風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

医者坊

2007年07月27日 21時13分49秒 | 医療






昨日は経過観察日だった。



私が抱える疾患は「低髄液圧症候群」というもので、

実際には、医療側にもよくわからないことが多い疾患らしい。

今まで原因不明で医療難民とされてきた人も多く、

本当にこの疾患であった人、そうでない人も、

この疾患だと診断を受けたり、思い込んだりしている患者もいる。



私の主治医とは、

ドクターショッピングを繰り返した15箇所目の病院で出会った。

当時、ドクターショッピングという呼称も知らない私は、

医療の闇や憤りを感じ、

交通事故受傷が原因なのにもかかわらず、

「あなたの性格が痛みを増長させています」とまで言われた。

事故後、わずか半月後のことだ。

痛さや不具合の発作でかけこんだ大学病院の医師は

その状況を真摯に受け止めないばかりか、

「だから、あなたのその性格が・・・」とだけ繰り返した。

殺してやりたい、と思った。

許されるのであれば、私はこの若造の医者を殺めてやりたかった。

そのような月日を1年半過ごした。

交通事故が儲かる商売だという事実、

その取り巻きも十分理解した。




彼を主治医に選んだ理由を聞かれたとき、私はこう答える。

「正直であるという人格」と。

いくら腕がよくても、評判でも、名医だともてはやされていても

この「人格」がそぐわない場合、私は主治医には選ばない。



私も自分の疾患について、多くの患者が治療法だと信じて止まないものを、

その治療経過観察や意見を聞くことで実情を把握してきた自負がある。

脳神経外科学会や医師会へも連絡をした。

代議士秘書の友人を通じ、厚生省の見解の詳細もお聞きした。



私は未婚の母であるため、娘を路頭に迷わすことはできない。

収入が途絶えた場合、

娘がお世話になっている私立高校では、

辞めずに済むように施策を検討してくれるとまで言ってくれた。


けれど、安心して療養などできる状況ではなかった。

加害者の対応、加害者側保険会社のみならず、

自分が加入している保険会社の対応、勤務先など、

自分が交渉人なのか?と自問を繰り返すばかりで、

自答にはたどり着けない。



医療とは? 患者とは?

快方する方と悪化する方の差は性格によるものが大きいこと、

性格いうよりも生き様が患者のあり方として深いかかわりを持つ。

いいや、持ってしまう。

悲しいけれど、それが岐路となる。

それに気付く人はごくわずかで、

できればお互いの傷を舐めあい、

快方できない理由を誰かを責めることで物事を裁いているようにさえみえた。



私は今年の6月上旬に山を越した。

山というのは、これ以上悪化しない、

今までの痛みや不具合から解放されることを意味している。

それは現主治医と一緒に勉強をして、経過観察の詳細を研究し、

自分の体質や癖を悪化や快方から学び、

手術や不可思議な治療や薬物依存にならないように、

自然治癒力を高めるだけに尽力を注いだ結果だ。

私たちは長期戦でこの疾患を捉えていた。

告白すれば、すぐに治りたい、というのが患者の本心だろう。

けれど、急がばまわれなのだ。



昨日、主治医へ宿題を出した。

私の体調がある程度の水準だと主治医が確信を持てたとき、

私自身が不安を感じずに毎日を過ごせるようになったとき、

医療について語りましょう、と。

それは医師と患者という枠を超えた友として、

医療の明日を論じましょう、と。

それが3年後でも5年後でも10年後でも私は待ちます。

それが医療従事者にとっても患者自身にも、

希望となり得るなら。



私があなたを選んだ理由は、正直さと人格にあります。

あなたの笑顔にどれだけ救われてきたか、

追記として伝え・・・・・



※体調にもよりますが、

 今年9月以降2ヶ月以上3ヶ月未満をを予定して

 ヨガおよびセルフメディケーションのライセンス取得をします。

 その際、米国の医療現場を視察も予定しています。

 医療側も同様に、患者側への課題も多いのでは、と

 私が思う解答を得るために・・・

 

※医者坊とは「たいこ医者」を意味し、口が達者で軽薄がましい。

 私は現主治医には絶対にそんな医者にはなって欲しくないという

 希いや思いが込められている。

 だから、主治医も論ずる相手も彼でなければならないのだ。


  

