晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

葉室麟 『孤蓬のひと』

2020-11-10 | 日本人作家 は
我が家では最低気温がひとケタにならないとリビングのガスストーブと和室のコタツを使わないというどうでもいい類のルールがあるのですが、今年は10月中にガスストーブとコタツを使いはじめました。「今年は暖冬」というシーズンはそれこそ12月に入ってようやく使い始めるなんてこともあったりして、もしかして今年の(来年にかけての)冬は例年より寒いんでしょうかね。

そんな与太話はさておいて。

『孤蓬のひと』です。小堀遠州のお話です。「小堀遠州」という名前、お宝の鑑定番組でよく登場しますね。戦国武将というより、古田織部とならんで、もはや茶人として有名ですね。

遠州は近江(現在の滋賀県)に生まれます。父親は近江の戦国武将、浅井家の家臣だったのですが、浅井家が織田信長との戦に敗れると、羽柴秀吉に仕えるようになり、その後、秀吉の弟の秀長の家臣になります。秀長亡き後は秀保、ふたたび秀吉に仕えますが、関ヶ原の合戦では東軍つまり徳川方につきます。父が急死して家督を継ぎ、もともと織部の弟子として茶人として有名ではあったのですが、庭園造りとしても評価が高く、幕府より「遠江守」をもらい、これが「遠州」という名前の由来です。

なぜ千利休は切腹しなければならなかったのか。父とともに仕えた豊臣秀保はなぜ秀吉にあそこまで邪見にされなければならなかったのか。世間の人の知る石田治部(三成)と、小姓時代に遠州が見た、話した石田治部の印象とは。師匠の古田織部はなぜ切腹となったのか。義父にあたる藤堂高虎から聞いた幕府と朝廷との折衝の話とは。当代一の文化人、本阿弥光悦との話とは。沢庵和尚の話とは。世間では遠州と不仲と噂の細川忠興との関係とは。伊達政宗との茶席でなにを話したのか。

戦国時代あたりの話ではありますが、主に「人物」にフォーカスしていて、上記では出てないビッグネームもまだまだいて、勝者側にせよ敗者側にせよ、あの「時代」の主要キャストはやはり「ただものじゃなかった」というエピソードのオンパレードで、歴史にさほど興味ない方でもシビれます。

先日、藤堂高虎の一代記の歴史小説を読んで投稿したばかりなのですが、今作でも「自分は主君をコロコロかえるやつと思われてる」と自虐めいたことを言いますが、「自分は天下に仕えている。織田家、豊臣家、徳川家と主君が変わっても不思議ではない」と言ってのけます。
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