『運命の息子』は、ジェフリー・アーチャーお得意の「サーガ」と
呼ばれる、主人公(ふたりの)が生まれてから、年代記のように
書かれているもので、「ケインとアベル」や「チェルシー・テラスへ
の道」なども同じくサーガ。
保険外交員のマイケルと教師のスーザン夫婦に、待望の赤ちゃんが
できます。そして、産まれてきたのは元気な男の子の双子。
両親は、ナサニエルとピーターと名付けます。
同じ日、同じ病院では、製薬会社役員ロバートも、我が子の誕生を
心待ちにしていました。というのも、妻のルースは過去に流産し、
おそらくこれが最後のチャンスと医師に告げられていたのです。
どうにか男の子を出産し、安堵するルースとロバート。
しかし、数時間後の夜明け頃、新生児室に見回りに行った看護婦の
ヘザー・ニコルは、ルースとロバートの男の子が息をしていないのを
発見。そして、「魔が差した」のか、同じ日に産まれて、同じく新生児室
にいた双子の片方を、ロバートとルースのほうに入れてしまった
のです。
マイケルとスーザンは、双子のひとりピーターの夭折に嘆き悲しみます。
そして、残ったひとりナサニエル(ナット)を大事に大事に育ててゆく
のです。
ロバートとルースのダヴェンポート夫妻の待望の男の子フレッチャーも、
元看護婦で乳母のヘザー・ニコルの愛情こもった世話のおかげですくすく
と育ちます。
ナットとフレッチャ-は、やがて別々の高校に進学、そしてフレッチャーは
名門イェール大に、ナットはコネチカット大に進みます。
ここに、やがてふたりにとってのライバル、ラルフ・エリオットという人物が
出てきて、ナットがイェールに進学できなかったのはラルフのせいで、その後
フレッチャーとも関わりが出てきます。
こいつが、まあ嫌な男でして、なにかというと二人の足をすくうような行動を
影に日向に、ネズミのように狡猾にしやがるのです。
アーチャーの人物描写があまりに上手なせいで、登場人物に容易に感情移入でき、
喜び、怒り、悲しみを共有するといいますか、ラルフが憎憎しく思えます。
時はベトナム戦争。ナットのもとに召集令状が届き、彼は志願します。しかし、
世論もそうですが、同世代、特に大学生たちの間ではこの戦争に疑問視する向き
が大勢となりつつあったのですが、ナットはベトナムへ派遣され、名誉の負傷を
受け、帰国後つかの間ですが地元の英雄となります。
フレッチャ-のもとには召集はこなかったのですが、新聞に勇敢な兵士が記事に
なって、なぜかフレッチャ-はこの青年兵士が気になります。
その後、ナットはニューヨークの金融関係へ、フレッチャ-は大手法律事務所へと
就職。しかし、ふたりとも、ほぼ時期を同じくして、キャリア途中で辞職します。
そしてナットは地元に戻り、学生時代からの親友トムの父親が会長の銀行に入社、
フレッチャ-は、妻の父で上院議員ハリーの引退に伴い、州選出の上院議員選挙に
出馬するのです・・・
大河ドラマのようなふたりの男の年代記あり、ナットにかけられたある男の殺害容疑
の裁判での法廷サスペンスあり、1冊で2度3度おいしい気持ちになります。
なんといっても、ラストの、「ん?」というような締めくくり方。物語を、よーく、
よーく読んでないと、このオチは不完全燃焼で終わってしまうでしょう。
それにしてもイジワルというか、人を食ったようなというか・・・
呼ばれる、主人公(ふたりの)が生まれてから、年代記のように
書かれているもので、「ケインとアベル」や「チェルシー・テラスへ
の道」なども同じくサーガ。
保険外交員のマイケルと教師のスーザン夫婦に、待望の赤ちゃんが
できます。そして、産まれてきたのは元気な男の子の双子。
両親は、ナサニエルとピーターと名付けます。
同じ日、同じ病院では、製薬会社役員ロバートも、我が子の誕生を
心待ちにしていました。というのも、妻のルースは過去に流産し、
おそらくこれが最後のチャンスと医師に告げられていたのです。
どうにか男の子を出産し、安堵するルースとロバート。
しかし、数時間後の夜明け頃、新生児室に見回りに行った看護婦の
ヘザー・ニコルは、ルースとロバートの男の子が息をしていないのを
発見。そして、「魔が差した」のか、同じ日に産まれて、同じく新生児室
にいた双子の片方を、ロバートとルースのほうに入れてしまった
のです。
マイケルとスーザンは、双子のひとりピーターの夭折に嘆き悲しみます。
そして、残ったひとりナサニエル(ナット)を大事に大事に育ててゆく
のです。
ロバートとルースのダヴェンポート夫妻の待望の男の子フレッチャーも、
元看護婦で乳母のヘザー・ニコルの愛情こもった世話のおかげですくすく
と育ちます。
ナットとフレッチャ-は、やがて別々の高校に進学、そしてフレッチャーは
名門イェール大に、ナットはコネチカット大に進みます。
ここに、やがてふたりにとってのライバル、ラルフ・エリオットという人物が
出てきて、ナットがイェールに進学できなかったのはラルフのせいで、その後
フレッチャーとも関わりが出てきます。
こいつが、まあ嫌な男でして、なにかというと二人の足をすくうような行動を
影に日向に、ネズミのように狡猾にしやがるのです。
アーチャーの人物描写があまりに上手なせいで、登場人物に容易に感情移入でき、
喜び、怒り、悲しみを共有するといいますか、ラルフが憎憎しく思えます。
時はベトナム戦争。ナットのもとに召集令状が届き、彼は志願します。しかし、
世論もそうですが、同世代、特に大学生たちの間ではこの戦争に疑問視する向き
が大勢となりつつあったのですが、ナットはベトナムへ派遣され、名誉の負傷を
受け、帰国後つかの間ですが地元の英雄となります。
フレッチャ-のもとには召集はこなかったのですが、新聞に勇敢な兵士が記事に
なって、なぜかフレッチャ-はこの青年兵士が気になります。
その後、ナットはニューヨークの金融関係へ、フレッチャ-は大手法律事務所へと
就職。しかし、ふたりとも、ほぼ時期を同じくして、キャリア途中で辞職します。
そしてナットは地元に戻り、学生時代からの親友トムの父親が会長の銀行に入社、
フレッチャ-は、妻の父で上院議員ハリーの引退に伴い、州選出の上院議員選挙に
出馬するのです・・・
大河ドラマのようなふたりの男の年代記あり、ナットにかけられたある男の殺害容疑
の裁判での法廷サスペンスあり、1冊で2度3度おいしい気持ちになります。
なんといっても、ラストの、「ん?」というような締めくくり方。物語を、よーく、
よーく読んでないと、このオチは不完全燃焼で終わってしまうでしょう。
それにしてもイジワルというか、人を食ったようなというか・・・