魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

Around40

2012-04-08 11:43:37 | 日々のこと

先月末から思わしくない自分の体調

きっかけは義妹が近くに越してくるかもしれないということだった。

ぐるぐるめまいは軽減されたのだけど、4月に入ってもまだ寒いこの気候、朝起きたら雪まで降っている

冷えるとだめだ

この冬、首の後ろがぞくぞくして、あ、あぶないな、と思うことは数回あった。

肩にカイロを貼って、生姜湯をや葛根湯を飲んで、寝込むまでいかないようにやり過ごす。

ここ数年で「病気はならないように予防する」ことが一番大事だな、と思うようになった。なってからでは遅いのだ。

去年入院したのが2月。

出産前から朝までずっと眠ることがなく(お腹が大きいと膀胱が圧迫されてトイレが近くなるので)、出産してからもそれは同じで、慢性の寝不足が3年は続いている

今も眠りは浅いし、娘がぐずるとすぐ眼が覚める。

「いや~寝ちゃったよ、りっちゃんオレ寝てた?」

と呑気なことを言う夫に殺意を覚える日々寝てたから、目覚めたんだろうが

夜になんとなく、頭が痛くなる予兆があり、ぞくぞくしたので葛根湯を飲んで寝たが、朝になっても頭痛は治っていなかった。

セデスを飲んで、横になっていたけど治らず、娘の観ているDVDの音や窓からの光さえも刺激になるくらい痛くなってしまい、ついに以前病院で頓服として処方された薬を飲んで、やっと痛みが治まった。

数日前から肩が痛くて、仕事をしていた時もここまでなるとマッサージに駆け込んだというレベルよりひどくなった

お風呂も、娘と一緒ではなかなかあったまらない。

以前は1時間も入ってあたたまっていたのだから、当然だ。

ゆっくり入ってほかほかになった夫が「暑い」と言って裸でぶらぶらしていたり、ベランダに出たりしているのを見ると(以下略)

しかし、40にさしかかって、身体も変わってくる時期なのだろう。

なるべくストレスになりそうなことからは遠ざかって、自分を守らないと娘が大きくなるのを見守れない気がする。

この波が静まるまで、きっとちょっと長くかかるだろう。

長いスパンで物事を見ないと、心が折れてしまうような気がする

35歳で妊娠したわたしのカルテには、「高齢出産」というスタンプが押してあった。

その時は「ああ、わたしは高齢出産なんだなあ」と思ったけど、そのスタンプの意味は重かった

夫が若ければいいだろうが、うちは夫も40過ぎだから大変だ

加えて、娘はこの冬、医者にかかったのは1回だけだった。彼女は夫のインフルエンザも伝染らなかった。

滅多に発熱することはなく、突発性発疹以外に1回だけ38度以上の熱を出したが、それも一晩で下がった。

つまり、とても丈夫で元気

それは喜ばしいことなんだけど

わたしは3人姉弟なんだけど、姉は小児喘息でしょっちゅう寝込んでいて、弟はとっても大人しい性質の男の子、元気だったのはわたしだけだったが、わたしも丈夫とは言えない子供で、母の日記にはいつも誰かしら具合が悪かったと記されていたそうで。

それは3人子供がいても、そんなに動き回らないし、誰か寝ている、という状態(それはそれで大変だろうが)だから、若い母は3人育てられたのであろう。

元気な娘の相手をするために、休みの日はもっぱら午前中はわたし、午後からは夫、というようにどちらかが娘を連れて外出し、互いに休まないともたない

よく「二人目は?」って聞かれるけど、無理本当に無理

ちょっと未練はあったけど、ここのところの体調の悪さを考えるとふっきれた。

「りおにきょうだいができました、でもママはいなくなってしまいました、じゃ困るから」

と夫がよく言うのだけど、それもうなずける

今はりおのために、長く生きなくては。

この、「休みの日の分業」にはメリットが他にもあって、夫と顔を合わせないから喧嘩しないということだ。

夫が娘を見てくれるから、感謝の気持ちもわくってなもんで

ただ、疲れたパパに怒られて娘が泣きながら帰ってきて、ママにべったり、お風呂でおっぱいを吸う(もう断乳して1年以上たつというのに)、ママ家事できない、という事態になることもあるのだけど

