中津川インター近くのビジホより(早朝6時半頃)なかなか幻想的な眺め
北側から雲海が市内にかかりはじめ、あっという間に市内は霧の中に包まれていました。
滞在二日目。
今日は笠置山とその山麓周辺の散策でした。
19年前に訪れていたはずでしたが、記憶に残っていた場所は殆ど皆無でした。
恵那市役所前で、世話人の方々と合流後一路「笠置町姫栗」地区にある立石(メンヒル)を見学しに行きました。
姫栗の立石 恵那市の史跡として認定されています。
そもそもこの周辺は旧石器から縄文にかけての遺跡(堀田遺跡)だったそうで、古代より祭祀がここで執り行われていた可能性は十分予想できることから興味深いです。
思わず「おぉ!!」と、東京組は声を上げてしまったのがこの二重構造の美しい形のストーンサクルでした。
ですが、地元出身の参加メンバーの一人の方が「以前はここにこんなモンはなかった」との事で、中央の立石は以前までさっき見た史跡の立石の近くに転がっていたのだそうです。このストーンサークルは誰かが客寄せで作ったものとの事でした。
祈りの岩 ここで、今回お誘いしてくれたS氏の名前が説明書きに書かれていて一同大興奮してしまいました。
S氏曰く「全く気づかなかった。以前はもっと下の方まで露出していたはずなんだけどなぁ。」との弁。
線刻(ペトログリフ)で何かの文様が描かれているそうですが正直日本でみつかったと言われているペトログリフに関しては、胡散臭いものばかりでなんとも言えないのが正直な感想です。
船形石 今回の世話人のメンバーの一人の方がとても気になっている石なんだそうです。途中で土塁に埋まっているので全容を見ることが出来たら面白いかもとお話されていました。
蛇石 地元の方には古くから崇敬されていた石だそうです。
蛇石から恵那山を仰ぎ見た図 遥拝所としての祭祀を執り行っていた場所として間違えないものと思われます。
そばには、井戸がありました。「蛇と井戸」で、かつては水神様を祀っていたのかも。と、思っていたら後日ネットで調べていたところ以前ここには「白髭大明神」のお宮があったそうです。思わずなるほど!と思ってしまいました。
地元の方が言うには子供の頃から「この石には蛇神様がいるんで、祟りがあるからは登るな」と、言われていたそうです。
続いて案内していただいたのは、笠置山の山麓にある遥拝所に向かいました。
場所は同じ姫栗地区にある「かかしストリート」の近くです。かかしストリートは、テレビ番組で取り上げられ新名所となりました。写真は撮れませんでしたが結構シュールな作品が多かったです。
笠置山遥拝所 笠置山の標高は1127mです。車で頂上近くまで上がれます。今は、パラグライダー、ロッククライミングの聖地として有名です。
近くにあった巨石
別の場所にあった遥拝所 笠置山は雨乞いの祈願の山として崇敬されてきたそうで各地に遥拝所が点在するのも頷けます。
続いて笠置山山頂とその周辺にあった巨石を探訪しに行きました。
物見岩 笠置山頂上近くにある眺望が素晴らしい場所です。ここへは、以前訪れていたはずですが記憶にありませんでした。中央アルプスから正面に恵那山がそびえます。
頂上駐車場からは面々と巨石が連なっています。
こういう岩屋を見るとちょっと探検がしたくなりますが、堆積した落ち葉で岩場が見えないので危険です。認識のある大人は決して近づかないように。
と、いいつつ19年前にここを訪れた時の写真を発掘^^; 若い!!(撮影:1999-11)
今回は、時間の都合で行けませんでしたが山頂周辺の発掘写真をこの機会にご紹介します。
笠置神社奥宮(撮影:1999-11)19年ぶりに今回里宮を参拝したのでようやく祈願成就できるでしょうか?
