晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

マイケル・ブレイク 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』

2011-03-27 | 海外作家 ハ
原作を読んで、そのあとに映像化された作品を観てガッカリした、
あるいは、先に映像を観て、そのあとに原作を読んで、原作のほう
が素晴らしいと思ったりすることもありますが、どちらも素晴らし
いと思える作品には滅多にお目にかかれないのです。
が、このマイケル・ブレイクの作品、ケビン・コスナーの監督、主演
で映画化された『ダンス・ウィズ・ウルブズ』は、どちらを先に
(原作→映画、映画→原作)しても、その両方に感嘆するでしょう。

1860年代のアメリカ、ミシシッピ川以西はまだ手つかずの自然が
残されていました。「自然」とは、そこで暮らす動物たち、そして
その動物たちと上手く共生していた人間の部族たち。
そしてここでいう「手つかず」とは、はるか東のさらに海の向こうから
来た、肌の白い、口髭をたくわえ、それまで見たことのない「馬」と
いう動物にまたがりやって来た「侵略者」のこと。

この時代、すでに「アメリカ合衆国」は誕生していて、その領土は
どんどんと西に拡がっていき、“インディアン”たちは、その住処を
奪われ、狭められていったのです。

そして、南北戦争が起こります。まだ見ぬ西部に魅力を感じたひとりの
青年、ダンバー中尉は、みずからセジウィック砦への配属を志願します。

しかし、その「勤務地」は、みすぼらしい小屋があるだけで、さらに
前任の兵はどこにも見当たりません。過酷な環境に逃げ出してしまった
のか、それとも、殺されてしまったのか。

いずれにしても、ダンバーにとってまずは荒れ果てた小屋の修理をはじ
めなければならず(すでにこの地まで付いて来た御者は帰ってしまった)
当面は日誌をつけて過ごします。
そんな辺境の暮らしの中で、ひとつの楽しみといえば、年老いた狼が
小屋の辺りをうろついて、はじめは警戒していたのですが、徐々に
ダンバーと打ち解けてきたのか、投げやったベーコンを食べたりする
ようになります。
その狼は前足の先が白く、ダンバーは「ツー・ソックス」と名付けます。

この砦から少し離れたところに、コマンチという部族の集落があり、
彼らは、肌の白い、口髭をたくわえた集団がかつていた砦の小屋に、
同じ種の男がひとりいることを発見。
一方、ダンバーもこの近くに部族がいることがわかり、彼らの集落の
位置を確かめます。

ある日、砦近くの泉に出向いたダンバーは、人がいるのを発見します。
それは女性で、なんと自分の体を切っていたのです。
女性の服装こそ、先住民族のそれだったのですが、顔や髪は、どうみて
も、ダンバーと同じ人種のもの、つまり白人だったのです。

じつはこの女性は、コマンチの部族が襲ったある白人の家で、生け捕りに
した女の子で、彼女はコマンチとして成長し、コマンチの男と結婚して
その夫が戦死して、悲しみのために自分で命を絶とうとしていたのです。

ダンバーは気を失った女性を馬に乗せて、集落へ連れていきます。
なんといっても驚いたのはコマンチの人たち。
馬に乗った口髭の男が、<拳を握り立つ>を抱えていたのです。しかし、
どうやら口髭の男に敵意のようなものは見えず、<拳を握り立つ>は
集落へ戻ることに。

コマンチでは、独特な名前がひとりひとりについていて、女性の名前は
もちろん、他にも<十頭の熊><蹴る鳥>などがいて、その人間の特徴を
名前として呼ぶのですが、ある夜にダンバー中尉が狼「ツー・ソックス」
と遊んでいたのを目撃したコマンチの男は、彼を<狼と踊る>と名付けます。

ここから、ダンバーとコマンチ族との交流がはじまります。はじめこそ、
我々の土地を奪い仲間を殺してきた白い肌の男が、なぜ我々に溶け込もう
としているのか、部族内でも意見が分かれますが、ダンバーには純粋な
好奇心、そして酋長は彼を何かに利用できれば、ということで、<拳を
握り立つ>を通訳にしようとするのですが、なにしろ小さい頃に連れて
こられたので、すでに英語は記憶の奥底に沈んでいて、思い出すのもやっと。

