【この説ヤバイ】目に見えない世界は実在するかもしれません。輪廻転生、臨死体験、異世界...すべては松果体のDMTが関係していた!?
https://www.youtube.com/watch?v=jcXzJ9PfulY
(関連情報)
・宇宙人を見た DMTを含む植物と中南米
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/31bbe5576d9e5fce8de7a34ac02dd452
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スウェーデンのクリステション首相㊧と握手する石破首相(4日午後、首相官邸)=共同
石破茂首相は4日に首相官邸で、来日しているスウェーデンのクリステション首相と会談した。2国間の関係を「戦略的パートナー」に格上げすることで一致し、共同声明をとりまとめた。
安全保障や経済など幅広い分野で連携を深める。
ロシアによるウクライナ侵略を受け、スウェーデンは3月に従来の中立政策を転換して米欧の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。
日本とスウェーデンは法の支配といった価値や原則を共有する重要なパートナーという位置づけだった。
石破首相は会談の冒頭で「安全保障の協力を深めたい」と語った。デジタルや科学技術、環境分野などでの協力も着実に積み重ねると強調した。
両首脳は防衛装備・技術協力を具体化していくと確認した。日本から装備品を輸出する際に必要な「防衛装備品・技術移転協定」を両国は結んでいる。
スウェーデンの首相の来日は16年ぶりとなる。
外務省幹部は今回の来日について「中立からNATO加盟を経て、西側と安保分野で協力するというスウェーデン側の意志の表れだ」と説明する。
経済安保分野ではサプライチェーン(供給網)の強靱(きょうじん)化で合意した。
ロシアのウクライナ侵略を重ねて非難し、ウクライナの支援継続を表明した。北朝鮮への対応でも緊密に意思疎通すると申し合わせた。原子力技術などエネルギー分野に関する覚書も交わした。
日経記事2024.12.04より引用
国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・ドイツ)は4日、小学4年と中学2年が対象の国際学力テスト「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」の2023年の結果を発表した。
日本は4教科全てで世界トップレベルを維持する一方で、「理数が得意」とする児童生徒の割合は減少した。
日本は各国と比べて理系人材が少なく、苦手意識が進路選択に影響している可能性がある。
学力は世界3〜6位
TIMSSは60以上の国・地域の教育研究機関で構成するIEAが4年に1回実施する。23年調査は58カ国・地域の小学校と44カ国・地域の中学校が参加した。日本では23年3月、約7800人の小中学生がテストを受けた。
日本の平均点の順位は小4の算数が5位、理科は6位。中2は数学が4位、理科は3位だった。小4理科の順位は前回調査から2つ下げ、過去最低となったが、5位のイングランドとわずか1点差だった。
「ゆとり教育」が続いていた1995年から2011年あたりまで、4教科とも平均点はなかなか改善しなかった。
中2数学は11年には調査開始時を11ポイント下回る570点まで落ち込んだ。一方、新学習指導要領が全面実施され「脱ゆとり教育」が進んだ15年には4教科とも平均点が上がり、それ以降は上位を維持している。
一方で4教科全てで、「得意だ」とする割合が前回調査より減少した。小4理科以外は国際平均を下回った。
「算数は得意」と回答した小4は56%で、国際平均から8ポイント低く、前回調査から9ポイント下げた。「理科は得意」と答えた小4は前回調査を5ポイント下回る81%。中2理科は同2ポイント減の45%だった。
理数系の授業は数式や図形を使った問題を解くなど、児童生徒の生活や関心と結びつきにくくなりがちだ。進学のための受験勉強でより苦手意識が強くなることがかねて日本の課題とされてきた。
筑波大の清水美憲教授(数学教育学)は「小4は新型コロナウイルス禍に低学年期を過ごした。感染拡大期には他の児童との議論に制約があり、プリントを用いた個別学習が中心だった。
このことが、学びの楽しさや得意さを感じる子どもの減少につながった可能性がある」と分析する。
男女別にみると、小4理科以外は、得意と答えた女子が男子に比べそれぞれ20ポイント程度低かった。中学女子は数学・理科ともに2〜3割しか得意だと認識していなかった。