ヒカリゴケ(撮影:1999-11)以前訪れた吉見百穴でも怪しく光っていた記憶が蘇ります。
お次は、笠置山といえばここ!と言う場所に案内して頂けました。
ペトログラフ散策道 200メートルに渡り散策路が整備されてます。ここもかすかに記憶に残る場所でした。
ピラミッドストーン(1)中央に盃状穴 車道より散策路を入ったすぐ上にあります。
ピラミッドストーン(2)「ヒミカ石(太陽神を祀る。という意)」こちらは、車道から下ったすぐの所にあります。
それぞれ線刻と盃状穴が意味を持つ様に真しやかに語られていますが確かに以前ここを訪れた時は「ペトログラフ」だの「線刻画」だの大興奮でしたが、先ほども書いたように今となっては胡散臭く感じてしまうのは、やはり歳をとったせいなのでしょうか^^;?
さて、笠置山を後にして笠置神社へと向かいました。
一ノ鳥居 一見「伊勢神明」かと思いきや反り増しが発生しています。
ここで、社格を表す「銀幣社」に注目。どうやら岐阜県だけに見られる社格の称号のようです。以下のような記述をみつけました。
『岐阜県神社庁史』(岐阜県神社庁,1994 郷土:170.2/ギケ)を参照、p.85に記載あり。例祭などで神社本庁から献幣されるとき、県神社庁長が参向する神社では金幣をもって奉幣行事が行われるため、氏子の間でこの称号が用いられるようになった。
なお同様の理由で、県神社庁支部長が参向する神社は銀幣社、部会長が参向する神社は白幣社と呼ばれる。
(以上はこちらより引用)
二ノ鳥居 反りが多少鋭角ですが八幡鳥居です。均整の取れた鳥居です。
ちょっと面白い作りの本殿 本殿と思われる位置から更に何やら覆屋があります。
祭祀:伊邪那岐命・伊邪那美命・天児屋根命・火産霊命・水分神(みくまりのかみ)・誉田別神(こんだわけのかみ)
御神木の夫婦杉
ここで、同行したS氏がら興味深い石があるとの事で散策してみることに。
神池の対岸にピラミッドストーンを発見!笠置神社奥宮より途中のピラミッドストーン経由でここまで、北西↔南東にかけほぼ一直線上に並ぶそうです。
由緒が書かれた石碑の台座に使われていた巨石 祭壇石としてここもかつて遥拝所の一つだった可能性を示唆されました。
恵那中野方コミュニティセンターで、昼食~講演を聴講後この近くにある景勝地「坂折の棚田」に連れて行ってもらいました。
坂折の棚田 日本の棚田100選のひとつに選ばれています。やはり管理が大変だとかで今は、だいぶ潰してしまったそうです。
ここでもやっぱり周辺の石を紹介して頂けました。
雨乞い岩 やはり笠置山の方向に正面が向いています。
石段がある事からここで祭祀を執り行っていたのでしょう。
腰掛石 車道の脇にポツンとあります。実は、以前別の場所にあったものをここへ移したんだそうです。
この辺りは瓦礫の山 周囲にあった石をここへまとめたのだとか。
巨石探訪はここで終了。
今回いろいろな場所に訪れる事が出来て大満足です。再訪だった場所がけっこう多かったはずでしたが全く記憶になくやはり当時は、巨石や磐座に対しあまり思い入れがなかったからなのでしょう。
今回は、しっかりと記憶に残る二日間となりました。
最後に今回訪れ訪れる事が叶わなかった鍋山メンヒルの写真を頂戴したのでご紹介します。
鍋山メンヒル 夏至の早朝の太陽 (写真提供:恵那先史文化研究会)
こちらは同場所に訪れた時のもの。(撮影:1999-11)自分の身長が175㌢ですので意外と小さいです。
若い!!そしてスリム^^;
(2018-12-7 追記)
併せて、当時訪れた時の興味深い写真が発掘されましたのでこの機会にご紹介しておきます。
民家の庭先にある(った?)「オガム岩」(場所は、恵那市の中野方地区の民家の庭先だったと記憶しています。)
なんと!一部ですが以下のように解読されてます。
:太陽暦の狼の年龍の川の両岸の
:藪に
:月から降臨した明るい光の神を祭祀する 月の警告により3369年(1374BC)
