膨大な電力消費や偽情報のまん延など、生成AI(人工知能)の弊害が目立ち始めた。
課題を乗り越えて新技術を社会に定着させるには、利用者側の意識変革が欠かせない。スイスのビジネススクールIMDの教授でデジタルトランスフォーメーション(DX)の権威として知られるマイケル・ウェイド氏は企業は新たな責任を直視すべきだと提言する。
国際エネルギー機関(IEA)によると、生成AIの利用拡大を背景に世界のデータセンターの電力消費量は2026年に22年の2.2倍に膨らむ。
――生成AIの爆発的な普及をどうみるか。
「生成AIは仕事の生産性を大幅に向上させ、これまで2時間かかっていた仕事を10分で終わらせられる。企業のDXにとって可能性の大きさは計り知れず、非常にエキサイティングだ」
「ただ、どんなテクノロジーにも負の側面がある。AIにおける課題の一つが大量の電力消費だ。米オープンAIは無数の画像処理半導体(GPU)を使ってAIを学習させている。
GPUは計算時に大量の熱を放出するため、設備の冷却にも膨大なエネルギーが必要になる」
「ユーザーが『Chat(チャット)GPT』に質問を投げかけるたびに、データセンターではコップ1杯分の冷却水が必要になる。
同様に生成AIに1回画像を描かせるには、携帯電話を充電するのとほぼ同じ量の電力が必要だ。AIなどのデジタル技術は世界の温暖化ガスの排出量全体の6%を占める」
――11月の米大統領選を控え、生成AIを悪用した世論誘導への警戒感が強まっているのも気がかりだ。
「米国だけではなく、24年は世界人口のおよそ半分に相当する地域で国のリーダーを決める選挙が行われる。これらの選挙の一つ一つが偽情報の影響を受けると予測している。
すでに米国ではバイデン大統領の声を合成したニセ電話が増え、有権者を混乱させている」
「次に脅威となるのは動画だ。『ディープフェイク』と呼ぶ精巧な偽動画を生成する技術の向上は著しい。
スマートフォンなどの小さな画面であれば、人々は簡単にAIが生成した偽動画を本物だと信じ込んでしまうだろう」
――デジタル技術の台頭と環境や社会の安定は相いれないものになりつつあるということか。
「デジタルとサステナビリティー(持続可能性)という2つの大きな潮流は、これまで互いに独立して進化してきた。デジタルは仮想空間、サステナビリティーは物理的な世界が舞台で、交わることがなかったためだ」
「AIの普及によってデジタルと現実世界の垣根が崩れ、今は2つの潮流が交錯するようになりつつある。両者が相いれない概念というわけではない。状況が変わったと考えるべきだ」
ウェイド氏は「企業のデジタル責任(CDR)」と呼ぶ新たな概念を提唱する
「デジタル技術を使う企業にも意識改革が求められる。産業界に広く浸透した企業の社会的責任(CSR)の考え方では、企業は環境や社会、次世代に配慮した行動を実践するよう求められてきた。
私はこうした取り組みに加えてAIなどの先端テクノロジーに焦点を当てた『企業のデジタル責任(CDR)』という新たな概念を提唱している」
「例えば生成AIの開発企業は学習用のデータから人種的な偏りや差別的な情報を排除し、AIが出力するコンテンツに可能な限り偏見が含まれないよう努めなければならない。知的財産権への配慮も重要なテーマだ」
「もしAIによって人間の仕事を代替する場合に、AIを導入した企業はそれまで従業員が払っていた税金を負担する必要があるといえるだろうか。CDRをめぐっては、多くの興味深い問いが未解決のまま残されている」
欧州連合(EU)の欧州議会は24年3月、「AI法」と呼ぶ包括規制を可決した。生成AIの提供企業には出力するコンテンツがAI製であることを明示するよう求めている。
――すでにCDRの概念を企業経営に取り入れた実例はあるか。
「製薬会社の独メルクはデジタル倫理諮問委員会を設立し、臨床データの利用など倫理的な課題が生じるテーマについて外部の専門的な意見を取り入れている。
独通信大手のドイツテレコムはAIが学習するデータに人種や性別などの偏りがあった場合のリスクを評価している」
