風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

愛情

2008年01月26日 05時12分36秒 | エッセイ、随筆、小説
死にたいくらいに人を好きになったことが
あなたにはありますか?


お台場で待ち合わせした周布は
暮れゆく東京の街に視線を落としたまま、
死ぬほど愛した人がいたかどうかと
悪びれることなく私に詰問する。
その勢いのせいで
私は返答に困って席を立ち化粧室へ向かった。

週末のレストランは
見渡すかぎりカップルで埋め尽くされ
私たちも例外なく
恋人に見られるのだろうと思った。
複雑な心境が交差して
胃を絞めあげていくような感覚に見舞われ、
私の表情が曇り、
視線の先にあるものすべてが
なぜか震えてみえた。。
緋色の夕焼けが東京の街を染めあげて
私の中の女を目覚めさせていく。
ダメ。
この男だけには恋はしてはならないのだ。


罪な男。
もし私の返答が周布へ向けられたものなら、
あなたはどうするというの?


用のない化粧室で
私は鏡の前に立ち、
ショルダーバックからおもむろにグロスを取り出すと
金色に輝くふっくらした唇をつくりながら、
愛など馬鹿げていると自分に言い聞かせる。
いくら体の曲線を磨き
男を受け入れる準備をしたところで
私と周布に何か起こるわけではない。
たとえ私がそれを望んだとしても、
幼い子の頭を撫でるように、
けれど宥めるわけでもなく、
何事もなかったかのように振る舞うのは目に見えている。


周布のシャツが目に焼き付いて
私の瞼からなかなか離れてはくれない。
黒をベースに象牙色のストライプが印象的で
それが波や飛行機雲や
手入れの行き届いた黒髪を私に連想させながら、
都会的で洗練されたセンスのよさを
際立たせていく様は実に見事だ。
とはいえ、
周布の子供じみた一面が垣間見てしまうせいで
私は不自然な振る舞いしか許されないような
ぎこちなさを覚える。


いつものこと、
誘いを受けたことを
ひどく後悔するのだ。


あれから8年の歳月が流れた。
私はその間に交通事故に遭い、
周布はひとり身になった。
かき集めた理由がため息の中に溶けだして
諦めと戸惑いが
まるで駆け引きしているかのように
ますます周布の世界に
引き込まれていく自分がいる。
その姿は可愛くもあり、
また同時に悲しくもみえた。


あのときの答えを知りたいというなら
今なら答えてもいいわ。
死ぬほど愛した人がいるかどうか。
愛する予定があるかどうかを
今なら答えてもいいわ。