沿岸砲艦で、
日本の川崎造船所が受注し、1937年に進水しました。

排水量2265トン、増加装甲による機関や砲塔の保護、
MAN製ディーゼル機関2基を搭載し、
当時シャムでは「戦艦」と呼ばれたそうです。

兵装は三年式 20.3cm(50口径)連装砲2基であり、
大日本帝国海軍の初期の赤城、加賀に搭載されたものと同型と言われます。

当時タイ海軍の最強艦だった「トンブリ」ですが、
このタイ・仏印国境戦争で犠牲になって沈んでしまっています。

ただその最後がはっきりしておりません。
同艦を解説するウィキによると、

「軽巡洋艦『ラモット・ピケ』などからなるフランス艦隊と交戦し、被弾炎上。
さらに海戦後にタイ軍機による誤爆でも被害を受けている。
同日午後にコーチャン島と本土との間の浅瀬で転覆した」


ところが「タイ海軍の歴史」によると、全く様子が違っていて、

「タイ海軍は座礁した『トンブリ』を牽引して
フランス軍艦『ラモット・ピケ』とその艦隊の航路にわざと沈め、
同艦隊に死者11名の損害を負わせた」

(つまり”旅順港閉塞作戦方式”が成功したってこと?)

などと書かれていて困ったものです。
いずれにしても「トンブリ」が沈んだことには間違いありませんが。

ちなみにこのとき、外交的介入によってタイとフランスの間に入り、
停戦を仲介したのは他ならぬ我が日本でした。


■ 第二次世界大戦

驚くことに、シャム海軍は当時にして潜水艦も保有していました。
しかもびっくりです。それが🇯🇵日本製だったというのですから。


タイ海軍潜水艦@神戸(後ろ六甲山脈)

シャム王国の入札で潜水艦建造を落札したのは、三菱重工でした。
この落札条件には、帝国海軍による乗員の訓練がもれなくついてきました。

というわけで、写真は、三菱重工が初めて建造した輸出潜水艦、

「マッチャーヌ」級潜水艦 HTMS「マッチャーヌ」
HTMS「ウィルン」

の出航前の敬礼を行うシャム海軍サブマリナーのみなさんです。

彼ら、映えあるタイ海軍最初の潜水艦員40名は、日本の客船で来日し、
神戸に到着して、その後千葉市船橋の小学校に寝起きしながら
軽巡洋艦「龍田」の士官から訓練を受けました。

この写真を撮った後、彼らは自分たちの手で操艦を行い、
無事にバンコクに到着して就役を行いました。

「マッチャーヌ」級潜水艦は最終的に4隻建造されました。
3番艦の「シンサムッタ」
4番艦の「プライ・チュンボーン」
4隻全てが戦闘に参加することなく無事に終戦を迎えています。


ところで、第二次世界大戦で日本が負けたとき、
日本と同盟だったタイも、自動的に負けたことになったわけです。

が、タイ政府、そもそも日本が宣戦布告したときに発布した自国の布告書を
何か思うところがあったのか、わざと?サイン不備にしていたようです。

そして、日本が敗戦すると、不備を理由に「宣戦布告の無効」を主張し、
それが認められたため、戦後も戦勝国に介入されることはありませんでした。

何というか、なかなか・・
したたかなお国柄ですよねー( ̄ー ̄)b


■ 1951年 海軍の反乱(マンハッタン反乱)

1951年、タイ海軍の将校が当時の政権に対してクーデターを起こし、
失敗するという事件が起こっています。(理由は不明)

それは米国建造による浚渫船「マンハッタン」の引き渡し式でのことでした。

突如下士官たちが首相に銃を突きつけて人質に取り、
海軍の旗艦HTMS 「スリ・アユタヤ」Sri Ayudhyaに拉致したのです。



タイ王国陸軍、空軍、警察の連合軍からフルボッコにされ、
最強の軍艦だった「スリ・アユタヤ」も撃沈し、クーデターを強制終了。

この事件により、海軍は上層部のほとんどが解雇され、
銃火器を没収されて、その権力と影響力のほとんどを剥奪されます。

気の毒だったのは、せっかく第二次世界大戦を生き残った日本製の潜水艦。
何も悪いことをしていないのに、どさくさに全艦退役させられましたとさ。


■ ベトナム戦争と「血の水曜日事件」

ベトナム戦争では、タイ海軍は南ベトナムとその同盟国を支援するため、
2隻の艦艇が海上砲撃で地上軍を支援しています。


ベトナム戦争を巡る学生の民主化運動は、世界のトレンドだったわけですが、
軍隊と政府側は常に彼らを制圧する側に回りました。

いくつかの国で若い人命が失われる結果になりましたが、
タイではおそらく世界でも最悪の結末をたどりました。

タイにおける名門法科大学、タンマサート大学で起きた左派学生の集会
(寸劇だったという話)に対し、制止しようとする警察が武力を用い、
学生たちは警察と軍隊、民間右派組織の襲撃を受けました。

100名が拘束され、公式に46名(実際は100名以上とされる)
が死亡し、戒厳令が出されています。

みなさんは、ニュース映像で、木に吊るされた大学生の遺体を
折りたたみ椅子で殴る男と、それを取り囲んだ群衆が
微笑みを浮かべている虐殺の図をご覧になったことがあるでしょうか。

血の水曜日事件

このときのタイ海軍はというと、チャプラヤ川に飛び込んで
逃げようとした学生に、待機していたボートから銃弾を浴びせています。



こちらがタイ王国海軍の海軍旗。
真ん中に象の姿をあしらったものです。

タイ海軍の歴史を調べたところ、タンマサートの事件以来
ほとんど出動記録がないのか、記述がそれ以降ありません。

任務範囲は、河川やタイ湾、クラ地峡を隔てたインド洋などですが、
最近のタイ海軍が例えば国際貢献などを行っているのか、
それを記録した資料が見つかりませんでした。

それから、他の海軍にはない特色として、タイ海軍では
有名な司令官が悉く「王」「王子」「皇太子」であることです。

そういえば海上自衛隊にも毎年のようにタイから留学に来ているようですが、
今まで見てきた限りでは、遠洋航海に参加しているタイ留学生は、
学生でありながら、すでにタイ海軍の中尉であるだけでなく、
見た目も何となく高貴な雰囲気を漂わせる人ばかりで、
さすがやんごとなき生まれの人が多いんだなと思わされました。


今回、日本海軍時代からタイ海軍とは繋がりがあったことがわかりましたし、
現在も必ずそうやって海軍同士のコネクションを絶やさないというのは
昔からの付き合いによるところが大きいのかもしれません。


ついでに言うと、アジアにおける数少ない独立国同士だった日本とタイは、
皇室と王室同士も歴史的に縁が深く、互いに交流も盛んです。

潜水艦や軍艦の例もあるからか、タイ王室は日本製品がお好きらしく、
車はホンダ、カメラはキヤノン、サックスはヤマハ、
そしてスニーカーはオニツカタイガーなどを御用達なのだとか。

■ HTMS 「プミポン・アドゥンヤデート」




というわけで今回来日している「プミポン・アドゥンヤデート」ですが、
この名前をどこかで聞いたことがあると思ったら、それは
タイ国王、ラーマ9世の通称そのものでした。
(ラーマ9世は2016年に崩御し現在はラーマ10世)

タイ海軍の艦名の前に置かれるHTMSは、

「His Thai Majesty’s Ship」(タイ陛下の船)

の略になります。



HTMS「プミポン・アドゥンヤデート」FFG-471
Bhumibol Adulyadej


「プミポン・アドゥンヤデート」級フリゲート艦は、
タイ海軍が運用するフリゲート艦の一種です。

韓国の大宇海洋造船会社による建造で、大韓民国海軍の
「広開土大王」(グワンガエート・ザ・グレート)級駆逐艦
の設計にステルス機能を追加したバージョンで、
タイ海軍の高性能フリゲート艇プロジェクトの1番艦となります。
(2番艦建造は延長されたまま)

就役は2019年1月7日なので、まだ新造艦といっていいでしょう。

この建造については、造船技術の指導も受けているらしく、
タイ海軍は、国内造船力を強化するため、もう1隻、
高性能なフリゲートを建造する予定です。
(それが国内建造になるのかどうかはわか裏ませんでしたINS)

■ 設計・建造

「プミポン・アドゥンヤデート」(『プミポン』と略せたら楽なのだけど、
タイではこれ全部が揃って初めて名称であるので、省略はありえないらしい)
には、艦体とシステムによるステルス技術が施されていて、
相手からの発見を減らすことに重点を置いています。

それは例えば、レーダーの反射における熱放射やノイズの減少などです。


海軍の戦闘システムは空軍の航空機を介して、
HTMS「ナレスアン」(FFG-421)、HTMS「タクシン」(FFG-422)、
HTMS「チャクリナルエベット」
(CVH-911)とリンクします。

「シー・レジスタンス」については、

「強固な船体構造を持ち、6~8海象までの耐海性がある」

とされます。
この数字については、おそらく海況における

「波高4m〜14m未満」(6は『かなり』8は『非常に荒れている』)

「レベル6〜8
、4mの強いうねり」

といった状況のことだと思われます。
かなり悪条件の天候下でも大丈夫、というわけですね。

また海象のみならず、核、化学、生物化学の汚染という
敵対的な環境下でも生存できる可能性が高いとされます。



■ 戦闘能力 

海軍艦である最優先事項である水中戦のみならず、
3Dで戦闘行為が可能です。
3次元的というのは「水中」「水上」「空中」での、という意味です。

同艦の備える戦闘能力とは。

まず、水中の敵、潜水艦に対しては、後部と底部のソナーで遠隔目標を探知。

そして、垂直発射対潜ロケットや魚雷、2番艦で遠隔地の潜水艦を攻撃する。

空中の脅威に対しては、長・中距離の三次元監視レーダーを使って、
目標を見つけ、探知し、追跡する。

僚艦や航空機と作戦を交換・調整する。

その後、ESSMミサイルや艦砲射撃で目標を攻撃する。

戦闘集団の外にある空軍機と連携しての捜索。


水上戦においては、遠距離からの攻撃が可能となる。
これは艦載ヘリによる水上・水中目標への攻撃も含む。


自衛能力のために、地対空ミサイル、海軍砲、対空副砲、CIWS、
電子デコイ、集中的または個別的なダメージコントロールシステム、
船体から信号を放送するための制御システムがある。

電子戦能力として、目標の電磁波信号を探知、
傍受、分析、破壊することが可能。


あとスペックで気になったのは

乗員=士官141名(別の資料では乗員141名とだけ)

と書かれていたことですが、いくら何でもそれはないだろうと思うの。


窓の隙間から見えるのはおそらく魚雷発射機。
これもよくみると結構あちこち錆が浮いているのね。
艦体の錆って、世界基準では全く気にしなくてもいいものみたいです。

やはり日本国海上自衛隊はこの点世界でも特別ということでよろしいか。


続く。



シンガポール海軍と「フォーミダブル」〜国際観艦式に伴う外国艦艇一般公開

2022-11-19 | 軍艦

日本国海上自衛隊主催、国際観艦式三カ国海軍艦艇を
大体見た順番に紹介していっています。

というわけで、今日は、見学しようと思ってちょっと並んだだけの
パキスタン海軍の「ナスル」「シャムシール」と同じ埠頭に係留していた
シンガポール海軍の、

RSS「フォーミダブル」Formidable F68

から見ていくことにしましょう。

「フォーミダーブル」というその名に聞き覚えのある軍艦は、
艦艇公開だけで終わった前回の観艦式にも来日しており、
反対側の岸壁で係留していた自衛艦の甲板から外観だけ見学しました。

今回も同じ軍艦を寄越すのには何か理由があるのでしょうか。

それではまず、今回の恒例として、シンガポール海軍について
概要というかちょっとした歴史を調べてみました。

■ シンガポール海軍

シンガポールというのは、教育はじめテクノロジー対応についても
イノベーションの点でも何気にスペックの高いスマートな国ですが、
正式な国名が、

Republic of Singapore (シンガポール共和国)

であることについては知らない人も多そうです。(わたしもな)
その海軍、シンガポール共和国海軍は、

Republic of Singapore Navy 

であり、略称はRSNですが、すべての就役艦に付されるのは
Republic of Singapore Shipを意味するRSSとなります。

【植民地海軍の発祥と『若鷹』】

シンガポールが植民地だった1934年、イギリスの王立海軍の予備軍として
たった2隻の哨戒船を保有するシンガポール海軍は生まれました。
正式名称は、

The Straits Settlements Royal Naval Volunteer Reserve
海峡植民地 王立海軍 志願予備軍(SSRNVR)

の、シンガポール部門という扱いです。

第二次世界大戦中はシンガポールの戦いを経て日本に占領され、
昭南島とこの期間だけ名付けられていたシンガポールですが、
戦後はその勢いでイギリスから自治権を獲得し、自治州となります。

そして1963年、マレーシアが独立した際、シンガポールは
連邦制の下でマレーシアの州の一つとして同時に独立を果たします。

この時、海軍はまだマレーシアの一部であったため、

ロイヤル・マレーシア海軍
 Royal Malayan Navy


と改名しました。

このとき正式に英国海軍の指揮下からマレーシア海軍に移管され、
「シンガポール義勇軍」(SVF)として起つわけです。

そのうちマレーシアはインドネシアとの間に対立が起こります。
(そういえば、今回の観艦式にはどちらも参加していましたね)

その間、シンガポール義勇軍は侵入者や妨害者から南部国境を守る役割を担い、
またインドネシア海軍に対して局所的な小交戦を行うこともありました。

1965年、マレーシアから分離独立を果たしたシンガポールは、
独立共和国を建設し、それまでのシンガポール義勇軍(SVF)は、
マレーシア海軍の隷下にありながら、事実上新国家の海軍部隊となりました。

分離後、シンガポールに残った艦艇は3隻でした。


漁船ぢゃないよ RSS「パングリマ」1988

そのうちの1隻、RSN最初の軍艦だった

RSS「パングリマ」Panglima(P68)

は、そのままシンガポール海軍義勇軍艦として再就役しています。
後2隻は「ペドック」「シンガプーラ」と言いますが、
みなさま、この「シンガプーラ」たんの最初の姿をご覧ください。


