さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

今日はリモート面会の日でした。その後、担当看護師さんと会い、相談員の方とも話しました。それに、驚きの嬉し過ぎる遭遇も

2022-01-07 23:32:13 | 大腿骨転子部骨折
今日は今月1回目のリモート面会の日です。
天気も良く、風も弱いようなので、自転車で行くことにはしたのですが、前日の雪が心配でした。
午後になると、終日日陰の道路以外は雪は完全に融けているようですから、いつもより10分早く家を出ました。

リモート面会用の部屋の前で待っていると、僕の前の方が終わって部屋から出て来ます。
「2時40分からリモート面会の○○さんですか?」と今日初めて見る若い男性職員が僕に話しかけて来ます。
「はい、そうです」と、促されて部屋に入りました。
真面目そうな若い男性職員はリモート面会の規則が書かれた用紙を読むように僕に言います。
時間もあるので、読んでいると、面会回数がまだ月に1回と記されたままでした。
「規則が変更されて、月に2回になったようですよ」と僕は彼に話しました。

それからはいつもと同様に画面にさっちゃんの顔が現われます。
昨日からリハビリ病棟ですから、昼間は上着に着替えて車椅子に座って過ごすようにしているようですね。
薄い藤色のトレ―ナーのようなのを着ています。
「さっちゃ~ん」
「さっちゃ~ん、目、開けてごら~ん」
「僕だよ~」
と繰り返し呼びかけます。
さっちゃんは目を閉じたまま。
「さっちゃ~ん、ご飯食べてる~」
「さっちゃ~ん、よく寝てる~」
「さっちゃ~ん、リハビリ頑張ってる~」

そんな呼びかけも混ぜます。
すると、ちょっとだけ目が開きました。
「あっ! 目が開いたね~」
「あれっ、また閉じちゃった」
「また、目を開けてごら~ん」

目はなかなか開けてくれません。
開けてくれても、
「さっちゃ~ん、こっちだよ、こっち向いてごら~ん」
「あらら、また閉じちゃったね」

相変わらず、画面を、画面に映っている僕の顔を意識している様子はありません。
それでも、前回よりは目を開けた回数やトータルの時間はほんの僅かでしょうが、長かったような気がします。

リモート面会の途中で、僕は3枚の写真を撮りました。
画面に映っているさっちゃんをです。
2枚撮ったところで、若い男性職員が「写真撮影は禁止となっていますので」と言います。
「それは知っていますけれど、最初の時にもっと年配の担当の方から、
画面だけならいいですよ、と許可されたものですから」
と僕は答えました。
さらに、僕を説得しようと話しかけてくるものですから、僕は手で制して、今はその話は止めてくださいと、意思表示します。
たった15分の貴重なリモート面会時間ですものね。

その後、撮った3枚目の写真がこれです。


▲14:49。この日撮れた唯一目の開いた写真です。僕のブログでは原則、目と鼻は隠すことにしているのですが、この写真で目を隠してしまうと、何の意味もありませんからね。

帰宅して、リモート面会の規則を読み直してみました。
《職員の許可なく、録音・録画・写真撮影等は行なわないでください》となっていました。
初めての担当者さんだったら、改めて許可を頂いた方が良かったのでしょうね。
次回からはそうしたいと思います。
でも、《原則、1回につき2名》となっているのに、僕の次の方は4名も部屋に入って行きました。
まあ、面会なんて言うのは人と人との人情の通わせ合いですから、大らかにやって欲しいものですよね。
今日の若い担当者は生真面目すぎる雰囲気で、杓子定規に構えていたので、もう少し物腰軟らかく対応して欲しいと思いました。


今日は午前中に2度、A病院から電話がありました。
1度目はリハビリ病棟の担当看護師さんで、さっちゃんが飲んでいた経腸栄養剤のラコールを10個ほど持って来て欲しいというお願いでした。
2度目の電話は病院の相談員さんで、リモート面会終了後、少しお話しをしたいということでした。

リモート面会が終わって外に出ると、相談員さんがおられました。
すぐに担当の看護師さんも来られて、上履きとラコールを渡しました。
昨日からさっちゃんを担当してくださっているのでしょうが、さっそく心配事の相談です。
食事のことと水分摂取のことです。
さっちゃんは食べる気のない時は、どんなに促しても絶対に口さえ開けてはくれませんからね。
何か水分を飲む場合も同じです。
看護師さんはすでにそのことで苦労されているようですね。
「もともと凄く小食でしたから、無理して食べさせたりはしていませんでした。
それに、食べる時はそれなりにたくさん食べていましたから」