 


無のゆらぎ

2007年07月27日 17時31分39秒 | エッセイ、随筆、小説






 「胎児のときの記憶があると言ったら?」

続けて、胎児のときに感じたこと、

つまり感情や何もかもがが今でも私を・・・・・といいかけてやめた。

だから抱きしめて欲しくなる、と。

子供のように、体も心も撫でで欲しい。

甘やかして欲しい・・・・・といいかけてやめた。




 みるからに藤原は動揺して、スプーンを何度も床に落とすため、

テーブルサーバーは『お気遣いなく』と言いながらも怪訝な表情を浮かべる。

そのうち、誰よりも伸びがはやい普段からもさもさしている髪の毛を、

掴んだり引っ張ったり掻いたり毟ったりを一連の動作として

何度か繰り返した後、

「たいじのときのきおく?」

いつもより幾分高めの声を発して目をまん丸くしている。

「もうすこしさ、手の抜き方を覚えたらいいのに・・・っな?」



 今にも心臓が体中の穴という穴から飛び出してきそうな勢いの藤原。

その様子を横目で観察していると、可笑しくてたまらなくなった。

「ふふふ・・・・・」



 藤原は笑い事じゃねぇと言って軽く私の頭を叩いた。

たぶん、幸せの痛みってこんな感じなのだろう。

たぶん、平穏な毎日とはこういったものなのだろう。

確かに投げかけた質問は藤原にとって強烈だったかもしれない。

けれど、それは幸せにはかわりない。



 桜色の色彩を待ちわびる頃、

新緑の世界に彩られる世界、

七色の光や音を楽しむ夜空に舞い上がる夏の涼、

流す灯篭の灯火、

草木を紅色に染めあげる深し秋、

冬来たりなば春遠からじ、



無はゆらぐ、

そして繰り返されていく・・・・・・


 


夏陰

2007年07月27日 08時44分57秒 | エッセイ、随筆、小説





朝顔の苗を引きずって運ぶ小学生の列。

低学年なのだろう、自分の体ほどあるそれは、

上靴や絵の具や防災用具などだけでいっぱいの両手をふさぎ、

そこに最終兵器ともいえる重さを加える。

列の最後には一番気力にあふれてみえる子供がめそめそとしている。

丸坊主の頭が愛おしい。

まるで風景だけは、昭和の夏のはじまりだ。

 

私は最近、時空を超越した方々との魂の交合によって、

自分の精神がここにありながらここにはないことを感じている。

それは先日、南房総へ行った際のことだった。

私は漠然とした疑問をぶつけた。

それをシャーマンの言葉を借り魂へ注ぎ込むとき、

遠い日の記憶が蘇り、ある意味、情報を表示する体系的な符号が一致した。



私は四万六千日の夜から、実は食事を摂っていない。

普段なら空腹で目覚めるという私が、だ。

その日の朝、シャワーを浴び、鏡に映った自分であるはずのそれが、

自分でないことに気付いたとき、体重計は5kg減を指していた。



私が浴衣を纏うとき、

常に権力者に目を掛けられる(友人になるという意)という人生から、

自分の過去をときどき覗き見しているようなところがあった。

着物を着る際の紐のさばき方は誰もが驚愕するひとつであり、

花火大会や屋形船に揺られていると、

一重、八重、菊咲きなどの桜色に染まる風景を眺めているだけで

なぜか泣けてくるのだ。

懐かしさの中に感傷が溶け込んだ感情に包まれ、

その場を動けなくなる。



花魁であった私は、江戸の風景が色濃く残る場所に魅了される。

花魁には女将すら手出しができない。

古びた寺のような場所で身寄りのない子供たちを育て、

花魁でありながら大切に扱われた過去を持っている。



四万六千日は観音菩薩の縁日で、この日に参詣すると

四万六千日参詣したのと同じ功徳があるといわれる。

東京の浅草ではこの日、ほうずき市が立つ。



私はそこで遊女たちと再会し、

現世におけるご縁は、魂が希求する方々としか結べない。

夏陰の中で涼をとりながら、

遠い記憶に思いを馳せるのも夏の風物詩として大切に・・・・・・











考える葦(あし)