35過ぎて出産、というと親も高齢なわけで。

そうすると、親に子どもをお願いするってこともなかなか難しくなる。下手すると介護と育児が重なる恐れさえあるのだ

姉が出産した頃は、両親も若くてまだ父も現役で働いていた。だからいろいろ買ってもらっていたし、姉もしょっちゅう実家に帰っていた。

そしてわたしも独身だったので、姉の育児をサポートして、休みの日は一緒に出かけたり、病院についていったり、姉が具合が悪いときは会社を休んで(社長が姉の先生だったので理解があった)姪をみたり、週一回休みがあるかないか、土日は仕事、という義兄のほとんど代わりをしていた。

その姉でさえも、わたしがそばにいなくなった今

「命削って育児している」

と言っている。

でも、今わたしには助けてくれる人はいない。

そして誰かにお金を払って預けるほど我が家には余裕がない。

1日、一時保育にだすと2300円、そのお金さえもしぶる夫だ。(それなら自分が娘を見たい、という気持ちも大きい夫でもある)

こういう風に具合が悪いときは、本当に、困ったなあ、と思うだけだ。本当に助けてくれる人はいない。

入院したときはさすがに夫の母が娘を見てくれたけど。

 

今回、夫の妹が近所に住むという話になり、近くのマンションを契約して1週間もたたないうちにキャンセルした。

それについて、土地勘のあるわたしが相談に乗ったり、夫が休みの日に物件を一緒に見に行ったり、いろいろ調べてアドバイスして、遅くまで時間をさいていた。

彼女は契約の直前になって

「近くに住むことでリツコさんがイヤな気にならないか、それで夫婦仲が悪くならないか」

と心配している、と夫から聞いた。そんなの、最初に考えるもんじゃないか?

でも別にかまわない、と話した。

ママ友の実家がその不動産屋さんで、一応挨拶したりした。

それで急なキャンセルである。

理由は「隣が同じ会社の人だから」「隣が外国人だから」。

前者の理由は、契約前に調べれば分かることだろう。(実際、彼女はある伝手から調べられたからキャンセルしたのだ)

後者の理由は・・・個人個人の考え方だろう。

キャンセル料は多分数万円。彼女は「東京に行ったと思えばいいくらいの額」だそうで。

これに夫が怒って何回も何回もグチグチ言っている。

まあ、夫はかなり自分の時間をさいていたのだから気持ちは分かる。

「そんな金があったらりおにアイパッド買ってくれればいいのに

とか見当違いなことを言っている

短大出て、ずっと親と暮らして、月3万円入れてあとは全部自分のお小遣い、車はキャッシュで買い、関東までゴルフ旅行、義母の作ったお弁当を持って会社に行き、飲み会の時は義母が駅まで送迎するのである。

うらやましい限りである。

そんな生活してみたいものである。さぞ仕事に打ち込めることであろう。

しかしそのお金は、ご両親のサポートがあるから出せるお金であり、貯められたお金である。彼女一人の力ではない。

築40年近い家に住み、共働きで60歳まで勤め上げて、家の修理さえ自分でやる義父が貯めた爪に火をともすようにした蓄えがあってこそである。

その彼女は懲りもせず、ハウスメーカーに同級生が勤めているからそこで捜してもらい(だったら最初からそうすればいいじゃないか?)、契約するそうである。

今回の彼女の行動は腑に落ちない。そんなに軽率な人には見えなかった。

何かあるのかな、と思う

 

