風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

加害者天国日本

2009年10月03日 18時15分39秒 | エッセイ、随筆、小説





覚えていますか?
いつだったか私の記憶は定かではないのですが、と前置きした上で、
イラクで日本人の青年が見殺しにされた出来事を・・・・と言った。
主治医は首を斜めに傾けながら、気の毒だったよね、と思い出したと同時に言葉が唇を動かした。
気の毒だったよね・・・・・・と何度か繰り返し呟いていた。

その頃から急激に「自己責任」という言葉が世の中を席巻していくように蔓延り、
すべてが自己責任として片付けられる風潮が、すぐさまこの国には根付いた。

会社を突然解雇されるのも自己責任。
医療拒否されるのも、交通事故被害者になるのも自己責任だと言われ、
その発言が正当だと疑わない友人とは、大喧嘩を繰り返す羽目になった。

自分が他者の不注意によって交通事故被害に遭い、造影剤の副作用が起きたとしても、
その検査オーダーした病院は受け入れを拒否、
他の病院もうちがオーダーした結果ではないとの理由から救急搬送中にたらい回しにされる。
ようやく検査オーダーした病院に辿り着いたとしても、今度は院内でのたらい回しが待っている。
脳外科がオーダーしたのだから、脳外が面倒をみろ、という調子だ。

病気を理由に会社を突然解雇されたときに、被害者になったときに、
もし同じ発言ができるのであればそれは立派だと思うわ、と返すのがやっとだった。
当事者にならない限り、私にだって現実の厳しさがわかったかどうかは不明だとも思った。

当事者になったことにより「弱者」という新たな言葉も私の辞書には加わった。
患者は弱者になる。
自分がそう思おうと思わざるとも、必然的に、病院に足を踏み入れ、医療が必要な身体になった時点で
弱者になってしまう。
たとえば、患者がいくら主訴を訴えたとしても、医師がないといえばないとされるし、
患者がないと訴えても、医師があるといえば存在する、患者の無自覚によるものとの判断が下される。

そして、いくら急激に痩せようとも院内で倒れようとも、ダイエットや演技だと解釈される。
病気だなんて誰も思わないのは当然ですよ、と何度言われたことか。
点滴中に聞こえないと思っているのか、医療者から私に向けた中傷を耳にしたこともある。
厄介者がまた来たと言いたげな目つきで、私を見る。
睨む。

患者にとっては禁忌であるはずの医師の移動などの情報を口を滑らしたようにわざと漏らし、
あら、あなたは先生が特別扱いしている患者さんだから、すでにご存知なのだと思ったので、と嫌味。
その後、患者は動揺し、体調を崩すことをわかってやっている確信犯なので、
私はこの看護婦を陰で「鬼」と命名してやった。
医者との関係は不明だが、明らかに私に対して敵対心を持っていたのは確かだろう。

血管の細い腕になかなか入ってはくれない点滴針をぐいぐいと押し込まれ、
肘から下が内出血や針痕でひどい状態になり、何度か警察に職務質問をされたこともあった。
杖をついている姿に気付かない医師たちは「あなたのように元気な患者を初めてみた」とか、
気のせいだとか、事故よりも性格による要因が痛みを増長させているとか、医療依存するなとか、
医療の限界だから病院から出て行け、なにもすることはない、と怒鳴られる。
何度、トイレに駆け込み、悔し泣きをしたかわからない。

暴言を浴びせられるたびに、私は自分の姿かたちや顔のつくりや元気そうにみえてしまう自分を恨んだ。
しかも病人慣れしているはずの医療従事者たちに言われるのだから、
私の方がおかしいのか?と一瞬考える。
自分を責める。

交通事故に遭って間もない時期に、まさか性格による痛みだと言われるなど誰が思うのだろう。
他の方は、性格のよい方は治っていますよ、と駆け出しだろうが医師に言われたため、
なにも言葉など発していない私の性格のどの部分に問題があるのかと尋ねたら、
そういう質問をする性格だから・・・・・と真顔で言われた。
本当は病院名や医師名を書きたいところだが、彼らがいつか自身の問題に気付き、
改心をすることを期待しているため、また名誉のために実名は明かさない。
が、これは事実だ。

当時の私はひどい痛みや症状に苛まれていた時期であり、
急性期ではないが、慢性期でもなかった。
でも、その事実に気付く医師や医療従事者はいなかった。
途方に暮れるという経験をしたのも、その頃だったと思う。

厳しい現実に消耗していく私を見かねた盟友が、
「実は兄が医者なの。表参道で開業しているから行ってみな」と手を差し伸べてくれたことで
事態は大きな変貌を遂げた。

立場を、組織を、医局に精通している医師は私に言った。
「あなたなら赦してあげることができるでしょう。不条理なことなど世の中にたくさん転がっている。
あなたなら彼らの未熟さを気の毒だと思えるでしょう。
だからといって、被害に遭ったことを自己責任として諦めろと言うのとは違う。
今までの経緯をみても、彼らはあなたを傍観してきただけで、検査もやり尽くしていない。
どのようなことかといえば、疑いのある部分を潰すことなく、満足な治療ができるわけがない。
だから、あなたが“おばけ”にしかみえなかったのだと思いますよ」と言った。

医師は続けた。
「あなたをみていると、もしかしたら医療の敗北を感じるのかもしれません。
死や治らない病は医療にとって本来敗北ではないのに、
彼らが信じる医療とは積極的治療可能なものを指し、症例数を増やす道具と化し、
あなたのような『見えない障害』は、
見えないままの方が都合がよかったと言っても言い過ぎではないはずです」と。
結局のところ、わからないと言えない苦悩があったことも理解してあげてください、と医師は言った。

