風の生まれる場所

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言葉へ置き換えていけたら・・・

人生という濃淡

2009年10月11日 22時31分40秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

男の胸を借りて久しぶりに泣いた。
嬉しくて、わんわん声を出して、鼻水も涙もごちゃまぜになった。
そして、しばらくの間、抱きしめてもらった。

海外を行き来しているときに知り合った商社マンたちがいる。
かれこれ月日を数えたら、14年も歳月は流れていて、お互いに歳を取ったことに加え、
私が負った障害を、人生の変更を余儀なく受容せざるを得ない数年を振り返った。

知人たちへは当初、私の障害を隠してきた。
食事の誘いも断り続けた今がある。
多忙や国外にいるという嘘をつき断り続けたものの、
いつしかなぜこそこそしなければならないのかと思うようになり、すべてを告白することにした。
たぶん、彼らがショックを受ける姿を私が見たくなかったのだろう。

昼下がりの銀座、とあるフレンチレストランにて。
15歳も歳の差のある知人たちに泣かれた。
やっぱり。
なにも知らなくてごめん・・・・・・と謝られた。
ずっとずっとごめんと繰り返すばかり。

傍からみたら私がおじさんたちをいじめているように見えるから、お願いだから泣かないでくれと頼んだ。
謝まらないでくれ、と。
人生という厄介な世界に生きているのだから、障害を負うのは稀ではないと。
私は不幸ではないから、
むしろ、障害から見えてきた新しい世界があるからよかったのだと思うと伝えると、
鼻水を啜る音がすこしだけ治まった気がした。
こうして泣いてくれる人たちに支えられている私は誰よりも幸せ者だと思った。

人の温もり、抱きしめられる感触、護られているという安心感、撫でられる髪の動き、かかるお互いの息、
男の人が怖くてたまらなかった私が、男の人の腕の中で泣いている。
しかも、それが心地よいとさえ感じたし、ずっとずっとこのまま抱きしめていて欲しいとさえ思った。

人生にもし濃淡があるとしたなら、私の人生は濃いものだったと思う。
たぶん、薄い人なんていないんじゃないかと考えたとき、
ぬくもりの奥行きや深さや広さが人生の濃さを物語っていて、
私を受容する人たちの温かさが胸に染みてくる分、また涙があふれ出てしまう。

男の胸を借りて久しぶりに泣いた。
嬉しくて、わんわん声を出して、鼻水も涙もごちゃまぜになった。
そして、しばらくの間、抱きしめてもらった。