最近、よく聞くのが「卵子も老化する」ということ。

情報番組で何回か取り上げられているのを観たが、産まれてから女性の卵子は、同じく老化していく。

それなので、どんどん自然妊娠する確立も減っていく。

40歳だかそのくらいになると、人工授精の成功率は1割ほどだとか。

「卵子も老化する、ということを知っていたら、もっと早く考えていた」

とインタビューで言っていた、不妊治療をしている女性。

「結婚したら子供なんて自然に出来ると思っていた」

という人がほとんどだろう。

でも違う。

芸能人で40歳過ぎても出産、などと聞くと、ああまだ大丈夫なんて、独身の頃は思っていた。

でもそうではないのだ。

地方都市のわたしの周りでは、20代で産み始め、30代前半で2.3人産み終わり、40代は大体仕上がっている、というのが普通だ。

だからわたしのように「30代後半で出産、今40にして育児真っ最中」、しかも「実家のサポートなし」なんてのはまれだ。

転勤族で、同じ年代で出産して、という人もいるが、そういう人はしょっちゅう実家に帰っていく。

いいな、とは思うが、自分は自分、やるしかない。

子供が欲しいから結婚した。

35過ぎまで結婚しない、出産しなかったのは自分。実家やきょうだいの近くにいられる人を選ばす、遠くに住むこともわかっていたこと。

全部自分で選んだこと、やるしかない。やるしかないのだ。

そして「自分だけは大丈夫」はない。

当事者になることはいくらでもありえる。

注意深く、生きていかなければ、その身に降りかかったとしても備えが出来ていれば。

わたしは今までの人生、行き当たりばったりであったが、ここにきて、慎重に、計画的にとやっと考えを、生き方を改めようと努力している。

義妹、40を目の前にして、どういう生き方をするのだろう。

一人で行くなら、すべて自分でやる、という覚悟をしなくてはならない。

誰かパートナーを、と願うなら、これからのライフスタイルをよくよく考えて欲しい。自分のことだけでなく、親、また相手の親のことも出てくる。

今まで助けてくれた親は、こあれからは助けを必要とする年齢に、なってきているということを、わたしたち40代はキモに命じておかなくてはならない。

もし、20代のわたしにアドバイス出来るのなら・・・

「出産はなるべく早いうちにしておいた方がいいよ

と強く言いたい。

もし、わたしが20代、せめて30代前半だったら・・・娘にもきょうだいを作ってあげられたのに。

若かったら、無理もきくし、もっと育児を楽しめたのじゃないかな、と思う。

後悔はしても仕方ないが、人生の中で残念なことベスト3に入ることだ。

もし、子供が欲しいと思っているなら、なるべく早く出産するか、サポートできる人の近くに住むか、サポートをお金で買えるくらい豊かな経済力のある男性と結婚することをおすすめする。

そうでないなら、育児・家事に協力を惜しまない男性。しかし、いくら夫が手伝ってくれても夫婦2人での育児はキツイ、ということは確かである。

今を愉しむのは良い。しかし今が楽しいだけではいけない。

見たくないものを見なくても、いつかそれは否応なく目の前に、避けることが出来ない現実としてやってくる。

それは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

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2012年の金環食

2012-04-08 09:50:17 | 日々のこと

大学生の頃、秋田にいる従姉妹のところに遊びに行った

東北の夏は輝かしく、秋田の海は美しかった。

従姉妹は来年大学を卒業する年下の彼との結婚を控え、とても嬉しそうだった

そしてわたしを車に乗せて、いろいろな名所に連れて行ってくれた

その時、ドライブしながらヘビロテでかかっていたのがドリカムだった。

「あなたがいれば 他愛ないこんな時間も 泣けてくるほどしあわせな気持ちになれる」

従姉妹はそういう気持ちだったんだろう。

「未来予想図」は大学時代の親友と彼氏のテーマ曲のようなもので、知っていたけれどドリカムをよく聴いたのはこれが初めてだった。

「2012年の金環食」まで待っているから、とびきりの太陽のリングを贈って、という歌詞の歌は印象強くのこっている。

「2012年ってすごい先だな・・・そんな先ならこんなわたしと一緒にいてくれるひとがいるかもしれない・・・」

くらいしか思ってなかった自分は、永遠に20代が続くような気持ちの若者であり、バカモノであった。

そして2012年。やってきた・・・。

 

