風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

My Lucky Star

2009年10月30日 19時36分01秒 | エッセイ、随筆、小説





さて、どのように検索するか・・・・・と考えた。
気候の温暖なハワイ、友人のいるロスアンジェルス、主治医から提案されたニューヨーク、
高次脳機能障害に関するアメリカのリハビリテーションの実態を調査または勉強するには、
どの地域の、どの施設、または医療機関や大学が適切なのか、と。

すると、718からはじまる電話番号が携帯に表示される。
ブルックリンからだ。
久しぶりの声、わざとどなた?などと意地悪を言ってみせる。
いつも通りだ、と擦れた低音でセクシーな声が受話器の向こう側から聴覚を優しく擽ってくる。

何年ぶりかしら?と私。
今年の冬、ニューヨークにいたのよ、と続ける。
あなたの家に電話をしたけれど、現在は使われていませんというメッセージが流れたから
てっきり、出身地であるフロリダに戻ったものだと思っていたわ、もう連絡もできないのだと思って、と。
母親の介護でフロリダからアトランタの病院に数ヶ月滞在していたと、それから経過が説明された。

いいことを思いついた。
うふふと笑った。
いたずらを思いついたときの笑い声だ・・・・と友人は言った。
それが君自身で、なにも昔と変わっちゃいない。
事故からの経緯を心配していたけど、いたずらを思いつくなら良好だね、と声を弾ませる。

彼との出会いはフロリダ発アトランタ経由ニューヨーク行きの機内で、
私の後部座席が彼だったそうだ。
その日は生憎の荒れ模様で、空は怒り狂ったように、泣き叫ぶように、
雷とどしゃぶりの雨が予定時間を大幅に遅らせ、
私は日系企業とのミーティングに間に合うなど、絶望的だった。
しかも、ホテルも予約しておらず、友人の誰とも連絡を取り合ってはいなかった。

甘かったのはアメリカはテロに備え、日本のように荷物の一時預かりやロッカーがないことを
その日に初めて知ったという馬鹿さ加減に、自分で自分が嫌になりかかっていた。

もしマンハッタンへ行くなら、一緒にタクシーに乗りませんか?と声をかけてきたのが彼だった。
私は言った。
これから大事なミーティングがあるので、この荷物を預かってもらえませんか?
後で引き取りに行きますので、と。
彼は不思議そうな顔をして、首を傾げる。
私、宿泊先を用意していないので、まずはミーティングに出席した後、
荷物を受け取り、考えようと思っていますので。

私も私なら、彼も彼だ、と思う。
私を怪しむわけでもなく、さらさらと住所をダイアリーの一ページに書き込むと、
これから向かうレストランの最寄り駅からの地下鉄の乗り換え方法など詳細に綴って、
ではレディー、後ほど・・・・・と言ってタクシーを準備してくれるのだから。
私はその後、無事(とはいっても大遅刻で大目玉を食らったが)ミーティングを終了し、
彼の記したアパートメントのあるブルックリンに向かった。
そこには日本庭園がある閑静な住宅地だった。

僕はこれからガールフレンドの家へ行くから、君は、えっと、名前はまゆみだったね?
まゆみは何日ニューヨークに滞在するのかわからないけれど、
もしよければここにステイして構わないので、自分の家だと思って自由に使えばいい。
ニューヨークのホテルは高いから、ここにいればいい。

1999年の夏のはじまり。
不思議な出会い。
縁。
恩恵。
感謝、そして、たくさんの思い出。

彼は作家を目指しながら・・・が目的なのだそうだが、ルックスがいいので俳優を職業にしている。
あれから10年の歳月が流れ、また連絡を取り合える関係に戻った。
大切な友人の彼。
議論仲間。
今日の国際電話も結局のところ、3時間も話し、ニューヨークが午前3時だということで切ることになった。
もし午前3時でなければ、まだまだ私たちは話をしていたと思う。
それだけ尽きない話がたくさん引き出しに詰まったままだ。

さていたずらを思いついたときのような微笑は、
彼に高次脳機能障害の存在を知らせ、
アメリカでの施設や病院・大学に連絡を取ってもらい、詳細を調査してもらうというアイデアだ。
奨学金審査までにはあと一ヶ月の時間しかない。
いつも無理難題だ・・・・と言いながらも、渋々と、でも嬉しそうに、彼は「YES」と言った。

THANK YOU FOR EVERYTHING
YOU ARE MY LUCKY STAR