八重洲の喧騒を忘れさせてくれる店、
暖簾をくぐると笑顔の紳士がカウンターの一番奥に。
その紳士は海が、空が、波が、太陽がとてもお似合いの方なので、
陸に、しかもスーツ姿でいらっしゃったことは、
嬉しい驚きでもありました。
なにをお召になってもお似合いなお姿に、
嫉妬を覚えない人はおそらくいないでしょう。
例外なく私も。
また女性であれば恋心を抱かない人はいないのではないかと。
さぞ銀座でもおもてになるだろうことは言うまでもないでしょう。
美味しいお寿司をいただき、楽しい時間の語らいは
時間というもののいたずらを、その速度とは相違する深さや重さを
後味や余韻として残してくれるものでした。
最後はPERNOで乾杯、
障害があろうともそれが人生だ、という激励付きで。
だからヨットに戻るように説得され、降参。
指示出しの、怖いおばさんの演技を要求、本当はやさしいのに・・・と思う。
*
障害者を、しかもヨットに乗船させるのは、健常者にとって相当なリスクがともなう。
ヨットの世界は生きるか死ぬかしかない。
後遺障害という言葉が存在しないため、
バイク事故で私のように中途半端な障害が残った者などいない世界だという。
にもかかわらず、ヨットに戻るように諭された。
何年ぶりだろうか、オーナーとふたり、さしで飲み歩き、あっという間に自分の誕生日を迎えていたのは。
40歳という節目に、この紳士と時間を共有できたことは私にとってこの上ない光栄だと伝えた。
また、障害など負い目に感じることなく、自分ができなくなってしまったことは先輩後輩関係なく、
他人を使いこなせばいいだけだ、と言ってくれるのは、私の知る限り彼だけだろうと思う。
情熱という言葉が浮かんだ。
そこいら辺に転がっているような安っぽいやさしさとは違う、どこか海や空に似た広大さや深さがある。
それに包まれている安心感が私は好きだ。
元気になったら、健康になったら連絡を。
それまでは連絡をしないで欲しい・・・・・・と言ったきり、連絡の一切には応じない友人もいる。
たぶん、その人は友人との呼称に値しない。
私もひねくれているものだから、あなたが元気ではなくなったとき、健康を損なったとき、
私の今の状況を理解できるのは皮肉ね、
どれだけ残酷なことを言っていたのかを体力のない状況下で考えさせられるのだもの、と笑ってやった。
それが最後の会話となり、携帯電話からもその人の履歴も連絡先のすべても削除するに至った。
元気にならない、健康になれないのは私たち障害を持った者たちの責任ではない。
おそらく医療の進化をいくら遂げても、治せないもの、治らないものはいつまでも存在し得るもので
言い換えるならば、それが人間という生身であるがゆえの運命を背負っているとはいえないか。
それは平等だ。
誰に、いつ、どのような病気や障害が降りかかってくるかは、誰にも、まして本人にもわからない。
だから健康になったら・・・・という言葉を聞いたとき、人間を知らない人の発言ね、と付け加えてやった。
相手からの返答はない。
人間を知る術など、誰が教えてやるものか、と心の中で舌を出して、一発殴ってやった。
ざまーみろ。
根津の夜は風情のかたまりのようで居心地がよい。
数えれば、15年前くらいに一時根津に住んでいた時期があったが、
この独自の空気感を知らないまま実家に戻ってしまったことを今更ながらに悔いた。
ノルマンディ出身の、フランス人のソムリエが加わり、PERNOという酒をロックで。
誰の会話も噛み合っているわけではないのに、ジャズセッションのように、
なぜか最終的には心地よいリズムを、メロディを奏でていた。
誰が言えるだろう、と思う。
障害なんか負い目に感じることなく、風を感じにおいで。
そこにいてくれればいいのだから、と。