アメリカを語るとき、黒人奴隷制度の歴史を抜きには語れません。
アメリカにおける自由国民と不自由国民
一九年夏、ヴァージニアのジェームズタウンで、二つの事件が起こった。 一つはイギリス領アメリカの最初の植民地議会が招集されたことである。 これはアメリカにおける自由と民主主義の起源となる事件だった。
もう一つは、一隻のオランダ船がやって来て、二十人の黒人を売却したことである。
アメリカにおける自由の起源と不自由の起源とが、同じ時と同じ場所に重なったことは、意味深長な偶然だろうか。 その後も、自由と不不自由との同時存在はアメリカ史を貫いて存続している。
アメリカ独立革命において、全ての人間の平等を謳った独立宣言の起草者トマス・ジェファーソンも、大陸軍総司令官となったジョージ・ワシントンも、一方でヴァージニアの奴隷主だった。
『自由な植民地』が奴隷制度を産み落とした
なぜ、自由と不自由がアメリカで併存したのか。 歴史の浅いアメリカは
封建制度と言う全市を持たず、『自由な植民地』として出発した。 このことは、資本主義の発展を促進する条件となった。
しかし、人が自由で、豊富で安価な土地が存在する『自由な植民地』に展開したのは、不自由な小農民の社会であり、他人のために働く賃金労働者は極めて少なかった。
人々は労働者になるよりも、西部に赴いて自営農民になろうとした。
ヨーロッパ人がアメリカに移住した目的、アメリカ人が西部に赴いた理由は、経済的独立を達成し、『プロレタリア化』を免れることにあったからである。 だから労働力の入手は困難だった。
この問題を解決するための非常手段が、不自由労働力の輸入であった。 封建的束縛から自由だったアメリカが奴隷制度を発展させたのは、まさに植民地の自由な条件にあったのであり、白人の自由と黒人の不自由とは、必然的な因果関係によって結びついていたのである。
北米では先住民の労働力利用が困難である以上、隷属労働力は外部から輸入されなければならなかった。
最初に利用されたのが、白人の年季奉公人だった。しかし、年季があけると彼らは自由人となり、大部分は土地を入手して経済的独立を達成した。したがって、それに代わる労働力が必要となり、黒人奴隷制度が導入されていったのである。
特に南部では、その温暖な気候を利用してヨーロッパでは栽培できない、しかもヨーロッパで需要の大きいタバコ、砂糖、藍、米などの主要商品作物(ステープル・クロップス)を生産する大規模な商業的農業が展開され、黒人奴隷制度がこのような生産体制の労働力を提供した。
これに対して北部は気候条件が冷涼な北西ヨーロッパに類似し、ヨーロッパの欲する農産物を生産する大規模農場制度を発展させず、自由な小農民の多角的な経営が発展し、したがって奴隷制度の本格的展開を見なかった。
ブラック・アフリカの社会
新大陸に奴隷を供給した主な地域は、アフリカ大陸西岸のうちヴェルデ岬からアンゴラにいたる地域であり、とりわけ赤道直下のギニア湾に沿う地帯が最も重要だった。
サハラ砂漠以南のブラック・アフリカは、歴史を欠く原始社会だったのではない。 だいいち、原始人がアメリカに連れて来られても、農業労働者として有能な働きができた筈gない。
アフリカの黒人が奴隷として輸入され始めたのは、彼らがアフリカにおいてかなり高度の社会文化的段階にあったからだった。 広大な西アフリカは多様であり、政治制度をあまり発展させていない狩猟採集民も大勢いたが、だからといって歴史を欠く原始社会が蔽っていたのではなかった。
様々な地域が農業を基盤にして石器時代から金属器(鉄器)時代に移り、牧畜、手工業、鉱山業が起こり、年が生れ、部族制度の上に社会階層制度が形成され、多くの地域に王国が形成されていった。 そして権力の位階制度を発展させ、外征によって支配を拡大し、遠隔地交易を支配して『帝国』を作り上げる場合もあった。
なにより、アメリカに運ばれた黒人奴隷は、白人がアフリカで『捕獲』したものではなかった。 白人は、アフリカ人権力者たちから奴隷を『購入』したのである。
白人がやって来る以前からには奴隷制度が広がっていた。 奴隷とされた圧倒的多数は、戦争による捕虜だったが、捕獲人にさらわれた者、法廷で有罪判決を受けた者、借金や契約の不履行の者も奴隷とされていた。
しかし、奴隷たちは法律上は財産であるが、実際にはかなりの自由を享受しており、『農奴』に似た存在だったと見られちている。 アフリカの奴隷制には、無限の利潤を追求する資本主義的熱狂も、肌の色の相違に基づく人種差別主義もなかった。
