落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(55)子連れ再婚 

2021-02-16 19:20:05 | 現代小説
上州の「寅」(55)

 
 「受け入れたのですか、彼からのプロポーズを?」


 「言ったでしょ。子持ち女の恋の成就は難しいって。
 ひとつだけ条件を出しました。
 ユキがあなたのことをあたらしい父親と認めれば、そのとき再婚しますって」


 「ユキはあたらしい父親として彼を認めたのですか?」


 「ひとの心の奥底の変化を読むのは難しい。
 ユキは拒否しなかったけど、積極的に自分から近寄っていくこともしなかった。
 いつまで経っても微妙な距離が残っていた。
 それでも彼のことを、家族のひとりとして受け入れた。
 とわたしは勝手に思い込んでいた・・・
 ユキが中学2年になったとき。再婚することを決めました」
 
 「経済的な理由からですか?」


 「うふふ。ホント鋭いわね、あなたって。
 そう。いちばんの理由はこれから重くのしかかるユキの学費。
 高校大学とすすんでいけば、女ひとりの働きでは手に負えなくなる。
 父親としてちからになる。彼がそう言ってくれた。
 その言葉がこころを動かしたの。
 ユキにとっても、最善の選択。そのときはそう信じました」


 「ユキが金髪になったきっかけは?」


 「聞きにくいことをズバリいうわねあなたって。ほんとに18歳?。
 再婚を決めた理由はもうひとつ有るの。
 じつはね。妊娠したの。
 おろそうと覚悟を決めた時、彼から産んでほしいと懇願された。
 ユキも背負っていくから、家族4人で暮していこう。
 そういわれてわたしは子連れと妊娠の状態で再婚することを決めました」


 「良い方向へ進むように聞こえましたが・・・」


 「ユキは敏感な子です。
 赤ん坊のときそれをユキから教わったのに、わたしはまたミスを犯しました。
 妹が生まれた日。
 あたらしい子育ての始まりに、有頂天な気分になりました。
 彼もまたおなじ気分でいたようです」


 「ユキひとりが蚊帳の外になった、ということですか?」


 「その通りです。
 退院した日。ユキがすこし淋しそうな目で出迎えてくれました。
 なんだろう、この違和感は・・・
 気になったのですがそのときは、そのままスルーしてしまいました。
 いま思えばそれが最初のボタンの掛け違い。
 あの日。ユキにもっとやさしくしてあげれば、ユキのこころの
 淋しさがもうすこし、ちがう方向へ進んだと思います。
 ユキが部屋へ引きこもるようになったのはその日の夜からです」


 部屋へ引きこもるようになったことはユキから聞いている。
(そうか。ユキの引きこもりは妹が家へやって来た日からはじまったのか)
ユキは母親を失ったような気がしたのだろう・・・
部屋へ籠ったユキは、大事にしてきた黒髪を金髪に染めた。
母親にわたしを見てほしいという意味を込めて・・・


 「あのう、これ。
 わたしの手紙と、高校のお祝いに主人が用意していた携帯です。
 わたしの番号がはいっています。
 いつでも使えるよう料金は毎月主人が払っています。
 ご迷惑でしょうがこのふたつを、ユキに届けていただけるとありがたいのですが」
 
 「迷惑どころか、よろこんでお預かりします。
 ユキもきっとよろこぶと思います」


 「よろこんでくれるでしょうか、ユキは・・・」


 「よろこぶと思います。ユキちゃんは!。
 お母さん。ぼくがユキちゃんの面倒を見ます!。
 あ・・・誤解しないでください。高校を卒業させるという意味です。
 言い遅れました。
 ユキちゃんはこの春からインターネットの高校へ入学しました。
 ぼくはユキちゃんの家庭教師です。
 まかせてください。お母さん。
 ユキちゃんを。もちろん高校の勉強も!」


(56)へつづく



上州の「寅」(54)バツイチの恋

2021-02-09 18:35:14 | 現代小説
上州の「寅」(54)

 
 「結婚して鹿児島で暮したのは、5年あまり。
 離婚が成立し、3歳のユキを連れ、生まれ育った小豆島へ帰ってきました。
 実家へもどらずとなり町で、ちいさなアパートを借りました」


