詩篇36:1-4
『 罪は悪者の心の中に語りかける。彼の目の前には、神に対する恐れがない。
彼はおのれの目で自分にへつらっている。おのれの咎を見つけ出し、それを憎むことで。
彼の口のことばは、不法と欺きだ。彼は知恵を得ることも、善を行うこともやめてしまっている。
彼は寝床で、不法を図り、よくない道に堅く立っていて、悪を捨てようとしない。 』
人間には誰にでも良心というものがあって、この世で生きながら、ある程度は善悪を分別することができます。
もちろん、人それぞれの性格、気質、育った環境、知的水準によって、良心と分別力の差はあると思います。信仰の有無による差もあります。
この良心は悪を行う時、罪を犯す時にとがめを感じ、また不安を感じます。
しかし、ますます悪を行って、罪の中に深入りすると、良心も麻痺され無感覚な人になって、良心のとがめはまったく受けなくなります。
別れた彼女をしつように追いかけて、はさみで50か所以上刺して殺した犯人は、
捕まっても反省の色1つ見せずに、カメラに向かって笑っていました。それは人間の顔ではなく、悪魔の顔そのものでした。
人間は犯した罪に対しては、自ら責任を取らなければなりません。
刑罰を避けることはできません。その刑罰は地上だけではなく、死んでからもその報いを受けます。
神を恐れない人、悪を好む人、錯覚の中で生きる人は、平気な心で罪を犯し、自分の身に滅びを招きます。
悪を憎み、善を行うことが、自分のたましいを愛する人です。
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