別当と九月十九日について
かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこうです
これは、「どんぐりと山猫」の「をかしなはがき」の書き出しの文です。
この話はだいぶ昔の事ですから、失礼ですが実名で書きますのでお許しを願うと致します。
小学校三年のときの先生が、鳥谷ケ崎神社の神主稲田先生であった。
悪戯盛りの私どもは、「稲田ベットー」「稲田別当」と呼んで、学校中で一番怖い先生として恐れていた。あるときなどは、両手で両耳を摑んで持ち上げられてゴツンゴツン頭を柱にやられるような生徒もいた。稲田先生は仕事の関係で休む事の多いせいでもあり、私どもは新人で女の八木先生にも教わっていた。八木先生が告げ口をしたせいでは無いであろうが、別当先生休みの翌日にはに廊下に生徒を立せる事があった。
花巻例大祭には、別当先生 祭りの先頭を鳥帽子を被って馬で通る。光った頭から鳥帽子がとばないように紐が顔にくい込んでいたのが忘れられない。無論稲田別当先生は、童話に出てくるような「醜悪な容貌」でもなく、「気味の悪い」ところなど一つも無い、立派な先生であった。ただ、悪餓鬼の私どもが、学校での別当先生と馬上の別当さんが、面白いほどに乖離していたのが思い出される。賢治先生はこんな事は知らない筈であると思うが、今となっては懐かしい思い出だ。
次に 米村みゆき氏が「宮澤賢治を創った男たち」で、『「十九日ばか」の暗号』を解明しておられた。「注文の多い料理店」のタイトル日付と、「どんぐりの山猫」のなかの別当が一郎に出したはがきの九月十九日の解明は、さすがであると感心した。ここからは小生の蛇足である。
別当と九月十九日との関連は、無理やりに付けなくても良いのだが、花巻大祭の最終日は九月十九日で最も賑やかであった。これ等については又のきかいに触れよう。