江戸時代にあった(今も名前だけは残ってる)堀を
舞台にした短編となっています。
「ため息はつかない」の舞台は、薬研堀。
「薬研」とは、映画「赤ひげ」やその他時代劇で
お医者さんが難しい顔して半月状の弧の形をした
臼みたいのに円盤状のすりこぎみたいなやつで
前後にゴリゴリやってるシーンがありますけど、
薬をすり潰すのに使ってたやつです。
このお堀の底部分が薬研に似てたということで
この名前になったそうな。ちなみに、江戸時代の
明和年間(1764~1772)には埋められてしまった
そうで、時代的にいうと、鬼平こと長谷川平蔵さん
が「本所の銕」と暴れてた頃から家督のため将軍に
御目見得する頃ぐらいまではこのお堀はあったと
いうことですね。
さて、この話ですが、亡父の妹、つまり叔母さん
に育てられた豊吉という少年が主人公。小さい頃
からこの(育ての母)のことがあまり好きでなく、
働ける歳になったらとっとと奉公へ。
何年かのち、豊吉は奉公先のお嬢さんとの縁談話
があり、久しぶりに実家に帰ると、おっ母さんは
殺されていて、なぜか豊吉が容疑者になり・・・
「裾継」は、深川の油堀が舞台。
油問屋や油売りの店があったからこの名前になった
そうなんですが、地名の「裾継(すそつぎ)」は
よく分からず、裾継というのは武士が「衣冠束帯」
の恰好のときに袴を穿きますが、その裾の縫い目
のことで、ですがこの地域は深川の岡場所(風俗街)。
(加茂屋)という遊女屋の主人は彦蔵。妻で女将の
おなわは彦蔵の後添えで、先妻とのあいだには
(おふさ)という娘がいますが、近頃は難しい年頃。
ある日、おふさは「おっ父つぁんには他所に女がいる」
とおなわに告げるのですが・・・
表題作「おはぐろとんぼ」は、稲荷堀が舞台。
現在の日本橋の蛎殻町、小網町の辺りで、この近くに
お稲荷さんがあって、稲荷の音読みで(とうか)が
変化して(とうかんぼり)と読むようになったとか。
主人公(おせん)は、料理屋「末広」で働いています。
が、女中ではなく、料理人として。
亡き父、長蔵は末広の料理人で、おせんは小さい頃から
末広の厨房で父の手ほどきで下ごしらえなどを手伝って
きました。長蔵が亡くなったあとも、末広の主人は
おせんの料理の腕を認めて働かせてもらうことになった
のですが、当時は女性がプロの料理人という考えは無く、
おせんはずっと裏方。
そんなある日、末広の花板(料理長)が他店に引き抜かれ、
急遽、上方から来た銀助という料理人を雇うことに・・・
「日向雪」は源兵衛堀が舞台。
浅草側から吾妻橋を渡って墨田区役所とビール会社の通称
「ウ○コビル」がある裏手に隅田川沿いに「原森川水門」が
ありまして、その原森川の別名が源兵衛堀。
梅吉は瓦焼き職人の修行中。ある日、兄の松助から母が亡く
なったと知らせが入り、実家に戻ります。
そこで松助から「竹蔵の行方を知らねえか」と聞かれますが
梅吉は「あんなやつ知らねぇ」とぶっきらぼうに返事。
長兄の松助と三男の梅吉の間には竹蔵という兄弟がいて、
船宿に奉公に出たのですが吉原通いの末に船宿をクビになり、
今はどこかいかがわしい店の客引きをしているそうで、
つい先日も梅吉の職場にも金の無心に来て、挙句、梅吉の
行きつけの居酒屋にも「梅吉の兄でーす」と金を借りに。
兄弟の縁を切りたいところですが母の葬式の連絡だけは
一応して、その竹蔵が来るや「飯の用意もしてないのか」
「実家の土地の形見分けは」と・・・
「御厩河岸の向こう」は「夢堀」が舞台。
といってもそんな名前の堀はなく、ある少年の記憶違い。
浅草にある質屋の娘、おゆりに、待望の弟が生まれます。
勇助と名付けられた弟はおゆりによくなつき、おゆりも
子守りをします。ある日のこと、勇助が「自分は(夢堀)
のそばの花屋の息子で、藤助という名前で、十歳のとき
に病気で死んで生まれ変わった」と妙なことを言います。
おゆりは怖くなって兄に相談すると、夢堀はありませんが
本所、石原町には「埋め堀」ならある、と。
そして調べると、埋め堀のそばに実際に花屋があり、数年
前に息子さんが麻疹で亡くなっていて・・・
どれもハッピーな話の内容ではありませんが、ラストに
雲の切れ間に薄く陽の光が差してくる、そんな小さな
希望というか明るい未来が見えてきます。
余談ですが、「ウ○コビル」は、あれは金の雲みたいな
オブジェといいますかモニュメント。じつはあれ、フィリップ
・スタルクという有名デザイナーの作で、たしかあれができた
当時に聞いた記憶ではビール会社の”情熱の炎”とビールの
”気”をデザインしたとかなんとか。
舞台にした短編となっています。
