『「宮澤賢治入門」は、旧著「宮澤賢治の肖像」(昭23)と、「宮澤賢治批判」(昭27)の二冊と、若干の削除・増補した』本だと「みちのくサロン2号」に、勝治さん本人がそのように書いている。
『「山荘の高村光太郎」あとがき』(207P )には、高村光太郎が、十字屋書店へ照会された経緯及び印税の契約の事などと、『本の題名を「法華経の行者宮沢賢治」とした方がいいではないか』等と言ってくれた。著書名に付いてはあの時は古めかしい名称だとおもい、その名はいただかなかったと書かれている。姉崎嘲風の「法華経の行者日蓮」が思い出されたのである。
勝治さんはわたくしに、この本は「宮澤賢治の肖像」にしたかったが、「この署名は森さんにもっていがれたもんや」と話された事がある。たしか森さんの本よりも勝治さんの本が世に出たのは早いはずであるが、勝治さんは私に話された様なことは何処にも書かなかった。勝治さんは「肖像」には拘りがあった(「山荘の高村光太郎」ー能面についてー)。むしろ『「山荘の高村光太郎」この本の成り立ち』には、この本の「山荘の高村光太郎」が出来たのは森さん等のおかげだと、感謝の気持ちを最後の一行に記されいて、決して個人名で他人の事を悪く書かなかった人であった。いまだに私は良き先輩のようにできずにいる事が恥かしい。
「美」のことに関してはここでは省略する。恥の書きついでに次回はもう一つ花巻の人を書きたい。
つづく