 「実家を頼らなかったのですか?」


 「駆け落ち同然で実家を出た身です。
 わずか5年で離婚しましたと、実家の敷居をまたぐことはできません。
 そのぶんユキに苦労をかけました」


 「でもユキはお母さんと暮らした7年間は、楽しかったと言っていました」


 恵子さんの手が止まった。
沈黙の時間が過ぎていく。どうやら予期しない言葉だったらしい。


 「ユキがそんな風に言っていましたか。そうですか・・・
 再婚するまでの7年間のことを」


 恵子さんの眼が宙を泳いでいる。
ユキと暮らしたふたりだけの7年間を思い出しているのだろうか。
またすこし、沈黙の時間が流れていく。


 「再婚相手、ユキの2人目の父親は幼なじみの同級生です」
 
 「もしかして初恋のお相手?」


 「うふ。残念。近所で育ったただのけんか相手。
 高校まで同じ学校で過ごしましたが、彼は東京の大学へ進学しました。
 わたしは管理栄養士を目指していましたので、地元の大学へ進みました。
 それから10年、まったくの音信不通」
 
 「島で、その方と10年ぶりに再会したという事ですか?」


 「はい」


そのころユキは10歳。小学校4年生。
思春期へ足を踏み入れていく少し前の年頃。
親の目から見れば急に大人びてきて、しっかりしてきたように見える。
しかし外見は大人びても、中身はまだ子供のままだ。


 「彼もバツイチなの。
 東京で結婚して所帯を持ったけど、7年目で破局。
 心機一転、生まれた土地でやり直そうと東京から戻って来たばかりだった。
 そんな彼といまお勤めしているホームセンターでばったり出会ったの」


 「バツイチの彼と恋に落ちたのですか?」
 
 「いきなり聞きにくいことにまっすぐ踏み込んでくるのね、あなたったら。
 うふっ。あなたおいくつ?」


 とつぜんの逆質問にチャコが面食らう。恵子さん目が笑いだす。


 「としですか・・・18歳ですが」


 「18か。うらやましいほど若いわね。男女の経験はあるの?」


 「えっ、あっ、それってあの・・・いえ、じつは・・・」


 チャコの頬が赤く染まっていく。


 「男女の恋にいろいろあります。
 そのなかでバツイチ同士の恋がいちばん難しい。
 と、わたしは考えていました。ましてわたしは子持ちの女。
 世間の目を気にしながらこっそり会う、そんな関係が3年近くつづきました」


 「3年間も秘密の恋がつづいたのですか?」


 チャコの目がきゅうに輝く。


 「うふっ。喰いつくわね、あなた。
 3年どころかわたしがその気にならなければ、秘密はたぶん一生続いたでしょう。
 わたしはそれでもよかったの。
 でもね。彼がどうしても籍を入れて君と暮らしたいと言い始めたの」


(55)へつづく


上州の「寅」(53)駅まで

2021-02-04 18:29:25 | 現代小説
上州の「寅」(53)


 降りるべき乗客はおり終わった。しかしバスは停留所から動かない。
動きだす気配がない。・・・なんだ?、どうした?。乗客がざわつきはじめた。
駅へ向かうバスはほぼ満席。
(なにかトラブルの発生か?・・・)
乗客の目が運転席の脇で立ちすくむ恵子さんへ集中する。


 運転手が恵子さんへ声をかける。
 
 「お母さん。ほんとうはどこまで行きたいのですか?」


 「駅までです。
 駅まで行きたいのですが、この子がこの通り泣きはじめて、
 わたしには手に負えません。
 みなさんにご迷惑がかかりますので、ここで降りたいと思います」


 「そうですか。わかりました。ちょっと待ってください」


 運転手がマイクのスイッチを入れる。


 「混雑している中、お時間をかけてすみません。
 みなさんにお願いがあります。
 こちらのお母さんが赤ちゃんが泣いて皆さんに迷惑がかかるので、
 ここで降りると言っています。
 お母さんはほんとうは駅まで行きたいそうです。
 子どもは小さい時は泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。
 どうぞ皆さん。少しの時間、赤ちやんとお母さんを乗せていってください。
 停留所にしてあと4つ。
 泣く子に付き合っての辛抱、よろしくお願いいたします」


