※ 坂井健氏の論を読んでいての雑感 ※
「農民芸術の興隆」との関連で(以下拡大してご覧下さい)
本文五行下のほうに「多少は鍛冶屋の仕事も出来る。」とある。「カーペンター 少年機械工の例」とは異なるが、小農の民は大工仕事も鍛冶仕事も行ったのではと連想した。古い話であるが、母の生家に行く時に三差路の鍛冶屋を目標に、そこで道を間違えないようにいった。田の仕事の暇を見つけての鍛冶屋さんで有った。裏の井戸で水を貰い仕事を飽きずに見て居た頃を思い出した。
写真は、大日本文明協会(大正十三年発行)カーペンター著 宮島新三郎訳「吾が日吾が夢」からである。古本で千円程で売られている。賢治はこの書も読んでおられたと想う。とうぜん坂井氏が記されている本もである。(『吾が日吾が夢』は「近代デジタルライブラリー」でも閲覧可)
坂井氏が(七)で論じられている「宇宙」に付いて。賢治の「農民芸術慨論」核心をなす同質のものとして、「天地」を「宇宙」「銀河」といいかえたならば賢治のことばであるといっても通用しそうだとしている。
広辞苑では「天地」を「宇宙」ともしているが、石川の「地」や「天」は、賢治の科学に関する宇宙観とは明らかに異なると思う。坂井氏の「宇宙」論がこの論の成立キーポイントであろうか。