咽ることはないようなんですが、誤嚥も心配なので、とろみを付けたり工夫してくださっているようです。
でも、とろみが付いているのはあまり好みではないみたいですね。
その看護師さんから頼まれて、病院内の売店でゼリー飲料2個ととろみを付けるものを1箱購入しました。
さっちゃんが病院で飲むものなどに関する規則はどうなっているのか、ちょっと気になりますね。

看護師さんと話している最中に、本当に偶然、さっちゃんが車椅子に乗せられて、僕の前を通りました。
リハビリ病棟へ来てからは、午前と午後の2回、リハビリを行なうのだと思いますが、リハビリ室へ行く途中だったようです。
僕とばったり出会って、車椅子を止めてくれました。
手術の日も直に会うことが出来ましたから、ちょうど1ヶ月ぶりの対面です。
さっきのリモート面会の時よりも、数倍も目を開けてくれました。
僕のことが誰なのか分かってないのかもしれませんが、僕を時折見てくれました。
それに何かしら喋ってもいます。
相変わらず意味不明ですが、喋っています。
僕はさっちゃんの顔を撫ぜ、額と額をくっつけ、手を握りました。
手術直後はそんなことは出来ませんでしたから、入院した日以来です。
脚も触ってみました。
予想通り、太股や脹脛の筋肉は痩せ細っていました。
昔、さっちゃんが9ヶ月間入院した際の経験がありますから、さほど驚きはしません。
やっぱりな、という感想です。

車椅子を押している女性はPT(理学療法士)さんなんでしょうか。
リハビリの様子を少し聞いてみました。
立ち上がろう、歩こうという意志が弱いようですね。
昔の大怪我の際は「絶対に再び登山できるようになるぞ!」と、強烈な意志の塊りのようなさっちゃんだったんですがね・・・・
でも、こんなことを教えてくれました。
さっちゃんのリハビリで、平行棒を使って5mほど歩いたそうなんです。
凄いですね!
いつもそれくらい頑張って欲しいですね!
今の筋力でも、それくらいのことが出来る能力はあるということです。
やっぱり意志の力が大切ですね。
いつまでも、さっちゃんの手を握ったり、体を擦ったりしていたかったのですが、そうもいきません。
さっちゃんはこれから大切なリハビリですから。

さっちゃんが遠ざかって行き、看護師さんとも別れました。
病院の玄関ロビーに移動して、椅子に座り、相談員さんとしばらくお話しました。
前日に電話で聞かれたことの再確認のようなことでした。
退院に向けての僕の側の態勢や準備の確認でしょうか。
退院までの期間もとりあえずリハビリ病棟へ移ってから1ヶ月半ですが、最長でも3ヶ月までのようですね。
いくら長くても、桜が咲いている頃までには退院できるようです。
直接会って、話しをされたかったのでしょうし、今後より具体的な相談内容が発生した時のために、顔繋ぎの意味もあったのでしょう。
相談員と言われていましたが、名刺には「社会福祉士 介護支援専門員」と書かれていました。
リモート面会の様子もご覧になっていたようで、
「さっちゃんの旦那様なので85歳くらいの方かな、と思っていたんですが、お声が若くて」と思ったそうです。
「僕の方がずっと若いんですよ。
でも、こうなってしまうと、僕が若くて良かったな、と思いますね」


眩しい夕陽を右前方、左前方から浴びながら、自転車を漕いで家に戻りました。
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さっちゃんは今日リハビリ病棟へ移りました。さっそく看護師さんから電話が入りました

2022-01-06 17:27:31 | 大腿骨転子部骨折
1月6日リハビリ病棟へ移ることは既定路線でしたが、さっそく看護師さんから電話が入るとまでは思いませんでした。
リハビリ病棟へ移るということは、退院へ向けてのカウントダウンが始まるということのようですね。
一般的には1ヶ月半くらいリハビリ病棟に居たら、それくらいが退院する目途のようです。
2月20日前後を視野に入れながら、準備も進めないといけないということのようですね。

