晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

阿部龍太郎 『葉隠物語』

2024-08-04 | 日本人作家 あ
暑いです。と書いたところで涼しくなるわけでもありませんが。健康のために週に二、三日ほどウォーキングをやってまして、といっても雨の日と、それからこの二ヶ月ほどは熱中症になりたくないので控えてます。じゃあ夜中か早朝にやればいいだろという話なんですが、こう暑いと睡眠時間が短いので涼しいときにしっかり寝ないと。自転車にも乗れてませんね。はやく涼しくなってほしいものです。

以上、運動不足。

さて、阿部龍太郎さん。この作品は、現在の佐賀県、肥前佐賀藩(鍋島藩)に伝わる武士の心得が書かれた書物「葉隠」の誕生秘話、内容の説明が短編形式で描かれています。まず序章で、佐賀藩士の田代陣基が藩のゴタゴタに巻き込まれて「こうなったら腹でも切ってやる」となりますが、その前に会っておきたい人がいて、その人の庵に行きます。その人物とは山本神右衛門。二代藩主鍋島光茂に仕え、古今和歌集を丸暗記していたことで、光茂が生前古今伝授を受けることができた立役者。光茂の死後、出家して常朝と名乗って山奥に庵を結んで隠遁生活。陣基は腹を切るのをやめて常朝に弟子入りします。

戦国末期、肥前を治めていたのは龍造寺家で、佐賀藩の藩祖、鍋島直茂は家臣でした。しかし直茂が実権を握って豊臣秀吉の後ろ盾で肥前の領主に。朝鮮出兵、関ヶ原の合戦、江戸幕府、島原の乱、出島の防衛など歴史上の出来事に鍋島家がどう関わったのか。有名な化け猫騒動も出てきます。

古今伝授とは、宮中に伝わる和歌の秘伝奥義で、武士で古今伝授を受けた有名人といえば細川幽斎。光茂が古今伝授を受けたのは戦乱の世も終わり武士は武断派から文治派へとシフトチェンジしなければならなくなったちょうど転換期で、後世の評価では光茂は先見の明があったとされていますが、しかし藩の財政が苦しい中で立派な書庫を作ったり風雅な別邸を作ったりして、家臣や領民に目は向いていなかったようです。

それと、光茂のもうひとつ大きな功績が「追腹禁止令」。殿が亡くなったら追腹といって、まあようは後追い自殺をするんですが、初代藩主勝茂が亡くなったときには三十名以上の藩士が追腹をして、当然中には有能な方もいたわけで、これじゃちゃんと継承できないじゃんというわけで「お前らやるなよ」となります。それが幕府の耳に入って全国的に追腹が禁止となります。

葉隠が誕生したときからおよそ三百年後、佐賀県生まれの有名人が公表してないと歌われたり、全国一マイナーな県に選ばれたり、佐賀は笑いや自虐のネタになってますが、個人的にすごく行ってみたい場所です。そういえば、佐賀は長崎と福岡の途中でにあって、昔は砂糖が運ばれた「砂糖街道」なるものがあり、その影響なのか佐賀の料理は味付けがとても甘く、他県から来た嫁が作った料理を姑が食べて「長崎の遠かね」長崎から遠い、つまり砂糖が足りない(ケチくさい)と嫌味を言うそうな。性格悪いですね。


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