1980年代のゴールドマン・サックス証券のオフィス(都内)
米国の投資銀行、ゴールドマン・サックスが日本に進出して半世紀がたつ。高度経済成長を支えた都市銀行や長期信用銀行、証券会社がバブル崩壊などで機能不全に陥るなか、代わりにリスクマネーの供給などを担うようになった。
産業界の節目となる数多くのディールに関わり、日本経済に深く根を張るゴールドマンの歩みを追った。
2024年の大型新規株式公開(IPO)となった東京地下鉄(東京メトロ)。財務省などの株式売り出しの業務全体を取り仕切る「ジョイント・グローバル・コーディネーター(JGC)」に今回もゴールドマン・サックス証券が名を連ねた。
東京メトロを含め、1996年に政府案件の株式売り出しに参入して以降、これまで10回中9回、JGCを担ってきた。
伊藤真理・資本市場本部長は「国の重要な仕事を任されることで日本で一目も二目も置いてもらえる」と話す。23年度に純利益で15期ぶりの高水準になったゴールドマンの日本法人はさらなる反転攻勢を狙う。
創業初期の日本オフィスの外観
1974年、東京に社員2人で事務所を開き、83年には東京支店として営業を始めたゴールドマン。日本進出は比較的早かったが、90年代まではトレーディング業務で収益基盤をつくった米ソロモン・ブラザーズや米モルガン・スタンレーが外資系金融機関として日本では存在感を示していた。
オリジナルTシャツで社員を鼓舞
潮目が変わったのが、第一勧業銀行(現みずほ銀行)を経て85年にゴールドマンに入社し、後に日本法人社長になる持田昌典氏らが進めた「官」に絡む仕事の獲得だった。
大蔵省(現財務省)や政界に独自の人脈を築き、96年の政府による日本たばこ産業(JT)株の第2次売り出しで風穴を開けた。
任されたのがJGCだ。86年の政府によるNTT株の1次売り出し、94年のJT株の1次売り出しでは野村証券などの国内大手証券が手がけたが、主な買い手が国内投資家に限られ、長期保有の海外投資家を呼び込めなかった。売り出し後に株価が低迷する一因ともされた。
そこでゴールドマンが政府に売り込んだのは、同社が抱える米国の分厚い投資家だ。
英国のサッチャー政権下での国有企業の民営化で、米国向けに株式を売り出した実績をアピールし、日本での案件獲得に結びつけた。日本政府にとっても初の保有株の海外売り出しだった。「海外にある先進的な手法やアイデアを徹底的に日本にカスタマイズしてきた」(伊藤氏)
「Eight-ninths」(9件のうち8件)――。持田氏は政府案件を獲得した際にオリジナルのTシャツを作り、チームを鼓舞した。日本との強い関係を示す政府関連は、米国に日本法人の存在感を示す上でも絶対に落とせない案件だった。
日本のゴールドマンの「顔」だった持田前社長
日本に根づくようになったもう一つのきっかけが、不良債権の買い取りだ。バブル崩壊による地価下落などで銀行が持つ不良債権は90年代に膨らんだ。
東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)、住友銀行(現三井住友銀行)、大手生命保険などから不動産担保ローンや経営破綻した企業向け債権を買った。累計で3兆円ほど買い取り、早期にうみを出す必要があった国内大手の再建を支えた。
国内ゴルフ場最大手のアコーディア・ゴルフ、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の案件などを通して一般消費者にもその名が浸透した。業績が傾いた企業の再起に向けたリスクマネー供給を担った。
「絶対にウチにしかできない」
三井住友銀行との関係も見逃せない。旧住友銀行は86年にまだ上場していなかったゴールドマンに出資、その後株式の売却で利益を得た。03年にはゴールドマンが出資した。
17年、不正会計で経営危機にあった東芝による6000億円規模の大型増資も象徴的な案件だ。東芝は野村証券などに資金調達案を依頼したが再建への不透明感が増し、国内の資金の出し手は及び腰になった。
リスクを背負える約60の海外ファンドを短期で集めたゴールドマンの案が選ばれた。「絶対にウチしかできなかった」(幹部)案件で200億円規模の手数料を稼いだ。
「苦しくなってからが練習だ」と語ってきた持田氏の強烈なリーダーシップの下、日本での存在感を高めてきた。
もっとも日本法人の業績は回復基調にあるものの、23年12月期の純利益は391億円と08年3月期の半分程度にとどまる。
2000年代に独壇場だった投資銀行ビジネスを巡る環境は変化しつつある。国内証券が海外での投資家ネットワークを構築し、業績が上向くメガバンクは融資と絡めた提案で攻勢をかける。
居松社長は「ゼロベースで戦略を練る」と語る
海外を目指す日本企業が増えるなか、一部の有力企業への提案に絞るゴールドマンの戦略は、中堅まで広くカバーする国内勢に見劣りするようになった。
自己資金で投資事業を手がけていたため、日本での買収を急増させる投資ファンドの結びつきでも弱さを抱える。
20年余り日本法人を率いた持田氏は23年末に退任し、トレーディング部門出身の居松秀浩社長が就任した。
少数精鋭の戦闘集団といわれてきたゴールドマンも、社員は今や1000人を超える。居松氏は「これまで築き上げた強固な基盤の延長線上にこれからの5年、10年があるとは思っていない。ゼロベースで戦略を練り、変わることを恐れずにやっていく」と決意を新たにする。
貴重な体験談
政府の審議会をあれこれ、お引き受けしていた頃、あれこれコンタクトがありました。
審議会の議事録、発言内容に至るまで丹念に読んで分析されているので、驚いたことがあります。
華やかなビジネスの下にはそういう「地道な」努力があったと感じました。
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小野亮みずほリサーチ&テクノロジーズ 調査部 プリンシパル
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ひとこと解説
GSが官に食い込んだ1990年代は、大蔵省(現金融庁・財務省)への過剰接待など、官と国内大手証券の問題が相次ぎました。
「大蔵省の出先」とまで言われた国内大手と官が没交渉になり、市場の生の情報が政策を作る役所に入らなくなった。
その矛盾を突いたのがGSです。バブル崩壊でしぼんだジャパンマネーに取って代わる米国の投資家を握っていました。
市場の覇者交代は、日本経済のいろんな転機を映しています。
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日経記事2024.12.16より引用
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(関連情報)
・ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3
・ロスチャイルド財閥-170 ゴールドマン・サックス(ロスチャイルド系) vs モルガン・スタンレー(ロックフェラー系) https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/943febf0a3cf5585d1a3a0dae4ac09ca
・ロンバルディアと金融
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d1872758c7062da7c37e31d55d58cf6f
・郵便貯金と簡保マネー解放のための民営化 小泉・安部と竹中平蔵そしてゴールドマン・サックスhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e92387834023c04f2a81181efa86f56d