徐々にダンバーは打ち解けてゆき、そのうち砦よりも集落で過ごす時間が
長くなっていき、バッファロー狩りのときには白人に先を越されて、彼らの
問答無用の殺戮に怒りをおぼえるようになります。

インディアンに感化されていったというわけではなく、ダンバーに
とって、この生活こそ自分の求めていたものだと実感するのです。

人間は特別な存在などではなく、晴れや雨の日、草木や山川、動物たち
と同じくこの大地に存在する生き物として、自然を敬い、自然に恐怖します。

とても美しい作品です。
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グラハム・ハンコック 『惑星の暗号』

2011-02-21 | 海外作家 ハ
なんでも、グラハム・ハンコックは、あのエジプト考古学の
第一人者ザヒ・ハワスを敵に回して、強引な調査だの持論だの
をぶつけていたそうで、まあ「神々の指紋「創世の守護神」が
ベストセラーになったことで、いくぶん強気(中には「そりゃ
こじつけが強すぎない?」というのもありますが)な展開に
持っていこうとして、それが反感を買ったりなどもしている
ようで。

今作『惑星の暗号』は、エジプトやインカといった”地球の”
古代文明ではなく、火星。

ご存知の方も多いと思いますが、1976年に火星探査バイキング
1号が撮影した、火星の「顔」。
のように見える、いやいや、あれはたんなる模様だ、などと議論が
あったようで、かのカール・せーガンも文中に登場し、彼はNASA
の見解と同じく「あれは自然にできた顔のように見える山」と
主張しています。

しかしそこはハンコック、どうしても「顔」が自然にできたものでは
なく、人工なのでは?と思われる証拠を集めます。

火星には「顔」だけではなく、たとえば北半球と南半球の平均高度が
数千メートルも違ったり、「顔」近くに謎の小さい丘の群集があり、
その位置というか配列が、自然にできたものとは思えない、らしいです。
さらに、5角形ピラミッドというのもあるようで、これに線を引いて
調べていくと、ある数学的定数が出てくる、などなど。

その他にも、火星はなぜ死の星になったのか、隕石(小惑星)の衝突
だとすれば、6500万年前に恐竜をはじめとした生命が大絶滅した
ユカタン半島に落ちた例の「事件」がいつ起きても不思議ではない、と。

そして、1万2千年前に氷河期が終わった原因も、地球の問題ではなく、
外的要因、つまり隕石なり小惑星なりが衝突して、いっきに海面が上昇
して、ほぼ現在の陸地と同じ形になった、と。

まあ、「信じるか信じないかは、あなた次第」といったことですね。
胡散臭いというわけではなく、宇宙にロマンを馳せるのが大好きな人
にとっては最高に面白い作品です。
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フィリップ・プルマン 『神秘の短剣』

2011-01-31 | 海外作家 ハ
「ライラの冒険」シリーズの第2作、前作「黄金の羅針盤」では、
今のこの世界とは似てはいるものの、どこか”ちょっと違う”世界
でのお話で、人間には「ダイモン」という動物の守護聖霊がついて
いて、子どもの頃のダイモンはいろんな動物の姿に変身できるの
ですが、大人になると、ダイモンは1種類に固定されます。
そのダイモンが人間と切り離されると、生きながら死んでいるような
状態になってしまい、ある研究組織が、恐ろしいことに、子どもの
ダイモンを切り離す実験をしていたのです。

その組織をつきとめ、施設から子どもを開放するライラ一団、
そして、別の世界へ行く裂け目を通って・・・というのが前作。

その「別の世界」では、少年ウィルが、ウィルと母親のまわりをうろつく
謎の男たちの一人を殺してしまい、母親を信頼のおける知り合いのもとへ
預け、ウィルは逃げます。

どうやら、その男たちは、冒険に旅立ったまま行方不明になった父から
来た手紙を探していたようなのです。

一方、別の世界に来たライラ。その街には、大人はどこにもいなく、
子どもたちしかいません。

ウィルは、謎の“裂け目”を発見し、そこをくぐると、ある街に出ます。
そこでライラとウィルは出会うのです・・・

ここから話は、あっちの世界、こっちの世界とめまぐるしく変わり、
ウィルの父親探し、そしてライラの父親探し、それを追うライラの母親、
前作に出てきた魔女や気球乗りもライラの行方を探します。
そしてふたりは「神秘の短剣」を探しますが、ウィルの世界のある人物に
ライラの真理計が盗まれてしまい・・・

