昨年九月に下ノ畑の写真画像と
「この標識の場所(写真画像)は
賢治が耕した場所ではありません
それに北上川の岸辺は
当時とまったく一変しています」 として
「春と修羅 第三集」の詠まれた当時の
少しの参考にでもと考えたのでした。
上の写真は、戦後に写された写真のようですが
賢治自耕地 下ノ畑の状況風景に近い写真です
賢治詩碑を訪れて、下ノ畑に行かれた方が
多いようですが、参考になりますでしょうか
(日本文学アルバム 12宮澤賢治(株)筑摩書房 1968・6・30発行より)