ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

豊澤川

2009年06月17日 | 随想・日記

 

    南部叢書

  考るに、花巻といふ所に豐澤川といふ川、膽澤川のこなたにあり。もしはもと遠膽澤川と呼びしを、トイザハ、トヨザハ語近ければ、後の世に豐澤の文字とせしにやあらん。今豐澤とはかけど、猶所の者はトイサと唱ふるは古語の残れるにはあらぬか、膽澤川に向へて名づけしにはあらぬか。これら誠におしはかりの考なれど、後考ん人の為いさゝかおどろかし置なり。

 

 さて、ところで宮沢賢治の生家の トシャコ ヲズ(豊澤小路)は、遠い胆沢の小路ではありませんが、 古来からの川等の命名になごりをとどめているのであろうか。古代胆沢はときの支配者の前進基地の砦でもあった。

  同じ書に

 岩井 伊澤 柄差(エサシ) 江刺と同じ  和賀 部貫(ヘヌキ) 今の稗貫なり

との語が視られる。また

 稗貫郡は、今花牧といふ所にあり。   薭縫 稗技 部貫 などあれど、皆同し名なるべし。

   上記は 「舊蹟遺聞 巻第二」の部よりです。

 

 滝清水神社の下 豊沢川土手から賢治自耕地あたりまでを「北上夜曲」を歌いながら歩いていた町の青年がいたが、我が家からは夕靄の川の先に胡四王山が見られた。また天気の良い日にはその先に早池峰山が・その姿が偶に夢に出て来る。