解読者:マイケルジェラルドブテッド博士(カナダケベック州)
解説文(サムネイルをクリックして拡大)
正直眉唾モン^^;ではありますが訪れた当時(1999年)は、ロマン溢れる話に心躍りながら興味深く探訪した記憶があります。
北側から雲海が市内にかかりはじめ、あっという間に市内は霧の中に包まれていました。
滞在二日目。
今日は笠置山とその山麓周辺の散策でした。
19年前に訪れていたはずでしたが、記憶に残っていた場所は殆ど皆無でした。
恵那市役所前で、世話人の方々と合流後一路「笠置町姫栗」地区にある立石(メンヒル)を見学しに行きました。
姫栗の立石 恵那市の史跡として認定されています。
そもそもこの周辺は旧石器から縄文にかけての遺跡(堀田遺跡)だったそうで、古代より祭祀がここで執り行われていた可能性は十分予想できることから興味深いです。
思わず「おぉ!!」と、東京組は声を上げてしまったのがこの二重構造の美しい形のストーンサクルでした。
ですが、地元出身の参加メンバーの一人の方が「以前はここにこんなモンはなかった」との事で、中央の立石は以前までさっき見た史跡の立石の近くに転がっていたのだそうです。このストーンサークルは誰かが客寄せで作ったものとの事でした。
祈りの岩 ここで、今回お誘いしてくれたS氏の名前が説明書きに書かれていて一同大興奮してしまいました。
S氏曰く「全く気づかなかった。以前はもっと下の方まで露出していたはずなんだけどなぁ。」との弁。
線刻(ペトログリフ)で何かの文様が描かれているそうですが正直日本でみつかったと言われているペトログリフに関しては、胡散臭いものばかりでなんとも言えないのが正直な感想です。
船形石 今回の世話人のメンバーの一人の方がとても気になっている石なんだそうです。途中で土塁に埋まっているので全容を見ることが出来たら面白いかもとお話されていました。
蛇石 地元の方には古くから崇敬されていた石だそうです。
蛇石から恵那山を仰ぎ見た図 遥拝所としての祭祀を執り行っていた場所として間違えないものと思われます。
そばには、井戸がありました。「蛇と井戸」で、かつては水神様を祀っていたのかも。と、思っていたら後日ネットで調べていたところ以前ここには「白髭大明神」のお宮があったそうです。思わずなるほど!と思ってしまいました。
地元の方が言うには子供の頃から「この石には蛇神様がいるんで、祟りがあるからは登るな」と、言われていたそうです。
続いて案内していただいたのは、笠置山の山麓にある遥拝所に向かいました。
場所は同じ姫栗地区にある「かかしストリート」の近くです。かかしストリートは、テレビ番組で取り上げられ新名所となりました。写真は撮れませんでしたが結構シュールな作品が多かったです。
笠置山遥拝所 笠置山の標高は1127mです。車で頂上近くまで上がれます。今は、パラグライダー、ロッククライミングの聖地として有名です。
近くにあった巨石
別の場所にあった遥拝所 笠置山は雨乞いの祈願の山として崇敬されてきたそうで各地に遥拝所が点在するのも頷けます。
続いて笠置山山頂とその周辺にあった巨石を探訪しに行きました。
物見岩 笠置山頂上近くにある眺望が素晴らしい場所です。ここへは、以前訪れていたはずですが記憶にありませんでした。中央アルプスから正面に恵那山がそびえます。
頂上駐車場からは面々と巨石が連なっています。
こういう岩屋を見るとちょっと探検がしたくなりますが、堆積した落ち葉で岩場が見えないので危険です。認識のある大人は決して近づかないように。
と、いいつつ19年前にここを訪れた時の写真を発掘^^; 若い!!(撮影:1999-11)
今回は、時間の都合で行けませんでしたが山頂周辺の発掘写真をこの機会にご紹介します。
笠置神社奥宮(撮影:1999-11)19年ぶりに今回里宮を参拝したのでようやく祈願成就できるでしょうか?
