風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

がんと高次脳機能障害

2009年10月26日 08時08分45秒 | エッセイ、随筆、小説




聞いたことあるわ、と言った。
幾分痩せてみえ、顔色は日焼けした・・・というよりも土色に近く、エネルギーを振り絞って・・・・・
が表現するに近い。

娘が通学してた私立高校の文化祭に顔を出した。
というのも、体調が悪く、卒業式に出席できず、友人になった娘の同級生や先生たちとも
きちんとした挨拶を交わしていないから・・・・・が学校へ行く最大の理由になった。

担任の女教師は全身に転移したがんの苦痛に耐え、ステージ4にさしかかったところよ、と苦笑する。
そっちは?というので、私は高次脳機能障害の診断がついたばかりだけど、
物忘れがひどく、転ぶわ、感覚が鈍くなるわで、日常生活なんかこんなんじゃ送れないわよ、とぼやいた。
でも、私の方がまだましね・・・・・・とは言えなかった。

神様がもしいて、ときどき悪戯をする。
その悪戯の標的にされた人たちは、必ずなにかを学ぶ力を持っていると見ていて思うときがある。
もうフネに乗ろうという気力がなくて・・・・・と言ったヨットの先輩の兄も筋ジストロフィーだと聞いた。
発症はどちらも20前後なので遺伝子になんらかの細工がなされたのかという話をしたことがあった。
そう思うしかない、と彼はにこにことした笑顔で言うものだから、私は言葉を失った。

では私が完治できないのは。
もともと生れ落ちた瞬間に、きっと、おそらく、
母の腹の中で細胞分裂がはじまった頃にでも体や精神や神経の設計図ができあがっていて、
ある種の病気には強い細胞を体中に敷き詰めているのに、
ある分野の病気にはめっぽう弱い。
その弱い方を発症した場合、私は命には別状がなく、ただ日常の生活に困窮するだけなので、
時間が過ぎ去るのを待つしか方法はない。

ひとつは老いる=死という選択を待つこと、
もうひとつは、小さな小さな希望の光を遠い場所にみえる錯覚に溺れながら、
どうにか生き抜く手段を考えるということだ。
ここでいう生き抜く手段とは、なにも医療に依存するわけでも、薬の力を借りるわけでもないので、
誤解しないで欲しいと切に願うのだが。

今朝も万能ねぎを切った後に、空になったビニール袋を冷蔵庫に仕舞った。
弟が、ごみを冷蔵庫に入れているのは誰だ?と大声を上げるので、
記憶はないけど、たぶん、私だと思う、ごめん・・・・・と蚊の鳴くような声でもぞもぞと言った。
右手にできた火傷痕、
本当はできた・・・・・ではなく、できていた・・・・・が正解だ。
だって、覚えがなく、気付いたときには火傷を負っていた。
でも、いつ、どこで・・・・がわからない。
料理もした覚えがない。
ただわかるのは、その傷が新しいということくらいだ。
痛むことは普通の人と同じように、私にもよくわかる。

雨の月曜日だ。
仕事を持っていた頃の私は、この雨の月曜日が恋しくてたまらなかった。
理由は定かではないが、おそらく日曜日を引きずったままの出勤なので、
雨が降っていると、ぼんやりしていてもさほど目立たないという不精な言い分だったはずだ。

聞いたことがあるわ、と言った。
先生はすでに余命を聞いているのだろうか。
見せる笑顔とは反比例する痛みが私の胸内をちくちくと針で刺すように繰り返す。