「ため息はつかない」の舞台は、薬研堀。
「薬研」とは、映画「赤ひげ」やその他時代劇で
お医者さんが難しい顔して半月状の弧の形をした
臼みたいのに円盤状のすりこぎみたいなやつで
前後にゴリゴリやってるシーンがありますけど、
薬をすり潰すのに使ってたやつです。
このお堀の底部分が薬研に似てたということで
この名前になったそうな。ちなみに、江戸時代の
明和年間(1764~1772)には埋められてしまった
そうで、時代的にいうと、鬼平こと長谷川平蔵さん
が「本所の銕」と暴れてた頃から家督のため将軍に
御目見得する頃ぐらいまではこのお堀はあったと
いうことですね。
さて、この話ですが、亡父の妹、つまり叔母さん
に育てられた豊吉という少年が主人公。小さい頃
からこの(育ての母)のことがあまり好きでなく、
働ける歳になったらとっとと奉公へ。
何年かのち、豊吉は奉公先のお嬢さんとの縁談話
があり、久しぶりに実家に帰ると、おっ母さんは
殺されていて、なぜか豊吉が容疑者になり・・・
「裾継」は、深川の油堀が舞台。
油問屋や油売りの店があったからこの名前になった
そうなんですが、地名の「裾継(すそつぎ)」は
よく分からず、裾継というのは武士が「衣冠束帯」
の恰好のときに袴を穿きますが、その裾の縫い目
のことで、ですがこの地域は深川の岡場所(風俗街)。
(加茂屋)という遊女屋の主人は彦蔵。妻で女将の
おなわは彦蔵の後添えで、先妻とのあいだには
(おふさ)という娘がいますが、近頃は難しい年頃。
ある日、おふさは「おっ父つぁんには他所に女がいる」
とおなわに告げるのですが・・・
表題作「おはぐろとんぼ」は、稲荷堀が舞台。
現在の日本橋の蛎殻町、小網町の辺りで、この近くに
お稲荷さんがあって、稲荷の音読みで(とうか)が
変化して(とうかんぼり)と読むようになったとか。
主人公(おせん)は、料理屋「末広」で働いています。
が、女中ではなく、料理人として。
亡き父、長蔵は末広の料理人で、おせんは小さい頃から
末広の厨房で父の手ほどきで下ごしらえなどを手伝って
きました。長蔵が亡くなったあとも、末広の主人は
おせんの料理の腕を認めて働かせてもらうことになった
のですが、当時は女性がプロの料理人という考えは無く、
おせんはずっと裏方。
そんなある日、末広の花板(料理長)が他店に引き抜かれ、
急遽、上方から来た銀助という料理人を雇うことに・・・
「日向雪」は源兵衛堀が舞台。
浅草側から吾妻橋を渡って墨田区役所とビール会社の通称
「ウ○コビル」がある裏手に隅田川沿いに「原森川水門」が
ありまして、その原森川の別名が源兵衛堀。
梅吉は瓦焼き職人の修行中。ある日、兄の松助から母が亡く
なったと知らせが入り、実家に戻ります。
そこで松助から「竹蔵の行方を知らねえか」と聞かれますが
梅吉は「あんなやつ知らねぇ」とぶっきらぼうに返事。
長兄の松助と三男の梅吉の間には竹蔵という兄弟がいて、
船宿に奉公に出たのですが吉原通いの末に船宿をクビになり、
今はどこかいかがわしい店の客引きをしているそうで、
つい先日も梅吉の職場にも金の無心に来て、挙句、梅吉の
行きつけの居酒屋にも「梅吉の兄でーす」と金を借りに。
兄弟の縁を切りたいところですが母の葬式の連絡だけは
一応して、その竹蔵が来るや「飯の用意もしてないのか」
「実家の土地の形見分けは」と・・・
「御厩河岸の向こう」は「夢堀」が舞台。
といってもそんな名前の堀はなく、ある少年の記憶違い。
浅草にある質屋の娘、おゆりに、待望の弟が生まれます。
勇助と名付けられた弟はおゆりによくなつき、おゆりも
子守りをします。ある日のこと、勇助が「自分は(夢堀)
のそばの花屋の息子で、藤助という名前で、十歳のとき
に病気で死んで生まれ変わった」と妙なことを言います。
おゆりは怖くなって兄に相談すると、夢堀はありませんが
本所、石原町には「埋め堀」ならある、と。
そして調べると、埋め堀のそばに実際に花屋があり、数年
前に息子さんが麻疹で亡くなっていて・・・
どれもハッピーな話の内容ではありませんが、ラストに
雲の切れ間に薄く陽の光が差してくる、そんな小さな
希望というか明るい未来が見えてきます。
余談ですが、「ウ○コビル」は、あれは金の雲みたいな
オブジェといいますかモニュメント。じつはあれ、フィリップ
・スタルクという有名デザイナーの作で、たしかあれができた
当時に聞いた記憶ではビール会社の”情熱の炎”とビールの
”気”をデザインしたとかなんとか。
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