こんばんは。
めっきり冷え込んできましたね!
急に気温が下がって、身体がびっくりしてるみたいです。
冷えからか、頭痛や腹痛になっている人も周りに多くて。
私は靴下を二枚履きして、首元はハイネックにしていったせいか、頭痛になりそうな痛みがあったのですがセーフでした!
数年前から五本指靴下一枚と日常で履いている靴下の二枚履きを始めて、朝夕熱い白湯を飲むようにしたからか、つらい冷えが解消されてきたような気がします。
そして、今年はあたたかいこたつの下に敷くラグを購入し、こたつとみかんもセットし、ホカホカになりました。
娘も「こたつ出してよかったね~!」とゴロゴロ。
わたしは娘のことを叱ることも多いのですが、やっぱり娘には甘くて、娘が「欲しい」と言えば手に入れるように頑張ってしまう。
「ママ、わたしのために、ありがとう」
という娘の笑顔を見たくて。
たまにADHDとアスペルガーの傾向があると診断された娘を育てる大変さに、本当につらくなってしまうこともあるのですが、やはり娘は可愛い。
娘と眠る前に必ず
「りおはママの宝物」「ママはりおの宝物」
と娘のいうところの「あいことば」を言うのです。
娘は本当にいろいろな言葉を覚えてきて、驚かされます。
4月に入学して、教室で授業中にふらふらと席を立っていたり、授業に参加せず椅子に反って座っていたりしたころとは格段に成長して、先日の参観日ではたくさん手を挙げて発言していました。
揉めていたお友達とも仲良くできるようになり、その子が「りおちゃんと仲良くなれて良かった」と言いに来てくれた時は、涙が出てしまいました。
こどもはずっとこどもではないのだな、と思います。
どんどん、成長していく。光の方に。
わたしも、成長したい。死ぬまで、成長したい。より良い方に。
今、いろいろなものを処分して、暮らしやすいようにうちを整えています。
ものを減らして整理して、いらないものは譲って、なにかいちいち探すストレスから解放されたくて。
うちに帰ってきて、居心地の良い一番の場所にしたくて。
小学校の頃からうちにあったカリモクのソファ。
さすがにへたってしまって、ついに処分したのですが、ここでこどもたちはよくごろんと横になって眠っていました。
そういうソファも欲しいなと思います。
母と父が選んだソファは、本当に雲の上に寝転んだようにふわふわで、わたしは日記に書いていました。
母がいなくなるまで家族に寄り添ってくれたソファ。
そんなソファが欲しくて。
家族の思い出となるようなものが欲しくて。
ずっと、娘を支えてくれる思い出になるような家具が。
今、いろいろ考えているところです。
わたしと娘が、住んでいたところから逃げてきた季節が巡ってきました。
寒かったはずなのに、なぜかあまり憶えていないのです。
ただ、片手にトランク、片手に娘の手を引いて、ホームから見える自分のうちだった部屋の窓を見上げ、駅のホームから電車に乗った時の、ほっとした気持ち、新幹線に乗って姉に連絡した時のああ、もう大丈夫だ、という気持ち。
それだけが強く心に残っています。
今、生活している中で、体調を崩した時
「38度の熱が出たのに歩いて自分で病院に行って、午後からパパの友達夫婦が家に来る接待を解熱剤飲んでやったなあ」
とか、コープのカニのトマトクリームソースでパスタを作っていた時に、
「仕事から帰ったらパパがこれで作ってくれていたけど、二人前のパスタに一人前のソースしかかけてくれなくて、うすいパスタを食べたなあ」
とか(わたしが作って夫に出すときはもちろん一人一人前のソースで出していて、どんなものか分かっているはずなのです)、床暖房をつけたら嫌な顔されたこととか、いろいろふっと思い出すんですよ。
「あたたかい」
って幸せなことなんだなあ、と思います。
寒かったら暖かくできて、それって豊かな事なんだなあって。
お金のことは不安だし、有り余ってるわけではないですが、自分のやりくりでなんとかできる。
気兼ねすることなく、娘と笑いあって暮らせる。
帰ってきて、自分の機嫌で怒鳴るひともいない。
元夫との思い出は、良いことももちろんありました。
だからこそ、八年も一緒にいたのです。
でも、今から思うと、りおが生まれて一ヵ月たったくらいのあの時、授乳しているりおをわたしの腕から取り上げて自室に籠り、「お前は悪い母親だから、この子は実家で育てる」などと言って火が付いたように泣く赤ちゃんを返さなかったあの時に、警察を呼ぶと言ったらやっと出てきて土下座してきたあの時に、「この人は普通じゃない」と感じたあの時に、離れていればよかった、とは思います。
そうしたら、娘も怒鳴られて大きくなることもなかったし、夫婦で諍う姿を見せなくてよかったのに。
後悔します、でももうリカバーするしかないです。
「民衆の歌」ってご存知ですか?
最近、この曲が聴きたくて。音楽ってすごく聴きたくなる歌があるんです、時々。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」のなかの革命を起こそうとする民衆たちが歌う歌なんですが、とても力が湧いてくる歌詞をメロディーなのです。
この歌以外に「オン・マイ・オウン」という歌があるのですが、叶わぬ恋を歌った日本語の歌詞に
「あの人 わたしをいらない」
というところを聴いた途端に、涙が溢れてしまいました。
わたしは、26の時に夫になった人と出会い、恋は叶わなかった。捨てられた。
「あの人は、わたしをいらない」
そうはっきり感じて、ひとりで泣いたことがたくさんあった。
でも、それから8年たって、彼から連絡がきて、結婚することになった。
どんなに、わたしが幸せだったか。その瞬間、わたしは「世界一幸せだ」と感じたこともあったのだ。
元夫は、わたしのことはいらなかったんだな、と今、思います。
自分のことを愛してくれなくなった女、自分の役に立たなくなった女。
わたしは彼を愛していたのだろうか?
誰よりも、世界を引き換えにしてもあの人が欲しかった。
そういう時もあったのです。頭がおかしいほど、同じフロアに彼がいることが、探さなくてもわかったほど、彼が好きだった。
でも。
なにが、そんなに好きだったんでしょうか。
彼に会ったことで、わたしは仕事も変えたし住むところも変えた。
彼はわたしの運命を大きく変えた人ではあります。
彼に会わなかったらどうなっていたんだろうか。
そう考えることがあります。
今も結婚してなくて、仕事していたかもしれない。
そして娘には会えなかった。
そう考えると、彼と出会わなかったら、という選択肢はわたしの前から消えてしまうのです。
今、やっとわたしは離婚して、元夫と離れ、自分の人生を自分の手に取り戻した気がします。
脳梗塞をやったせいか、最近いやなことはどんどん忘れていくのです。
強い感情も、どんどん忘れていくのです。
いやだな、と思ったことも、ま、いいやに変わるサイクルが短くなってる。
でもそれがいやでなく、むしろとても生きやすくなって、元夫にされたことも、以前のように強い感情で思い出すのではなく、「あんなことがあっていやだったなあ~」というくらいなのです。
「もう過ぎたこと」
わたしには人を恨んだり憎んだりするエネルギーが残ってないというか。
娘と笑って毎日を過ごしていくことに使いたい。
わたし、ひょっとして今まで一番幸せなのかもしれません。