風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

Barと恋と高次脳機能障害への誘い

2009年10月13日 22時48分25秒 | エッセイ、随筆、小説






Barというと新宿、特に新宿3丁目が好きです。
摩天楼の足元、飲食店で賑わう通りから路地にふっと曲がったところに、
小さな看板が灯っています。

3階へあがり、革張りのドアを開けると、そこには4席のカウンターとソファ-、
ひとつのテーブル、そして、テラスからなるプライベートBar。

美味しいモルト&ラムを。
お好みに合わせてハーフショットからお楽しみいただけます。

ちょっと他にはない大人の隠れ家で、至福のBarTimeをお過ごしください。
あなたの好きなシガーのご用意もございます。
きっとあなたの感性という琴線に触れることを信じてメールを書いています。


この人に振られるためにはどうすればよいのだろうか。
自宅から歩いていけるBarで、嫌われる思索を、誰もいないカウンター席で考えを巡らせる。

服を新調した。
この日の、この人のためだけに。
憎らしい女を演じて、もう二度とこの女とは逢わないと決心させなければおそらく、
私がこの人の、やさしさに溺れ、離れることができなくなってしまいそうで怖い。

受容できない障害を、その整理がまだついていないことを理由にすれば誰も傷つかずに済む。
でも、この人のことだから、
そんなことは関係ないとでも言うか、僕が君を護るとでも言い出すに決まっている。

大人の恋というやつは厄介だ。
しかも、感情の抑揚が自分でもわからない今、
恋をするべきではないともうひとりの私が私を諭しにやってくる。
でも、恋は次から次に私の目前に現れてはこころを動かし、ときめき、振り回され、疲れ果て、
結局のところ、自身の抱える高次脳機能障害が恋を諦めさせる前にそっと忘れさせてくれる。
誰と恋に落ちていたのかわからないうちに、次の恋が、そして、その次の恋が・・・・・と、
私に恋の楽しさを思い出させてくれはしても、恋を成就する時期ではないと教えにやってくるようだ。

金曜日の決戦。
新宿3丁目にて。
酒でも飲んで、シガーを楽しみ、恋ができないと絡んでみるのも悪くはない。
あなたが優しすぎるとの理由なら、彼は頷いてくれるだろうか。
そうやって、しばらくの間、恋をおあずけにするために、わがままな女を演じてみる。
女優に挑戦だ。





高次脳機能障害という自覚

2009年10月13日 18時45分34秒 | エッセイ、随筆、小説






まゆみちゃん、よっぽどこの曲が好きなんだね、もうこれで3回も歌ったね、と友人は笑顔を浮かべていた。
私は・・・・・といえば、返す言葉がなく、困惑したまま、ひとり身勝手に、その場で途方に暮れた。

同じ楽曲をたかが一時間もしない間に「あっ見つけた。これなら歌えるかもしれない」と同じ台詞を繰り返す。
操作できないリモコンを友人に手渡し、番号だけを読み上げる。
その作業を3回繰り返したらしいが、私には自覚もなければ記憶の欠片すら残存してはいない。

友人の指摘を受けた後、
あぁ、そうなのか私・・・・・・と思うものの、
確かめようもない出来事を自分が過ごしている事実に驚愕しながらも
どれだけの記憶が私の、今の私という輪郭をかたどっているのかと考えたとき、
さすがに気落ちして、頭を抱え、いつの間にか泣いていた。
なぜならば、記憶という機能がどうやら私には作動していないことだけは自覚できているためだ。

私でありながら、私を知る術がない。
でも、私は生きている。
繊細で鋭すぎる感情というものが備わった、一見みれば普通の人間として。

おそらく知能が低下しているわけではない。
が、自分という得体の知れない存在があり、自分でそれを自覚できるだけ、しんどいし苦しい。
もがいたり足掻いたりしながら、やがて疲れ果ててそれが無意味であることを知らされるのだが、
そうした行為ですら記憶には残存しないために、同じことを、もがいたり足掻いたりを繰り返す。
そして、1日が終わる。