吉田美和さんが結婚された

年末の紅白は体調不良で出演せず、とても残念だったのだが、こんな嬉しいニュース(古くてスミマセン)を聞かせてくれた

最近は化粧品のCMで、輝く美しい彼女を見ることが出来て嬉しい

わたしは、あまたいるシンガーの中で、彼女自体が「神様の楽器」だと思うひとりである。

彼女がNHKだったと思うが

「私自身、音楽の力というものを信じられなかったときもあったけど、今は歌を届けたい」

というようなことを言っていたのを聞いた。

本当の闇の底に立ったとき、そこに光なんてない。そう思うものだ。

どんなことばも、響かない。聴こえない、見えない。

そんな場所に立ったことのあるひとなら分かる。

音楽なんて。そう思う。

でも人は回復する。

しみわたるように、音は降ってきて人を癒す。

それを知っているひとだ、と思った。

その彼女がまた歌い、そして人を愛し、一緒に歩いていける人を見つけた。

しみじみと、嬉しいことだ。

彼女の「なんどでも」や「朝がまた来る」にどのくらい励まされ、立ち上がれたか。

わたしはドリカムの熱心なファン、とは言えないが、つらいとき、涙が止まらないとき、隣で肩を抱いて歌ってくれるような彼女の声が支えになった。

彼女の声に音楽の力を感じた。

美和さん、おめでとう。

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「3月のライオン」7巻

2012-04-08 00:17:20 | 本・映画・テレビのこと

ワタシ、かなり「ハチミツとクローバー」が好きで、好きすぎてちょっとおかしくなった時期もある

海羽野チカさんの次の連載「3月のライオン」みたさに、ヤングアニマルを立ち読みする怪しいオバチャンです

「3月のライオン」の新刊が出ているのを、本屋さんに行ってヤングアニマルで知り、即購入

「大奥」「花よりも花の如く」「聖☆おにいさん」とこの漫画は買い続けています

ヤングアニマルを立ち読みしていた時に、いじめにあったひなたが大粒の涙を流しながら零に言ったことば。

それを見ながら本屋で泣きそうになったオバチャン。やばかった

いじめ、とはいかないかもしれないが、友達から冷たくされたり、ひとりぼっちになった時ってあった。

わたしは小学生の頃から高校卒業までずっと違和感を持ちつつも周りにあわせてやってきたが、ある時期から一人でいることにした。

高校の時はお弁当を友達と食べたあとは部室に行って受験勉強をしたり本を読んだりしてひとりになった。楽だった。

本を読むのが今も好きだ

本を読んでいれば、一人ではなかった。

理不尽な思いもした。なんで、人の気持ちを想像できないんだろう、とよく思った。

想像力の欠如は暴力だ。

そう思った時のことを、思い出した。

そう、「わたしは悪くなんかない」。

ひなたが言い切った。言い切ってくれた。その時、わたしは零と同じに救われた。

全国に、そういう人がたくさんいたのではないか。

ひなたへのいじめは、彼女が胃を痛めためたり、修学旅行の自由行動をひとりで川原で過ごしたりしながらもけっして屈しなかったその結果、学校の介入で一応の決着をみる。(あくまで一応だけど☆)

そしてひなたの前にいじめられていたちほちゃんからの手紙がくる。

「よかったね

とオバチャンは胸が熱くなった

「わたし、許さなくていいですか」

とひなたが学年主任に言う。

「教育か。教のあとに育がついてなけりゃ、とっくに投げてる」

とつぶやく学年主任。深い・・・。

主人公の高校生棋士・零は名人・宗谷との記念対局に。

「かろうじて将棋を指すことでひとのかたちをたもっている鬼」と言われる宗谷と、零はどんな闘いが出来るのか。

しかし海羽野さんの漫画には名脇役が多数登場する

前巻で二階堂と対局した順慶、島田八段、科学部のノグチくん・・・その人たちも描きつつ、物語はすすむ。

この人はどこまで行くんだろう。

ほんと、続きが楽しみな物語です

 

 

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