「若鷹」だった頃の「シンガプーラ」

「若鷹」は1941年、播磨造船所で建造された「初鷹」型敷設艦の3番艦で、
1942年からバタビヤ方面、ラバウル(ニューブリテン島)、
ショートランド泊地、パラオなどで船団護衛に従事しました。

戦後はマニラ、サイゴン、高尾、シンガポール、沖縄、
パレンバン、バンコク、香港などとの復員輸送業務に従事し、
戦後補償の一環としてシンガポールでイギリスに引き渡されました。

シンガポール海軍の最初の軍艦になったのはこれが下げ渡されたからで、
まずマラヤ連邦所属となってからは、


ラブナン(HMMS Laburnum)

と命名され宿泊艦として使用されました。

1965年シンガポール所属となり同国義勇海軍の練習艦となった「ラブナン」は
1967年5月5日シンガプーラ(RSS Singapura)と改名し、
同国義勇海軍の旗艦となった、という経緯です。

「ペドック」も、同じくフローティング司令部として就役しました。

ちなみにRSS「パングリマ」は、1988 年に練習船となり、
1991 年まで現役を続けました。


■ シンガポール海軍始動

新しいシンガポール海軍の海軍旗が初めて掲揚されたのは
1967年5月5日のことで、当初の名称は、

The People's Defence Force – Sea
海上人民防衛軍


でした。

当初のシンガポール海軍は新兵教育のために
ニュージーランド海軍の教官を招聘し、
士官教育をオーストラリア、イギリス、カナダ、ニュージーランドの
既成の海軍に留学させるという方法を取りました。

海上戦闘力の対象は海賊や密輸の撲滅です。

1968年、イギリスから6隻の「インディペンデンス」級哨戒艦が購入され、
これが1海軍が保有する最初の専用軍艦となります。

ちなみに、シンガポール海軍の戦略的な必要性が証明されたのは、
1974年に発生した

日本赤軍のテロリストによるブコム島石油施設における
「ラジュー号」シージャック事件


でした。
『シンガポール事件』

この事件の際、RSS「シーホーク」、RSS「インディペンデンス」、
RSS「ソブリン」、RSS「デアリング」
の4隻の艦艇が海洋警察とともに
逃走するフェリーを包囲し、逃亡を防ぐなど、活躍したのです。

1975年4月1日、海上司令部はシンガポール海軍と改名され、
それ以来その名称が維持されています。

■艦隊の近代化


1975年からシンガポール海軍に6隻の「シーウルフ」級ミサイル砲艦が就役し、
ベトナム戦争の難民流入のパトロールを行いました。
そして、米国から「カウンティ」級戦車揚陸艦6隻を、
1隻1ドルで購入しています。

また、機雷戦の脅威に対して「ブルーバード」級掃海艇2隻を購入し、
水中機雷処理作業を行うフロッグマン第一陣の訓練も始まります。

しかし、RNSはしばらくの間シンガポールに三軍における海軍の優先順位が
一番低かったということもあり、人員の不足から信頼を失い、
危機的状況に陥っていました。

その後、マラッカ海峡と南シナ海の海上交通路を確保するために、
海軍当局が政府を説得したこともあり、
1990年から海軍は復権を果たします。

その結果、「ビクトリー」級ミサイルコルベット6隻、
「フィアレス」級哨戒艦12隻、「エンデュランス」級揚陸艦4隻を取得し、
スウェーデンからは中古の「チャレンジャー」級潜水艦4隻を獲得しました。

■ 国際紛争など

マレーシアとシンガポールの間にも領有権紛争がありました。

ペドラブランカという島の領有権をめぐる両国の紛争は
国際司法裁判所によってシンガポールのものと決定される2008年まで
29年間続いていたわけですが、その間、シンガポール海軍は
パトロールを通じて島周辺の海域でプレゼンスを発揮していました。


RSNはまた、シルクエアー185便の捜索のために
「ベドック」級地雷対策艦を派遣していますし、
1999年の独立を問う住民投票後の人道的・治安的危機に対処するため
オーストラリア主導で東ティモール国際軍に参加しています。

また、ペルシャ湾のイラクの主要施設周辺の海上警備を担当する
多国籍軍イラク連合軍の一員としても活動しました。


■ 安全保障

RSNは「アーチャー」級潜水艦、「フォーミダブル」級フリゲート、
「インディペンデンス」級沿岸任務船
を新たに導入し、
周辺海域の緊張が高まる中、抑止力を高めています。

シンガポールもまた少子化が進む国の一つですが、
海軍は海軍の人員不足に将来的に対応するため、
特殊海上艇(Specialized Marine Craft)哨戒機や、
護衛艦(Protector USV)
など、武器の無人化を推し進めています。

海賊対策活動においても、RSNは近隣諸国とマラッカ海峡で
多国間における連携を行い、任務部隊の一員として活動を続けています。

シンガポールとマレーシアとの問題は他にもありました。

2018年、シンガポールが自国と主張する埋め立てた海域に
マレーシアが権益を拡張して沿岸警備隊と政府船を配備し、
RSNは対抗して警察沿岸警備隊とともに24時間365日現地に駐留。

結局両者は最終的に交渉に成功してこの地域から撤退することで治りました。

■今後の調達計画

海軍は2019年、最初の新造「インヴィンシブル」級潜水艦を進水させ、
さらに3隻を建造中です。

マルチロール戦闘艦(MRCV)(無人資産のための「母艦」)
と合同マルチミッション船(JMSS)、また、
新がクラスの哨戒艦を2026年に就役させる予定です。

■ RSS「フォーミダブル」

Kさん撮影:観艦式から帰投する「フォーミダブル」

「フォーミダブル」級マルチロール・ステルス・フリゲートのネームシップ、

RSS「フォーミダブル」Formidable R-68

「フォーミダブル」級はRSNの最新の水上プラットフォームであり、
フランス海軍の「ラ・ファイエット」級フリゲートの多用途艦です。

シンガポール海軍は老朽化した「シーウルフ」級の後継を募集し、
入札によってフランス海軍がこれを請け負いました。

設計と建造

前回の観艦式で「フォーミダーブル」を見た人が、
これを生まれて初めて生で見たステルス軍艦だと言っていました。

ステルス仕様のため、「フォーミダーブル」の艦体側面は傾斜させてあり、
レーダー反射断面積(RCS・Radar cross-section)低減を図っている他、
ブルワーク(舷檣、上甲板の外舷に沿って立ち上げた波の侵入を防ぐ囲い)や、
洋上補給装置を低RCSカーテンで隠すなどの設計がなされています。

なお、後部の上部構造は全鋼材で構成されています。

■センサーとシステム

MBDA(旧ユーロサム)のアスター防空システムを搭載しており、
艦対空ミサイルとしてSylver垂直発射システム(VLS)を装備しています。

「フォーミダーブル」級フリゲートは、約370kmまでの影響範囲を持ち、
海上で海軍の移動作戦司令部として機能し、
範囲内に配置された僚艦や航空機から情報を受信することができます。

これのシステムだと「センサー」から「シューター」までのループが短いため、
敵に反応する時間をほとんど与えることがありません。

■兵装

ボーイング・ハープーンミサイル
オトーメララ76mm砲

ハープーンミサイルは射程130km、アクティブレーダー誘導方式、弾頭227kg。
艦の中央部には24基ものハープーンミサイルを搭載するスペースがあり、
このクラスで最も武装が充実した艦となっています。

砲は6kgの砲弾を最大射程30km、毎分最大120発の発射速度で発射。

EDO社 アクティブ低周波曳航式ソナー
長距離潜水艦の探知と分類を可能にする。

ユーロトップA244/S Mod 3 軽量魚雷
ブルワークの後ろに隠された2基のB515三連装発射機から発射される。

艦載機:
Sikorsky S-70B海軍ヘリコプター

ヘリコプターはシンガポール共和国空軍の飛行隊が運用し、
空軍のパイロットが操縦することになっていますが、
システムオペレーターは海軍が行うことになっています。


続く。


インド海軍INS「シヴァーリク」と「カモルタ」〜国際観艦式外国艦一般公開

2022-11-17 | 軍艦

お気づきのことと思いますが、今回の外国艦一般公開で
わたしが内部を見学できたのは、オーストラリアとニュージーランド、
合計3隻だけだったので、実は内部観覧報告は終わりです。

パキスタン海軍は列が進まないので脱落し、ここならいけるだろうと
並び出したカナダ海軍の列は、開場して1時間だというのに
もうすでに「待ち時間100分」の告知が出されていました。

とりあえず並び出し、列を一往復進んだところで
暑さとマスクの息苦しさに耐えられなくなって戦線離脱。

あとを頼む、と知人を置いてとっとと帰ってしまいました。

しかし、このイベントに全て参加し、あるときは木更津に、
あるときは田浦に、あるときは横浜に、あるときは観音崎に、そして
千代ヶ崎砲台跡まで見学されたスーパーお元気なKさんが、
その全行動を写真に収めて送ってきてくださっています。
(これがあったから当方の戦線離脱が早かったという噂もあり)

ここから先は、Kさんの写真にわたしの写真を申し訳程度に混ぜながら
ともかくも最後までご紹介していきたいと思います。

■ インド海軍



先日、パキスタン海軍の歴史を調べたところ、
その歴史はそのままインドとの戦争の歴史といってよく、
わたしの思っていた以上にシリアスで洒落にならん関係でした。

海軍同士のつながりというのは国家間の関係とはちょっと別、
という言葉もありますが、実際最近までやり合っていた同士、
(しかも2001〜2002年には不穏な睨み合いもあったらしい)
よく同じところに錨を降ろす決断をしたものだと・・。

ここは、海上自衛隊がいい意味で空気読まずに、
インドには「うちの観艦式、パキスタン来るけど来ない?」(・∀・)
パキスタンには「観艦式、インド来るけどお宅も来るよね?」(・∀・)
と声をかけて、

「何っ、インドが行くなら出ないわけにはいかん!」
「パキスタンだけにいいカッコさせられるか!」


となるように競争心を煽ったのではないかとすら思えます。

ただ、観艦式の順番とかそれこそ係留する埠頭の位置とか、
自衛隊はかなり神経使ったんじゃないかと思うがどうか。

インド海軍

パキスタン海軍は分離独立を果たしてから、
インド海軍が分かれてできたような経歴ですが、こちらは
植民地化されてからずっとイギリス海軍としての歴史があります。

第二次世界大戦ではイギリス軍でしたから、
それこそ日本海軍からも猛烈な通商破壊戦で何隻も喪失しました。
この頃の保有軍艦は8隻でした。


オーストラリア、ニュージーランドと同じく、
ロイヤル・インディアン・ネイビーとして、1950年から2001年まで
このようなホワイト・エンサインを使用していました。


2001〜現在

現在のインド海軍は

「他の連合国軍と連携し、戦時・平時を問わず、インドの領土、国民、
海洋権益に対する脅威や侵略を抑止・撃退すること」

「インドの政治、経済、安全保障上の目的を推進するため、
インドの海洋権益地域に影響力を行使すること」

「インド沿岸警備隊と協力し、インドの海上責任水域における
良好な秩序と安定を確保すること」

「インドの近隣海域で海上支援(災害救援を含む)を行うこと」


を使命に掲げています。



■INS「シヴァリク」



INS 「シヴァーリク」 (F47) 

は、「シヴァーリク」級ステルス マルチロール フリゲート艦で、
インドが建造した最初のステルス軍艦です。

国産で、2001年に建造が開始され、2009年に完成し、
2010年4月29日に就役しています。

前級である「タルワール」級よりもステルス性と陸上攻撃性を向上させ、
また、インド海軍の艦艇としては初めて、

CODOGCOmbined Diesel OGas)推進システム

を採用しました。
ディーゼルエンジンとガスタービンエンジンを組み合わせた推進方式です。

全長142.5m
ビーム16.9m
喫水4.5m
標準積載時 約5,300トン
満載時 約6,200トン

乗員 約257名
うち士官37名


兵装は、ロシア、インド、西側の兵器システムを混合装備。

3インチ (76 mm) オートメララ海軍砲

超音速対艦ミサイル Klub と BrahMos

対空ミサイル Shtil-1

RBU-6000 対潜ロケットランチャー

DTA-53-956 魚雷ランチャー

近接武器システム(CIWS)32セルVLS発射のバラックSAMとAK-630

艦載機 2機のHAL Dhruv Sea King Mk.42Bヘリコプター


■ インド海軍の国際的立ち位置

日本との関係で言いますと、2012年、INS「シヴァーリク」は
インド海軍の駆逐艦とフリートタンカー4隻編成で、

JIMEX 2012(日印海洋演習)

に派遣され、インドにとって初の日本との海上共同訓練を行なっています。
自衛隊からは、護衛艦2隻、哨戒機1機、ヘリコプター1機が参加しました。

このときインドから参加した4隻の艦船は、東京に3日間滞在しましたが、
この訪問は、日印国交樹立 60 周年の記念行事となりました。

その後定期的に行われているらしいJIMEX(後欄参照)に関しては、
在インド日本大使館のページなどでも紹介されており、令和2年度は
「かが」「いかづち」などが参加したと報じられています。

日印共同訓練令和2年

安倍晋三元首相が提唱した日米豪印クァッドQUADの設立時、
インドだけはこれが中国包囲網とかではないということを言明しました。

確かにインドと中国の関係性は我々が思うより密接です。

たとえばINS「シヴァーリク」も、日本の訪問の後中国に立ち寄りましたし、
青島で人民解放軍海軍 (PLAN) の 65 周年記念式典が開催されたときは
インド海軍も出席して、中国、インドネシアと共に
ハイジャック対策を含むハイレベルな演習を実施しています。