看護師さんが僕にいろいろと質問します。
まずは、さっちゃんが退院した場合の受け入れ先です。
自宅で受け入れるのか、施設が受け入れるのかということ。
僕にとって、この答えは明瞭です。
「可能な限り、自宅で受け入れたいと思っています」

自宅での受け入れに関係した質問もありました。
「お住まいは一戸建てですか、マンションですか?」
「アパートです」
「何階ですか?」
「○階です」
「エレベーターはありますか?」
「あります」
「部屋には手摺りなどはありますか?」
「トイレとお風呂にはあります」
「段差はありますか」
「いちおうバリアフリー対応なので、ありません」
「車椅子が通れる広さはありますか?」
「あります」
「入院前はベッドでしたか? お布団でしたか?」
「布団でした」
「ベッドを入れるスペースはありますか?」
「あります」


他にも入院前の生活自立度についても聞かれました。
食事やトイレや着替えについては、ほぼ全介助だったと言いました。
歩行についても聞かれましたが、しっかりと歩けていたと伝えました。
しっかりとと言っても、家の中を普通に歩く程度のことですけれどね。
「勝手に出歩いたりすることはなかったですか?」とも、聞かれました。
「以前はありましたけれど、ここ2年くらいはないですね」と答えます。
他にも幾つか聞かれたように思いますが、忘れました。

そして、看護師さんから重要な要請がありました。
それは介護度の区分変更申請手続きを進めることです。
申請手続きをしても、実際に決定がなされるのには時間がかかるので、すぐにでも進めておいて欲しいと言うのです。
とはいえ、僕には疑問点がありました。
現状で介護度を決めれば、ほぼ確実に要介護になると思います。
でも、リハビリが進んで、以前同様歩けるようになったりしたら、介護度はくらいで収まるはずですよね。
そのあたりを聞いてみましたが、その場合は再度変更すればいいと、言われました。
まあ、確かにそうですね。
最悪の事態に対応できるように準備しておいた方がいいということなんでしょうね。
この件では、電話終了後、ケアマネさんにお願いしておきました。
入院中の手続きになりますから、市役所からの担当者と看護師とさっちゃんとで行なうそうです。
僕もケアマネさんも立ち会うことは出来ません。

自宅での受け入れになった場合、看護師さんとして心配なのは僕が適正に介護できるかと言うことです。
おそらくその辺りに関連した質問なんでしょう。
「料理、洗濯、お掃除等の家事はどうされていましたか?」
「全部僕がやっていました」
「オムツになる可能性もありますが」
「寝たままで穿き替えるということですよね?」
「そうですね」
「もちろん未経験のことですから不安はありますけれど、慣れていけば出来ると思います」
「そうですね、訪問介護などを活用して、教えてもらうことも出来るでしょうし」


介護制度の利用についての話もありました。
ショートステイ11月に初めて1度だけ利用したことや、そこが車椅子にも対応してくださること等を看護師さんにも話しました。
また、ST(言語聴覚士)訪問リハビリに来ていただいていたこと、退院後はPT(理学療法士)に来てもらうことも考えたいと言いました。

立ち上がったり、歩いたり出来るようになって欲しいとは切実に思いますけれど、そうでなくても、早く退院して一緒に暮らしたいですね。
リハビリは家でも行ないたいと思いますし。
僕もやるでしょうし、訪問リハビリのPTさんにもお願いしたいと思いますから。

介護がこれまで以上に大変そうな気配は濃厚に漂って来ます。
でも、思いのほか早くさっちゃんが家に帰って来る、その喜びへの期待の方が強いですね。
立ち上がれない、歩けない、僕のことを忘れている、笑顔も消えている、そんな状態での退院かもしれません。
それでも嬉しいですよね、我が家に戻って来てくれるのは。
ゆっくり時間をかけて、立ち上がり、歩き、僕を認識してもらい、笑ってもらう、そんな努力も楽しそうですよね。
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復活登山の第4弾は奥多摩の日の出山へ

2022-01-05 21:48:12 | ザイルと焚火と焼酎と
3年間かけてじわじわと失った山体力を取り戻すのはなかなか大変だ、ということを痛感しつつあります。
天覧山ひとり岩トレでも実感していることですが、例え最初は酷く低いレベルでも、続けることで本当に少しずつ確実に伸びていくのです。
この山体力の復活も同様であることが、この復活登山4回目で明確に自覚できて来ました。
復活登山第○弾といった表現は今回限りで終了させたいと思います。
地道に楽しく山行を続ける中で、自然と山体力も以前のレベルに近づいて行くことと思います。