アフリカの黒人支配層たちは、ヨーロッパの商品を欲しがった。 たとえば、黄金海岸では武器弾薬、織物、酒類、金属器、金属の延べ板、ビーズなど、百五十種類以上の商品が商われたという。
このように奴隷貿易はヨーロッパ製の安い低品質や子供騙し」のガラクタ
と奴隷との交換ではなかったし、黒人たちは白人たちの言うがままに粗悪品を押し付けられたのでもなかった。
そのような見方は、当時のアフリカ黒人の文化水準に対する蔑視に基づいているというのが、細菌の研究者たちの見解である。
大西洋奴隷貿易
奴隷貿易は、世界資本主義の展開の中で生まれた営利活動だった。まずポルトガル商人が独占したが、十七世紀以降はオランダ、イギリス、フランスの商人たちが大活躍し、たがてイギリスが独占した。
こうして奴隷貿易は、ブラック・アフリカに大きな影響を与えた。 膨大な人口、特に若い男女の労働力の流出、奴隷獲得戦争による荒廃、ヨーロッパ商品の流入による製造業の衰退などが指摘されている。
そこに残された社会はもはや『社会の残骸』だったとか、奴隷交易がアフリカ人から生産意欲を奪い去り、部族相互間の戦いや、掠奪を奨励して、アフリカは『暗黒大陸』になったと説明される場合がある。
奴隷船は、アフリカにトウモロコシ、タピオカ、落花生、カカオなどの栽培植物をもたらし、アフリカ西海岸一帯の食糧事情を少なからず好転させた。
奴隷貿易がもたらした大量の鉄の農具を広範に普及させて農業の生産力を高め、その結果として人口を増加させた。 また、奴隷貿易によってもたらされた大量の武器は、武力を背景とした征服と拡大を不可避にした。
その結果、他の部族との戦争から奴隷が獲得されたのである。
戦争に勝つためには、ヨーロッパ人が持ち込む銃が必要だった。 こうして奴隷貿易は政治的統合が進み、強大化した国家をますます強大にし、弱小集団を犠牲にした。
したがって、ヨーロッパ諸国が支配したのは、沿岸の拠点地域に過ぎなかった。 ブラック・アフリカの南部までヨーロッパ列強によって分割されるのは十九世紀末まで待たねばならない。
しかしいずれにせよ、ブラック・アフリカは近世初頭以来、世界資本主義の周辺部分として編入され、その歴史的歩みを規定されたのである。
奴隷貿易によってもたらされた黒人奴隷の数については、従来の推測では千五百万とか二千万という数字が挙げられ、時には一億以上言った説明さえ見られた。 この問題について最も詳細な統計的研究を行ったアメリカの歴史学者、フィリップ・カーティンは、生きて到着した奴隷の数の合計を約九百六十万人としている。
この中にはアフリカで、また大西洋上の『中間航路』で死んだ者たちは含まれてはいない。
カーティンの調査で驚くべきことは、黒人奴隷たちがどの地域に輸入されたかについての数字である。
アフリカから輸入された奴隷の四割はカリブ海諸島へ、四割がブラジルに運ばれたのであり、イギリス領北米植民地(米国)は四十万人、わずか四%しか占めていない。
我々は近代奴隷制度と言えば、アメリカ合衆国の南部と結びつけてしまうが、実はそれはカリブ海を含めた南北アメリカ大陸全体の精度だったのである。
トヨタ自動車の米新車販売は3カ月ぶりにプラスとなった(ロサンゼルス自動車ショー)
【ニューヨーク=川上梓】
トヨタ自動車など日本車4社が3日発表した11月の米新車販売は前年同月と比べ9%増の41万9753台となり、2カ月連続のプラスだった。
トヨタ自動車はリコール(回収・無償修理)で停止していた車種の販売が再開したほか年末商戦の出足が好調だった。ハイブリッド車(HV)など「電動車」も全体をけん引した。
トヨタは5%増の20万7222台と3カ月ぶりのプラスだった。
リコールで生産停止が続いていた大型多目的スポーツ車(SUV)の「グランドハイランダー」や「TX」の出荷が再開したことに加え、年末商戦の出足が良かった。HVを含む電動車の販売台数は54%増の8万7754台で、全体に占める電動車比率は42.5%だった。
トヨタは販売増について、ブラックフライデーなどの販売が好調だったことに加え、大統領選を前に買い控えていた顧客の購入も背景にあるとみている。
トランプ次期大統領は高関税政策を掲げており、関税前の駆け込み需要も一定程度あるとみられる。
ホンダも15%増の12万1419台で2カ月連続のプラスだった。HVや電気自動車(EV)を含む電動車の販売は65%増の3万9691台だった。
燃費効率が良くコストパフォーマンスの良いHVが全体の伸びをけん引しており、10月以降に行った複数車種のリコールの影響を補った。
スバルは8%増と28カ月連続でプラスだった。主力のSUV「クロストレック」などがけん引した。マツダも21%増と7カ月連続のプラスだった。