前作とくらべて、話の範囲が急激に広がって、読んでる途中に「あれ、今は
どっちの世界だ?」なんて混同してしまいますが、とにかくこの世界観が
面白いです。
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フレデリック・フォーサイス 『戦争の犠牲者』

2010-12-17 | 海外作家 ハ
イギリスの情報機関SISのサム・マクレディは、各国の諜報部では
知らないものがいない、優秀なエージェント。しかし20世紀の終わ
りに、東欧諸国の共産主義体制の崩壊ならびにソ連邦の解体が、それ
まで自由陣営で東側の情報を握っていた機関に、規模縮小という波と
なっておとずれます。先陣を切ってその槍玉に挙げられたのが、マク
レディ本人。
かつて、死と隣り合わせの綱渡りで数々の東側の情報をイギリスにも
たらした栄光を尻目に、彼に引退勧告同然の、指導教官というポスト
に就けという上層部からのお達し。しかし、その裏には、局内にかな
りの信望者と影響力を持つマクレディをスケープゴートにし、その後
局内の縮小をスムーズに執り行いたいという思惑があり、当然これに
反発(時代の趨勢には抗わず、一応のかたちだけの反発)したマクレ
ディと彼が部長を務める部内職員が、聴聞会の開催を要求します。

この聴聞会で、かつてマクレディが母国イギリスのために身体を張り
貢献してきたという武勇伝が語られてゆきます。
これが「マクレディシリーズ」4部作であり、『戦争の犠牲者』は3作目。

だいぶ前に1作、2作目と読んで、それからこの『戦争の犠牲者』を
読まずに先に4作目を読んでしまい、そこから時間が経って、ようやく
任務終了、ならぬ、全部読了。

北アフリカのリビア、ここの軍事政権トップであるカダフィ大佐は、
西側諸国からの攻撃の復讐に燃えて、イギリスのIRAに武器を渡し、
代わりにロンドンを火の海にしようと画策。

この情報をいちはやくキャッチしたイギリス情報部は、リビアからの
武器輸送ルートをキャッチし阻止するためにマクレディに託します。
しかしマクレディは、ルート捜索をするには西側にも東側にも顔が割れて
おり、自由に行動できません。そこで彼が白羽の矢を立てたのは、
かつて諜報部にいて、現在は田舎に引っ込み作家活動をしている、
トム・ロウズ。

しかし、ロウズは首をたてに振ろうとはしませんが、マクレディは、敵の
一人には、昔ロウズと“因縁”のある男がいると教え、ロウズはふたたび
テロリストとあいまみえることに・・・

この作品(マクレディシリーズ4作)は、他の作品に比べれば、やや短い
(といっても、中編よりやや長め)のですが、その分、中身がぎっしりと
つまって読み応えのある、といった印象。

西側を主人公にすると、まあ東側つまり共産圏が悪という構図に仕立てる
のは定石といいますか、フォーサイスの描く人物は、西も東も、純粋な
善も悪もそこにはない、ある意味イデオロギーという見えない「枷」の
被害者たち、というふうに見えます。


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フレデリック・フォーサイス 『マンハッタンの怪人』

2010-09-23 | 海外作家 ハ
「オペラ座の怪人」といえば、ミュージカルの不朽の名作、しかしそれは、
天才作曲家、アンドリュー・ロイド・ウェバーが掘り起こし、泥を洗い落とし、
研磨してできたもので、原作が世に出た1911年、それなりに話題には
なったもののすぐに下火となり、そしてその後、海を渡ってアメリカで
映画として話題になります。ところがその内容はフランケンシュタインや
ドラキュラといった恐怖キャラとしての「怪人」扱いとなり、本筋の悲恋は
脇に追いやられた格好となってしまったのです。