山行の様子はザイルと焚火と焼酎とをお読みください。

復活登山第4弾は日の出山から愛宕神社へ

日の出山北尾根の急登を体験したかったのですが、植林伐採中で入山禁止になっていたのは残念でした。
ケーブルカー下の道路は単調な登りでしたが、いいトレーニングになったと思います。
今回も感じましたが、まだ下りが遅くて弱いですね。
脚の筋肉は下りの方が必要ですから、脚力が弱い証拠だと思います。


▲12:22。日の出山山頂の写真です。この山頂で必ず思い出すのは、1999年5月8日のこと。さっちゃんが脛骨最上部の骨折をし、2回の手術とトータル9ヶ月の入院を経て、2度目の登山でした。1度目は192mの丘でしたから、実質初めての登山と言ってもいいくらいです。右膝を保護するための装具は太股から足首までの大きさです。当然、ズボンには収まり切りませんから、見えています。とっても目立ちます。ストックを松葉杖替りに2本持って、さっちゃんが日の出山山頂に現われたんです。すると、山頂で休憩している人たちの注目の的になってしまいました。口々に「頑張ってください!」と声がかかりました。気恥ずかしくて、山頂はそのまま通過しました。そして、御岳ケーブルカーで下山したのです。下山の方が足への負担が何倍もありますし、バランスも取りづらいからです。

今回は単独の山行でしたが、初回のゴンザス尾根の時よりは休憩が少なかったと思います。
でも、まだまだ単独だとゆっくりな歩きになってしまいますね。
このブログを書きながら、今ふと思ったのですが、昔は単独だとついつい速く歩き過ぎていたことを思い出しました。
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病院からの連絡で垣間見えるさっちゃんの状況は・・・・

2022-01-04 22:54:21 | 大腿骨転子部骨折
コロナ禍がなくて、さっちゃんに毎日面会できているなら、さっちゃんの状況は手に取るように分かるはずです。
でも、リモート面会が月に2回、1回15分だけ、画面ごしに見るだけですから、詳しい状況など分かりようがありません。
ナースステーションに電話を繋いでもらえば、少しは状況を聞くことが出来るのですが、病状やリハビリの正確なレベル等は教えてもらえません。
そんな中、病院から僕に2回電話がかかって来ることがありました。

1回目は昨年の12月28日、事務の方からの次のような連絡でした。
「1月6日にリハビリ病棟に移動します。
ついては、昼間はトレーナー等に着替えることになりますから、CSセットが変わります。
これまでのCプランがAプランになって、1日当たり100円ほど費用も増しますけれど、よろしいでしょうか?」

CS(ケア・サポート)セットとは、入院生活で必要となる衣類・タオル類・紙おむつ類のレンタルサービスのことです。
Aプランが1日815円(税込み)ですから、それなりに費用がかかりますよね。
もちろん、「はい、いいです。よろしくお願いします」と答えました。

僕の返答を聞くと、相手はすぐに電話を切りそうな雰囲気になります。
僕は切られそうになる直前に、こんなことを聞いてみました。
「リハビリ病棟に移るということは、何か立てるようになったとか、歩けるようになったとか、
何らかの条件がクリア出来たからなんでしょうか?」
と。
でも、返事は「こちらでは分かりません」。
以前にも、こんな質問をしたことがあったように思います。
「リハビリ病棟への移動には、特別な条件はありません」と言われたように記憶しています。
体調に問題がなく、術後の経過が順調ならば、いつでも移動可能なんでしょうね。

さらに、今日1月4日に担当の看護師さんから電話がかかって来ました。
看護師さんから電話があったりすると、一瞬すごく緊張します。
何か、さっちゃんに悪いことでも起きたんじゃないかと心配してしまいます。
でも、すぐにそんな心の動揺は収まりました。
リハビリ病棟へ6日に移るので、履物を持って来て欲しいとのことでした。
今でも車椅子には乗っているようなんですが、リハビリ病棟へ移動すると、さらにそういう時間が増えるんでしょう。
スリッパではない、上履きのような履物を持って来て欲しいと言われました。
「7日にリモート面会の予約が入っているんですが7日でもいいですか?」と聞くと、
「ええ、いいですよ」とのこと。