また、2014年には、ロシアと、海・陸軍対テロ演習である
INDRAウォーゲームに積極的に参加しています。

元々インドは勢力図で言うとレッドチーム寄りで、
パキスタン海軍がブルーチームだと言われていましたね。

ただ、インド海軍が頻繁に他国との軍事演習を行うのは有名?な話です。
これまでインドが行ってきた多国間防衛訓練を表にしてみました。

お節介ながら冷戦時の西側諸国を青東側諸国を赤で記しておきました。
カタールは冷戦時まだ独立していなかったので黒のままです。

Milan Multilateral 1995~2022 10回
VARUNA 🇫🇷仏海軍 1983〜2019 17回
KONKA 🇬🇧英海軍 2004〜2019 14回
INDRA 🇷🇺ロシア海軍 2003〜2021 12回
MALABAR 🇺🇸米海軍 🇯🇵海上自衛隊 1992〜2020 24回
SIMBEX 🇸🇬シンガポール海軍 1994~2020 27回
IBSAMAR 🇿🇦南ア海軍 2008~2018 6回
SITMEX 🇸🇬シンガポール海軍 🇹🇭タイ海軍 2019~2020 2回
SLINEX 🇱🇰スリランカ海軍 2012~2020 8回
NASEEM-AL-BAHR 🇴🇲オマーン海軍 1993~2020 12回
AUSINDEX  🐨オーストラリア海軍 2015~2019 3回
JIMEX 🇯🇵海上自衛隊 2012~2020 4回
ZA'IR-AL-BAHR 🇶🇦カタール海軍 2019~2019 1回
SAMUDRA SHAKTI 🇮🇩インドネシア海軍 2018~2019 2回
BONGOSAGAR 🇧🇩バングラデシュ海軍 2019~2020 2回
Zayed Talwar🇦🇪 UAEアラブ首長国連邦海軍 2021~2021 1回
Al-Mohed Al-Hindi 🇸🇦サウジアラビア海軍 2021~2021 1回


趣味:他国との軍事演習というくらいの実績でしかも相手を選ばず。
いろんな国を巻き込んで軋轢を作らない方向性というか、
インドにすればこれが宿敵パキスタン包囲網のつもりだったりするのかも。

で、一応念のために確認しておきますが、
インドは冷戦時はレッドチームだったんだなこれが。

■INS「カモルタ」



INS「カモルタ」Kamorta P 28

は、インド海軍のために建造された

対潜水艦「カモルタ」級ステルス コルベット

で4隻建造された同級のネームシップです。

先ほど、インドが世界中の海軍と演習をしまくっていることを書きましたが、
インド海軍は「真のブルーウォーター・ネイビー」を目指してきており、
現在は晴れてそのブルーウォーターネイビーの一員と目されています。

外洋海軍、ブルーウォーターネイビーは、反対の意味の地域海軍が、
その国の沿岸のみで活動する海軍力しか持たないのに対し、
広範囲での制海権を行使する海軍力を持つとされます。

艦船や潜水艦を国内で設計・建造することができる、というのも
ブルーウォーターネイビーの条件であり、このためにインド海軍は
自国艦建造の自立を目指し、「カモルタ」建造もその重要な一歩でした。

同級は、2003年に承認されたプロジェクト28の一環として、
GRSEによって設計・製造され、2010年進水、2014年に就役しました。

INS 「シヴァリク」と同様、インド産の高級鋼材を使用した、
インド初の国産対潜コルベット、初の国産ステルスコルベットです。

鋼材には、国営インド鉄鋼公社がビライ製鉄所で生産する
独自開発の特殊級高張力鋼 (DMR249A)が使われました。


「カモルタ」はインドのニコバル諸島にある島の名前です。
ちなみに同級の名前は

「カドマットkadmatt」「キタンKitan」「カヴァラッティKavaratti」

で、命名基準はインドの島の名前です。

■「カモルタ」の最新性能

当クラスの特徴は、そのステルス性ですが、もう一度写真を見てください。

2枚めの右側の艦体と、この上の写真からお分かりのように、
艦体と上部構造が、途中のくびれた「X」字型なのがお分かりでしょうか。
この傾斜側面のため水中音声信号やレーダー断面が低くなります。

また、インド海軍艦として初めて炭素繊維強化プラスチックで建造され、
重量を軽減、ライフサイクル・メンテナンス・コストを削減しました。

センサーや兵器システムの大部分は艦体に包含されており、
これらもインド国内の各企業が手掛けました。

赤外線抑制、音響静粛システムなどのステルス機能も強化されています。


コンピュータで作成した、プロジェクト28カモルタ級コルベットの設計図

また、折りたたみ式のハンガードアも特徴です。
(あああ〜見学したかった)

推進力は5,096馬力 (3,800 kW) のディーゼルエンジン4基を
1,050 rpmで搭載しており、最高速度32kn (59 km/h; 37 mph) が可能。

乗員は約180名、将校は15名。



BELRavathi レーダー これもメイドイン・インディア



L&T RBU-6000 ASW ロケットランチャー(爆雷)
原型はソ連が開発、L&Tはインド企業



バラット・エレクトロニクス社(インド)開発の火器統制レーダー


流石にこれだけはイタリア製オトーメララ

ここまで調べて、わたしにはわかってしまいました。

つまり、今回のインド海軍、世界に、特に宿敵パキスタンに、
この自他ともに認めるブルーウォーターネイビーの証を見せびら・・
おっと、見せつけるために、自慢の国産艦を、
内部まで惜しみなく一般公開したのに違いありません。

って、観艦式=軍事パレードと考えるならどこもそれが目的なんですけどね。


続く!


PNS「ナスル」「シャムシール」とパキスタン海軍〜国際観艦式外国艦艇一般公開

2022-11-15 | 軍艦

観艦式はもうとっくの昔におわたのに、相変わらずのんびりと
外国艦艇一般公開についてのレポをお送りしている当ブログです。

さて、前回で南太平洋艦隊を見学し終わったわけですが、
知人が桟橋を奥に進み、次はパキスタン海軍の列に並ぼうと言ったので、
特に考えもないわたしはそれに従うことにしました。

オーストラリア海軍のHMAS「スタルワート」艦橋から見たところ、
パキスタン海軍からは大小の2隻が来日していました。



その名も「ナスル」と「シャムシール」。
(看板の説明を熱心に点検しているお子あり)

わたしが知る期間だけだと、パキスタンからの観艦式参加は初めてです。
せっかくこうやって日本においで頂いたのも何かのご縁。
我々日本人がほとんど知ることのないパキスタン海軍について、
今回はその歴史について語ることを試みます。

っていうか、これはわたしにとって全く未知の領域。
皆様の中にも興味のある方がおられるにちがいない・・と信じて。


■ パキスタン海軍 波乱含みの誕生 

【パキスタンとインドの分離独立】

1947年8月15日にイギリスから独立した英領インドが
主に宗教上の理由でインドとパキスタン王国に分離します。

パキスタン海軍は、そののち、消滅したインド海軍から移管された
人員と装備でスタートしました。

パキスタン海軍の最初の装備は、スループ2隻、フリゲート2隻、
掃海艇4隻、海軍トロール船2隻、ハーバーランチ4隻
というものです。

この譲渡の時から、インドとは早速悶着が起こりました。

インドは分離独立したパキスタンに対し、ボンベイ造船所の機械はもちろん、
たまたまパキスタン国内にあった機械すら譲渡を拒否してきたのです。

発足当初のパキスタン海軍の人員は200人の将校と3,000人の水兵のみ。
最上級は大佐で、しかも軍人としてほとんど未経験。
士官のうち20名がインド海軍の執行部出身で、機械技術者は6名のみ、
兵器システムや艦船全体専門の電気技術者等は皆無という状態です。

パキスタン海軍は、創設早々から、人員不足、運用拠点の不足、
財政的支援不足、技術的・人的資源の不足に悩まされることになります。

当時三軍のうち陸軍と空軍の力が強く、防衛計画も予算も
陸空軍中心に組まれたという事情があったからです。

造船所もなく(当時地域唯一の造船所はボンベイにあった)、
次世代を担う人材の育成をする場所にすら事欠く国内事情も加わり、
パキスタン海軍の出だしには暗雲が立ち込めていました。


PNS「シャムシェール」
1947年インド海軍から譲渡されたパキスタン海軍の最初のフリゲート艦
訓練艦として使用された

今回来訪しているフリゲート艦と同名ですね。


■ 始動1947年~1964年

【第一次印パ戦争】

イギリスから分離独立したインドとパキスタンの間には
カシミール地方をめぐって1947年から第一次戦争が始まりました。

戦闘は陸空で展開したため、ほとんど出番のない海軍は、
駆逐艦でパキスタンからインドへの移住者の移送などを行っていました。

新海軍のトップはイギリス海軍から送られた英国人将校が占めていました。

ただ、このお陰で第一次戦争が終わった後、パキスタンは
イギリス海軍から寄付と譲渡により多数の護衛艦を得ることになります。

【イギリス統治が続くパキスタン海軍】

1950年、ついに海軍の国有化が行われることになります。
陸空軍から多くの将校が海軍に志願し、下士官は将校として任官しました。

政府は海軍のトップにパキスタン人を任命するよう交渉しましたが、
体制が覆ることはなく、その後も指揮権はイギリス人少将に、
パキスタン人は参謀長以下にしか任命されることはありませんでしたし、
非戦闘任務全てが常に英国海軍の支援監督の下に行われました。

政府は1954年、潜水艦を調達するためにイギリス政府に働きかけましたが、
貸与すら拒否されたため、パキスタンは、自国海軍の近代化のために
アメリカに、駆逐艦の貸与と金銭的な支援を求めて交渉を持ちかけました。

1955年、これを受けたアメリカ海軍の顧問がパキスタン海軍に派遣され、
パキスタン海軍に踏襲されていた英海軍の影響は一掃されました。

Royal Pakistan Navy から「ロイヤル」という接頭辞は削除され、
名称はPakistan Navy』PN に変更されることになりました。

三軍の優先順位も、海軍-陸軍-空軍から陸海軍-空軍へと変わります。

しかしその後も、どこから軍艦を調達するかなどの折衝をめぐって、
陸海軍の間に激しい内部対立が生じるようになってしまいました。

まあどこの国にもよくある話なんですが。

その後パキスタン政府が反共チームに参加した結果、
英米からは駆逐艦2隻、沿岸掃海艇8隻、油送船1隻が調達されました。



■ 印パ戦争とその後の戦時配置1965年-1970年

「パ海軍初の潜水艦『ガージ』取得」

海軍近代化のために潜水艦をなんとしてでも調達したいパキスタン海軍は、
カラチにある海軍工廠に英国関係者の指導を要請、同時に
インド洋で作戦展開するための訓練支援をアメリカ海軍に要請しました。

1963年ごろは、ソ連海軍がインド海軍に潜水艦を貸与する、
という情報があったため、潜水艦調達に対して米英は協力的だったのです。

当時西側がピリピリしていた反共というポイントをうまく利用し、
の協力を取り付けた結果、1964年、ついに待望の
PNS「ガージ」Ghazi が就役しました。


1965年、戦場でのPNS「ガージ」

 アメリカ海軍の「テンチ」級潜水艦USS「ディアブロ」Diablo S S-479
として就役し、その後パキスタン海軍に貸与されて
PNS「ガージ」として就役させることになったのです。

そんな折の1965年、カシミール侵攻が勃発します。
これにより印パの間で第二次戦争が勃発。

配備された最初の長距離潜水艦「ガージ」は、
インド海軍の空母INS 「Vikrant」の脅威に対し情報収集を行います。

その後パキスタン艦隊はインド空軍のレーダー施設、
ボンベイのインド海軍西部海軍司令部に対して砲撃作戦を展開しました。


その頃、パキスタン海軍は海軍航空の設立について、
戦闘機とそのパイロットが海で失われることを恐れ反対する派と、
この考えに敵対する航空AHQスタッフとの間で、対立が起こっていました。

そして、パキスタンには東パキスタン(現バングラデシュ)
との間の外交問題も起こっていました。

パキスタン海軍が戦争に対して準備不足で、
戦略は現実から切り離した結果でしかないのは明らかでした。


■ 第三次印パ戦争とPSN「ガージ」沈没

第三次戦争のきっかけは東パキスタンに起こった災害でした。

当時実権を西パキスタンに握られて植民地状態だった東パキスタンに
サイクロンが起きて国土が水没したのですが、中央政府の対応をめぐって
住民の不満が爆発し、独立運動が起こってしまったのです。

パキスタン軍が出動してこれを抑えるため制圧をおこなうと、
難民がインドに流れ込んでしまい、これにインドが怒って
第三次戦争が起こってしまったのでした。

【印パ海軍の戦闘】

戦闘が始まると、インド海軍はパキスタンの海上国境を突破し、
ソ連製の「オーサ」級ミサイル艇 で最初のミサイル攻撃を成功させました。

 このとき発射されたのは対艦ミサイルであるスティックスで、
時代遅れのパキスタン軍艦はこれに対する防御の術を持たず、
結果、軍艦2隻を沈没で失い、1隻が修復不可能な損傷を受けました。

さらにパキスタン軍の兵舎を狙ったインド海軍のミサイル地上攻撃では
1700名が死亡するという大惨事となり、
パキスタン海軍には心理的なトラウマを抱えると共に、
その後の戦闘能力を大きく低下させていくのです。

しかし対するパキスタン海軍は、潜水艦「Hangor」
インドのフリゲート艦INS「 Khukri」を沈没させたこともあります。


INS「ククリ」

これは第二次世界大戦後初の潜水艦による軍艦の撃沈となりました。
インド海軍はこの沈没で18人の将校と176人の水兵を失いました。

そんなときパキスタン空軍のF-86 戦闘機が、
フレンドリーファイアーで海軍艦を攻撃するという事件が起こり、
パキスタン海軍 の作戦能力は事実上消滅し、士気は急降下しました。

そして、この戦争で配備されていた海軍唯一の長距離潜水艦
「ガージ」が、謎の状況下で沈没してしまったのです。

この沈没理由を、パキスタン側は機雷の爆発により沈没したとし、
インド海軍は撃沈したと主張して、いまだ原因は明らかではありません。

ともかくも、これが心理的に決定打となって、
パキスタン海軍は士気を明らかに喪失してしまうのです。

実際この戦争で海軍は従来の半分の戦力を喪失することになりました。

【パキスタン軍の敗北の理由】

後年の研究者によると、このときのパキスタン海軍の敗北は、
最高司令部が海軍の役割を定義することをせず、
海軍を『軍隊として考える』ことに失敗したから、とされています。