さらに、フォーサイスが「続編」を書くにあたって、原作の「拙い」部分を
幾つか指摘。原作を読んだ方なら、ああ、だから読みづらかったのか、と
よく分かる解説です。

そして、登場人物の設定をやや変更、原作の不足分を補足しつつ、舞台の
本番中に主演の女優を誘拐、オペラ座の地下に連れ去るも、追っ手が迫り、
女優クリスティーヌは怪人からの愛を拒否、怪人エリク・ムルハイムは
まんまと逃げ遂せて・・・からの話の続き。

元オペラ座バレエ監督のアントワネット・ジリー(原作では掃除婦)は、自分
の死期が迫っていると悟り、神父を呼び、懺悔をします。
まだ娘も小さかった頃、見世物小屋で酷い扱いをうけていた少年がいて、
見るにみかねて、夜中にその少年を小屋から連れ出します。ジリーにとっては
正義感の行為であったのですが、じっさいには「商品」を盗んだことになる
のです。
この行為に関しては、神父は罪ではないと赦されます。
顔半分が変形していたこの少年は、ジリーの家で生まれてはじめてという入浴
をさせてもらい、怪我の治療もされ、栄養たっぷりの食べ物も与えられます。
そしてジリーはこの少年をオペラ座へと連れてゆくのですが、ここで少年は
自分の住処を見つけたとばかりに、オペラ座の複雑に入り組んだ地下に住み着く
ことになります。
そこで、オペラに関する蔵書を読みふけり、もともとサーカス団に所属していた
という身軽さと、父親譲りの大工の技術で、地下を少年の帝国へと変えていった
のです。

そう、この少年こそ、その後オペラ座に伝わる「幽霊伝説」つまり怪人の正体
だったのです。
そして、女優と恋人である子爵を誘拐し、逃げ遂せたのは、じつはそこにジリー
が関わっていたのです。
エリクはその後、アメリカへと渡り、さながら無法地帯だったニューヨークで
才覚と知恵でぐんぐんと金持ちへと成長し、そしてついにはマンハッタン指折り
の富豪となります。

ジリーは、手紙をエリクに渡してほしいと弁護士に頼みます。弁護士は地元の
新聞記者と知り合い、エリクの手元に渡ります。それを読み、エリクは衝撃を
受けるのです。

オペラ座の事件から13年が経過、今やヨーロッパじゅうで有名となったクリス
ティーヌ・ド・シャニーは、息子ピエールと大西洋を渡り、ニューヨークの
オペラハウスで公演を行うことに・・・

「ロマンスとスリルを新たに加え、怪人をかくも魅惑的な人物に仕立て上げた」
とアンドリュー・ロイド・ウェバーに言わしめるほどの素晴らしい作品です。

そういえば、ジェームス・ボンドの新シリーズを、ジェフリー・ディーヴァー
が書くことになるというニュースが数ヶ月前に流れてきましたが、うーん、
個人的にはフォーサイスに書いてほしかった・・・
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フレデリック・フォーサイス 『神の拳』

2010-09-15 | 海外作家 ハ
アフガニスタンで誘拐されていた日本人ジャーナリストが開放
されて、帰国しましたが、そのジャーナリストが、じつは犯行
グループは政府側なのではないか、やたらと「グループはタリバン
だと言え」と強制された、などと、なにやらきな臭い証言をされ
ていました。

2001年9月11日、同時多発テロから9年、頭のアレなアメリカ人
が、その日にイスラムの経典「コーラン」を燃やす、などといった愚行
を予告しました。

政府が腐敗しているのはなにもアラブ・イスラム諸国だけではありませ
んし、さらに、非道な犯罪は大小問わずどこでも起きます。
かんたんにアラブ人あるいはイスラム教を悪魔視することこそ、心に
悪魔が入り込んでいる人のなせる行為なのではないでしょうか。