多忙な看護師さんですから、やっぱり用件が終わるとすぐに電話を切りそうになります。
そこを間髪入れず、僕は質問します。
「車椅子に乗っていると言われましたが、自分で立ち上がって乗るんですか?
自力で立ち上がれるようにはなったんですか? それとも手を持って立ち上がらせたり・・・・」

でも、看護師さんの返答は僕の想像してなかったものでした。
「立ち上がることは出来ませんから、車椅子には抱きかかえるような感じで・・・・」
そうなんだ・・・・まだ、そんなレベルなんだ、と僕は少しショックを受けました。
「さっちゃんは山歩きをしていましたから、去年は山には行きませんでしたが、足はもともと強いんです。
それに、歩くことは好きですから、どんどん歩かせてください」
と、言いました。
看護師さんは「ああ、そうなんだ、だから車椅子に乗ることも嫌がらないんだ」といった雰囲気の言葉をブツブツと喋ってくれました。
よくは聞き取れなかったんですが。

さっちゃんに立ったり歩いたりする気持ちがあれば、衰えて細くなったとはいえ、もともと脚にはしっかり筋肉が付いていますから、歩けるようになるはずです。
立とうとする気持ち、歩こうとする気持ちが起きにくい状態なんでしょう。
立ち方や歩き方も忘れているのかもしれません。
立つことや歩くことをコントロールしている運動神経が委縮しているのかもしれません。
でも、まだしっかりと歩けるようになるはずです。


病院からの電話についてはここまで。

さっちゃんのいない僕ひとりだけの散歩昨日もしました。


▲14:58。奥多摩の山々が薄く見えています。この多摩川の土手をさっちゃんと再び散歩できる日が来ますように。


▲15:12。いつもの基本周回コースよりも長く歩きました。土手沿いにある桜並木も今は冬枯れの木の並木になっています。この枯れ木に咲く桜を今年一緒に見たいものです。


▲15:27。鴨(カルガモ)も足を水の中に浸けていると冷たいのでしょうか? 岩の上に立って、水に濡れないようにしているのでしょうか?


▲15:28。この日は15羽の鴨がいました。

基本周回コースより少し長いコースはさっちゃんの足で60分かかっていました。
僕は42分で歩きました。


▲20:10。昨日の晩もお雑煮を作って食べました。元旦よりも上手く作れたような・・・・
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新年あけましておめでとうございます

2022-01-01 19:03:38 | 生活の一場面
何十年ぶりでしょうか?
たった一人でのお正月は。
1999年からの簡易な山行記録が手元に残っていましたから、お正月の過ごし方をまとめてみたいと思います。

2000年:前年1999年12月26日に父逝去。当然、僕とさっちゃんは熊本の実家へ帰りました。
(ちなみに、さっちゃんは1998年2月に愛鷹山で脛骨最上部骨折で2回手術、計9ヶ月入院しました)
2001年:2日に奥多摩の大岳山に登っていますね。
2002年:僕は12月26日から仕事で屋久島。29日にさっちゃんとさっちゃんの甥と鹿児島市の親戚宅で合流。その後、熊本へ向かい、青春18きっぷで3日帰京。
2003年:どこへも行かなかったみたいですね。
2004年:3~4日に北八ヶ岳天狗岳西尾根。さっちゃんと僕の他、20代とアラサーの若者3人と登る。
2005年:さっちゃんは留守番。12月28日~1月1日。上記の若者3人と僕とで、北アルプスの中房温泉~大天井岳~常念岳~三股の縦走。全員、右頬に凍傷。
    3日にさっちゃんと奥多摩ハイキング。二俣尾駅~アタゴ尾根~日の出山~御岳山~大塚山~古里駅。
2006年:3日にさっちゃんと奥多摩ハイキング。井戸小屋尾根~六ツ石山。
 ※この年は大怪我後のさっちゃんとしては、一番体力も技術もあったころで、8月には剱岳源次郎尾根を登っています。65歳でした。
2007年:12月29日~1月1日。さっちゃんと僕、他に2人の山仲間と、仙丈ヶ岳地蔵尾根を登る。
2008年:12月30日~1月1日。さっちゃんは留守番。若者2人と僕で南アルプスを夜叉神峠~鳳凰三山~早川尾根~北沢峠の計画。
    ところが、大雪のため薬師岳小屋で引き返す。
2009年:12月31日~1月8日。熊本の母の認知症が進み、この時から盆と正月は基本的に母に顔を見せに帰ることにする。
2010年:12月27日~1月4日。長崎のさっちゃんの叔母宅に寄り熊本へ。さっちゃんは11日まで熊本に滞在。
2011年:12月29日~1月9日。熊本へ。
2012年:12月23日~1月7日。熊本へ。父の十三回忌。
2013年:12月25日~1月6日。熊本へ。