どういうことかというと、為政者が、海軍を軍として十分に理解せず、
またシーレーンを守ることの重要性も理解していなかったため、
海軍が本来持つべき力を発揮させられなかったということでしょう。

第三次印パ戦争ではインドの圧倒的な勝利となり、
東パキスタンはバングラデシュとして独立を果たしました。


■近代海軍への再編成と構築 1972年~1989年

戦後、海軍の近代化が押し進められます。
1972年ブット政権は、海軍の上級提督5人を解任し、人事を刷新。

1977年にアメリカから旧「ギアリング」級駆逐艦「エッパーソン」
PNS 「タイムール」Taimur を取得。


PNS「タイムール」

1974年には、ついに海軍航空部門が設立されます。
イギリスからウェストランド・シーキング・ヘリコプターが供与され、
1979年にはインド海軍に対抗し、偵察機から陸上発射できる
地対艦ミサイル・エクゾセの試射を実施。
南アジアで初めて陸上弾道ミサイル搭載の長距離偵察機を保有しました。

潜水艦は、フランスの「アゴスタ70A」級潜水艦を購入、
「ハルマット」「ハシュマット」として就役し、このことは
インド海軍に対する海底での優位性をもたらしました。

当時アメリカはレーガン政権で、経済復興と安全保障支援を目的とした
32億ドルの対パキスタン援助案をアメリカ議会に提出し、
海軍はハープーンシステムの入手交渉に成功しましたが、
アメリカ国内におけるインドの強いロビー活動の妨害があったそうです。

こうして互いに軍備拡張を競い合った結果、インドとパキスタンは
互いに相手を封じ込めることができると確信していました。

やがてパキスタン海軍は、中東諸国への戦時展開を開始し、
アメリカ海軍を支援するためにサウジアラビアに戦力を展開しました。

■ 自立・交戦・秘密作戦(1990年-1999年)

1989年にロシア軍がアフガニスタンから撤退すると、
ブッシュ政権は秘密裏に行われていた原爆開発計画の存在を暴露し、
パキスタンに対する武器禁輸措置を発動します。

1990年にリース期限切れの装備を全て返還させられ、
海軍はいきなり資金調達の問題に直面してしまいました。

この禁輸措置は海軍の活動範囲を著しく狭めることになります。

ちなみに潜水艦の取得先を中国で検討していましたが、
あまりに静謐性がないためこれを断念したという話です。

どうも大人の事情というのか不可思議なのですが、アメリカの
禁輸措置にもかかわらず、米海軍はパキスタン海軍との関係を維持して、
原潜や空母の運用に関わっていたようです。

パキスタンもアメリカと繋がって損はありませんから、ソマリア内戦では
米軍の行動に参加し、ソマリア沿岸で戦時哨戒を行っています。

その後米国議会で禁輸が解除され、海軍は哨戒機を譲渡されました。


パキスタン海軍のP3Cオライオン

1999年8月10日、インド空軍が海軍航空隊を撃墜し、
将校を中心とした16名の海軍関係者が死亡する事件が発生。

1999年8月29日にはP3Cオライオンが事故により失われ、21名が死亡。


撃墜の件でパキスタン海軍はインドを国際裁判所に提訴しましたが、
後に裁判所の権限が過大であるとして請求は棄却されています。

 ■アフガニスタンでの対テロ戦争と北西部での作戦
(2001年~)

海軍は潜水艦への核兵器搭載を検討しましたが、実現していません。

2002年から2003年にかけて、パキスタン海軍はインド洋に展開し、
海上からのテロに対抗するための海軍訓練に参加し、最終的に中国と
誘導ミサイルフリゲート艦の設計・建造技術の獲得のための防衛交渉に入り、
F-22P誘導ミサイルフリゲート艦が2006年から建造されました。

2004年以降、インド洋に展開し、多国籍軍基地NAVCENTで
重要な役割を果たし、CTF-150やCTF-151の指揮を執るとともに、
「不朽の自由作戦」にも積極的に参加しています。

■ PNS 「ナスル」


今回国際観艦式に参加しているPNS「ナスル」Nasr(左)。

2008年には、インド洋でアメリカ海軍と共に、海上テロ防止のための訓練
「インスパイヤード・ユニオン」に参加した艦歴があります。

PNS 「ナスル」Nasr (A47) は、パキスタン海軍の905型補給艦です。
中華人民共和国の大連造船工業公司で建造され、1987年に就役しました。

連れの言葉に従って、「ナスル」の見学をしようと列に並んだのですが、
並んでいるわたしたちに、自衛官が、

「ナスルはグループごとに乗組員が付き添う形で乗艦します」

「艦内の写真撮影は禁止されています」


と注意しているではありませんか。
いうてなんだが、1987年建造の中国製補給艦のどこに、
撮影禁止にしなければいけないような機密があるというのか。


艦体錆すぎ

と思いましたが、桟橋一つ置いて宿敵海軍が停泊しているのだから、
日本人のふりをしてスパイする人がいないとも限らない、
と慎重になった結果かもしれん、とその時は思ったのです。

で、並び出したのはいいですが、列が全く進まんのよ。

グループごとに乗員が一人付き添って中を案内、
おそらくカメラは全部カバンに入れるか没収?
付き添いはこっそり写真撮らないか見張るため?

いずれにしてもピリピリした感が満載です。

なんならそういう非日常を味わうためにも乗ってみたかったのですが、
あまりに列が動かないので、堪え性のないわたしは離脱してしまいました。

ちなみにKさんによると、パキスタン海軍、終始マイペースで、
こんな状態で長蛇の列ができていても全く意に介さず、
誰か来たら見学者を止める、お祈りの時間になったら
全てを放棄して見学客を放置して甲板で祈り出す。

うーん、面白すぎるぞこの海軍。

「ナスル」の艦歴をざっと見てみたところ、

1998年、カラチで商業タンカーに突っ込まれたことがある

2004年のインド洋地震・津波ではモルディブへの救援活動を行い、
外国勢として初めて現地で救助活動を開始した


そしてまたしても面白すぎたのが、

2014年にオーストラリアで行われたカカドゥ軍事演習に参加したとき、
ダーウィンで乗組員が脱走するという事件があった。

すぐに見つかって連れ戻されたそうですが。


浦賀水道を航行する「ナスル」 K氏写真

乗員:士官26名、下士官兵120名
搭載武器:ファランクスCWAと37ミリ二連装銃、12.7ミリ機銃
艦載機:ウェストランド「シーキング」、
エアロスパティアル「アルエットIII」SA316


 
■ PNS「シャムシール」Shamsheel



「ナスル」の隣に係留してある小さな艦艇が
パキスタン海軍のフリゲート艦であることがわかって、
見学者の撮影を禁止したわけがようやくわかったわたしです。



「シャムシール」は2009年に就役したフリゲート艦で、
近代的な電子装備を全て保有し電子戦も行えます。

この建造も中国海軍で、もしかしたら撮影禁止は
中国からの意向もあったのかもしれないと思ったり。


Kさん提供

「シャムシール」、今回、日本の観艦式に出席する途中、
荒波のため行中の乗員二人が怪我をしていたことを知りました。

かなりの怪我だったらしく、同艦はフィリピンに遭難信号を出し、
サンタアナ港に臨時寄港して負傷者を搬送していたのです。

うーん、知らなかったわ。


横須賀を出港する「シャムシール」 Kさん提供



現在のところ、パキスタン海軍はインド洋での作戦範囲を拡大し続けており、
2013年に原子力潜水艦のプログラム構築を開始すると先に発表し、
また、トルコとの防衛交渉に成功したと報告されています。


Kさん提供

出待ちのパキスタン海軍軍楽隊の皆さん。
マスクをずらして楽器を咥えている人がいます。

続く。


船首形状いろいろ〜国際観艦式に伴う外国艦一般公開

2022-11-13 | 軍艦

さて、外国海軍艦の一般公開、開場と同時に入場し、
オーストラリア海軍の「ホバート」の甲板までを見終わりました。



「アオテアロア」のハンガーを通り抜けて下艦します。



バスケットゴールの向こうには充実のジムが。

この後、ラッタルを降りて下艦したのですが、
このラッタルがすごかった。

説明しにくいのですが、「アオテアロア」備え付けのラッタルが
もっと低い岸壁に係留するための仕様なのか、
階段部分の角度が傾いてしまい、その上を歩くわたしたちは
まるで鉄のハシゴを渡るようなスリルを味わうことになりました。

靴との接地点が少なく、しかも踏み板は下に向かって傾いているので、
手すりを持たないで歩くのは不可能。
下にネットは張ってありましたが、段と段の隙間は大きく、
足を滑らせたら色んな意味で人生終わると思われました。

軍艦がバリアフリー仕様でないことくらいは百も承知ですが、
それにしてもこのラッタル、今まで自衛艦とアメリカの展示艦を
たくさん見てきたわたしにとっても、特にスリル満点なものでした。


この写真を見る限り、乗艦は上甲板階に、
下艦はその一階上から梯子を降ろしているように見えます。

ということは、上甲板と格納庫は同じ階ではなかったということか・・・。


さて、というわけで、RANとRNZNの3隻の軍艦を見終わりました。
これはKさん写真ですが、わたしがいたのと同じ時間っぽいです。

埠頭に出たわたしたちは、というかわたしの連れが、
この奥の艦を見ようといい出したので、左手に向かって歩き出しました。

そこでこんな光景を目撃したのです。

■「スタルワート」のバルバス・バウ



「スタルワート」の作業艇が、錨の塗装をしていました。

観艦式においでくださったお客様に対してこんなことを言うのもなんですが、
このとき見学した「アオテアロア」「スタルワート」「ホバート」、
どれもつい最近建造されたにも関わらず、艦内を歩くと
結構いたるところにサビが目立つので驚いた直後のことです。

海の上に浮いている鉄の塊・軍艦がすぐに錆びるのは当然とはいえ、
我が海上自衛隊の執念と思えるくらいの行き届いたメンテナンスと、
特にイベント前には彼らが必ず化粧直しすることを知っているので、
ついついこういうサビが目についてしまうわけです。

連れと、観艦式に呼ばれた時くらいはきれいにしてから来ようよ、
などと軽口を叩きながら甲板を見て回った後に、この光景を見たのです。


オーストラリア海軍、展示の間は暇だからか、観艦式を前に、
目立つ錨だけはきれいにしておくことにしたらしいのです。

作業艇にはペンキがかからないように、ちゃんとカバーがかかっています。



指揮官はオーストラリアンハットの人かな?



あっという間に錨を塗り終えて去っていく作業艇。
錨より、その収納部分に頑固にこびりついたサビを何とかしろと。



というところで、この「横顔」です。
まず「スタルワート」のバルバス・バウをご覧ください。

バルバス・バウ(Bulbous Bow)は日本語だと球状船首ともいい、
船が進む時の造波抵抗を小さくするための構造です。

バルバス・バウだとどうして造波抵抗が小さくなるかというと、
突き出している「球根」部分は艦体より先に進んで波を作り、
その波が艦体部分で位相が逆になって打ち消されるという原理です。

お分かりいただけただろうか



ところで「スタルワート」の艦体に描かれているコレですが、
「この先→バルバスバウあり〼」
という注意喚起に違いありません。(確信アリ)


錨を塗り替え真っ最中の写真をもう一度ご覧ください。

後ろに見えているのはフリゲート艦「ホバート」の艦体ですが、
よく見るとここにも「バルバスバウあり〼」のマークが見えます。
(これがそのマークだとすればですが)


素敵すぎるバスバスバウの有効利用 HMAS「キャンベラ」




■ 環境配慮型”エンビロンシップ”「アオテアロア」


前回さらっと流して書いた、この「エンビロン・シップ」という言葉ですが、
あまりピンと来る方はおられなかったのではないでしょうか。

これは一般名詞ではなく、ロールスロイスの製品名となります。

船首部分を細くして前方の浮力を小さくするデザインは
隣のバルバス・バウとは全く違う思想で抵抗を小さくするもので、
一般的にウェーブ・ピアシング・ハルWave-pirecing hullといい、
「アオテアロア」の艦体は初めてこれを採用したものです。

環境問題という言葉を、英語では

Environmental Problem

といいますが、「エンビロン・シップ」は、要するに艦艇建造に
環境配慮&次世代型コンセプトを盛り込んだ計画ということができます。

ロールス・ロイス社の「Environship」コンセプト
について説明しておくと、まず、CO2排出量についての取り組み。

搭載されているベルゲンBシリーズのリーン・バーン・ガスエンジンは、
ディーゼルエンジンに比べてCO2排出量が約17%少なくなっています。

また、このガスエンジンの採用により、
窒素酸化物(NOx)排出量は約90%削減
され、
硫黄酸化物(SOx)排出量もほぼないと言えるほど少なくなりました。

これらの排出量は、2016年に施行される予定の
IMO(国際海事機関)の第3次環境規制
の制限値内にすでに収まっています。

ロールス・ロイス社独自のプロマス推進システムは、
舵とプロペラを一体化したもので、これだけでも
船舶の効率を5~8%向上させることができます。

そして、この「アオテアロア」で目を惹く革新的な船首形状。

この船首形状と船型は、抵抗を最大8%低減するため、
燃料消費と排出をさらに削減することができるのです。

隣のバルバス・バウとはあまりに違うその形状は、
「垂直」

見れば分かりますが、もうとんでもなく、空前絶後に垂直です。

軍艦で、海面とキッカリ垂直のバウを持つ船は、寡聞にして、
後にも先にも、この「アオテアロア」しか見たことがありません。

たまたま隣にいるオーストラリア艦のバルバス・バウは、
2段階に波を起こし、打ち消して抵抗を減らすという思想ですが、
垂直船首形状は、それに加えて荒波の中でも速度を維持することができます。

これを波浪貫通船首といいます。

この画期的かつ特徴的な波浪貫通船首、世界をリードするガスエンジン、
革新的なプロマス推進システムを組み合わせることで、
ロールスロイスは燃料効率を最大18%向上させることを可能にしました。

