元気な振りこそが生きのびる術か?
いちいち痛みや症状の詳細を伝えるつもりはないが、
今日はキレた。
娘の彼氏がうちで私の夕飯を食べたいと
しつこく迫ること、
それに対し娘も私の了解が得られると
当然だと思っていることに
ぶちきれた。
何度説明しようが他人事だ。
どうにかやりくりして心身を保っているのだと
少しは理解しろ。
これ以上ストレスにさらされると
廃人になると説明する羽目になった。
すごく嫌な気分だ。
再起不能になるだけならともかくとして、
生きる屍になるほど
脳はダメージを受けてしまうのだ。
一見にしてわからないものは、
病が存在しないものと同等か、
家族にすら理解されないのだと
今日はつくづく痛感させられる。
理解されないのなら自衛のためにも、
そうした人たちとは自分に余裕が生まれるまでは
接触を持たない方が
お互いの幸せのためだ。
去年は精査の一年だった。
世の中にはいろいろな人がいるものだと
あらためて感心したし、
絶対に病が治らず進行すると
同じ苦しみを味わっているだろう患者家族に言われ、
人間の業に触れたようで
正直、恐怖を味わったりもした。
自分もいろいろなの一部であることは事実だし、
想像以上に無理解な言動を
受け止める余裕ないことも驚いた。
それが障害なのだと思うと
根の深さに言葉を失うばかりなのだ。
厄介なものを肩に担いだことを理由にして、
今年はストレスからは積極的に逃げようと思う。