『神の拳』は、1990年にイラクがクウェートに侵攻し、国連軍が
撤退させる「湾岸戦争」の史実をもとに書かれていて、しかしそこには
歴史の事実には書かれていなかった、イラクは大量破壊兵器をすでに
持っていたのでは・・・そして、なぜ湾岸戦争のさいに、サダム・フセイン
政権を崩壊させなかったのか・・・というフォーサイスの「隠し味」が
加わって、スリル満点の作品に仕上がっています。

ベルギーで、兵器(砲弾)開発の権威である博士が暗殺されます。
この博士は、イラクのロケット兵器開発の技術協力をしていて、
博士の暗殺された前後、ヨーロッパ各地で、イラクに向けてさまざま
な「製品」が輸出されていますが、はたしてそれが何に使われるかは
各国情報機関が調べても「ぴん」とはこなかったのです。

そして、イラクはサダム・フセイン大統領の命令により、産油割当量の問題、
、借金の棒引き、そして、「もともとクウェートはイラクの19番目の
州であった」という大義のもとに、侵攻をはじめます。
あっという間にクウェートはイラク軍の手に落ち、支配がはじまります。

当然、それを黙って見過ごすはずはないのがアメリカ、イギリス。
ただちに国連で平和維持軍の派遣を要請、イラクに、期限をもうけさせて、
クウェートから撤退しないと、こちらも本気で行くぞ、と。
しかし、米英両国は、サダムの真の狙いがよくわからず、また、むやみに
一般市民の犠牲も出したくなく、イギリス政府はアラブに精通する学者に
相談、そして、その学者の兄に、ある「任務」のためにクウェートに潜入
せよ、と白羽の矢が立てられました。

この兄とは、イギリス軍の特殊部隊に所属する少佐、マイク・マーチン。
マイクと弟テリー兄弟はイラク生まれで、幼いころからアラビア語を話し、
そして何より、兄マイクの「顔」は、肉親の血の影響でアラブ人の特徴が
色濃く出ていたのです。

多国籍軍はじわじわとサウジアラビアのクウェート国境に集結、軍備を
整えはじめている中、マイクは一人、クウェートに潜入するのです。

べドウィンという流浪民族に扮装し、クウェート人の富豪や若者を味方
につけ、小規模なレジスタンス運動をはじめます。

そのうち、イラクには「奥の手」があるのではないのか、フセインの余裕
はそれではないのかとの疑問が米英の情報機関または有識者による分析で
分かってきます。
そしてそれは、イラクが所有する「神の拳」という“何か”であるのです
が、一体「神の拳」とは何か・・・

ただちに、マイクはクウェートでの任務を終え、サウジアラビアに帰還、
すぐさま、こんどはイラクに潜入、「神の拳」とは何かを突き止めるべく、
かつてイスラエルがコンタクトしていたスパイで、イラクの政府高官、
あるいは軍部中枢と思われる「ジェリコ」から情報を得るために、バグダッド
へ向かうのですが・・・

この「ジェリコ」は、フセインの会議に出席できる十数名の、イラク政府内
のトップ中のトップで、内部情報はいずれも信用のおけるもので、中には
衝撃的な内容もあり、それと引き換えにアメリカのCIAは大金をオーストリア
のある銀行口座に振り込みます。
その口座から「ジェリコ」は何者なのか、イスラエルの諜報機関「モサド」は
調べようとして・・・

相変わらず、ハラハラドキドキ、衝撃のクライマックス、肉厚な物語構成、
登場人物の個性が際立ち、情景描写も素晴らしく、そして「湾岸戦争」という
じっさいの出来事に沿って進行していくので、リアル感が増します。

湾岸戦争の後、同時多発テロがあり、アメリカはアフガンと戦争、さらに
イラク戦争、ついにサダム・フセインは捕われます。
しかし、そもそもイラク戦争は「大量破壊兵器の保持」のためにアメリカは
戦争をしかけたのに、ふたを開けてみたら、大量破壊兵器は無かったのです。
「持ってるぞ」とはったりで脅しをかけるほうが悪い、査察を認めていれば
よかった、という意見もありますが、では戦争の大義とは何か。それによって
死んでいった兵士、一般市民は何のために命を落としたのか。

