「宮沢賢治全集7」(ちくま文庫)に「畑のへり」があります。
この「畑のへり」については、天沢氏の解説や続橋氏の「『畑のへり』のことなど」(初出 ≪宮沢賢治童話の世界≫)昭和51・2)等素晴らしい論考がありますので、この童話の解釈や意味内容に付いてはそちらをお読みして戴くとして、ここでは「畑のへり」のぼうとうに「麻が刈られましたので」とありますので、戦後は見られなくなりました麻に少し触れたいと思います。
わたくしが子供のころには四・五年に一度ぐらいの割合でどこの家でも麻を畑で作っていました。売ることの出来なかった「クズ繭」や麻を、祖母が農閑期に糸車で紡いだ糸を、隣の松岡さんの機織り機で織上げていた。 チャルカはどこの家にもあった。(註)
わたくしの家では50坪~60坪程の畑に、秋肥料をやり春4月に整地をしてそこへ麻の種を蒔きました。麻は密集植えをして茎に枝葉を少なく成長させるようにします。麻の種を蒔いたときに一緒に畑のへりにトウモロコシの種も蒔きます。トウモロコシは麻との同時成長によって、麻の横に伸びる枝葉を防ぎ、風害おも阻止する役目を果たします。9月上旬には、麻を刈り取るのではなく、根ごと引き抜きます。麻の根は畑ではなかなか腐らないからです。抜き取った麻は、土をふるい落とし押切で根を切り落とし、根は乾燥させて風呂などで燃します。麻の茎から皮を剥ぐやり方は色々あるようですが我が家では、下の小川に漬け置きをして、皮のはがれ具合を手で触り、頃会いを見て剥がして、水洗いをして持ち帰り白い糸に仕上げるのです。濡れている間に表皮の不尽物を、約幅5寸×長さ1尺56寸程の欅か樫の木の家の梁などの破材で作られた、ツルツル・テカテカした台でそぎ落とすのです。「機械のごとく 麻をうつ」(歌205)と真白い麻が出来上がるのです。
上の写真は「所蔵図書目録99」で、賢治を読み解くのに参考になる辞書である。
上右の写真に「麻」がみられます。拡大してご覧下さい。こんなかんじです。
左側の手持ちの辞書は、「麻」の稿の「蕡」(フン・あさのみ)が読めませんでした。真ん中の昭和9年の縮刷版のものを右側に載ました。
織物に麻だけではなく、からむし アイコ マダ(マンダ)等もあるのですが、マンダに付いて一言。 榀の木の樹皮を使い、田植えの頃から入梅にかけて樹皮を剥ぎ、水に浸して外側の皮を取りさり、内側の白い皮をうすくはぎとりそれを灰汁で柔らかくして使用したり、そのままでケラ・ハバキ・コダンを作ったりした。
(チャルカ)
インドには、社会の基礎である農村の素晴らしさ、精神文明の素晴らしさがある。インドの人々の心の奥底のは、神への深い信仰がある。そして武器が暴力を象徴するように、チャルカはアヒンサー(非暴力)を象徴している。
ガンジーはイギリス製の洋服を脱ぎ自分で紡いだ白い木綿の腰布だけの姿で集会にで、集まった人々に訴えた。イギリス支配からの独立を訴えた。
インドの民衆は、イギリス製の綿布を脱ぎ捨て、チャルカを廻して糸を紡ぎはじめた。真の機械文明を築くために。ガンジーはチャルカに未来を託していた。(ムンバイの記念館の思いでより)