さらに「アオテアロア」は、南極での厳しい気象条件下での活動があるので、
艦体には耐氷性の強化および寒冷地対策が施されており、
推進システムもポーラーコードに適合させていることを付け加えておきます。

ポーラーコードは北極と南極における船舶運行に関する取り決めで、
IMO(国際海事機関)によって定められたガイドラインです。

ニュージーランド海軍が、この度「アオテアロア」という
最新式の環境配慮型軍艦を持ってきてくれたことそのものについて、
我々はもう少し注目してもいいかもしれません。



桟橋を歩きながら後ろを振り返ってみました。
手前の「ホバート」がバルバス・バウを持っているようには見えません。


■ パキスタン海軍の軍楽隊



「スタルワート」の艦橋からY-3桟橋に係留している
パキスタン海軍の「シャムシール」を撮っていると、
目立つ白い軍服の一団が整列しているのに気が付きました。


この雰囲気は軍楽隊じゃないかな?と想像。



この後、そのパキスタン海軍の艦を見学するつもりで、
桟橋を歩いていると、向こうからその人たちがやってきました。
やっぱり軍楽隊で、手に楽器ケースなどを携えています。



桟橋は区切られていて、この右側がパキスタン艦、
左側がシンガポール海軍の「フォーミダブル」見学ラインにつながります。
真ん中は退出用の通路です。

続々と向こうから歩いてくるパキスタン海軍軍楽隊の皆さんですが、
カメラを向けるのはこれも失礼な気がして、
下の方にカメラを持ったままさりげなくシャッターを押しました。
(つまり隠し撮りってやつです)

この時、軍楽隊は、横須賀中央通り、ドブ板通りで開催された
「横須賀パレード」に参加するために移動していたことがわかりました。

このパレードには停泊している海軍艦艇の軍楽隊はもちろんのこと、
防衛大学校儀仗隊、横須賀消防音楽隊、そしてフィナーレには
海上自衛隊横須賀音楽隊がマーチングを行ったということです。

パキスタン海軍軍楽隊@ドブ板通り

ところで、パキスタンの音楽隊ってどんな曲を演奏するのでしょう。
西洋音楽とかは全く演奏されたり聴かれたりしないでしょうし、
と思って調べてみました。

'Ceddin Deden' by Pakistan Army - Ottoman Empire Song


オスマン帝国の「ジャッディン・デデン」らしいです。
パキスタンとトルコってなんか関係あったっけ?
と思いあらためて地図を見ましたが、地理的にも結構離れているし、
歴史的にもあまり絡みはなさそうだし、なんで演奏しているんだろう?

音楽センス?に通じるものがあるのかな?
と思って別の音源を探してみましたが・・・

Pakistan Navy Brass Band:パキスタン海軍軍楽隊演奏(カラチ)
 

練習とかその辺でやっていたと言うわけではなく、
何かのイベントで演奏しているところに
海外協力隊の方がたまたま居合わせて撮影したようです。

うーん・・・わからん。

続く。


HMAS「ホバート」の艦歴〜国際観艦式に伴う外国艦艇一般公開

2022-11-11 | 軍艦

オーストラリア海軍の補給&給油艦、「スタルワート」の艦橋から下を見ると
そこには紛れもなく駆逐艦らしき艦がいました。



HMAS「ホバート」HOBART DDG39

です。
イージスシステムを搭載していることは艦橋に装着された
8角形のAN/SPY-1Dレーダーを見れば一目瞭然。

艦橋前のMk41垂直発射機は海上自衛隊の護衛艦でお馴染みですが、
RANの駆逐艦でこれを搭載しているのは「ホバート」級だけになります。

あとは全てフリゲート艦ですが、よく言われる
フリゲート艦とデストロイヤーの違いは、一言で言ってサイズです。

フリゲート艦は駆逐艦より小型で、対潜水艦に使用され、
全てではありませんが駆逐艦は対艦・対空誘導弾向きです。

フリゲート艦は自衛隊には長年存在しなかった言葉で、
「くす」型護衛艦(アメリカ海軍のタコマ級フリゲート)
「かや」以来ご縁がなかったわけですが、

もがみ型護衛艦、Mogami Class Frigate

が建造されて、半世紀ぶりにフリゲートを持つことになりました。
艦種となるFFMはフリゲートを表す「FF」に機雷の「M」からきています。

少し前、掃海部隊の規模縮小と掃海艦の引退がありましたが、
従来型と違い、機雷戦能力を導入した「もがみ」型は
この部分を埋めるタイプとして機雷戦能力を搭載しています。

「もがみ」と「くまの」

「もがみ」級の命名基準は一目瞭然、「河川」です。
今後続々と就役する予定の「もがみ」型護衛艦の名前は、

FFM-3「のしろ」
FFM-4「みくま」
FFM-5「やはぎ」

までが決まっており、さらにはFFM-10までが将来的に計画されています。
どんな名前が付くかも楽しみですね。
(個人的には『しなの』『くま』(球磨)『あぶくま』なんかが欲しい)


おっと、閑話休題、「ホバート」です。



名前が掲げられています。


とりあえず「ホバート」甲板に立ってみました。
赤いカンガルーが眩しい。


これは「赤いカンガルー」シリーズから貰ってきた、
多分ファンネルのカンガルー。

カンガルーの向きが逆ですが、どっちに向けてもいいみたいですね。
この辺がおおらかというか、オージーらしい(単なるイメージ)というか。


「ホバート」はRANの航空戦艦の主力艦です。

前回も触れたように、隣の「スタルワート」と同じく、建造者は
ナバンシアNAVANCIAというスペインの会社で、
ナバンシアが「ホバート」のベースにしたのは、

「アルバロ・デ・バサン」級フリゲート艦
Fragatas clase Álvaro de Bazán


でした。


2番艦 F-102 アルミランテ・ファン・デ・ボルボーン

ちなみに、バサン級一覧

F-101  アルバロ・デ・バサン
SPS Álvaro de Bazán

F-102 アルミランテ・ファン・デ・ボルボン
SPS Almirante Juan de Borbón

F-103 ブラス・デ・レソ
SPS Blas de Lezo

F-104 メンデス・ヌーニェス
SPS Méndez Núñez

F-105 クリストーバル・コロン
SPS Cristóbal Colón

どれも名前長すぎ。

こちら「ホバート」

ちなみに今時の造船は全てそうなのかもしれませんが、
「ホバート」もプレハブモジュールを組み立てる方法で建造しました。

ただし、この工事でモジュール(ブロック)は建造が遅れたため、
結局三か所に分けて同時進行で工事を行い、艦首部分のブロックだけを
建造責任であるナバンティアが建造したという話です。

遅れた理由というのが、途中でキールブロックが歪んで着底したからで、
その原因は設計者ナバンティアの図面が間違っていたからでした。

結局「ホバート」の建造は予定より30ヶ月も遅れてしまいました。
もちろん予算も超・超過してしまったとか。

そしてオーストラリア海軍に引き渡されたのは2017年6月。

まだ就役して日の浅い艦なので、実績らしい実績はありませんが、
2019年に北部と東南アジアに展開する(つまり”対C国”ですな)
RAN機動部隊の旗艦を務めていますし、
2020年には、リムパックにRANから唯一の参加を果たしています。


目隠し加工にマスクを使ったらすごく不気味になってすみません

「ホバート」は乗艦はさせてもらえましたが、ラッタルを渡った瞬間、
回れ右して帰ってくるようなスペースしか公開していませんでした。

これは、海自の一個連隊がラッタルを通過するのを待っています。
この後、「ホバート」から「スタルワート」に戻った瞬間、
「ホバート」の乗員が何か呪文を唱え出したのでビクッとして振り向いたら、
ちょうど偉い人が下艦していくところでした。

サイドパイプが吹鳴されるはずなのですが、聞こえませんでした。
ロイヤル・オーストラリアンネイビーではやらんのか?
と思って調べたのですが、やらないということはないようです。


手のひらを立てるのがオージー風

ちなみにオーストラリアとニュージーランドでは、
∠( ̄^ ̄)はイギリス式だと思うのですが、
この写真を見る限り肘を横に張る陸軍式に見えます。

呪文が聞こえて立ち止まって見ていると、
いかにも偉そうな金ピカがやってきて通り過ぎたのですが、
あまりにも近くを通って行かれたので、カメラを向けるのは遠慮しました。

ちなみにわたしが聞いた乗員の「呪文」は、
「Piping the side」
に類することを言っていたはずですが、今回わかりませんでした。



さて、現在の「ホバート」は、RANにとって三番目の同名艦となります。



初代「ホバート」(I)英国海軍のHMS「アポロ」を譲り受けたもので、
第二次世界大戦勃発後は地中海掃討作戦の支援に従事していましたが、
日本の参戦後は極東海域に移動し、日本軍の激しい爆撃に耐えました。

連合軍艦隊の一員として活動した際には、13回もの攻撃を受け、
当時の「ホバート」艦長は、その時のことを

「爆弾は、炸裂の赤い閃光が見えるほど近くに落ち、
爆発の熱を顔に感じることができた」

と書き遺しています。

「ホバート」はその後珊瑚海海戦に参加し、1942年5月7日には
日本軍の魚雷爆撃機8機と重爆撃機19機の標的にされましたが、
戦闘機の援護がない中、回避行動で3機を撃墜し、何とか被害を免れました。

1943年7月20日には、ついに日本軍の潜水艦による魚雷攻撃を受け、
13人の将校と水兵が死亡し、さらに7人が負傷しています。

その後終戦を迎えた時、唯一のオーストラリア艦船として
東京湾での歴史的な日本軍の降伏に立ち会いました。

そして1962年「ホバート」は退役してスクラップになりました。
売却され解体したのは何の皮肉か日本の企業だったそうです。


二代目となるHMAS「ホバート」(II)は、RANのために米国が建造した
「パース」級誘導ミサイル駆逐艦(DDG)3隻のうちの1隻でした。

1965年ボストン海軍工廠で就役し、母港シドニーに翌年係留されてからは
ベトナムに3回派遣され、米第7艦隊の「砲列」で艦砲射撃の支援や、
米空母打撃群の見張りや護衛を担当しました。

1967年7月29日、空母「フォレスタル」の火災事故が発生したとき、
「ホバート」は同艦の支援に向かっています。

また、同艦の2度目の配備となった1968年6月17日には、
米空軍機が誤って同艦に向けてミサイルを3発発射し、
乗員2名が死亡、他数名が負傷する事故が発生しています。


この時被害を受けた上部構造物と犠牲になった電気技師長ヘンリー・ハント

ちなみに、この事故の時、「ホバート」と一緒に行動しており、
航空発射ミサイルの被害を受けたと申告したアメリカ海軍艦がいました。

それがなんと、わたしがこの夏、ミシガン湖畔で見学した駆逐艦、
USS「エドソン」です。

まさかRANの記事で、実物見学したばかりの米軍艦の名前を見ようとは。

その後「ホバート」は改装と近代化を重ね、誘導ミサイル発射システム、
バルカンファランクス近接武器システムの搭載が行われ、
1999年には、就役以来100万海里の航海を達成し、
これはRANの艦船としては3番目の快挙となりました。

そして2000年、同艦は艦名の由来となった都市ホバートを最後に訪問し、
退役して南オーストラリア州のヤンカリラ湾に沈んでいます。




■ HMAS「ホバート」(III)


GROW WITH STRENGTH


現在の3代目HMAS「ホバート」(III)は、
「ホバート」級誘導ミサイル駆逐艦3隻の一番艦です。

姉妹艦は、

HMAS「ブリスベーン」 Brisbane (III)
HMAS 「シドニー」Sydney (V)


「ホバート」は、沿岸部の陸上部隊やインフラに加え、
随伴艦の護衛、ミサイルや航空機に対する自己防衛を行います。

最新鋭のフェーズドアレイレーダーAN/SPY 1D(V)を搭載した
イージス戦闘システムは、SM-2ミサイルとの組み合わせにより、
150km以上の距離から敵機やミサイルを交わすことができる
高度な防空システムを海軍に提供しています。


東オーストラリア演習場において、ハープーン爆破実験

「ホバート」には監視・対応用ヘリコプターが搭載されており、
水上戦では、長距離対艦ミサイルや、陸上部隊を支援するための
長距離弾薬を発射できる艦砲を今後搭載する予定です。

水中戦に対する備えとして、最新のソナーシステム、デコイ、地表発射魚雷、
効果的な近接防御兵器の数々を装備する予定です。


マリナー・スキル評価期間への出発前、シドニー湾でのHMASホバート

「マリナースキル・エバリュエーション」

とは、安全な乗船作業に必要な能力を備えていることを証明するために
海軍のシー・トレーニング・グループから
数日間にわたって受ける厳しい評価試験のことです。

海上における船舶の安全維持に必要な様々な能力、
緊急事態を克服する能力を試すもので、最初は艦隊基地で、
その後出港して海上で実施されます。

評価対象は、乗艦するチームだけでなく、チームを送り出すボートクルー、
情報を提供するオペレーションスタッフ、
チームを支えるロジスティックスタッフ、チームが準備する武器、
ボディアーマー、無線を割り当てるその他のスタッフ全てとなります。


マリナースキル評価期間を終了しシドニー湾に入港する「ホバート」

「ホバート」前方でローレベル・フライパストを行うリアジェット35。

HMAS Hobart's Combat System Ship Qualification Trials

イージスシステム、VLS発射の映像に

「THAT'S LETHALITY」(それが致命的)

「思考する海軍 戦う海軍 あなたのオーストラリア海軍」

というロゴが現れる「ホバート」のイメージビデオです。


立ち入り禁止だった「ホバート」の後甲板を見ると、
勤務をオフしているらしい乗員さんたちが、
Tシャツに短パンで甲板から海を眺めていました。


最後に、Kさんからいただいた写真から、
観艦式のために観音崎を通過する「ホバート」の美しい姿をどうぞ。


続く。


HMAS「スタルワート」の観艦式進行表〜フリートウィークに伴う外国艦公開

2022-11-09 | 軍艦

オーストラリア海軍の艦艇に乗った話をしようと思ったら、
今まで全く知らなかったRAN(ロイヤル・オーストラリアン・ネイビー)
の艦尾旗の歴史、赤いカンガルーとその他の徽章など、
面白いネタが次々と出てきてしまい、一項を費やしてしまいました。