2007年07月26日 09時15分17秒 | エッセイ、随筆、小説




愛について思考を巡らすとき、

それを明らかにするとき、

パスカルが「パンセ」の中で説いた一文を思い出す。



人間は葦にたとえられるような弱いものであるが、

考えるという特性を持っているとして、

思考の偉大さを語った。



私は最近、人間について・・・というよりも、

愛についてあれこれと心身の思考を合わせようとする。

人を愛するということは、

容れものである肉体などは私にとって視感から本能への伝達機能に過ぎず、

では、愛する人を丁寧に扱うとき、向き合うとき、

人生や心や魂の領域を考慮すべきことに気付いた。



それはどのようなことかといえば、

あなたが異性へ肉体を露にすることはあるだろう。

けれど、肉体の内部に潜む精神を露にする瞬間は

長い人生においても何度も出会えるものではないのでは、という気付きだ。



たとえば精神を露にしたとき、

それを受け、支え、認めることが果たしてできるのか。

「まだあなたの精神には衣が一枚纏っている」と指摘し、

愛する異性が目前に立ち、

とまどいながらその一枚を、精神の肌を露にするのを眺める。

それこそが上質の時間であり、

人生や心や魂を包み込み、

愛撫するという愛を表現する本来の姿を指すのではないか、と。




僕にとって大切な異性があなたであってくれたら嬉しく思います。

そして、あなたの人生や心や魂を包み込む異性が僕であれば幸いです。




私の物事を捉える視座が、

通常の、世の中を生きる上ではこの感受性が邪魔をする。

けれど、これがなければ創作はできない。



魂が泣き声をあげるとき、

魂を包み、抱きしめ、あやすとき、

文学が私の内側に入り込み、

または私が文学の内側を旅をするとき、

そこからどのような味わいの言葉が生を受け、

始覚と抱き合えるものなのかを、

同志と文学論について語った一節から

私は遊離することができなくなってしまった。



それは才能などという容易な呼称では片付けられるものではない、

胸の張り裂ける時間や嗚咽の響きが

波浪や青の虚空からしか誕生しない珠玉だと知った。

その優しさは闇と情交を成就させたことから、

学び、それを身に付けたことを感受した。



海に投げ入れれば潮が干(ひ)けるという珠があるという。

それを投げ入れれば私たちは出会える。

そして、満珠を投げ入れれば潮が満ち、

私たちは海へ戻ることができる。



所詮、私たちは考える葦なのだから・・・・・・



 


