星さんぞう異文化きまぐれ雑記帳

異文化に接しての雑感を気ままに、気まぐれに

「海外ロングステイ」考(1)

2006年04月30日 23時41分18秒 | Weblog

定年退職後の第二の人生の送り方として、「海外ロングステイ」が脚光を浴びています。

もうだいぶ前の話になりますが、海外に移住して老後を過ごすことを国が支援する施策が真剣に議論されました。「シルバーコロンビア計画」を覚えていますか?受入側も当時バブル景気に沸く日本人を受け入れることにより地域振興に役立て、外貨獲得の目玉にしようと動いた国が多数ありました。自動車、エレクトロニクス製品、コンピューターに飽き足らず、日本はとうとう「老人の輸出」まで始めるのかと多くの国々の顰蹙を買い、この計画は国家プロジェクトとしては頓挫したと記憶しています。

ビザがクリアでき生活環境もよく、日本より安い生活費で暮らせるとはいっても、言葉の問題、文化の違い等から「永住」はなかなか難しく、夢半ばで永住を諦めて帰国するケースが今でも多いようです。まさに「異文化の壁」は想像以上に高く厚いということなのでしょうね。

最近は「永住」ではなく、生活のベースは日本に残したまま海外に夫婦で長期滞在して、現地の異文化を体験する「ロングステイ」が増える傾向にあるようです。関連情報を提供してロングステイを支援するNPO組織も数多く出来ていますね。いわゆる団塊の世代が社会の第一線からを退くここ数年、この傾向が続くといわれています。でも、ちょっと気になるのは、このNPO活動と旅行ビジネスとの境界線が曖昧な感じがするのです。

海外旅行の好きな人にとっては「好きな期間だけ、好きな所に行く」旅行の繰り返しができることが一番の理想でしょう。これができれば「ロングステイ」は不要というか概念そのものが成り立ちません。旅行会社にとってみれば一番の上客、常顧客というわけです。

時間はあっても、その資金が無い者にとっての次善策として「合理的コストの範囲内で一箇所に長く」滞在する「ロングステイ」が意味を持ってくるわけです。旅行者では体験できないような異文化体験もロングステイの魅力かもしれません。旅行会社が入り込む余地が実はここにあります。このグループこそ企画商品「ロングステイ」を売り込むべきターゲット層なのです。

異文化を体験する意欲と熱意があるならば、この曖昧なNPOやら旅行社の商品に飛びつかず、自分で情報収集して、自分自身の手で「ロングステイ」を作り上げるべきだと、私は思います。私もインターネットを通して情報収集し、ひょんなことから私自身の「ロングステイ」プログラムを作り上げる結果となりました。

この話は次回にいたします。

(続く)


きょうの一言(10) Every Tom, Dick and Harry

2006年04月30日 16時56分42秒 | Weblog

最近の女の子の名前は、厚子、純子、陽子のように「子」の付く名前がめっきり減って、「無理に読ませる」たぐいを含めて随分とバラエティーに富んできたなと感じます。アメリカの男の子の名前も、私が40年前に高校留学でアメリカに生活していた頃と較べると、スッカリ様変わりして多様化が進んでいます。

私の学校で多かった名前は:
Richard (Rich, Rick, Dick), David (Dave), Thomas (Tom), Albert (Al), Robert (Bob, Rob) Jonathan (John, Jack)Stephen (Steven, Steve) たちであったと記憶しています。

Tom, Dick and Harry は、日本の苗字の御三家「鈴木佐藤田中」のように、当時の全国トップスリーとしての地位を与えられ、慣用句にまで使われたものと思われます。

ボス:What are you going to do this weekend, Sanzo?

私: Well, I’m thinking of going to the show tomorrow. It’s supposed to be very good.

ボス:Oh yeah? That’s that hot, eh? Then it must be pretty crowded out there, eh?

私:  It sure is, Boss.  I bet every Tom, Dick and Harry in town goes there.

「猫もシャクシも」、「オットちゃんもオッカちゃんも」、「みんなが皆」と言ったニュアンスを表す慣用句です。

自分だけが目立つことを嫌い、自分の意見を主張することが不得手(主張すべき意見を持たない場合も多いが)であるがゆえに、平均的日本人は世間の大勢の意見に引っ張られやすいようです。世間が「右向け、みぎっ!」と言ったらみんな右を向き、赤信号も「みんなでわたれば怖くない」日本人の得意技。「一億総ナントカ」は英語でなんと言うのでしょうか?


古文書は面白い!!

2006年04月30日 00時52分10秒 | Weblog

「古文書はこんなに面白い」(油井宏子著、柏書房刊)を読みました。

漢字文化に育ちながら草書体、崩し字が読めず歯がゆい思いをしていることは前にも書きました。書道の楷書→行書→草書と段階を踏んで勉強するのが正攻法であることは解っていても、手持ち時間に限りがある身ゆえ即効性のある勉強方法はないものかと思案していたときに、この本の存在を知り、渡りに舟とばかりに読んでみたわけです。

京都府のある素封家に伝わる古文書をテキストにして読み解くもので、寺子屋の話からスタートします。

寺子屋の子供相手に書かれた、ということは江戸時代の子供でも読めたはずの簡単な文書のはずです。読み進むうちに、書かれている中身は、寺子屋の校則、寺子達が守らなければならない心得であることがわかります。寺子屋の行き帰りに買い食いはするな、予習復習はきちんとやれ、寺子屋の中では他人の筆記用具をみだりに使うな等々、小学校、中学校時代に言われたことを思い出すような内容です。

しかし、驚くべきことは、当時の寺子がこれを読めたということです。愕然とします。大学を出て、サラリーマン生活を40年近く送り終えた、「大の大人」であるはずの自分にはチンプンカンプンの「絵」としか思えず、まったく読めないんです。江戸時代の識字率の高さ、なかんずく子供達の教育程度の高さにただただ驚くばかりです。

この本のよさは、崩し字がまったくわからない読者にも、懇切丁寧にどう崩されているのかを説明し、何度も何度もくどいくらいに繰り返して判読・解読方法を解説しくれるのです。そして、読めたら次にそれを声に出して何度も繰り返して「音読」するように指導しています。これが実に気持ちのいい作業なのです。

私は自分でも嫌になるほどの生来の早口ですが、この「そうろう文」を音読するには私のような早口ではサマにならないのです。「そうろう文」には独特のリズムがあって音読を繰り返すうちに、なにやら自分の早口までも矯正されるような気がするのです。気がするだけではなくて、実は間違いなく「早口矯正効果」のあることが実感されるのです。時代劇の役者に早口が少ないのは、このリズムのせいだと変なところで納得してしまいました。

寺子屋の話の次は、日本橋の呉服屋「白木屋」の病弱な小僧さんが、入社2年足らずで職場に嫌気が差し、店の品物をネコババして故郷へ逃げ帰ろうと企てながら失敗して、店に連れ戻される顛末が書かれている古文書がテキストです。昔も今も変わらぬ「社内懲戒委員会」の様子を垣間見るような面白さを発見し、小説を読むような楽しさを感じながら、読み進むにしたがって自然と崩し字の解読できる割合が高まるような構成にできているのです、この本は。

古文書ファンを増やしたいという著者の心意気、心遣いが随所に感じられる、実に素晴らしい「古文書入門書」だと思います。(他を知らないので比較はできませんが・・・)

推理小説を読むようなスリルと、江戸時代の子供に少しでも追いつけそうな興奮とを体感しながら、早口まで直してくれるなんて、本当に「古文書はこんなに面白い」と実感して、続編の「古文書はこんなに魅力的」まで購入してしまいました。