 3列目に座っていたおばあちゃんが恵子さんを手招きした。


 「お母さん。此処に座りなさい」


 おばあちゃんがおおきな荷物を持って「よっこらしょ」と立ち上がる。
2列目の中年男性があわてて振り返る。


 「とんでもねぇ。荷物を持った年寄りに席を譲られたんじゃ立場がねぇ。
 お母さん。ここへ座りな。わしも駅まで行くが荷物もカバンもない。
 ほら、ばあちゃんはいいから、そのまま座ってな」


 中年男性が席をゆずる。


 「いいんですか?」


 「いいもなにも。赤ん坊は泣くもんだ。気にするな。元気な証拠だ」


 「でも、ご迷惑じゃ・・・」


 4列目の乗客が「袖擦れあうのもたしょうの縁。元気に泣かせろ」
がんばれよお母さんと、笑顔を見せる。
「そうだ。がんばれ」「行こう、行こう。いっしょに駅まで行こう」
声といっしょにあちこちから拍手がわいてきた。
運転手がふたたびマイクのスイッチをいれる。


 「お待たせしました。では発車いたします」


 運転手の優しさと乗客の拍手の中、恵子さんの目頭は涙でいっぱいになった。
「迷惑どころか、こどもは希望だ。がんばれよ、母さん」
席を譲ってくれた中年男性にそう声をかけられたとき、恵子さんの目はもう
何も見えなかった。


 「ユキは泣くことで、わたしに子育ての勇気をくれたんです。
 バスの運転手さんや、あのときのおばあちゃん、中年のおじさんの優しさに
 こころから感謝してます。
 手探りの闇の中、希望の光を見た気がします。
 育ててわかりました。ユキはとても感性の鋭い子です。
 新米の母にもっとしっかり育ててくださいと、泣いて抗議したんです」


 「よかったですね。駅まで無事、乗車することが出来て」


 「はい。とても貴重な体験でした。
 でもあのとき学んだはずなのにわたしはまた、ユキのSOSを
 見逃してしまいました」
 


(54)へつづく


上州の「寅」(52)泣き虫

2021-01-30 17:34:04 | 現代小説
上州の「寅」(52)



 「あの子は泣き虫でした」


 昨日よりやわらかい笑顔の恵子さんが、寅とチャコを出迎える。
「どうぞ」手招きされた。
「紅茶?。コーヒー?。今日はわたしにおごらせて」
こころが落ち着いたせいか、物腰も昨日よりはるかにやわらかい。


 「ユキはね。とっても泣き虫な赤ん坊でした」


 コーヒーが2つ運ばれてきたあと、恵子さんがユキの話を始めた。


 「わたしも泣き虫だったよ。私のDNAを受け継いだようです。
 うまれたときからユキはとにかくよく泣きました。
 何が気に入らないのか、火がついたように泣くの。
 はじめてのことでどうしたらいいかわからず、一晩中、抱っこしたまま
 公園を歩いたこともあります。
 好きなだけ泣いて泣きつかれるとようやく眠るの。
 その時の寝顔が可愛いの。
 泣くときは悪魔、眠るときの顔は天使。
 とにかく手を焼きました。それが産まれた頃のユキです」


 泣き虫だったのかユキは。快活に笑ういまのユキから想像できない過去だ。


 「でもね。そんなわたしに子育ての勇気をくれたのもユキでした」


 「泣き虫の赤ん坊が勇気をくれたのですか?」


 チャコの目がまるくなる。


 「そうよ。火がついたように泣くユキから子育ての勇気をもらったの」
 
 「信じられません!」


 「信じられないようなことがおこるの。子育てでは。
 あなたもいつかお母さんになれば、きっとわかるときがきます」


 「そんなものですか?」


 「そんなものです。
 あれはユキが産まれて半年くらいたったときのことです。
 病院の帰り。ユキを抱っこしてバスに乗りました」


 「ひょっとして、バスの中で泣きだしたのですかユキが」


 「泣かなければいいなと思っていました。
 でもやっぱり、火がついたように泣きはじめた。
 冬のことでバスの中は混んでいた。
 暖房とおおぜいの乗客の熱気のせいで、赤ん坊は息苦しかったのでしょう。
 それはわかっていたけど、泣かれるとわたしもオロオロするばかり。
 周りの乗客もみんな迷惑そうな顔していました」


 人ごみの中で赤ん坊が泣きはじめるのはよくあることだ。
赤ちゃんはとにかくよく泣く。なきはじめると容赦なく泣き続ける。
やっと泣きやんでも、ささいなことでまたスイッチが入る。
ふたたび泣きはじめる。
どうしたらいいかわからず新米のお母さんは、ただ戸惑うばかり。


