今回は、磐座・巨石カテゴリから山梨県北杜市須玉町若神子に鎮座する「若神子諏訪神社」の紹介です。
ここは、山梨では珍しい御柱を祀る諏訪神社として、崇敬が厚い神社でもあります。
須玉インターから県道141号清里ラインを北上し、須玉総合支所前交差点を過ぎた左手。バーミヤンの裏手に若神子諏訪神社が鎮座しています。
若神子諏訪神社(上之社)祭祀:建御名方命
ここでは、特殊神事として信州の諏訪大社と同じく山梨県内では珍しい「御柱祭」が、7年に一度寅と申の年五月に催されます。
但し御柱は、二本(一・二之御柱)だけで執り行われている様です。
若神子諏訪神社・御柱祭2016(山梨県北杜市須玉町)
境内には「丸石神」が祀られていました。丸石神は、以前も記事にしましたが、山梨県笛吹市。山梨市周辺ばかりに存在するもの思っていましたが、北杜市や韮崎市でもけっこう見られる事から、山梨各地に渡ってまだまだかなりの数があるものと思われます。
さて、ここの由緒に面白い記述をみつけました。
延喜式所載の笠屋神社なり。往古 笠宿りの神事ありしに因り起る。又一説に穴山村に穂見神社あり之を中之社と称し、駒井村に 当麻戸神社(尾比礼社)あり之を下之社と称す 当社笠屋の笠は上之社の意なり。当社は新羅三郎義光及び武田の武将黒源田清光の祈願所なりとの由。御朱印領三石四斗、社中に其の霊を祀り、義光明神と云う。又祠後大岩の上に圭角の巨石あり、大石神社とも云う。明治六年郷社に列し、同四十一年御崎神社を合祀す。現在 の本殿は貞享五年九月二十八日の建立なり。 |
以上の由緒からわかることは
- ここはかつて笠屋神社と呼ばれていた。
- 笠屋の「笠」とは、ここが上之社だったから。
- 中之社は、穂見神社(韮崎市穴山町)、下之社は、当麻神社(韮崎市藤井町)に鎮座(後日報告予定)
- 背後に巨石あり(圭角の巨石)かつて大石神社とも呼ばれていた。
- 圭角の“圭”とは、角が取れると言った意
本殿裏手にあった巨石
由緒にもある背後にある巨石ですが、現地で本殿裏手辺りを探し歩いたのですが大岩と呼べるほどの大きさの巨石は、特に見つかりませんでした。
気になったので、自宅に戻りWEB調査してみたところ…。
どうやら裏手の高台にある「須玉歴史ふるさと公園 (若神子城跡)」内に「宿借石」と言う巨石がある事が判明。
この巨石が、諏訪神社(笠屋神社)のかつての御神体石の磐座だった事があきらかなようなので、日を改め再度訪ね歩いてみる事にしました。
(サムネイルをクリックして拡大)
かつての本丸があった辺り
中央に富士山 見晴らしはなかなかです。以前のろし台(復元)があったそうですが、現在は朽ちて今は撤去されている様です。
ここは、信玄公を輩した武田家の祖先であり、甲斐源氏の祖でもある新羅三郎義光が、京の都から甲斐に移って初めて居館を構えたところと伝えらています。
園内マップを頼りに「宿借石」を探しました。
健康ランド須玉入口の南側にある公園入口(マップでは右端)から上がった登城路途中に宿借石があります。(中央広場から登城道を5分ほど降りた辺り)
宿借石:この石の前方は庇の様に突き出ていて、その下に二三人の人を入れる程の空所がある。昔逸見義清がこの地に来て雷雨に逢い、この石の下に雨を避けたので、宿借石という名が生じた。麓の諏訪神社を一に大石神社というのも、この石に因んだのであろう。 (以上は、こちらより引用)
高さ5メートルほどはあるでしょうか。諏訪神社の由緒にあるように、角がえぐれ(圭角)となっています。
説明によれば、こちらの石垣と対で虎口(ここう)を形成していたものと推定されているそうです。
【マップ】
※車は、バーミヤンかお隣のローソンの駐車場をお借りして停められます。
※トップの写真は、宿借石の碑銘ですが、その横に「若神子の七不思議」と、あったので少し調べてみたところ岩にまつわるなかなか興味深い伝承があるようです。いずれ訪ね歩いてみたいと思っています。
🔳若神子の七不思議(以下はこちらから引用)
- 鉄砲岩(天気が悪くなると大砲に似た音を出すと言われる )
- 宿借石(森羅三郎義光が、突き出た岩の下で雨宿りしたと伝えられる )
- 甲金橋(この橋を渡ると、甲州金の音がすると言い伝えられる )
- 乳母石(うばいし)(若神子城が落城した際、山を降りてきた乳母が、この地まで来たところ石に化けてしまったと言い伝えられる )
- 稚児が石(岩のでこぼこが子供の足の形に窪んでいることからこの名がついた )
- 赤坂の岩清水(竹の内にあり、昔旅人がこの地に休憩して冷たい清水を頂き、疲れを癒したと伝えられる )
- ゆるぎ岩(動石)(指で静かに動かせば動くと言い伝えられる )
若神子(わかみこ)の七不思議
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