「新校本宮澤賢治全集」によると、佐藤紅歌 明治31・1・13~昭和53・10・16とあります。昆は生年月日に付いては不明だった(間違った記述をしている)。紅歌と八木・金田一に付いては又の機会に記す事もあろう。だが此処では昆のこんな記事に気が魅かれた。菊池武雄にである。以下引用しよう。
「 岡山儀七によって世に送り出された新聞人が いる。菊池武雄(M30・7・13生)である。菊池武雄は、大正十年ころ花巻から『猫額私語』などを『岩手毎日新聞』に投稿していた。それを主筆岡山儀七が認めて『岩手毎日新聞』に入社させた。菊池は後に『東京日日 新聞』に移り、盛岡や青森の支局長をへて本社に入り編集部長に就く。敗戦後は『岩手新報』の副社長、編集局長となる。昭和四十年ころは、東京練馬区で『練馬新聞』を発行している。菊池は宮沢賢治(M29・8・27生)の友人であった。」
(岡山儀七に関してはPC検索でご覧下さい)
先ずは入手した「練馬新聞」です。(練馬区光が丘図書館のご厚意による)
どうゆうわけか菊池武雄に付いては、小生の知りたい経歴や賢治関連以外、例えば挿絵画家としての活躍がどのようであったのか、在京中の行動については堀尾氏は良く存じていたはずだと思うが触れていないようだ。博識の「校本全集」にもあまり良く載っていない。(「イーハトゥブの先人たち」を見ていない小生など解るはずもないが)。
つづく