「東大史上最高の天才」が挑む”究極の謎”。解明すればノーベル賞?「なぜ生命は動くのか」の答えとは…【ホリエモン×岡田康志】
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エリザベス・ベントリー(1908~1963)
ワシントン行もなくなった彼女に時間の余裕ができた。 ある日、彼女はジャック・レイノルズと会った。
彼は、ワールドツーリスト社が面倒な時期にあらたに設立された新会社U.S.サービス&シッピング社の社長に納まっていた人物だった。 彼は順調に会社を運営していたようだったがNKVD(KGBの前身)はそれによって彼の権限が強化されるのを嫌った。
彼は、「NKVDは僕をラテンアメリカのどこかに放りだしたいようようだ」と語った。 「ところで君はもしモスクワに招待されるようなことがあっても絶対に行ってはだめ だ。 決して好きになれない町だ」と続けた。
彼の言葉を聞き、知り合いだったロソウスキの言葉が浮かんだ。彼はリトアニア・ユダヤ人連盟の会長だった。 「ナチス軍はリトアニアを侵略した。 僕らは赤軍を待ち焦がれた。 しかし解放軍として現れた赤軍はナチスより残虐だった」。
「このことはしゃべらない方が良かったかもしれない。 米国人の連中(共産主義者の仲間)はソビエトのプロパガンダに頭がやられている。 僕はこの素晴らしい国に家族を呼びたいと思っている。 君たちはこの国の悪いところばかり見ている。 どれだけ素晴らしい国かわかっていない。 よその国と比べたら天国だ」。 ベントリーはようやく彼の言葉の意味を理解できた思いがした。
彼女の頭に、FBIに出頭してソビエト・スパイ網の全貌を洗いざらい暴露すべきではないかとの思いが去来し始めたのはこの頃である。 しかしそうした思いは、えも言われる恐怖心で打ち消された。
FBI出頭後に予想されるBKVDによる復讐、職探しも難しくなる将来不安、暴露後の友人たち(スパイたち)の行く末。 寝付けない夜が続き、朝はうなされて起きることが度々だった。自身がNKVDに銃殺される夢を見るのは当然だったが、特にワシントンの仲間たちの処刑の夢を見た。 「お前のせいでこうなった」と恨みの言葉を吐いて死んでいく仲間の姿であった。
悩みぬくベントリーが、暫く冷静になって考えようとコネチカット州の海辺の寒村で休暇をとったのは一九四五年夏のことであった。 海に入り日光浴を楽しみ、できるだけ村人との接触を避けた。
ある日、村の教会の前を通りかかった。 会衆派教会(Congregational Church)であった。 ドアを開けると説教のない平日の昼だけに誰も礼拝者はいなかった。 後部の席にひとり座って静かに祈った。 神がそれに応えたかのように詩編ニ三番が頭に浮かんだ。
「主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のために私を正しい道に導かれる。 たとえ、わたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいをおそれません。 あなたがわたしと共におられるからです」。
ゆっくりと教会の外にでるとまだ太陽の光が眩しかった。
混乱する思考に一筋の明快なロジックが浮かんだのはこの頃であった。 自身がこのまま工作活動から抜け静かに傍観すれば、仲間たちはより深い泥沼にはまる。 FBIに出頭することだけが彼らを救える唯一の道である。
ゴロスの消えた私の人生はおまけのようなもの。 一〇年間、悪い夢を見ていただけなのだ。 こう考えるとベントリーは妙に落ち着いた。 しかしまだ行動に移せなかった。
ニューヨークに戻るとアルとのアポイントがあった。 ところが彼は現れなかった。 彼は単純にまた間違った場所で待っていただけだだったが、彼女はパニックに陥った。 「彼ら(NKVD)は私をもう疑っている」と確信した。
FBIへ出頭したのはこの事件の直後のことであった。 FBI内部にも内通者がいる可能性があるだけに、ワシントンやニューヨークの大きな支局への出頭は危ないと考えた。 彼女が選んだのは、コネチカット州の田舎町ニューヘブンにある支局だった。
一九四五年八月初めの暑い日、彼女はFBIニューヘブン支局の入った建物の中にいた。 ホールウェイ(建物内の廊下)から受付嬢が種類に目を通しているのが見えた。 膝が震え、暫く動けなかった。
勇気を絞り出してオフィス内に葦を踏み入れ、「エージェントの方にお話ししたいのですが」と平静を装って面会を求めた。
「お座りになってお待ちください」と受付嬢は優しかった。膝の震えは続いていた。
応対にでたFBI係官エドワード・コーディに。自身が米国郵船会社の副社長であり、同社はソビエト秘密情報部のフロント組織であると明かした。 コーディは、彼女の告白をそれほど重要視しなかったが、管轄のニュヨーク支局には情報ソースとしての価値があるかもしれないと報告した。
FBIは一〇月半ばに彼女を再聴取したが、信用するに至らずサイコパスではないかと疑った。同局が三度目のインタビューを実施したのは十一月七日のことである。 この日は、ベントリーは覚悟を決めたかのようにスパイの名を具体的に挙げた。 FBIは初めて彼女の告白の深刻さに気付いた。 その内容を至急ワシントン本局に知らせている。
報告はフーバー長官にまで届けられた。 長官はグゼンコ亡命事件との共通性をみてとった。 さらなる情報収集を指示した。 ベントリーへの二乗聴取は二週間以上に渡って続けられ、十一月三〇日にようやく終わった。 彼女がしょめいした調書は一〇八ページもなっていた。
(注:グゼンコ事件とは一九四五年九月はじめに駐カナダ・ソビエト大使館の暗号担当員イーゴル・グゼンコがカナダ政府に亡命を求めた事件。 ベントリーとグゼンコという二つの独立のソースから得られた情報に整合性があることから、ソビエトが米国内に大掛かりなスパイ網を構築している事を、エドガー・フーバーFBI長官は確信)
エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー10 ヴェノナプロジェクトと下院非米活動調査委員会
に続く
(関連情報)
①エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーン-1 生い立ち
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/55a73d48c35a5244541b8bbb66719cb7
➁エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー2 米共産党のオルグ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3399794b8e76265ef17b9e393e818bd4
③エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーン-3 工作員の愛人にhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/870500333779a38b8413afe412175729
④エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーン-4 独ソ提携の余波
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b227cea69ab50121aadac3ce2128e2f4
⑤エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーン-5 独ソ提携の余波
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/014e1509b554cf588a8a0f3ce5803f3e
⑥エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーン-6 筒抜けの米国政府機密https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/28ee1162ea1547543f9f93e65b71ab9c
⑦エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーン-7 NKVDとの確執とゴロスの死
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ee11bb7a5c5ea366c929b44614be2199
⑧エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー8 ベントリーの叛逆;その一:NKVDとの決別
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bc4b0d0dcb184bebabe88f3c9798548c
⑨エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー9 ベントリーの叛逆;そのニ:FBI出頭
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6016bf2c9536c6dc1a13d3867141ad89