終章に書かれた、フォーサイスの言葉が胸をうちます。

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フレデリック・フォーサイス 『アヴェンジャー』

2010-06-07 | 海外作家 ハ
つい2ヶ月ほど前にはじめたツイッターなのですが、共通の趣味というか、
たとえば「誰それという作家の○○という小説を読了」などと“つぶやく”と、
それが検索ワードとして検索で探せるというシステムがあり、先日
「フレデリック・フォーサイス」でかけてみたら、なんと1件もなし。
ああ、日本ではフォーサイスって人気ないのかなあ、と思い、国内最大の
SNSで調べてみたら、270人近くいて、ちょっと安心しました。

やはりフォーサイスはマニアックなのか?こんなに「ハズレ」の無い作家
というのも珍しいでしょうし、ただ、スパイスリラー系アクション作品という
ジャンルをはなから苦手な人には受け付けないのでしょうね。

イギリスの作家ですので、基本は自由主義陣営(米英など)寄りの内容では
ありますが、それでも過去の作品では敵側となる共産主義陣営に対する、
たんなる敵視というか蔑視は無く、それなりに敬意をもって描かれていた
ように思われるのですが、『アヴェンジャー』になると、敵側にくるのは、
ゲリラあるいはテロリストとなり、ひと昔前のイデオロギー対決ではなくなり、
厄介なことに、具体的な姿は見えないのです。

コードネーム「アヴェンジャー」という、マニア向け雑誌の片隅に依頼が載ると、
あらゆる困難な仕事も片付ける、凄腕の「仕事人」がいて、今回、依頼してきた
のは、カナダの大富豪で、孫がボスニア紛争のボランティアに行き、現地で殺され
てしまい、その孫を殺したセルビア人グループのリーダーを探してほしい、という
もの。

どうやらそのセルビア人はすでにヨーロッパから脱出して、南米のどこかにいる
らしく、捜索は困難。
そもそも、このアヴェンジャーは、ベトナム帰還兵で、大学に入り、弁護士資格を
取得、弱者の味方の人権派弁護士だったのですが、ある出来事があり、必殺仕事人
のような陰の稼業をやることになります。
カナダの大富豪は、第2次大戦時に、アメリカ兵との友情を結び、そのアメリカ兵は
その後合衆国の大物議員となり、カナダ人大富豪(娘はアメリカ人と結婚、孫はアメリカ
国籍)は彼に連絡、なんとかして孫の仇をとるべく、アメリカの法律を適用させて
憎きセルビア人を生け捕りにしようとします。

しかし、FBIもCIAも、トップからの命令とはいえ、行方不明のセルビア人を探す
のは困難を極めます。
しかし、ただ一人、政府側に、このセルビア人の行方を知っている者がいて、その男
は、セルビア人を泳がすだけ泳がしておいて、さらに大物のテロリストを探し出そう
と企んでいて・・・

アヴェンジャーのベトナム時代の任務は、ベトコンのアジトである地下洞窟に潜り込む
という危険な作戦。2人一組行動は鉄則で、アヴェンジャーは「モグラ」、そして相棒
は先輩兵士の「アナグマ」で、このふたりは数々の洞窟を攻撃します。
しかし「アナグマ」は怪我を負い帰国、「モグラ」は彼以外とパートナーは組めないと
いって帰国します。
カナダ人の大富豪とアメリカの大物議員もそうですが、戦地での友情というものは、
学生風情が居酒屋で「おれたち親友だよな」という程度の浅薄なレベルではなく、
それこそ背中を預ける、命を張れる価値のある他人との絆であって、これはそう簡単
に切れるものではありません。

そして、物語の最後の最後に書かれている日付は2001年9月10日・・・

フォーサイスのストーリーテリングの才能は前々から敬服していたのですが、
『アヴェンジャー』は脱帽です。いや、読み終わって脱力して、しばし呆然と
したので「脱呆」ともいうのでしょうか。
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アーサー・ヘイリー 『ストロング・メディスン』