ヒカリゴケ(撮影:1999-11)以前訪れた吉見百穴でも怪しく光っていた記憶が蘇ります。
お次は、笠置山といえばここ!と言う場所に案内して頂けました。
ペトログラフ散策道 200メートルに渡り散策路が整備されてます。ここもかすかに記憶に残る場所でした。
ピラミッドストーン(1)中央に盃状穴 車道より散策路を入ったすぐ上にあります。
ピラミッドストーン(2)「ヒミカ石(太陽神を祀る。という意)」こちらは、車道から下ったすぐの所にあります。
それぞれ線刻と盃状穴が意味を持つ様に真しやかに語られていますが確かに以前ここを訪れた時は「ペトログラフ」だの「線刻画」だの大興奮でしたが、先ほども書いたように今となっては胡散臭く感じてしまうのは、やはり歳をとったせいなのでしょうか^^;?
さて、笠置山を後にして笠置神社へと向かいました。
一ノ鳥居 一見「伊勢神明」かと思いきや反り増しが発生しています。
ここで、社格を表す「銀幣社」に注目。どうやら岐阜県だけに見られる社格の称号のようです。以下のような記述をみつけました。
『岐阜県神社庁史』(岐阜県神社庁,1994 郷土:170.2/ギケ)を参照、p.85に記載あり。例祭などで神社本庁から献幣されるとき、県神社庁長が参向する神社では金幣をもって奉幣行事が行われるため、氏子の間でこの称号が用いられるようになった。
なお同様の理由で、県神社庁支部長が参向する神社は銀幣社、部会長が参向する神社は白幣社と呼ばれる。
(以上はこちらより引用)
二ノ鳥居 反りが多少鋭角ですが八幡鳥居です。均整の取れた鳥居です。
ちょっと面白い作りの本殿 本殿と思われる位置から更に何やら覆屋があります。
祭祀:伊邪那岐命・伊邪那美命・天児屋根命・火産霊命・水分神(みくまりのかみ)・誉田別神(こんだわけのかみ)
御神木の夫婦杉
ここで、同行したS氏がら興味深い石があるとの事で散策してみることに。
神池の対岸にピラミッドストーンを発見!笠置神社奥宮より途中のピラミッドストーン経由でここまで、北西↔南東にかけほぼ一直線上に並ぶそうです。
由緒が書かれた石碑の台座に使われていた巨石 祭壇石としてここもかつて遥拝所の一つだった可能性を示唆されました。
恵那中野方コミュニティセンターで、昼食~講演を聴講後この近くにある景勝地「坂折の棚田」に連れて行ってもらいました。
坂折の棚田 日本の棚田100選のひとつに選ばれています。やはり管理が大変だとかで今は、だいぶ潰してしまったそうです。
ここでもやっぱり周辺の石を紹介して頂けました。
雨乞い岩 やはり笠置山の方向に正面が向いています。
石段がある事からここで祭祀を執り行っていたのでしょう。
腰掛石 車道の脇にポツンとあります。実は、以前別の場所にあったものをここへ移したんだそうです。
この辺りは瓦礫の山 周囲にあった石をここへまとめたのだとか。
巨石探訪はここで終了。
今回いろいろな場所に訪れる事が出来て大満足です。再訪だった場所がけっこう多かったはずでしたが全く記憶になくやはり当時は、巨石や磐座に対しあまり思い入れがなかったからなのでしょう。
今回は、しっかりと記憶に残る二日間となりました。
最後に今回訪れ訪れる事が叶わなかった鍋山メンヒルの写真を頂戴したのでご紹介します。
鍋山メンヒル 夏至の早朝の太陽 (写真提供:恵那先史文化研究会)
こちらは同場所に訪れた時のもの。(撮影:1999-11)自分の身長が175㌢ですので意外と小さいです。
若い!!そしてスリム^^;
(2018-12-7 追記)
併せて、当時訪れた時の興味深い写真が発掘されましたのでこの機会にご紹介しておきます。
民家の庭先にある(った?)「オガム岩」(場所は、恵那市の中野方地区の民家の庭先だったと記憶しています。)
なんと!一部ですが以下のように解読されてます。
:太陽暦の狼の年龍の川の両岸の
:藪に
:月から降臨した明るい光の神を祭祀する 月の警告により3369年(1374BC)
解読者:マイケルジェラルドブテッド博士(カナダケベック州)
解説文(サムネイルをクリックして拡大)
正直眉唾モン^^;ではありますが訪れた当時(1999年)は、ロマン溢れる話に心躍りながら興味深く探訪した記憶があります。
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