誰我詩謂詩 誰か我が詩を詩と謂ふ 謂い
我詩是非詩 我が詩は是れ詩に非ず
知我詩非詩 我が詩の詩に非ざるを知つて
始可興言詩 始めて興に詩を言ふべし 興とも
良寛は「我詩非詩」といふ。詩に非ずといふのは、世間で通常詩と稱してゐるやうな詩とは違うといふのであろう。そしてその非詩たるところが実は詩そのものではないかといふ。漢詩の専門家からみれば良寛の詩は規則にかなつていないだろう。とても詩とはいへないやうな言葉遣ひであらう。それはまさしくさうでありながら、それが反って詩といふものではないかと、良寛は思つてゐるのである。唐木順三「良寛 四 良寛における詩」より(137~134頁)
秋月龍は
詩でない詩 (「草庵集」鈔) 心中の物を写す
孰謂我詩詩 たれか謂う わが詩を詩と、(以下略)
と記している。大意 は
誰がわたしの詩を詩というか、わたしの詩は詩ではない。わたしの詩を詩ではないことを知って、始めてともに詩を語ることができる。(「禅門の異流」225p)とある。
星野清蔵「良寛の詩境」(307頁) 東郷豊治「全釈良寛詩集」(134頁)左の二書にも上記がある。
武村牧男「良寛の詩と道元禅」は秋月の影響と読める。
大正十四年の「森佐一あて」 賢治書簡にみられる文と、良寛の詩境に近似していて楽しく感じられる。