「私は一隻のフリゲート船に上がっていった。 甲板(かんぱん)には海外移民があふれていて、錨(いかり)が巻き上げられるのを眺めていた。 彼らの間にとときでも留まって彼らが互いに接する際の暖かい真心を見さえすれば、ドルと原始林の国に移住するため祖国を捨てる人々が決して極道者でないという事が分かる。
この国に留まり、真心をもって糧(かて)にせよという金言は、ドイツ人のためにつくられた様にみえるが、実はそうでない。 真心をもって糧とせん者はアメリカへ行く。 少なくともしばしばそうである」。
一八四一年、ブレーメンで見たアメリカ移民の出航風景をこのように書いたのは、二十歳の若いフリード・リッヒ・エンゲルスである。 またカールマルクスは、一八四語五年、ブリュッセルから故郷のトリールの尊敬すべき王国政府支庁より北アメリカ合衆国への移民証を私にお与えくださるよう,謹んでお願い申し上げます。
私のプロイセン王国兵役免除証は、トリール市庁か当地の王国政府支庁のもとに現存する筈です。閣下の忠実な、ドクトール・カール・マルクス」。
二人はアメリカに移住することはなかったが、それでもこれらの文章は世界移民史における新しい時代の到来を示している。
一八一五年、ナポレオン戦争が終わって、大西洋には平和が訪れた。これから第一次世界大戦までのちょうど一世紀間が、自由な移民がアメリカに大流入した時代である。
フランス革命とナポレオン戦争、そして産業革命は、ヨーロッパに新しい時代を切り拓いた。 市民生活に対する国家の規制は弛緩し、西欧諸国は移民の自由化に踏み切った。
重商主義時代の植民とは異なり、移民は海外の独立国家への自由な個人の移住となったのである。 合衆国の方も、国内に五年以上移住した『自由な白人』に帰化権を与え、移民統計をとるだけで、ほとんど制限措置を講じなかった。
パクス・ブリタニカ、すなわちイギリスの世界支配による相対的平和の継続も、自由な移民の流れを容易にしたのだった。