2010-05-27 | 海外作家 ハ
『ストロング・メディスン』は、アメリカの製薬業界の話で、
新薬の開発、医療現場、製薬会社の企業理念といった、ちょっと
「小難しい」話になるところを、巧みな構成と時折り入るユーモア
でとても読みやすく、娯楽小説おしても、また経済小説としても
楽しめました。

アメリカの製薬会社、フェルディング・ロスの女性プロパー(外交員)
、シーリアは、セント・ビーンズ病院で瀕死の重病患者に、開発中で
認可が下りる前の新薬「ロトロマイシン」を提供すると医師のアンドルー・
ジョーダンに提案、アンドルーはその新薬を患者に投与、そして患者は
明くる日、快復するのです。
このニュースに病院は大騒ぎ、アンドルーは一躍ヒーローに。もともと
製薬会社のプロパーを鬱陶しがってたアンドルーもシーリアに感謝します。
しかしシーリアはそんなアンドルーの気持ちもよく分かるといい、さらに
プロポーズ。ふたりは結婚します。

1950年代のアメリカは、製薬会社のみならず女性の社会進出の黎明期で、
シーリアも女性初のプロパーとして入社し、偏見にとらわれない男性の上司
と仲良くし、さまざまな壁にぶつかるも持ち前の才知と努力と直観でどんどん
頭角を表してゆきます。

シーリアを理解する数少ない男性上司であるサムは順調に出世の階段を上がり、
サムはシーリアにいずれ「それなりの地位」を約束、大衆薬に販売部門や、
中南米販売部門にまわされるも、シーリアはそれぞれの部で輝かしい実績を
上げます。

一方、家庭でのシーリアは夫アンドルーとのあいだに二人の子どもをもうけ、
時に波風も立ちますが、幸せな生活を送ります。
順調に出世してゆくシーリアですが、妊娠中の女性の「つわり」を軽減する
モンテインというフランスの会社が開発した新薬をフェルディング・ロスが
販売契約をとることに、取締役会でシーリアが唯一反対を唱えます。

それは、数が少ないながらも、この新薬が新生児に悪影響を及ぼすという報告
が入っていて、しかしフェルディング・ロス製薬の社長であるサムも、開発部長
のロードも、販売開始に踏み切ります。

やむを得ず、辞表を提出するシーリア。夫のアンドルーとともに世界一周旅行を
計画し、最後の目的地ハワイに着くと、会社から電話が・・・

物語は1950年代から80年代までの主にアメリカが舞台となり、公民権運動、
ウーマンリブ、ケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争という激動の時代に、ひとりの
女性が一介の販売員から大手製薬会社の社長に登りつめるといった話がメインと
なっているのですが、たんなるサクセスストーリーではない幅の広さがあります。

翻訳が永井淳さんだったからなのか、読んでいて、ジェフリー・アーチャーお得意
の「サーガ」という長編小説(ひとりあるいは複数の主人公の生涯を描くもの)が
想起されました。やはり読みやすいというか、微妙な言葉のチョイスが上手なんで
しょうね。それと、日本語に敢えて訳さない、英語のユーモア(韻を踏むような)を
残すあたり、これが翻訳モノを読む楽しみでもあります。

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アーサー・ヘイリー 『ホテル』

2010-05-18 | 海外作家 ハ
翻訳家で、去年2009年に亡くなった永井淳さんといえば、ジェフ
リー・アーチャーの作品の翻訳が有名で、個人的な話ですが、「ケインと
アベル」を10代のときに読んで、はじめて翻訳者というのは素晴らしい
ということを意識させていただいた、いわば「恩人」のような方なのですが、
その永井淳さんが翻訳した海外の作品では、他にスティーヴン・キングや
アーサー・ヘイリーなどが挙げられ、娯楽小説の翻訳に徹しました。

そのアーサー・ヘイリーの作品は未読。出世作の『ホテル』は永井さんの翻訳
ではないのですが、ついでに永井さんの手がけた「ストロング・メディスン」も
買ったので、それは後日読むことに。

時代は1960年代でしょうか、アメリカの南部、ニューオーリンズにある
ホテル、セント・グレゴリーは、全米じゅうのホテルが大手チェーン化されつつ
ある中、いまだにオーナーのウォーレン・トレント所有の個人ホテルとして
なんとか営業しています。

