晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

山本一力 『背負い富士』

2013-01-20 | 日本人作家 や
山本一力の作品は、市井の人々が主人公が多いのですが、たまに実在の
歴史上の人物(紀伊国屋文左衛門とか田沼意次)も出たりします。が、
この『背負い富士』は、なんと清水次郎長が主人公。

今まで次郎長の作品は映画、小説、講談や浪曲など数知れず、でも大抵
は、一家を構えてからの武勇伝で、『背負い富士』は、誕生から少年時代
のあたりにフォーカスしていて、さらに、次郎長と無二の親友にして一家の
頭脳的存在だった音吉の回想という形式になっていて面白いですね。

江戸末期、今の静岡県、駿河国の清水湊に「雲不見の旦那」こと美濃輪屋
三右衛門の家に男の子が産まれます。名前を長五郎、この男の子が後の
街道一の大親分になるわけです。

「元日生まれは騒動を引き起こす、不吉な星」という言い伝えがあり、この
迷信によって、のちのち苦しめられることになるのですが、それはさておき、
同じ清水湊の美濃輪屋の近所の魚屋でも、元日に男の子が産まれます。
その子の名前は音吉。次郎長と運命をともにすることになります。

美濃輪屋の菩提寺、梅蔭寺の住職はこの地域のよろず相談といいますか、とても
頼りにされていて、次郎長も何かとお世話になって、「清水の次郎長」という
二つ名を命名してもらったのも、この住職ということになっています。
さらに、次郎長のお墓もこのお寺に。

住職は、長五郎をとても利発な子と見抜き、このまま親元で暮らせば家も本人も
潰れてしまう、と聞いた三右衛門は、長五郎を妻の弟、山本次郎八が営む米屋に
養子に出すことに。浪曲でお馴染み「本名、山本長五郎」となります。

で、この米屋「甲田屋」の隣が音吉の魚屋で、親交を深めることに。

長五郎は、甲田屋の仲仕、源次郎から相撲の稽古をつけてもらい、また、彼が
かつて働いていた江戸の話を聞いて、江戸への憧れを強く持ちます。

やがて元服し、大人になる長五郎ですが、この頃、義父の次郎八が米相場で
大儲けをし、それまで真面目だったのですが人が変わって遊び呆けるように
なります。
母もしじゅう不機嫌で、次男坊の長五郎は家にいてもやることがなく、江戸に
出る決意をします。
母と源次郎も、若旦那が家出すれば、遊んでばかりいる旦那にもいい薬になる
といって協力してくれて、父のお金、なんと四百五十二両という大金を”くすねて”
音吉とふたりで江戸へ。

江戸で見聞を広めて帰ってきた長五郎は、父親から勘当を言い渡されます。
その頃には次郎八も改心して真面目になっていたのですが、息子が親の金を
くすねて江戸に出て行ったとあれば、さすがに世間の目をごまかすことは
できず、建前上、ということで勘当することに。
しかし実際は、くすねた金の残り全額を渡し、浜松の米相場で金を増やして
耳をそろえて返せ、出来なければ本当に勘当する、ということだったのです。

というわけで音吉と長五郎は浜松へ。そこで、空見(天気を当てる)や、足の
早い男、乗馬の達人、狼煙の名人、籾殻の目利きなど7人の仲間を味方にして、
米相場で大儲けします。

さて、浜松へ向かう途中、森という小さな宿場で、ある少年が川に落ちた小さな
子を助けに飛び込みます。それを見ていた長五郎は助けを手伝います。その少年
の名前は石松、そう、「寿司を食いねえ、酒飲みねえ」でお馴染み、森の石松。

そして、清水に戻り、梅蔭寺の住職に「清水次郎長(次郎八の子供の長五郎)」
とい二つ名を命名してもらって、ここに清水次郎長一家の誕生となります。

家を立ち上げた当初は、次郎長親分に音吉、部屋住みの石松だけしかいなかった
のですが、やがて大政など十数人が子分にしてくれと集まります。

ここから先は、浪曲「清水次郎長外伝」の金比羅代参、三十石船、お蝶の焼香場、
都鳥一家、追分の仇討ち、などなど有名な話が出てきて、やがて時代は明治に。

これまでの話を、次郎長に先立たれて、今は清水港の時計台のゼンマイを毎日巻く
のが日課の音吉老人が、東京から訪ねてきたふたりの男に話して聞かせる、という
構成になっています。

読み終わったあとに、無性に二代目・広沢虎造の浪曲が聴きたくなります。


コメント
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