澪標

2007年07月24日 10時16分48秒 | エッセイ、随筆、小説






「澪」は「水脈(みお)」とも書くように水脈のこと。

海や川の深いところで、船が行き来できる水路のことです。

それを知らせるために目印として立たせた杭のことを

「澪標」と呼びました。

「身を尽くす」という言葉に掛けることができるので、

和歌にもよく詠まれています。    


美人の日本語 著者山下景子(幻冬舎)より




それは「深い河(遠藤周作)」の読後感のようでもあり、

運命を甘受する意味深いメッセージのようでもありました。

彼は小さな頃から文学だけが志となり、

私はといえば、その問いから話題を逸らすことだけで精一杯でした。



その方は言います。

この世の中で起こる問題のすべてが実直に実務的に解決できる、と。

一方、文学はこの世の善悪や倫理や思想を超越した異界のもの。

そこに一歩踏み入れると高揚感と共に肌寒さを感じる領域だ、と。



私はその返信に「胎児のときの記憶」というタイトルをつけ、

魂の階級についての話をしました。

文学の、というよりもむしろ人間として生きていくために

人間という容れものに何が片付けられているのかについてを

主題に置きました。




歴史が・・・などというつもりはなく、

また絶望的な見解で世の中に籍をおいているつもりもありません。

それが人間の姿だというだけのこと、

つまり、人間の本質とは慈悲や残酷さが同じ容れものの中に収められ

例外なく「私」にもそれらが存在しているという事実との対面。

そのために、私は未婚の母になり

NY同時多発テロや交通事故やインドでの療養が必要だった、と。



それは漠然と抱き続けた疑問への解答でした。

胎児のときの記憶があると告白する背景には、

母の、私を身篭った際の感情が、血液循環経路を伝い、

体循環や肺循環に介在し、溶かされた感情が全身に行き渡る。

それが今の私を形成する、血や肉や骨の原点なのです。



おそらく人間として生を受けた時点で、

闇を知らないものなどいないでしょう。

世の中の闇に絶えず触れ崩れないために、

女の身体には子宮があり、それこそが闇そのものではないか、と。

男も女も闇の中に注入されたものから息をはじめるのです。



男女の役割とはきっと、

その闇へ手を伸ばすことではなく、

寄り添い、肌を重ね合い、語り合うことではないでしょうか。

愛し合うとは、容れものである体などは問題ではなく、

人生や心や魂を愛撫することだと私は考えるのです。



その闇を昇華したものこそ文学であり、

実社会において健全な光を投射してさえすれば、

闇を抱えていてもかまなわい。

ただし、心の闇を実社会の人間に語るわけにはいかないのです。

ともに実社会を遊離し、はるか天空を舞いながら、

文学を語る相手が必要だと思うのです・・・・・・



水脈となる自分に、

身の尽くし方をふなみちを教え、

それを決して私が希求する側ではない現実。

時熟が核心に触れさせるために、私を手招きする。

手を振って、まるで澪標のように・・・・・











不可視・不可説

2007年07月23日 10時26分55秒 | エッセイ、随筆、小説





何事もなかったように装い、月曜の朝に急ぐ。

私はガラス越しに人間たちを意味もなく眺め、

薄めのコーヒー啜り、

ときどき新聞の活字に気を取られ、

そして、また意味もなく、人間を眺める。



一晩中かけていた曲はインドの友人宅で聴いていた、

坂本龍一のDiabaramだ。

友人を思い感傷に浸るわけでもなく、

特に意味はなく。

けれど、その曲を繰り返し聴覚から注ぎ込むことで、

人間としての私が、根底から疼く。



それは邪悪さかもしれないし、

魔性の、

慈悲に満ちた奥ゆかしさも、

人間としてその兆候を読み解くには、

一番手っ取り早く、確実だ。



肉眼ではみえないもの、言葉で説明のできないこと、

この世の中にはそうしたものの比重が、

相対的な重要度を語るとき、

私はこの一点に終夜灯の役割や修養があると信じて疑いを持たない。



鏡に映る醜容のすがたかたちを整えながら、

人間の装い、

つまり、人間を人間としてたらしめている性質に、

その闇を考えるには、月曜日は適さない。

そして、寄り集めた朝の景色の中ではコーヒーの味すら、

かみ締めたくなる。






符号

2007年07月22日 09時20分54秒 | エッセイ、随筆、小説



 

