4強の壁は厚く、高かった。テニスの全豪オープン第10日(25日=メルボルン)、男子シングルス準々決勝で第24シードの錦織圭(22)は第4シードのアンディ・マリー(24)=英国=に3-6、3-6、1-6で完敗。1932年の佐藤次郎以来のベスト4入りはならなかった。
日本男子で80年ぶりに8強入り。あこがれのセンターコートに立ったが、第1セットの第2ゲームは最多42回のラリーで根負け。最初のサービスゲームでブレークされ、ペースを握られた。第2セットの第2ゲームで初めて相手のサービスゲームを破ったが、5日連続の試合で思うように脚が動かない。
第3セットもブレーク直後にゲームを奪われ、もはや「体力を出し切ろうと思ったが、勝つには足りなかった」。1度もリードを奪えず「楽しいと思った瞬間もあったが、つらさの方が多かった」と悔しさを隠さなかった。
今大会では、19歳差のクルム伊達との混合ダブルスでも見せ場をつくったが、何より評価されていいのは世界ランキング6位のツォンガ(フランス)を破る快挙での8強入りだ。
90年代のバブル崩壊後、国内のテニス市場は縮小。日本テニス協会は支援企業の業績悪化で強化拠点まで失う冬の時代となった。日本協会前会長の盛田正明氏が私財を投じて基金を設置。有望ジュニアを米国で鍛える計画に錦織も選抜され、米有名コーチの指導を受けた。
現在まで億単位の資金が投入され、数多くのジュニア選手が海を渡ったが、大成したのは錦織だけ。何でも吸収しようという姿勢が評価され、特別クラスに昇格すると、世界的マネジメント会社もバックに付いた。その力でフェデラー(スイス)らトップ選手と練習を積める環境を得て、さらに力を伸ばした。
男子の四大大会で戦後初の決勝進出の夢はお預けとなったが、世界ランクは20位前後に上昇する見通しだ。錦織は「気持ちは一回り強くなった。自分のテニスが通用するということに気持ちの整理がついた」自信を深めた。