黄金色の満月が空に浮かんでいる。
美しいと思い、見蕩れる。
長い長い時間を、黄金色の満月を眺めて費やすのだが、
時間の感覚が私にはないためか、あまりにも夜が静か過ぎるせいか、
私にとっては数十分であるはずの時間が、実は数時間経過していた・・・・・ということも珍しくはなく、
またそれを自覚した後、枕を濡らす羽目になる。

高次脳機能障害の正体が徐々に明らかになると、自覚が容易になると、
知らぬ間に誰かに血液を抜かれているような感覚に似ていると最近になってよく思う。
でも、致死量を抜かれるわけではないので、まず死ぬことは有得ない。
が、一歩間違えたら死ぬかと思うような崖っぷちに立たされている感覚は、いつまでも消えない。
だから、しんどいし苦しい。




心を満たす

2009年10月13日 02時37分38秒 | エッセイ、随筆、小説




あなたにとって心を満たすものは、その瞬間はなにですか?と訊ねた。
若くして某大手副社長になっていた知人に向けた、すこし意地悪な質問だ。

考えてみましたが答えはひとつではないでしょう。
敢えて言うのであれば、人生は一回なので、好きなことを好きなようにやりたいと思うだけです、と言う。

なぜ私が「あなたにとって心を満たすものは、その瞬間はなにですか?」と問うたのは、
13年、あなたを想ってきたからです、という内容のメールが届き困惑したためだった。

彼は私が思っていた以上に紳士だった。
メールの内容も、食事への誘い方も、段取りも、立ち振る舞いも、すべてが紳士的で魅力的だった。
でも、人生は一回なので、好きなことを好きなようにやりたいと思うだけです、との返信が届いたとき、
違和感があったというか、心にたくさんの隙間があることに気付いてしまったとでも言えばいいのだろうか。

必死でなにかを埋めようとする。
でも、それは心を満たすものではないために、心が削られたり削がれたりはしても、
満たすために功を奏しない。
彼は心の満たし方を酒や女性で一時的に、継続的に今でも「満たしてくれるもの」だと信じてやまないが、
彼の手の振るえをみたとき、誰か彼を止める人やなにかがなかったのかと悔まれた。
目前にいるのは世間的にみれば成功者かもしれないが、
傷だらけのただのひとりの男にしか私には見えない。
誰か彼を本気で愛したり、抱きしめたりしなかったのだろう、と喉まで出しかけた言葉を一気に飲み込んだ。

私をマイペースで、自分の時間軸で生きている人、という表現をしたので、
それは障害を持っているために、そうした生き方しかできないためです、とその話題を持ち出した。
その話題とは私の障害のことで、なにも自分で好き勝手に選択したものでもなければ
自分の時間軸ではなく、この時間軸でしか生きられないのが私なのです、とすこし声を荒げた。

みえない障害のために、普通であるかのように振舞う自分がいる。
そのために、本当に私に障害があるのかと、それは嘘や悪い冗談じゃないかと言う人たちもいる。
でも、すべてが事実だし、無理をするのは、私の悪い癖であるのと、やさしさだと彼らは知らない。
仮にそれをやさしさだと表現した場合、なんのためのやさしさだ?と詰め寄られるのが落ちだろう。

人生は一回しかないからと、自分の好きなように生きるのは勝手だ。
私はそれについて、とやかく言う権利など持ち合わせてはいない。
ただ、私はそうした考えを持っていないし、
一回きりだからなんでも思うように、好きなように生きたいとも思ってはいない。
それはもしかしたら障害というものを抱えた現在において、
多くの人が歩む人生の軌道を生きていないからだとの説明は理解してもらいやすいだろうか。

酒を飲む慣習もなければ、酒を付き合う席からも遠のき、夜も出歩くことはなくなった。
ただ静かな、静か過ぎる1日を、自分なりに精一杯生きている繰り返しの最中にいて、
自分の心を満たすものと向き合い、自分の時間軸に慣れようとしているのが私なのではないだろうか。

なにをあなたの心を満たすものなのでしょうか?と質問を続けた。
すこし考えてみます、こうして質問をされると整理しやすくなるので、
遠慮なく、なんでも聞いてください、と返信には書かれていた。

私が質問をしたのは、私が彼の心を満たすためになにかを知りたいというものではなく、
人間として、ひとりの男として、どのような人生を歩み、考えや価値を持ち、
今を生きているのかという興味があるからに過ぎない。