 泣きやまない原因の一つに、人一倍敏感な体質をもっている場合がある。
そうした赤ちゃんは室温の変化や、大きな音、眩しい光などに敏感に反応する。
その反応ぶりは親の想像をはるかにこえる。
赤ん坊は自分の不安や不快感を泣くことで訴える。
ユキもそうした敏感な赤ちゃんのひとりだった。


 「バスが次の停留所へとまったとき。何人かのひとが降りていきました。
 泣き止まないユキをあやしながら、わたしも最後の人へつづいて
 バスをおりようとしました」


 駅まで行きたかったけど、このままでは皆さんに迷惑がかかる。


 「すみません。降ります」


 そう言ったとき。運転手さんが「ちょっと待って」と呼び止めてくれました。


(53)へつづく


上州の「寅」(51)渡したいもの 

2021-01-26 17:28:06 | 現代小説
上州の「寅」(51) 


 「あんたのせいでまた、ホームセンターへ行く羽目になったじゃないか」


 次の日の昼休み。背後からあらわれたチャコが唇を尖らせた。


 「おれはなにもしてないぜ。
 君がぜんぶ話をしたくせに、なんでいまさら俺のせいなんだ」
  
 「寅ちゃんが運転してね。あたし、疲れた」


 「それはかまわないが、怖いぞおれの運転は」


 「だいじょうぶ。寝ているから」


 「いいのか。なんどもホームセンターへ行くとユキが疑うぜ」


 「ユキには買い忘れが有ると言っておいた。
 それよりなんだろう。
 渡したいものがあるからもう一度来てくれというのは」
 
 別れ際、準備していたものがあるの、と恵子さんが言い出した。
ユキに渡してほしいという意味か。
明日用意するから午後3時過ぎにまた来てほしいという。


 断る理由はない。
わかりましたと2人で答え、ホームセンターから帰って来た。


 4月。瀬戸内の海が明るくなってきた。
「サクラのせいさ」と徳次郎老人が笑う。
「知らんのか。桜の花びらをたっぷり吸い込こむと海の色がピンクになる」
えっ、ホントかよ・・・寅があわてて海を振りかえる。


 小島の向こうへ夕陽が落ちていく。
オレンジの雲と海の境目に、ほんのりさくら色が混じっている。
ホントゥだ・・・
 
 午後2時。ホームセンターへ行くため、仕事をきりあげた。
徳次郎老人がユキを誘いにやってきた。


 「ユキ。はつみつを採るのを手伝ってくれ」


 「いいよ。そのかわり後ですこし舐めさせて!」


 子猫のようにユキが尻尾をふってついて行く。
老人に事情を説明していない。
しかしチャコと寅の気配から、なにかを察知したようだ。
「気ぃつけて行っておいで」老人が高台から手をふってくれた。


 「おれの運転で不安か」


 いつまでたっても眠らないチャコへ声をかけた。


 「心配で寝れない」


 「悪かったな。いつまでたっても下手くそで」


 「別れ際、わたしてほしいものがあるって言ってたね。
 なんだろう?。
 ユキのために前から用意していたものって。
 うらやましいな。やっぱり親子だ。母は母だ・・・」


 「何の話だ。いきなり」


 「何でもない。ただのひとりごと。気にしないで」


 思いだした。
チャコに母はいない。父も亡くなっている。
東北の大震災、3月11日の大津波でチャコは両親を失っている。
(大丈夫か?)口にしかけたとき、チャコが顔をそむけた。
(きれいな海)ちいさくつぶやく独り言が、寅の耳にむなしく聞こえる。


 午後3時。春の太陽が西へかたむきかけている。


 ななめになった陽ざしが、海の色をやわらかくする。
宮城道雄が作曲した「春の海」はこの瀬戸内の海をイメージしているという。
8歳で失明したが神戸に生まれ、幼少の頃、瞼に焼きついた瀬戸内の海を
イメージしたのだろう。
彼の見た海も、こんな風にうららかな陽ざしの下の海だろうか・・・


 午後3時。予定通りホームセンターへ着いた。
駐車場へすすんでいるとき、チャコが窓越しに恵子さんの姿を見つけた。
昨日二人がすわった窓辺のテーブルでお茶を飲んでいる。


 (52)へつづく