しかし、その経営はずさんの一言、やる気のない従業員、レストランの料理はまずく、
エアコンやエレベーターもあちこちガタがきていて、深刻な赤字状態。
そんな中、ある大手ホテル・チェーンをトラブルで解雇され、ブラックリストに
載っている、セント・グレゴリー副総支配人のピーターは、なんとか立て直そうと
します。

数日後には抵当の期限が切れて、銀行からの融資も得られずといった状態のなか、
ある大手ホテルチェーンの経営者がセント・グレゴリーに宿泊するというニュース
がホテル内の従業員じゅうの噂となって・・・

ピーターにとっては、過去の汚点のために、セント・グレゴリーがチェーンホテル
となってしまったら、辞めさせられるのではと危機感を募らせます。
そんなことはお構いなしに、ホテル内ではさまざまなトラブルが起こり、ピーター
はトレントの秘書であるクリスティンとともに奔走します。

大手ホテルチェーン総帥のオキーフェとトレントの買収に関する折衝、宿泊中の
イギリス貴族夫妻が起こしたあるトラブル、エアコンの壊れた部屋で死にそうに
なる謎の老人客、若者のパーティーで襲われかけた女性客、このホテルに目をかけ
た客室荒らし(泥棒)と、なんともバラエティ豊かな登場人物や出来事。
さらに、この時代の社会的な問題である人種差別も盛り込まれ、娯楽であり社会派
でもあり、といった幅の広さを感じます。

なんというか、終盤にこのホテルで大事故が起きてしまうのですが、最終的に話が
うまくまとまって大団円とまではいかなくとも、変な「含み」を持って終わらす、
といったことはありません。「まあそれが小説だよ」という安直なフィクションでは
なく、構成がしっかりしているなあ、と。

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フレデリック・フォーサイス 『ジャッカルの日』

2010-03-23 | 海外作家 ハ
『ジャッカルの日』は、スパイスリラー小説の御大、フレデリック・
フォーサイスのデビュー作で、この一作品ですでに貫禄のある作家
の仲間入りをしたかのような、それくらい重厚感のある筆力で、
通信社の特派員経験を生かしてのイギリスおよびアメリカ、ソ連、
その他外国の政治、とりわけ秘密情報、諜報機関について精緻で
たまに実在の政治家も登場し、これはどこまでがノンフィクションで
どこからがフィクションなのか混同してしまいます。

1960年代前半のフランスでは、第五共和制の大統領シャルル・
ドゴール政権で、彼の政策に反感を抱くテロリスト「OAS」という
組織は、数回におよぶ大統領暗殺に失敗、トップクラスの逮捕、
銃殺でOAS存続の危機の中、新しく主任に選ばれた男は、組織
に秘密で、海外の殺し屋に接触。

ブロンド、青い目、長身のイギリス人という情報のみの「ジャッカル」
と名乗るその男は、破格の契約金で現職フランス大統領暗殺の依頼を
受けることになります。
しかし、フランスの秘密情報機関はOAS幹部の不穏な動きを察知、
どうにか彼らの陰謀を掴みとります。

OASはジャッカルに連絡を取ろうにもつかまらず、さらに情報機関も
ジャッカルについてわずかな情報しか持っていなく、海外の警察や
情報組織に連絡、それらしき人物は浮かんでくるのですが、ジャッカルの
正体は不明。

さらに、暗殺の情報のみで、いつ、どこで大統領を狙うのかも分からず、
作戦中止命令も届いていないと思われるジャッカルはどうやってフランス
国内に侵入するのか・・・

ちなみに、ドゴールは現職中に暗殺されておらず、政界引退後に田舎で
余生を過ごして亡くなっているので、これがノンフィクションであれば
ジャッカルの計画は失敗に終わることになり、しかしフィクションだと
どうなるのか・・・

久しぶりに手に汗握りながら読みました。松本清張「点と線」、アガサ・
クリスティ「そして誰もいなくなった」以来ですかね。
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