今日は気を取り直して、HMAS「スタルワート」に乗るところからですが、
その前に、前回部隊章、インシグニアの特集をしたので、
ニュージーランド海軍の徽章についても言及しておきます。


これが今回参加したRNZNのHMNZS「アウテアロア」の徽章。
真ん中にあるのはおそらく昔の錨なんだろうと思います。
ニュージーランド海軍の正式なマスコットが「錨」だからでしょう。

錨がマスコットというのもなんか違う気がしますが。

今回一隻だけの参加となったニュージーランド海軍。
海軍全体の人口は2,334人、艦隊は、

フリゲート2隻
洋上巡視船2隻
陸上哨戒艦2隻
水陸両用戦艦 1隻
補給艦 1隻
潜水支援船 1隻

が全てという規模ですので、
逆によく貴重な補給艦を送ってこられたなと思うくらいです。

(ただし、第二次世界大戦の時には全部で60隻保有していたそうです)

元々、ニュージーランドは1840年から大英帝国の植民地であったため、
海岸線の防衛はずっと英国海軍が責任を持っていました。

第一次世界大戦の時も正式なニュージーランド海軍は存在せず、
イギリス連邦軍のニュージーランド部門として参加していました。

第二次世界大戦の時にはニュージーランドは自動的にイギリス側として
ドイツに宣戦布告を行いました。
ニュージーランド海軍がHMNZSのプレフィックスを戴くようになったのは
1941年、第二次世界大戦中のことです。

軽巡洋艦HMNZS「リアンダー」は、この時
ニュージーランド遠征軍を護衛して中東に向かい、
その後帝国海軍の「神通」の撃沈を支援しています。

「神通」を攻撃するHMNZS「リアンダー」とUSS「セントルイス」

そして戦争が終わった1945年から、ニュージーランド海軍は
同じくドミニオン(被占領国)海軍だったオーストラリア海軍と同じように、
イギリス海軍のホワイトエンサインを使っていました。↓



オーストラリア海軍が独自の艦尾旗を制定したのと同じ1968年に、
ニュージーランド海軍もオリジナルを制定しました。

RANの艦尾旗変更の理由は前回お話ししましたが、
RNZNの変更理由も、

あるドミニオンと敵対関係にある国が、
別のドミニオンとは敵対していない
という状況が
独立した国家の外交政策の足を引っ張るから

というものでした。

オーストラリア海軍が独自の軍旗を制定したのと同じ1968年、
ニュージーランド海軍も艦尾旗を独自のものに変更しました。

ユニオンフラッグのトップクォーターはそのままに、
英国海軍旗にある赤いセントジョージクロスを、
国旗にも使われている南十字星に置き換えたものです。


つまり国旗を白くしただけという話も


余談ですが、ニュージーランドは核を持たない国の一つで、
同時に左派政権下では明らかに反核思想を持つ国でもあります。

1973年、フランスがムルロア環礁で核実験を行った時、
ニュージーランドはフリゲート艦HMNZS「カンタベリー」と「オタゴ」
核爆心地に送り、それぞれの艦に核実験の間近での監視を命じました。

まさかニュージーランドともあろう国が、自国海軍に特攻を命じたのか?

とこれだけ書くと勘違いされそうですが、ご安心ください。
HMNZS「カンタベリー」Canterbury F-421は、
当時最新鋭のフリゲートであり、RN 監視レーダーと ESM を備え、
核汚染からも効果的に隔離されうる機構を持ち、
遠隔操作で無人化できるビームレアンダー蒸気プラントを装備していました。

つまり、核爆発地域での作戦において、
密閉した城塞を提供できる軍艦だったのです。

ニュージーランド政府が「カンタベリー」を核実験場に送った理由は
核実験に対する抗議行動でした。

「カンタベリー」は搭載したコンピュータで付近の放射線レベルを測定し、
電子機器はすぐさまフランス軍のP-2ネプチューンが
付近を「掃除」しているのを検知しました。

また、1971年の「メルポメーヌ」実験も観測し、それを公表。

ニュージーランド海軍は、「カンタベリー」の存在は
フランス政府に政治的・作戦的に大きな困難をもたらしたと信じています。

それが本当だったかどうかはともかく、これ以降、フランスは
大気圏内における核実験をやめ、地下実験に切り替えたのは事実です。



クック海峡のRNZN艦隊

ニュージーランド海軍はペルシャ湾でのアメリカの不朽の自由作戦に参加し、
アフガニスタンでのアメリカおよび同盟国の活動を支援しました。
海軍は正規軍と予備役で構成され、それぞれの人数は
2014年6月30日現在でRNZNは正規軍2,050名、海軍予備役392名です。

民間人が RNZNVR に参加できるのは行政、海務(陸上巡視船への勤務)、
海上貿易組織(旧海軍船舶管理)の部門に限られています。

特殊なのは、RNZNの財政で、国会の「投票」で資金調達が決まることです。
それでは軍事装備取得などの大型プロジェクトはというと、
やはり国防省が行っているようです。

■ HMAS 「スタルワート」

自衛隊の案内には「ストールワート」と表記してありますが、
発音が「スターウォー」なので、あえて「スタルワート」とします。

どちらにしてもカタカナ表記は言語と全く違うので、どっちでもいいかと。

ちなみに前回書いたように、「スタルワート」は
「サプライ」級給油艦の二番艦ですが、それでは一番艦はというと、
やっはり「サプライ」というそうです。

艦名が、「補給」。
うーん、それってどうなの。



「スタルワート」には、隣の「アウテアロア」の甲板に掛けられた
階段を昇って移乗していきます。

「スタルワート」はニュージーランド海軍最大である「アウテアロア」より
これだけ甲板が高いということになります。

幅が狭く一人しか通過できないので、係が常駐していて
向こうから来る時には反対側を通行止めしなくてはなりません。

わたしがここを最初に渡ったときには全く待ちませんでしたが、
帰りには多くの人が下で待つ事態になっていました。
その時まだ10時頃だったと記憶しますが、昼頃にはどうなっていたことやら。


さすがはオーストラリア海軍の給油艦。


この作業艇も、



この救命艇も、階段の上から撮ったものです。



甲板にはテニスコートが二面くらい取れそうなスペースがあります。

補助艦であって戦闘艦ではないからということなのか、
甲板から続く細くて険しいラッタルを昇ったり降りたり、
(運動靴で来なかった人は絶対無理なハードモード)
なんと艦橋の高さまで昇らせてもらえました。



ふう、やっと艦橋のウィングにたどり着いたぜい。

日頃歩いているので階段を登るのは全く平気ですが、こういう時は
カメラが重いし、iPhoneも手に持ったままで大変なのよ。



ウィングにあるパネルは出入港時に何かを操作するものですが、
このパネルに書かれている「NAVANTIA」ナバンティアというのは、
「サプライ」級給油&補給艦のシップビルダーです。

スペインのマドリードに本社を持つ造船業者で、
2005年に会社を立ち上げたばかりなのに、既に
最新鋭のイージスシステム搭載フリゲートや潜水艦の開発、
大型強襲揚陸艦の建造が可能な技術水準を持つ実績をあげています。

オーストラリア海軍のためには、今回一緒にきている「ホバート」の
「ホバート」級駆逐艦、「キャンベラ」級強襲揚陸艦を建造しています。

元々「サプライ級」は、ナバンティアがスペイン海軍のために建造した
「カンタブリア」型補給艦をベースにしています。

スペイン海軍「カンタブリア」A-15

と「スタルワート」・・・あまり似ていないのだが

というわけで、「スタルワート」も隣の「ホバート」も、
実はスペイン生まれであったことがわかりましたね。

でっていう話ですが。


生まれて初めてオーストラリア海軍艦のブリッジに足を踏み入れる

なんと「スタルワート」、なんでも見てくださいとばかりに、
ブリッジですらどんどん人を入れて見学させているではありませんか。


ところで正面のパネルには、12.9mという数字が見えます。
これは、つまり岸壁からの距離ということでよろしいか。


こちらiPhoneの写真。
見張り?も二人だけというおおらかさです。



そして、この艦橋の広いこと。
そして操舵システムとパネルが一列に並んだコンソールの美しさを見よ。

色は全体的に黒で、インテリアはシックです。
パネルの配置もとにかくまず見た目がすっきりしていました。

椅子も黒革調でスマートで、事務的だけではない、
スペインらしい華やかテイストがそこはかとなく匂うゴージャスな作りです。

最近の建造ですから、コクピットは全て最新式のコンピュータ搭載、
その分ミニマイズされているということでしょう。


「フリート・エクササイズ」つまり観艦式のことですが、
プログラムが几帳面な字で書かれ掲示されていました。

ところでその下にあるヘッドセットの赤の色使いがとっても素敵です。



せっかくなのでこのプログラムを公開してしまいましょう。

艦隊航行プログラム

HMAS
「スタルワート」

1000-1100 READY FOR SEA(出航準備)

CHECKS(点検)

1100−1130 EN EMBARK(出航)

1130 DEPARTURE BRIEF(出航後ブリーフィング)

1500 PILOTAGE(水先案内)

1415 PROCEDURE ALPHA(アルファ進行)

1500 BERTH(バース・着岸)

CN DEPARTS(誰かが下艦)

1600 DRESS SHIP(満艦飾)

2030 SELF DEFENSE FLEET RECEPTION
(海上自衛隊艦隊レセプション)

時々わからない用語がありますが、概ね了解しました。
CNというのは「Chief of Navy」のことぢゃないかと思うがどうか。



環境からは隣の「ホバート」が見えます。
こ、これは駆逐艦・・・・っ!



Y-3桟橋のパキスタン海軍の艦が見えています。
なんて盛りだくさんな眺めなの。



艦橋レベルから甲板まで降りてきました。
ところどころに木製ベンチがしつらえられていてちょっと和みます。

乗員の休憩に使うらしく、これが結構あちこちにあるのですが、
縄で繋いで倒れないようにしてある光景は自衛隊では見られないものの一つ。

そしてベンチの右側のメッシュのバッグには紙コップが装備されていました。

ところで、Kさんは観艦式本番前日、横須賀での抜錨を見てから
車で先回りして観音崎展望園地でお見送りをされたそうです。

送っていただいた写真に「スタルワート」もいました。



赤いカンガルーと南十字星のホワイトエンサインが確かに。
この甲板を歩き、艦橋に足を踏み入れたのか・・・・。

この時艦艇の皆さんは本番前に相模湾で一晩待機したようです。


続く。



国際観艦式 フリートウィークに伴う外国海軍艦一般公開〜RANの赤いカンガルー

2022-11-07 | 軍艦

さて、当初全く参加のつもりがなかったにもかかわらず、
ぶっちゃけノリで行ってきた外国艦一般公開の報告続きです。

この日は素晴らしい秋晴れ、絶好の艦日和となりました。
しばらくぶりの大々的な艦艇公開であることもあってか、
長らく「ネイビー愛」を封印されていたファンがどっと繰り出してきた結果、
この日公開されたほとんどの艦は、開場して1時間後には
乗艦するのに100分という、ディズニーランド並みの待ち時間になりました。

わたしの場合、連れが早くから並んでくれていた上、
埠頭の奥に並んでいる艦から見るという提案が功を奏し、
ニュージーランド海軍の「アウテアロア」には全く並ばずに乗艦できました。

そして「アウテアロア」が、オーストラリア海軍艦2隻と並んで
3隻目指しにして係留してあった関係で、
これら全部を一気に見学をすることができたのです。


■ オーストラリアとニュージーランドの国際関係

ところで、今回観艦式に参加した国の中には、
国際関係が良くない国同士も含まれます。

ぶっちゃけ日本と韓国なんかが典型的なそれなんですが、
一応は「同じ側」という建前なので、参加を招聘すればきちゃうわけです。

いっそ中国海軍のようにきっぱり参加を拒否すればイイものを、
イヤイヤやってきてはプロトコルを無視して笑いものになったりするのです。

なんで友好を深めるつもりもないのに来るのか。

それは、全く売れないのに日本の自動車市場に臆面もなく何度も参入してくる
ヒュンダイ自動車の目的と同じだと思いますよ。
ズバリ偵察、情報収集。(技術者の引き抜きと技術の盗み出しも)

前回の観艦式では、わたしも韓国海軍艦を目撃しましたが、
受閲されているのにも関わらず、逆に甲板や艦橋に何人も立って
海自艦艇の航行をカメラで撮影していた姿が忘れられません。

こんなでも、日本政府は韓国との間には領土問題は存在していない、
という立場をとっている以上、表向き友好国ということになっています。


しかし、今回はそんな生ぬるくはない関係の国同士も来ています。
それがパキスタン海軍とインド海軍です。

両国は元々イギリスの植民地から独立した一つの国でした。

しかしその際、イスラム教と仏教という宗教の違いで国を分かち、
その後、カシミール地方を取り合って紛争が勃発。
思想面でもレッドチーム(印)とブルーチーム(パ)に分かれ、
米中両国をバックにつけて代理で資源争い・・と、
全く仲良くなる要素が見当たらないくらい仲が悪いのです。

もう、埠頭でガンつけたとか肩が当たったとか(不良かよ)いう理由で
喧嘩が始まっても全く不思議ではないくらい一触即発の関係。

何なら、アメリカでも、インド料理と称していても
ほとんどはパキスタン人が経営していて、
互いに嫌いあってるとか、まあ色々あるようです。
(日本のインド料理レストランも実はほとんどパキって知ってた?)