「多くの企業で問題になりやすいのは、倫理やサステナビリティーに関する課題がプロジェクトの進行中や完了後に明らかになり、後戻りが難しくなってしまうことだ。
製品やサービスの設計段階からCDRの考え方を取り入れ、早い段階で将来起こりうる課題に対処することが重要だ」
「EUが可決したAI法の各種のルールは段階的に適用が始まる。AIの基盤技術を開発するテクノロジー企業だけでなく、利用する一般の企業にも人権を脅かすような使い方を禁じている。
域内の企業には自社の評価を傷つけたくないというインセンティブが働き、CDRを推進するきっかけになるだろう」
――めまぐるしい環境変化に、企業経営者はどう備えるべきなのか。
「私は『ハイパーアウェアネス』という考え方を推奨している。自社の中核となる事業を取り巻く技術トレンドなどに常に目を向け、変化を鋭く知覚することだ。
インターネットで集めたデータを分析することでも、世の中の変化を読み取ることができる」
「生成AIの基盤技術は18年ごろから開発が進み、専門家の間では議論も盛んだった。それでもほとんどの企業経営者は22年11月にオープンAIがチャットGPTを公開するまで、自社に関連するとは認識していなかった。
ハイパーアウェアネスを高めるにはまずオフィスの外に出て、いろいろな人に会って対話をすることだ」
IMDが64の国・地域を対象にまとめた23年の「世界デジタル競争力ランキング」で日本は過去最低の32位に沈んだ。日本がDXで巻き返すチャンスは残されているのか。
――日本のデジタル競争力は低下の一途だ。トップテン入りした韓国(6位)や台湾(9位)には差を広げられ、中国(19位)にも水をあけられている。
「日本は無線ブロードバンドの普及率が高く、学校における数学教育の水準も高い。32位という日本の順位には私も驚いた」
「時代の変化に対応するにはグローバルな動向に目を向ける必要があるが、日本では海外に比べ経営者や管理職の国際経験が著しく少ない。
日本で働く外国人も、組織にうまく溶け込んでいるとはいえない状況だ」
――日本の産業界が閉塞感を打破することは可能なのか。
「実は私は楽観的だ。日本に科学技術力の強みがあり、核融合発電やロボット工学などの分野で有望な技術を抱える。
特にエネルギー分野では発電と貯蔵に関するイノベーションが世界的に求められている。日本にとってはチャンスだ」
「人口減少が続く日本では、テクノロジーで労働力を代替するニーズが高い。現在主流の生成AIは巨大な計算基盤の上で動作しているが、電力消費の削減に向けては小型化に優れる日本の技術が生かせる。
生成AIに関連する分野で日本がゲームチェンジャーになる可能性は十分にある」
Michael Wade 2010年からIMD教授、グローバルセンター・フォー・デジタルビジネス・トランスフォーメーション所長。イノベーションを専門とし、ビジネスにおけるDXの重要性を説いた第一人者でもある。共著に「ハッキング・デジタル DXの成功法則」など。
AI、国家の勢い左右(インタビュアーから)
ウェイド氏の歯切れよい語り口からは、AIが人類にもたらす影響力に知的好奇心を強く刺激されている印象を受けた。
同氏が「AIが米誌タイムによる2024年の『パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)』に選ばれても驚かない」と表現するように、AIは社会の隅々に一気に浸透しはじめた。
米ゴールドマン・サックスは23年末に公開したリポートで「生成AIの出現は国家間のパワーバランスを変化させる」と指摘した。
高性能の半導体をめぐる米中対立の激化や偽情報のまん延、サイバー戦争の脅威などが背景にある。
日本は23年、主要7カ国(G7)首脳会議の議長国として「広島AIプロセス」を立ち上げ、生成AIに関する国際的なルールづくりを主導する姿勢を示した。テ
クノロジーのあるべき社会実装に向けて、国際社会から期待される役割は決して小さくない。
取材・記事 杜師康佑
写真 宮口穣