風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

手紙

2009年10月07日 11時52分39秒 | エッセイ、随筆、小説






眞由美さん、こんにちは。
しばらくでした。
そう、日曜にマリーナに行かれたのですね。
お目にかかれず残念でした。
私はもう1年以上マリーナには行っていないのです。
別に身体のどこがどう具合が悪いというわけではないのですが、
「フネに乗ろう」という元気が出なくて足が遠のいてしまいました。
昨年末にいただいた貴方のメールから厳しい状況が伺われ気にはなっていました。
身体の状態は落ち着いておられるようでよかったですね。
難病は気長に付き合って行かなければならないので、
焦らずに我が身の一部にするつもりで対処するとよいかもしれません。
私がどうにかできるものでもありませんが、
何か話したいことでもあればいつでも話しかけてください。
貴方もお身体ご自愛ください。


難病を、しかも私よりも重く苦しい病気を抱えているヨットクラブの先輩から手紙が届いた。
秀才で生きてきた彼に病が発症したのは大学2年のときだったと聞いた覚えがある。
以前、医療放棄をしてもう30年になるのだという話題が突如浮上したとき、
私には現実がわからなかった。
すでに、私の身にも病が発症していたというのにだ。
彼が味わったであろう悔しさや悲しさや絶望という類を想像するには無知過ぎた。

この優しさの裏にはどれだけの葛藤や挫折や死が手招きをするような出来事があったのかと思うと
そっと抱きしめたい気持ちになることを私は知っている。
徐々に硬直していく筋肉は、指先を麻痺させ、足の筋肉を奪い、24時間介護になるまでに
そう時間がかからなかったと言われたとき、私は押し黙ったまま顔をあげることができずにいた。

いつでも話しかけてください。
心のこもった、優しさに溢れた、人間性という意味では誰も適わないのだと、この一言から窺える。
静かに死を待つ彼の難病を考えずに、私が生きている価値があるのかと感情をぶつけたのが
彼のいう昨年末の私が送ったメール、痛みに耐えられなくなっていた。

たとえば自由に歩けないことを恨んだのだろうか、不安定な精神、24時間継続する肩から上の激痛、
でも、私の病は死を前提にはなされていない。
たぶん、死なせて欲しいといった愚痴を彼に送ったのだろう、
あなたを想うと胸が痛む・・・・・とだけ短い返信が彼から届いたとき、
私は酷な内容の手紙を送った自分というものに気付かされた気がした。
そして、なんと愚かな人間であるのかと、自分の未熟さを恥じた。

心地よさそうに髪が風に流される彼の姿を船上で眺めたのは、もう何年も前の夏の終わりのことだった。
宝石のようにきらめく水面に目を細めながら、小麦色に焼けていく肌にローションを塗ったのは私で、
感覚のない脚をさすり、その冷たさに愕然とさせられた。
たぶん気付かれたのだろう、ショックを受けるなら触るな、と平然と言われた記憶がおぼろげに残っている。
しかも、彼は笑顔を浮かべていた。

いつでも話しかけてください。
いつでも話しかけてください。

私は支えられて生きているのだということを彼に思い知らされる瞬間があって、
彼の難病を考えたとき、素直にならざるを得ない自分がいる。
常に降参させられるのだ。
この優しさという武器の前では唯一、素でいられる自分というものを発見する。



 


やさしくない街と自覚と高次脳機能障害

2009年10月07日 05時12分39秒 | エッセイ、随筆、小説





表参道の石畳の溝、道と道とをつなぐ段差、信号の、横断歩道の白線、マンホール、
なんという名前かわからないのだが、
車道なのだけれど歩行者との境がないような小さい道にある通学路を示す絵、減速を促す矢印のでこぼこ、
アスファルトの緩やかな傾斜、スローブ、雨の日のタイル、銀行内の水濡れの床、
芝生に潜む土のたんこぶ、階段は奥行きが見え難いせいか、手すりを使っても怖くて立ちすくむ。
それからエスカレーターの右側を歩く人が多い場合に必ず発生する独自の前後した揺れ、
点字ブロック、石に施してある滑り止めのための細い何本かの線(凹凸如何に問わず)、
数え始めるときりがない。
が、上記は私が躓いた、または上記を理由にバランスを崩し転んだものを列挙してみた。

信号の白線に段差を感じるなど誰が思うのだろう・・・・と書きながら考える。
でも、私は白線は滑る塗料を使用していることも覚えたし、
足の置き場如何によってはつま先が取られてしまい、
転ばなくてもひっかかりやすいために靴がすぐダメになることを自覚しはじめた。

小石なんて論外だ。
なんと表現したらよいのだろうか。
足が地に付いていない感覚、長時間正座をして、
その後、立ち上がったときに足の取り扱いが不明確になりよろめく状態とでもいえば伝わるだろうか。
そこに視覚という厄介なものが進入してくるために、身体と視覚と動作という連動がちぐはぐになる。
私の場合は・・・・・・と一応付け加えておく。

昨日、主治医が保健所で確認を取るように・・・・・・と言ったので連絡をしてみた。
確か、意見書が届いたので作成したのだが、
おそらく負担はしなくて済むはずだから手続き方法を、領収書で大丈夫なのかどうか聞いてみるように、と。

精神通院に関しては保健所が管轄になるため連絡を入れた。
すると、保健所は意見書を医師に郵送することはまず有得ないと言った。
その後、自立支援医療受給者証についても、ご本人が有効期限内に手続きをしてもらうことになっていて、
こちらから有効期限が切れるので手続きをしてください・・・・・・とは言いません、と言う。
説明責任は病院に、主治医にあるので、患者であるあなたから連絡をして、
どこから郵送され、なにに使う意見書なのかを確かめるのが筋です、と。
おいおい責任転換か?と思った。
説明責任は医師にある。
それをあなたがもう一度まちがえのないように確かめて、その後、もう一度連絡を、と言われた。
体調がよかろうと悪かろうと患者の都合も状況も関係なく・・・・・・か。
それがスムーズにいくのであれば、家になど篭っている性格じゃない、と心の中で怒鳴り散らした。

私は言った。
記憶力の定かではない患者本人である私が、今年が平成21年で、10月だと気付いたのは昨日です、と。
自己責任とか個人情報とかを楯にして、
できるだけ手続きの更新をしてもらいたくないのだと思った。
無理ですよ、と言った。
私の程度がどのレベルかはわかりませんが、障害者手帳を取得している本人がすべてを把握して
手続きの更新がいつで、どのように行うのか、しかも、用紙もなにもかもは窓口に取りに行くのが前提、
それができる方々なら体調は悪くないでしょうから、障害者手帳の申請は通らないでしょう、と。
語尾が強くなっていくのが自分でもわかった。
なので、たまたま電話に出たあなたを責めているのではありません、でも理不尽です、と加えた。

ため息がとめどなく。
悲しくなってくる。
受けられるサービスも、更新手続きも、ほかのすべてを知らない、忘れたあなたの責任なのだからと言う。
平然と言う。
どこかがおかしいとは思わないのだろうか、しかも体調の悪い人たちを取り扱っている部署だというのにだ。

自分がこの立場にならないと見えてこなかった世界がたくさんあり過ぎて混乱している。
なぜだろうと思う。
こういう出来事があるたびに、健常でなければ生きる資格がないと言われている気がしてならない。