自衛隊もそこのところは気を遣って、
同じ岸壁には係留させていませんが、それでもY-1とY-3ですから
ちょっと埠頭を歩けばお互い出会ってしまうわけですよ。

これ本当に最後まで何も起こらないで済むのかしら。


さて、この印パのように、隣りあった国で仲が良い例はほぼない、
というのが世界の常識となっているわけですが、
その極少ない例外が、ニュージーランドとオーストラリアです。

国は近いとはいえ、どちらも島国で、しかもどちらも先祖が同じ。
互いの国への行き来もビザ不要で無期限なので、実質交流は盛んです。

まあ、スポーツでは、ラグビー、クリケット、ホッケーなど、
お互い絶対に負けられないというライバル意識はあるみたいですが、
少なくとも歴史問題や領土問題は過去にも存在しない平和な関係です。

第一次世界大戦ではガリポリの戦いで一緒に戦って勝っていますし、
いまだにその戦勝の日を両国が祝ったりしているそうですから、
国防の面でも完全な「同盟国」なのでしょう。

そして今回、この二カ国海軍が一つの岸壁を仲良く使っているのを見て、
改めて良好な両国の関係を確認したわたしでした。

(現地で『アウテアロア』を豪州艦だと思いこんでいたのはここだけの話だ)


■ オーストラリア海軍の”ホワイトエンサイン”



HMAS 「スタルワート」STALWART A-304

は、RAN(ロイヤル・オーストラリアン・ネイビー)
「サプライ級」(補給級とはこれいかに)2番艦です。
2021年11月就役ということなので、まだ1年も経っていない新鋭艦です。

オーストラリア海軍がこの「スタルワート」という名前の間を持つのは、

HMAS 「スタルワート」H14
1919〜1925年、駆逐艦

HMAS「スタルワート」D215
1968〜1990年、駆逐艦母艦

に続く3隻目となります。

「stalwart」を英語で発音すると、ほとんど「スターウォー」と聴こえます。
オーストラリアでは非常に良いイメージの言葉らしく、

「忠実な」「断固とした」「強力な」「堂々とした」

「ある組織や大義を堅く支持する人」「強靭な人」「勇敢な人」

「忠誠を誓う人」「しっかりした体格の人」


という意味を持ちます。
日本語だと「丈夫」(ますらお)とか「漢」みたいな感じでしょうか。

語源は、アレクサンダー大王の軍隊で、世界の果てまで喜び従った、
忠実で屈強な兵士たちの名称から来ているという説もあります。

そのイメージから、軍用車や警備会社、金庫などの商品名、
学校の名前にもよく使われていて検索するとたくさん出てきますし、
アメリカには、南北戦争の後、共和党急進(ラディカル)派の
「スタルワーツ」という名称の政治団体が存在したこともあります。

ニュージーランド海軍「アオテアロア」甲板から見た「スタルワート」。



赤いカンガルーのモチーフが目を惹きます。
やっぱりオーストラリア、シンボルはカンガルーなのか。

と早速感心しながら通り過ぎたのですが、赤いカンガルーは
ロイヤル・オーストラリアン・ネイビー、RANのインシグニア、徽章です。

ところで、英連邦海軍がだったオーストラリア海軍が
正式にジョージ5世の承認により、
Royal Australian Navy、RANであると決まったのは1911年のことです。
つまりRANが発足して今年で111年目ってことなんですね。

同時にRANはジャックスタッフとして豪連邦の旗↓

Naval jack(艦首旗)

そして艦首旗として、ホワイトエンサイン、ナーバル・エンサイン
を掲揚することが正式に定められました。

しかしRANとなった1911年にはまだ本体が英連邦海軍であったので、
同じ王を戴く海軍としてイギリス海軍と同じ、
十字の入ったホワイトエンサイン↓




を使用していました。
ちなみに現在のRANが掲げているホワイトエンサインはこれ↓です。



現在の艦尾旗は1967年から使われるようになったのですが、
これにはちょっとした事件がありました。

ベトナム戦争の勃発です。

この時オーストラリアはベトナム戦争に参加することになったのですが、
イギリスは全く関与していません。(そうだったっけ)

そのためRANはちょっと困った事態に陥りました。

イギリス海軍と同じ旗を揚げることによって、事実上他の国、
戦争に参加していない国の旗の下で戦うことになってしまったのです。

そんな折、RANを英海軍だと誤認していた相手との間に戦闘が起きます。
(つまり相手はまさかの英海軍が撃ってきた!みたいな状態だった?)

オーストラリア議会でも、戦時配備された海軍の艦船が
他国の艦尾旗を使用しているってそもそもどうなんよ、
と、問題視する議員が声を上げ始めました。

その上ベトナム戦争で、RANは、アメリカのミサイル駆逐艦を運用し、
共に行動していたため、米海軍艦と間違えられることもあったりして、
これも国のアイデンティティに関わる問題と認識されました。

そこでRANには独自の艦尾旗が必要だということになったのです。

その後、ユニオンフラッグを残した現在のデザインが承認され、
エリザベス二世陛下による王立許可を受け、制定されました。

正式な切り替えは1967年3月1日に行われ、
その日にすべての船舶と施設が新旗を掲揚しました。

ちなみに、RANの艦船のバトル・エンサイン(戦闘章)
つまり戦闘中の旗の掲揚は、艦首マストとメインマストに
ホワイトエンサインを挙げることになっています。


■ オーストラリア海軍と赤いカンガルー🦘

イギリス軍と同じ艦尾旗を挙げていた頃、特に戦争中、
RANの乗員たちは常に誤認される心配をしていました。

第一次世界大戦中、HMAS「パーラマッタ」Parramattaは、



オーストラリアの国旗の上に王冠の代わりにカンガルーを付けて、

「俺らオージーでイギリス海軍じゃないのでよろしくNE」

とアピールしていた、という記録が残っています。

また、朝鮮戦争の時にも、HMAS「アンザック」Anzacは、
真鍮で切り出したカンガルー🦘を目立つところに掲げていました。


第二次世界大戦中も ML802の見張り中水兵さんの後ろ


HMAS「 クィーンズボロー」1955
手のひらマークの上、煙突に描かれたカンガルー

このフリゲート艦「クィーンズボロー」が、ファンネル=上部構造に
カンガルーをあしらった最初のRAN軍艦だと言われています。

ちなみに手のひらのマーク(アルスターの赤い手)は
英国海軍第6フリゲート艦隊の印
で、オーストラリア海軍が
イギリスと同じ海軍旗を使用していた頃のことです。

「クィーンズボロ」は、その印の上に(上、というところがミソ)
あえてオーストラリアを表すカンガルーが来るようにしたのです。

そうしていつの間にか、「赤いカンガルー」は
オーストラリア海軍のシンボルの一つとなっていきました。


中東からの任務から帰還したHMAS「キャンベラ」は、
赤いカンガルーの横に中東から帰ってきたことを表すため、
赤いラクダのマーク🐪を付けて入港しました。

海軍のユーモアはRANにも堅持されています。

■その他のRANシンボル(ブーメラン関係など)

観艦式とは関係ないのですが、ちょっとこれが面白いので、
オーストラリア海軍のその他のシンボルを紹介しておきます。


1976年、RAN潜水艦隊の「オーベラン」Oberang級潜水艦は
分隊章として「Oの字にブーメラン=オーベラン」を導入しました(左)。

「オーベラン」と「ブーメラン」が韻を踏んでいることから
あえてカンガルーの代わりにブーメランを採用したに違いありません。

そう思った理由は、右側の黄色い「E」です。

これは潜水艦隊戦闘効率シールド獲得艦に与えられるマークですが、
(米軍艦にEEEEなどと描かれているあれと同じ意味です)これも

「イーベラン」Eberang  「イーメラン」E-merang

ブーメランと同じライム(韻)なのです。



今回の観艦式にもおいでいただいている、HMAS「ランキン」

ちょっと話にも出ましたが、「コリンズ」級潜水艦は、
マークに「オーベロン」の「O」を「C」に変えたものを使っています。

並んで係留されている同じ「コリンズ級」の
HMAS「ファーンコーム」Farncomb SSG 74
のマークを(ちょっとデザインが違うのが気になりますが)ご覧ください。

そう、「コリンズ」級潜水艦のマークは、その名も
「Cメラン」(シーメランと読んでね)なのです。



こちらネームシップ、HMAS「コリンズ」の皆さん。(強豪だぞ)
セイルに描かれた「シーメラン」にご注目。

どうでもいいけど「コリンズ」の皆さん、全員体格が立派すぎない?
そんなので息切れしないのだろうかとか狭いのにすれ違えるのかとか(略)


さて、あとはいろんな海軍の舞台章をお楽しみください。




水陸両用部隊のマークは王冠に錨と剣、カンガルーと盛りだくさん。
写真はHMAS「トブラク」Tobruk L-50



RAN 警備隊徽章はカンガルーとシドニーハーバーブリッジ。
HMAS「アドバンス」Advance P-83「アタック」級パトロールボート
シドニーが拠点です。



マカジキに数字の2はケアンズ拠点の巡視艇部隊。
HMAS「バリケード」Barricade P-98、これも「アタック」級。



HMAS「ラウンセストン」Launceston
ケアンズがベースのパトロール部隊です。
マークはブルーマーリン。



RANには、哨戒艇が地域間を移動した時、
ファンネルの徽章を交換するという慣習があるそうです。

こんなでかいもの交換してどこに飾っておくのか心配になりますね。

左の写真で交換しているのはダーウィンの巡視隊のバッファローホーンと
西部オーストラリア部隊のブラックスワン。

右はやはり水牛とマカジキの交換シーン。
半ズボンが正式な軍服とは、さすが南半球の海軍です。

巡視艇部隊は地域特有のタスマニデビルとか、
オーストラリアカササギをあしらったりして地域色を出しています。




掃海艇は、機雷マークに赤いカンガルーがデフォルトとなります。
(機雷のデザインがちょっとずつ違う)

「トン」級(オーストラリアの艦級って名前が皆ヘン)掃海艦
HMAS  「カーレウ」Curlew M1121。




科学部隊を自認する観測艦のHMAS「クック」Cook GOR 291/A 219

「クック」の当時の艦長が、休暇中に訪れたゴルフ場のレストランの
ビアマットに描かれたタツノオトシゴを見て気に入り、
これを我が艦の徽章にしよう!と思いついたことからこうなりました。




最後に、ハートウォーミングなこの徽章を。

HMAS「キンブラ」kimbra が就役したのは1956年3月26日のことです。
「キンブラ」はRANの最後のレシプロ式蒸気機関動力による防衛艦でした。

どんなに頑張っても時速10ノットしか出せないこの艦を、
RANは愛情を込めて「カタツムリ」と呼んで最後まで可愛がっていました。

そして彼女に晩年与えられた唯一無二のファンネルマークも、
「カタツムリ」🐌
だったのです( ;∀;)

そして1985年2月15日までの29年間で、363,038マイルを
カタツムリの速度で駆け抜けて「キンブラ」は退役しました。

写真はシドニー湾に入港するHMAS 「キンブラ」の最後の姿です。
ファンネルは黄色いカタツムリが描かれています。


「赤いカンガルー」についての原文は、RAN公式ページからのものです。
こちらもよければご覧ください。


続く。


国際観艦式 フリートウィークに伴う外国艦艇公開〜HMNZS「アウテアロア」

2022-11-05 | 軍艦

フリートウィークが始まり、参加されたKさんから送っていただいた
艦艇と横須賀などの写真を見るうち、
久しぶりに実際に艦艇を見たい気持ちが無性に湧いてきました。

それをKさんにメールした後のことです。
長年イベントに一緒に行っていた知人が、
疫病発生以来初めて連絡をしてきました。

「昨日私は横須賀に行きましたが、艦艇公開行かれました?」

あまりにも久しぶりすぎて(携帯番号がこの間変わっていたらしい)
誰から来たかもわからず、そのままにしていたら、電話がかかってきました。

明日の外国艦艇公開に行かないかというお誘いです。

病気のせいですっかり億劫になっていたイベント参加ですが、
気候も良さそうだったし、それじゃ行こうかなという気になりました。

早速、カメラの電池を充電しとかなくては、それからおっと、
(何度かやらかしている)メモリーカードの入れ忘れ厳禁、
と久しぶりのイベントモードに脳内が切り替わろうとしたところ、
カメラがいつものところにないのに気がつきました。

あれっと思ってクローゼットをひっくり返し、
それでも見つからないので必死で記憶をたどったら、アメリカから帰ってから
メモリーカードを抜いたままでデスクの横の棚に放置し、
元に戻していなかったことが判明しました。

この調子だとまたカメラの操作も失敗しそうだなと案じたのですが、
結局この予感は当たることになります(伏線)


翌朝、ガチイベント勢の知人の、

「9時の開門に合わせて1時間前から並んでいるから開門までに来てください」

というありがたいお言葉に甘えて、8時半に横須賀基地に向かったところ、
すでにヴェルニー公園の横の歩道には長い列ができていました。


並んでいる人がほとんど若い男性、時々おじさんあり、高齢者なし



横須賀駅ロータリーの横くらいから並んで、
列が動き出したとき、潜水艦が出航準備を始め、
周りが歩きながら盛んにシャッターを切っていました。

わたしはアメリカ帰国以来始めてカメラを使ったので、
前回のモードがそのままになっていています。

知人に直してもらいましたが、ISO感度が高すぎて、ご覧の通り
どれもこれも散々な出来ですのであらかじめご了承ください。



入場のためのチェックは、2段階で行われます。
まず、いつもの手荷物検査のところでは手のアルコール消毒と、
自動検温器による体温のチェック。

そのテントを出て、今度は荷物検査場に向かいます。


これは他の人の顔が写っていたので、加工なしで

ゲートの前で前の人たちが手を挙げさせられては、集団が進んでいきます。

これは中で外国の船に絶対悪いことをしないと誓う宣誓の儀式とかではなく、
列の前から5列目までにいる人たちに手を上げさせ、
上げた人だけが、荷物検査カウンターに進んでいくという仕組みです。

検査は手前で金属探知棒を持った人にチェックされ、
テーブルで鞄の中を見せるというものでした。


この日艦艇公開を行った外国海軍艦艇一覧です。

アメリカ軍はいつものことなので特に公開なし、
それから韓国海軍は(韓国の)国民感情の関係で?
見えるところに係留すらしておりません。


これはKさんの送ってくれた写真ですが、
その辺をうろうろしてはいるようです。
(まあ、目立たないところにこっそり係留してるんですけどね)

こいつらの面倒臭いところは、参加するだけして、艦艇公開はもちろん、
開催国に来ても満艦飾もせず日本国旗も挙げず。
参加が決まってからも旭日旗に敬礼するしない云々で大騒ぎしてましたが、
何というか、本当に困ったちゃん国家ですね。

