湖北観音様巡り
湖北には、たくさんの観音様がいらっしゃると知り、2日目はその観音様に会いに出かけました。
JR北陸線に乗り、高月駅で下車
静かな道を10分ほど歩くと、向源寺(渡岸寺観音堂)に着きました。
ここには、天平8年(736)聖武天皇の勅願により泰澄(たいちょう)が刻んだ、国宝の十一面観音立像があります。
戦乱時は、村人が命をかけて像を土中に埋蔵し、難をまぬがれたと言われています。
こちらの観音様は、肉付きがよく、人間的で、魅力的です
左足に重心をかけ、右足を前に踏み出そうとされているみたいで、まるでこちらに来て下さるような感じでした
今回は正面からしか見る事が出来ませんでしたが、頭部の背面には「暴悪大笑面」という口を開けて笑った顔が刻まれているそうです。
秋には観音堂の隣に建設されている建物に移されるそうで、そこでは間近でグルリと観音様の全体を見られるとのことです。
向源寺の隣には「高月町立観音の里 歴史民俗資料館」があります。
湖北地方の観音信仰や歴史などが、多くの文化財、ビデオを通して知る事が出来ます。
8月6日には「観音検定」というものが行われるらしいのです
勉強して、来年辺り受けてみようかしら
次に向かったのが、高月駅から一駅の木之本駅。
そこからバスに乗り約10分。井明神のバス停で下車。
下車した所には、高時川が穏やかに流れていました。
↓このまーっすぐの道を15分ほど歩くと、石道寺(しゃくどうじ)に到着です。
村の人達が交代で担当をしているそうで、いろいろと説明をして下さいました。
こちらの観音様は、先ほどの向源寺の観音様とはまた違い、とても素朴で、村人と共にいらっしゃる感じで、優しい顔で立ってらっしゃいました。
唇にはまだ紅の色が残っていました。
ここから己高閣・世代閣へ向かおうと思い、石道寺の方に道を尋ねると、「ここからずっと上に上がったら道に出るから、そこをずっとまっすぐ行けば着くよ。」と指さして教えてくれました。
でもその道が分からないのです。
私:「どこですか?」
石道寺の方:「そこ、そこ。」
私:「(まさか)ここですか…」
教えていただいた道は、こんな道だったんです。
「一人でこんな道大丈夫かなぁ?」と不安に思いながら進むと、綺麗な道に出ました。
きっと近道を教えてくれたんでしょう。
のどかな小道をズンズン行くと、飯福寺(いいふくじ)跡があります。
ここの参道の石段は、夏にはお薦めしません。結構きつくて、暑くて暑くて
秋は紅葉のトンネルが出来るらしく、美しいそうです。
ここから10分ほど歩いて己高閣(ここうかく)・世代閣(よしろかく)に到着。己高閣の後ろには、己高山(こだかみやま)という山があり、そこは昔一大仏教文化圏が形成されていたそうです。
そこで祀られていた仏像や神像が、ここに保存されています。
ここも、村の人達が交代で担当をされているようでした。
帰る時、「バスはあるの?」とおじさんに聞かれ、バスの時間を見ると約2時間後…
「ここから歩いたら30分くらいで、木之本駅に行けるよ。」と道を教えていただき、歩く事にしました。
おじさんは、「ちょっと見ていき。」と己高閣・世代閣の周りに建っている社の中の電気をつけてくれて、「大サービスや」と観音様を見せて下さいました。これまた、ホントにホントに素朴な観音様。
この辺りは、本当にたくさんの観音様がいて、村の人達に大事に守られているのだなと感じました。
おじさん、どうもありがとう
さて駅に向かって歩き出したのですが、全く分からない土地で、おじさんに教えられた事だけを頼りに歩くというのはとても不安なものです。
車は時々走るけど、人影は全くないので道も聞けないし。
途中で、こんな標識もあるし
この↓トンネルも400メートルぐらいあり、中にはいると暗いしヒンヤリしてるし、ちょっと不気味でした。
おじさん、30分位って言ってたけど、45分は歩きました。
駅に着いたらホッとすると同時に、汗びっしょり。
この日は、本当によく歩き、よく汗をかきました。
疲れたけど、たくさんの観音様、そして村の人達に会っておしゃべりができ、楽しい一日を過ごすことができました
高月町役場…http://www.town.takatsuki.shiga.jp/
木之本町観光協会…http://www.ex.biwa.ne.jp/~kino-kan/
湖北には、たくさんの観音様がいらっしゃると知り、2日目はその観音様に会いに出かけました。
JR北陸線に乗り、高月駅で下車
静かな道を10分ほど歩くと、向源寺(渡岸寺観音堂)に着きました。
ここには、天平8年(736)聖武天皇の勅願により泰澄(たいちょう)が刻んだ、国宝の十一面観音立像があります。
戦乱時は、村人が命をかけて像を土中に埋蔵し、難をまぬがれたと言われています。
こちらの観音様は、肉付きがよく、人間的で、魅力的です