まるでお父さんみたいね。



世の中うまくできているね、と私は笑った。

それは結果でしか証明することができない正負を示す記号のようなものだけど、

彼とのメールのやりとりに、

何が心配なんだろう?と娘は心情を理解しきれていない様子。



大切なものが大切だと気付くとき、

それを失った後では取り返しのつかないこと、

世の中には謝って済むことと済まないこと、

取り返しのつくこととつかないことが同じ世界に同じだけ存在することを

よく考えてみて、と言葉だけを残しダイニングを後にした。



大学受験を再来年に控え、

オープンキャンパスに費やす夏休み課題を娘と彼に出した。

彼から提案される娘の進学先名はすべて女子大であったことに気付いたとき、

私は思わず噴出して爆笑してしまった。



男って、なんてお馬鹿で可愛いのって。



当初、英語の成績のよい娘へは留学を推薦した。

もしくは百万円の資金で、その資金が続く限り世界をひとりで渡り歩き、

各国の友人宅をチェックポイントにして、

彼らの国や仕事や生き方を学習してくるように、と。

現役で大学進学をして、そのまま企業に就職することが、

娘の性格を考慮した場合、適当ではないと私には思える。

まして、新卒を担当していた私が元企業を垣間見ていると、

なんのために働くのか、

生きるために食べるのか、

食べるために生きるのかを、

今の若い感性で、じっくり時間をかけて、

長い人生と向き合って欲しいと祈りにも似た思いを抱いてしまうためだ。

親として、父親の役割も母親の役割もしてきた私の出した結論だ。

世の中をみなさい。

みえないものまでみえるように、感じられるようになってはじめて

理解できる事柄に触れる資格を得られるのだから、と。




その話を彼にしたらしく、

やっぱりまいちゃん(私の呼称)は最強だと言ったらしい。

同時に今までみたことのないふさぎこみ方をして、

寂しさに包まれた表情の中で、深いため息を吐いたそうだ。

中華街の食べ歩きとか、ディズニーランドへの話題へシフトさせ、

普段は感情を露に出さないクールな娘ですら、

その心中の感情にうろたえ胸がちくちくと痛んだと言った。




先日、彼のお母さんから電話をいただいた。

その際、彼の優しさや感触や手ごたえを私なりに理解できた気がした。

こころもちと言ってもいい。

こんなに素敵なお母さんに育てられて、

あんなに優しい気配りのできる感性豊かな少年に仕上がり、

それに比べ、うちは・・・・・・といったところで、

お互い様ですよ、とお母さんは助け舟を出すように笑った。

お嬢さん、素直で明るくてと言ってくれた。

嬉しかった。

けれど、あのクールさの中には強情や頑固がしっかりと根付いていて、

食べるものにも盛り付けにもうるさいし、

一言一言がきつくて直球で、と心の中で思った。

あっ、これは私そのものだ。もしかしなくても。




彼が深いため息を吐いた理由は、

私たちと離れたくないためだということくらいすぐにわかった。

一時期でも離れたくないほど、私たちは愛されてしまったらしい。

私も彼をすでに息子のように取り扱い、

悩みを打ち明け(大したものではないのだけど)、

ひとりの男として頼りにしている。

きっと、それが彼の性格や正義感には善く作用し、

お互いが欠如している部分を補っているのだろうと思った。



彼のご両親は会社を経営しているらしく、

多忙のあまり面倒がみれなかったことを、

後悔の気持ちや反省点を、お母さんは私へすこしだけこぼした。

その頃、私は鳥になっていた。

友達のNちゃんへ娘が相談があると言って、

大小の背中を眺めながら、聞き耳を立てていた記憶がある。



ねぇ、まいちゃんは夕方あたりから鳥になって飛んでいってしまうの。



夜遊びの共犯者であるNちゃんは押し黙ったまま、

子供の柔らかな髪を撫でながら、

大人になったら一緒に鳥になろうね、と娘を諭していた。



子育てとはきっと、大人が育つための調度品だ。

未熟さを正すための、気付かせるための、一喜一憂する中から、

人間として心を深くよせるための時間なのだろう。



万葉集(奈良時代)には

豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す高い歌が多い。



深海松の深めて思へど (万葉集《2》)




東京音頭

2007年07月21日 21時21分31秒 | エッセイ、随筆、小説

 


月が出た出た~ 月が出~た よいよいっ♪



絞の浴衣を取りに行くと、

どこからともなく東京音頭が太鼓や笛の音と共に聞こえてきた。

盆踊りのための練習でもしているのだろうか?

みぞれ太鼓の音色が、江戸の風情を際立たせる。




下町の夏がはじまった。

生まれたときから何も変わらない夏の風景は、

先に逝った者たちを心に浮かべ、

手花火のこよりに夏の華々しい閃光を映し、残香に酔いしれる。



そうそう、と言って呉服屋の奥さんが教えてくれた。

私もね、さっき、同窓生から聞いたばかりなんだけど、

今年は江戸川区と江東区合同で灯篭流しをやるそうよ、と。



私は戦争を知らない。

けれど、私が住んでいる下町が、60数年前に悲惨な状況であったことは、

近所の方々から折に触れ、その重い口から現状を聞く機会に恵まれてきた。

私にとって3月10日や8月15日は、

長崎や広島に原爆が投下されたとき同様、とても大切な日なのだ。



あの戦争で亡くなった方々への鎮魂を、

戦争でさまざまな思いを抱えた生存者へ、

そして、祖父母へ、先祖へ、

先に逝った多くの友人へ、私は灯篭を流して祈りたい。



今の私たちが、この笑顔が、平和があるのは、

彼らの涙があったからこそ、それを心により刻むために。

 


パイロットフィッシュ

2007年07月21日 11時44分49秒 | エッセイ、随筆、小説





人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。

なぜなら人間には記憶という能力があり、

そして否が応にも記憶とともに現在を生きているからである。

 

