お盆で帰省したときに、
岩手県と秋田県の県境 沢内に行ってきた。
深澤晟雄(まさお)と太田祖電の郷に、きゅうに行きたくなっての事だった。
それに碧祥寺博物館を見たかったからでもある。
沢内村の福祉行政の点火薬にもなった深澤は、「村民の生命を守るため私の生命をかける」として
僻村の村民の、健康を守るための活躍をした。そして「生命村長」と呼ばれた。
深澤の人道主義・理想主義に深い影響を与えたのは、仙台時代の恩師 阿部次郎であった。
「三太郎日記」や「人道主義の思潮」などの名著を残した阿部次郎は、
当時東北大学で倫理学を教えていて、「人間の尊厳」「人格主義」の思想形成を
深澤に影響を与えたという。
深澤の想いを発展継承した人物は太田祖電である。
真宗大谷派・碧祥寺の住職でもある。深澤哲学の一番弟子ともいわれた太田祖電は、
大谷大学を卒業後に、ブラジルでの生活体験もある。彼は35歳で村の教育長に、そして
村長に当選する。以来四期何れも無投票での村長であった。(「沢内村奮戦記」に詳しい)
碧祥寺参道入り口前の酒屋さん兼ドライブイン食堂に、車を止めさせてもらい、
碧祥寺参道のゆるやかな上り坂の杉木立をいくと、あまり立派とはいえない山門の先に、
真新しい本堂が建っている。こちらわ立派である。
中では法要中であった。帰り際にもよったが、他のご親族の法要がはじまるところであった。
そのため本堂裏の「絵」は拝観出来ずに帰ったのは、心残りであった。
本堂左奥に、幾つかの石塔があった。最初に目に入ったのは、「是信房」像碑である。
石塔は「親鸞聖人 是信房 御尊像」の銘が刻まれている。
博物館所蔵品は、境内三箇所に分散して建てられている建物の中にあった。
この旅でわたくしが是非見たかったのは、「隠し念仏」資料であった。
森口多里著「町の民俗」の第五章 余録 陸中の隠念仏の挿絵に、
「おれんぎ」の画が載っているが、それの実物を見たかったのである。
有りました。「隠し念仏」資料はそう多くは無いが、外の実物もみられた。
残念である。写真の撮影は禁止であるのは良いが、パンフレットや、
館内の資料は出していない、との事だった。でも 見られて良かった。
「町の民俗」 このブログでの約束は、ハンパな採りあげ方で終るが、
この場を借りてご勘弁願うとします。
沢内の山々に霞がたなびいて、日本画の世界であった。
「ここはいまも冬は大変な豪雪地帯ですが、半世紀前とは変わった。」と
お店のおばさんが語られていた。
追記 ニュース速報を見て (ブログ記入後 四時間後の追記)
~~驚いた。一国の首相が「気まぐれ病気」(官房長官記者会見でのコメントのひとつ)で、
職場放棄だ。市町村の代表者や、他人の人命に関わる仕事に携わる人々は、
自分の「生命をかけ」て、それをまっとうしようとして生きているのに。
これが「美しい国」の人としての人生ではないか、と思う。哀しい。