何を書きたかったのかわからなくなってしまった。
ただ、昔を思い出しただけだ。
手の甲に出来た湿疹が点滴針の痕によく似ているために、
普段は仕舞っているはずの苦い経験が、ふとした瞬間に蘇ってしまう。
息を吹き返してしまう。
だからといって、私はなにかを思うわけではない。
医療に傷ついてきた私も、
傷付けているとは思いもせず、医療に従事する者たちも、気の毒だとは思う。
あまりにも生臭い話だけに、どんな消臭剤も効き目がない。

だから、生臭さだけが院内に充満して、
いつしかその病院の色というか、臭覚が嗅ぎ取るニオイとでもいうのか、
病院が醸し出だす雰囲気で、その病院の良し悪しがわかるように成長した。
自分を護る唯一の方法は、危険なニオイのする病院には近づかないことは鉄則となった。

余談だが、被害者が交通事故被害を処理する以前に、医療との格闘がある。
日本では基本的に被害者が被害の立証責任があるために、被害者は不調や怪我をしながらも、
立証するために二重三重の苦悩が待ちわびている。
加害者は・・・・・と言えば、私の場合は業務用の運転手だったが、
車の修理が終わった時点で職場復帰を果たしていた。
謝罪はない。
5年経過した今でも謝罪はなく、私の現状を知り驚いたそうだが、だからといって他人事のように
普通に生活を送っている。
ある病気を宣告され、まともに話ができない状況にあることを担当検事から聞いたことがあるが、
話ができず、まともに歩くこともできないというのに、いまだに車には乗車し、仕事をしていると思う。
事故を繰り返さない限り、この人種にはなにもわからないのだろう。
だから刑罰を重くするしか被害者が救われる道はないと思うのは当然だ。





自分への賛美

2009年10月03日 08時49分07秒 | エッセイ、随筆、小説





あの長い難解な書き方をした日本語を、時間がかかったが訳したとある。
日本語に慣れている私たちでさえ、ときに日本語の奥深さを思い知る。
追記すればわざと難解にしたのは彼への仕返しのつもりだった。
自分の愚かさを、恥を思い知れという、ほんのすこしの私の意地悪が含まれていた。
というのは私の強がりゆえの言葉上の妄想に過ぎないのだけれど。

予想をはるかに超えた反応に正直驚いたのは私の方だった。
彼が返信にあてた内容よりもまず、私の文章が、言葉が、表現が他国でも通用するという喜びを味わった。
そして、私の中に置き去りになったまま淀んだ色彩の粘着ある感情は、
今朝の空のように、高く、青く澄み渡っている。

清々しい風はヨットの船上を思い起こさせてくれる。
勇ましい男たちの声が、ヨットを自在に操り、自然の雄大さや怖さを見せ付けてくれたものだ。

あなたという人があのノート(メッセージ)によってより明確に理解できたように思います。
また自分という人間の思いやりのなさやわがままさや身勝手さも、同時に突きつけられたように思います。
もしあなたのノートに、あの文章の中にひとつでも、僕を批判するような言葉をみつけられたなら
あなたという個人ではなく、あなたの背景にある日本や日本人へ向けた批判をしてただろう自分に気付くと
背中に流れた汗はとても冷ややかなもので、自分でも寒さを覚えました。
けれど、何度も何度もあなたのノートを読み返してみたものの、
あなたは私のナショナリティ(国籍)やオリジナリティ(民族)には触れることなく、
「私」という個人へ向けたメッセージに終始していました。

それは私とあなたについてだったり、私たちの関係性についてだったりでした。
私があなたに送ってきた言葉ゆえにあなたが私を信じてくれた証だったのでしょうが、
あなたをひどく傷付けてしまっている自分というものが見えました。
また、あなたという人間性を私に教えてくれる素敵なノートでもありました。

ときに人は現実逃避をしたくなるものだ。
私は違うなどという馬鹿げたことは言うつもりはない。
が、自分が現実逃避をするが手段として他者を巻き込まなければ行えない場合は、
その傷はいずれ自分に返り血のように跳ね返り、
自分で自分を追い込み、自分で自分を傷付ける結果を巻き起こす。
もちろん巻き込んだ他者へも、自分の身勝手な行動の結果として、傷を負わせるのは目に見えている。

わかって欲しい・・・・・という言葉を私は何度聞いたのだろうか、と思った。
返信の最後には、考える時間が必要なことに加え、
自分の立場や責任をようやく自覚したという言葉が添えられていたが、混乱しているともあった。
だから僕から電話をするまでは連絡を控えて欲しいと記されていた。

僕はなにをするべきかがわからない、とある。
でも、あなたがしてきた結果よ、と心の中の私が呟いた。

あなたは私にあなたが信じている宗教を押し付け、環境を、状況を、あやゆるものを一方的に
私だけに理解させようとしてきた。
でも私はいつも思ってきたのよ。
あのノートに記したように、あなたが私の立場であったなら、
あなたがいう宗教や、環境や、状況を理解できるのかしら?と。
それは酷なことだとわかるのには、あなたの立ち居地からはもしかしたら見え難かったかもしれない。
あなたが抱えている日本人へ向けた民族性のコンプレックスや他のもろもろまでもが。

いつまでも考えたらいい。
あなたの未熟さや愚かさや身勝手さと同時に、
私があなたに向けて書いたノートにあるように、
あなたが私にくれた優しさや幸せが私にはとても大切なものであるという事実を。
それも含めたものが、あなたであるということなのだから。