「あそことは国同士ではともかく、海軍同士は仲がいい」

と何年か前、海自の中の人に聞いたことがありますが、
その肝心の海軍がこの調子では、それも実際どうなんだろうと・・・。

まだ前の観艦式の時は、横須賀に入港する際にも
皆に手を振るくらいの愛嬌を見せていた気がするんですけど・・。

Kさんもおっしゃっていましたが、今回のこういうのを見ていると、
あまりにも色々拗らせすぎたこの国家、プロトコルという点でいうと
中国の方がまだずいぶんマシではないかとさえ思えます。




手荷物検査を終えると、後はどこから見ても自由です。

連れが「奥から見るのがいいのではないか」という意見だったので、
特に何の意見を持たないわたしとしては、これに従うことにしました。

この日は前に貼った配置図とは係留場所が変わっていて、
検査場の近くにはタイ海軍のフリゲート艦
「プミポン・アドゥンヤデート」
(どこかで聞いたなこの名前)がおり、その向こうには、
カナダ海軍の
「ウィニペグ」と「バンクーバー」
が並んでいます。



「ウィニペグ」上部構造物。

今回の撮影、失敗して何でもブルーがかかって見えてしまうのですが(爆)
カナダ海軍の艦の塗装は本当にブルーがかったグレーです。

生息する海の色によって塗装が違うのかもしれません。



「ウィニペグ」というのは空港もあるカナダの都市名です。
甲板にはヘリを搭載してきていました。
   

向こうに並ぶのはインド海軍とオージー海軍(等)の艦です。

着物を着た人の姿が桟橋に写り込んでいるようにみえますが、
これは写り込んでいるのではありません。


知人のご意向により、このコーナーから攻めることにしました。
それにしても斬新なくらい同じ海軍なのに艦影や塗装が違うのね。



どれもオーストラリア海軍の艦なのに?
と思ったら・・・。



よくよく見ると、

「HMNZS」=His Majesty’s New Zealand Ship

オーストラリアとニュージーランドの国旗があまりに似ている上、
同じ岸壁に目刺しになっているので、てっきり全部
オージー艦だと思っていたのですが、違いました。

一番右の、斬新な形の艦は、ニュージーランド海軍のだったのです。

しかし、あなたはどちらか見せられた時、
すぐにオーストラリアかニュージーランドかわかりますか?
わたしならどちらを見せられてもオーストラリアと言ってしまうでしょう。

イギリス国旗の下に大きな星のあるのが豪州、ないのがニュージーです。

ついでに、「His Majesty」で表されるところの、
ニュージーランドの現在の国王は誰かというと、
イギリス国王であられるチャールズ3世陛下ですので念のため。

ところで、艦名の

「アオテアロア」AOTEAROA

という言葉は、我々日本人にはあほとんど馴染みがない言葉ですが、
ニュージーランドにとって、日本の「大和」「倭」「大八洲」のような
国を表す別称・美称なんだそうです。

いまだにそのものの意味はわかっていないらしいのですが、
ニュージーランドの原住民(って言っちゃいけないのか)
マオリ族の言葉で、ニュージーランドそのものを指し、
国歌の別題のようにもなっています。

ニュージーランド国歌
神よニュージーランドを守り給え(アオテアロア)

そして、ニュージーランド海軍の正式名称も、
Royal New Zealand Navyで略称はRNZNとなります。

ニュージーランドについて思わぬところで詳しくなってしまった。
今まで人間より羊が多いのと、検疫が厳しいことしか知らなかったZE。



ゲートにいた乗員さんに、写真撮っていい?と断ると、
快くポーズを取ってくれました。

水兵さんのTシャツのスクエアカラーがなかなかマドロスっぽくて粋ですな。
女性の方は士官かしら。



さて、「ニュージーランド」こと、この「アウテアロア」です。

まず全体像を見てみます。

建造者が現代重工業だってんでちょっと驚いてしまうわけですが、
動力はロールスロイスのハイブリッドシステムを搭載しています。

就役は2020年7月とのことで、ほぼ新鋭艦と言っていいかもしれません。

HMNZS Aotearoa

HMNZS Aotearoaは、現代重工業によって建造された
極地級維持管理船です。

アオテアロアは、戦闘活動、人道支援機能、作戦、
および訓練支援に真価を発揮するために、目的に応じて建造され、
技術的に強化された資産です。

主な任務は、船舶および航空燃料、乾物、水、スペアパーツ、
弾薬の補給を通じて、ニュージーランドと連合の海上・陸上・航空部隊、
および国連の安全活動にグローバルな支援を提供することです。

最大22個の20フィートコンテナ、
大容量の淡水生成プラント(1日10万リットルを生成可能)、
自己防衛システム、航空・船舶燃料貨物タンク、
デュアル全電気式洋上補給装置、
SH-2G(I)シースプライト・ヘリコプターまたはNH90ヘリコプター、
統合通信・ブリッジシステム、統合プラットフォーム管理システム、
一部の上甲板微熱、氷に対し強化された船体と海底金具など、
冬装備など多くの能力を備えています。

世界初となる海軍の「エンビロンシップ」鉛直船首設計を採用しています。



また、ディーゼル電気とディーゼルを組み合わせた推進プラントは、
旧型船に比べて燃料の排出量が少なくなっています。

また、南極観測やマクマード基地、スコット基地への物資補給など
南極での活動に対応するため、ポーラーコードの安全規則を遵守し、
ポーラークラス6相当の耐氷構造になっています。

ホームポート ニュープリマス、タラナキ
シップスポンサー Dame Patsy Reddy GNZM、QSO、DStJ

指揮官 Dave Barr司令官

となっております。

艦種はAuxiliary ship、補助艦、つまり給油艦となります。

容積 26,000 t (26,000 長トン)
全長 173.2 m (568 ft 3 in)
ビーム 24.5 m (80 ft 5 in)

と、ニュージーランド海軍の保有する最大の艦船です。


早速ラッタルを上っていきましたが、驚きました。
今まで外国艦艇がこんな気前よく内部を公開したことがあったでしょうか。

今年は観艦式に一般からの参加を載せないことになったので、
その分サービスをしてほしいと要請されたのかもしれません。

公開といっても外国艦艇はせいぜい甲板くらいだろう、と思っていたわたしは
来て見るまでこれほどオープンとは夢にも思っていませんでした。

あまりにも甲板が広くて、ハンガーの入り口が狭く見えます


こちらiPhoneで撮った写真。



格納庫の片隅にあるこの黒い器具は何をするもの?


バスケットゴールと二階の各種トレーニング用マシン。
どうもこの二階は全てのスペースをジムとして使っているようです。



甲板に出てきました。
搭載機は SH-2G(カマンのシースプライト)、
NH90(仏独蘭伊の共同開発軍用ヘリ)、
A109LUH(アグスタ)
のどれかだそうです。


RNZNのシースプライト




お隣に係留しているオーストラリア海軍の「ストールワート」から
「アオテアロア」搭載の救難艇がよく見えます。

オレンジの完全密閉型ボートは、パルフィンガーマリーン社の、
タンカー用の最新式ライフボート「ネプチューン」です。
21〜150人を搭載でき(最小人数が決まっているのはなぜ)る大型仕様。

タンカー搭載に特化しているのは、万が一、火災など
緊急避難や事故の場合、乗員全員が脱出するためのものです。

「アウテアロア」は大型艦ですが、乗員は98名なので、
このボートに全員が余裕で一度に乗れるというわけです。

完全密閉式によりオイル火災などが起こっても、
乗員全員が乗り込んで、救命艇が海面に降ろされてから
油圧式オンロードフック解放機構により、
救命艇をダビッドからリリースすることもできるそうです。

パルフィンガーという会社は元々クレーンやアーム系の製造会社で
港湾関係の製品を多く開発していることから、ダビッドも作っており、
その流れでこういう製品展開になっていったのかと思われます。


作業艇はまだ新しくてピカーっとしています。
連れの知人によると何とかいう映画で主人公が乗っていたそうです。
(これじゃ何のことかわかりませんね)

そして当たり前のようにFURUNOのレーダー搭載。


作業艇の収納場所を内側から見たところです。


作業艇に乗り込むための階段。
この二つの写真はiPhoneで撮りました。
iPhoneの広角優秀。




隣の「ストールワート」の艦橋から見た「アウテアロア」。
輸送艦であるため、コンテナを爆積みしています。



積載量は積載量 8,000トン ディーゼル、1,500トン 航空燃料、
最大6.7メートル×6.1メートルのコンテナを格納可能、とあります。


ところで、この日朝から横須賀に出撃したわたしですが、
まだ体調が本調子ではなかったらしく、開始して2時間で
この日の埠頭の猛烈な陽射しの下、マスクをしているのが苦しくなって
脱落を余儀なくされたため、見学はごく限られた艦だけで終わりました。

この後のご報告は、外国艦艇全てではないことを
あらかじめお断りさせていただきます。


続く。


観艦式フリートウィーク4日目

2022-11-03 | 自衛隊

Kさんのフリートウィーク参加による写真続きです。



外国艦艇が横須賀に入港してきました。
写真はマレーシア海軍のフリゲート「クランタン」。
ドイツ製だそうです。

最近マレーシアはチャイナの海洋進出に対抗して、新鋭艦を装備しています。

冒頭は横須賀港の外国艦艇配置図ですが、


そのほかはこのようになっているそうです。



それにしてもこのキャラが猛烈に気になってしまうわたしである。

「感染予防 マスク着用 
手洗いうがいの励行を厳となせ」

だそうですよ。




なんと観艦式に潜水艦で参加ですか。
これって珍しいんじゃないでしょうか。

オーストラリア海軍の「コリンズ」級潜水艦が来ているようです。



これが「コリンズ」級のHMAS「ランキン」だそうです。
海上自衛隊の潜水艦とはずいぶん素材が違いますね。
全く水を弾かなくなったおばあちゃんの肌みたいになってます。

それから、セイルの上に乗員が足をぶらぶらさせて乗っているのが
何とも緊張感ゼロな感じです。

「コリンズ」級の建造はもう20年前に終了しており、引退していく老艦で、
wikiには、

「コリンズ級は設計の段階から様々な問題が指摘されており、
導入後も技術的な問題やオーストラリア海軍の人員不足から
運用に支障が生じるなどした。
オーストラリアのメディアから厳しい批判をあびている」

「コリンズ級は優れた潜水艦とは言えず、騒音は劣悪で、信頼性は低く、
故障も頻発し、時には運用可能な潜水艦がわずか1隻という時すらあった。
オーストラリア国内では、コリンズ級の開発は「失敗」とする意見もある」

と散々な書かれよう。

後継艦を導入するに当たっては、ご記憶の方もおられるように、
日本製に決まりかけていたのに、ひっくり返されて、
フランス(シュフラン級原潜)に取られたーと思ったら
あれよあれよとアメリカとイギリスが出張ってきて、
おいオージー、うちらが原潜の技術供与してやんよ!と言い出したので、
オーストラリアはフラフラ〜っとそっちに行ってしまい現在に至る。

今回来ているのがコリンズ級の6隻のうちどれかはわかりませんが、
もう引退なので、最後に日本観光でもさせてやろうってことなんでしょうか。

潜水艦を観艦式で他の国に見せるのは滅多にないと思いますが、
もうこういうのなら何の秘密もないので、何でも見てちょうだい、
何なら写真も撮ってあげてね、みたいなノリかもしれません。

知らんけど。



4日目は曇って寒く、こんな日にも出撃されたKさんを案じるほどでした。


「いずも」と「ひゅうが」の違いをご覧あれ。



そして誰もいなくなった。

横須賀軍港は観艦式の予行でフネが出払ってご覧の有り様に。

続く(のか?)


フリートウィーク3日目

2022-11-02 | 自衛隊

今年は退院後のせいで、予定していた呉のカレーフェスにも行けず、
フリートウィークもKさんの写真を見ているだけのわたしです。

さて、そのKさんですが、フリートウィーク三日目となり、
またしても横須賀に出撃されました。



遊弋中の潜水艦。
セイルの上にマスクをした乗員の姿が見えます。
こんなところでもマスクしないといけないのか・・・。

まあ潜水艦の中は普段でもしたほうがいいかもですけど。



掃海母艦「ぶんご」。
前に乗艦させていただいたのは確か四国高松だったかな。



そして練習艦「しまかぜ」が出航を始めたのです。



これはすごい。
一気に大移動が始まった?



これは「しらぬい」でしょうか。
改めて見るとかなりこれも丈夫構造物の形が斬新です。



同型艦「あさひ」とのツーショット。
一緒に浦賀水道を目指していったということです。

思わぬ出航ラッシュに遭遇し小躍りしたというKさんですが、
これらの艦艇は、国際間鑑識に参加する外国艦艇の係留場所を空けるため
出港していったということでした。

ということは今日にも外国艦艇がやってくるのかしら。



アデン湾では大活躍だった110「たかなみ」。


3・11では支援物資は建築資材の輸送の主力を担った
4003「くにさき」も今から出港です。
タグボートが今から艦尾に向かいます。



しばらく横須賀には足を向けていませんが、
新しい商業施設COASKA(コースカ?)がもうできてるんですね。

あまりの早さにこっちが驚き。

その前で回頭しているのは新鋭潜水艦のようです。
改めて見るとセイルがこじんまりして丸い感じなのね。

アップにしてみるとフィンの上にも立ってる人がいるぞ(しかも二人)



制服が正装っぽいのはもしかしたら観艦式モードでしょうか。
それにしても、この画像を見てつくづく思うのが、
従来の潜水艦との外観、特に素材の違いですね。

全くツヤがなくて、まるでゴムみたいです。
そして、海面から出ている潜舵の形も明らかにこれまでと違う!


今回の観艦式はご存知のように一般応募による参加は全くなしで行われます。
もちろん疫病対策を講じたためです。



(おまけの潜水艦)



人の写真ばかりで気が引けるのですが、これは
カレーフェスに参加した知り合いが送ってくれたもの。


潜水艦のつもり・・・・なのかな。