左足に重心をかけ、右足を前に踏み出そうとされているみたいで、まるでこちらに来て下さるような感じでした
今回は正面からしか見る事が出来ませんでしたが、頭部の背面には「暴悪大笑面」という口を開けて笑った顔が刻まれているそうです。
秋には観音堂の隣に建設されている建物に移されるそうで、そこでは間近でグルリと観音様の全体を見られるとのことです。
向源寺の隣には「高月町立観音の里 歴史民俗資料館」があります。
湖北地方の観音信仰や歴史などが、多くの文化財、ビデオを通して知る事が出来ます。
8月6日には「観音検定」というものが行われるらしいのです
勉強して、来年辺り受けてみようかしら
次に向かったのが、高月駅から一駅の木之本駅。
そこからバスに乗り約10分。井明神のバス停で下車。
下車した所には、高時川が穏やかに流れていました。
↓このまーっすぐの道を15分ほど歩くと、石道寺(しゃくどうじ)に到着です。
村の人達が交代で担当をしているそうで、いろいろと説明をして下さいました。
こちらの観音様は、先ほどの向源寺の観音様とはまた違い、とても素朴で、村人と共にいらっしゃる感じで、優しい顔で立ってらっしゃいました。
唇にはまだ紅の色が残っていました。
ここから己高閣・世代閣へ向かおうと思い、石道寺の方に道を尋ねると、「ここからずっと上に上がったら道に出るから、そこをずっとまっすぐ行けば着くよ。」と指さして教えてくれました。
でもその道が分からないのです。
私:「どこですか?」
石道寺の方:「そこ、そこ。」
私:「(まさか)ここですか…」
教えていただいた道は、こんな道だったんです。
「一人でこんな道大丈夫かなぁ?」と不安に思いながら進むと、綺麗な道に出ました。
きっと近道を教えてくれたんでしょう。
のどかな小道をズンズン行くと、飯福寺(いいふくじ)跡があります。
ここの参道の石段は、夏にはお薦めしません。結構きつくて、暑くて暑くて
秋は紅葉のトンネルが出来るらしく、美しいそうです。
ここから10分ほど歩いて己高閣(ここうかく)・世代閣(よしろかく)に到着。己高閣の後ろには、己高山(こだかみやま)という山があり、そこは昔一大仏教文化圏が形成されていたそうです。
そこで祀られていた仏像や神像が、ここに保存されています。
ここも、村の人達が交代で担当をされているようでした。
帰る時、「バスはあるの?」とおじさんに聞かれ、バスの時間を見ると約2時間後…
「ここから歩いたら30分くらいで、木之本駅に行けるよ。」と道を教えていただき、歩く事にしました。
おじさんは、「ちょっと見ていき。」と己高閣・世代閣の周りに建っている社の中の電気をつけてくれて、「大サービスや」と観音様を見せて下さいました。これまた、ホントにホントに素朴な観音様。
この辺りは、本当にたくさんの観音様がいて、村の人達に大事に守られているのだなと感じました。
おじさん、どうもありがとう
さて駅に向かって歩き出したのですが、全く分からない土地で、おじさんに教えられた事だけを頼りに歩くというのはとても不安なものです。
車は時々走るけど、人影は全くないので道も聞けないし。
途中で、こんな標識もあるし
この↓トンネルも400メートルぐらいあり、中にはいると暗いしヒンヤリしてるし、ちょっと不気味でした。
おじさん、30分位って言ってたけど、45分は歩きました。
駅に着いたらホッとすると同時に、汗びっしょり。
この日は、本当によく歩き、よく汗をかきました。
疲れたけど、たくさんの観音様、そして村の人達に会っておしゃべりができ、楽しい一日を過ごすことができました
高月町役場…http://www.town.takatsuki.shiga.jp/
木之本町観光協会…http://www.ex.biwa.ne.jp/~kino-kan/
やっぱり人ごとやとおかしくて。
でも、旅先で親切にされるとうれしいもんでしょうね。
親切にした側も気持ち良いだろうし。
都会だとみんな自分のことだけになるのはなんででしょう?
熊出没注意の看板を見つけた時は、思わず辺りをキョロキョロしてしまいました。
鈴も持ってないし…
新しい看板だったので、やっぱり出てくる時があるんでしょうね
旅先での親切は、本当に嬉しいです。
「よくお参り下さいました。」ってみんなニコニコ笑顔で迎えて下さいます。
それだけで、ホッとします
私たちのサイトは、観光情報などをたくさん掲載し、北近江・長浜に来て
いただくお客様に便利で役立つサイトをめざしています。
このたびは、長浜に来ていただいてありがとうございます。
どうでしたか?長浜を満喫していただけたでしょうか?
勝手ながらですが、このブログを、『北近江へ行ってきました』に書き込んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。