
今回は、甲斐市亀沢地区にある船形神社と社名の由来となった“亀沢の舟石”の紹介です。
船形神社と舟石へは、JR中央本線竜王駅より北へ、県道101号「敷島竜王線」を北上。亀沢川と並走して走ること7キロほど走った右手に舟石、道路をまたいだ反対側に船形神社は鎮座しています。

石製台輪鳥居 扁額には、諏訪明神とありました。

随神門

船形神社拝殿

船形神社本殿
祭祀:建御名方命
由緒:船形神社の創建は霊亀元年(715)とされ、文徳天皇仁寿元年(851)に当時の甲斐守である小野朝臣貞村が社殿を造営、康平7年(1064)に新羅三郎義光朝臣が社殿を再建したと伝えられています。中世は甲斐守護職の武田家が庇護し、天正10年(1582)に武田家が没落し新たに徳川家が領主になると社領一石九斗余が安堵されています。 (こちらより引用)

境内にあった巨石

こちらは、おなじく境内にあった船形に掘られた手水石
道路を挟んだ向かいに、神社の名称の由来となった“舟石”があります。

亀沢の舟石
案内板(クリックして拡大します。)
周囲約55メートル、高さ8.3メートルの花崗岩の大岩塊で、土石流か火砕流によって上流部からはこばれてきたもと考えられています。江戸時代後半に編纂された「甲斐国志」にも記載があり、近くの船形神社(諏訪明神)の社名の由来になったといわれています。(甲斐市指定天然記念物)

舟石より北側の展望 県道101号この先は、昇仙峡方面と先日ご紹介した高原神社へと続いています。

舟石より亀沢川を望む 高さ8.3メートルとありますが、こちらからだとかなり高く感じられます。

北側県道側から舟石を望む
鳥居の扁額にもあるように、以前は、諏訪神社だった社名を「舟石」に因み改称したものと思われます。もともとこの舟石が信仰の対象だったのではないかと推測しています。
【マップ】
※境内の裏手に回り「睦沢地域ふれあい館」の前に駐車スペースがあります。
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