手元の記録にはここまでしかありませんでした。

2013年5月に母が亡くなり、2014年は一周忌に参列するので、正月には帰熊していません。
2015年も三回忌に参列するので、正月には帰熊していません。
2016年:熊本へ。日付は分からず。12月29日~1月4日よりは長くいた。その後、熊本地震。
2017年:熊本へ。12月28日~1月5日。その後、鹿児島へ回ってお墓参り。
2018年:熊本へ。日付は分からず。
2019年:母の七回忌のため、正月には帰らず、4月に帰熊。
2020年:熊本へ。日付は分からず。


これ以降はコロナ禍で熊本へも行かず、お正月はどこへも出かけていません。
さっちゃんも長い時間、電車に乗っていることが困難になっていました。
青春18きっぷで途中あちこち寄り道をしながら熊本まで行っていましたが、
それが新幹線になり、その時間も耐えられなくなって、飛行機になりました。
でも、2020年にはその飛行機に乗っている時間すら、さっちゃんには我慢できなくなっていました。
さっちゃんと一緒に熊本へ行くのは無理だと思うようになっていたのです。

1999年からさっちゃんの山行記録をとっていました。
これは大怪我から復活していくさっちゃんの姿をしっかりと記録しておこうと思って、書いておいたものです。
大怪我でしたから、僕はさっちゃんが通常の日常生活が送れなくなるんじゃないかと思っていました。
でも、骨折は順調に回復し、さっちゃんも熱心にリハビリしました。
1999年1月30日2回目の入院から5ヶ月ぶりに退院しました。
その後、4月28日には大澄山192mで怪我後の初登山。
右足に装具を装着して、両松葉杖をついての登山でした。
装具と2本ストックで日の出山に登ると、山頂の人々から「頑張ってね!」と励まされたりしました。
装具は大きいのでズボンの外に出て、凄く目立つんです。
その後も毎週のように山を歩きました。
御岳山や高尾山のような下山でケーブルカーを使える山域が多かったですね。
8月になると、装具と杖なしで歩く練習を近所の公園で始めました。
9月2~3日には初の泊り山行。
那須岳の三斗小屋温泉に泊まって、北温泉に降りました。
12月には天覧山岩トレにも参加し、最下部岩場をトップロープでですが、3ルート登りました。

さっちゃんの大怪我をした時の事故報告やその後の回復の記録など、このブログでもいつか発表したいものです。
今日は、久し振りにその記録を見たので、少しだけブログにも書いてみました。

そうそう、今日はお正月、元旦ですね。
入院しているさっちゃんのことを想うと悲しくなりますが、僕は静かに過ごしています。
正月だって普段の一日と変わんないや! とは粋がってみたものの、やっぱり心の状態がいつもとは違ってしまいます。
なんと! お雑煮を作りました。
僕は子供のころ食べた濁りのあるお雑煮が好きです。
どうやら親父の好みだったようですね。
次第にお袋の発言権が強くなると、お袋の里の澄まし汁のようなお雑煮に変わって来ました。

今日作ったお雑煮は、家にある材料で作りました。
賞味期限が切れていたお餅、鶏肉、竹輪、えのき、里芋、大根、金時人参、菜の花。
金時人参は初めて食べましたけれど、噛んだ感じは芋のようですね。
菜の花はまだ花がない葉っぱばかりです。
ほぼ塩味だけなんですが、濁りがあるのは、お餅を早くから煮て、汁の中に融かすからです。
もちろん、全部の餅をそうするのではなくて、今日の場合は1個だけですけどね。
餅の味が汁にも加わって美味しくなるんです。


▲12:12。見た目はまったく上品ではありあせんが、結構美味いんですよ。これをどんぶりに2杯食べました。
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