人間の体のどこかに、ありとあらゆる記憶を沈めておく

巨大な湖のような場所があって、

その底には失われたはずの無数の過去が沈殿している。



何かを思い立ち何かを始めようとするとき、

目が覚めてまだ何も考えられないでいる朝、

とうの昔に忘れ去っていたはずの記憶が、

湖底から不意にゆらゆらと浮かび上がってくることがある。



パイロットフィッシュ
大崎 善生 




※私は彼の感性に惹かれ、嫉妬し、その感情へ手を伸ばそうとする。

 手は届かないばかりか、どんどんと遠くへ、

 私などの手には、指先にも触れさせようとはしてくれない。

 彼の作品と感性を、ご紹介までに・・・


  


いつかみた風景

2007年07月21日 09時53分00秒 | エッセイ、随筆、小説





同じバスに乗り合わせた歳の頃、

70歳くらいのおじいちゃんが怒っている。

すっごくおしゃれでダンディなのに、

なぜかそれは私の耳元で繰り返されるのだ。




「ったく」と。




理由はこうらしい。

バスの乗客がいくら年寄りだからだといっても、

あぐらをかくんじゃねぇ。

歳じゃなく、健康か否か、今、席を必要とするか否かくらい自分で判断して

知らんぷりを決め込むなんて卑怯だ、と言うのだ。



私の日傘で隠した杖に気付いてくれたのだろう。

その会話を聞いていたご婦人も、

年寄りにみえるからって元気な人は元気な人、

あなたみたいに若くみえるからって元気な人とは限らない。

そこに思いやりの精神が必要になるのよ、と言った。

席に座ったままでいるご婦人におじいちゃんは爆発寸前なので、

カラフルで肌触りのよいシャツの袖をひっぱり、私は首を横に振った。



選挙演説をしながら騒音に近い音量の公約を掲げる立候補人。

おじいちゃんは続ける。

「偉そうなことは誰でも言える。口さえありゃな。

けど、それを行動に移すってなると、

なかなかこりゃ容易にゃいかねぇ」と。



私は窓外を眺めながら、おじいちゃんの話に耳を傾け、

杖の売れ行きに心が動き、そこに意識が集約された。

「おしゃれな杖なんて売れそうじゃない?」

おじいちゃんは右へ左へ他の乗客と同じように揺られながら、

意思のあらゆる働きを含んだ笑みを浮かべ、

「お前さんとなら夫婦(めおと)になれるぞ」と言った。

「いつなら早く、いつなら遅いなんてことはない。

今だって過去や未来を思うように、しごく大事な時なんだよ」と。



賛否両論はあるだろうが、ある程度まで快方できた今、

私はなぜ自分がそのような出来事を体験したのかが理解できる。

できるのではなく、理解しようと試みてきたといった表現が正しい。

そのような出来事とは、交通事故に遭い、

日常に制限をきたす生活、不具合を抱えたことを意味する。

それは、世の中への視点、視線、視界、視力を変える必要があった。

けれど、自分ではなかなかそれに気付けないばかりか、

実行になど移せない。

理由は単純で、今を手放したくない。

怖い。

なぜ、自分だけが過酷な人生を自ら選択しなければならないのかと

物事が成立する道筋に、原理に、帰結できないためだ。



耳奥でずっと風が吹いているせいで、音が聞き取れない。

音が聞き取れないせいで、

自分の感情を言語に変換することができているのかがはっきりわからない。

障害は次の段階を迎えたのだろう。

いよいよ挑戦状を叩きつけられた気分だ。

痛みからは確実に解放された。

台風などの天候から受ける影響も、皆無に等しい。

けれど、音への反応が極端になってしまった。

机上にガラス瓶を置く、鳥肌の立つ金属音、人の話す声のトーン、

そうした一連のつながりには過剰な敏感さをみせるくせに、

無意識によって規定上は矛盾なく状況が維持できていたもの、

たとえば会話を聞き取る際に、耳奥の風が邪魔をする。



いつかみた風景を探し、歩き、思い出に浸ろう。

海に、温泉に、お風呂に入るように、

じゃぼんと音を立てて、ばしゃばしゃと水をかけあって、

ぽとぽとと水が続いて滴り落ちる風景に戻り、

羊水に保護され、自然に流出するまで、そのときを待とう。




※写真は銀座松屋7Fで開催されているガラス展の作品です。

 7/24まで開催されておりますので、ぜひ。